サーヴァジェット ―Sava Jet―

 【ヴァジェット

サザンクロス・
  オメガ・レジェンド


クォーターホースと
 サラブレッドの間に
    生まれし
  南半球超伝説の
    スーパーホース



父 サヴァンナジェット
母 ラモデルレ
母父 ベターポーション

生年:1980年
性別:牡
毛色:栗毛
調教国:オーストラリア
生涯成績:25戦25勝

Sava Jet's record will never be broken
「彼の記録は今後、永遠に破られることはないだろう」

南十字星を戴く銀潮の宵空の記憶の片隅に刻印されし、究極のメモリー。

爛機璽凜.献Д奪鉢瓠

南半球はおろか、全世界が戦慄に打ち震える伝説のハーフサラブレッドが、オセアニアの奥地にいたことを、彼方はご存知だろうか。これは作り話でも、虚偽を並べた八百長相撲でもなんでもない、地球という星に擁誕した神話級神駒の紡いだ記録である。

今から30年前のこと、サヴァンナジェットというクォーターホースが、サラブレッドのラモデルレと交配され、一頭の不恰好な子馬が産声を上げた。彼女の5番仔として生を授かった仔馬…それがサーヴァジェットであった。
蜜柑色の栗色の仔馬は、いつの日か眩いばかりの黄金の光を放つことを期待されはしたが、脚が曲がり、首差しが異常なほど短かったこの馬は、あっさりと冷やかな低評価を囁かれることになってしまった。しかし、その眼光は飛竜のごとく鋭く、他を威圧し、睥睨するようなさますら垣間見せていた。
それが、後の神王サーヴァジェットの俤だったのであろう――。

クイーンズランドやニューサウスウェールズ、伝説の名馬バーンボローを育てた場所として有名なトゥーンバを主戦場とし、500m〜800mのクォーターホース限定のスプリントレースに出走。しかし、
クォーターホース相手ではやはり勝負にもならず、デビューから手綱がピクリとも微動だにしない大楽勝の連続。見る見る内に白星は積み重ねられていった。


[サーヴァジェットの主戦場となった競馬場]

その楽勝劇は調教に携わったゴードン・バートレット氏が
「この世に存在するありとあらゆるスポーツ、その大楽勝のすべてを完全に上回る、見たこともないようなものでしたな…」
と、目を細めて語る程のものだったと伝聞されている。小柄なクォーターホースたちの中で、ただ一頭15.1ハンドもの巨体を揺らめかすサーヴァジェットは、あまりに不釣合いな存在に見え、その体格から74.5kgもの斤量が課せられていたにも関わらず、決して負けることはおろか、騎手が手を抜いても、接戦になることさえなかったという。

 
[非常に食欲旺盛だったサーヴァジェット。主戦を務めたのは先住民族アボリジニーの血を引くネルフ・マリソンという騎手だった]

まさに無人無馬の荒野を翔ぶがごとく駆け抜けるサーヴァジェットだったが、アメリカへと転売されることとなってしまった。彼のオーナーはケン・フォガーティーというゴールドコーストにリゾートを構える程の大富豪であったが、亭主の好きな赤烏帽子。オーナーの意向にいつの世も、どんな馬もそれに従って甘受の道を歩むしかない。
ところがである。
このアメリカ移籍が、さらに彼の途方も無きポテンシャルを引き出すこととなるのであった。

サラブレッド相手の競馬…
はじめての環境…
広く大きいダートコース…

あらゆる邪推、不安、憶測を大空の彼方へと吹き飛ばし、一瞬にして杞憂へと変えてしまった――。
なんと14馬身差もの超大差をつけ、さらにはこの移籍初戦となった舞台であるエル・アラメトス競馬場のトラック・タイレコードで疾駆していたのである。
驚天動地・震天揺海とはまさにこのこと。
第2戦目にはオールアメリカンフューチュリティ勝ちのある牝馬を軽く一捻り。結局25連勝で競馬場から踝を返すこととなったサーヴァジェット。
もはや人の記憶からフェードアウトしかけている彼の名を、ここで消してしまってはならない。

純血のサラブレッドでないにもかかわらず、25戦不敗という記録は狹狙皚瓩琉豸譴膜△┐襪曚なく、この記録の爐垢気泙犬記瓩蓮競馬史に刻まれた狄析鱈瓩鯢害鬚ことで、より鮮烈となる。


 無敗記録
    連勝記録
   偉大名馬たち
※オセアニア地域限定

グランフラヌール
9連勝
(オーストラリア史上唯一の無敗ダービー馬)

キンダーガートゥン
10連勝
(ニュージーランドの真の最強馬と讃えられる名馬)

キングストンタウン
11連勝
(牴ν有瓩噺討个譴織ーストラリア史上最強級ホース)

タロック
12連勝

ファーラップ
14連勝
(オセアニア史上最強セン馬)

カーバインバーンボロー
15連勝
(南半球史上最強馬と爛蹈吋奪肇曄璽広)

メインブレース
 

17連勝
(25戦23勝。ニュージーランド史上最強馬)

グローミング
デザートゴールド
19連勝
(ニュージーランドが誇るヒーローとヒロイン)


デザートゴールド


ミスペッティー
22連勝
(クォーターホース競馬でのもの)

オセアニア史上、最も連勝を重ね、なおかつ無敗のまま引退した馬は、全カテゴリーの競馬を見渡してみても、サーヴァジェットただ一頭しかいない。
25連勝…あのゼンヤッタが19連勝、サイテーションが16連勝…無敗ということを考えてみても、リボー、オーモンドの16戦不敗記録やネアルコの14連勝記録が脳裏を掠めてゆく。
無論、走った競走のレベルや時代や馬場の状態など、外的要因は多々存在するが、純血のサラブレッドを相手に、半血種であるこの馬が、多くのハンデを抱えながら歴史的大圧勝を繰り広げていたことは決して見逃せない事実。


  

流星の夜。南の空の向こう、遙かなる場所に彼はその残影を留めていた。
漣が寄せては返し、撫でてゆく白い砂浜のうえ、洗われる小石のように、いつの日かその記録が浸食されて失われることのないよう、我々が語り紡いでいこう。
25戦25勝。サザンクロスの不敗神話、サーヴァジェットの爛罐瓮皀離タリ瓩髻宗宗帖





奇跡の名馬 (オセアニア・環太平洋エリアの名馬) * 04:40 * - * - *

ザオペラハウス ―The Opera house―

 【 ザオペラハウス

  〜りし

―史上唯一頭、
     白毛の無敗馬―


父 ザビール
母 カルミナブラーナ
母父 ステイアウェイ

生年:2006年
性別:牝
毛色:白毛
調教国:オーストラリア
生涯成績:2戦2勝

マオリ族が統治したニュージーランドに生を授かり、オーストラリアへと渡った白毛の牝馬。
純白の姫君に秘められし白銀のポテンシャルは誰も測り知ることのできない未知の桃源郷のものだった。
白毛というと、サンデー産駒のシラユキヒメが次々と仔を白く染め、話題を呼ぶ中、その愛娘ユキチャンが白毛馬史上初となる重賞制覇を成し遂げ、その大活躍に湧いていたことが脳裏に瞬時にかすめるが、世界競馬史上初の白毛馬の登録は1896年に米国で生まれた突然変異のホワイトクロスが最初の一頭だとされる。もちろんこれは公式記録が整備され始めてから最初の白毛であり、過去に遡上すれば、さらに太古の時代に我々の知らないようなとてつもない白毛馬がいた可能性もある。
ちなみにホワイトクロスは障害競馬で勝利をあげている。
話を元のレールに戻し、彼女の側面へとズームしていきたい。
南半球はオーストラリアで登録・確認された白毛馬は6頭おり、その楔を切った最初の白毛が1966年に生を受けたグレイシャル。ザオペラハウスはオーストラリア史上7頭目に当たる白毛馬ということになる訳だが、この馬、血統がかなりの良血。父ザビールはGI10勝馬オクタゴナル、香港を拠点に歴史的大活躍を展開したヴェンジェンスオブレインを輩出。また近親には近年の豪州最強馬マイトアンドパワー(GI7勝。JC来日の可能性もあった馬で、参戦が叶えば大本命になったほどの名馬)がいるのである。それゆえ、期待も日和に高まり、生産者のマーティン氏の胸中、弾むような曉望の昇圧が、馬体から放たれる麗美極まる白金の燐光以上に、眩しく耀き溢れ返っていた。


桜桃の微香とピンクの微光を漂わす、銀白の白雪姫を射止めるのは誰なのか――。
▲〔ザオペラハウスはアルビノとも思われたが、特殊な透き通った茶色の眼をもっており、突然変異による白毛馬であることが解明されている〕

2008年のマジックミリオンセールに出場した美白の美少女は、怯え恐震することもなく、欣喜雀躍と登場。見惚れる万民の中、この白駒にサラブレッドビジネスの全てを賭けようとする男がいた。
ジョン・シングルトン氏とアンドリュー・ジョンズ氏、ニューサウスウェールズで営みを送る二人の男が所有権を収めたのだった。
「競馬にもっとスポットライトを浴びせたい」
そう願い命名したシングルトン氏。
その名もオーストラリアはシドニーの象徴でもある“オペラハウス”を衒ったThe Opera house瓠


▲〔マジックミリオンセールに出場直前のザオペラハウス。$270,000で落札されることとなる〕

ここまでならありそうな話でもある。この白馬が凄いのは、苛烈な調教にも涼しい顔で受け流し、さらにはアッサリと勝ってしまったということなのである。
デビューは2009年の7月3日、ニューキャッスルでの芝800mを1・3/4馬身差で快勝。さらには続く1戦でも見事勝利を収め、なんと2戦2勝としてしまったのである。
2戦して無敗の白毛馬というのは世界競馬史上初の快挙。

 
▲〔初勝利を上げた瞬間の彼女〕

29勝も上げたネヴァドや重賞を勝ったユキチャンには見劣る成績であることは、否定出来ない事実。しかし、無敗というのもまた動かしようのない真実であり、体質が脆弱に出る白毛という、敢呟するならハンデともとれるこの毛色にもかかわらず連勝したというのは、評価すべきポイントだと私は考査する。

  
▲〔夕映えのオペラハウス〕

倏鬮瓩棒犬泙讚倏鬮瓩箸いμ気剖瓩ぢ減澆らなのか――。
珍重たる白馬は高貴・神格・神聖視される。
これは万国共通の理念といえよう。
民俗学的視点・見地より解析するならば…神の依り代である馬という犧匹凌性瓩蓮白く孵ることで、はじめて運命から解き放たれるのかもしれない。
しかし、その極稀なる絶対数から、万民より神の使いとして崇められる。
やはり、神の手から離れることはない、従順・無垢な存在なのかもしれない…
白く還る時代。
そこに永遠なる安らぎの銀貨があることをただ信じて――。


■写真・イラスト■
秋山由美子、Daily Telegraph、Miyu、牧夫氏ほか

奇跡の名馬 (オセアニア・環太平洋エリアの名馬) * 06:25 * - * - *

ブラックオニキス   ―Black Onyx―

 【ブラックオニキス

―白が呼ぶ夢、
    黒が呼んだ悲劇―

〜天命に弄ばれし
    偉大なるセン馬〜

 

父 パイプオブピース
母 オーガンディー
母父 デリリウム

生年:1965年
性別:セン馬
毛色:芦毛
国籍:オーストラリアアメリカ合衆国
生涯成績:35戦12勝
主な勝鞍:フェニックスゴールドカップハンデキャップ、ライトニングS、ヒルS、ニューマーケットS、AJCサイアーズプロデュースS、ポスト&パドックH、ドームベン10サウザンド(2回)

古来より、馬は神格化され、一つのステイタスシンボルの標章として鎮座してきた。
速い駿馬はいつの時代にも希求されるもので、古代中国ではフェルガーナという汗血馬が渇求され、盤古の時を生きた皇帝も白い名馬を手中に収めた際にはその欣喜雀躍たる想いの丈を書肆に記憶させている。その一頭が爛淵ぅ肇轡礇ぅ縫鵐哀曠錺ぅ鉢瓩噺討个譴訶狙發凌税鯒蓮


[ナイトシャイニングホワイト]

白い馬は、日本においても聖獣としての地位を築き上げた。その雪月のような純白の姿態から放たれる微光は神々しいもので、各地にて生まれた白馬は神社や天皇の下へと奉納されてきている。
白蛇も神の使いと呼ばれるが、まさしく潔白穢れなき存在は神そのままで、あるい神々の住まう異界へとリンクする塞の神として信じ論考されうる命運を伝っている。
不可思議なる魔力を帯びる馬の存在。しかし、そんな白馬(芦毛)も牋し毛瓩覆匹反當阿気譟忌み嫌われる時代があったのもまた事実。時代の変遷の中、人類のアイデンティティと思念・理念と趣向を敷衍するのもまた馬であり、傍に寄り添い続けてきたのが私たち人間なのだからそれは必然とも言えよう。ブラックオニキスもそんな人間たちの思惑に振り回され続けた馬である。

     
[ブラックオニキス]

ブラックオニキスは1965年、オーストラリアの片田舎に生まれ、オーストラレシア大陸の息吹に抱擁されながらの成長期を過ごすと、その只ならぬ雰囲気を燕尾服のようにピチッと身にまとい競馬場へと登場。軽やかに翔駆し、時にはのた打ち回るかのように、そのポテンシャル廻舞しまわった。
1970年、一旦は種牡馬生活をスタートさせたオニキスであったが、競走馬に返り咲いて戻ってきた。その後メルボルンにてフューチュリティSに参戦。しかし、まったく振るわず、追い詰められると米国へと追放されてしまう。しかも、泣きっ面に蜂が刺すがごとく、なんと薬漬けにされてしまうのである。厩舎にてドラッグを投与されながらの、15戦。そんな絶望的境遇に追いやられながらも内6勝も上げてしまうバイタリティには敬服あるにみで、やはりとてつもないエナジーを秘めていた名馬であったということだろう。
父パイプオブピースは、ナイトの称号を授かった、あの伝説の騎手ゴードン・リチャーズが「良馬の中の良馬」と舌鋒を鳴らして調教に従事した名馬で、全てを黒炎に返る妖光を艶かしく映す葦毛の暗黒馬体はザテトラークの血を継承する何よりの証。つまり、血統からはとてつもない巨力を眠らせていることはまず間違いなかったのである。
人の手により圧搾された巨大なるポテンシャル…計り知れぬその力の深潭はどれほどのものだったのだろうか…。

  
[目を覆いたくなるような酷使に彼は何を思っただろうか…]

スパルタ調教とドラッグにより、塵滅たる馬体に憔悴仕切ったブラックオニキスは不気味な眼光を炯々とさせながらレースを続けていたという。またその様は雌馬のようであり、骨だけの羊を彷彿とさせた。薬に蝕まれ浸蝕されきったブラックオニキスは灰燼となった馬体を納屋の奥へと沈め、シカゴの界隈、町影の中ひっそりと病没していった。

犢瑪瑙瓠鎚石のブラックオニキスは古より魔除に使われ、またそれを身に着けることにより「才能が開花する」と信じられてきた。潜在能力を引き出し、気分転換リフレッシュを促進する効果も秘めているのだと言う。
しかし、ブラックオニキス号は宝玉のような扱いを受けることなく、まるで逆鏡のごとく暗渠の中を人間の勝手気侭なままま運命を玩ばれてしまった。彼が不吉を予感させる異様な毛色をしていたからなのだろうか…その真相は闇夜の重い鉄扉の向こうに封印され、「時間」という名の晩霞に飲み込まれていった―――…・・・。

  

奇跡の名馬 (オセアニア・環太平洋エリアの名馬) * 05:58 * - * - *

ラグーン ―Lagoon―

  【

 〜 海風ララバイ

―親日家たちに
 抱愛された一頭の物語―
 

父 ハンターズムーン
母 クレヴェッセ
母父 ジョンズタウン

生年:1952年
性別:牝
毛色:鹿毛
国籍:パラオ
生涯成績:22戦18勝
※参考記録
主な勝鞍:特になし

大海原を滑りゆく風とカモメの影――。


   

あの水平線の果てにあるのは果たして何か。
有史以来、我々人類は壮大なる浪漫譚を抱懐し、その見果てえぬ未来(せかい)を見るべく未知なる大海へと乗り出していった。遥か彼方まで洋々と広がる青。それは人類のもつ想像力と冒険心を掻き立てるに十分な秘境であった訳である。わが国日本においても、海の先には異国(異界)があると信じられてきた地域も多く見受けられる。その代表格が沖縄であり、「海の向こうには神の住む国が存在する」と崇高する“ニライカナイ”信仰はその典型でもある。そうした俗信が顕著に露見できるエリアは九州より南の島国。石垣島に伝わるアカマタ・クロマタや悪石島の仮面神ボゼ、宮古島のバーントゥなどは、まさに南太平洋・東南アジアの文化・風習・奇習にそのルーツがあると推考されている。

  
[トカラ列島・悪石島の仮面神ボゼ。南洋の文化を色濃く受けているように分析できないか]

はたして日本人の祖先、開祖である民たちは南太平洋の島から遷移してきたとでもいうのだろうか?
この答えは馬民俗学を通し、追跡・解析を試みるつもりだが、その南方の環礁地域は英国・スペイン、またはフランス、ドイツ、そして日本軍の侵攻・侵略に幾度となく遭い、植民地として時としては保護国としての地位を甘受してきた。その中で馬が地を踏み、また同じくして“競馬”という文化も根を下ろしていった。
その一国に挙げられるのがパラオである。有史以前の状況は不明な部分が多いのだが、16世紀頃を向かえると、ポルトガルやスペインから多くの渡来人が現れ、この神秘の島のヴェールを剥がしていった。1885年にスペインの植民地となるが、すでに国力に陰りが見え始めていた同国は、脆性を多く孕んでおり、あっさりとドイツへと売却。これにてドイツが領主となったものの、パラオの地は荒廃のままで島民たちは永続する苦境に幽閉されたような生活に疲弊しきっていた。
1914年、第一次世界大戦が勃発し、日本軍が進攻。ドイツ軍を屈服させ、新たな占領主となった。しかし、日本が他国と違ったのはここからで、パリ講和会議をえて委任統治領を認められた日本は、パラオに学校・病院・道路といった生活に欠かせぬ主要設備・需要施設を、蟻や鳥が巣作りを遂行するかのように鋭意・推進とばかりに築いていった。このことと、1944年のペリリューにおける戦闘でパラオ民間人に一人たりとも負傷者を出さなかったことが強い好印象を与えたのだろう。パラオの人々は皆親日家であり、第二次大戦後において米国が信託統治を開始して日本文化の排撃を試みた際にも反日教育が全く浸透しなかったという。

 
[日本軍が委任統治した当時の写真。まるで日本のような雰囲気だ。現在、パラオでは日本語が公用語という州もあるほか、あのアントニオ猪木氏も島を所有しているという、何かと繋がりの深い島国なのである]


本馬ラグーンは、米国の統治政治が敷かれた時代に生まれ、パラオから旅立っていった名馬である。1945年、終戦の年に生を受けた母クレヴェッセの血を受け継いで産まれてきたラグーンは、使役馬としての日常を送るが、田舎の草競馬に参加し、無敵を誇ったことで少しずつ周囲の注視を集め始めていった。相手は皆農耕馬や痩せ細ったポニーのような馬ばかりであり、尚且つ仮柵で作られたパドックのように小さなコースで18連勝を上げたとの逸話・挿話が残されている。
「もしかしたら、本場の競馬でも勝負になってしまうのでは」
との声に馬主(名称不詳)も本気になってしまったのか、オーストラリアの地方競馬へと遠征。
「This is “The Fantastic Samurai horse”!」
こう豪語するも、やはり惨敗。
しかし、日本人からすれば、どこか心温まり、ニンマリと微笑んでしまう挑戦とは思慕できないだろうか(親日家であったようだが、この場合は雌馬なのだから“Yamatonadesiko”が正しかろう)。


〔遠征時にてパドックを周回するラグーン〕

2000年代の日本。その初頭に小泉首相が靖国神社を幾度となく訪れ、“一人の日本人”として参拝した。これに中国・韓国そして朝鮮半島から心痛なるばかりの非難の矢が激しく飛んだたことは記憶にも新しい。
しかし、これを見た時のパラオ大統領トミー・レメンゲサウは「すべての人のために祈りを捧げることは当然のこと」と高く評価した。彼の祖父は、またラグーンの“サムライレース“”を見た、数少ない者の一人だったという。


南国の砂浜から日本へと届く潮風――…
それはきっと
遠き昔日から平和への祈りを現代(いま)へと唄うピース・ララバイ……―――。


        

今回の写真元:秋山由美子、Mr.Kelbeck、武人氏ほか

奇跡の名馬 (オセアニア・環太平洋エリアの名馬) * 10:48 * - * - *

  フェアアンドスクウェア  ―Fair and Square― 

フェアアンドスクウェア

Legendary
    伝説を綴りし者

フィリピン競馬
      史上最強馬


 

父ベルグレイヴスクェア
母フェアシー
母父フェアズフェア

生年:1977年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:フィリピン共和国
生涯成績:20戦19勝[19-1-0-0]

その荘厳なる気高き強さは古代アトランティスに光を放ったという超金属オリハルコンのようだった。
その神威的なまでの後光は、日本超古代文明を象徴する超金属ヒヒイロカネを想起させるほどの目映い輝きと煌きを混在させていた――。
その名も爛侫Д▲▲鵐疋好ウェア瓠
公明正大。威風堂々たる相貌――…その名は『伝説』を導き遡及する系譜であり、フィリピンにおける狹狙皚瓩箸廊爛侫Д▲▲鵐疋好ウェア瓩鯱∩曚気擦覿喩の指針たる言葉である。
フィリピン競馬史へと燦然たる光泡を天与する伝説的競走馬が、1980年初頭に颯爽と降臨した。生涯を通し、その敗戦はたったの1回。それも騎手が前半で折り合うことを侃愕として拒み、それが打擲(ちょうちゃく)を悪戯に繰り返す引き金となって失策へと転げ繋がっていった。しかし、このたった一度の慮外千万の失念を持ってしても、それはより伝説を際立たせる光源にしか転換されず、伝説的史上最強馬として、同国競馬史の中、巨神像として屹立し続けている。

フィリピン共和国の競馬の歴史は古く、その起源は1867年まで遡る。マニラジョッキークラブが創誕した歴史的年で、当時はマニラで生産されていたポニーを使って、直線道路での競馬であったという。この時代の競馬の役割は上流階級の社交場としての舞台を担うことを主軸としており、下層階級の民たちは入場すら許されなかった。この流れが断ち切られたのが1901年のことで、当年は民主化を進めるタフト総督が政治主導のタクトを握っており、競馬界の体質改善が図られたのであった。
戦禍の飛び火を避けるように、幾度か競馬開催の中止も行われたが、競馬の質・レヴェルは右肩上がりに資質を高めていった。
競走馬のレベルアップが進むに連れ、密輸入の問題が深刻化。対策の一環として馬匹改良が進められ、サラブレッドやアラブがオーストラリアから数頭取り入れられ、軽種化が暫時進展を見せていった。しかし、世界大戦という名の闇がフィリピン競馬を歪曲させ、中止へと追い込むと、フィリピン競馬の時間はピタリと止まってしまうこととなる。
時は滔々と流れ…1946年、第二次大戦という負のスパイラルを抜け出した時、ついにフィリピンは独立し、競馬界も一人立ち、新たなる巣立ちの時代を受容するターニングポイントに立っていた。
1948年に競馬法が制定されると、政府による管理体制の強化、ブックメーカーの弾圧と廃絶が推進された。レース体系も大きな変化を遂げ、政府が賞金を拠出するフィラコムステークスを次々と創出していく。こうした変遷の中、1978年にクラシック三冠競走のレールが敷かれ、1980年に競馬学校が開校。その2年後にはサラブレッド血統書第一巻が発行され、いよいよ世界水準の競馬開催国へと肩を並べる段階にまで辿り着くこととなる。

  
[ライバルを余裕綽々で圧倒するフェアアンドスクウェア(中央)]

新時代への開拓が進められる中、そのフロンティアの王者として誕生したのがフェアアンドスクウェアだった。真のチャンピオンのみに許される絶烈たるパワーで突き放し、轟然とフィニッシュを決める。全く隙がなく、絶対的安心感と安定感とが天秤で吊り合う無敵の快進撃。それでいて気性はたおやかで夕凪の海のように沈静たるオーラを取り巻いていた。調教師にも非常に従順で、純朴な立居振る舞いは紳士さえ感心感嘆を覚えるほどであったという。
創設から間もない三冠競走を羊角のように吹き抜け、見事手中へと収めていく。第一冠エデュアード=M=コジュアンコ.Jrカップ(ダ1,600m)、二冠目のジェイムVオングピンカップ(ダ1,600m)、そして最終関門のホースマンズカップ(ダ2,000m)…初代三冠馬となり、絶大無比の能力で他馬を完全に屈服させてしまい、もはや国内で走ることは他陣営を震撼させる行為以外の意味を持たなかった。

                  
[偉大なる“伝説”の存在に夜風に吹かれ想いを廻らす――]

フェアアンドスクウェアは古馬となっても絶対神として君臨。
国内最大最高峰・プレジデンシャルゴールドカップ(大統領金杯・ダ2,000m)を二連覇。しかも連続でのレコード勝ちに、その存在は生きる伝説へと昇華した。
種牡馬としても、とてもフィリピン産馬とは思えぬ健闘を見せ、大統領金杯を勝ち、父仔制覇の快挙を成し遂げるフェアスタートほか、重賞級レース勝ち馬を次々と送り出し、奇跡的成功を果たした。

生きながら神話となり、崇高かつ絶界の聖獣と化した一頭の競走馬は、いつしか島民たちから、こう呼ばれるようになった…――

爛譽Д献Д鵐瀬蝓辞

『伝説を綴る者』と―――。

  
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奇跡の名馬 (オセアニア・環太平洋エリアの名馬) * 06:15 * - * - *

ピンクディスカス  ―幸を運ぶ桃色海豚―

ピンクディスカス 
 〜 幸せを運びし者

島国を渡り歩いた
      一頭の物語




父ピンクフラワー
母ラニー
母父ボブスレー

生年:1958年
性別:牡
毛色:鹿毛
国籍:ニューカレドニア
生涯成績:132戦48勝[48-25-27-32]
※非公式戦含む。

優れた秀逸な頭脳を持つイルカは、高度なコミュニケーション技術を持つ動物として知られている。
またその一方で、愛くるしいその行動から、水族館等ではアイドルとして重宝されて扱われる、貴重な存在でもある。そんなイルカは、コミュニケーション能力の高さから、相手への想いを伝えるモチーフや恋愛成就のイメージにも使われる事が多々ある。その理念の起源は古く、有史以前・古代神話にまで遡及してゆくと、美の女神ヴィーナスの使者として口伝されていることが解読できる。特に、ピンク色のイルカは幸せの象徴とされており、そのためか、随所にてピンクイルカは描写されているようだ。
では、このピンクドルフィンが実在していることを、貴方はご存知だろうか。アマゾン川に棲息しているアマゾンカワイルカは、少々混濁があるが、淡いピンクカラーをしている。また突然変異の例としては、米国はルイジアナ州の海水湖・カルカシュー湖にアルビノと推察される桃色の蛍光放つ海豚も発見されたという報告がある。

  
〔出逢った者には幸福が訪れるというピンクドルフィン〕

今から数十年前のニューカレドニアにて馬主を務めていたとある人物は、シンガポールのセントーサ島を歴訪した際、この桜桃結晶と偶然にも邂逅を果たし、いたく心打たれた。そして、生涯一度きり…一期一会の咫尺と直感した馬へと、このピンク色の海豚に因んだ名前を付けようと心誓ったのだという。それから数年後、海外から持ち込まれた馬の市場競売にて、とある一頭に一目惚れ。すぐさま購入し、命名した。その名こそ爛團鵐ディスカス瓩任△辰拭爛團鵐瓩鰐渭澄▲轡▲錺擦離轡鵐椒襦爛妊スカス瓩蓮惘瀏廖戮箸いΠ嫐があり、そこから「人と人を幸せの絆で繋ぎ、一つの円にするような素敵な馬に…」との祈念が込められていた。また爛妊スカス瓩留意として『楽しく語らう』という語意があるのだが、これも示唆しているものと思われる。

 
〔オーナーはピンクディスカスの透き通った純真無垢の瞳に惚れてしまったのだという。あのディープインパクトと金子氏の出逢いの瞬間のようだ〕

              

ピンクディスカスは、島の小さな集落や町の草競馬にも参戦したほか、もちろんニューカレドニアの公式競馬にも出走。連日のように出走を繰り返し、懸命にゴールを目指した。気持ちが強く前向きな馬で、とてもタフ。どれだけ疲れていようとも、真面目に走り抜く煽情的な走りで知名度を上げていく。地道に勝ち星が増えてゆくと、近隣国の競馬にも参戦し、やがては世界各地を転戦してみたいと、オーナーも心からピンクディスカスに愛慕を傾けた。健気で愛くるしいそのパフォーマンスで、次々と人々を笑顔へ変えてゆくその様は、天使が愛を恋人たちへ…宇宙(そら)が地上へ星のシャワーを贈り与える、奇跡の一幕を見ているかのようだった。

        

南十字星のもと、40を超える勝ち鞍を積み上げる頃、一部のファンからは今年は凱旋門賞に参戦するらしいとか、オーストラリアか米国・メキシコへと遠征するらしい…といった噂が囁かれるが、結局現実には至らなかった。

   
〔48勝を上げた時のピンクディスカス〕

桃色の海豚に廻り逢った恋人や夫婦は永遠連れ添うことが叶うという。ピンクディスカスもきっと同じ。海琴を爪弾き、桃色の旋律を届け、愛という名の糸で人と人とを繋ぎ、運命という一つの大きなサークルを天の星図へ…大洋の彼方まで創り上げたのである。
珊瑚礁に生きた名馬が残した泡波の記憶は、春風満面の笑みを伝えてゆくだろう…ずっとずっと、これからも…未来世界に生きる子供たち…ゆくゆくは、彼らの孫たちの世代…さらには、もっと、ずっと遠く―その先…夢光年の時代まで――。


  
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奇跡の名馬 (オセアニア・環太平洋エリアの名馬) * 02:38 * - * - *

グランフラヌール  ―Grand Flaneur―

グランフラヌール

  〜聖翼竜

オセアニア競馬史上
    唯一の不敗神話




父イァッテンドン
母ファーストレディー
母父セントアルバンス
生年:1877年
性別:牡
毛色:鹿毛
国籍:オーストラリア
生涯成績:9戦9勝[9-0-0-0]

オセアニア競馬における最強馬という絶対王者の変遷史を顧みた時、カービン、ファーラップの二大英雄にしろ、キングストンタウン、バーンボロー、タロックといった歴史的名馬たちを例にとって見ても、一頭も無敗馬はいない。それどころか、ほとんど負け知らずという馬すら余り類例を見ない。


このグランフラヌールを除いては。

グランフラヌールは、オセアニア競馬史上唯一頭となる不敗の名馬であり、オーストラリア競馬史上ただ一頭だけ君臨する敗北を知らないダービー馬である。
いや、オセアニアに愛され、海と青空に琴瑟相和せし、隠れた史上最強馬だったのかもしれない。
それほどに神々しく威光に満ち、遺憾なく夢勇の強さと速さを見せた理想のサラブレッドだった。

    
〔フレミントン競馬場へ集った観衆を見据えるグランフラヌール〕


グランフラヌールが胎動を始めた生誕地、ファーンヒルスタッドはシドニーから程なく車を走らせた近郊に瀟洒な佇みを森閑の中、息を潜めるように見せている。
生まれた頃から体は小さく、成長してもサラブレッドとしては小さい部類にはいったという。葦毛のような鹿毛のような変質した毛色は異様な燐光を魅せており、それがまた周囲の注視を集めることとなる。そんな窈窕たるオーラを放散する怪物が競馬場へ歩を向けたのが1880年の1月1日。フレミントン競馬場で開催されたノルマンディーSという1,000m戦がチョイスされた。
グランフラヌールはしなやかかつウナギのように全身を伸縮させるような、まるで猟犬のような走りで他を圧倒。ほぼ馬なりのまま大楽勝で最高のスタート切っていった。
この1戦後、やはり成長を促す目的だったのか、厩舎や牧場で、蟄居されたかのように篭り切りになり、グランフラヌールが競馬を愉しむ民草たちと邂逅を再度果たすのは、AJCダービー(芝2,400m)の目と鼻の先に当たるランドウィックの春季開催(南半球ゆえ10月)まで待つこととなった。
復帰戦はメアーズ・プロデュースS(芝1,200m)。ここを叩き台と言わんばかりに試走のような大楽勝で滑空すると、そのわずか5日後、3戦目にしてダービーへと挑戦。今まで短距離、しかもたったの2戦しかしていない馬が、突然の長距離戦で戸惑うことはないのか――否。彼グランフラヌールには全てが杞憂なものだった。ダービーで本領発揮。まるで封印から解き放たれた古の飛竜のように堂々と突き放してゆき圧勝。それもそのはず、彼の父イァッテンドンはオーストラリアの歴史的ステイヤー。グランフラヌールに大海のスタミナが内包されていない訳がないのだ。



〔グランフラヌールの脅威・震撼・戦慄なるままのポテンシャルはまるで封印されていた怪物のようだった〕

AJCダービー戴冠からほんの束の間、ニューサウスウェールズからヴィクトリアへトンボ返りし、ヴィクトリアダービー(芝2,400m)へと参戦し、ここも圧勝。さらにはヴィクトリア側のメアーズ・プロデュースSも制し、もはや向かうところ敵無しと、3歳にしてメルボルンC(芝3,200m)へ。
最強古馬たちを颯爽と置き去りに、まるでそれが日々の日課であるかのように楽々と大勝してみせるのだった。

伝説の聖槍ロンギヌスは、「所有するものに世界を制する力を与える」と信じられているが、この馬はまさにそんな存在だった。距離不問・展開・馬場も問題としない。
そんな聖竜の封印を解いたのはオーナーのロング氏、そしてその聖翼をレース中制御したのが、トム・ホールズ騎手。


 
〔メルボルンC勝利の祝福ムードを描いたスケッチ〕


グランフラヌールはメルボルンカップ後も、南十字と星霜煌く空の下、浪漫飛行を続けた。VRCセントレジャー(芝2,800m)、チャンピオンS(芝4,800m)、タウンプレート(芝3,200m)と大楽勝で連勝。無敗のダービーダブル&メルボルンC覇王は、距離が延びれば延びるほど、活き活きと、そしてそのツバサは輝きを放った。


9戦全勝、無敵のグランフラヌールは故郷シドニーへ帰還し、来期に備えていた。そのトレーニング中、前脚を負傷し、その時のダメージが癒えることなく引退へと追いやられてしまう。
突然の聖域追放。しかし、グランフラヌールはやはり只者では無かったのだ。あっさりとリーディングサイアーへと登り詰め、ブラヴォとパトロンという2頭のメルボルンC馬も輩出。
宇宙(そら)の彼方へと消失した翼竜は、やはり知られざる真の最強馬だったに違いない。



奇跡の名馬 (オセアニア・環太平洋エリアの名馬) * 07:15 * - * - *

  ロムボポケットウォッチ   Lombo Pocket Watch

【ロムボポケット
       ウォッチ】

 〜 やすらぎの銀貨 〜

―南半球史上最強の
      繋駕速歩馬―



父 ジェットラーグ
母 ミスティーメイデン
母父 ウインドシィールドワイパー

生年:2003年
性別:牡
毛色:芦毛
国籍:オーストラリア
生涯成績:52戦36勝[36-7-2-7]

環太平洋が生んだ南半球史上最強の繋駕速歩馬。平地競馬や障害競馬の舞台裏で、南十字星のように燦然たる輝きを放った同馬の伝説を反芻してゆくこととしよう。

ギラギラと冷徹たるメタリックな白銀の馬体…あまりにも眩惑的な銀色の馬体が躍動する競馬場は喜色満面の笑顔日和で満たされていた。ロムボポケットウォッチは2003年10月16日にオーストラリア西部の牧場に生を受け、繋駕速歩馬としての夢路を歩み出した。

  
〔ロムボポケットウォッチはとにかく装備がド派手。そして繋駕速歩界では平地競走以上に珍重な芦毛馬…これで強いとあらば、人気が出ない方が無理というものだろう。オーストラリア全土はもちろん、ニュージーランドやタスマニア島へも遠征し、そして圧勝快勝を続けたのだから、頭が下がる〕


デビューするや、その風のように流動する颯爽たるモーションと精密機械のような正確な敏捷性で連戦大勝。あっという間に繋駕速歩史上最速の百万ドルホースに君臨。レースにおけるパフォーマンスも圧倒的で、直線では舌を出し他馬をあしらうような表情さえ見せることもあったという。


  
〔精密機器のごとき正確なペース配分と刻まれるラップタイム。しかし、豪放磊落でお茶目な性格で周囲を和ませるような一面も持っていた〕

南十字星から降りそそぐスターシャワーの恵みを戴き、さらなる成長を見せたロムボポケットウォッチは、次々と大レースを鯨飲。


ロムボポケット
  ウォッチ
のGI勝ち鞍

†バサーストゴールドクラウン

†オーストラリアンペーシングゴールド(2006年)

†ケヴィンセイムールナースリー

†ヴィクブレッドスーパーシリーズ

†オーストラリアンブリーダーズクラウン

†オーストラリアンペーシングゴールド(2007年)

†ヴィクトリアダービー

†タスマニアンダービー

†オーストラリアンダービー

†ヴィクブレッドスーパーシリーズ(2007年)

†マクナーリーフォードクラシック

†ゴールデンナゲット

…なんと2歳でGIを5勝。さらには生涯を通し12勝ものGI勝ち鞍を上げた。
しかも、オーストラリア速歩競馬記録である19連勝も記録。万民はこの光り輝く銀色の勇者との邂逅に言葉すら失くし、祝讃と聖餐の毎日に心の桃源郷を見出していた。
淡闇の夕空を背景に燐光を放つ懐中時計は、銀光する銀貨のようだった。
心休まる桜舞スノーの聖夜…南十字の統べる星図に一際煌く恒星は…ロムボポケットウォッチ。
2006年〜2008年、光陰の跡に記された史上最強馬の記憶。
最後のシーズンでは新勢力の猛威に惜別と恋慕の憐憫。誇り高き銀色の風歌は、新たなる時代の覇者たちへ祈念を託し、競馬場を後にするのであった――。


〔口取り式でのロムボポケットウォッチと関係者一同。引退後はヴィクトリア州コンコードパークで種牡馬入りした〕


偉大なるシルヴァーファントム。
彼が奏でた心の銀線を爪弾く感動の時間――。
チラリと微光を放つ懐中時計は、安らぎの象徴であり、奇跡を唄う銀貨そのものだった―――。


奇跡の名馬 (オセアニア・環太平洋エリアの名馬) * 05:53 * - * - *

ココペリレジェンド 

【 ココペリレジェンド 】

 〜 聖なる夜の白炎 〜

―歴史的ペイントホース―



父 カラーミートラブル
母 ダブル・L・レッドボンネット
母父 ブエノバンディット

生年:2001年
性別:牡
毛色:チェスナット・オベロ・メディシン・ハット
国籍:オーストラリア
生涯成績:〆

馬術の礎である“古典馬術”のルーツは古く、その緒言はルネサンス期の欧州、バロック乗馬ホールでその大いなる胎動を始めている。その最初の権威を握ったのが1532年にイタリアはナポリに乗馬学校を創設したフェデリコ・グリソーネとされている。
さて、現世においては五輪の競技種目にも登録がなされ、高水準な演技が展開されている「馬術」。
実のところ、詳述するならば、我々が頻繁に目にするあの競技は「馬場馬術」という種目に分類され、古典馬術とは全くの別物なのである。
それでは古典馬術にはどういった競目があるのであろうか。

■古典馬術の競技内容■
†ルバード
†クールベット
†カプリオール

はてさて、何やら特殊な専門用語の様なものが列挙されたが、毛嫌い臆することなく紐解いてゆこう。
まずルバードとは馬が飛節を深く曲げて均衡をとりながら前脚を上げるというもの。これが基本姿勢と規定されており、この態勢のまま前方へと跳躍するモーションをクールベット呼称している。また一方で、上空へと跳ぶ動作をカプリオールと呼び、これらを判定員たちが見識し、評定を下すことになる訳である。

この馬術の聖書とまで称賛される著書がある。それが『エコール・ドゥ・カバルリ(馬術教本)』だ。本著の著者こそが“古典馬術の父”フランソワ・ロビション・ドゥ・ラ・ゲリニエール氏(1688〜1751年)で、現行の馬術競技へも多大なる影響を与えた偉人である。
「理論のない練習はすべて目的が無いに等しい」というのが彼の支柱を成す信念であり、馬術競技を取り巻く全ての理念を「科学」という名のディメンションへと遷移させた功績は未来永劫に輝石となる金言であり、偉業という他ない。
この馬術競技は事細かにクラス分けが成されている。性別や馬種…多様なカテゴリーの中に、『ホルタークラス』という階級がある。
このクラスで眩耀なまでの賛美を独り占めにした奇跡のショーホース……彼こそがココペリレジェンドである。

ココペリレジェンドはオーストラリアで生産されたペイントホース。この品種は正式には“ピント”と呼ばれる(別称キャリコ)。彼らは16世紀に米国へと輸出されたスペイン馬の末裔で、米国ペイントホース協会・米国ピントホース協会という2つの団体にて管轄され管理登録が履行されている。
ココペリレジェンドは、「奇跡」としか換言できない毛色と誕生の経緯をもっている。まずこの毛色、ほぼ純白にもかかわらず、彼は“栗毛”がベースでの登録を成されているのである。公式には“チェスナットオベロ”というもので、“オベロ”とは白い不定形の斑紋を示唆している。要するに、彼の毛色はその体毛の殆どがオベロで覆い尽くされており、その主軸を成すはずの栗毛がホンの微々たる部位にしか顔を覗かせていない。登録は主本の毛質で行わなければならい。それゆえに毛色の主体は“栗毛”なのである。
そして、この“白炎”が彼を浸蝕し、その馬生までも飲み込みかけていたかもしれないのである。それと言うのも、この種の天敵とも言える禍が種族へと巨影を落としていたのである。それが駁毛致死性白子馬症候群(The Overo Lethal White Syndrome)である。

★「駁毛致死性白子馬症候群」とは?
ペイントホース種の馬の生産者にとって最大の悩みの種。2頭のキャリコが交配すると、白い子馬、あるいは全身がほぼ白色の子馬が生まれてくる可能性がある。その子馬は、生後数日間のうちに死亡もしくは安楽死を施されることとなる。この病気は子馬の腸に異常を生じるため、糞が通過しないのである。この疾患についてもDNA検査が利用可能なので、生産者はどの馬がキャリコなのかを確認することができる。


  
〔競技へと赴くココペリレジェンド〕


                            


   




聖櫃の夜。南十字星の祝福のシャワーを一杯に浴びて産声を上げたココペリレジェンドは、自分自身との夢魔に打ち勝ち、白鯨を凌駕、登攀し逆に取り込んで降誕――。
ここ南半球の地へと、ついに奇跡のショーホースが降り立った。



ココペリレジェンドはホルタークラスを2歳時から席巻。
手にしたタイトルは数えるだけでも11を超え、絶対的王者として闊歩するのであった。


 


従順で純粋無垢。屈託なく溌剌とした風を巻く白いストリームライン。
寄り添うパートナーと角逐することなく、一期一会の絶妙なコンビネーションとまばゆいばかりの閃光を解き放った奇跡の白駒――。


彼こそが狹狙皚瓠宗宗宗



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奇跡の名馬 (オセアニア・環太平洋エリアの名馬) * 04:13 * - * - *

ピックニックインザパーク

【ピックニック
     インザパーク】

  〜鴎舞の21連勝〜

―田舎競馬に隠れた名馬―



父 ランチタイム
母 トドラス
母父 トドマン

生年:1979年
性別:せん馬
毛色:鹿毛
国籍:オーストラリア
生涯成績:26戦21勝

世界に残る連勝記録はかなり古い時代に記録されたものばかりである。
歴代1位が56連勝のカマレロ(プエルトリコ)で2位がかのハンガリーの女傑キンツェムが刻印した54連勝ということになっている。前述の2例は余りにも有名な記録。では英国の最多連勝記録と言うと、意外なほどに名前が挙がって来ない。英国における最多連勝記録は21連勝でメテオールという馬が達成している(この馬については『英国の名馬』の項目において展示・詳述しているので、そちらを参照されたい)。
米国はと言うと、シガー&サイテーションの16連勝が取り沙汰されることが多いが、実は盤古の昔日、リヴァイアサンという英国産の馬により築かれた23連勝というのが最多記録として残されている。
さて南半球はオーストラリアへと視線を向けると、最大の連勝記録はミスペティーという牝馬が記録した22連勝がそれだとされているが、それ以前のレコードを持っていたのが、本馬ピックニックインザパークである。本馬はあまりの気性の激しさからすぐさまに去勢手術が施され、競馬場へと送り込まれてきた。


〔ピックニックと言えばこの七色のシートとお弁当を連想してしまう方も多いのでは!?〕

 
〔麦畑の集落を背景に、疾駆した偉大なる名馬の面影が偲ばれる〕


群俗が一心に仄か期待を寄せるピックニックインザパークは、公園でハシャギ廻る幼児のように純真無垢な性格を示すようになっており、ジョッキーの制御も利くようになっていた。去勢を施すまでは遅々として進行しなかった調教も嘘のようにトントン拍子にピッチを上げてゆくと、アッサリと勝ち上がり、連勝街道をひた走った。
勝ちも勝ったり20連勝。ファンは心底この馬に心理描写を重ね、祝韻の拍手を送った。
そしてついに21連勝の記録達成が迫った競馬場には多くの観衆が詰めかけ、声援が緑の絨毯に弾みに弾んだ。レースはゆったりと流れるも最後は一気に神速で駆け上がって来たピックニックインザパークが急襲し、ゴールイン。普段まどろんでいるかのように鈍らな彼が超速でよぎってゆくその光景は、幻想蝸牛が高級車を交わし去っていくような奇異なもので、いわば一つのトワイライトゾーンを形成していた――。        





21連勝という後世へとさんざめく天威の大記録を南十字星の下刻んだピックニックインザパークは、22連勝という高嶺に挑戦したが、前走の反動か鈍重で、最後の直線を向いても伸びる気配が全くのゼロ。ジョッキーは鬼神の豪勢で鞭を連打し追いまくるが、結局反応を見せることなくゴール板を迎えてしまう。1着馬から8馬身も引き離される完敗であった。

偉大なる栄光の鐘の音を鳴らすことは潰えてしまったものの、彼が歴史の大河の裏で残した足跡の数々を、私たちが忘れてはいけない。
いつの日か新記録を狙うニューヒーローが颯爽と外套を翻し現れる、その時彼らの記憶は甦る。いつの時世でも語り聴きたい流星のコンステレーション――。



奇跡の名馬 (オセアニア・環太平洋エリアの名馬) * 12:03 * - * - *

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