バンベラ ―Bambera―



凶気狂喜
      メトリクス

―ヴェネズエラの誇る
   近代競馬最強・無双の女傑―



父 ウォーターポート
母 ベラファビアーナ
母父 ルヴォヤジュル

生年:2006年
性別:牝
毛色:鹿毛
調教国:ヴェネズエラ
生涯成績:21戦16勝[16-2-1-2]
主な勝ち鞍:ヴェネズエラ牝馬三冠{G1ラ・リンコナーダ競馬場賞(ダ1600m)・G1プレンサ・イピカ・ナシオナル賞(ダ2000m)・G1ホアキン・クレスポ将軍賞(ダ2400m)}、国際GIクラシコ・デル・カリブ(カリブ国際クラシック/ダ2,000m)、G1ベネスエラ・ボリバリアーナ共和国賞(ダ2400m)、G1イピカ・ナシオナル賞(ダ2000m)、G1ホセ・アントニオ・パエス賞(ダ1600m)、G1コンパラシオン賞(ダ1600m)、G1カラカス市賞(ダ1600m)、G2アサンブレア・ナシオナル賞(ダ1600m)、G2アンドレス・ベロ賞(ダ1600m)、G3マヌエル・フォンセカ賞(ダ1400m)、LRクルス・デル・アビラ賞(ダ1900m)

“狂”と“凶”の坩堝
ヴェネズエラは禍々しいほどの狂気が渦巻く街である。
麻薬の売買や密輸など、黒の魔手が暗躍する格好の舞台となっている。競馬界においてもそれは例に洩れず、度々名馬・名騎手、そしてファンまでもが危険な綱を渡る場面を薄氷を踏むかのように切り抜けた事例が数としれない。いや、光差す場所に挙げられた事例のみが判然としただけで、暗獏たる底無しの深淵に消沈していった事件・犠牲者が数と知れないのかもしれない。

たとえば、2009年の夏には17年連続でリーディングを獲得していたアントニオ・サノ調教師がバレンシア市内にて銃火器を武装した6人組に、約一カ月間にも渡り拉致監禁されるという凶悪事件が起きている。
馬も危険と隣り合わせだ。
2011年の秋口、最優秀3歳牝馬でGI3勝という実績を持つミスサナトナが武装集団の襲撃を危うく受けかけるという事態にまでいたった事があるのである。
この馬はラ・リンコナーダ競馬場内に厩舎を構える、ウンベルト・コレイア調教師の管理馬だった。同競馬場周辺は治安悪化が著しい状況にあり、競馬事務所が強盗に遭うという惨事が10月に入り、3度も起きているダークゾーンに属する。犯行グループの目的は結局のところ不明。騒ぎに駆け付けた警備員と激しい銃撃戦になり、1名が死亡、残る2名は逃走し、事件は未遂に終わった為だ。

こうしたすぐ隣に「死」が待ち構える暗黒街にも全く動じず、歴史的大偉業を現代競馬にて成し遂げた名馬がいる。
GI10勝。ヴェネズエラ五冠…そしてトリプルティアラ。

  

これだけでも偉業なのだが、バンベラはテレビゲームでしか出来ないようなとんでもないローテーションをこなしてしまった「闘いの女神」なのである。
その究極のローテーションとは…
牡牝クラシック六冠、全レースに出走し続けるという滅茶苦茶なもの。
20世紀に英国にて歴史的女傑セプターが挑戦したものを現代競馬でやってみようというのでる。
セプターは夢儚くもダービーでの痛恨の騎乗ミスに気泡へ喫したが、果たしてバンベラはどうか――。
彼女が砂の譜に残していった韻律(メトリクス)を追聴してみよう。


狂気のデビュー、凶気の強さ
バンベラは2008年10月5日、その眠れるポテンシャルを期待され、まだ絞れきらない465Kgという馬体をウニプロカ競馬場のゲートへとおさめてゆく。
しかし、チグハグなレースぶりで4着と敗退。ほろ苦い初演舞台となってしまった。
ところがである。2戦目はガラリ一変。まるで視界を遮る靄が瞬時にはれ、透徹としたようにスッキリと仕上げられると、ユラリクラリと大楽勝。初勝利の後、出走したのがGIカラカス市大賞(ダ1,600m)で、なんとここを1勝目以上に楽々とリードを広げる2馬身差圧勝。3戦目もGIが選択され、コンパラシオン賞(ダ1,600m)へ出陣。このレースは牡馬も出走する言わば朝日杯的位置付けにあるGIレースで、さすがにここは…という意見もある中、5馬身と3/4という大差で牡馬陣を一蹴してしまったのである。
この凄まじいまでの鬼神のオーラを瞼に収めた者たちは、皆白旗を上げた。そしてバンベラの、バンベラによる、バンベラの為のクラシック2009が開幕を告げたのであった。
第一冠目、日本で言う桜花賞、英国での1000ギニーに相当するラ・リンコナーダ競馬場賞(ダ1600m)をなんと6馬身差の大勝で祝砲を上げると、これを口火に怒涛の連闘を開始。
牡馬一冠目のホセ・アントニオ・パエス賞(ダ1600m)を4馬身半差、さらに連闘を重ね、牝馬二冠目のプレンサ・イピカ・ナシオナル賞(ダ2000m)を5・3/4馬身差完勝。無敵の快進撃はどこまでも続くのか。



ライバル陣営もクラシックレースで毎週毎週出走し、いつも大楽勝など出来る訳ない…いつか崩れるはず…と踏んでいたところにこの容赦なきまでの強さ。
「どうなってるんだあの牝馬はっ!」
歯軋りしつつ、平伏すしかない陣営の念が届いてしまったか、はたまた爛札廛拭爾亮い瓩箸任盡世Δ里…ダービーに当たる大競走クリア・ナシオナル賞。最後の最後、疲れを覗かせる形でフラついてしまい、3/4馬身差の惜敗…ダブル三冠という世界競馬史上初の大偉業は、手を擦り抜けていってしまった――。

オーナーであるホセ・グレゴリオ・カストロ氏はこの敗戦でさらに士気が高揚。
「必ず巻き返す。牝馬三冠は絶対に成し遂げさせる」と明言し、競馬場に手を振った。
その日から二週間後、たっぷりと休養し(わずか2週間なのにたっぷりと言えてしまうことが空恐ろしい馬だ)、全快したバンベラは威風堂々たる面立ちで三冠目に挑んでいった。
ホアキン・クレスポ将軍賞(ダ2400m)。勝負の長丁場。まるで胡瓜の馬のようにクールダウン、落ち着き払っていた彼女に死角はなかった。最後まで脚色は鈍らず、当たり前のことのように、常識問題を平然と即答するように、軽やかに完勝を果たした。オーナーの意向・決意を汲み取ったかのような、完璧な勝利でトリプルティアラの勲章を手にいれたのである。
返す刀で牡馬三冠最終戦ベネスエラ・ボリバリアーナ共和国賞(ダ2400m)に参じると、ダービーのお返しと言わんばかりに突き放す一方の展開となり、なんと12馬身差という超大差勝ち。まともならダブル三冠馬となっていた何よりの狆抬瓩鬟凜Д優坤┘薜譴龍デ肋譴悗塙鎔していった。


▲〔この一方的競馬を見れば、その強さは一目瞭然であろう。牡馬のトップが相手でこれである。父はサドラーズウェルズ系、母系にはシアトルスルー、アファームドといった三冠馬の血も。以外に欧州の芝なども合っていた可能性もあるのではないだろうか〕


世界の女王となる為に
この当時、世界は名牝・女傑の大豊作時代にあった。
日本ではウオッカが日本ダービー、天皇賞、安田記念、ジャパンカップを勝ち、歴史的大女傑として君臨。その最大のライバルであるダイワスカーレットは幾度となくウオッカと名勝負を繰り広げ、有馬記念を37年ぶりに牝馬としての優勝を果たした。そして歴代賞金女王にも輝き、GI6勝も上げる日本史上最強女帝ブエナビスタも降臨。米国においてはレイチェルアレクサンドラがプリークネスSを85年ぶりに牝馬として優勝、ケンタッキーオークスでは歴代最大着差となる20馬身差の超大差勝ち。そしてウッドワードSを史上初の牝馬制覇し、超絶的スーパースターの地位を確立。同時に無敗の快進撃をつづけるゼンヤッタもBCクラシックを優勝しGIのタイトルを積み上げ続けていた。一方、ヨーロッパでは爛潺┘好を超える瓩箸泙埜世錣譴織乾襯妊コヴァがBCマイル三連覇。シンガポールではジョリーズシンジュが三冠馬となり、2010年にはジャクリーンがインド四冠(1000ギニー、2000ギニー、オークス、ダービー)を達成。ジンバブエではレベッカズフリートがジンバブエ三冠を成し遂げている。また南半球のニュージーランドにおいては、史上初となる1000ギニー、2000ギニーダブル制覇をやってのけるケイティーリーという葦毛の怪牝も姿を現している。


▲〔ジャックリーン〕


▲〔史上初のニュージーランドダブルギニー制覇の偉業を成し遂げたケイティーリー〕



なんと女の強い時代なのだろう。この後にもレーヴディソール、ジェンティルドンナ、ブラックキャヴィア、イグーグー、インザスポットライトなどがつづいてゆく潮流を見るに、もはや牝馬は牡馬より弱いという定義を、完全に壊してしまった方がいいのかもしれない…それ程に近年の牝馬たちは強靭でタフで、そして逞しい。
もちろん、こうした女傑たちの系譜に、バンベラは入る姫君と断言していい。
ヴェネズエラの伝説の女王トリニカロールや、メキシコのキャスティー、ジャマイカのシンプリィーマジックといった中南米が育んできたかつての才女lたちの面影も垣間見えるスーパーヒロイン。バンベラは世界へと旅立つべき存在であると、陣営は信念を胸に育ててきた。目指すは米国――。
レイチェルやゼンヤッタと走らせてみたい…オーナーは夢絵を脳裏に描き、次戦へと調整を進めた。


▲〔世界賞金王に輝いた日が「国民の休日」にまで制定された歴史的大女帝トリニカロル〕



▲〔西インド諸島最強牝馬にしてジャマイカ史上最強女帝シンプリィーマジック〕


時同じくして、メキシコにおいても同国史上最強牝馬とまで称賛される存在が出現していた。
彼女の名はヴィヴィアンレコード
とにかくそのパフォーマンスは破壊的かつ圧倒的で、三冠第1戦のルビ賞を26馬身差二冠目のエスメラルダ賞を22馬身差、そして最終戦のディアマンテ賞を31馬身差で制したのである。
三冠合計着差、なんと79馬身。
メキシコの女セクレタリアトといっても過言ではあるまい。
その後も牝馬限定のG1を2つ圧勝し、クラシコ・デル・カリブへと出走を表明していた。

 
▲〔ヴィヴィアンレコード。生涯成績13戦9勝。メキシコ史上最強の天才少女だ。(クリックすると、三冠達成時の歴史的レースがご覧頂けます)


米国へ旅立つための、最後の闘い――…
ハードルは一気に高くなった。今度は古馬の一線級相手。しかも中米・カリブ海地区の代表馬たちがズラリと勢ぞろいする最強馬決定戦での古馬初挑戦。
しかも、メキシコからは自身に同じく犹望綺廼瓩隼消欧気譴兄梓馬が乗り込んでくる――。
それでも陣営は自信を全身から漲らせるバンベラを見て、勝利を疑わなかった。

「この馬なら必ず勝てる」

レースは各地区の最強古馬、3歳牡馬、ダービー馬らを蚊帳の外に、完全と2頭のうら若き3歳牝馬同士の一騎撃ちとなった。おそらく、2頭ともこれが初となる死力を尽くしての全力疾走。
しかし――
一方的となった。
バンベラの4馬身差圧勝。


▲〔カリブ国際クラシック。ヴェネズエラ史上最強VSメキシコ史上最強。歴史的名勝負を目撃せよ。〕

史上最強牝馬対決を制し、バンベラは米国行きの切符を敢然と勝ち取ったのである。


閉ざされた扉
バンベラの移籍が発表された。米国のパブロ・アンドレード厩舎へと鞍替えが決定。移籍所詮はガルフストリームパーク競馬場のランパートS(ダ1,800m)に決定された。
ヴェネズエラにて文句なし、不動の年度代表馬に選出され、拍手喝采の祝福を餞別に空を飛んだバンベラ。
期待が膨らむ中の米国デビュー戦、ヴェネズエラでの競走馬デビューの日に同じく、この日も洗礼のような結果が待ち受けていた。
なんと、8頭立て中8着という惨敗を喫してしまっていたのである。
その原因は明白。レース中に骨折していた為だった。


▲〔バンベラの骨折箇所のレントゲン写真〕

「まともなら負けない」

オーナー・カストロ氏は不屈の精神でバンベラをバックアップ。
怪我を回復させれば必ず勝てると、心底から信じ、彼女に初となる長期休養を与え、捲土重来を米土へと宣誓するのであった。
全快しつつある状況の中、バンベラは芝でのレースを試されることに。
しかし、これが余計だった。おそらくこの2戦と骨折がバンベラを蝕んでしまったと判断していいと思う。結果は2戦とも惨敗。犹望綺廼女傑バンベラ瓩了僂蓮△發Δ匹海砲盍兇玄茲譴覆った。

エルチャーマやカノネロといった名馬で世界の扉を抉じ開け、史上最強馬マイオウンビジネスで凱旋門賞すら狙った遠き日の栄光。
この馬ならば、きっと米国でもゼンヤッタと互角に競馬しておかしくないほどの、それほどの名馬だった。神からの授かり物である天女を、その才能がこのような形で凋落の一途を辿って行ってしまったことが、何よりも悲しく切ない。
またも閉ざされてしまった扉。今度はいつその重き重厚なる鉄扉に手をかける者が現れるのだろうか…

Bambera(バンベラ)はフラメンコのリズムの一種で、「ソレア」という派に属し、12拍子のメトリクス(韻律)で構成されている。かつては ”コルンピオ・デル・バンボレオ(ブランコの揺れ)” リズムのように歌われてたという。つまり合唱の各コプラは規則正しく、対になるグループに応えるように歌われていたのである。これらのタイプの歌では“Lover(愛人)”は“男”に対する不満や嫉妬、侮蔑のニュアンスで表現豊かに即興し、対し男たちは女性に対して慇懃で温かい、そして苦さや気高さ、息苦しいほどの熱情を表現する。
きっと牡馬三冠を制圧されてしまった同期の牡馬たちも、そんな心情でバンベラを見つめていたのかもしれないと想像すると、ちょっと可笑しくも微笑ましいものがある。
いつの日か、世界へとつづく韻律で、踊れる名馬が現れんことを―――!

     
遙か彼方、視線の先に見えるシアンの空に祈念を捧げた。夕刻前の微風は心なしか暖かかった。

   

奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 05:40 * comments(0) * - *

トリニカロル ―Trinicarol―

 【トリニカロル

 〜ヴェネズエラ奇跡

世界最高賞金獲得…
  国民の休日すら
     設けられた
 歴史的スーパーヒロイン




父 ヴェルヴェットキャップ
母 オルメラ
母父 ファレルノ

生年:1978年
性別:牝
毛色:鹿毛
国籍: ヴェネズエラ
生涯成績:24戦18勝[18-3-1-2]
主な勝鞍:シモンボリーヴァル大賞(現シモンボリーヴァル国際大賞)、共和国大統領賞、ヴェネズエラゴールドC、ヴェネズエラ変則三冠[クリアナシオナル賞(ヴェネズエラダービー)、ラリンコナーダ競馬場大賞(ヴェネズエラ1000ギニー)、ヨハンキン・クレスポ将軍大賞(ヴェネズエラ牝馬三冠目)]、ペリオディスタス・ヒピコス賞、軍事賞、ラ・リンコナーダ競馬場開設記念、ほか

『奇跡の名馬』に収録予定だったが、惜しくも選からもれてしまった伝説の名馬(しかし、とある馬の話の中で微細ではありますが取り上げております)。爛凜Д優坤┘蕕寮犬鵑栖饑廰瓠悒肇螢縫ロル号』の目くるめく千紫万紅ストーリー。紅と紺碧の海図に鏤められし珊角の想漣を、いまここで綴り、汝のココロウナバラへ…爪弾くこととしよう。


南米における競馬の歴史録は、記憶もかすれるほど万古の古い時代から、その現状を伝え重ねてきている。それはまるで、ブリキのロボットが入り込んだ玩具箱のような趣を呈すほど古く、その揺濫がうねりを上げた、競馬涵養エリアはアルゼンチン、ブラジル、チリ、ペルーなどの国と地域が挙げられる。これらの国々はすべてパート1の評価を受けている上に、国際競走も充実しており、欧米に引けをとらないものを含有している。その他の南米国家はパート2、3に属するわけだが、忘れてはならない、奇跡の名競走馬を送り出した国がある。その国こそヴェネズエラである。

ヴェネズエラは1830年に独立。石油の発見により経済は活性化し、中南米の中では、飛び抜けて裕福な国家と言えるかもしれない。この国は北半球に属し、気候は熱帯性気候となっている。しかし、首都カラカスは標高960mという高原地帯にあるため、一年を通じ摂氏20度前後という快適な都市となっている。その人口は、有に約400万近くにまで上る程の大都市で、現代的な景観が広がっている。
この大都会の喧騒を避けるかのように、ラ・リンコナダ競馬場がそびえ立っている。左回りで一周1,600mのダートコースを擁し、開催は日本と同じ土曜・日曜開催となっている。

ここで少々、ヴェネズエラの競馬史について触れておきたい。
ヴェネズエラにおける英国式競馬の発祥は1882年。時が経ち、1935年にようやくジョッキークラブが設立。その翌年、血統書第一巻が刊行され、1958年前出のジョッキークラブがヴェネズエラ競馬場組合へと改組された。

そして1983年―…。ヴェネズエラのみならず、世界競馬史に残る偉大なる記録が、ここヴェネズエラで誕生する。牝馬によるGI10勝。さらには収得賞金の世界記録を新たに樹立。ヴェネズエラで生まれ、ヴェネズエラで育った一頭の牝馬がその歴史的バベルの塔を完成させ、見事も巨大なる天花のレコードを更新してみせたのである。

  
▲トリニカロルを描いた絵画

彼女の名はトリニカロル。1979年の2月18日、ヴェネズエラの牧場で呱々の声を上げ、大自然を背景に幼少を過ごした。競走馬としてのトレーニングも、すべてヴェネズエラ国内で施された。まるでヴェネズエラから天与の恵みを授けられ、愛育されたかのような馬だった。
トリニカロルが記録したのは184万ドル。それまでの世界記録は英国の名花ダリアの153万5443ドル。ダリアはKジョージ2連覇を含む、高賞金レースのGIを11勝もした名牝である。その記録を、国内でのみ走り、大幅に記録を塗り替えてしまったこの馬の偉大さは計り知れないものがある。賞金の高い日本、北米、UAE、そしてヨーロッパ諸国以外の第三国から、賞金王・女王に輝く馬が出現するのは奇跡にも等しい。

トリニカロールはまず2歳GIのシウダッド・デ・カラカス(ダ1,600m)にて凱歌を上げると、3歳時はクラシック路線を驀進。3月28日のダート1,600m戦をステップに、ラ・リンコナーダ競馬場大賞(ダ1,600m)を圧勝。クラシック牝馬一冠目を颯爽と走破すると、ヨハンキン・クレスポ将軍大賞、古馬も交えたヴェネズエラ金杯(ダ2,400m)、そして国内最大のレース・シモンボリーヴァル大賞典(3歳上、ダ2400m)と、突撃ラッパを吹き鳴らすがごとく、怒涛の連勝・楽勝劇を展開。そして最大の目標でもあった牝馬としてのダービー優勝を夢に見て、11月21日のクリアナシオナル(ヴェネズエラダービー、ダ2,400m)へ出陣。まるで約束を果たすかのように、一歩一歩を着実に踏みしめ、ゴールラインを過ぎてゆくトリニカロル。勝利の聖歌を吟唱し、誇らしげに口取り式を行う彼女は、近寄りがたいほどの恍惚の光炎を放ち、その艶姿は光の羽衣で肢体を包む天女のようだった。
こうして一度きりしかないクラシックという名の青いページへ“変則三冠”という歴史的栞(しおり)を挟み、国民一人一人の心のフィルムへと、自らの写像を焼印し、彼女は伝説となった。
しかし、これで終わった訳ではない。このシーズンのラストはラ・リンコナーダ競馬場開設記念。ここでも目覚しいほどの“滑る脚”で踏破。翌年へとつづく夕空のオレンジグラデェーションに、未来の飛行計画をすでに彼女は描いていた。

  
▲勝利の美酒を噛み締めるトリニカロルと陣営

伝説が神話へと昇華する1983年。まずジョン・ボルトン賞(ダ1,800m)で口火を切ると、ホセ・マリア・ヴェルガス賞(ダ2,000m)を圧勝。その約二週間後の3月27日、ペリオディスタス・ヒピコス賞(ダ2,400m)を軽くグイッと一飲みにしてしまうと、G兇猟控離戦アンドレ・ベロ賞(ダ2,800m)で驚愕的モーションで大きく引き離しての大勝を収めると、国内最終戦と位置づけられるフェルザス・アルマダス賞(ダ3,200m)へ歩を向け始めた。

そう、トリニカロルにとって、もはや国内で走ることは意味を持たないに等しいものだった。全戦楽勝圧勝。国民は世界に通用するこの宝駒を、祝讃のシャワーの中、送り出すことを決めたのだった。
彼女は歴史的女王であると同時に、世界賞金女王にまで上り詰めた国民万民のヒロインとでも褒賞褒美するほどの歴史的女傑の地位を築き上げていた。そのあまりに凄まじい彼女の人気ぶりを印象付ける指針となるのが、「1982年・7月5日」の国民の休日。これはトリニカロルの動向に起源を発すものであり、渡米前の壮行レースが行われた7月5日、その日が国民の休日に制定されてしまったのである。競馬を見るためにと、レース当日が休日になるのはオーストラリアのメルボルンCが有名だが、たった一頭のために国民の休日が設けられた話など、世界競馬史における全史を振り返ってみても、前例を見ない異常事態である。

その日――…老若男女、少年から少女までもが円らな瞳を輝かせ、拍手喝采でトリニカロル最後の馬場入りを見送った。トリニカロルは悠々と周回を重ね、集まった民衆一人一人に別れを語り囁くかのように、慄然としかし激情に任せるかのように、捲り上げ躍動すると、あとはいつものように魔法の絨毯に乗った魔法使いの美少女のままだった。人々のココロの片隅へ希望の灯火を点け、ウイニングポストへ吸い込まれてゆくトリニカロルの後ろ姿に、集結した国民たちは、大いなる輿望と、されど何処か侘しい凋落の陽光とを垣間見た。



万雷の祝円を滑走路に、米国へと渡ったトリニカロルだったが、米国の風も土も、そして人までも、彼女には冷徹で、偉大なるヒロインは歴史の中、転げ落ち時間の潮流の中、沈み埋もれていった。


澄み切った青空…トロピカルフロートの似合う、カリブ海を臨む海岸線…太陽のキスを頂く白い雲…。故国ヴェネズエラが生んだ「奇跡」…それは凍てつく美冬の候、星降る夜気の静寂(しじま)が空をつつむ中、そっと降り立った一頭のヒロインによりもたらされた永遠のタカラモノ…。

  

奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 03:10 * - * trackbacks(0) *

ダレ ―Dare―   

  【   】

二つ星ものがたり

ヴェネズエラへと
    旅立った
   ペルー三冠馬



父 ダトゥル
母 レスレクタ
母父 スクラッチ

生年:1959年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:ペルー共和国
生涯成績:42戦19勝[19-5-4-14]
主な勝鞍:ペルー三冠(ポラ・デ・ポトリジョス、リカルド・オルティス・デ・ゼバージョス、ナシオナル大賞〔ペルーダービー〕)、シモンボリーヴァル大賞ほか

偉大なる威光を放ち続ける才人というものは、印象的な二文字の名前を持っているような気がしてならない。
ペレ、武(豊)、モネ、(モハメド)アリ、(ジャイアント)馬場、王(貞治)…その中で異色の経歴を持つのがダレである。それって誰?なんて洒落てる訳ではなく、ほとんどの方がご存じないはず。

シャルル・ダレ。
彼は歴史の片隅へと追いやられた小さな木箱に眠る偉人である。
ダレはフランスの司祭であり、宣教師。フランスに生まれ育った彼は1852年にパリの神学校を卒業し、一念発起、アジア各地を転々と訪問したのであった。その後、1872年に第5代ダブリュイ司教が着手していた『朝鮮教会史』の編述に取り掛かり、1874年には同史の出版を終えたことを切っ掛けに、アジアへと今一度帆を向けることを決意した。時同じく朝鮮開国が成され、これに先立ち入国。さらには何と言うことか、朝鮮に定住することを心に決めたのである。開国とは言え、ほぼ鎖国状態の厳戒態勢が敷かれたこの国に移住した唯一の欧州人であり、またこの歴史的背景により、彼の綴った資料・文献は歴史的価値の高いものとなった。

古の白人朝鮮潜住記から80年近くの時間が過ぎた南米はペルーの地…同名の偉大な競走馬が誕生をみていた。歴史的名競走馬ダレの生誕であった。
ダレが産声を上げたのはシン・ルイド・スタッド。しなやかで幅のある馬体は幼年時代の頃からだったようで、一歩一歩着実に馴致を施され、蜜月ともなるデビューの年を迎えるに至る。
1961年サンフェリペ競馬場の芝1,000mにて初戦を向かえ、大楽勝で最高のスタートを切ると、2戦目でマヌエル・キメール賞を快勝。しかし、4戦目のコテホ・デ・プロダクトス(芝1,400m戦)では出遅れを喫し、初の敗戦。クラシック目前で手痛い敗戦レースとなってしまった。とは言え、素質は断然と陣営は自信満々で、子供が鼓笛を響かせるように何の迷いも不安もなくダレをポラデ・ポトリジョス(ペルー2000ギニー・芝1,600m)へ送り込み、朝飯前に勝利を掻っ攫わせた。
完全に勢いを味方につけたダレは、ペルー二冠へと挑んでいった。リカルド・オルティス・デ・ゼバージョス(芝,2000m)を圧勝。そして迎えたる三冠目、ペルーダービー(芝2,500m)も他馬に突け入る隙を一切与えない不動明王の如き万全磐石の大快勝。このシーズンは9戦8勝とし、翌年のさらなる飛翔を夢路に描いていた…そんな矢先、ヴェネズエラへの移籍が協議がされ、遙かなる峰を幾つも越えた先の異国へと旅立っていった。

 
▲ヴェネズエラで凱歌を上げたダレの口取り

所有権の諸事情から異邦人となったダレ。ペルー三冠馬の誇りを胸に、ヴェネズエラでさらなる快進撃を開始。ヴェネズエラデビューは1962年の6月8日。2馬身1/2の着差で鮮烈な挨拶代わりを終えると、5馬身や6馬身差の圧勝を繰り返し、ヴェネズエラ最高峰のシモンボリーヴァル大賞(芝2,400m)すらも2着フェルムブラスに4馬身3/4で破壊的圧勝劇を披露。
さらに翌シーズン、さらにはその先も最強古馬の勲章をバッジとして胸を張り、同国を統制。2国間の王者として輝きを放ち続けた。
ヴェネズエラにおいては33戦11勝という戦績。勇退したダレの行く先は…故国ペルー。種馬としての第二の馬生を母国で送る至福を手中に収めたダレ。かつての“ダレ”が成し遂げた歴史的暗躍とは似て非なる勇往邁進の歩み。1967〜1971年まではアルゼンチンでも供用され、ペルーから南米全土へと躍進躍動を遂げた偉大な名馬に、いつの間にかダレは昇華していた。

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ふたりのダレ。
似ているようでどこかアンビバレンシーな二者のコントラスト。
ちなみにスペイン語で“ダレ”とは「与える」と言う意味なのだという。
いま巨大なる二つ星は、偉業を遺光へと変え、歴史をほのかに照らす微光を、夜空からそっと天与してくれている。

奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 05:33 * - * - *

イェルバアマルガ    ―Yerba amarga―

イェルバアマルガ

れるろの颶光女帝

ウルグアイ競馬
      歴史的名牝



(写真提供:大岡賢一郎氏)

父 エクスモール
母 メリー
母父 フィランモン

生年:1894年
性別:牝
毛色:鹿毛
国籍:ウルグアイ
生涯成績:34戦13勝
主な勝ち鞍:宇オノール大賞、亜オノール大賞、クリアドレス賞、ブエノスアイレス賞、ディアナ賞

19世紀末の南米はウルグアイに君臨した伝説の女帝。圧倒的威光と後光を解き放ち、他馬を圧制し、跼天蹟地の最果てまで突き放した烈光の瞑王妃。その神話的強さを白琴を爪弾くように、甘目かしく語り紡ぐこととしよう。

世界には驚愕驚嘆、震天動地の怪記録を燦然と歴譜のキャンパスへと刻み込んできた女傑が各国のホースマン、ファンらと邂逅を果たしている。
その内、現在では考えられないような超長距離を駆け、記録的大勝をつづけた女王たちに照明を当ててみたい。



 碧桜玉名妃たち
  
エレノア
史上初めてダービーを勝った牝馬で、英オークスの覇者でもある。ゴールドC(芝4,000m)を3回、キングズプレート(芝6,400m)を2回も勝った究極無比の女王。

アリエル
19世紀の米国で競走していたというこちらもまた神話級の女傑。
6,400m級のダート戦を28戦も使い、内18戦で圧勝。57戦42勝というとてつもない戦績を残している。

リール
米国競馬創世期における伝説の白駒。8戦7勝でダートの長距離戦で大楽勝の連続だった。

ビーズウイング
19世紀英国競馬最強の女王。長距離戦で破格の強さを発揮し、64戦51勝。アスコットゴールドCは2勝した。


…この他でも米国ではフィレンツェ、ファッション、インプ。南米においてはミスグリージョモウチェッテ…欧州では当然ながらキンツェムヴィラーゴセプタープリティポリー、近年の牝馬で言うなれば南半球のマカイビーディーヴァ(メルボルンC3連覇)などの名前が浮沈してくる。
これらの牝馬たちに共通しているのが、

_看倭蠎蝓当時の最強クラスを相手に完勝を果たしている。

3,000m以上の長距離戦で圧倒的かつ神懸かった神威的強さを見せている。

…という2点で、この両項はイェルバアマルガにも当てはまる。
この2点を満たす牝馬は完全に突然変異の神の領域へと踏み込んだ名馬と評していい。

そもそも、全生物は♂と♀とで、完全に体のつくりが違っている。♀は限られた優秀な子孫を後世へと残すための本能が備わっており、♂にはより多くの種を未来に残し、それらを繁栄へと導くための潜在本能が備わっている。それゆえ、♂♀の体力面の機能には大きな差異が生じてくるのである。

                             
〔男女の身体面での特徴は中学から高校時代に顕著に現れ始める〕

中学校から体育の授業が男女別となるのは、思春期を迎え、体力の差異が大きくなる時期であるためで、能力の高低という見地から分析するならば、人間の男女をモデルに考えれば容易に想像できることなのだが、女性アスリートが男性アスリートの能力を凌駕することはほぼありえない。それはオリンピックの競技の記録やタイムを比較対象して頂ければ、一目瞭然かと思う。これは馬も同じで、牡馬混合のGIで牝馬が勝つことは非常に稀な例なのである。それも距離が延びれば延びるほどその可能性は少なくなってゆく。有馬記念や春の天皇賞での牝馬の成績を見れば、明白な事実が頭をもたげてくる。

そうした長距離戦を勝ち抜く上で、絶対必要要因に挙げられるファクターは当然だが「スタミナ」ということになる訳であるが、この「スタミナ」とは一般的に競走で言うなれば“持久力”という事になろう。この持久力の優劣はどれだけ多くの酸素を摂取できるかで決まってくる。競走馬の酸素摂取量は毎秒190mlだという。人間の成人男性のそれが40mlとされていることからも、いかに馬の心肺機能が優れているかがうかがえてくる。

概して、運動は無酸素運動と有酸素運動とに大別できる。例えば、人間の百メートル走は無酸素運動であり、マラソンなどは代表的な有酸素運動と言える。サラブレッドも人間と同様で40秒〜50秒は無酸素運動で駆けることが出来るという。
ちなみに1,600mでは無酸素エネルギーがおよそ30%、有酸素エネルギーが70%になる。距離が延びるにつれ、有酸素エネルギーの比率は高まり、天皇賞(春)やメルボルンCに代表される3,200mの2マイル戦では、無酸素が10%、有酸素が90%にも昇る。それゆえにより高い心臓や肺の酸素運搬機能が希求されるという訳である。
上述したような名牝たちはおそらく、巨大な心臓の持ち主であるか、余程呼吸・肺機能の傑出した反則的体力を有していたに違いない。




きっと彼女も…――

そうウルグアイ古都の女帝も常軌を逸した尋常ではない竣威極まるポテンシャルを放散していたに違いない――
南米競馬の権威・大岡賢一郎氏から授かったイェルバアマルガの写真を見れば一目瞭然。
胴がスラリと長く、ステイヤーの特徴を見せている。また、前肢と後躯もガッチリと筋肉の鎧が付いていることも覗え、相当な加速を可能としていたことだろう。彼女の馬体を見つめれば、最強のステイヤーたる資質を、馬体の細緻に認めることができるのだ。


イェルバアマルガは窈窕なオーラを常に外套のごとく身に纏い、南米を疾駆した。
ウルグアイ競馬の父ホセ・ペドロ・ラミレス博士をオーナーに、ウルグアイでディアナ賞等を鯨飲。あっさり2歳戦で王者になると、クラシックも超大本命馬として駒を進めた。その座は不動のはずであったが、脚部不安を発症し、休養を余儀なくされてしまう。
その神々さえも打ち砕き、震撼させるポテンシャルを出す機会もなく時間は流れ、ようやく復帰するや、この解放の時を待っていたかのように一機の連勝街道烈進。そして宇オノール大賞(ダ3,500m)を天から放たれる槍の如く突き抜け、ウルグアイ最強古馬の地位へと翔け上がっていったのであった。

ところがである。ウルグアイは経済の悪化に歯止めが掛からず、その災禍は競馬へとも暗い影を落とした。経営難を苦に、次々と競馬場が閉場へと追い込まれ、イェルバアマルガが走る競馬場は消失の一途を辿った。
残された手はただ一つ…ラプラタ川対岸に位置するアルゼンチンに乗り込み…そして勝つ!

ラミレス博士は大英断を下した。そう、イェルバアマルガをアルゼンチンへと送り込んだのである。ウルグアイ最強の女帝として――。
女帝はパレルモ競馬場へと来臨。参戦するレースは国内最古の牝馬重賞・クリアドレス大賞(ダ2,500m)と決まった。その強さ、伝説のごとし。威烈なる波動を迸らせ独走。
この馬の凄いところは、ダートの長距離戦で牡馬を一蹴しただけでなく、圧倒的な実力で他国馬を震撼させていたアルゼンチン馬たちを、再三再四に渡り、しかもアウェーの状況下で楽勝・圧勝を繰り広げたという点なのである。


歴史的快挙は、天空の戒めを解き放つように――。

完全アウェーの中、亜版ゴールドCであるオノール大賞(ダ3,500m)を大勝。なんということか、両国二国間に渡るオノール大賞優勝という歴史的大偉業をアッサリと、しかも牝馬がやってのけてしまったのだから、ウルグアイの競馬関係者とファンは歓喜と祝福のシャワーパーティーに溶け暮れたのも感懐できる。







闇よりも暗き時代――。
夜よりも深き黄昏――。
永久を過ぎ行き、往き交う風が、彼女の名を今も囁いている―――


             


烈光の揺りかごに眠る夕幽艶なる女神の唄を―――…・・・。



  
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奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 05:25 * - * - *

ヤタスト ―Yatasto―

 【 ヤ タ ス ト

  〜 絶影冥王

南米大陸史上最強
   南半球究極の神駒



(写真:Podotroclear.com)

父 セリムハッサン
母 ユッカ
母父 コングリーヴ

生年:1948年
性別:牡
毛色:黒鹿毛
国籍:アルゼンチン
生涯成績:24戦22勝[21-0-1-1]
主な勝ち鞍:アルゼンチン四冠{ポーラデポトリジョス・ジョッキークラブ大賞・ナシオナル大賞・カルロスペリグリーニ国際大賞典}、カルロスペリグリーニ国際大賞典、オノール大賞、ムニシパル大賞、サンイシドロ大賞ほか

戦後のアルゼンチン競馬に出現したスーパーグレートホース。その力・その理力・そして速力から内在する潜在能力まで…何もかもが異次元世界のものであった。絶対的神威を闘輝として全身から放光し、無敵の競走馬として躍動。その破壊神を想起連想さする轟烈なるモーションに見た者誰しもが震撼と戦慄に身震いする以外の挙動を瞬時に禁じられ、混沌の海麟に身を委ねるしかなかった。

アルゼンチン史上最強馬はフォルリというのが日本に流布している定説だが、彼、ヤタストは「何のヤタストこそアルゼンチンはもちろん、南米大陸史上最強馬だ」…と間違いなく豪語できる程の名馬である。私がフォルリよりヤタストを上位と考えるのは、距離適性からである。確かに、フォルリのスピードは史上屈指のものがある。しかし、フォルリはスタミナ面に欠落を抱えていた。その点、ヤタストは距離万能。距離が延びれば延びる程、その真価を発揮する馬だった。おおよそのところ、1,000から1,800までならフォルリ、それ以上の距離ならばヤタストに軍配が上がるだろうと考えられる。
…とまあ考察を呈して見たのだが、いや…間違いなくヤタストは、アルゼンチンはおろか、南米大陸に屹立する史上最強馬であると確信しているし、南半球全土を見渡して見ても、ファーラップカーバインメルアメインブレースといったオーストラリアやニュージーランドが生んだ英雄たちから、南アフリカ史上最強のシーコテージ、東アフリカを支配したケニア史上最強馬ジェラバブ、インド競馬史上最強馬イルーシヴピムパーネル、環太平洋エリアの怪物クシピアース、そしてフィリピン競馬の伝説・フェアアンドスクウェア…といった史上最強級の伝説の名馬たちをも圧倒してしまうことだろう。ホームであるアルゼンチンにディープインパクトが乗り込んだとしても、この馬はディープの犇飛ぶ走り瓩療慶覆鬚睇じ、返り討ちにしてしまう可能性が高い。
古代中国に自らの影が追いつけないほど速く走る狎箟騰瓩箸いμ焦呂いたらしいが、ヤタストはまさにそれ。それほどのとんでもない無限にして夢幻大のポテンシャルを抱擁していた神駒だったのである。



真・伝説の究極馬ヤタスト。それでは、その偉大なる蹄跡を、少しずつ廻航してゆくこととしよう。
デビューから颯爽と駆け抜け、赤子の手を捻るより簡単楽々と、亜三冠であるポージャデポトリージョス(ダ1,600m)、ジョッキークラブ大賞典(ダ2,000m)、ナシオナル大賞典(ダ2,500m,アルゼンチンダービー)を無敗で達成。返す刀でカルロスペレグリーニ国際大賞典(ダ3,000m、現在は芝2400m)も圧勝し、なんと不敗のまま四冠馬となってしまった。この年、当然ではあるが、ヤタストは年度代表馬に選出されている。
こう短絡的に書いて見ると、無敗の四冠馬な訳であるから相当強いことは簡単に窺い知れる。しかし、この馬のとんでもない能力は詳細かつ丹念に書けば書くほど浮き彫りになってくる。
まずデビューしたのが1951年の3月4日で芝の1,000mで3馬身差の楽勝。ほぼ馬なりだったことは言うまでもない。その2週後のオレンジ賞(ダ1,000m)で楽々と10馬身差の大差勝ち。このあとは快進撃で三冠を鯨飲してゆく訳であるが、その全てが本気で追われることのない、大楽勝。2馬身半差が最小着差で、それ以外は全戦3馬身〜6馬身の圧勝。

シーズンが替わっても、ヤタストの怪躍進に歯止めがかかることはない爐呂梱瓩任△辰拭
ところが、ヤタストは漫然たる脚部不安を抱えており、間近に控えたブラジル遠征に陣営は躊躇していた。結局、星を戴きながら国境を越え、乗り込んだはブラジル・サンパウロ。異国の地へもアルゼンチン不敗の四冠馬の名声は轟き渡っており、ブラジルのジョッキークラブはこの名馬を売りにサンパウロ大賞(芝3,000m)のアピールを大々的に敢行していた。
しかし、レース直前、ヤタストを取り巻く事情は一変する。脚部不安が頭を擡げ、レースどころではなくなってしまったのである。陣営は当然ながら回避を表明したのだが、ジョッキークラブ側はこれを易々とは承諾しなかった。ここで今年最大の目玉に帰られてしまっては、ファンの落胆の大きさは計り知れず、売り上げにも甚大な凋落を与えることは明白。ヤタストなくしてのサンパウロ大賞など、レースの意義が無いも同じ…と扇情的かつ熱心に訴えたが、ついにはブエノスアイレスから獣医が駆けつけ、協議は大揉め。混線鼎談した喧々諤々たる議論の末、結局陣営側が折れることとなり、しぶしぶ出走。脚部不安のまま、全能力の半分も発揮できない最悪の状態で出走。ジョッキーも追うに追えず、苦渋と悔恨の残る敗戦(4着。この状態で4着とは…)を喫してしまう。これがヤタスト初の敗戦であるが、まともに走ったらどれだけ強いのか、それは誰の目から見ても明らかだった。その証拠に勝ち馬の馬主が、「私の馬はヤタストに絶対に勝てない…ヤタストが四本の脚ではなく、三本の脚で走り、三本の脚で敗戦してしまったことは、明白だ」と述懐しているのである。
ちなみに、余談だが、サンパウロ大賞の調教後に左前の脚を負傷してしまっていたらしい。その調教の時のタイムが空前絶後のもので、シダージ・ジャルジン競馬場の1,200mのレコードで颯爽と走ってしまった。その場に居合わせ、その光景を目撃してしまったブラジルの競馬関係者は絶対的敗戦を覚悟していたのだという。しかし、その絶望的殲滅の事態は、ヤタストの故障により救われることとなった…。

失意の帰国後、ヤタストはじっくりと身を休め全快。さらに禍々しいオーラを迸らせ、7月20日の復帰戦・チャカブコ賞(ダ3,000m)を15馬身差の大差勝ちで派手に飾ると、続くジェネラル・ピュレドン賞(芝4,000m)では馬身差換算不可能・後続が霞むほどの超・超絶大差大勝(成績表では「道路一本分の長さ」とあり、凄まじい着差であったことが偲ばれる)。

     
[まさに超絶の一語。「道路一本分の長さ」の意味が分かる気がする]

南米のアスコット・ゴールドCと呼ばれるオノール大賞典(ダ3,500m、現在は2,500m)では、初となる苦戦。プレテクストという馬を相手に、執拗に絡まれ、先頭を直線明け渡してしまう。しかし、そこは無敗の四冠馬。最後の最後、100mで差し返し、2馬身突き放して事無きを得た。
ところがである。この年の連覇を狙ったカルロスペレグリーニ国際大賞典でレース中に脚部不安を発症し、レースどころではなくなってしまう。しかし、ヤタストは信じ難い強靭なる精神力で耐え抜き、3着入線。負ける要素など、微塵もないハズだった…それゆえ調教師をはじめとした陣営への非難・讒謗は極限的ものとなった。ヤタストをここまで手懸けてきた名伯楽は、それまで拍手喝采と栄光の道を往くヒーローの地位を堅守してきたものの、急転直下、ヒールへと転落し、取り巻く境遇は180度世界を変えた。浴びせられる暴言・峻烈極まる侮蔑と苦言…最後は解雇通知が投石のごとく放擲され、失脚を命ぜられてしまった。彼は、今でもこの敗戦を悔やみ続けているという。


 
〔種牡馬時代の勇姿〕

 【ヤタスト神話1953
  
そして神話となる1953年シーズンが幕を開ける。
まずこの年はウルグアイへと足を伸ばし…

第一戦
ムニシパル大賞(ダ3,000m)
ウルグアイへと遠征。なんと10馬身差の大差勝ち(ちなみにこのレース、現在で言う国際GI級)。ほぼ馬なり。

第ニ戦
オトノ賞(芝2,000m)
ほぼ馬なりで、相手を覗いつつ1馬身キッチリ先着。

第三戦
ジェネラル・ベルグラノ賞(芝2,200m)
全くの馬なり、キャンターで流しながら、手綱も微動だにしないまま大圧勝。

第四戦
サン・イシドロ大賞(芝3,000m)
GI格レースを大差勝ち(馬身換算不可能)。

第五戦
L.カサレス・ヴィンセンテ賞(ダ2,500m)
馬なりで大差勝ち(20馬身差)

第六戦
チャカブコ賞(ダ3,000m)
大楽勝で本気で追われることなく大差勝ち(馬身差換算不可能)。
しかも、3:04.0瓩箸いΕ▲襯璽鵐船鵐譽魁璽鼻

しかも驚くべきことに、この時ヤタストは62Kもの斤量を背負っていたというのである。この前年、ウルグアイ四冠馬のビザンシオが3:04.0というレコードを出しているためタイ記録ということになるが…にわかには信じがたい話である。
(ちなみに世界記録は翌1954年アウレコ号がホセペドロラミレス大賞の計時することになる“3:03.0”。なんとセイウンスカイが菊花賞でマークする1998年時の芝3,000m世界レコードをも凌駕しているという凄まじさ)


第七戦
パレルモ賞(ダ1,600m)
1:34.0瓩箸いΩ什澆療豕ダート1,600mのレコードをも遥かに凌駕する驚異の時計で3馬身差圧勝。

第八戦
オノール大賞(芝3,500m)
名馬シデラルを相手に、馬なりで10馬身差の大差勝ち。



この直後、生涯四度目の大きな脚部不安を発症し、引退に追い込まれてしまう…しかし、何と言う強さなのだろう…。
――…・・・もはや何も言うまい。
戦後もまもない時代、日本からちょうど地球の裏側に当たる国で、これほどの馬が走っていようとは、誰も想像できなかったことだろう。

  

黄昏が来て闇がすべてを飲み込もうとも、胸の奥瞬き続ける星干たちが俤を映し出す――…

馬生をまっとうした漆黒の名馬は、経済難に陥るアルゼンチンの未来を象徴するが如く、影をパンパへと潜め、冥王星のような深々たる光を南米競馬史へ照射し続けるのであった―――…・・・。

奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 00:16 * - * trackbacks(0) *

デューセ ―Dulce―       

  【 デューセ

 〜甘美なるの語り

ブラジル史上初
  牝馬による三冠制覇




父ロイヤルフォレスト
母デュティー
母父エンブロジョ

生年:1954年
性別:牝
毛色:栗毛
国籍:ブラジル
生涯成績:25戦13勝

世界には牝馬ながらダービーを勝ったという脅威の女神が散在している。それらの殆どはダービーのみならず、多種多様な範疇のGIレースへと侵進し、牡馬たちを震撼させ、果てには殲蝕するという途方もないポテンシャルを垣間見せている。
こうした鬼姫たちの中にはさらにとんでもない想像を絶する破壊のツバサをもつ者がおり、競馬史という広大無辺の宇宙を中枢に、己に宿る絶神絶夢の巨力を矜持している。
例えばそれは英国オークス・英国ダービー、競馬の母国に燦光を放つ、権威の象徴ともたる二大レースを制し、当時の長距離のビッグレースを鯨飲しまくったエレノアだとか、北欧六冠(デンマーク1000ギニー、オークス、ダービー、セントレジャー&スウェーデンオークス・ダービー)という威光の篝火を燈すことに成功したロスアードだとか…スペイン三冠馬トカラ、トルコ四冠馬ミニモ…ニュージーランドへと降誕した歴史的女傑デザートゴールド…54戦全勝の奇跡の名妃キンツェム、そしてウルグアイの民たちと咫尺を果たした神話級の女傑イェルバアマルガなどがそういった冥王妃と称揚できるのではなかろうか。
日本馬を例にとるならば、最たる例が前者ならばウオッカ、後述の神駒ならばクリフジといったようになろう。


[偉大なる冥妃たちを記憶の中回想し、邂逅の時に耽るのも悪くない]

第二次世界大戦という夢魔から解放されて10年近い時間が過ぎた頃…日本の裏側であるブラジルに、巨神戦車とも評したくなるような、禍々しく牝馬とは思えない、しかしどこか優美妖艶なる馬が産声を高らかに上げた――。アルゼンチン三冠馬の系譜を継唱するこの仔馬は、シーブラスタッドに生を授かった。光の羽衣で肢体を包むかのような、淡い微光を放つ馬体は綺麗な栗色で、甘美なるデザートを前にした少女のように、欣喜雀躍と跳ね回っていた。


                                      

デューセという名も与えられ、1957年の5月5日に勇躍デビューを果たすも初戦は惜敗。しかし、折り返しの1戦で天翔るように楽々と1着の果実を捥ぎ取ると、いきなりの重賞級レース挑戦で快勝。これはとんでもない大物だと吹聴され、評判は忽ち鰻上りに。これが災いを呼んでしまったか、4戦目は精彩を欠き7着と全く見るところのない大惨敗に、喧々諤々たる議論にファンが沸いたことは持ち出すまでもない通過儀礼のようなものとして、巷を喧騒させた。
「やはり、ただの思い違いよ!」
「いや、絶対に彼女は歴史的名馬だね!」
終わりを見ない不毛の丁々発止はあっさりと終焉時刻を告げた。
なんと、このまま臨んだクラシコ第一弾のバラオデピラシカバ大賞典(ブラジル1000ギニー、ブラジル版・桜花賞:芝1,609m)をただ一頭だけ別次元の轟烈なモーションで大楽勝。さらに、連闘でイピランガ大賞典(ブラジル2000ギニー、ブラジル版・皐月賞:芝1609m)へ猛進すると、あまりに大胆に動いた為か、最後の最後で2着と惜敗。しかし、これで頭を項垂れるデューセではない。一息ついて臨んだディアナ賞(ブラジルオークス:芝2,000m)では、ほぼ馬なりの大楽勝で、見るものが抱腹絶倒する始末。そうしてやはり連闘でダービー・パウリスタ(ブラジルダービー:芝2,400m)の舞台へと王姫は駆け上がってきた。
どうやらデューセは距離万能の幅の利く競走能力を抱擁していたようで、今までになく大海を悠々と泳ぐ巨大なメカジキのように、躍動した――。
しかし、もう一歩という刹那、ゴール版を先に明け渡してしまい、最大の目標を逃してしまうのだった。

  

敗戦を知っているのか、大粒の涙を浮かべ遠くを見つめ動こうとしないデューセ。
悲哀に暮れる塑像と化した一角獣は、夕陽の暇乞いに新たなる誓いを立てているようであった――…。
ところがである。まだダービータイトル獲得のチャンスはあった。ブラジルには3つのダービーが存在するのである。一つがデューセが涙を呑んだパウリスタ。もう一つが南十字星大賞典というリオのダービー。そして残る一つが、今は無き幽遠の王位爛澄璽咫次Ε汽襦Ε▲瓮螢ーノ瓠捗螳癲汎酳謄澄璽咫次匹それである。
デューセは新たなる旅の終着点を南米ダービーと位置づけ、再躍進を開始。
手始めとばかりに、ジョセグアテモジンノグエイラ大賞典(ブラジル版ヴェルメイユ賞、ブラジル版秋華賞:芝2,400m)を大勝。つづくコンサグラカオ大賞典(ブラジルセントレジャー、ブラジル版菊花賞:芝3,000m)を轟脚一閃で撫で切り、1戦を挟んで、ついにダービーデーを迎えた。

                           
[凱歌を上げ、祝福と賞讃の待遇を受けるデューセ]

デビューから丁度一年のこの日、デューセは約束を果たすかのようにダービー馬としての祝韻を浴び、女帝として覇を唱える戴冠式を挙行した――。
そう、デューセは圧倒的かつ絶望的な能力の差異を、他者へ散見させ、宿願の頂点へと君臨したのである。成し遂げた異端の三冠制覇の詩音。それは心地良いまでに、競馬場へと詰め掛けたファンたちが祝賛の声として旋律を奏でていた。
南米に流れた甘美なる時間――ドルチェ・ハルモニア。それは偉大なる女帝と彼女を崇愛する者たちのあまりにも邯鄲たる琴瑟総和のひとときだった―――。
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奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 05:58 * - * - *

フロルデロート    ―Flor de loto―  

 【フロルデロート

 〜 永遠に咲く天花

 ―南米大陸史上
      最多勝馬




父フォートデューク
母トロイカ
母父ロイヤルパーム

生年:1968年
性別:牝
毛色:栗毛
国籍:ペルー
生涯成績:72戦54勝[54-13-2-3]
(写真提供:大岡賢一郎氏)

54瓩箸い数字を耳にすると、私が連想し胸中へと浮沈するのは2つの概念である。
まず一つが、爐△稜廊瓠その馬とは、ハンガリーで生まれ宝愛され、やがては世界へとその夢幻のポテンシャルを放散さすることで、故国を競馬史における華洛へと称揚さするに至った54戦不敗の女傑。そう、書肆と殷賑の中、未来永劫に風謡し、競馬史を踊躍し続けるであろう究極神話級の名馬…キンツェム。彼女については今さらここで言及するにおよぶまい。
もう一方が猗重山のミンサー織り瓩任△襦2縄の八重山諸島で、その昔女性が意中の男性へと贈った愛証とも言える帯に紡がれた5つと4つの刺繍のことで、その意味は5(いつ)の4(よ)までも一緒に…瓩箸い切実かつ純白無垢なる想いが込められている。

  
[▲ミンサー織りの模様。沖縄の馬文化や名馬についての細緻を述懐するさいに、私の考察ルートからこの民俗文化が心離れず、これに衒った論述をすることにしている]

そしてここに、もう一つ…54瓩箸いΕ泪献奪ナンバーが紐解く理念を記憶の断片へと加えたい…
南米大陸における史上最多勝記録…それが54勝なのである。
この金字塔を打ち立てたのは一頭の金色の牝馬。彼女の名を爛侫蹈襯妊蹇璽鉢瓩箸い辰拭
馬名の意味は「蓮の花」。蓮という花はインドやスリランカで国花となっている他、宗教上においても重要な秘儀を持つ象徴として存在する。
例えば、ヒンドゥー教では女神崇拝の最高位を“蓮女”といい、また仏教においてもそれは“極楽浄土”の象徴とされており、一蓮托生という言葉もここから派生したものだという。泥から気高く咲き誇り、水滴を弾くその凛然たる様が、俗世の欲にまみれることなく清廉に生きる姿に重ねるためと推察される。

  
    [蓮の花]

フロルデロートも榮徹とした心の持ち主だったようだ。無邪気で人懐っこい彼女を生産したのが
ハラ・サン・マーティン氏。母と牧夫たちの愛心を一つ一つ受け止めるように、耀映を漸放しつつ成長を促されてゆくと、立派な一人前の競走馬としてデビューしていった。


             
  [レースに勝利しファンに応えるフロルデロート]

デビュー戦は1971年の3月21日ダート1,000m戦で、アッサリと57秒1で突破するも、折り返しの1戦で6着と謎の大敗。しかし、すぐさま軌道修正し、連勝を重ねた。
フロルデロートは最大11連勝を記録。俊敏・鋭敏なるままの瞬発性能と爆発的加速精度を武器に、短距離で無敵を誇った。1,000m〜1,300mでは羊角(旋風のこと)のように疾駆し、観る者の心を遥憾し、感激の坩堝へと誘うものであった。
しかし、1,400以上となると、空模様は怪しくなるらしく、1,600mなどは1度たりとも走ることがなかったのである。どうやら、生粋のスプリンターであったようである。
そうして旅路の果てに紡績した記録は…「72戦して54勝、内ステークス勝ちが52勝」という、壮観なるまま、南米競馬史へと屹立する歴史的産物となった。そう、54勝という記録は、南米競馬史上最多勝利のそれとなるのである。また国際競走も3勝しており、下級戦をずっと走っていたような馬でないことも付言しておく。超絶夢次元のスーパースプリンターとは、彼女のことである。

彼女は南米競馬における偉大な巨馬となり、いまだその勝利数を上回る超越者との邂逅を待ち続けている。はたまた、この怪記録を上回る…いや並びかけることができる馬は、果たしてこの先、現れるのだろうか。
ラテンの民たちに“南米競馬の女王”と崇愛されし、蓮の花。
フロルデロート。
彼女が咲かせた大輪は未来永劫のその果ての世界まで燦々と光輝を放ち続けるのだろう。
54勝瓠弔修Α⊃千年の時空を超えても発芽することができる奇跡の花のように、爛侫蹈襯妊蹇璽鉢瓩瞠若なるままに、現代(いま)も咲き誇る――…・・・。

                          
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奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 05:49 * - * - *

ラセクスタ      ―La Sexta―

  ラセクスタ

 〜ムーンスノー邂逅

 ― 南米伝説の白駒

  

父 ロワダタウト
母 ラキンタ
母父 フィリバステロ

生年:1957年
性別:牝
毛色:芦毛
国籍:チリ

彼方はご存知だろうか。遙かなる昔日、南米の奥地で伝説を紡績した幻神幻話の白い女王の物語を。偉大なる王妃が放散した残光に咫尺し、彼女の神話をここに刻み込みたい。

1957年、世界が第二次大戦という負の遺産の悪夢から立ち直り、未来への発展を胸に躍進邁進していた時代。南米はチリに、アルゼンチン三冠馬リコの気高き血脈を継承する繁殖牝馬がいた。彼女の名はラキンタ(スペイン語爍記瓩魄嫐する)が産み落とした牝馬は、突然変異種のような歪な牝馬だった。ゴツゴツとした威容な馬体とは対照的に、錦繍が施されたかのごとく、繊細な煌きを放つ銀貨のような葦毛が威光を燐光として解き放っている。またそれがどこと無く不気味でもあり、神々しいオーラのようにも見聞されているのだが。
母ラキンタからの連想で爛薀札スタ(“6”)瓩箸量震召なされたプラチナムギンガムの妖女は、類稀なる身体能力を垣間見せはじめた。やがて異界の者ともしれない俊敏性を普段から周囲が感知。「これは!」という大きな期待感を周囲へと抱懐させ、競走馬としての階段を一段一段、踏みしめていった。

デビューすると、この珍奇なグレイモンスターが、超絶能力を発揮。全身から烈光を放射するほどに威圧的雰囲気を身に纏い、絶走。圧倒的なまでのパフォーマンスで、他馬を地の果てまで引き離す。まさに破壊の女神。クラシックはこの馬が銀翼に包み込みかのように、すべて鯨飲してしまうことだろう…誰もがそれを確信した。



[途方も無いまでのスピードと潜在能力。別世界…異次元空間から放たれたような馬だったようだ]


殷賑で吹聴される噂の強さそのままに、ラセクスタは圧勝楽勝の連続。天涯無比の壮烈な強さとスピードで歴史的凱歌を放吟し続けた。
南米最古1873年のクラシック競走で、西半球でもベルモントS(1867年創始)に次ぐ歴史をもつ、エルエンサイオ(芝2,400m)は万古の埃がかった文献では「チリダービー」とも記されているほどの威厳ある格式高いビッグレース。ラセクスタはこのレース、屈強な牡馬のエースたちを完全迎撃し、大楽勝。高らかに謳い上げられるウィン・バイ・キャンター。計時されたタイムが天地鳴動の超破格のレコードタイム、2:26.0瓠E時の馬場やタイムを考慮するとかなりの価値がある時計。この年の日本ダービーのタイムが超特急二冠馬コダマの2:30.2(ちなみにこのタイムは当時のダービーレコード。日本ダービーが史上初の30秒台超えを記録したのが1972年ロングエースの2:28.6。26秒台突入が1982年バンブーアトラスの2:26.5。25秒台突入が1990年アイネスフウジンの2:25.3)。それを鑑みれば、日本と南米の違いはあれど、いかにラセクスタのタイムが驚異的かが実感できよう。そうそう…この時ラセクスタは最後馬なりで抑えられていたことも追記しておかねばなるまい…。


しかし、ラセクスタは芝だけの怪物ではなかった。なんということか、ダートにおいても手のつけようの無い、身震いするほどの怪速をまざまざと見せ付けた。イポドローモチリ大賞典(ダ2,000m、現在2,200mでチリ最高の賞金が褒賞される国内最大のレース)を古馬を睥睨し、大勝。
ここもスーパーレコードで、2:02.01瓠この当時のイポドローモ・チリ競馬場の砂は大井と似ており、現在の大井競馬場2,000mレコードがアジュディミツオーの2:02.1であることからも、いかに規格外の時計かが窺い知れよう。

  
[ラセクスタはエルダービー(芝2,400m)も3馬身差で圧勝。
まさにキラキラと煌く宝玉のような眩しいまでの大活躍で、チリの一世を風靡した]



無人の荒野を直走り、無敵の女王となったラセクスタ。もはや闘うその理由すら見出すことも出来なくなった彼女へ青天の霹靂が走る――。
米国から繁殖牝馬として買い取りたいというオファーが届いたのだ。かなり異例なことで、その取引額も常識を逸脱した10万ドル。この気が動転するような巨額に陣営・生産牧場は欣喜雀躍し、盲目となって話を進めた。ラセクスタの可能性と輝かしい未来を信じたとも考えられるが、これが彼女を歴史から葬り去る不幸のきっかけになろうとは、当時誰しもが微塵も思わなかった。
母となった彼女は、現役時の彷彿とさせる目映い閃光を放つことはできず、カナダの小ステークスを勝つ馬を出すのみに止まってしまう。米国の風土が彼女に合わなかったのかもしれないし、配された種牡馬との相性が良くなかった可能性もある。しかし、故国チリで母となっていれば、最悪血を残すことは出来ていたかもしれない。

                                       


 

いまや、南米を震撼させた伝説の白駒を語る者、その存在を知る者はもはやほんの一握り。
寄せては返す漣にさらわれ、消えて行く泡沫のように、忘却の彼方へ銀白の神話がいま消えようとしている…――。

                          

月から降りつぐ雪音の調べ…一期一会、玉響の廻逢。
ムーンスノー邂逅の切なさ…純粋無垢なるままのビー玉のように透き通った涙が、頬をツーっと伝っていった―――

奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 23:30 * - * - *

ナァールヴィク    ―Narvik―

  【ナァールヴィク】

  〜3:03.5瓠

―ブラジル伝説の神速馬―

 

父 アントニム
母 キチェ
母父 デンビグ

生年:1954年
性別:牡
毛色:鹿毛
国籍:ブラジル
生涯成績:41戦18勝[18-10-4-9]

千思万考を再三再四に渡って繰り返し、いくら潜思に耽っても、物理的に信じ難い「タイム」というものが、競馬には存在する。なぜあの時代のあの馬場で、あれほどのタイムを記録できたのか…。
例えば、芝1マイルの世界記録。1:30.8・・・記録された年代は不明。名前の無いせん馬が英国で計時したのだという。また芝3,600mでは1927年に同じく英国で記録された3:37.3(日本レコードは3:41.6)。一番有名なところで挙げるなら、クロフネがダート2,100mで記録した2:05.9やあのセクレタリアトが全米三冠を達成した際にマークした2:24.0という超絶ミラクルスーパーレコードが、まさにそういった最たる例にあげられよう。

  
〔ダート2,400mの2分24秒フラットという記録は、いまだに25秒台に突入した馬すらいないという空前絶後の大記録なのである〕

さて、1959年ブラジルで、驚天動地の脅威のレコードが叩き出された。
芝3,000m…
3:03.5瓠
どう分析・解析を試みても、今から四半世紀…50年も前に計時できるタイムではないのである。この時計は1998年にセイウンスカイが破るまで残ることになるスーパーレコードだった。
しかもこのタイム、ほぼ馬なりのまま楽々と刻印されたものなのだという。

 
スペシャルウィークを完封し、当時の世界記録3:03.2で菊花賞を逃げ切ったセイウンスカイ〕

レコードホルダーのその名は…ナァールヴィク。
ブラジルの歴史的スーパーホース。
主な勝ち鞍を挙げればキリがなく、クルゼイロドスル大賞(南十字星大賞典、リオダービー、芝2,400m)、共和国国際大賞典(芝1,600m)、リネアジパウラマチャド大賞典(芝2,000m)、
オスワルドアラーナ大賞典(芝2,400m)…ありとあらゆる眼前のビッグレースを一気に飲み干してゆくナァールヴィク。そうして1959年のガヴェア競馬場で歴史的怪記録が生まれる。ブラジル大賞(芝3,000m)。良馬場ではあるが、決して現在のような超高速馬場ではなく、そうやすやすと世界震撼の世界記録が飛び出すような下地がなかったことは付け加えておく。

 
〔老若男女、誰しもが心の掛け金を外される様な衝撃を受けた。そしてナァールヴィクは現代競馬においてもブラジル史上最強馬の1頭として語り継がれている。「ブラジル競馬が見た最高の1頭」とも讃嘆されたこともあったほどだ〕


このレース、グングンと加速してゆき、コーナーを周回するごとにギアを1段階あげてゆくナァールヴィク。果てには大きな差を広げ、悠々とゴールイン。短距離から3,200mまでこなしてしまう規格外のモンスターが紡績した3:03.5瓠主催者側が計測したタイムは、誰もが目を剥き出しに慌てふためき、躊躇しつつ発表された。

     
〔オーナーのララ夫人に祝福を受けるナァールヴィク。能力を全開させた際には、途方も無いほどの破壊的スピードを垣間見せた同馬。血統表を眺め見ると、チョーサーの4×5、ガリニュールの5×5、パーシモンの5×5という多重クロスが見受けられる。母系にはサンイロー、ハリーオンといった重厚なステイヤーの血が滔々と流れ、さらにその潮流の源泉には、ニュージーランドの英雄カービンの名前も見えてくる〕


世界には、まだまだ我々の知らない未知の最強馬たちが、悠然と浮遊しているのかもしれない。いまださんざめく、歴史的遺産…3:03.5。そう、彼の放った残光はいまだ巨陽のように燦燦と輝き続けているのである。
心の片隅で揺れる古の記憶。それは未来へと彼を召喚せし奇跡の篝火―――。


           

奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 07:01 * - * - *

ボァオサ ― Joiosa ―

   【ボァオサ】

 〜偉大なる巨神王妃〜

―二つのダービーを
     飲み込んだ女―



父 ロムニー
母 プリンセス
母父 ソコッロ

生年:1950年
性別:牝
毛色:黒鹿毛
国籍:ブラジル
生涯成績:17戦10勝[10-3-2-2]

「女の喜びは男のプライドを傷つけることである」

これはアイルランドの劇作家バーナード・ショウが残した名言であるが、新世紀の日本へと降誕した女王ウオッカとダイワスカーレットにピッタリな格言な気がする。ウオッカとダイワスカーレットは再三再四に渡り、牡馬を軽々と跳ね返し、高慢なまでに屈服させてきた。世界にもこうした豪烈な男勝りの歴史的名牝が散在していることは此処で上げるまでもなく、古くはキンツェム、セプター、ショットオーヴァーに始まり、ダーリア、トリプティク、サンライン…牡馬顔負けの偉大なる名妃たちの吟奏するノクターンには永遠を打つ休音符もピリオドも顔を見せず、その行く末の未来をそっと傍観し続ける我々人類の思惑と驚嘆とが狂想曲となり紡がれてゆくのみである。

  
〔バーナード・ショウ(1856年〜1950年)1856年ダブリンで下級貴族の穀物商人の子として生まれる。貧困のため小学校を卒業後は独学し、20歳でロンドンに出て演劇や音楽などの評論に携わった後、1892年『やもめの家』で劇作家としてデビュー。辛辣な風刺と機知に富んだ表現で劇作家として活躍し、イギリス近代劇の創始者と称された。1925年ノーベル文学賞受賞。
労働党の元となったフェビアン協会に属する社会主義者としても知られる。
代表作は他に『ピグマリオン』『メトセラへ還れ』など〕


さて、南米大陸にも大いなる威光を解き放ち続ける女傑は数多く存在し、今も宵闇の夜空をスクリーンに、その巨影を南米競馬史へと映し続けている。
ラミッション、ドラマ、ペンシルヴァニア、シエラバルカルセ、ヴェロナ、イェルバアマルガ、モウチェッテ…皆三冠の偉業を成し遂げるか、海外の大レースで凱歌を上げた南米史上最強クラスの牝馬たちだが、彼女たちをもってしても登攀することのできなかった聖域…それは“ダービー・ダブル+トリプルクラウン”である。もちろん、牝馬がダービーを勝つこと自体が、非常に稀有であり、奇跡的大業である訳だが、2つ以上のダービーを勝ち、なおかつ三冠の歴史的快挙を成し遂げた南米牝馬は、本馬ボァオサしかいない。


〔その破格の強さは伝説となり語り継がれている〕


ボァオサはバーナード・ショウがこの世を旅立つ1950年に、錦糸玉条の血統をもって生まれてきた。父ロムニーは英国からの輸入馬で、スウィンフォード…ブランドフォード…ブレニム…マームードと続くタフで重厚な血が十二単のごとく重ねられている。また父系を支える父母の系統にはレディジョセフィン、ムムタツマハルといった伝説の快速血統が組み込まれており、スピードの加速補填においても余念が無い。また母系もこれまた秀逸なもので、ゲインズボロー、リコの英亜両国の三冠馬が頭を擡げてきている言わば南米と欧州の結晶のようなバックボーンをもって、競馬場へと来臨するのであった。
ボァオサはギラギラとした眼光をチラつかせ周囲を威圧。まるでそのレースで一番能力の高い相手を見抜いていたかのように、執拗に圧迫・圧搾し捻り潰すと、戦意を失墜した抜け殻の相手を引き摺り回すようにゴール板を通過していくという冷徹なレースを繰り返し、ビッグレースを次々にもぎ取っていった。

 
〔1着でゴールインするボァオサ。超大差をつけて能力の差異を見せ付けるのではなく、キッチリと僅かの差で相手を滅却し、叩き潰すような勝ち方が多かった〕

ダービーパウリスタ(ブラジルダービー、芝2,400m)、エンリケポッソロ大賞典(リオ1000ギニー、芝1,600m)、南十字星大賞典(リオ・ダービー、芝2,400m)、ブラジレイロ大賞典(リオ・セントレジャー、芝2,000m)、ディアナ賞(リオ・オークス、芝2,000m)、マルシアノジアグイアルモレイラ大賞典(芝2,400m※牝馬限定戦)…GI級競走を颯爽と槍のような突風となり劈いていくボァオサ。“ダービーダブル”に加え、リオ牝馬三冠&リオ変則三冠も達成。敵無しとなったボァオサであったが、最大の大一番ブラジル国際大賞典(芝2,400m)で2着と苦虫を噛み潰すような惜敗を喫してしまい、ついに猛進撃に終始符が打たれてしまう。

史上に残る南半球ただ1頭の大偉業。
ブルーに輝くシリウスのスターストリームの中さんざめく南十字星が、一際輝いて見える深い宇宙(そら)に…
「きっとまた逢える…」
再訪を祈り、星の揺りかごの中、星潮に抱かれながら、静かにそっと眠りにつくことにしよう…。


 

奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 13:11 * - * - *

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