コリスバール―Chorisbar―狄拭Υ饑廚量焦廊



コリスバール



 奇跡名馬

324戦197勝
   世界競馬史上
     最多勝保持馬



父 マイレヴェリー
母 カンポアレグロ
母父 キャプテンアルコック

生年:1935年
性別:
毛色:鹿毛?
調教国:クレブラ島(プエルト・リコ)
生涯成績:324戦197勝
[197-86-31-6-1-3]
主な勝鞍:ルイスムニョスリベラメモリアル、197勝の世界最多勝利ギネスほか

私はこれまで、『奇跡の名馬』というタイトルを掲げ、世界中のありとあらゆる馬を紹介してきた。その中でも今回紹介するコリスバールは特別中の特別な馬である。何しろ、賞金額が低い競馬後進国の離島に生まれながらも懸命に走り続け、どんな名馬も辿り着くことのできない永遠の金字塔を打ち立てたのだから…。
  
▲〔心が透き通るような島の海。今にも漣が奏でる潮騒が聞こえてきそうだ〕

 
▲〔子供たちの描いた絵。島民と海に見守られながら偉大な記録は誕生した〕


▲〔伝説の名馬を追って。ポーズを取る(?)Y子女史〕



▲〔圧倒的レースぶりで神威的競走能力を全開させ続けた。しかしこの成績、とても雌馬とは思えない…〕


西インド諸島のイスパニオラ島東方に浮かぶ小さな島、プエルト・リコ。コリスバールは1935年、その領に属するクレブラ島に生まれた。プエルトリコは全体に低い丘陵性の山地からなる。島ではサトウキビ、コーヒー、タバコの生産が盛んだが、セメント、製紙、肥料などの工業もある。


▲〔コリスバールの獲得総賞金は$44,341,83。主戦を務めたのはアンゲルT.コルデロ騎手〕

  
▲〔近海ではこれ程の巨大なカジキが獲れることも〕

コリスバールはこの地で調教を受け、競走馬としてデビューした。
彼女が生活の拠点とし、営みを送ったクレブラ島は、プエルトリコの東に浮かぶ面積約31km²の小さな島である。
世界でも5本の指に入るフラミンゴビーチ。この海の波音を、眺望を、コリスバールも見聴きしていたのだろうか。


▲〔フラミンゴビーチ〕

凄まじいのがやはりこの戦績。1937年にデビューし、1947年までの10年間も競走生活を続けて紡ぎあげたのが、『324』というレース数。そして積上げた『197』という勝ち星。これがいかにすごい事かは、幾つか類例を呈示すれば明らかとなる。


 ◆100戦以上レースを消化した
        世界の主な競走馬たち

  

ガルゴジュニア
⇒159戦137勝

マジェスティックベンチャー
⇒217戦8勝

フィッシャーマン
⇒120戦70勝

エクスターミネーター
⇒100戦50勝

▲[エクスターミネーター]

メリック
⇒205戦61勝

ハートランドヒリュ
⇒127戦4勝

ウズシオタロー
⇒250戦15勝

スタイミー
⇒131戦35勝

レッドラム
⇒110戦27勝



▲[ウズシオタローの出走記録を塗り替えたヒカルサザンクロス号]
地方競馬出走回数上位馬一覧
※ ばんえいを除く
(2014年10月1日現在)

セニョールベスト  409戦
ミヤマリージェント 329戦
タマノジョケツ   308戦
ダイナブロス    300戦
アイエスリリー   281戦
カイヨウヒート   280戦
マヤフェアリー   278戦
ハッピーコマチ   268戦
キクノガイア    268戦
メイショウハヤテ  267戦
ベルモントボンバー 267戦
ヒカルサザンクロス 266戦
ヒートアップ    263戦

 
「現存する、確認可能な資料・文献を読み解くと、日本競馬史上最多出走記録は…参考記録ですが春木競馬のコガネマル。この馬の残した476戦だと伝えられています!でも出走数に比例するように勝利は上げられず…上述した地方馬たちもそうですよね。コリスバールって一体…。でも…すごいお馬さんたちですよねぇ…」


…以上に上げた馬たちも凄まじい成績である。100戦以上消化できる時点で、身体の頑強性と桁外れな健康に恵まれた、本当に「無事是名馬」な偉大な馬たちである。しかし、レース数と比例した勝利数を上げることは、その出走数が多ければ多いほど、奇跡にも近くなる。世界中を探しても300戦以上も無事に出走できた上に、160勝以上の勝利数を上げることができたのはこのコリスバールただ一頭だけなのである。つまり、コリスバールは世界競馬史上に類例を見ないほどの稀有な300戦以上の出走経験記録を持つと同時に、世界競馬史上最多勝利記録を、今もなお保持し続ける馬なのである。

しかもこの馬、本当に信じられないことなのだが、牝馬なのである
 
あのキンツェムをも超絶する史上最強の頑強性と精神的強靭性を兼備した歴史的女傑とも言える。

キンツェムも短距離から超長距離まで不問の適性を示していたが、このコリスバールもプエル・ト・リコで施行されている全ての距離において勝ち鞍を、それも殆ど毎回トップハンデを背負いながら掲げ続けていた。130ポンド(約59kg)の酷量を載せ快勝したことも3度あったという。第二次大戦前に生まれた、しかも小柄な牝馬に課せられる斤量としては破格のものであった。


▲〔わざわざプエルトリコまでさまざまな資料集めに行ってくれたY子女史は調査を終えるまで牡馬と思い込んでいたらしく、牝馬だと知ったとき、唖然呆然としてしまったらしいです〕


 


コリスバール蹄跡】


それでは、その生涯成績の足跡を仔細に見ていこう。
まずデビューイヤーの1937年は11戦6勝。3歳時は16戦して12勝2着4回のパーフェクト連対。
4歳時が14戦13勝3着1回とこれまたパーフェクトに近い成績。
5歳時から出走数を一気に増やし44戦も消化。6歳時にはついに覚醒期を迎えたようで、51戦37勝2着14回…つまり生涯2度目となる年間パーフェクト連対を達成したのである。
7歳時は生涯最多となる年間出走数53走。
8歳で20戦、9歳で13戦…ついに3着以下の着順も目立ちはじめ、ついに盈虧(えいき。衰えること)の時を迎えたかに見えたが、10歳になって再度の30戦越えの39戦!そして11歳で35戦し、2年連続の23勝。そしてラストイヤー、12歳時は28戦16勝という成績をターフへ刻み、競馬場を去っていった。
以下に彼女の10年間に渡る成績表を簡易ながらご紹介させて頂こう。


 コリスバール生涯成績


▲〔引退レース後に祝福されるコリスバール〕

☆1937年11戦6勝

☆1938年16戦12勝
※パーフェクト連対!

☆1939年14戦13勝

☆1940年44戦28勝

☆1941年51戦37勝
※パーフェクト連対!


▲〔1941年のとあるレースでのゴール前〕

☆1942年53戦28勝


☆1943年20戦7勝

☆1944年13戦4勝

☆1945年39戦23勝

☆1946年35戦23勝

1947年28戦16勝


【ここに注目!】
 
197勝は当然ながら世界記録。ギネスブックにも掲載される。

1937年〜1942年の5年間は4着以下一度もなし。

上述記録を戦績に置き換えるとさらに凄みが加わる。
なんと…5年間で189戦して4着以下一度もなかったのである。


生涯324走し、内321戦が5着内入線。

10歳・11歳で23勝。これもまた世界記録。



「見れば見るほど、記録だらけの馬ですね〜」

まさに「奇跡の名馬」コリスバール。小さな島に降誕した盲亀浮木の名馬は、晨夕、懸命に調教をこなし、ひた向きに生きた。





                    
〔調教時の貴重な写真〕


カリブの夜空に散らばる星たちから、煌めく純粋無垢な瞳を天与され、小さな小さな競馬場を駆け回って圧倒的な力を見せつけた。
島民たちは、この名馬との邂逅をどのような心持ちで受けとめたのだろうか。


                     
〔南国の美女。彼女の記憶にコリスバールの名は…〕

幸せを呼び込むという桃色海豚。
コリスバールはイルカのようなしなやかなモーションと、俊敏な機動力とを兼ね備えていた。
そんな彼女の姿に重ねてしまう1頭が、川崎競馬のドルフィン号である。


▲〔ドルフィン。川崎競馬所属の牝馬で、サウスヴィグラスの産駒。ピンクのブリンカーとその走りはコリスバールを想起させる〕


美空私とうみねこさんが、ドルフィンに心魅かれてしまうのは、きっとコリスバールに知らず知らずの内に重ねてしまっているところもあると思うんです。さくらんぼ色の淡いメンコの色×ドルフィン=ピンクイルカっていうところも魅力的な所のひとつではあるんですが…写真のコリスバールとドルフィン…どことなく瓜二つと思えませんか?
    

キラキラとまばゆいまでに輝きを放つ白い砂浜と青い海のコントラスト…小さな島の競馬場から“奇跡”と言う名の『虹の橋』を世界へ架けたコリスバール。
しかし、残念ながらコリスバールの起こした『奇跡』を知る者は少ない。

…さざめく波の音が奏でられるビーチに微風が吹く頃、
オレンジとピンク色の空が島を包んでいた。


遙か遠く残音残していく鴎たちの声。
海鳥たちはマーマレードエーテルの空へ消えていく――…
     
     

斜陽の中、そっと瞼を閉じてみる…



瞑想し夕凪の空に想いを重ねる――…

数十年前の珊瑚の島へ、心と記憶の時間旅行…
するとそこには、待ちかねたように頬摺り寄せてくる一頭の馬が。


天運のポテンシャルを宿した『一角鯨』…       



  
▲〔たくさんの島民から愛され、蜜語をかけられた愛おしき競走馬。花束・贈り物を持ってくるファンも絶えなかったという〕

     


コリスバールが織り成した「324」の物語と「197」の“奇跡”。

 

        

  

 

        

  

               

         


      


夕凪の中、漣が奏でるメロディが心の琴線を爪弾き、
彼女の記憶と記録は語り継がれていく――…・・・

▲〔ほぼ毎週のように走っていたコリスバールは、島民たちにとってもきっと何気ない日常の“しあわせ”な1ページのような存在だったのではなかろうか…〕


犹笋凌瓦虜埜紊了戮┐任△襦∨殘学校時代のN.Sさん。
彼女との出逢いと同じ位、奇跡的犧桃邂逅瓩凌監阿髻▲灰螢好弌璽襪砲牢兇犬討い襦宗宗…私が咫尺することの叶った最高の名馬だと、それが彼女コリスバールだと、ずっとずっと信じている。
                        

プエルト・リコ島の夢の名馬コリスバール。
いつかどこかで回り逢いたい――…

“奇跡”をカタチにした存在。
愛おしき
彼女こそが―――…・・・

   

奇跡の名馬



   
  
 

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奇跡の名馬 (中米・カリブ海の名馬) * 01:11 * - * - *

コンダード ―Condado― °・。爽碧なる翼音の貝殻。°。・.●古の珊瑚礁にたゆたいし十二海神騎●。・.


 【

Dear my Friend,
 碧い眼の黄金巨神


 プエルトリコ
   
伝説の幻王神駒
 

父 ガドスティック
母 プルププ
母父 アリュメェル

生年:1934年
性別:牡
毛色:栗毛
調教国:米領プエル・ト・リコ島

主な勝鞍:クラシコ・プエルトリコ、コパ・ナヴィダット(2回)、クラシコ・ホセ・E・ベネディクト、コパ・ゴベルナドル、クラシコほか

プエルトリコには偉大な名馬たちが数多く闊歩していたことは、当サイトや『奇跡の名馬』をご愛読頂いている方にとっては既知のことであるが、今回もまたプエルトリコの名馬を紹介したい。
今回はあえて生涯成績を伏せている。それはこの後、本文をじっくりと吟味し、その驚愕の真実を瞼へと収めて頂きたいが為である。
コンダードの戦績発表の前に、ありとあらゆる書肆、書庫、書牘(しょとく)、書篋(しょきょう)、文献を照査・尋繹することで巡逢叶った絶界烈空、空前絶後の狂震的成績を残した名駿たちを列挙しておこう。

世界に散在する、信じ難き神駒たちの蹄跡を…ここに綴ろう――。


驚愕
 成績を上げた
  
名馬
たち




324197
[197-86-31-6-1-3]
コリスバール



253160
[160-55-15-23]
ヨウコノ


父 リトルナップ
母 シーセイント
母父 セントジェームス

生年:1936年
性別:牡
毛色:栗毛
調教国:プエルトリコ
主な勝ち鞍:クラシコ・コメルシオ、コパ・ゴベルナドール(2回)、クラシコ・プエルトリコ、コパ・ナヴィダッド(2回)、コパ・ジョージワシントン、コパ・ホセ・セルソ・バルボサ


138119
[119-11-4-4]
コフレス


父 クノッビー
母 カラミア
母父 ウォーフェイム

生年:1932年
性別:牡
毛色:鹿毛
調教国:プエルトリコ
主な勝ち鞍:プエルトリコフューチュリティ、コパ・ゴベルナドール、クラシコ・プリマヴェーラ、クラシコ・プエルトリコ、コパ・ナヴィダッド(連覇)、クラシコ・アボリシオン・デ・ラ・エスクラヴィタッド、コパ・プレジデンテ・デル・セナード(連覇)


競走馬生途中からの…
史上最多連勝記録

49連勝を記録した
プエルトリコ伝説の名馬。


191132
リノックスバル


1年間で56戦46勝。
サラブレッド年間最多勝世界記録。



多勝参考記録

1949年、メイクビリーヴという繋駕速歩馬(トロッター)が53勝を記録したと伝えられている。

1956年、
ヴィクトリーハイ65勝という歴史的スーパーレコードを記録。この馬はペーサーだったが、全馬種を含めた最高記録はこの馬の勝利数ということになる。


※以下の画像をクリックすると世界記録集へジャンプできます!
 

信じられない世界の超絶記録集へどうぞ…



6838
[38-25-4-1-0-0]
グラボ


父 グッドシティズン
母 チックミント
母父 チックル

生年:1940年
性別:牡
毛色:黒鹿毛
調教国:プエルトリコ
主な勝ち鞍:クラシコ・エデュアルド・コーティニョ・インシュア(三連覇)、クラシコ・プエルトリコ(連覇)、クラシコ・コミッション・ヒピカ・インシュラー(連覇)、ジーザス・T.ピニェーロ、ディア・デ・ラ・ラサ、プリマヴェーラ


60戦以上消化しながら、生涯連対率92.6%を記録。
ビッグレースを使い続け、なおかつ結果を出し続け、その上4着が1度きりあるだけという驚異的安定感を見せた。


5843
[43-8-3-2-2-0]
カデネタ


父 ルカドール
母 ハットメーカー
母父 タイムメーカー

生年:1955年
性別:牝
毛色:鹿毛
調教国:プエルトリコ
主な勝ち鞍:クラシコ・ルイス・ムニョス・リヴェーラ、クラシコ・コンスティチューション、クラシコ・ラ・オルキデア、クラシコ・ディア・デ・ラス・マドレス、クラシコ・エウゲニオ・マリア・ホストス、クラシコ・ディア・デ・ポンス

ダート1,100m1:06.3の驚異的(当時のものとしては)レコードをマーク。
牝馬で50戦以上消化しながら、生涯一度たりとも掲示板を外す事はなかった。

しかし…それ以上のカリスマ女帝がいた。

12946
[46-28-16-39]

 【 ラ ・ フェ


父 プライメイト
母 バンナーベアラー
母父 クワトルブラス

生年:1957年
性別:牝
毛色:栗毛
調教国:プエルトリコ
主な勝ち鞍:クラシコ・コンステチューション、クラシコ・サンチアゴIパンティン、クラシコ・レジメント・65・デ・インファンテリア、クラシコ・ディア・デ・ラ・ラサ、クラシコ・パブロ・カサルス、クラシコ・ディア・デル・ヴァテラノ、クラシコ・エウゲニオ・マリア・ホストス、コパ・ホセ・セルソ・バルボサ


“プエル・ト・リコ競馬

      史上最強女帝”
…と謳われる名牝。

▲〔楽々と大差勝ちするラ・フェ〕

 
ラ・フェ…“La Fe”とは、「信仰」の意味。
彼女を崇愛するファンは至福の時間を共有できたことだろう。容姿・レース戦法はダイワスカーレットそっくりだったが、取り巻く雰囲気はウオッカの方が似ていたかもしれない。



159137

ガルゴジュニア

39連勝馬。

12281
[81-29-3-9]
ココリソ



父 コリト
母 アピアレンス
母父 スウィープ

生年:1940年
性別:牡
毛色:鹿毛
調教国:プエルトリコ
主な勝ち鞍:クラシコ・コミッション・ヒピカ・インシュラー(3回)、コパ・4・デ・ジュリオ、クラシコ・ホセ・デ・ディエゴ、コパ・ナヴィダッド、トロフェオ・デ・ラ・ヴィクトリア


↑の父もすごい…
4437

[37-5-1-1]
コ リ ト


コリトの娘、最高傑作。
3726
[81-29-3-9]
カンシオネラ


父 コリト
母 コプレラ
母父 ロイヤルミンストレル

生年:1943年
性別:牝
毛色:鹿毛
調教国:プエルトリコ
主な勝ち鞍:ルイス・ムニョス・リヴェーラ、コパ・ゴベルナドールほか

プエルトリコの牝馬として最多23連勝を記録。


リボーの孫、Inプエルトリコ最高傑作。
8645

[45-18-11-6-1ー5]
リボッツヴェルセット


1975年生まれの、この馬の持ちタイムはプエルトリコ競馬の常識を転覆させるほどの衝撃度であった。

【ダ1,100m】
⇒1:05.1
1979年8月7日記録。

【ダ1,400m】
⇒1:22.3
1981年9月13日記録。

【ダ1,700m】
⇒1:42.4
1981年5月29日記録。

【ダ1,800m】
⇒1:50.2
1981年6月23日記録。

▲〔大差勝ちするリボッツヴェルセット。〕

214100
[100-44-23ー23-7-17]
テ ィ テ



12070
フィッシャーマン

7773

カマレロ
 

プエルトリコ三冠、無敗56連勝馬。

25429
ネヴァド

プエルトリコの離島、ヴェスケス島で育ったパールバックスキン馬(白毛)。

近代の
  プエルトリコ三冠馬
ヴェルヴェキャンディB


さらに、これらに加え、各大陸の最多勝馬も記しておく。

各大陸エリア
   史上最多勝馬

※繋駕速歩・ばんえい除く。
これが完全版。『ヒアーザドラムス』の項にしるしたものは誤り含む。



アメリカ大陸

キングストン
138戦89

欧州大陸

カテリーナ
171戦75
大英帝国の誇る歴史的最強女帝。

オセアニア
アングロアラブ

ジョロックス
95戦65
※確認できるもののみ。
年度代表馬8回
18歳で2勝
一年間に31戦30勝2着1回


サラブレッド

グローミング
67戦57


南米大陸

フロルデロート
72戦54


日 本

キノピヨ
96戦62


南アフリカ大陸

ヒアーザドラムス
59戦33


ご覧頂けたただろうか。
これらの名馬は各大陸で最多勝を誇った名馬、年間最多勝記録をマークした馬、そして150戦以上の驚嘆に値する歴史的蹄跡を残した名馬中の名馬たちなのである。
しかし、コンダードの戦績を目にすれば、それらは心の彼方へと消失霧散することだろう…
それでは、コンダードの生涯成績を記そう。


  
生涯成績

213
152

[152-41-9-3-7ー1]


▲〔記録的大差で後続を引き離し圧勝。当時を共生したコリスバール、リノックスバルらのさらに上をいく“ミステリアスモンスター”。スタートで立ち遅れる癖が無敗記録に瑕疵をもたらすことになるが…ほとんど出遅れても最後は引き離してのウォークオーバーでゴールインだった。プエルトリコ真・史上最強馬はこの馬だろう。敗戦はそのほとんどが出遅れや馬具の不備などの不利を被ってのものだった〕
 

213戦も出走し、掲示板入着率驚異の99.5%
複勝率90.6%!!連対率70.4%!!!

これらは全て160戦以上消化した馬の
世界記録(World Record)
になるんです!!  



  


もはや言葉にもならない…
150戦以上消化した馬の中では最高の連対率を誇る。
永遠なる記録を残した稀覯の名馬コンダード…彼の詳細にルーペを向けてみよう。

  
プエルト・リコ島の首都サン・ファンの界隈、コンダドは澎湃と波が轟動する、大西洋の海原を臨むリゾート地。ホテルやコンドミニウムが多く立ち並び、観光客や若者たちの声がにぎやかに響き合う。

 
▲〔コンダドのビーチとリゾートホテル〕

本馬コンダードの名前の由来はこの街にあると思われ、隘路の先に至るまで、パノラミックな眺望が広がる都市(まち)のように、茫洋たる競走生活を展開してゆく。
紺碧の瞳で他馬を睥睨し、震該させる程の威光を全身から解き放つ黄金の馬体。
小兵ながらも、豪胆なるままに競馬場で躍動。



烈炎のごときに猛るコンダードは、自在の脚質を仙術や宝貝を手繰る神僊(しんせん)そのままだった。黄昏に染まる巨神が繰り出す轟脚に、どんな名馬も平伏すしかなく、プエルトリコの大レースを次から次へと鯨飲。


▲〔コンダードが日々歩んだ調教場への長閑な道。この道を行き来しながら、伝説は神話へと昇華してゆくのだった〕

日進月歩、勝鬨の咆哮を上げる青い目の黄金獣は、44連勝という絶大なる記録に逢着。この記録を凌ぐ連勝記録は、上述している49連勝のコフレスの記録しか、存在していない。

   
▲〔農作業を終え、コンダード出陣のレースへと馳せ参じるべく、農作物を積んだまま向かおうという勇ましい(?)島民〕

一シーズンのみで38勝を挙げるという、途轍もない暴君振りを全盛時に見せていたことも心に留めておいて頂きたい。この記録を超えるのは、サラブレッドでは46勝と40勝、という2つのみ。
これらの記録だけでも、いかにとんでもない競走馬であったかが覗いしれよう。



コンダードの口取り写真、その背景には凱旋を祝福する人々が金色の巨神へと祈望の眼差しを向けている。
その中の一人…嫣然と佇む白いワンピースの少女は、寄り添う父へささやくように言葉をかける…



「あの金色に輝くお馬さんは…お父さんの馬?」

父は満面の笑顔、小麦色の肌と対照的な白い歯を見せ言い放った――


「あぁ、そうだ。一番強くて速いお馬さんだよ。お前のために勝ち続ける。最強の名馬さ!」

コンダードの馬主、ホセ・コル・ヴィダル氏の言葉である――。



▲〔ホセ・コル・ヴィダル氏、カマレロに続く2頭目の三冠馬(23連勝を記録)で生涯成績64戦56勝。プエルトリコ史上最強の一頭に数えられしカルディオロゴの口取り式。愛娘の手を握り、引き締める表情はすでに次戦を案じてのものか。カメラ目線でニッコリと微笑む少女が愛くるしさを滲ませる、陣営の雰囲気が不思議と伝わる一枚である〕

  



     

それから数十年の時がたった――



世界を歪めた大戦が終わり、人は皆、過去の名馬など、記憶の片隅にも留めていない…



…どこか空虚な平和の空。

  


 

大人になった彼女はコンダードの墓標に語りかける…
「Dear my Friend,Thank you Condado…」

  
透き通った碧い海のどこまでも、その言葉は響いていった――
果ての波打ち際に転がる貝殻は、その琴音に耳を欹て、誰かに昔話をささやく日を夢見つづけている―――…・・・・・・


      



 
  コンダードの
     関係者一同

 

主戦騎手
ギレーモ・エスコバール

調教師
インクス・ラモン・リオベットJr.

馬主
ホセ・コル・ヴィダル

生産者
テオドロ・ヴィエラ・ソラ


 
「ありがとう、走り続ける君に――…・・・」
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奇跡の名馬 (中米・カリブ海の名馬) * 18:21 * comments(0) * - *

ブルースオンザルース ―Bruce on the loose―


〜夕映えの空、心の彼方
   響け轟け、白きブルース〜

ジャマイカ競馬
   史上最強馬

父 ホイールアウェイ
母 ロードトゥジャスティス
母父 リットデジャスティス
生年:2006年
性別:牡
毛色:芦毛
調教国:ジャマイカ
生涯成績:29戦22勝
主な勝ち鞍:ジャマイカ二冠[ジャマイカ2000ギニー、ジャマイカセントレジャー]、トリニダード二冠[ミッドサマークラシック、トリニダードダービー]、カリビアンチャンピオンS四連覇、トリニダードゴールドカップ、ステュワーズカップ2回、サンタローサダッシュ三連覇、ダイアモンドステークス2回、プレジデンツカップ、ストレイトステークス、スプリントチャレンジトロフィ、デュラントメモリアルほか

「ブルースとは、心の状態であるとともに、その状態に声で表現を与える音楽である。ブルースは捨てられたもののすすり泣きであり、自立の叫びであり、はりきり屋の情熱であり、欲求不満に悩むものの怒りであり、運命論者の哄笑である」
ポール・オリバー著「ブルースの歴史」より

彼はジャマイカに生まれながら、トリニダード国民に崇愛・宝愛され続けた奇特な存在であった。
その走りは、まさに“ブルース”そのままに…情熱の咆哮であったと言っても過言ではなかった気がする。

耳をすませ、波の音に聞き耳を立てると、あの白い馬の走り抜ける蹄の音と、勇気溢れる姿が瞼の中浮かんでくる。

トリニダードの、ちょっぴり叙情的な競馬ファンは皆そう口にするという。
ブルースオンザルースの戦法は捲り。
日本で言うならばディープインパクトの走りを連想して頂ければいいだろう。
ジャマイカには、古くはレーガルライト、ロイヤルダッド(11戦全勝、心臓発作で倒れた伝説的存在)、近年ではミラクルマンや魔法少女シンプリィーマジック(ジャマイカ三冠ほか、西インド諸島史上最強と謳われる名牝)など、世界にも誇っていい、かなり高いレベルのサラブレッドも降誕しているが、このブルースオンザルースは先にあげた伝説の名馬たち以上の歴史的戦績、どんな距離にも対応できる順応性、そして隣国トリニダードでの世紀の大活躍と、過去に無い全てを持ち合わせていたのである。


▲〔ブルースは、フィールド・ハラーと呼ばれていた労働歌とヨーロッパから白人が持ち込んだ大衆音楽バラッド Balladsが組み合わさったものと言われている。労働のためのかけ声にアフリカから持ち込まれたリズム感を持ち込むことで発展したフィールド・ハラーは、当初は限られた歌詞を繰り返し歌うごくごくシンプルなものだったようで、定まった形式などをもってはいなかった。それに対してバラッドは、文字を知らないヨーロッパの一般大衆のために歴史や伝説を歌のかたちで表現する芸能の一ジャンルとして発展したものであった〕

デビューはジャマイカであったが、早くからその鬼才を開眼させ、圧勝楽勝の連続でジャマイカ2000ギニーも大楽勝。
しかし、ジャマイカダービーでは、ザガンマーという馬に短首差のみ差し届かず、心機一転トリニダードへと渡る。
そこでさらにこの馬のポテンシャルが全開することとなる。

参戦したトリニダードダービー、2コーナー過ぎから早くも捲りを開始。3コーナーでは先頭へと並びかけ、早くも4コーナーでリードを広げ始める。直線を向いた時すでに2位との差は5馬身以上あり、歴史的大差勝ちは約束されたも同然であった。
追われるとさらに猛烈な加速を始め、残り100mですでにスタンドからは大きな拍手喝采と祝福の声があちこちから上がっていた。ゴールを過ぎた時、その着差はなんと15馬身差も開いていた。


▲〔ダービーでの口取り式。馬主のトレス・アミーゴ氏と共に〕

サンタローサ競馬場へ雷轟が鳴動し、詰め掛けたファンは震撼すると共にスーパースター飛来を確信。
白い勇者に魅惑されたファンたちは、以後この馬に首っ丈になって声援を向けることとなる。

ココすご
       ブルースオンザルース


1.2009年から2012年、四年間にも渡り年度代表馬に選出される。
 これはカリブ海競馬史上初の快挙。

2.
最優秀スプリンター、ステイヤー同時選出までされる。
それもそのはず。1,200mで1:09.2(いまだ抜かれていない)のレコード。
ダービーもレコードで大圧勝なのだから…

3.
ダービーを10馬身以上で勝った、21世紀初の馬に!
 ダービーに相当する競走で大差勝ちをした馬はあらゆる国と地域の馬を見ても数える程度。




▲[ホースオブザイヤーのトロフィを受け取り、喜色満面の笑みでいっぱいのトレス・アミーゴ氏と妻のキャロルさん]

無敵のスーパーホースとして君臨し続けてきたブルースオンザルースだったが、
2013年を迎えた1月16日、サンタローサ競馬場内の馬房の中、強烈な疝痛に襲われ、のた打ち回り、絶命してしまう。
史上最強馬を襲った突然の不幸。
ジャマイカのみならず、トリニダード競馬界全体が深い悲しみに暮れた。
偉大なる白いブルース奏者を、こよなく愛したサンタローサの地に埋葬することが、関係者と主催者側との協議末一致。
サンタローサ競馬場にブルースオンザルースは埋葬される運びとなった。
向こう20年間はこれほどの名馬は現れないだろうと、現地では言われている。


▲[シャベルカーで土葬の穴へと運ばれるブルースオンザルース。もし生きていれば2013年も快進撃を続け、2014年も現役を続けていたに違いない]


美空
「ブルース」という音楽の誕生は、黒人たちがアメリカで今後も生きて行くことを決意したことの証明だったと言えるのかもしれません。彼らはどんなに厳しい環境でも、どんなに残酷な差別を受けながらも、「もう自分たちはここで生きて行くしかない」そう覚悟を決めたのです。(その逆に、アフリカへ帰ろうと呼びかけた音楽がレゲエであり、その中心思想だったラスタファリニズムでした。ボブ・マーリーはその運動の先頭に立っていたからこそ、ジンバブエの独立運動を応援し、アフリカへと何度も出かけたのです)


「アメリカにいるアメリカ人が、自分たちはアメリカを離れることなどないと
気づいた瞬間からブルースは始まった」

リロイ・ジョーンズ著「ブルース・ピープル」より

ブルースオンザルースもミッドサマークラシックを勝ち、ダービーを歴史的圧勝で締めくくったその瞬間から、トリニダードこそ天命の地であり、離れることのない第二の母郷と感知していたのかもしれない。
その戦績の勝利の実に15勝がトリニダードでのものだった。


カリブの空、夕映えの空へ、レゲエとも、ジャズともとれない凱歌のトランペット・ミュージックが鳴り響く。
偉大なる名馬へ手向けるレクイエムは、どこか儚くも切ない、邯鄲の「ありがとう」に聞こえてならなかった――。
夕凪の中、心へと吹き流れるブルースの旋律に乗せて。

  

奇跡の名馬 (中米・カリブ海の名馬) * 06:08 * comments(0) * - *

ジャマイカ地方競馬のLegend Legacy…【None Such】号の謎


ジャマ
イカ
地方競馬

  Legend Legacy
   None Such】号の


ジャマイカ競馬に現れた偉大な名馬たち。
シンプリィーマジック、ロイヤルダッド、ミラクルマン、ブリュースオンザルース…
そうした偉大な名馬たちの影に埋もれた地方競馬のスーパーモンスターの存在を知る者は、もはやいないのかもしれない。
現在調査中なのだが、ジャマイカにおける地方競馬(?)に無敵を誇った伝説のセン馬が存在するらしい。
その名も…

ノーンサッチ

血統不詳。シャドーロールと菱形の流星がトレードマーク。
活躍したのは1960年代で、行くところ敵無しの無敗馬だったという。
1965年にスチュワードカップを圧勝。
最後は抑えてのキャンターだった。その様はまさにジャマイカのシーバード。
片や世界の頂点を極めた中、片や一方、小さな島の密林の中でその怪物は躍動していた。


▲〔ステュワーズカップ1965。圧勝するノーンサッチ〕


▲〔クビ差の大激戦をものにするノーンサッチ(手前)〕

資料・文献も少ないことから調査は難航しております。
どんな成績を残したのか…
馬主やその他の逸話などなど…
しかしジャマイカの地方競馬のデータとか残っているんだろうか?
とりあえず現地調査しかこれ以上の謎を追跡するのは不可能な状況。
新情報が入り次第、ご報告したいと思います。


▲〔ジャマイカはイメージと違い、色んなビーチで乗馬が楽しめる。カリブの潮風に吹かれながら、馬上で口笛を奏でたら、きっと爽快な心持ちになり悩みやストレスも吹き飛ぶに違いない〕


奇跡の名馬 (中米・カリブ海の名馬) * 00:10 * comments(3) * - *

シアン・メモリー


 
  記憶

〜空のように、
    海のように〜

サンタローサの女王”、
 南カリブ海洋
   史上最強牝馬

ジャヴァゴールド
ペットコーク
母父 ギボウリー

生年:1991年
性別:牝
毛色;鹿毛
調教国:
トリニダード・トバゴ
生涯成績:32戦19勝
主な勝鞍:ゴールドカップ(GI/2回)、プレジデンツカップ(GI)、アリマ・レースクラブカップ(GI/2回)、インディペンデンスカップ(GI/2回)、ステュワードカップ(GI/2回)、クイーンズプレート(G2)、ダイアモンドS(G2)、シャンペンS(G2)ほか

遙炎なる太陽が海を焦がす―――
陽炎たつ、さとうきびの坂道…麦わら帽子の黒肌少女…
ここは南カリブ海洋のとある島。

この島に20世紀末、人々の心を照らし太陽の天使となった偉大な女傑が瞠若と屹立していた。
そう、21世紀初頭、我々がウオッカという現代の卑弥呼と邂逅を果たし、彼女を畏敬の念を持って見つめ続けていたあの時のように――。
爛汽鵐織蹇璽気僚王瓩秘霹された歴史的名馬。

“シアンズゴールド”が彼女の名前である。


記録を伝い、当時の想念をトレースしてゆく。

現在では彼女の名を記念したレースまで創設されている。
この事実からも、彼女が並大抵の名馬の枠におさまる存在でないことは瞬天的に理解できた。

「!!…これは凄い馬だ。なんて牝馬だ…」

それ以外の言葉が過去の彼方へと放墜されてしまうことが、以下にあげる記録を見て頂ければご理解頂けるものと、私は確信している。



シアンズゴールド

 打ち立てた記録集


「年度代表馬」、「最優秀スプリンター」、「最優秀ステイヤー」三部門に同時選出される。
「スプリンター」と「ステイヤー」が同一馬だったのは、同国史上初の偉業

1994年年間7戦7勝。しかも1,200〜2,000の全GI級を勝利しての価値あるもの。
ちなみに同年に1,200と2,000のGIを勝った馬は、シアンが史上初

牝馬でGI9勝は同国最多。

多種多彩な距離でレコードをマーク。

記録したレコードの内、3つが2012年現在でも、いまだ健在。破られる気配がない。


〔▲キティーギル号。83勝を記録したと言われるトリニダード伝説のハーフブレッド。パナマへと殴り込み勝ちまくっていたらしい。〕


青い海と青い空がどこまでも広がる大海原。
彼女もこの海を、そしてこの空を見つめていたのだろうか――…。
日本がナリタブライアンの快進撃に湧いていた時、まさに同時進行で、蒼き女神の神話は創世されていった。カリブ海の青を背景に。

 
耳をすませばすぐそこに。
いまも聞こえる青のキヲク。

   
水面に反射し、煌き跳ねる光のピルエットに、呼び覚まされる風の歌。

ラムネの中転がる紺壁のガラス玉の中に閉じ込められたかのような伝説の名馬。

南カリブの空と海を愛した女傑。
彼女の記録は空色の記憶。

未来永劫に広がり続ける空と海のように、シアン・メモリーはいつもでも、そしてどこまでも、ずっとずっと、つづいてゆく―――。

     

奇跡の名馬 (中米・カリブ海の名馬) * 00:31 * comments(0) * - *

シンプリィーマジック  °.・°…―Simply magic―….・°。


シンプリィーマジック

ピンクスカイスノー
       のから〜

西インド諸島
   史上最強の女傑


 

父 ロイヤルミニスター
母 フォンテーヌブリュー
母父 フォンテーヌオブゴールド

生年:1999年
性別:牝
毛色:鹿毛
国籍:ジャマイカ
生涯成績:12戦9勝
主な勝ち鞍:ジャマイカクラシック&牝馬三冠{ジャマイカ1000ギニー、ジャマイカダービー、ジャマイカセントレジャー、ジャマイカオークス}ほか

中米カリブ海に浮かぶ島々は実に淅瀝たる美で彩られている。その代表とも言えるのがバハマのセントーサ島のピンクサンドビーチ。珊瑚と貝殻が砕け散って淡いさくら色に見えるビーチで、恋人たちの姿が絶えない。
そんなどこかノスタルジックな逢瀬のムードが漂う中でも、南国独特のハーモニーが奏でられているのがこの瀕海の眇たる島国の特徴 である。

   

そんな島国の一つがレゲエで有名なジャマイカである。西インド諸島の西部、キューバ島の南方約150km。カリブ海上のイギリス連邦の独立国である。
1494年にコロンブスがかの地の土を踏み、1509年にスペイン領となる。ジャマイカに馬が輸入されたのもちょうどこの1500年代の出来事だったのだが、競走馬として扱うには物足りなく、競馬の発展はカタツムリの競走のように、遅々として進まなかった。

   

1670年、アメリカ条約によりスペインはジャマイカをイギリスに譲渡。これを切っ掛けに英国は黒人奴隷を使いサトウキビ栽培をはじめ、現在でもサトウキビはジャマイカ農工の主軸となっている。それに沿って、国内生産の向上を図るため、馬の質の改善を目指した。しかし、国内産馬はどれもまた取るに足らないもので、結局は英国のサラブレッドを輸入することで解決した。それを受けてのことだろう、ジャマイカの競馬施行規定から国産馬の登録、競馬の運営法まで、何から何までが、本場イギリスにそっくりなのである。

バナナやココナッツ、コーヒーが栽培され、南国の花々が千紫万紅に咲き乱れるこの国にクラシック競走が整備されるやいなや、14頭もの三冠馬が誕生した。その中でもロイヤルダッド(紹介済み)は11戦全勝。無敗の三冠を成し遂げた名馬である。
しかし、2002年のジャマイカクラシック戦線に史上最強とも思われるスーパーホースが忽焉と降臨した。それがシンプリィーマジックである。


         
普通の馬の中にただ一頭だけ翼と角を持つ巨大な天馬が混じって走っている…と表現すればいいのだろうか。シンプリィーマジックは牝馬にも関わらず、万全磐石、無敵の競走能力で島民を魅了した。瞠若たる馬体としなやかな動き、そして見る者を魅惑する不思議なオーラと純粋無垢な瞳を持っていた。

                            

2000年のミレニアム・イヤー。まるでヘミングウェイの描いた『老人と海』のような世界が広がるジャマイカで、神話から抜け出し、天から舞い降りてきたような馬、シンプリィーマジックがゆっくりと胎動をはじめていた。
                                     

有史以来、我々は様々な名牝と邂逅を重ねてきた…キンツェム、ヴィラーゴ、ネレイデ、クリフジ、ダーリア、ラフィアン、トリニカロール(全馬紹介済み)…。シンプリィーマジックはこれらに続く名牝と言っていい。牡と牝のクラシック路線が明確に整備された近年、どの国を見ても牡馬に勇猛果敢に勝負を挑み、三冠を勝ち取った馬は皆無に等しい。それを考えると、シンプリィーマジックは敢然と牡馬と走り、大楽勝している。もちろん、ジャマイカには牝馬のみのクラシック路線も整備されている。それでいての成績なのだから、文句のつけようもない。そう、日本馬に例えるならクリフジがしっくりくる。どのような国にも、そうした亀毛兎角とも言える絶世の名牝が、一頭は生まれ落ちるようにできているのかもしれない。

 
〔ジャマイカのバーにて。Y子女史と現地の青年〕



シンプリィーマジックは、ジャマイカのサトウキビ畑の琴歌酒賦を楽しむかのように育った。気性的にも光風霽月(こうふうせいげつ)かつ豪放磊落(ごうほうらいらく)な性格だったようで、端的に表現するならば、大きな心と爽やかな気性をしていた、と言えるのかもしれない。

2002年、この年のジャマイカ競馬はシンプリィーマジック一色に染め上げられることになる。

デビューから傍若無人な競馬で勝ち続け、ジャマイカ1000ギニー(ダ、1,600m)に参戦。同性に敵がいるはずもなく、馬なりで大勝。この年の牝馬は能力水準が高く、評判にもなっていたが、その中でも特筆される評価を受けていたブラックサッチを14馬身差も千切ってしまうのだから開いた口が塞がらない。そのあまりの強さからか、競馬場に佇む彼女の後ろ姿からは、孤影梢然の雰囲気さえ漂っていた。
オークスではスタートから加速し続け、まるであのセクレタリアトのベルモント伝説を再現するかのように最終コーナーを馬なりのまま後続に8馬身差のリードで周回すると、直線では手綱を絞られたままブラックサッチに6馬身半差の大差勝ちでデビュー無敗の6連勝。
綺羅星の泡玉を大地の譜線へと散らす彼女のピンク・マーマーレードの手綱は静観なる夕焼けを、勝負服の藍色は果てのない宇宙(そら)を、そして勝負服の胸部を走り抜ける襷(たすき)とメンコの卵色は流星を連想連起させた。そして、その流れ星は、まるで涅槃雪のような、ほんわかとした温もりを見つめる者たちの記憶へと残し消え去り、人々へと佩服を誓わせるような不可思議な煌きを帯びていた――。

   
〔光の翼を閃かせるように伸びたJオークス(ダ2,000m)〕

      

シンプリィーマジックは運命で決められたかの如く、ジャマイカダービー(ダ、2,400m)の舞台へ姿を現した。レースはまったくのワンサイドゲーム。無人の荒野を行くが如く、シンプリィーマジックはダービーをも大楽勝してしまった。最後の一冠、ジャマイカセントレジャー(ダ、2,000m)も大圧勝。史上に残る、歴史的な牝馬によるジャマイカ三冠が達成された瞬間だった。


   
〔ダービーをキャンターで楽勝〕

                 
〔三冠達成直後のシンプリィーマジック。しかしこの後休養を挟み、ジャマイカ代表として出走したカリブ国際競走にて格下のトリニダード・トパゴの伏兵に一泡吹かされてしまう〕


  
〔引退後、牧草地で少女と戯れるシンプリィーマジック〕


これだけの名馬である。世界へ出ても間違いなく活躍できたはずだが…現在は立派な母となり、天熙の漣風の中、静かに牧草を食んでいる。

 
〔ジャマイカの大レースのほとんどを楽走で鯨飲〕


オレンジの夕日がカリブ海を少しずつ溶かして行く…砂浜に散りばめられた貝殻たちが淡い光を放ち、空へ上って行く…。
夕凪の空はいつの間にかピンクに映え、白い星たちがシャワーのように降り注いでいる。

きっとシンプリィーマジックは…あの向こう側から舞い降りてきた天馬なのだろう。

                                


海岸線を走るバスから見える水天一碧のピンクスカイと至極色の海…その彼方へと春風満面の頬笑みを浮かべた天使が翔んでいった―…。



              


彼女の名は『シンプリィーマジック』。


                                                    
                        
やわらかな風がそよそよと吹き、さざ波はただ白い砂浜を永遠と撫でていた。


ジャマイカの生んだ“伝説の天使”の話である。
 
            

 
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奇跡の名馬 (中米・カリブ海の名馬) * 09:58 * - * - *

リノックスバル     ―Lenox bar― °・。爽碧なる翼音の貝殻。°。

 【リノックスバル

Winnig46IN1940!

1年間
  46勝を上げた
   奇跡の馬の物語〜
 
父 オーシラ
母 フォアフォウン
母父 フォアグラウンド

生年:1935年
性別:牡
毛色:鹿毛
調教国:米領プエルトリコ島
生涯成績:191戦132勝[132-32-11-6]
主な勝ち鞍:クラシコ・ディア・デル・トラバッホほか、サラブレッドによる年間最多勝利ワールドギネス


どこまでも続く青い海、赤く燃えるブーゲンビリアとハイビスカス…蜂蜜色の砂浜。そよぐシーブリーズに、抒情が玉詞となり乗せられ、ロマンティックな夕暮れの街へと流れてゆく―…。

  

まさに「楽園」の呼称が相応しい島風景と珊瑚礁が広がるカリブ海の島々。この地域で催される競馬を舞台に、個性的な名馬や世界記録があたたかに育まれてきた。それはカマレロの56連勝だったり、コリスバールのサラブレッド世界最多出走記録&最多勝記録(324戦197勝)だったりするわけだが、今回紹介する驚愕の記録も、カリブ海との逢瀬により静誕した幻の名馬によりもたらされたものである。永久不滅の世界記録…


「たった1年間で56戦し、46勝を上げる」


耳を疑いたくなる信じられない記録である。この記録はギネスにも登録され認知された、正真正銘のワールドレコードである。
この全馬未踏の大記録は1940年に、西インド諸島にて達成された崇高なるメモリアルタワーだ。
マークしたのはリノックスバルというプエルトリコへと輸入されてきた米国産馬。
生涯で191戦を消化。内132勝を上げることになる訳だが、その約1/3を1940年のプエルトリコで滑駆している。56戦を一年で消化することがいかに途轍もないことかは、54戦54勝、ハンガリーの生んだ奇跡の名牝キンツェムの成績と対照比較すれば明白となる。

生涯を通し54戦し全勝のキンツェムは、いくら敬恭しても事足りない程の震天動地の神王妃だが、リノックスバルは僅か1年でキンツェムより2戦も多くレースを消化しているのである。また、カマレロの戦績と比較してもその驚異は揺るがないどころか、尚の事凄みを増す。カマレロは56連勝を達成するに、3年の月日を要したが、リノックスバルはたった1年で56戦を消化してしまった。1年間でこれだけ走るには、それこそ休みなく毎週走り続けても達成できない。コリスバールとリノックスバルの残した世界レコードは未来永劫に更新不可能な記録なのである。

古い文献を韋編三絶、眼光紙背に撤すると、ユラり揺らめくカンテラは、おぼろげななる記憶の断片を照らし始めた…。

世界は広い。
まだまだ狎擇蟷キ畄茲瓩琉貅蠅魃し持つように、歴史と言う名の巨人は偉大なる記録を時間と言う名のヴェールへと包み込んでしまう。

 


年間最多勝参考記録


1949年、メイクビリーヴという繋駕速歩馬(トロッター)が53勝を記録したと伝えられている。

1956年、ヴィクトリーハイ65勝という歴史的スーパーレコードを記録。この馬はペーサーだったが、全馬種を含めた最高記録はこの馬の勝利数ということになる。

当然だが、サラブレッドの記録は46勝を上げた同馬、リノックスバルのものである。

※以下の画像をクリックすると世界記録集へジャンプできます!
 
信じられない世界の超絶記録集へどうぞ…


  
名もなき砂浜へ打ち上げられた貝殻。
海の記憶、島の記憶を宿したその奥からは、微かに漣の音…

   

耳を当てれば聞こえてくる――…
碧い海と舞台に、風を切り裂いた勇者の蹄音、いななきが。



未来を見つめる彼のその眼差しの先、
ブルー・ラグーン島のイルカたちが綺羅星の竪琴を爪弾くかのように、セルリアンブルーの世界の中、愛の歌を吟唱している。
 

1940年…その海を舞台として、愚かなる戦火を余所に、懸命に生きた幻朧の名馬が残せし来世への“記憶”。

  


豪放磊落な島民たち。                 

童話から飛び出してきたような、パステルカラーの町並み。

  
▲〔ピンクサンドビーチ〕

エルセーラ島のピンク・サンド・ビーチ。さくら色の砂が、そっとオレンジの空へと舞上ってゆく…。
琥珀色の砂風は、彼が残したノスタルジックメモリー。
シトラスの微香が残る砂浜と島の風景に、名馬の残影が重なって見えてくる――…。

奇跡の名馬 (中米・カリブ海の名馬) * 17:28 * comments(0) * - *

マントネ ―Mentone―

  

〜Horse of
    the Century瓠

南カリブ海洋
      史上最強馬



父 ピンクフラワー
母 ファヴィラ
母父 ソルフェリーノ

生年:1956年
性別:牡
毛色:鹿毛
国籍:トリニダード(現在のトリニダード・トバゴ共和国)
生涯成績:18戦13勝[13-1-1-3]
※失格降着2回
主な勝鞍:ガバナーズカップ、スチュワーズカップ、テキサコプレート、クイーンエリザベスS、トリニダードターフクラブカップほか

南海の島々で無敵を誇った、伝説の名馬。トリニダード競馬史上最強とも言われ、南カリブ海洋の環礁では完全に敵無のスーパーホースであった。カリブ海の競馬における重鎮たちが瞑想し、論究に論考を重ねた末にHorse of the Century瓠帖崟さの名馬」に選定したのも同馬マントネ。
わずか一年たったの一年で光のように去って行った狎さの名馬瓠△修領鯆をここに綴る――。

マントネが産声を上げたのはカリブ海ではなく、英国はJ.T.キンドン氏が経営する牧場の納屋の中であった。生まれながらに利発で機敏なところを見せており、どうやら秘めるポテンシャルは相当のものを持っているようであった。この隠し持った資質を見事に見抜いたのがバルバドス島に籍を置く、ボルネ氏であった。マントネを輸出させカリブ海へと招聘。命名したのもボルネ氏であり、いたくマントネに惚れ込んでいたらしい。

父ピンクフラワーはドイツの皇帝オレアンダーの血を継ぐ種牡馬。つまりはドイツ最強馬の胤子がカリブ海を遍く束ねることとなる訳である。デビューは1959年のクリスマスシーズン。街の界隈にはサンタの帽子が行き交い、皆が心弾ませる中、初陣を迎えたモントネは持ったまま、手綱をガッシリと握り絞られたまま圧勝。羊角が巻き起こるほどの壮烈なるスピードで他馬を轟沈させてしまう。
この圧巻の強さに度胆を抜かれた陣営は一気にハードルを上げ、GI級レースへと進軍開始。ガヴァナーズカップ(芝1,800m)へと出走すると、ブルーストリームという馬を相手にこれまた軽く追っつけられるだけの、まるで魔法仕掛けのような楽勝の3馬身半差のタイトル奪取となったのであった。
しかも、デビューしたばかりの馬が、1分56秒というトラックレコードを樹立させてしまうのだから、この強さには舌を巻くほかない。



こうなるともはや手の付けられない、破壊神の如き騎獣の勢いで並み居るライバルを駆逐、放逐、懺壊して数々のビッグレースを鯨飲していく――。
ガヴァナーズカップからわずか6日後、マントネはスチュワーズカップ(芝1,200m)へと参戦。ウエステンドという強豪を楽々と1馬身と1/2差斥け、あっさりと二冠目を戴いてしまった。しかも、なんとここでもレコードタイムとなる1:11.08をマーク。国士無双とは、こういう超絶的強さを指すのだろう…。
この馬の手綱を握る主戦騎手のバイロン・クラークも、調教に従事したダニエル・バートン調教師も、異口同音に口を揃え、「マントネこそ史上最高の名馬」と讃えている。
それもそのはず。トリニダードで12戦し7勝。うち2回は不運な失格処分による降着で1着を外してしまっただけで、無人無馬の荒野を疾風となりて行くがごとくの楽勝劇の連続だったのだから。
さらに凄絶を極めたのがオーナーの郷里であるバルバドス島での成績。なんと、6戦して全勝。まるでオーナーの母郷を知っているかのような凛然たる立ち振る舞いで他を震撼させるのであった。

  
〔まさにカリブの南海を統べりし者。その強さに島民たちは驚愕の一語を抱懐するほかなかったことだろう〕


             
〔モントネが刻んだレコードは5つ。上述以外のものでは、ユニオンパーク競馬場にて芝の1,200mで1:10.08、芝1,800mで1:51.08、そしてバルバドスのギャリソン・サバンナ競馬場の芝1,500mにて1:32.04で駆け抜けている。当時の馬場状態や全身全力の疾走態勢でなかったことを踏まえれば、かなり秀逸なタイムである〕


その古の海に、彼はいた。
そして海に生きた民たちは彼をこう呼んだ。

Horse of the Century瓠
“世紀の名馬”と―――・・・。

  
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奇跡の名馬 (中米・カリブ海の名馬) * 05:33 * - * - *

シーブリーズマーブルメロディー ―Sea-breeze marble melody―

 【シーブリーズ
  マーブルメロディー


 〜 微風恋情詩篇

海が見える丘に佇む
   小さな競馬場の
    小さなヒーロー




父シーバード
母パトリナ
母父オリンピア

生年:1974年
性別:牡
毛色:鹿毛
国籍:セントキッツネイヴィス
生涯成績:17戦15勝
※写真左端

綺羅めく泡潮を譜線としてそよぐささやかな風が競馬場を吹き抜けていく――。

麦藁帽子が風に揺れる―――…。
パッと咄嗟に頭を抑え、帽子が浮遊してゆく術を封じた一人の老翁は、昔懐かしそうな眼差しで天を仰いだ。

「思い出すな…あの頃、あの馬を…」

セントキッツネイヴィスの小さな環礁を舞台に、交流国アンティグア・バーブーダの遠征馬たちを跳ね返し続けた島の名馬の武勇伝。奇跡の赤駒が織り成した佩玉のシンフォニーを編綴してゆくこととしよう。



シーブリーズマーブルメロディーは、セントキッツネイヴィスへと輸入されてきた馬で、生まれは北米。世界史上最強馬シーバードの子息・胤蹄として大海原を渡り、鳴り物入りの超大物としてこの島へ来訪したのであった。
馬主はマーブル柄の勝負服を使っていた特異な人物で、詳細については資料不足のため明るみに出ていないのだが、これだけの超良血を名もない島へと導きいれたのだから、それなりの貯蓄・財産を抱えた富豪、もしくは資産家だったと推査できよう。

カリブ海に浮かぶ島々はそれぞれのエリアで交流を盛んにとっている。例えば、英領ヴァージン諸島のトルトーラ島と米領セントトーマス島では、お互いの競馬場の交流戦を綿密に行い、両競馬界の活性化を図っており、ヴァージン諸島の史上最強馬アクトスペクテイションは、英領をホームに向かい側のセントトーマスへ幾度となく遠征していた。
また変則クラシック四冠馬ゾウクを輩出したバルバドスでは、ジャマイカ、トリニダード、マルティニークから招待馬を招き、国際競走の充実化に力を注いでいる。
そして、何といってもカリブ12ヶ国を持ち回りで開催される中米版BC、『カリブ国際クラシック』(ダ1,800m)が最大のレース。同日にはカリブスプリント(ダ1,200m)、カリブ牝馬カップ(ダ1,700m)、カリブ国際連盟カップ(ダ1,900m)が開催され、大変な賑わいを見せる。いわば中米カリブ海最強馬決定戦で、文字通りここを勝つ馬こそが最強馬という燦然たる太陽の冠を戴くことが許されるわけで、ここを勝って世界へ進出する名馬の出現が今や遅しと待ち望まれる。

さて、ここセントキッツネイヴィスでは、近海のアンティグア・バーブーダと交流を深めており、両国代表馬の凌ぎを削る熾烈な激闘に島民たちからの声援は絶えることがない。

 

セントキッツネイヴィスというこの島について概略を述べておきたい。本島は別名セントクリストファー・ネイヴィスという呼称があり、小アンティル諸島内のリーワード諸島に浮かぶ英連邦王国の立憲君主制国家である。首都はバセテールで、日本国で言うなれば、熊本程の面積の小さな島国である。この東に構えるのが競馬のライバル国アンティグア・バーブーダ。
かつて島の主力産業を担っていたのがサトウキビ生産であった。これを受け、島中に運搬を目的とするシューガートレインが設けられ、線路を58箇所も敷かれることになったのだが、砂糖産業は奴隷制の象徴であるという風潮と、観光産業の躍進・急成長に後押しされる形で、2007年廃絶の道をたどった。



  
島影に風が吹き抜けてゆく――。
パイナップルカートを押し歩く女性の髪が、風の旋律になびいている。
「風の歌」―――。

2006年にメイショウサムソンの三冠を鯨飲したソングオブウインドは、実に情緒あるセンスに富んだ命名だと、感慨深く潜心したものであったが、この島へ降り立った紅駒へ与えられた天名も心の琴線を爪弾き、颯爽たる心模様にフェードさせてくれる不思議色の馬名であった。

「そよ風の旋律」―――。

これにオーナーを表象する爛沺璽屮襯ラー瓩鯒曚擦弌伝説の名馬を導く符号となる――。

“シーブリーズマーブルメロディー”

小さな島に威光を放つ譜線が紡がれた瞬間であった。



シーブリーズマーブルメロディーは、デビューから連戦連勝を続け、瞬く間に島の英雄へと昇り詰めた。そしてアンティグア・バーブーダからの刺客を次から次へと圧倒し、挑戦者の息吹を完全に根絶させた。光の海鳥から与えられた巨翼が拡げられるや、微風は烈風へと変わり、砂塵を巻き上げ2馬身、3馬身と着差を大きく広げてゆく――。
逃げ先行を勝利の方程式に添える戦慄のメロディー。


  
〔セントキッツネイヴィス唯一の競馬場は『インディアン・キャッスル』。1周5ハロンもあるか微妙なほどの小さな簡易的競馬場で、小高い丘の上からは、カリブ海の洋々と広がる絶海を望むことが出来る〕

島民の声援と情熱を支柱に、最強馬でありつづけた彼の存在を知る者は極僅か…
海が見える丘から望む絶景を背景に疾駆した愉夢の時間は、万民にとってかけがえのない、心一つになった奇跡のハルモニアタイムだった。

潮風がとどけるささやかな漣――…

ヤシの木が揺れて立てる葉音――…

夕日の中なびく少女の髪――…

そこにあるのは島の伝説となった、大理石より堅固な信頼性を誇った爛沺璽屮覘瓠

微風の歌声が聴こえてくる…爛掘璽屮蝓璽坤瓮蹈妊ー瓠


佇む古翁は、恋歌を口ずさみつつ、ある一つの想いを抱懐していた。
“偉大な名馬が、こんなちっぽけなラグーンにかつていた”…数年前までサトウキビを搬出していた列車が過ぎ去る中、その轣轆(れきろく)を傾聴しつつ、老人は回想をめぐらせ、深く神へと謝辞の祈念に耽るのであった――…・・・。

         

奇跡の名馬 (中米・カリブ海の名馬) * 04:11 * - * - *

レーガルライト   ―Legal light―         

 レーガルライト

 〜斜陽する“伝説”〜

ジャマイカ史上最強馬



父エレメント
母ポルティア
母父ベイバー

生年:1974年
性別:セン馬
毛色:栗毛
国籍:ジャマイカ
生涯成績:53戦27勝

狹狙皚瓩箸い称号は与えられた者へ絶対神的レゾンデトゥルを永遠不偏のものとさせる魔法のような“理力”を佩びている。そして時の流れとともに万民兆民の殷賑で語り紡がれ、唱歌され続ける英雄へと天翔してゆくのである。

そんな偉大な玉座へ辿り着こうと星の数の挑戦者が流転を繰り返し、やがては風化してゆく…ほんの一握り、天賦の才を内在させ、血が滲むほどの努力に努力を重ねた者の中で、さらに神に見初められた幸運の持ち主のみがその領域へ踏破することを許諾されえるのだ。

爛譽献Д鵐瀬蝓辞瓠氾狙發鯆屬蠅啓圈鼻弔隼松Г気譴詛呂いる。一頭がフィリピン競馬の巨神獣フェアアンドスクェア…そしてもう一頭がジャマイカのレーガルライトである。

  
[ジャマイカの伝説と言えば、やはり人類最速のこの男。U.ボルトだろう。2009年夏に自身が記録した100m9.58と200m19.19の歴史的世界レコードを塗り替えるのは彼自身しかいないだろう]

レーガルライトは1974年にジャマイカの海風に巻かれ生を受けた。
1970年代と言うと、世界的に名馬が多く出現した豊年期にあり、ヨーロッパではニジンスキーやミルリーフ、ダーリア、アレフランス、米国ではセクレタリアトが出現し、日本でもTTGらの歴史的三強が登場し、ハイセイコーというピープルヒーローも誕生した。南米でもペルー史上最強馬サントリンが舞臨。そんな潮流に乗じ、カリブ海のこの島にも新たなるヒーローが降誕したと言うわけだ。
ヤンチャな気性で、獅子のように惨慄なままに猛るまでに荒くなると、恐惧を覚えた関係者は止む無くレーガルライトへと去勢を実行。すると、月下の水面のように落ち着き、競走馬としての理を漸漬、理解していった。
                                         
この馬、とてつもなく峻烈極まりない地の果てまでも突き抜けてゆく力を持っていた。一番最初の写真はジャマイカ最大のレース、レッドストライプスーパーS(ダ2,000m)の直線でのパフォーマンスなのだが(レーガルライトは左から2番目・メンコを装着した馬である)、必死に追撃を試みる2番手の馬(ブリンカーの馬)は全力で追われ、死に物狂いにもかかわらず、どうだろう。なんとレーガルライトは馬なりで涼しい顔をしている。騎手も持ったままで余裕綽々。国内最大のレースでこのパフォーマンスである。あまりの楽勝に奇勝とも言える。

   

まるで麒麟や一角聖獣のような窈窕燦烈なるオーラを迸らせ、レーガルライトはクラシックロードを勇往邁進。ジャマイカ2000ギニーは惜しくも敗れるが、レッドストライプ・ジャマイカダービー(ダ2,400m)を思いのまま浮動しブッチ切ると、ジャマイカセントレジャー(ダ2,000m)も大勝。
古馬になってからはさらに途方もなく逞しく成長し、レッドストライプスーパーSを2回、プライムミニスターCを3回、さらにはエクリプスS、レオデリッサーメムC2回と、ジャマイカのビッグレースをすべて勝ちに勝ちまくった。1978年、そして翌1979年と2年連続年度代表馬に選出され、8連勝も記録と、まさしくLegendary瓩別焦呂任△辰拭

           
[多種多様なレースが存在する中、問答無用・天地鳴動の絶対的パワーとスピードをジャマイカ競馬史へと刻印していったレーガルライト。その強さは時空をループして語られていくだろう]


都市の景観を愛でる様に風が吹く――…・・・“伝説”という一陣の記憶の衣繍を翻し、ダークラグーンへと漸進してゆく光の使者。彼の名はレーガルライト。ジャマイカ競馬史に斜陽する残照はいまだ煌々と燈り続けている―――。

   

奇跡の名馬 (中米・カリブ海の名馬) * 05:00 * - * - *

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