ゼェレツゥニク ―Zeleznik―



時空国境けし

―東欧が生んだ
  真・史上最強、
   世紀の障害馬



父 Zigeunersohn
母 Zelatina
母父 Le Loup Garou

生年:1978年
性別:牡(せん馬)
毛色:栗毛
調教国:チェコ・スロヴァキア
生涯成績:58戦30勝[30-9-1-18]
主な勝ち鞍:ヴェルカパルドゥビツカ(1987〜1989三連覇、1991年)

世界最難関の障害レースとして知られる障害レース『グランドナショナル』は春の訪れる4月、英国はリヴァプールに居を構えるエイントリー競馬場にて催されている芝7,242mの大レースである(1839年2月26日第一回施行)。その売り上げは天井知らずで、英国においては絶大なる人気を誇る。平地における最大にして競馬の代名詞ともいえるダービー。その原点であり、本場のエプソムダービーの知名度と売上をも凌駕。ついには本邦最大にして世界最高の売上を誇っていた有馬記念の売り上げ記録をも塗り替えた。
世界最高峰、最高栄誉の障害レースであるにも関わらずその格付けはハンデキャップ競走がゆえにG3と定められている。英国においてはハンデキャップ競走は例外なくG靴料定を免れえない。世界最大にして最高レベルのGIを超えるG靴蓮∪こ広しと言えどグランドナショナルをおいて他にあるまい。
そんなグランドナショナルの障害数は30。

ビーチャーズブルック、フォイネイヴォン、キャナルターン、ヴァレンタインズブルック、そしてザ・チェアーといった名物障害がズラリとならぶ。
史上最少完走頭数は2頭。
行く年来る年、再三再四再五に渡り動物愛護団体からの激しい“口撃”と非難を浴びている事実からしても、いかにこの競走が過酷を極めるかを物語るが、このグランドナショナルすら上回る、“殺馬レース”と述べても過言ではない究極の障害競走がチェコ共和国に存在するのを、貴方はご存じだろうか。
その競走こそがヴェルカパルドゥビツカ(創設1874年)である。毎年10月第二週の週末に、チェコはパルドゥビツェ競馬場にて開催されているこの障害レースはクロスカントリー形式の障害競走であり、その障害数はグランドナショナルを超える31。
最少完走頭数は…なんと0!
世界において一頭の完走すら許さなかった回(1909年)がある唯一の競走であり、一頭しか生還(あえてこう言わせて頂こう)出来なかった回(1993年)もあるのである。
このレース、最大の名物障害であるタクシス・ジャンプは、高さ160cm、幅180cmの生垣に、着地側に幅1m50cmの堀が設けられている世界最難関中の難関障害で、これまでに27頭もの尊い命が、この堀の底へと消えていった。
他にも間隔が9m以下の連続障害やバンケットや水濠障害、さらには石壁などが行く手を阻む。

▲〔当競走のコースを紹介したパンフレット〕


▲〔坂道の途中に設けられた急勾配のバンケット。バンケットの中にまたバンケットがある感覚か。〕


▲〔大自然の中をそのままに疾走していくこの競走、道順を守るのも至難の業に思えるのだが…〕


▲〔普通に川も流れており、これもまた一つの障害である〕


▲〔唯一の女性騎手による優勝〕

このヴェルカパルドゥビツカがいかに凄まじい競走であるかは、世界各国最大の障害レースとデータを比較することでより色濃く実感できることだろう。

■ウェルシュナショナル
距離:5,934m
障害数:22

■スコティッシュグランドナショナル
距離:6,538m
障害数:27

■アイリッシュグランドナショナル
距離:5,834m
障害数:24

■パリ大障害
距離:6,000m
障害数:23

■中山大障害
距離:4,100m
障害数:11(バンケット昇降6回は含まず)

■中山グランドジャンプ
距離:4,250m
障害数:12

■グランドナショナル
距離:7,242m
障害数:30
最多勝利馬:レッドラム(連覇1回含む計3回)
最少完走頭数:2頭

■ヴェルカパルドゥビツカ
距離:6,900m
障害数:31
最多勝利馬:ゼェレツェニク(三連覇含み計4回)
最少完走頭数:1頭
完走馬無し、1回記録。なお20分以上かけてゴールした馬がタイムオーバーとなり全滅した珍記録もある。

いかがだろうか?
グランドナショナルとヴェルカパルドゥビツカがいかに飛び抜けた存在かがご理解頂けたものと思う。
日本一の難攻不落の要塞である中山大障害の障害数の約3倍近くの障害数を誇るのがヴェルカパルドゥビツカなのである。
特筆すべきグランドナショナルとパルドゥビツカは、最多勝利馬と最少完走頭数等のデータも追加してみた。
英国伝説のヒーローであるレッドラムはグランドナショナル3勝の金字塔を打ち立てたが、これ以上とも思える、空前絶後のパルドゥビツカ三連覇&トータル4勝という他の追従を良しとしない、大偉業を成し遂げた馬がゼェレツェニク号である。
“世紀の障害馬”とも呼ばれた史上最強の障害馬はこの馬だと、チェコの全民が微塵も疑わず、万民の誇りともなっている名馬中の名馬である。

▲〔父Zigeunersohn〕

1985年にソビエト連邦でペレストロイカが始まると、チェコスロバキアでも改革の機運が高まり始める。
1989年8月19日にハンガリーで汎ヨーロッパ・ピクニックが成功するや、オーストリアに隣接するチェコスロバキアにも西ドイツへの越境を求める東ドイツ市民が大量に流れ込み、プラハ市民は西ドイツ大使館内にあふれる数千人の東ドイツ市民を目撃することに。
ハンガリーに続きチェコスロバキアが「鉄のカーテン」の撤去に踏み切ったことで、11月10日には冷戦の象徴だったベルリンの壁は崩壊。その後11月16日までには、チェコスロバキア周辺のほとんどの共産党国家が、共産党一党独裁支配を放棄し始めた。チェコスロバキア国民は、これら一連の動きを国内外のテレビ放送を通じてすべてリアルタイムで把握しており、反体制派の市民らは民主化デモの準備を進めた。このうちプラハ市の大学生は、1939年にドイツ軍に抵抗して殺害されたチェコ人学生を追悼する「国際学生日」(11月17日)の50周年記念日を狙い、ビラでデモへの参加を呼びかけていた。
そうして訪れるビロード革命をえて、チェコとスロヴァキアは互いに独立し、それぞれの道を歩んでいくことになる訳であるが、この混沌たる時代を背景に、両国全民の心を鷲掴みにした名優こそがゼェレツゥニクであった。
激動の時代に国民的大障害を三連覇。その後、両国家独立後の1991年に、全民の心を時空と国境をも超越し、一つにしたドラマティックな優勝を果たした。雄偉溢れる巍然たる疾走と疾駆、いかなる障害も恐れず、勇猛果敢に挑み跳越してゆくその勇姿に、明日見えぬ時代を生きた人々は皆心打たれ、そしてまた心重ね共鳴し、まるで鼓舞されるがごと革命へのエナジーへと転換していくのであった。

ゼェレツゥニクはスロヴァキアで生まれ育ったが、チェコ国民からも今でも愛され、史上最強障害馬として認められている。
時代と国境を超え、民草の心を束ねる彼は、真の英雄であった。

2004年、静かな眠りについたゼェレツゥニクの墓を訪れる者は後を絶たない。
チェコ、スロヴァキア両国から来訪する根強いファンたち。
彼の勇威に感銘を受け、奮い立たされた時代の俤を、青空のスクリーンへと映し出す――


「史上最強」を決定付けた世紀の名ジャンパーは、チェコ・スロヴァキア両国民の心の中、未来永劫に滑翔し続けることだろう。国境、そして時代という障害を越えて――。

奇跡の名馬 (東欧・ロシア・アジア圏の名馬) * 09:12 * comments(0) * - *

Eva1895


    Eva

 
1895年にロシアにて誕生したエヴァという牝馬は、大変稀少な馬だったとされている。
毛色はスケェウバルドという牛のような毛色で、体高も非常に低く成馬となっても149僂靴なかったという。写真は子馬と一緒に写ったものだが、母馬特有の腹のボッテリ感がなければどちらが子馬なのかすら判別しかねるほどの小ささ。体質も虚弱だったのだが、子宝には恵まれ、1900年から1918年までの間に15頭も出産を経験。毛色に富み、計8種の異なる毛色の仔を出したとされる。
1899年にドイツへと輸送され、かの地にて終末を送った。
ロシアの生んだ奇跡の雌馬の話である――…。

   

奇跡の名馬 (東欧・ロシア・アジア圏の名馬) * 06:39 * comments(0) * - *

ランドスクネッシュト1927





コーヘイラン犬鯢磴法▲愁襯瀬謄好を母に持つこの馬は、シャギアアラブの血が流れるアラブ馬で、1927年に生まれ、翌1928年にポーランドへと輸入された。そしてポーランドの地にて競走馬としてデビューした変り種中の変り種。際立った活躍を残した訳ではないが、稀少な爛轡礇アレースホース瓩箸靴撞憶の一端に留めておきたいレアケースではなかろうか。


シャギア・アラブ

ハンガリーを原産地とする乗用種のアラブ。体高は約150僉シャギアの由来は根幹種牡馬シャギアに遡及するものである。毛色は単色で、相貌はアラブに近い。オーストリア・ハンガリー帝国が育種してきたアラブ種で、その飼養目的は乗馬や物資の運送用としてのものだった。
サラブレッドとの交配を繰り返して育てられていったようだが、競走馬として競馬場へと駆り出されたケースは非常に稀である。

奇跡の名馬 (東欧・ロシア・アジア圏の名馬) * 01:06 * comments(0) * - *

ミニモ ―Minimo― 

  ミ ニ モ

  〜時を越えた魔法〜

西アジア史上最強皇妃


  
父 シハァンギィアー
母 マイティーモー
母父 ビッグゲーム

生年:1968年
性別:牝
毛色:鹿毛
国籍:トルコ
主な勝ち鞍:ガジダービー(トルコダービー)、トルコ牝馬三冠(ディシ・テイ・デネム賞〔トルコ1000ギニー〕、キスラック賞〔トルコオークス〕、アンカラ・コスス賞〔トルコセントレジャー〕)、トルコ首相Cほか

ミステリアスな雰囲気が立ち込めた東欧・トルコ。夕暉(せっき)に映える暗愁の風音が譜線となり、行進曲をストリームさせてゆく――。何処からともなく耳を撫でるそのメロディーはトルコ行進曲。ベートーベンの劇音楽『アテネの廃墟』の第四曲…または、モーツァルトのピアノソナタ・イ長調の第三楽章『トルコ風のロンド』がその正体である。

夕闇が街を包む頃、一人の少女の姿があった。魔法使いを夢見る幼き眼差しは大人社会への頽然とした拒絶と反抗心に満ちていた。

「魔法さえ使えればどんなに楽しいか…」

沈鬱な心模様を晴らしてくれるのは、いつもファンタスティックな魔法への強い憧れだった。そんな彼女が親類のS.エリィエシルさんが経営する牧場を両親とともに訪れた時、一頭の子馬と出会った。話によると、期待など、全くを寄せられていない馬ということだった。少女はまるで呪文でも唱えるかのように、子馬へと話し掛けた…

「わたしも夢叶えるため頑張る。あなたも立派な競走馬になるのよ」

  


…無論、魔法でも魔術でもない。周囲から見れば清純可憐な女の子の呟きにしか聞こえない言葉だ。しかし、この囁きが現実の世界へと招来されようとは、まだ誰しもが夢にも思わなかった。


1970年、エリィエシルさんの妖精のような子馬がデビューの時を迎えていた。“ミニモ”という名が与えられたこの馬が、途方も無きポテンシャルを見せ付ける。キャンターのまま他馬を大差引き離し大勝。その瞬間、靄が掛かったように暗鬱とした競馬場が一瞬にして晴れ渡り、モヤモヤは彼方へと消散されたようなムードに包まれた。
「なんだ…!?この馬は!」
ミニモはその容姿やネーミングとはあまりにかけ離れた暴虐的強さで圧勝・激勝を積み上げてゆく。そして、来るトルコ・クラシック第一弾ディシ・テイ・デネム賞(トルコ1000ギニー、芝1,600m)は好位から音もなくスー…っと突き放しにかかり、スキップするかのように大楽勝。つづく二冠目キスラック賞(トルコオークス、芝2,100m)ではさらに凄まじく、ほとんどジョッキーの手綱が微動だにしないままダイナミックに加速度を上げてゆき、大差の圧勝。二冠を成し遂げた陣営は、震天動地のローテーションを発表する。

「ガジダービーに挑戦します」

他陣営はこれに驚きの色を隠せなかった。二冠を歴史に残る勝利で手中に収め、この後には三冠が控えているというにも関わらず、最強クラスの牡馬と早い段階で矛先を交えるという無謀ともとれる挑戦。まして大敗でもしてしまえば一気に人気も信頼も、そしてファンの心も離れてしまいかねない。賭けともとれる大英断だった。

ガジダービー(トルコ・ダービー、芝2,400m)に臨むミニモは、水鏡のように透徹とし、落ち着き払っていた。ミニモは直線コースに入るまで苦しそうな表情を覗かせていたが、ストレートに向くやいなや、ロケットブースターに点火されたかのような爆発的加速を見せ、牡馬たちに惜別を告げてゆく。その風のように疾駆してゆくミニモは、魔法の絨毯に乗っているかのようだった。ガジダービー史に残る歴史的牝馬による大勝劇。その光景は、あの少女の瞳にも焼き付いていた――。
「まさかあの子がこんなに強くなるなんて…」


秋めく微風が首都アンカラの木々を優しく撫でる季節に、トルコ国内はミニモの話題で持ち切りになっていた。と言うのも、トルコ三冠馬はそれまでに出現していたのだが牝馬による三冠馬は1頭も現われていなかった。こうした歴史背景も影響し、ファンはもちろん、国民は異様なまでの盛り上がりを見せていた。そんな中迎えた三冠が懸かった大一番、アンカラコスス賞(トルコ・セントレジャー、芝2,800m)はアンカラ中の人々が固唾を飲んで熱視線を送った。俊敏なスピード能力を誇るミニモは、スタミナに弱点があるはずだと、他陣営は推察。徹底してミニモをマークしつつ、ハイペースの消耗戦に持ち込もうと考えた。スタミナを必要以上に浪費させてしまえば、最後に繰り出す宙を滑るような魔法の末脚は使えない。ダービーでプライドをズタズタに踏み躙られた牡馬たちが共謀し、ミニモへと襲い掛かる。集団による暴虐行為ともとれるほどの強圧なプレッシャーが、紅一点のミニモへと間断なくかけられる(もう1頭アイニュルという牝馬も参戦していたが、この馬は完全にノーマーク。この牝馬が漁夫の利のように2着入線し、牝馬による同レース史上初のワンツーフィニッシュという快挙をもたらすこととなる)。
遠く離れたスタンドから見つめる、大人になった少女は、ミニモの窮地を悲愴な面持ちのまま、祈るように声援を送った。
レースは激流のように流れ、熾烈を極めた。1頭、また1頭と脱落してゆき、最後のコーナーを周回する時、馬群は散々になり、ミニモただ1頭だけになっていた―…他馬は完全にスタミナを使いきってしまい、疲労困憊、今にも転倒しかねないほどバテてしまっていた。またそれはミニモが尋常ではないまでの大海のスタミナと鋼のような精神力を兼備していた何よりの証となっていた。直線を向くとさらに烈風となり、四次元世界の超加速を見せ、見事三冠達成。ダービーを加えればトルコクラシック四冠という空前絶後の大記録を打ち建てたのであった。直線を独走してゆく絶世のヒロインへ贈られる拍手・賛美の大歓声が成り止むことはなかった。



その日、夕日が街影を作り始めた頃、ネオンの照明を背に受けてミニモと少女は再会を果たした。


               


そしてあの時と同じ。少女の面影もそのままの屈託のない笑顔で、淑女は呟いた…



「あなたはすごいわ…。夢を叶えたのよね…でも私も夢叶えたのよ。魔法を使いたいってゆう夢を。あの時私のかけた呪文どおり、あなたが名馬になった!すごいことだわ」

遠くから聞こえる汽笛。

街をゆく恋人たち。

すべてが明日へと向かう時間の中、二人の時間だけが数年前に思い描いた未来を夕空へ映していた――。
トルコ競馬史に永遠にさんざめく、高貴なる二人の女傑をシルエットに・・・…―――。
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奇跡の名馬 (東欧・ロシア・アジア圏の名馬) * 23:50 * - * - *

デルシム ―Dersim―

  【デルシム】 

トルコ石トルコ馬

JCへとやってきた
  トルコの歴史的名馬



(写真協力:トルコJC)

父カラブース
母サイカ
母父フロシェロイヤル

生年:1978年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:トルコ
生涯成績:17戦7勝[7-8-1-1]

12月の誕生石であり、その紺碧の麗しきトーンから数千年もの盤古の世から宝石や装飾品として愛でられてきたトルコ石。その語意はトルコの石そのもので、その起源を遡及するとフランス語のpierre turquoise(トルコの石)に行き着く。トルコ石は十字軍により欧域へと伝播され、いつしか“ターコイズ”という単語は、その色合いさえ指し示す言の葉へと変容していった。

  
   [トルコ石]

さて、そのトルコ石の原産地であるが…実のところトルコ石はトルコにはない。これいかに?
どうしてトルコで産出されないトルコ石に“トルコ”と名付けられているのだろうか。命名というものは馬名においても、もちろん人名や商品名にあってももちろん至極重要な意義合いを持っている。対象物の一生を決めかねない岐路とも言える訳だから、当然のことである。これについてはいくつかの諸説があり、まず一つが最古の鉱脈がトルコにあり、これに由来するというもの。他方では、アトラス山脈周辺の砂漠で産出されたものがトルコを経由して搬入されていたため、その経由地に語源を求めることができるというもの…などがある。

トルコ石の名称発祥の地であるトルコにはカライエル(トルコ三冠ほか18戦全勝)、ミニモ(牝馬によるトルコクラシック四冠達成)といった歴史的名馬が出現したものの、国際舞台の大レースへとは出走せず、その競走生活にピリオドを打ってしまった。トルコ産馬の救世主となる馬は必ず出現する…その拙いファンの願いを叶えるべく降臨したと形容してもいい歴史的名馬こそ、本馬デルシムであった。
デルシムは1981年のガジ・ダービー(トルコダービー・芝2,400m)を圧勝し、はるばる日本へとやってきた唯一のトルコ馬である。トルコ石とは違い、列記としたトルコ産の土着馬であり、類稀なる安定感と、勝負強さを発揮したトルコの名駿であった。

ダービーの栄光を手に入れたデルシム陣営の元へ、遥か遠方、東方の最果てに浮かぶ島国から一通の招待状が届く。それは日本という異国の地で催されるという、国際レース・ジャパンカップ。その栄えある第一回の招待馬として選出したい…との内容だった。このインヴィテーションは、陣営にとって願ってもない誘致であった。近年最強のダービー馬と言われたデルシムの膨大なるポテンシャルを、世界の焦点となる舞台で発揮すればトルコ馬の評価を塗り替えることが出来るかもしれない。しかも、デルシムはトルコ産。これは非常に重要なポイントで、トルコ競馬のみならず、トルコ産馬の評価を上昇させる可能性さえ孕んでいた。もう迷いなど微塵もなかった。デルシム陣営は躊躇することなく、シルクロードを辿り、海を渡って東端の小国へと出立したのであった。
時同じくして、米国・カナダ・インド・アルゼンチンへも熱烈なラブコールが繰り返されていた。
米国から招致されたのは18勝を上げた豪牝ザベリワン、ほかメアジードーツといった面々。インドからはインド最強馬オウンオピニオンが一足早く来日し、マスコミを賑わせていた。カナダからはフロストキングなど3頭。そしてトルコ最強ダービー馬としてデルシムが来日を果たすと、日本の競馬記者たちは“トルコのヒカルイマイ”と呼んで、その出走を歓迎。デルシム陣営も世界の超最強級はおろか、一流馬さえいないこの舞台なら…との思惑もあったことだろう。

   
[オウンオピニオン]


[フロストキング]

しかし、日和に熱が篭る調教に、デルシムの脚元までその熱は伝わってしまったのか――。
屈腱炎を発症してしまい、出走は断念された。そして世界への扉は閉ざされ、儚き夢はまたも霧散することとなってしまったのであった…。
ジャパンカップ回避後、デルシムはトルコへと帰還を無事果たし、種牡馬として活躍した。第一回のジャパンカップは、日本競馬が諸外国の大波に飲み込まれ、異界の馬たちに打ちのめされ、果てには絶望に打ちひしがれた…言わば犢船ショック瓩箸盡鴇里任るような歴史的レースであった訳であるが、絶夢の想いを噛み締めたのは日本馬だけではなかったことも、忘れてはならない。

トルコ石のごときに、世界を認めさせるだけの名声を求めた偉大なるダービー馬デルシム。
忘れまい。日本馬たちの悲涙の影に隠れたターコイズが放つ非望の耀きを――。

   

奇跡の名馬 (東欧・ロシア・アジア圏の名馬) * 06:51 * - * - *

スメタンカ       ―Smetanka―   

 【 スメタンカ

 〜ホワイト・ミラクル

たった5頭の産駒で
 国を制圧した伝説のアラブ


 

父?
母?
母父?

生年:?
毛色:芦毛
国籍:ロシア(トルコ産)
生涯成績:〆

極寒の地、ロシアには2頭の名馬が伝説的ヒーローとして語り紡がれている。
1頭がサラブレッドのアニリン。ソヴィエト三冠・オイロパ賞3連覇ほか、28戦22勝、いまだロシアの史上最強馬として謳われ、崇められる、ロシアが世界に誇る最高の名馬である。
そしてもう一頭が、トロッターのクレピシュである。当時の世界記録となる戦績と獲得賞金を挙げ、無敵を誇ったという。「トロットホースの王者」、「100年に一頭の名馬」とまで賛嘆され、1912年にロシア競馬を視察に訪れた米国の調教師チャールズ・ダンナー氏をして「一目見たら、もう目を離す事はできない。釘付けになってしまうのだ。それだけ、この肢体には、そしてその動きには、この帝国の威信が感じられた」とまで言わしめた。
クレピシュはその反則的なまでの強さと速さゆえ、なんとサラブレッド種との対決まで課せられたという。しかし、人間が与える勝手気ままな試練さえ克服し、クレピシュは期待に応え続けたのである。この馬は、ロシア伝統の血種オルロフ・トロッターなのであるが、その祖となっている馬こそ真の世紀の名馬。そう…たった5頭でロシアの象徴たる存在までその血を掲げた白い伝説こそ本馬スメタンカなのである。ロシアの競馬史をなぞると共に、この白き神馬の話を語り紡いでいきたい。

歴史に埋もれし文献・資料を紐解くと、ロシアにおける最古の公式競馬は1772年7月、サンクトペテルベルグの郊外クラスノエセローにて催されたものだとされている。日本のJRAのような統括団体が登場したのは、しかしもっと後のことで、1826年タンボフ州のレベジャーニにその端緒を認めることができる。競馬そのものの歴史は英国に譲るものの、1800年代の後半には「ヨーロッパ最大級」との讃辞を獲得するまでに成長したのがモスクワ競馬場で、ロシアにおける競馬人気は常にこの地を起源として波及してゆくこととなるのであった。

   
〔ロシアにおける騎馬文化は日本より遥かに古い歴史をもつ〕


 
〔ロシア競馬はロシア革命・第二次大戦時には中止され、競馬場は訓練場、また時としては労働デモの舞台となった。あのレーニンも競馬場へ集結した同胞たちへと演説を行った一人である。写真はその時のレーニン〕



発展繁栄の未知を邁進するロシア競馬を完全と掌握したトロット種…それが既述のオルロフ・トロッターである訳であるが、彼らを生産した偉大なる生産者は、露土戦争でその名を天下へと知らしめたアレクセイ・オルロフ伯爵で、彼は1769〜1774年の間、エーゲ海におけるロシア艦隊を取りまとめる司令官を務め、軍旗を奮った。その名声が頂点を極めたのが1770年6月26日にトルコ軍へと夜襲を掛け、壊滅へと一気に追い込んだチェスマの戦いでのこと。この一戦、敵艦を一網打尽にしたロシア軍は敵側の総司令官であったハサン・ベイ将軍の船へと潜入。すでに白旗を揚げていたハサン将軍とその妻子・親戚一同は皆命無きものと、覚悟を決めていたようだったが、これを見たオルロフ伯爵はトルコへと無傷のまま送り帰すことを表明。これにいたく胸打たれたハサン将軍は感激の証にと、アラブ馬12頭を謙譲。その中の一頭に神々しい白光を全身から解き放つ馬が一頭いた――それがスメタンカであった。スメタンカとはロシア語でサワークリームを意味する言葉で、それほどに艶やかで、繊細な美麗をまとっていたということなのであろう。まさかこの白馬が、オルロフ伯爵のみならず、国全体のトロッター…その行く末まで大きく影響しようなどとは、まだ誰もがこの時、予期することはできる筈もなかった。


 
〔ロシアが育出したもう一種の馬種テルスク。1921年〜1950年の間、北コーカサスのテルスクとスタブロボールの牧場にて育種改良が行われていた。この種はサラブレッドの血筋も宿しているが、アラブ独特の端正かつ麗しい外観と滑らかなモーションを保持していた〕


オルロフ種馬牧場の傘下入りを果たしたスメタンカは、オランダ、メクレンブルグ、そしてデンマーク産の繁殖牝馬と交配され、残された産駒はわずか5頭。しかし、奇跡が奇跡を呼び、奇跡が奇跡を起こすように、スペイン馬の血を色濃く受け継いでいたデンマーク産牝馬から産まれたポルカンI世という名の1頭が種牡馬入りを果たし、オルロフ・トロッターの根幹馬となるバース祇い鯒攴弌オルロフ伯爵と牧場長のV.I.シシュキン氏が品種改良の努力を続けた結果、冒頭のクレピシュ降誕へと結びついていくこととなる。



   

たった5頭の仔しか残さなかった1頭の血が一国を完全に制圧する…――。こんな途方もない宇宙レベルの奇跡を召喚してしまったスメタンカ。雪と氷に閉ざされた世界に舞い降りたホワイト・ミラクルに
静かに永久の祝杯を揚げよう…―――・・・。

奇跡の名馬 (東欧・ロシア・アジア圏の名馬) * 03:20 * - * - *

ザゴン ―Zagon―        

  【 ザ ゴ ン

   戦渦の遺宝 

―ポーランド競馬
      史上最強馬―





父 カステット
母 ジッタ
母父 クラブハウス

生年:1998年
性別:牡
毛色:黒鹿毛
国籍:ポーランド

炎熱に燃え滾る空…燃え焦げる街を悲鳴が煽り立てる――。
1945年のイタリア。

「すすめぇーーッ!邪魔する者はすべて射殺せよッッ!!!」

とある田舎町へ英国連合軍が忍び寄っていた…。
強大なる武装兵の前に丸腰の市民が何の抵抗ができよう…――。

神はこのアルマゲドンを…取り返しのつかない世界的破滅を…地球規模のカタストロフィを見つめ、
何を想うのだろうか。
後に第二次世界大戦という呼称が充てられることとなる、人類がいまだかつて感受したことがない凄惨たるこの戦禍は、いくつも尊い命を忘却の彼方へと消失させ、残されし者たちの運命までも歪曲させてしまった。
悲惨苛烈を極める歴史の犠牲者は人間だけに止まらなかった。当時残虐なまでに繰り返された強奪・略奪は金品のみにあらず。女性・子供は強姦・惨殺の対象となり、馬や牛のような家畜も銃殺や惨たらしいまでの仕打ちを受けた。

イタリアのとある牧場にて誘拐されたカロレアという牝馬は、闇に紛れ、国境を渡り敵国の地を踏んだ。連れ去ったその兵士の母国は彼の国の言葉で爛櫂襯好瓩箸い辰拭
しかし、この屈辱まみれの略奪が奇跡の原動力となろうとは、まだ誰も想像にするはずもなかった――。

故国を奪われたカロレアは望郷の想いを咆哮するかのように走りに走った――そしてついに、ナグロダリリィ(ポーランドオークス・芝2,400m)を制し、戦火が終息へと向かう中、一流馬へと育っていったのであった。

それから、数十年の時が流れ、バルト海の微風がそよぐ町へ…「野原」を意味するポルスカの大地…ポーランドというこの国へと幽焔なるオーラを放散する1頭の巨馬が生れ落ちた。母方も父方もポーランド土着の血脈で、父カステットは悲涙の記憶を眠らせるカロレアの血を引いていた。

  
〔日本でもその名を知られる世界的物理学者キュリー夫人(右)やピアノの歴史的巨匠ショパン(左)もポーランド出身である〕


ザゴンと命名された子馬は無邪気に跳ね回り、自らに遺恨と宿命とが介在していることを、まだ知る由もなかったが、体内に宿る命運はポテンシャルを呼び覚ます。圧倒的なパワーで突き抜け突き放す鮮烈極まるモーションでポーランド競馬を席巻。ワルシャワダービーには間に合わなかったものの、セントレジャー(芝2,800m)で初GI制覇を飾り、国際的な活躍へと帆を揚げて行くのであった。隣国スロヴァキアでも無敵を誇り、永遠の燦光を解き放つこととなる快挙、CEBCクラシック(芝2,400m)連覇を達成し、名声は頂点を極めた。

 
〔若者が多いのもまたポーランドの特徴で、人口の50%が35歳以下、35%が25歳以下、20%が15歳以下。日本の漫画の人気も高く、学校で日本語を学ぶ生徒も少なくない。(写真はポーランドの若者)〕



 
〔CEブリーダーズカップにて馬場入りするザゴン。祖先であるカロレア略奪の顛末を推析してみたい。第二次大戦中の1939年9月1日、ドイツ軍とスロヴァキア軍が、9月17日にはソ連軍が東部国境を越えてポーランド侵攻を開始してポーランド軍を撃破し、ポーランド領土はドイツ、スロバキア、ソ連、リトアニアの四ヶ国で分割占領された。ポーランド亡命政府は当初パリ次いでロンドンに拠点を移し、戦中のポーランド人は国内外で様々な反独闘争を展開することになったのだが。おそらくザゴンの父カステットの遠い母(4代前)であるカロレアは、この時連れ去られたのではなかろうか。歴史的経緯から見るとその時期と推断できよう〕



悲運なる母の記憶――。
しかし、その無念は時空を超え、中央ヨーロッパの宝玉となり、やがては故国の空へその暁光を届けるに至った。冬凪の空を明るく照らし続けるザゴンの讃歌にいつまでも拍手喝采が止む事は無い―――。



  

願わくば恒久なる安らかなる日々を――。
少女の明眸に浮かぶ久遠の時がやがて訪れる日を今日も世界は願い続ける…――…・・・。

奇跡の名馬 (東欧・ロシア・アジア圏の名馬) * 04:27 * - * - *

ラグナ ―Laguna―         

  【ラ グ ナ

  〜 神  駒 〜

―潭暗の時に眠りし
     幻の超絶牝馬―



父アルマスカ
母ゴンドラ
母父ポマーン

生年:1938年
性別:牝
毛色:栗毛
国籍:ユーゴスラビア
生涯成績:???

遙かなる競馬史の暦譜の中、戦争という人類が生み出したる負の意力により、その存在すら忘れ去られていってしまった薄幸の名馬たち。それはかつてのナチス・ドイツ時代の名馬たちや、第二次大戦中、不運にも戦火に儘滅していった馬、銃殺などの極刑に処されてしまった馬など、枚挙に暇が無いように、不幸な末路を辿った駿馬は少なくない。

万古の日々、世界大戦の暗鳴を擦り抜けるように、神話級の絶烈なる強さを見せた奇跡の名馬が、かつてのユーゴスラビアに存在した。
黄金のようにキラキラと目映いばかりの微光を解き放つ巨体。牡馬も顔負けの強靭極まりない鯨のような骨格。そのオーラは敢然たる狄性瓩修里泙泙任△辰燭箸いΑこの馬に関する資料・文献はいかなる書肆を巡廻しようとも、その縁すら攫めない。


〔「神々の結晶」崇愛されし伝説の名馬ラグナ〕


それもそのはず。ラグナの活躍した時代、それは1940年代前半。まさに戦火が激しさを増し、世界が混乱と混沌の泥沼へと足を踏み入れた時代。そんな暗黒世界へと光のツバサを宿した絶世の怪女が出現したのである。



 
〔この馬がセルビアダービーを制した1941年、日本のヒット曲はあの童謡の『うみ』、『たなばたさま』など。戦時中にあの歌は生まれたのか…と想いを思わず膨らましてしまう〕



[1941年というと、米国大リーグで、ヤンキース所属のジョー・ディマジオが56試合連続安打記録を打ち建てた年。また夏の高校野球も翌1942年には戦争により中止を余儀なくされている。そんな中でも競馬はひっそりと能力検定競走として行われていた]



その馬こそ本馬、ラグナ(ラグーナ)。断片的に残された資料では、毎レース巨神が怒り猛るような脚音でレースを進め、他馬が霞んで見えなくなるまで大差千切っていたという。
セルビア2000ギニー(ダ1,600m)、セルビアダービー(ダ2,400m)を戦乱によりレースの施行自体も危ぶまれたが、絶望的国勢の迷霧をも吹き飛ばす超歴史的圧勝でユーゴスラビア競馬史上初となる牝馬でのクラシック二冠を披露。特にダービーでは周回遅れにするほどの、天地神明の烈翔だったという(本当に周回遅れにしたかはかなり疑わしいが)。


 
〔まさに幻影の名馬。リールやエレノア、アリエル…私は伝説の瞑王妃たちを厳選し、『史上最強馬投票コーナー』にてスペシャル枠を設け、ピックアップしたが、その中へラグナもぜひ加えておきたい〕
⇒コスモ・メモリー
http://umineko-world.jugem.jp/?eid=1155
<この↑ページの『うみねこが選ぶ幻影10大女帝』の項に超厳選に厳選を重ねた絶世の牝馬が掲載されている>


この馬があまりに悲劇的だったのは、ダービーを勝った1941年に、ユーゴスラビア侵攻があったためだ。そして、史上最悪のカタストロフィー…第二次大戦の戦災は激化。
略奪、強姦、殲滅…。残虐的凄惨な動乱の中、ラグナは疾駆した。時代に、人類に警鐘を鳴らし、その激勝は天譴の象徴だと言わんばかりに―――・・・。

 
〔ユーゴスラビア侵攻とは、第二次世界大戦中の1941年4月6日から同年4月17日にかけて、ドイツ、イタリア を中心とする枢軸国軍とユーゴスラビアとの間で行われた戦いを指す。ドイツ軍はポーランド侵攻、フランス侵攻に次いで電撃戦を成功させ、僅か十日あまりでユーゴスラビア全土を制圧した。欧米では4月戦争とも称されている。写真はユーゴスラビア軍の軽戦車『ルノー FT-17 』〕




悪夢と迷夢。歪んだカオティック・ブルーの最中、運命に弄ばれた神駒ラグナは、いつの間にかその幽玄なる姿態を忽焉と消失させていた。
天空(そら)の戒め解き放ち、降誕した冥界の妃王の行方を知る由はどこにもない。
すべては暗澹たる闇の歴史の彼方、浮かぶ蜃気楼の中にある―――。


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奇跡の名馬 (東欧・ロシア・アジア圏の名馬) * 23:59 * - * - *

ミスティカル     ―Mystical―

  【 ミスティカル 】

 〜神秘の国の挑戦者〜

―インド競馬の
      歴史的名馬―



父 アルナスルアルワシーク
母 ミスティックメモリー
母父 マルヴェド

生年:2002年
性別:牡(せん馬)
毛色:鹿毛
国籍:インド
生涯成績:20戦16勝(インド17戦14勝3着1回)

世界最高峰への飽くなき情熱…。
燃え滾るその熱き想いはいつの時代も変わらない。
国の威信と誇りを背負い直向に闘うその生き様は、万民の心を突き動かす――。
オリンピックであれ、サッカーであれ、野球であれ、国中が一喜一憂し、熱視線を送り続けるのは、根底に愛国心が大きく脈打ち、一人一人のそれが大きなうねりとなって国全体を揺り動かすことになるためであろう。


〔昭和のTV普及時のとある家庭の様子。テレビに映っているのは相撲のようだ。ワールドカップやWBCをみんなで観戦する時、当時みんなで肩を寄せ合ってテレビ観戦に声を上げたことを想いだされる方も多々いらっしゃる。あの時の懐かしい一体感を感じれる機会が代表チームに声援を送る時のみというのは、なんとも悲しい〕

競馬においてもそれは変わらない。日本競馬悲願の夢…海外G祇覇は、幾年もの歳月と先人たちの血の滲むような努力と苦心惨憺が大きな糧となり、シーキングザパール、タイキシャトルの劇的な優勝へと繋がっていった。そしてエルコンドルパサー、ディープインパクトらの歴史的凱旋門賞挑戦により、世界最高峰が手に届くところまで来ている。いつの日か、必ず日本馬が凱旋門賞を…ドバイWCを、ブリーダーズCを、キングジョージを勝つ日がやってくるに違いない。

ここインド競馬においても、世界への巨大なる闘志を燃え滾らせる人馬がいた。
それがプーナワーラ牧場のザバレイ氏とその生産馬ミスティカル号である。
インド競馬積年の夢、海外レース制覇。その大望は結実することを、容易に神は許してくれなかった。
海外で通用するような駿馬が出現していなかった訳ではない。日本でもその名を覚えられているオウンオピニオンや、その同期ロイヤルターン、またインド競馬史上最強最高の名馬と賛謳されしイリューシヴピムパーネルならば、世界の桧舞台に上ってきても、なんら不思議もなかった。特に、イリューシヴピムパーネルは凱旋門賞や香港のビッグレース、さらには米国遠征にジャパンカップへの出走などが関係者の鵬図に描かれていたものの、故障により結局は邯鄲の夢、儚くも気泡へと帰することとなってしまった。

    
〔オウンオピニオン。生涯成績43戦27勝。396kg(ジャパンカップ出走時)の小柄な馬体でありながら69kgの斤量を背負い勝った事も。インド競馬史上に残る名馬の1頭であり、第1回ジャパンカップに出走されたことで日本では有名。「インドのシンザン」の触れ込みで紹介された。また、「ゾウと併せ馬(調教)をした」「飼い葉にはカレー粉が入っている」等とまことしやかに噂されたこともあり、ある意味注目を集めていたが、全盛時の勢い無く、日本の馬場も合わなかったため大敗に終わった〕


  
〔インド競馬史上最強馬イリューシヴピムパーネル。詳しくは『奇跡の名馬・イリューシヴピムパーネル』http://umineko-world.jugem.jp/?eid=476こちらを参照されたい〕


インド競馬史における宿願の海外制覇がはじめて達成されたのは香港シャティン競馬場でのことで、インド三冠馬アストニッシュがマイルの1戦で快勝。レコード勝ちのオマケ付きであった。また当時の現役最強馬アドラーが米国へと移籍し、同国の芝レースで勝ち名乗りを上げた。インド産馬の米国レース優勝という、歴史的勝利を上げたのだった。一方、マレーシアではシンプリーノーブルが最強マイラーの地位を築き上げ、一世を風靡していた。しかし、パート宜颪旅餾G亀蕕任陵ゾ,簗称たる世界最強級を相手に競り勝つような名馬は依然として降誕する様子を見せようとはしなかった。まるで冬の太陽に蟄居を要求されたかよわき昆虫のように、世界へと牙を剥く名馬はインドの殷賑の中封印されているようであった。イリューシヴピムパーネルもスマートチーフタンもインド国内から世界へと飛翔する機会を簒奪され冥界で佇立することとなってしまう。故障という不運もまた運命。厳しいようだが、それを乗り越えていった者たちだけに大いなる栄光の華燭は燈されるのだ。


〔マレーシアで勝利を上げるシンプリーノーブル〕

その固くぶ厚い甲殻を突き破れる名馬が現れる。奇しくも日本の英雄ディープインパクトと同年にインドの地で産声を上げたのが、ミスティカルであった。ザバレイ氏は早くからこの馬に異質なものを感知し、宝愛するのみならず、世界戦へ向けての英才教育を施した。
デビュー戦では期待を裏切り、2戦目も思わぬところで失策を喫し敗退。3戦目で待望の勝利を氏へプレゼントすると、ここからが烈雷のごとき大進撃を開始。先行してキッチリと前を捉えきる戦法も板に付き、誰が見ても安心して彼の勝利を確信して閑談に耽ることができるほどだった。ムンバイ競馬場へと颯爽と乗り込み、インド2000ギニー(芝1,600m)を楽勝すると、インド競馬の頂点インドダービー(芝2,400m)へと出陣。道中中段待機策からいつものように抜け出しを図った。しかしなかなか前を捕まえることができない。ジリジリとしか伸びないミスティカルを嘲笑うかのように、先に抜け出したヴェルヴェットロープが1着でゴール板を通過。猛追・天槌も及ばず、僅差の3着と敗れたミスティカル。陣営は苦悶の表情を浮かべ、ミスティカルへと狂乱の猛調教を課した。これに応えるのがやはり歴史的名馬の証で、最後の一冠インドセントレジャー(芝2,800m)ではヴェルヴェットロープ以下を圧倒。大楽勝でニ冠馬の称号を戴冠するのであった。

結局ダービーの敗戦がミスティカルのインド国内における最後の失態となった。まるで覚醒した獅子のように、幻影を追うかのような独走劇を直線で展開。インドターフ招待カップ(持ち回り、芝2,400m)、インド大統領ゴールドカップ(南インド・ハイデラード競馬場、芝2,400m)、スーパーマイルカップ(持ち回り、芝1,600m)と他馬を相手にもしない8連勝で世界へのパスポート奪取に成功するのだった。

「この馬なら勝てる!」
陣営のみならず、国民の誰もが、もはやミスティカルはインド国内で走ることの意味は無い…そんな想い抱懐していた。
目指すは遥か砂漠の国…炎夜の陽炎の中そそり立つ巨大なコロッセウム。芝1,777m、ドバイデューティーフリーがターゲットだ。

入念な準備と幾重にも渡って重ねられた談義。プーナワーラ全ての力を結集しての海外遠征に、インド国民の競馬ファンも声援を送った。
そうして歴史的一瞬がやってくる。
2007年2月15日、ナドアルシバ競馬場のプロパーティー・ウィークリーカップ(芝1,600m)を4番でスタートしたミスティカルは内々の狭い位置から疾風のように抜け出すと、後は雄雄しく後続に差をつけ圧勝。インド生産馬によるインド調教馬の、インド人のみの力で成し遂げた、歴史的1勝だった。下級戦とはいえ、この1勝が陣営と国民に与えたものは大きい。
ドバイ2戦目、デューティーフリーへの最終調整として出走したアルテイラー・マセラティプレート(芝2,000m)、相手は一気に強化され、今回は本当に国際戦らしい1戦となったが、1戦目と同じような抜け出しを決めると、鞍上ライアン・ムーアの鬼神のごとき鞭の乱打に応え、1馬身差の快勝で歴史的10連勝を達成。本番デューティーフリーへの期待はさらに膨らみを増していった。


〔10連勝のゴールを目指すミスティカル〕

3月31日、ドバイワールドカップデー、ドバイデューティーフリーには例年歴史的最強メンバーが結集するが、この年も凄まじいメンバーが集結していた。アドマイヤムーン、ダイワメジャーら日本が誇る歴史的名中距離馬の2頭に、BCマイル覇者ミエスクズアプルーヴァル、後のBCターフ8馬身圧勝はじめ、ユーナイテッドネイションズハンデ連覇などのG5勝馬イングリッシュチャンネル、米国西海岸で無敵を誇るラヴァマン、セントジョージS(芝1,800m)・オーストラリアンC(芝2,000m)を連勝してやってきたオセアニアのジェニュイン産駒ポンペイルーラー、当時の南アフリカ最強牝馬イリデセンス、後の国際G気婆進するリンガリなど世界最強のミドルディスタンスホースが挙って出走。この最強メンバーを相手に、全身全命を振り絞り、粉骨砕身の全力疾走でミスティカルは奮起。大敗するも、BCマイル馬と米国のラヴァマンに先着を果たし、やはり世界で戦える馬であることをインド競馬ファンと関係者一同へと強く印象づけ、何よりもガルーダのような勇気のツバサを天与してくれたのである。

  
〔凱旋するミスティカルと関係者一同〕


ON AND ON!そう、闘いはつづく…。世界の頂点という夢冠を空へとかざすその日まで―――。

奇跡の名馬 (東欧・ロシア・アジア圏の名馬) * 23:56 * - * - *

ファントムタートル ―Phantom Turtle―

  【ファントムタートル】

〜もしもし亀よ亀さんよ〜

―中欧名スプリント女王―



父 タートルアイランド
母 ミュージックオブザナイト
母父 ブラッシンググルーム

生年:1999年
性別:牝
毛色:鹿毛
国籍:ハンガリー

「もし、もし、亀よ〜亀さんよ〜♪」の童謡で詠われているように、亀は非常に動き遅い、鈍足な生物である。もし豹のように俊敏な亀がいたら、どれほどに度肝をぬかれることやら分からない。いや漫画のようにギョっと眼球が飛び出してしまうかもしれない。

     

しかし、そんな世界を転覆させるような亀がいたのである。俄かには信じ難い話なのだが、「翼の生えた亀」がいたというのである。珍重な存在を“亀毛兎角”などと書いて表現するが、「毛」で止まること知らず(?)羽根が生えているというのだから、時が止まるほどの驚愕的事件ではないか。
事の顛末はこうだ。1887年の夏、フロンツェル・アンブローズ・ニークバーン博士とロレンソ・フラッバーシャム氏が金鉱の採掘目的でアラスカ南東部へと赴いた際、ひょんなことから澄んだ青空を飛び回る不可思議な物体を目撃。それが羽根を生やした亀、“フライングタートル”だったという。


〔博士の綴ったスケッチ画〕

  
〔F.A.ニークバーン博士〕


〔翼が生えたという事例は、亀だけでなく、他の生物でも見受けられている。中でも翼の生えた猫、いわゆる“翼猫”の存在は世界的にも広く知られている。幾つかの奇談を紹介しよう。1933年、オックスフォードのサマーストンに住むヒューズ・グリフィス夫人が馬小屋で翼を持った猫を発見、この翼ネコは、鳥のように翼をはばたかせて、床から梁へと飛び上がったそうである。夫人は、オックスフォード動物園に電話をかけ、管理者のフランク・オーウェンと、園長のW・E・ソーヤーに自宅に来てもらい、彼らは持参した網で翼猫を捕獲した。後ろ足の真上の腰の部分に生えていたという。この翼ネコは、動物園に飼われる事となった〕

   
〔1959年、アメリカ、ウェストバージニア州のパインズヴィルの山中で、ダグラス・シェルト(Douglas Shelton)という少年が、翼ネコを捕まえる。少年は、雄ネコと勘違いしてトーマスと命名。翼の長さは約23cm、翼の中には軟骨らしいものが入っており、ネコの体長は75cmと大柄。ペルシャ猫のような長毛種だった。驚いた事に後日、翼は抜け落ちたという。2000年代になっても、マンチェスターのトラフォード・パークに住む大工の家の庭に翼猫が舞い降りたという事件がある。この翼ネコは尻尾の形状が変わっていて、平たく、広かったという〕


さて、話を元のレールに戻し、なおかつ本題へと推移してゆきたい。
このような奇怪な生物が実在したのか、それても単なる御伽草紙なのかは個人の判断推慮に任せる他無いが、中欧の短距離路線においても奇獣のごとき不釣合いな名スプリンターが驀進劇を展開していた。それが本馬ファントムタートルである。繊細かつ清楚な牝馬とは掛け離れたネーミング…さらにはその血統も実にアンバランスで、短距離馬のそれとは思えないものである。父のタートルアイランドはフェアリーキング産駒で、たしかにフェアリーキングは短距離馬(日本では高松宮杯を勝ったシンコウキングなど)を輩出してはいるが、父母のサイアーラインにはハイトップやヴィミーといった重厚な血名が見える他、母父側にはリボー、ジェベル、トワルビヨン、スウィンフォードといった重戦車のごとき名馬が連なりを見せる。しかし、ファントムタートルは血統書がまるで虚偽の代物であるかのように中欧のスプリント路線で大躍進をみせる。ナスルーラやテューダーミンストレルの血脈がその活性を助長し、多分に好影響を齎していたのだろう。
オーストリアやハンガリーの片田舎では敵無しの彼女であったが、果たして他国の最強クラスを相手にしては如何なる結果となろうか。陣営もファンも、期待半分の不安が半分という心境で臨んだ中欧ブリーダーズカップ・スプリント(芝1,200m)は心の曇りが吹き上げられるような爽快な快走を披露し、2着馬のティム以下を圧倒。最強スプリンターの座を見事に射止めるのであった。その時の開催国がハンガリー。キンツェム競馬場がその舞台であった。もしかしたら、偉大なる54戦全勝馬の加護が彼女へと降り注いだのかもしれない。

幻影亀馬。新たなる世紀の序詞とも言うべき新種のサラブレッドがそこに佇立していた。
アイルランドに生まれ、遙かなる国を旋廻した光速ガメの逸話は、競馬史の見地からも歴史的歩みとなった。

「もし、もし亀よ、亀さんよ♪」


世界のうちでお前ほど♪
走りの早い馬はいない――

そんな歌詞がその歴史的1戦には相応しく思えた。
あまりにも奇異を覚えるその感覚こそが“幻影”だったのかもしれない。


       

奇跡の名馬 (東欧・ロシア・アジア圏の名馬) * 01:17 * - * - *

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