シーバード ―Sea-bird供 【超完全版SSS+α】〜地球生誕史上究極サラブレッド〜

 
   シーバード


世紀海鳥

地球生誕史上最強馬


父 ダンキューピッド
母 シカラーデ
母父 シカンブル

生年:1962年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:フランス
生涯成績:8戦7勝[7-1-0-0]
フリーハンデ:145 ※フランケル登場に史上最高値からは陥落も中距離以上のレーティングは今だ史上最高値。
主な勝ち鞍:凱旋門賞、英ダービー、サンクルー大賞、リュパン賞、グレフュール賞、クリテリウム・ド・メゾンフィラット、ブレゾン賞

「世紀の名馬」という称号がある。あなたならこの名誉をどの名馬に授けるだろうか?私には本馬シーバード以外にこの称号がふさわしい馬など考えにも浮かばない。その神がかり的強さ、神格的オーラ…常軌を逸したスピード能力と加速力…そしてその一生まで、何から何までが特別な「百年に一頭」な馬だった。
シーバードを生産したのはジャン・テルニンク氏。繊維業で富を築き、ノートルダム・ド・リスル牧場を創設。また厳格なカソリック信者で、自らの生産馬にも神聖な名前を付けている。それが彼が生産した名馬サンクトゥス(聖なるかな)や、父ダンキューピッドといった馬名に顕著に表れている。そんな中、シーバード(かもめ)というネーミングには神聖な雰囲気は微塵も感じられず、底抜けに明るいイメージが脳裏をよぎる。もしかしたらこの命名、神からのお告げだったのではないだろうか?そう推測せねば納得のいかない馬名なのである。

さて、それはさておき、史上最高最強のサラブレッド・神鳥シーバードの壮大なる蹄跡を振り返ってゆくこととしよう。
シーバードの調教に携わったのはティアンヌ・ポレ師。主戦騎手としてはT.パット・グレノンが手綱を握った。グレノン騎手はオーストラリアの田舎競馬の出身。まさか史上最強馬の手綱を取ることになろうとは、本人も夢にも思わなかったことだろう。
またその血統だが、とても誉められたものではなかった。父ダンキューピッドはマイルで勝ち星を上げるものの、大レースを勝つような馬ではなかったし、母方の血統を見ても、平地競走の勝利数がゼロという、三流馬の血統だった。そんな暗澹たる血統から、闇を切り裂く一線の光…大空へと白きカモメが飛んでゆく…。日本で言えばオグリキャップを思い浮かべて頂きたい。見捨てられたような血筋から現れた究極の名馬…それが日本のオグリキャップであり、フランスのシーバードなのである。実はこの2頭の強さは、ネイティヴダンサーの隔世遺伝と言われている。両馬とも父系の3代前にネイティヴダンサーが顔を覗かせているのである。


〔父ダンキューピッド〕

シーバードはフランスはカルヴァドス県にあるビクター牧場に1962年の3月8日降誕。父ダンキューピッドも惨憺たる評価を受けていたが、母のシカラーデの評価はそれ以上に、暗渠の中さらに潜りこむほど低く、2戦して2着が最高で母系を5代遡っても未勝利馬しかいない。シカラーデは生涯に4頭の子馬をもうけているが、活躍したのはシーバードのみである。そんな貧弱な系統にも関わらず、シーバードを産むまで生きながらえる事が叶ったのは、母母の全姉のカマリーが英1000ギニーを優勝したためと言われるが、シーバードを産んだ翌年、ついに見切りをつけられ、殺処分。肉屋へと売り飛ばされてしまっている。
そんな母の暗迷なる末路も他所にシーバードはグングンと成長を遂げていった。
成長とは裏腹、仕上がりは遅く、シーバードはその神の巨翼をゆっくりと広げるかのように、1964年9月2日、悠然とシャンティ競馬場へ登場。プレゾン賞(芝1,400m)へ出走し、鼻差の一着。二走目は同年9月18日に行われたクリテリウム・ド・メゾンフィラット(芝1,400m)。勇躍メゾンフィラット競馬場に神翼を降ろした。このレースも短首差の一着。二着は後の仏オークス馬ブラブラだった。
そして「世紀の敗戦」の日がやってくる。10月11日のロンシャン競馬場、ブルゴーニュの森には、早くも晩秋の風が吹き、木々を揺らしていた。グランクリテリウム(芝1,600)には、シーバードと同廐のグレイドーンが出走してきていた。グレイドーンは芦毛の綺麗な馬で、モルニ賞・サラマンドル賞と連勝中で、厩舎の期待を一心に集めていた。ポレ調教師もまだこの時、グレイドーンがシーバードより強いと考えており、グレイドーンを先行させ、シーバードを後ろから行かせた。シーバードが追い込んで、あわよくば勝てればいいという考えだったようだ。ところがこの一戦、実はいわく付きで、最初からグレイドーンを勝たせるためのレースだったと言われている。それが本当かどうかはわからないが、そんな意図が見え隠れしていた節も確かにある。
シーバードの主戦グレノン騎手は、グレイドーンに乗り、シーバードにはM.ラウロン騎手が騎乗。シーバードはかなり賢い馬だったようで、いつもと鞍上が違うことを知るやいなや、神経質な一面をのぞかせ激しく入れ込んでしまう。なおかつ、最後尾からの追走。シーバードは直線に入ってもまだ最後方。先頭にはグレイドーンが立ち、後続を突き放してゆく。その時である。シーバードはその光の神翼を広げ、一気に進出。なんと騎手が引っ張りきりになって抑えているにも関わらず、猛然と追込み、11頭を一瞬にして飲み込んでしまった。グレイドーンにあと2〜1馬身と迫ったところがゴールだった。この一戦以降、グレイドーンは不振に陥り、勝てなくなってしまう。スランプ脱出を図るため、アメリカへと移籍するも不調を脱することはできず、結局22戦8勝という単調な成績で一生を終えている。

年が変わり1965年、シーバードは眠らせていた究極無比のポテンシャルを、一戦ごとに剥き出しにしてゆく。4月4日、ロンシャン競馬場で開催されたグレフュール賞(芝2,100m)から伝説となる年のスタートを切った。このレース、すでにレースを使われていたコルデュロイやパスカンといったフランスの有力3歳が集結していたが、シーバードは全くの馬なりのまま3馬身差の楽勝。つづく5月16日のリュパン賞(芝2,100m)ではさらに相手が強化され、ダイアトム(シーバードとリライアンスがいなければ、フランス史上最強馬と言われてもおかしくない程の強豪)や仏2000ギニー馬カンブレモンらも出走してきていたものの、シーバードは軽がると抜け出し、馬なりのまま6馬身も突き抜けてしまった。
この頃になると、「とんでもなく強いフランス馬がいる」という噂が、風に乗り、ドーバー海峡も越えて、イギリス全土へと広まっていた。シーバードは悠然とした面持ちで渡英。6月2日のエプソム競馬場に姿を現した時、シーバードは「世紀の名馬」と讃えられるだけの風格と神々しいまでのオーラを身に纏っていた。レースはシーバードが簡単に抜け出し直線先頭。軽く仕掛けられると、超次元の加速を見せ、後続に追撃不可能と言えるまでの絶望的な着差をつけてしまった。残り100mを残し勝負を決めてしまったシーバードは、馬なりのまま最後の直線を駆け抜ける。そしてなんと、最後の最後は完全なキャンターでゴール板を通過するのだった。メドウコートが猛然と追い上げてきたが、キャンターに入ったシーバードに2馬身差まで迫るのがやっとだった。

【エプソムダービー1965】



▲〔英ダービー(1965)ゴールの瞬間。写真からもシーバードが手綱を引っ張られ、抑えられている様子が窺える〕


▲〔1965年・英ダービー別角度からのゴール前写真〕

決してダービーのメンバーが弱かった訳ではない。英2000ギニー馬ニクサーと前述メドウコートの他にはデューハーストS、コヴェントリーS、グリーナムSを勝ったシリーシーズン。インペリアルSとチェスターヴァーズの勝ち馬であるガルフパール。ダンテS馬バリメライス。ディーS5馬身差圧勝のルックシャープ。ホワイトローズSを5馬身ちぎって参戦のアイセイ。リングフィールドダービートライアル快勝で臨んできたソルスティスと、相当の豪傑が集結していたことを付け加えておく。
また、しっかりと追い続けていれば、10馬身差以上の着差は軽く開いていただろうと、当時の評論家たちは述べている。

故国フランスへと凱旋帰国したシーバードは、歴戦の古馬相手となるサンクルー大賞(芝2,500m、現在は2,400m)に出走。ここでもダービーと同じようなレース振りで2馬身半差の楽勝。この時はゴールのかなり前から追うのを止めており、まともに追っていたら大差勝ちもありえるほどだったという。初の古馬との対戦だったが、いきなりフランス最強古馬のフリーライドを沈めてしまい、現役欧州最強の座もほぼ手中におさめ、もはやシーバードに課せられた使命は、凱旋門賞制覇、世界N0.1の玉座しかなかった。



〔調教師ティアンヌ・ポレ氏に引かれてパドックを周回するシーバードとパット・グレノン騎手〕


1965年の凱旋門賞、「世紀の名馬」シーバードを倒すべく、世界中から史上最高レベルのメンバーがフランスに集結した。


史上最強レベルの
 1965年凱旋門賞メンバー



リライアンス
(フランス)

ジョッケクルブ賞(仏ダービー)・パリ大賞(芝3,000m)・ロワイヤルオーク賞(芝3,100m)と仏三大レースを史上唯一頭制した不敗の名馬。リライアンスはフランソワ・デュプレ氏の持ち馬としてマロニエ賞(芝2,400m)でデビュー。つづくオカール賞も5馬身差の圧勝。そして三大レース完勝。フランスでは向かうところ敵なしだった。


ダイアトム
(フランス)

そのリライアンスのライバルで生涯4着以下が一度もない“鉄壁の巨人”ギー・ド・ロスチャイルド男爵の持ち馬。プランス・ド・ランジェ賞を勝ち、勢いをつけての参戦。


メドウコート
(アイルランド)

英ダービーの後本格化し、愛ダービー・キングジョージ圧勝。レスター・ピゴットを主戦としてシーバードに立ち向かう。
メドウコートはアルゼンチン伝説の女傑ミスグリージョの血を引いている血統馬でもある。

▲〔ミスグリージョ〕


トムロルフ
(アメリカ合衆国)

遠い海を渡り、アメリカ合衆国からも強豪参戦。プリークネスS馬で全米最優秀3歳馬。ケンタッキーダービー僅差の3着。ベルモントSも2着惜敗と、この世代最強の米国3歳馬だった。9月28日の火曜、専属の装蹄師とガードマン役の退職保安官を侍り、パリ入り。フランク・ホワイトリー調教師の本気度も最高レベルのもので、乾草と水をアメリカから大量に持ち込んできた。鞍上にはシューメーカー。当時の全米最高のトップジョッキーである。
彼はトムロルフに対して次のように述べている。「ギャラントマン以来の最強の3歳馬」。凱旋門賞を前にサイテーションH、シカゴアンH、アーリントンクラシック、そしてアメリカン・ダービーと圧勝の4連荘。勢いも雰囲気も最高潮のままフランスへと乗り込んできている。

アニリン
(ソヴィエト連邦)

極寒の地ロシアからは、今だにソヴィエト連邦(ロシア)が誇る史上最強馬。ソヴィエト三冠馬で、東欧やドイツのGI級でも圧勝。米国遠征も果たし、欧州クラシック馬を一蹴している。生涯成績28戦22勝の豪傑であった。

マルコヴィスコンティ
(イタリア)

イタリア1965年、真のダービー馬。不運にもダービーで25馬身差の絶望的大出遅れ。しかし神懸った追い上げを見せ、3着。ようやく馬群に追いついた時は最終コーナーを曲がり終えた時だったと言われ、明らかにこの馬こそがイタリア最強であることは明白だった。後のミラノ大賞馬(2回)。その他にジョッキークラブ大賞など。

オンシディウム
(英国)

コロネーションカップ馬。他にGI級レース多数勝ち鞍あり。気まぐれな馬で、圧勝と凡走を繰り返し、超一流になりそびれていた。しかし、凱旋門賞を前についに覚醒。直前の調整レースとしてグッドウッド競馬場でレースをすると、エクリプスS勝ち馬クレーグハウスに15馬身という豪烈な大差を突き付け、パリへと乗り込んできた。引退後はニュージーランド、オーストラリアへと渡りトップサイアーとなる。

デミデュエル
(ドイツ)
当時のドイツ最強馬。カピエロ賞、プランタン大賞などを勝ち、バーデン大賞では4馬身差圧勝し、勢いを駆っての参戦。

その他
フランス最強古馬でガネー賞馬のフリーライド。彼は引退後、南アフリカで種牡馬として活躍することになる…超素質馬であった。
競馬の母国・英国からはもう1頭出走してきていた。鹿毛とも黒鹿毛ともとれる珍妙な毛色で身を目立たせつつ、ジョンポーターS、ハードウィックSなどを勝ってきたソデリニ(後にダービー馬を輩出)である。
欧州各地で暴れ回る実力馬カルヴァンは、クリテリウム・ド・サンクルー馬で、ヴィシー大賞を4馬身差の圧勝でロンシャンへと矛先を向けてきた。
デズモンドSを圧勝し、愛セントレジャー3着のケァリフは、敏捷性抜群の快速馬で、メドウコートのペースメーカーとして出走してきていたのだが、ただのペースメーカーではないような只ならぬ雰囲気を醸し出していた。
一方、米国に生まれ、フランスで異色の存在となったティミーラッドは、ボワ賞とコンセイユムニシパル大賞を圧勝。様々な地域へと来訪し力を叩き上げてきた名馬である。
さらには、仏オークス馬ブラブラ。グレイトヴォルテジュールSを別次元の内容で快勝し、勢いに乗るラガッツォ。この馬はキャリアが浅く、大変身もありえた。
そしてブサック氏が送り込む不気味な刺客アルダバンエメラルドも只ならぬ雰囲気を醸し出している…。
エメラルドは1943年の凱旋門賞で大健闘したエスメラルダの娘で、モーリス・ド・ニュイユ賞馬。キャリアが浅く大波乱を起こすならこの馬なのではとの見解が多かった。
そのエメラルドの僚馬アルダバンはマルセイユ大賞馬で、血統的には非の打ち所のない良血馬だった。
ダフニ賞、シャンティ賞を勝ち上がってきたシジェベールはフォワ賞を勝って参戦。しかし、とてもこのメンバーでは荷が重いようだった。


・・・・・・…――至極と言えるメンバーに、大気さえも震えて感じる。これだけの相手を向こうに回し、シーバードは2.2倍の圧倒的支持を受けつつロンシャンに登場。「世紀の名馬」の馬場入りに、シャンゼリゼ通りは静閑を失い、ブルゴーニュの木々一本一本が震え、大気も張り詰める――。


▲〔シーバードの馬場入り〕

【凱旋門賞1965】


シーバードは中団からやや前方につけ、直線で颯爽と抜け出してくる。一瞬リライアンスと並ぶが、それも束の間。馬なりのまま世界中の最強馬たちを突き放してゆく…残り200mの地点でシーバードは大きく左に寄れ、気性の悪さを出してしまうものの、鞍上グレノンは勝利を確信しきっており、なんとこの時点で手綱を緩め、馬なりにさせた。シーバードは左へ左へと寄れ続け、馬場中央よりもスタンド側、大外に膨れながらのゴールへと向かう。
これは新馬戦でも下級戦でも、重賞レースやただのGIでもない…世界最高峰中の最高峰、それも犹望綺廼の布陣瓩噺討个譴織瓮鵐弌爾梁靴辰神こ最高ランクの国際GIなのである。
とても信じられないような光景であった。大きく寄れながら、まるで木漏れ日の中、日々の調教を終えるかのように、ゆったり楽に、完全なキャンターのまま世界最高峰のゴール版を通過していった。
まばゆいばかりの極光を放つ神翼が、大きくはばたいた。世界はあまねく包まれ、世紀の神鴎の前にただひれ伏すしかなかった。


▲〔1965年 凱旋門賞ゴール前〕

リライアンスに6馬身、3着ダイアトムには11馬身もの、驚異的大差をつけてしまっていた。
まともに追っていれば、軽く10馬身差は着差は広がっていただろうとの見解を当時の文献には散見される。
スタンドへと帰って来るシーバードに、競走馬に対するものとしてはフランス史上最大級の拍手喝采、賞賛、激賛の声が送られ、ロンシャンを黄昏が包み込んでもなお、宵闇の空、響き渡たり続けた。


    
 〔1965年凱旋門賞、レース前の返し馬時のシーバード〕

シーバードの競走能力は明らかに“神の領域”のものであり、サラブレッドの最終到達点と考えられるようになった。
レース後、グレノンは常識を語るかのように飄々と答えた。



「競りかけて来る馬がいなかったから、この馬の本当の強さはまだわからない。シーバードは自分の乗った馬の中ではもちろん、自分の見た馬の中でも、間違いなく最高の馬だよ」

果たしてどれ程に強い馬だったのだろうか。
この凱旋門賞にノーザンダンサーやシンザンも参戦していた場合どれ程戦えたのだろうか。


〔ノーザンダンサー(右)。連対率100%の日本最強三冠馬(19戦15勝)とカナダ最強三冠馬(18戦14勝)。2頭の対決というだけでも超ドリームマッチだが、凱旋門賞1965に参戦していれば、ダンシングブレーヴの凱旋門賞レベルと双肩と云われることなく、歴史上地球における史上究極最高レベルのレースが実現していたことだろう。文句なしに凱旋門賞史上孤高のレースとなっていたはずだ。〕


〔ポーランド史上最強牝馬にして、いまだ史上最強馬として称えられる“ワルシャワの女王”デモナ。1961年生まれの彼女も、シーバードと対戦する可能性はあった一頭。18戦14勝、ポーランド三冠&オーストリアセントレジャーの実績を引っ提げ、ぜひ1965年凱旋門賞へ参戦してほしかったところだ。この馬も参戦していればさらに1965年のレースレベルは上がっていたことだろう。〕

時空を超え、セクレタリアト、リボー、はてはディープインパクトやオルフェーヴルと対峙、合間見えた場合、どんな競馬をしていたのだろうか。
夢は尽きない―――…・・・・・・―



「上の海鳥の写真をクリックするとシーバードの貴重なレース映像をご覧頂けます!収録レースはグランクリテリウム、グレフュール賞、リュパン賞、英ダービー、そして凱旋門賞です!し・かも・調教師のティエンヌ・ポレ氏のスペシャルインタビュー付きですよぉ♪」



「リュパン賞はダビスタの画面外へ突き抜けていく状態(笑)。英ダービーは神、降臨!凱旋門賞では“神の領域を超える走り”をご堪能頂けると思います!でも…左周りがベスト条件だったんですね…シーバードって…凱旋門賞は本気を出せない条件だったのに、馬なりであの強さ、あの走り…それを思うと、この馬すごすぎます…ッ!!」



凱旋門賞直後、シーバードは米国ケンタッキーのダービー・ダン牧場で種牡馬入り。しかし、これだけの馬としては物足りない成績と終わってしまう。そんな中、凱旋門賞を勝つ女傑アレフランスやアメリカで大活躍するリトルカレントを出したことは、せめてもの救いだった。



フランスに帰り、種付けする直前の1973年3月15日、腸閉塞により生涯の幕を下ろした。12歳という若さだった。しかし…これも神のお告げだったと言うのだろうか。シーバードは手厚くねんごろに葬られるどころか、繋養先の牧場から運び出され、肉屋へと売却されてしまうのだった。頭部は剥製屋へ持ち込まれたが損傷が激しく、復元できなかったのだという。
(ところが、フランス現地においては肉屋へと売却された記録が残っていないという。フランス史上に残る不名誉な行為であることから記録がすべてもみ消された可能性もあるが…母が食肉にされたのは事実であり、その悲劇性になぞらえ、話に尾ひれがついて肉屋へ売り飛ばされたという噂もある)






曇りなき神空を往くカモメが、海の彼方へと飛び去っていく…。


果てのないやわらかな大空へ―――。



 
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奇跡の名馬 (仏国・独国・伊国・愛国の名馬) * 07:21 * - * - *

テオドリカ ―Theodorica―

  【

ぶっ飛びのおてんば娘

イタリア版・
  女サイレンススズカ



父 オーエンテューダー
母 トカミュラ
母父 ナヴァッロ

生年:1952年
性別:牝
毛色:栗毛
調教国:イタリア
生涯成績:9戦6勝
主な勝ち鞍:イタリア牝馬二冠[プリミオ・オークス・デ・イタリア、プレミオ・レジナ・エレナ(レジナエレナ賞。イタリア1000ギニー)]、グランプレミオイタリア(イタリア大賞)ほか

ウオッカ、ダイワスカーレット、ゼンヤッタ、ザルカヴァ、レイチェルアレクサンドラ、ラグズトゥリッチズ、そしてブエナビスタに史上最強スプリンターであるブラックキャビア…昨今、近代競馬における牝高牡低の風潮が世界に拡散し、牝馬の歴史的名馬にスポットライトが照射される機会が顕著に見受けられる。
そう、世界においては古世紀より世界各地に神威的競走能力を満天下に示した伝説的女傑・女王たちが闊歩していたことは、『奇跡の名馬』や当サイトの名馬コラムに目を通して下さっている方々にとっては、周知の事実であり、競馬史を研究する有識・博識者たちにとっても、それは常識的知識の一つに過ぎない訳である。現代を生きる我々は、過去を遡及していった時、とんでもない牝馬が、この世にはいたことを思い知らされる。

今回取り上げるのは、イタリアの怪女。イタリア競馬史において、歴史的競走成績を上げた名牝と言うと、古くは1910年のクラシックにてイタリア2000ギニー、日本で言う所の皐月賞であるパリオリ賞(芝1,600m)を制し、そのままオークス、セントレジャーイタリアーノ(芝2,900m)と変則三冠を達成したウィステリアが挙げられよう、
また、あのリボーやネアルコらを育てた爛疋襯瓮蹐遼盻兒姚瓩海函▲侫Д妊螢魁Ε謄轡氏の愛娘であるファウスタは2歳No.1となるや、翌年にはイタリアダービーとイタリアオークスを勝つ歴史的金字塔を打ち立てた名王妃。一方で1925年に生まれたエルバは、オークス馬となり史上唯一頭のジョッキークラブ大賞連覇馬となった。

  
▲[テシオ氏とファウスタ。14戦9勝。その最大の勲章は自身のダービー・オークスダブル以上に、世界競馬史上唯一の大記録「3頭のダービー馬を出産した偉大な名牝」に間違いない]

そして、史上最強と言うなれば、1929年のクラシックを丸飲みしてしまったジャコパデルソライオしかあるまい。なんとこの馬、2歳チャンプに輝き、そのまま翌年の1000ギニー・2000ギニー・オークス・ダービー、すべて勝ってしまったのである。信じ難い、驚愕の記録である。
こうした名妃たちの系譜に准えるかのように、1943年にレジナエレナ賞とセントレジャーの二冠馬に輝いたのがトカミュラ…つまりは本馬テオドリカの母である。

テオドリカが勝ったタイトルのみを見て、上述した名牝たちと比較するならば軍配は後者たちに上がろう。それは一目瞭然の判然たる事実である。がしかし、彼女が歴代の豪牝・鬼牝たちを遙かに凌駕しえる逸材と確信するのは、その派手なレースぶり、圧勝ぶりからなのである。
とにもかくにも欣喜雀躍とターフを飛び跳ね回り、制御不能とも思える程の大暴走的大逃げでファンをたったの1戦・1戦のみで魅了していってしまったのである。
真っ赤な禁断の果実を彷彿とさせるそのマーマレードの馬体がコーナーを周回する瞬間(とき)、夕揮に映え、煌めく馬体は金色に見えたと言う。


▲[止まらない、止められない…スマートファルコン、サイレンススズカ、ミホノブルボン、テスコガビー…彼らを連想させるような牝馬が第二次大戦直後のイタリアに存在していた]

稲妻のごときロケットスタートを切ると、そのお転婆娘は言うことも利かず、ただひたむきに、ただ遮二無二にゴールを目指した。

純粋無垢なる乙女心そのままのストレートフラッシュ。
はたして彼女はそのスピードの先に何を見ていたのだろうか―――…・・・。
古のローマを舞台に駆け続けた天衣無縫のぶっ飛び娘。
ここまで現世へとタイムリープさせたいと心躍らされる牝馬は、なかなかいない。


茹だるような夏の日の午後。


空を見上げ叶わぬ思いを描く――…



視界から遠ざかる白い帽子の快活な少女と、まっすぐに空へ伸びるヒマワリを見つめながら―――

     


奇跡の名馬 (仏国・独国・伊国・愛国の名馬) * 04:47 * comments(0) * - *

アルバ ― Alba ―

  【

  〜アカツキ騎士

―たった一つの
    瑕疵が生む神話―



父 ウォーレンシュタイン
母 アラビス
母父 アードパトリック

生年:1927年
性別:牡
毛色:鹿毛
国籍:西ドイツ
生涯成績:12戦11勝[11-1-0-0]
主な勝鞍:ドイツ二冠〔ドイツダービー、メール・ミュンヘンス・レネン(ドイツ2000ギニー)〕、ヘンケルレネン、ウニオンレネン、F・シュテンベルグレネン、バーデン大賞ほか


夜明け来たりて…

夕暮れ・黄昏時は現代(イマ)でこそ美麗なる景観にも見て取れるが、万古の時世、この時間帯は猖皚瓩了間帯であったという。“逢魔が時”とも呼称される夕闇の時刻。薄暗の中、出会った相手が妖怪変化や幽霊でないか確かめるため問うた言葉が、「誰そ彼?(たれぞかれ)」で、ここから「たそがれ」へと言葉は姿を変遷させたのだと聞いたことがある。それ位真っ暗な闇の立ちこめた世界、それは未来への不安でこの世界がいっぱいになったような遣る瀬無い魔刻であったのだろう。それとは対照的に、曙光が世界を光で満たし出す夜明けは、希望で立ち込めた時間だったのだろうか。
いや…少なくとも、中世の世界、逢瀬を重ねた恋人たちにとっては、太陽が昇り始めるこの時間はこの世の終わりのような“悲愴”な時…いわば牋ス鎰瓩箸發箸譴觸峇屬世辰燭茲Δ任△襦それがAlba〔アルバ〕瓩箸いΩ斥佞防印され、その言葉の真意をイマへと伝えている。「アルバ」…とは、「日の出、夜明け」の意味であり、その由来はオック語で綴られたトルバドゥールの抒情詩の中にある。この詩吟が唄うは“許されざるロマンス…永遠の愛を契る二人…そして一夜を明かしての別れを告げる騎士から淑女への切望”…それを歌ったものであり、二人は夜明けと共に元の生活へと帰ることを余儀なくされていた…。こうしてみるとこの詩、悲恋の歌詞と思えてくるが実は、お互いに伴侶がおり、パートナーに秘密で姦通するという、現代人にもありがちな(?)淫話なのである。





ドイツ競馬黄金時代
1929年にウォール街から渦を広げ、世界を闇に飲み込んだ世界恐慌は、暗澹たる絶望の時代のはじまりを告げる死神のようだった。連環して不幸の連鎖を続ける世界を他所に、ドイツ競馬の皇帝オレアンダーはバーデン大賞三連覇を成し遂げ、凱旋門賞でも3着健闘。ドイツ最古の歴史を持つシュレンダーハン牧場の黄金期をそのままにした名馬であり、ドイツ競馬全体を光の満ちた未来へと先導する使者そのものであった。
皇帝オレアンダーが去った翌年、新たなる時代の夜明けとばかりに、臨世したのが本馬アルバである。
首差しも短く、差たる特徴もアピールポイントも無いかのような存在だったが、アルバの中で、着実にギラギラと燃え滾る太陽が夜明けを迎えていた。
競馬場へと参陣するや、龍が翔ぶがごとくのパフォーマンスで連勝開始。隙の無いパーフェクトなレースぶりでドイツ二冠を完遂すると、もはや敵無しと古馬をも圧倒。ドイツ競馬の最高峰・バーデン大賞をも大楽勝し、オレアンダーから続くシュレンダーハン牧場のバーデン大賞四連覇を飾ることにも成功したのである。
ところがである…逃げ馬を軽率に扱ったことから逃げ切りを許してしまい、生涯ただ一度にして唯一の敗戦を喫してしまったことは玉に瑕としか言い様が無い。


〔世界的名馬唯一の玻赱哭瓠弔修譴浪浸の世も逃げ馬が作り出したものだった。ブリガディアジェラド(写真左上)、マンノウォー(写真左下)、シーバード(写真右上)、ネイティヴダンサー(写真右下)〕

アルバはドイツ競馬における最多連対記録保持馬であり、その潜在能力はオレアンダーにも引けをとらない…いやそれ以上のものを包括していたのではないかと思える神威的パフォーマンスも見せていた。「たった一度の敗戦」と言うと思い起こされるのが上記に挙げた歴史的名馬たちである。他にもシスオンバイやリール、などが挙げられる。そのたった一回の失敗が無敗の名馬という無限の深淵から遠のけてしまったことは間違いない…しかし、そのたった一度の過ちが、無敗以上の浪漫と記憶の桃源郷へと誘う記号へと変化することも、間違いなかろう。
世界に散在する爛▲襯亅瓩砲盒δ鵡爐一つある。
詩の中には「guaita」(見張り、番人)と呼ばれる、恋人たちに別れの時が来たことを告げる女性の友人が出てくるのだが、guaitaは居眠りをしてしまったり、二人へ別れを告げる時刻が早かったりするなど、何らかの失態を犯してしまっているのだ。

ドイツ競馬不滅の名馬アルバ。
狂乱と戦火の中、跳躍した伝説騎士の面影を記憶に留めたい。

夜明け前。
静かに胎動するこの街へ、暁光が差し込む。
不安と希望が混交交差するオレンジスカイに映えるは、いつの日かの恋憶がその正体なのかもしれない――…。

   

奇跡の名馬 (仏国・独国・伊国・愛国の名馬) * 05:22 * - * - *

ピドゲト

  ピ ド ゲ ト

賛美歌

愛国史上に残る女傑


(写真提供:Mr.Mikhale)

父 フォルティノ
母 プリムレース
母父 シハァンギァー

生年:1969年
性別:牝
毛色:芦毛
国籍:アイルランド
生涯成績:?戦6勝

1970年代前半というと、日本では婚姻率が下降線を辿り始め、離婚率が漸進傾向を燻らした時代である。当時、ヘレン・レディが綴った『The Woman I am/私は女』は一世を風靡し、全米ではヒットチャートの一位を記録した。世相的にも女性の立ち位置が大きく揺さぶられ変革の時を迎えつつある時代であった。ヘレンの名曲は女性の主張を代弁し、かつ雄弁に語るもので、時流の波に乗せ、その矜持は世界的に波及していった。1960年代からスプロールした女性解放運動(Woman's Liberation movement)通称「ウーマン・リブ」運動から滔々と継承されるダイナミズムは世界・時代といった未来永劫に不偏的に思える次元さえも変動させたのである。高学歴の女性やキャリアウーマンが次から次へと雨後の筍の如く力強く、そして出番を待ち続けて素振りを続けていた四番バッターに満塁のチャンスが廻ってきた時のように快捷に出現し、あらゆる領界を煽動していったのであった。「男」という存在の影の中、懊悩と煩悶の苦境で怨嗟の詩吟を紡ぎ続けてきた女性たち。それゆえなのかその潜在能力は計り知れない。


女性の権利が峻拒されていた時代・時節から競走馬には男馬を塵滅させ、世界の隅へと追いやった聖駒が存在している。キンツェム(54戦54勝。ハンガリー奇跡の名馬)やエレノア(http://umineko-world.jugem.jp/?eid=875)、リール(http://umineko-world.jugem.jp/?eid=920)といった神々しい斬然たる威光を衣にする名妃たち。三千世界をあまねく支配した万古の時代を統べる彼女たちの時次元を狄析嘆θ泙了代瓩箸任睇烋Г垢襪覆蕕弌↓犹望綺廼の女傑時代瓩1882年英国クラシック、ショットオーヴァーに代表される世代ではないか。牝馬にして史上唯一頭の2000ギニー・ダービー馬となったショットオーヴァー。彼女の血を引いたダーリア(http://umineko-world.jugem.jp/?eid=496)が躍動した1970年代…時代はまさに狃の時代瓩任△辰拭ライバルのアレフランセ(フランス牝馬三冠・凱旋門賞馬)、トルコに現れた西アジア史上最強の皇妃ミニモ(http://umineko-world.jugem.jp/?eid=667)らは女性の社会進出の象徴たる存在としてまさにヘレンの名曲を地で行く形となった訳である。



〔世界中に綺羅めく珊玉のごとき伝説の名牝たち。彼女たちの多く取り上げている当サイトだが、牝馬が牡馬をも凌駕する超絶能力を手にした際、斤量面の点や体質上の特性などから牡馬が絶対に踏み込めない領域へと到達する場合があるようだ〕

さて、そこでピドゲドである。ピドゲトは競馬界の女マルコポーロであるダーリアが世界を席巻する数年前にアイルランドで競走生活を送っていた葦毛の牝馬である。この牝馬はカマイタチのような鋭利極まりないキレと、無尽蔵に涸れることのないスタミナを抱懐していた。アイルランド1000ギニー(芝1,600m)を勝ち、愛オークスで惜しくも3着に溺れ、そして愛蘭セントレジャー(芝2,800m)を勝った…つまりは愛三歳牝馬三冠に最も近づいた1頭なのである。ちなみに、1000ギニーとセントレジャーを制した愛国の牝馬は彼女ただ1頭しかいない。日本で言うなれば、桜花賞と菊花賞を勝つような歴史的快挙であり、実際にこの金字塔を打建てたのはブラウニーと、クリフジのみである。
世界競馬史を開豁してみてみても、セントレジャーを勝った牝馬というのは十数例存在しているが、マイルの一冠目と三冠目で覇を唱えた馬というのは、ピドゲトを含めほんの数例しかない。
爛團疋殴鉢瓩箸蓮↓犹卞抬瓠脹儻譴埜世Δ箸海蹐痢Piglet”であり、牝馬らしい愛くるしい命名と言えよう。他にはプリティポリーS(芝2,000m)を勝っている。

 

  
〔第一回のダービーを牝馬が制した例も数例ある。アルゼンチンのナシオナル大賞の第一回はナナ。イタリアはダービー・イタリアーノはアンドレイナ、インドではプリンセスビューティフル、セルビアダービーをマラレサゲキンジャが制している。また近年も牝馬の台頭が顕著であるが、日本でもレダ、クインナルビー、スウヰイスー、タカハタ、ミツタロウの時代は、ウオッカ・ダイワスカーレットの躍進で大分スポットライトを浴びるようにもなったが、この世代もウオッカたちの世代に劣らぬ強豪牝馬が揃った世代である〕


ピドゲドを評価したいのは、1マイルと3,000級の長距離、どちらにも対応できた順応性能。もし愛オークスも勝っていれば…の無念が悔恨のカタルシスとなって胸を打つ。
幽玄かつ白雪の儚い雰囲気を常に燐光として放っており、凛とした不思議な馬であったという。その深淵にどれほどのポテンシャルを内在させていたのか。潜心にふける夜に粉雪がちらつく―――。


   

フェミニズムの驀進時代に現れた稀世の名牝ピドゲト。

「私は女。私は強い。私は無敵…」

あの名曲は女性を勇気づけ、覚醒させるゴスペルのような賛美歌なのだ。ピドゲトも狃瓩箸靴動国の唯一の愛1000ギニー・セントレジャー二冠を獲得。ヘレンがグラミー賞を受賞したように、ピドゲトも牡を薙ぎ倒し、圧倒したのだ。そのオーラは後の名牝たちへと海嘯となり響動していった――。



約束を果たそうとするかのように白い雪が魔法の国へと舞い降りる――…。
誰もが口を閉ざし語らない冬という時代。
銀貨を握り締める少女は今も一人勇気を奮い起こし、あの賛美歌を吟唱しているのであろう。あの北の見知らぬ小さな街角で。

奇跡の名馬 (仏国・独国・伊国・愛国の名馬) * 05:37 * - * - *

ルモス ―Le Moss― 

 【  モ ス 】

取り残されし福音書 〜 

愛国の歴史的
  スーパーステイヤー




父 ルルヴァンステル
母 フィーモス
母父 バリモス

生年:1975年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:アイルランド
生涯成績:15戦11勝[11-2-0-2]

近年、全世界において短距離指向が日和に高まる中、いまやステイヤー血統の馬たちは部屋の片隅へと追い詰められ、見向きもされない様な時代になってしまった。
その昔、南米においてはダートの3,500mといった破格のGI競走が最高栄誉とされていたし、日本でも地方競馬にはダートの3,000mなんて一度は見て見たい超長距離戦もあった。また過去の中央競馬(国営競馬)においても、ステイヤーズSの3,600mを超える4,000mというマラソンレースも中山師走の名物競走として存在したほど。それだけ長距離を走る馬が高く評価されていたのだ。しかし、近代競馬のスピード化は顕著で、競走馬のスプリンター化はドミノ倒しのようにスプロールしていった。
長距離戦は次々と姿を消して行き、GI級競走は距離の短縮化が図られていった――。フランスにおいては、3歳馬の頂点を決するダービーさえ2,400mのクラシックディスタンスから2,100mのミドルディスタンスへと変化してしまった。
そんな中、現代においても全世界で唯一3,000m以上の長距離三冠が認定されている国が、競馬の母国・英国である。かつて栄華を極め、最強馬決定戦として燦々たる輝きを放っていたアスコットゴールドカップ(G擬4,000m)を第一冠目に据え、二冠目にはグッドウッドカップ(G脅3,200m)、そして最終関門にドンカスターカップ(G啓3,600m)と続くこのストリームラインは、アスコットゴールドカップのみが現在でも権威と格式の高さからGIの地位を死守してはいるものの、グッドウッドカップとドンカスターの威光は失墜し、凋落ぶりは目も当てられないほどである。

  
〔盤古の長距離戦を写した大変稀少な一枚。ちなみにグッドウッドカップは1812年創設。当時の距離は4,800m。ドンカスターカップは現行されている競走としては世界最古の競走で第1回はなんと200年以上前の1766年!〕


この三冠競走の特にゴールドカップの勝ち馬には、セントサイモン、グラディアテュール、バヤルド、アリスホーソーン、ビーズウイング、ザフライングダッチマン、タッチストン、シリーン…また海を渡り襲来した米三冠馬オマハを撃破したヒロイン・クワッシュドなど、伝説・神話級の名馬がズラリ。三冠を制覇した名馬としても、初代長距離三冠馬となるアイソナミー、史上最強の歴史的ステイヤーと賛謳されるアリシドンなど7頭のトリプルクラウンホースが誕生。連覇した馬は複数いるが、二年連続で三冠を達成した馬は、本馬ルモスしかいない。全世界においても、生涯に二度も三冠を達成した唯一の馬なのである。これは当然、年齢制限が無い競走であるがゆえの快挙だが、それでも二年連続となると奇跡としか言いようが無い。

 
〔米国三冠を制し、欧州へと乗り込んだオマハ。ヨーロッパでは4戦して2勝2着2回。クィーンズヴァース(芝3,600m)など勝利。ダート短距離から洋芝の長距離戦もこなすのだから、とんでもない馬である〕


ルモスは豪神のごとき気迫を迸らせ、次々とビッグレースを飲み干していった。長距離における壮烈なるままの強さは超神的で、絶対無比のスタミナと加速力を見せ付けた。

時代は1970年代も後半…彼こそが、ステイヤー重宝全盛期最後の名馬と言っても過言ではない。
移り行くパラダイムシフト。
何かに狂ったかのように、生き急ぐ現代人の日常のように、世界における競馬の競走概念の変遷は目まぐるしい変動を遂げた。
今や中距離馬・短距離馬が支配権を握り、ステイヤーは無用の長物と貸してしまった。まるで時代に取り残された化石のように…。




ルモス圧勝で歴史的史上初の二年連続三冠制覇――

祝宴の声が児玉する、その日のドンカスター競馬場へ黄昏が迫っていた。
夕映えの空、ゴスペルが響き渡る――。
まるで、一つの時代の終焉を告げるように―――。

古き良きあの時代はもう、やって来ないのだろう。
そして、二年連続三冠という歴史的遺産も、100年経っても200年経っても、もはや誰の手も届かない、唯一無二の福音書として永遠に語り紡がれてゆくだろう――…・・・きっと――。

                                        

奇跡の名馬 (仏国・独国・伊国・愛国の名馬) * 13:42 * - * - *

シュヴァルツゴルド 

 【シュヴァルツゴルド】

〜夕陽に浮かぶ黄金女帝〜

 ―ドイツ競馬・
      絶世の名牝―



父 アルケミスト
母 シュヴァルツリーゼル
母父 オレアンダー

生年:1940年
性別:牝
毛色:鹿毛
国籍:ドイツ
生涯成績:12戦9勝[9-3-0-0]
主な勝ち鞍:ドイツダービー、ドイツオークス、帝都大賞、ドイツ1000ギニー、オレアンダーレネン、オッペンハイムレネンほか

かつての栄華を極めた東欧の馬産、とりわけハンガリー・オーストリアはかなりの高水準で、名馬・名牝の宝庫であった。それを代表するのがキンツェムやペイシェンス、キシェベルやタウルスといった神話級の駿馬たちであるわけであるが、これに匹敵、伍するほどの潜在パワーを抱擁していたのが第一次大戦〜第二次大戦、歴史的不の遺産である二度に渡る世界大戦が頭を擡げていた当世のドイツだったという。
ランドグラフ、アルケミスト、オレアンダー、ティシノ、ビルカーハン、ネッカル…歴史的名馬が集中的に降誕しているのが、まさにこの時代に当たるのである。あの伝説の名牝、真のドイツ史上最強馬とも謳われるネレイデや、本馬シュヴァルツゴルドも戦乱という暗黒時代を疾駆し人々へと勇気の灯を翳し、鼓舞した。戦火の彼方、茜空を翔け、他馬を睥睨した究極女帝シュヴァルツゴルド。彼女の儚くも壮大なる生涯をなぞってゆきたい。

 
〔史上初の牝馬ドイツダービー馬・アマリーヴォンエデルリッチ。1873年の独ダービー馬である〕

天空を過る幾千もの流星のように、名馬を送り出してきたシュレンダーハン牧場。この名門牧場で産声を上げたシュヴァルツゴルトは悲愴感に満ちた瞳を持って生まれてきた。父アルケミストが戦争の煽り、銃殺され闇に葬られたという悲劇を、まるで悟っているかのようであった。
利発で非常に賢く、純真無垢な仔馬であったという。人間が繰り返し続ける無残・凄惨な殺戮行為の傍ら、幸せの小箱を抱きかかえるブルネット。その小箱に込められた夢と希望の微光を解き放つ時は刻一刻と差し迫っていた。


  
〔現在でもなお、シュヴァルツゴルドはドイツ競馬における史上最強級牝馬の評価を博している。その強靭性に貴婦人たちも目を丸くして拍手賛嘆する他無かった。人々は、ほんの一瞬でも戦争という狂乱世界を離れることができたことに深謝し、いつまでも、いつの日でもシュヴァルツゴルドを忘れることはなかったという〕

シュヴァルツゴルドはその窈窕なるオーラを円状に放散しつつデビューを迎える。
1939年の5月、ホッペガルテン競馬場の芝1,000mに登場。E.ベールケ騎手が騎乗し、トルクサという牝馬に首差だけ競り負けてしまうものの、陣営には微塵の焦りもなく、折り返しとなるスポーツレネン(芝1,000円)であっさりと馬なりのまま6馬身差楽勝し、その後はは手綱をギッシリと握り締められたままの大楽勝・圧勝を続け、クラシックロードも勇往邁進。
まず第一関門のヘンケル・レネン(ドイツ2000ギニー、芝1,600m)はニューワ(この馬も牝馬でこの年の独クラシックは牝馬に独占されてしまう)にまさかの敗戦。わずか3/4馬身差の僅差負けも、これがシュヴァルツゴルトの最後の敗戦となる。
キサスゾニー・レネン(独1000ギニー、芝1,600m)を再度ニューワを相手に6馬身差突き抜け完勝し、同期の牝馬に併走できるような相手が皆無であることを徹底して訴えた。このレースは母のシュヴァルツリーゼルも勝っており、劇的な母娘制覇となった。

ポーランド併合にナチス・ドイツの憎悪。戦火は日に日に増しており、空を爆音で劈く戦闘機が今日もまた空の彼方へと飛び去っていく――。永遠につづくかのようなナイトメア。暗漣に終止符を打つべく、シュヴァルツゴルドがドイツオークス、ダービーの両レース制覇へと乗り出した。
ディアナ賞(ドイツオークス、芝2,000m)距離は伸びたものの、レース振りはさらに安定味をましており、競馬場で見つめる誰しもが彼女の勝利を確信していた。それほどに楽なレース振りだった。近代日本競馬で例えるなら、ダイワスカーレットがしっくりくる。
見る見るうちに差を広げていき、ゴールを悠然とたゆたうように通過した時、何十メートルあるか判然としない大差の距離が開いてしまっていた。わずか3頭の挑戦者たちは完全に別のレースを、遥か後方で展開しており、シュヴァルツゴルトは、このレースで完全に覚醒を果たしたようだった。
暗澹たる時代の鉄幕を押し退けるように、運命のその日へと漸進するシュヴァルツゴルドはまさに聖騎士のようで、ドイツダービーでのレースパフォーマンスを誰しもが心待ちにしていた。
迎えたる運命の1日。ドイツダービー(芝2,400m)でも彼女の凛然たる風采は微塵も変貌を遂げず、直線走路では浮踊するいつものシュヴァルツゴルドが、ベストパートナーであるG.シュトライト騎手に首筋を愛撫されながら、10馬身差という大楽勝で変則三冠を達成。父娘でのダービー制覇。漆黒の最果てへと貶められた父へと捧げるダービー戴冠であった。
この時の2着馬はサムライ。ハンブルク競馬場はあまりのその馬の強さに、ただただ感嘆のため息を漏らす他なく、数年前に戦火の彼方へと焼失してしまったレジェンドプリンセス・ネレイデとその姿を重ねるようになっていく。

  
〔ダービーのスタートシーン〕

オレアンダーレネン(芝2,400m)では2頭のみしか相手がおらず、終始馬なりのまま馬身差換算不可能の大差勝ち。
秋も少しずつドイツ国内へその足をのばしつつある初秋のホッペガーテン、帝都大賞(芝2,400m)にシュヴァルツゴルト降臨。
サムライを再度絶望の底へと突き落とす、馬身差換算不能となる超大差勝ち。
生涯を通し、全戦連対。敗れたレースも全て惜敗で、常に最高のパフォーマンスで観衆を虜にしてしまった才女。しかし、彼女は謎の不治の病に蝕まれており、不幸にも13歳という若さでこの世を去っている。しかし、奇跡的に出産した2頭の牝馬から血は未来へと継承された。
伝説の女傑の潮流は今もなお、スリップアンカーやサガスらを通じ、滔々と紡がれている――。


  
夕闇が辺りをつつむ中、宇宙(そら)から降り次ぐシリウスシャワー。
それは彼女を称える祝韻の空唄。
記憶の彼方、夕影に映える黄金色のシンフォニー。
ドイツ競馬の結晶体…奇跡の女王へいま、乾杯!




  

奇跡の名馬 (仏国・独国・伊国・愛国の名馬) * 01:20 * - * - *

  クロイスター     ― Cloister ―  

  【クロイスター】

 〜奇跡を運ぶ廻廊〜

―アイルランドが生んだ
    歴史的名障害馬・
グランドナショナル
     40馬身神話―



父 アーセティック
母 グレース
母父 クラウンプリンス

生年:1884年
性別:せん馬
毛色:鹿毛
国籍:アイルランド
生涯成績:35戦19勝[19-8-3-5]

桜桃の空を翔ける1頭の競走馬は観る者すべての瞳を釘付けにし、民俗の深潭に宿る心の琴線をセンセーショナルなまでに爪弾いた。
今まさに“伝説”が形となり、そしてその一秒一秒が観衆たちの胸奥、記憶のノートへと、刻印されていく――。
1893年、新緑の春風が旋風となり吹き抜けてゆくエイントリー競馬場。
伝統のグランドナショナル…40馬身差…キャンターでの大楽勝。歴史的パノラマに、明日の見えぬ若者は歓喜雀躍…歓声と雄叫びを上げ、彼へと曉望の志を抱いた。一方で、古翁たちは目頭を熱く滲ませ、感嘆の念に身を埋めていた。

「これほどの名馬に逢えたこの幸運をどう表現すればいいというのか…」

白昼の残夢の中、クロイスターの戴冠式は挙行された。歴史的伝統の競走独特の厳かな凛と張り詰めた競馬場に凱歌は静かに奏でられていた。
偉大なる古の障害馬…クロイスター。奇跡的スピードとスタミナ、そして劇的な彼の一生を反芻し、思慕の時間に溶け込み、沈思潜思に耽りたい。

 
〔千思万考を重ね、名馬と向き合う〕


クロイスターが生まれたのは、19世紀の終わり、1884年のことであった。決して恵まれた環境下に生まれた訳でも、特筆すべき血統でもなかった彼は、涵養に育成されていたものの、その紅潮する馬体へと大きな夢を賭すものは皆無に等しいものであった。
それも頷ける話で、母馬のグレース兇詫絞愬枌に駆りだされていた一介の使役馬にすぎず、母系のメールラインを遡及してみても重賞級競走の勝ち馬が見当たらぬばかりか、平地競走でこれといった結果が残せないまま競走生活を終え、母としての一縷の可能性を信じられた薄幸の淑女名ばかりが並んでいるのである。
そんな見捨てられたような血統馬に目を付けたのがロード・アーサー・フィンガル伯爵であった。フィンガル伯爵は南アフリカ戦争後、馬産に情熱を傾けた実業家で、一攫千金を夢見、金鉱発掘を目的とした会社を立ち上げるという野心家でもあった。
こうした半ば向こう見ずな彼の素行からも推断できることではあるが、4流血統の深淵に光輝く“ポテンシャル”を、未来世界に観とめることが出来たのであろう。そして、彼は箱の底で微光を放つ銀貨に、その可能性のすべてを賭け、タッチストン、ニューミンスター…彼らの名血を継ぐアーセッティックを付けた。

こうして、日々ポストへと封書を届ける牝馬から、かくして歴史的名馬が誕生することになるのだから、競馬というモノは分からない。だからこそ激情的な奇跡のドラマが幾つも展開され、人類との邂逅を重ねる訳ではあるが…それでも使役馬からアイルランドの史実に残る程の名競走馬が現れようとは、誰も予測できまい。一寸先は闇である。

競走馬としての準備が万全となったクロイスターを最初に所有したのは、ジェームス・アレクサンダー大尉であったのだが、同馬が大海の眠りから醒め、究極名馬となる咆哮を上げる直前、1890年にクロイスターを躊躇することなく売り飛ばし、我先にと戦地へと赴いてしまう。彼はボーア戦争へ参戦し、不幸にも命を落としてしまい、結局、二度と生きて故国の土を踏むことはなかった。
転売されたクロイスターを買い取ったのがダッドレー伯爵。彼はアイルランドにおける動物社会学の第一人者であり、ダッドレーの初の市長となる多彩な経歴を持つ人物であった。戦争という歴史の巨影が助長し、彼の手元へとクロイスターは転がり込んで来た。クロイスターのオーナーとして神は彼を選んだのである。

クロイスターは最初、ラフレシやダイヤモンドジュビリー、パーシモンを手懸ける名伯楽、リチャード・マーシュ調教師の手解きを受け、その秘める資質を入念に調整されていったのだが、本馬を開眼させたのは、障害界の重鎮と名を馳せるアーサー・スコットランド・ヤテス氏であった。彼はクロイスターへ自伝の全てを刷り込むかのように寄り添い、愛育の極みを尽くした。彼の祈りと誇り、そしてその身・精神・そして魂までもが乗り移ったかのように、障害競走で別馬のように変貌。圧勝に次ぐ圧勝で世にも奇妙なサクセスストーリーは、いよいよ音階を高めてゆく。



〔『クロイスター』は“Cloister”と綴り、「廻廊」の意。廻廊とは宮殿などで、建物・庭などを屈折して取り囲むように造られた廊下のこと〕


     
〔当時の人々が目撃した“トロット40馬身差神話”に我々は何を想うか〕


ヤテス調教師の宿願の競走グランドナショナル。彼はジョッキーとして1度も勝つことが出来なかったこの大競走制覇の夢をクロイスターに懸け、その大願を結実させるべくエイントリーへとクロイスターを送り込んだ。
1893年のその年は、クロイスターも9歳を迎え、障害馬としての絶頂期にあった。おまけに寒い時期から強い日差しが連日続き、馬場状態はクロイスターの得意とするコンディションへと変容を遂げていた。何もかもがクロイスター陣営の思惑通りに運んでいた。

レースでは風がそよぐようにソッと飛び出してゆくと、颯爽と障害を擦り抜けていき、徐々に加速。強風がやがては烈風となり、後続との差をグングンと広げてゆく…。観衆は呆然とその光景に目をやり、馬身差に換算しようと試みるのだが、目測では判断が付かないほどに大きな差がついてしまっていた。まるでクロイスターは1頭だけでレースをしているように最終コーナーを悠然とカーヴし、最終障害もヒラリと舞い上がると、後はゆっくりと、トロットで大観衆の声援と喝采をシアワセシャワーとして浴びるように、じっくりと一歩一歩踏みしめてゴールラインを通過していった。まるで夕闇時、飲み干すブランデーのような心地良さに陶酔しきっていた陣営は抱き合い、固く握手を交わしていた。
いつまでも、いつの日までも、「一期一会」…稀世の廻廊で回り逢えた奇跡が続くことを、夢路に祈りながら―――。


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奇跡の名馬 (仏国・独国・伊国・愛国の名馬) * 01:06 * - * - *

ラカマルゴ  ― La Camargo ―  

  【 ラカマルゴ 】

   〜舞姫光臨〜

―フランス競馬
     史上最強牝馬―


父 チャイルドウィック
母 ベレッボンヌ
母父 ジョリーフライアー

生年:1898年
性別:牝
毛色:鹿毛
国籍:フランス
生涯成績:34戦24勝[24-6-1-3]
主な勝鞍:フランス牝馬三冠[プール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)、ディアヌ賞(仏オークス)、ヴェルメイユ賞]、カドラン賞、ガネー賞、フォレ賞、コンセイユ・ムニシパル賞ほか

400年という宇宙のごとき厖大なる歴譜の中、万民との邂逅と逢瀬を重ねた幾千もの瞑妃たち。幽艶なる女傑・女帝・女王たちの愛吟せしゴスペルの中、そよぐ我々の記憶。
果たして「史上最高究極の名牝」、その桜冠・称号が相応しい姫君は、一体全体、どの馬になるというのだろうか。
あらゆる書肆へと足を運び、典籍・珍書のドアと叩き、姿無き語りべの神話を傾聴し続けた。そうした葦編三絶を重ね、沈思・潜思の果てに咫尺(しせき)することの出来た瞑王妃たち。その探求の旅路は、暗漠たる夜の大海で探海灯を燈し、人魚を探すような苦心惨憺たる奇行であった――。


〔多種多彩な文献資料、インターネット…あらゆる書簡へと見聞を深めるに使った時間は計り知れないものがある〕

          
〔それでも知りたいと思う魅力に満ちた名馬たちとの対峙〕


荘厳なる旅の果て、浮動したる記憶の桃源郷を舞台に聖歌を詠唱していた偉大なる牝馬たち…。
それは54戦全勝のキンツェムであり、聖女ヴィラーゴであり、ビーズウイング、アリスホーソーン、ショットオーヴァー、セプター、そして究極女后エレノアのような古欧の貴婦人たちから、炎熱の情熱渦巻く国スペインの三冠馬トカラ、異国情緒漂うトルコの四冠プリンセス・ミニモたちであった。
また米国へと視界を移してみても、54戦42勝のアリエル、伝説の白駒リールからミラクルガール・ラフィアン、ミスウッドフォード、インプ…中南米に至ってはウルグアイのイェルバアマルガ、アルゼンチンのラミッション、モウチェッテ、ブラジルのインメンシティ、ジョワサ、ジャマイカ三冠のシンプリィーマジックからバルバドス三冠馬のゾウク…同じく南半球はオセアニアにおいてもデザートゴールド、アフリカにおいてはティンセルタウンと…遙玉たる綺羅星たちが、キラメキにトキメキを重ね、燦然たる威光を夢光年の彼方まで輝かせている。

                               








さて、千思万考をいくら深慮し廻らして見ても、史上最強牝馬が誰であるか…それは永遠に答えの見つから無い宇宙の謎への追想に似ている。その答えは一人ひとりの胸奥、そっとしておくことが結局はベストアンサーなのかもしれない。
しかし一部条件付けることで、一定の最強馬候補を推定することは可能である。
ザルカヴァ、アレフランセ、オールアロング、ダーリア、そしてセメンドリアといった歴史的名女優たちの影で、私が「フランス競馬における史上最強牝馬」と思慕するのが、本馬ラカマルゴである。

ラカマルゴが生まれたのは遥か昔、18世紀も後半、1898年のことであった。
幼少時から衆意の期待値はそれほどでもなかったが、群俗が僥倖し続ける最強馬となるため、手塩に掛け涵養された彼女は国の禍福に揺り動かされ続ける殷賑の救世主となる。
この馬の深潭に秘めたる超絶無比のポテンシャルは、成績を見れば一目瞭然。
クラシックではプールデッセデプーリッシュ(仏1000ギニー・芝1,600m ※日本で言う桜花賞)、ディアヌ賞(芝2,100m)、ヴェルメイユ賞(芝2,400m)のフランス牝馬三冠。古馬になるとその焔烈なる能力を剥き出しに快進撃を開始。ガネー賞(芝2,100m)、フォレ賞(芝1,400m)、コンセイユムニシパル大賞(芝2,400m 2回)、さらにはカドラン賞(芝4,000m)でも大圧勝。距離性別不問、無双の“強さ”と“速さ”とを見せ付けた。また国外でも暴虐性は合いも変わらず、傑出した存在感で他馬を圧搾し、嫣然たる様子で睥睨するような素振りすら見せた。バーデン大賞(芝2,400m)では鞍上の指示に相槌を打つように俊敏に反応し、競合相手を引き離してゆくラカマルゴは莞爾する美少女のように美しく艶やかであった。



夢寐から醒める暁光の朝。瞼の奥、鼓吹する残夢に舞姫のぬくもり。
心の琴線に触れる理想の王女がそこにはいた―――。


                 
                         
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奇跡の名馬 (仏国・独国・伊国・愛国の名馬) * 06:35 * - * - *

ユンヌ・ド・メ

 【 ユンヌ・ド・メ 】

 〜桃泡のフィアンセ〜

―仏国民を熱狂させた
   速歩のプリンセス―



父 調査中
母 調査中
母父 調査中

生年:1964年
性別:牝
毛色:栗毛
国籍:フランス
生涯成績:137戦74勝(82勝の説もあり)2着50回

1960年代の中期、フランスの繋駕速歩競馬にエキゾチックかつ浪漫譚に抱かれた幽艶なるプリマドンナがピルエットを舞っていた。“ヴァンセンヌのフィアンセ”と呼ばれ万民から愛されたプリンセス。フランス文化の一角を占めるほどにもなった伝説の王妃の夢物語をじっくりと琴奏してゆこう。

1964年に生を受けたユンヌ・ド・メであったが、その風貌はお世辞にも歎美できるものではなかった。頭は異常に大きく、右前肢は内側に彎曲している。馬格だけは大きく雰囲気はあったものの、全体としては鈍重な印象は拭えなかった。しかし、フランス速歩競馬の第一人者であり、彼女の馬主でもあったジャンルネ・グジョン氏にとってみれば、可愛い愛娘。せめて競走はさせてやりたいと、2輪車を引かせてみたところ、轣轆も軽やかに、あの歪曲した肢が嘘のようにしなやかな運びを見せている。紅口白牙の天女が桜舞するような瓢踊たる少女がそこにいたのである。これに心変わりしたジャンルネ氏は全幅の信頼を寄せるジャンルイ・プピオン調教師の袂へと預け、壮大なる未来へと展望を膨らませるのであった。




                                     


しかし、ユンヌ・ド・メは非常に繊細で、些細なことで冷静さを失ってしまう。また孤独も嫌い、平静な精神を保つことは難局を極めた。そこでプピオン調教師はこの馬に一生を捧げることを誓い、まるで実の娘を扱うように、宝愛し、付きっ切りになって世話と調教に当たった。頬を寄せ、耳の傍で語りかけつづけたという。
この天涯比隣の愛情がこの馬の全てを解き放つ。2歳時にデビューを果たすも、3戦して全敗。しかし、3歳を迎えると覚醒を遂げる。1968年の6月7日。この日から伝説は幕を開ける。1:16.8というヴァンセンヌ競馬場のコースレコードを颯爽と計時すると、連戦連勝。圧勝に次ぐ大楽勝の連続で、大レースを次々と手玉にとっていく。さらには海外遠征へも飛び立ち、31勝を上げる(海外のみ)。





フランス国内においては、もはや一躍国民的アイドルにまで昇華していた彼女に欲しいタイトルはたった一つだけだった。繋駕速歩競馬の最高峰に位置づけられるアメリカ賞がそれである。
このレースだけがどうしても勝てない。絶対的本命に毎回支持されたものの、掴み取りたい麦藁帽子は、常に伏兵に掻っ攫われていってしまった。
プピオン師は苦虫を噛み潰したような表情でこう語っている。

「ヴァンセンヌの可愛いフィアンセは、この競馬場に呪われている」

少女の夢は子供にたくそう…ファンもオーナーも愛慕は一緒だった。
競馬場へと煌く残影を照射し、ファンへと暇乞いした少女は、最愛の婚約者であるヴァンセンヌ競馬場へとも別れを告げ、母となった――。

引退から4年の月日が流れ、ようやく待望の時が訪れた。あの愛娘に赤ちゃんが生まれるのだ。出産は難産となった。夜を徹しての、分娩に人も馬も、片時の休息をも許さない緊張がピンと張り詰めた糸のように明け方まで続いた――

生まれてきたのは、牝馬だった。
命の鼓動を確かめるようにそっと寄り添う母子に、皆目頭を熱くしていた。


しかし―――


仔馬の誕生からわずか一ヶ月後のことだった。
悲劇がフランスを包み込んだ――。


1974年4月。
ユンヌ・ド・メは、たった1頭の幼い娘だけをこの世に残し、天へと翔けていった――――

胃の裂傷がその死因であったと言われている。
プピオン師は声も出ず、打ちひしがれ、まともに生活できるまで3週間以上、深い哀しみに暮れていたという。



    
花の都パリを舞台に、絶世の舞踏会で華々しく舞い続け、人々を勇気づけた一頭の少女。

     

桃泡のシャボン玉が舞い上がる風の中、ほんわかと微笑む彼女が今も記憶からはなれようとはしない。


   




  ★彡追記メモ★彡

☆ユンヌ・ド・メの獲得賞金は900万フラン。

☆出産した牝馬の名前は「キオコ」といった。

☆スペインの天才画家ダリはこの馬に惚れ、画布に描いたという。

奇跡の名馬 (仏国・独国・伊国・愛国の名馬) * 23:45 * - * - *

ラヴミーテンダー

 【ラヴミーテンダー】

   〜魔法の言葉〜

―ドイツ・アラブ
      競馬の名勇―



父 バローデカーボンヌ
母 グラン
母父 アロマット

生年:1999年
性別:牡
毛色:鹿毛
国籍:ドイツ
生涯成績:26戦15勝[15-2-2-7]

ドイツにおけるアラブ競馬と聞いて、“パッ”と目に浮かぶ名馬というと…瞬時に名を上げることができる方は、相当に深い…マリアナ海溝並みに見識の深い競馬ファンだと胸を張って明言していいだろう。ただし、2007年…近年まで大活躍を見せ続けた輿望の名馬…彼の名は覚えておいて頂きたい。
ラヴミーテンダー…1度は誰しもが目に…いや耳にしたことがあろうこの名称。そうエルヴィス・プレスリーが歌い上げ、1956年に大ヒットした、あの有名なラブソンブである。日本語に訳すと「優しく愛して」となるこの曲の原曲は"Aura Lee"というフォークソングで、日本では峰純子さんが唄っていた。峰さんがジャズ・ボーカル大賞に受賞した1999年、この星へと生をうけたのが本馬、ラヴミーテンダーなのである。


〔『優しく愛して』1956年:エルヴィス自身が主演の映画。監督はロバート.D.ウェッブ。あの曲もこの映画の中歌い上げられる〕

ラヴミーテンダーはオランダ生まれ。
その後、ドイツの地を踏み、競走馬としてのデビューを果たす訳であるが、とにかく他のアラブとは桁違いの俊傑であった。
この馬との邂逅を果たすことのできた関係者とファンは、今も心酔しきった面持ちで彼の神話を語り合う。
2003年に競馬場へと来臨したラヴミーテンダーは、快捷なモーションで他を翻弄してみせる。大崩れすることを知らず、最後の100m付近から発揮する陽舞かつ捷烈なまでの“切れ”と、怪力乱神の勝負根性は、既来のドイツアラブとは明白明瞭なまでに差異が見られるものだったという。


〔ナイトレースで大楽勝するラヴミーテンダー〕


〔凱歌を上げたラヴミーテンダーと、同馬を労う陣営・関係者一同の様子〕


2004年、ラヴミーテンダーは向かうところ敵無しの猛進撃を見せ、赤子の手を捻るほども簡単にチャンピオンの座へと就任。近年最強のアラブはラヴミーテンダーで不動であろう。それ程の名馬であった。
日本では既に潰裂してしまったアラブ競馬であるが、幾多もの玉泡の名馬たちが現れては消え、浪漫譚を砂時計へとその叙情詩を告辞していった。
過ぎ去ってゆく時間と日常の中、その存在は泡沫そのもので、時が経つに連れ、少しずつ薄れ、やがては歴史という巨人に風食されてゆく―――。

いつまでも心の中忘れたくないものがある。

家族のこと。

友だちのこと。

今も大切な「あの人」のこと。

そっと、そっと呟くその言葉…―――


“Love me tender…”


アラブ馬たちの幽遠なる孤独なるメモワーズ。
いつまで消えずに残るかは、今を生きる我々の想い一つ。


運命の天秤に懸けられた天使たち。


春風満面の笑顔とぬくもりが、爛薀凜漾璽謄鵐澄辞瓩砲呂△辰燭里もしれない。その音韻に、歌曲に、さらには馬にも、そして…その言の葉そのものにさえも――。


魔法の言葉…『ラヴミーテンダー』


その胸奥の底影、キラり煌く瞬きは不思議な“恋奏”をいつの日か奏でた―――。




奇跡の名馬 (仏国・独国・伊国・愛国の名馬) * 21:46 * - * - *

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