モリーマッカーティー ―Mollie McCarty―



   行く先

―夢を現実へと変えた
    カリフォルニア神話。
  連対率100%の
      ダービー女王―


   
父 マンデー
母 フェニーファロウ
母父 シャムロック

生年:1873年
性別:牝
毛色:鹿毛
調教国:アメリカ合衆国(カリフォルニア州)
生涯成績:17戦15勝[15-2-0-0]
主な勝ち鞍:カリフォルニアダービー(ラザムプレート)、カリフォルニアオークス(ダ6,400m)、ソラノS(ダ2,800m)、ガーデンシティカップ、$10,000パース、サンフランシスコパース、ジェイクとのヒートレース、ほか

『名馬不毛の地 カリフォルニア』。
そんな汚名が十二単のごとく着せられたのはいつの時代からだったと言うのか――。
西海岸から打って出て、東海岸をも制圧し、全米統一を計略出来るほどの名馬との邂逅は、かつて古のカリフォルニアにおいては絵に描いた餅に同じ話だった。
エンペラーオブノーフォーク、スワップス、シルキーサリヴァン、ロストインザフォグへと続いていく歴史的名馬の系譜も、遠い未来の話。
モリーマッカーティーは、そのカリフォルニアの地に降誕し、宝愛を施され、やがて東海岸へと旅立って行くという、カリフォルニアにおける全ての名馬たちの原点であり、崇愛対象となる神のような存在…いや、女神といった方が正しいだろう。
そう、モリーマッカーティーは牝馬なのである。
まさにカリフォルニアのホースマンと競馬ファンを鼓舞し、光が差す方へと導いたかのような聖女。
いま現世においては“牝馬の時代”が長く続いているが、伝説的記録を打建てる馬や、歴史的発端となっている金字塔の傍らには、やたら牝馬の尾がチラついて見えるような気がしてならない。


〔ウオッカの日本ダービーを皮切りに、世界は牝馬主導の時代へと突入した。ダイワスカーレット、ブエナビスタ、ジェンティルドンナ、米国ではラグズトゥリッチズ、レイチェルアレクサンドラ、ゼンヤッタ、欧州ではザルカヴァ、ゴルディコヴァ、オセアニアにおいてはブラックキャビア登場と、その流れはいまだ滔々と流れ、トレヴ、ハープスター、レッドリヴェールらへと受け継がれていっている。日本の女性の立ち位置も20〜10年前とは激動した。しかしまだまだ日本は他の先進国に比べ女性に対しハンデと差別的意識が根付いている。ウオッカたちはそんな風潮を嘲笑うかのごとく躍動した。彼女たちはまさに世を映す鏡だった〕


牝馬によって
    もたらされた
 永久不滅
    歴史的大記録



史上最多全戦全勝記録
キンツェム 54戦54勝(55戦55勝)

史上最多勝記録(平地競走)
コリスバール 197勝


史上最多連対記録(平地競走)
⇒ファッション 36連対(生涯成績36戦32勝)


欧州大陸史上最多勝
⇒カテリーナ 75勝


南米大陸史上最多勝
フロルデロート 54勝

史上初のジャパンカップ連覇
⇒ジェンティルドンナ

国民の休日を作らせた史上初にして唯一の競走馬
トリニカロール


…いかがだろうか。
ここに列挙したような記録は、果たして我々現代人が生きている間に更新されるような事があるのだろうか。



史上最多連対記録を樹立したファッション号は米国の競走馬だが、本馬モリーも連対率100%の馬であった。楽勝の連続で、ダービー馬となり、西海岸最強となるや、東海岸においても当時の最強馬を相手に真っ向勝負。それでいて連対率10割のまま引退したのだから、途方もないポテンシャルの持ち主である。
こうして多種済々の記録などや近年の牝馬の強さを鑑みると、史上最強のサラブレッドは、牝馬がなるのではないだろうか…と本気で推論を胸中で巡らすことがある。
現に、あのオルフェーヴルをも手玉に取ったトレヴの強さにはシーバードやリボー、セントサイモンといった競走馬の究極到達点を重ねてしまうところがあるし、短距離においてはブラックキャビア史上最強論がズシリと鎮座している。
史上最強馬という波の行く着く先にある最終最後の結論は、もしかしたら…“牝馬”なのかもしれない。
まず斤量面で恩恵を受けられるし、♀にしか無い様な俊敏性としなやかさは特筆すべき利点となる。

〔早くも史上最強馬候補にもあるトレヴ。波の行く先は彼女なのか…それとも…ハープorリヴェールなのか…神のみぞ知る未来に、その答えは用意されている〕

さて、話を元のレールへと戻し、モリーの競走生涯へとライムライトを向けようではないか。
モリーマッカーティーは、真っ黒で大きな口髭が特徴のセオドア・ウインターズ氏に見初められ、バド・ドッブル調教師の管理下でデビュー。賞金550万ドルのダッシュスウィープS(ダート1,800m)を快勝。2歳時はこのたったの1戦に止まったが、明けて3歳になるや一気の猛進撃開始。サンノゼにて行われた1マイルのヒート競走を皮切りに、疾風迅雷の6連勝。この内の2勝はたったの1日で上げている。1876年の9月8日、サクラメントのアグリカルチュラルパークで上げた2勝(ウインターS、スピリットオブザタイムズS)がそれである。無双無敵の勢いは天井知らずで、カリフォルニアダービー(旧名ラザムプレート、ダ2,400m。現在は1,700m)も圧勝。距離的にはモリーに不利なはずも、ケロリとした涼しい顔で通過。返す刀でサンフランシスコへと赴き、カリフォルニアオークスへ参戦し、全世代の牝馬を圧倒する走りを披露する。
4歳を迎えても衰退する気配は微塵も見せず、バザールやジェイクといった強豪の挑戦を完膚無きまでに叩き潰し、デビュー13連勝をマーク。もはや地元カリフォルニアに相手になる馬は残ってはおらず、ついにモリーは故郷を発つ決心を固める。競馬を熱狂的に愛する民草たちの想いも同じで、もはやモリーの東海岸への遠征ははち切れんばかりの熱情を帯びる衆望となっていた。

 

そして、1878年の独立記念日7月4日、ラッキー・バルドウィン氏へと所有権と調教権が替わり、モリーは大観衆に見送られながら列車へと乗り込み、遥か遠く東の地へと向かった――。
当時はまだ長く険しい列車の旅。集った熱心なファンの中には感情を抑え切れず、涙を流し、大きく手を振る者もいたという。オルフェーヴルやディープインパクト、ブラックキャビアの引退式のようではないか。いつの時代、どの世界でも名馬を想う熱き思いは万国万時共通という訳である。

はじめて東の地を踏んだモリーを待ち受けていたのは、当時の全米最強牡馬テンブロークであった。テンブロークは1,600〜6,400mまでこなし、6つのレコードを記録するという、化け物じみた競走馬で、ここまでに29戦22勝2着3回3着1回というほぼ完璧な競走成績を残していた。

西の最強女王モリーマッカーティーVS東の最強王者テンブローク。世紀の決戦はルイヴィルジョッキークラブがチャーチルダウンズにて6,400mの距離設定で行うことを発表。全米の競馬ファンのボルテージは最高潮にまで沸騰し、当日には3万人を超えるファンが競馬場に詰めかけたという。レースの前日から豪雨が降頻り、当日は快晴になるも、モリーが苦手とする不良馬場は避けられそうになかった。おまけに列車による疲弊も残る状態。しかし、それでも西から止め処なく背中を押してくれるファンの想いが後押しとなったのだろう。モリーマッカーティーは全身全霊の能力を振り絞り、この怪物へと立ち向かっていった。一方のテンブローク。モリーの予想を上回る能力にうろたえる陣営。そしてテンブローク自身も、真偽の程は定かではないが、これまでのレースで見せたことが無い程に眼光鋭くギラつかせ、常に鞭を入れられながらの、言わば全生命力を捻出しての一世一代のレースで応戦したのだという。このレースが、テンブロークの巻けたレースを含め、本気も本気、死ぬ気で全力を開放したレースと語り継がれている。

勝利の凱歌は壮絶な死闘の末、テンブロークがほんの僅かの差でもぎ取った。このあまりにも凄まじい伝説的レースは歌となり、後世へと語り紡がれていっている。有名な歌らしく、タイトルは「モリー&テンブローク」。「ラン、モリー、ラン」という異称もあるらしい。

このレースのダメージは相当だったようで、モリーは続くミネアポリスカップでもガヴァナーネプチューンの2着と、他馬に先着を許してしまう。しかし、たっぷりと休養を取ったモリーは元の元気を取り戻しており、イリノイ州シカゴへクララディーという帯同馬と共に遠征し、ガーデンシティーカップへ参陣。クララディーのおかげもあり、精神的にも安定し、レースでもクララディーが見事な先導役を務めたことも受け、大楽勝。サンフランシスコでの引退レースを圧勝で締めくくった。
繁殖牝馬に上がり、フォールンリーフという強豪牝馬を輩出。さらにはモリーマッカーティーズラストという牝駒を生涯の最後に送り出したが、その牝系は途絶えてしまっている。
 

モリーの歴史的一戦から140年近くもの年月が流れた。カリフォルニアの人々は彼女の名を知っているのだろうか。いや、それを記憶に留めているものは恐らく居るまい。儚くも時の泡沫へと消失していった名前―――…

   

・・・夕映えの中、響き渡った胸焦がす声援、馬への熱想は「波」となり、今を生きる私たちの心の奥へ、寄せては返し、またその「波」はその先の未来(じだい)へと向かってゆく。

そこに人と馬がいる限り――。

奇跡の名馬 (アメリカ合衆国・カナダの名馬) * 00:58 * comments(0) * - *

【狃峇岼榮悪瓩垢詭毒蓮暸We Go Easy!



瞬間移動する牝馬

サラブレッドえた
 驚異のアパルーサ種

  
父 イージージェット
母 ウィーゴーチャージ
母父 ダイアモンドチャージ


生年:1973年
性別:牝
毛色:栗毛
調教国:アメリカ合衆国
生涯成績:22戦19勝[19-2-1-0]

狎こ最速の品種瓩魯汽薀屮譽奪匹任呂覆!?
アパルーサホースクラブが明言したその言葉は、1962年にその始原を遡及されるアパルーサ競馬に心身を捧げるアパルーサホースたちを労ってのものでは、決してない。現に、このアパルーサという品種はサラブレッドやクォーターホースのレコードタイムを凌駕するという奇跡的珍事を幾度となく起こしているのである。
サラブレッドも平伏すしか無い程の、神威的競走能力を発現していた南半球のサヴァジェット、日本のヒコーキ、南米のオールドボーイといった神秘のヴェールをまとう奇跡の名馬たち。そんな馬たちの同列に鎮座させてみたいと思うのが、本馬アパルーサ競馬伝説の女傑、狃峇岼榮阿垢詛廊瓩箸盡世錣譴芯の瞬天刹那の超次元のスピード。振りかざされるその爛船ラ瓩呂△覦嫐サラブレッドを蹂躙しかねないほどの凶気すら孕んでいた。途方も無き夢幻の速さの光跡をトレースバックしてみたい。


▲〔アパルーサ。以下、『JRA 馬の用語辞典』より引用。体高:142-152cm 原産地:アメリカ・北西部。18世紀にインディアンのネパーズ族が、ヨーロッパ大陸から持ち込まれ野生していたムスタングを再家畜化した馬を、1870年代以降サラブレッドを用いて改良した。このネパーズ族がパルース川周辺に居住していたためこの名がついた。登録はアパルーサ・ホースクラブ。体の斑点が特徴的が、その位置や色合いから6種類に分類される。骨太で体は引き締まっている。たてがみと尾の毛は少ない。優秀なカウ・ポニーであるが、派手な容貌からサーカスなどでもよく用いられている。

ウィーゴーイージーはアパルーサ種としてはかなりの良血で、生まれた時から類稀な俊敏性をみせていたという。祖母はアパルーサ競馬の母とも言えるウェンゴーメロディで、生産者が殿堂入りしているジーン・ミルズ氏なのだから、後天的視点から見れば、活躍は約束されているのも同然だったのかもしれない。ちなみに1998年には母ウィーゴーチャージも殿堂入りを果たしている。
そして…当然自らも爛▲僖襦璽偽デ呂慮威的象徴であり、歴史の一部瓩箸泙膿魄Δ気趁られている名馬なのである。母娘3代連続して殿堂入りを果たしている競走馬などこの馬以外聞いたことが無い。
明るく、完熟された柑橘類を想起させるオレンジの栗毛に包まれたこの牝馬は、性格もまたおっとりかつ屈託のない性格だったらしい。主戦を務めたマイク・ラーヴェリックは、1976年に「アパルーサニュース」により取られたインタビューでReal sweet(最高に可愛い馬).瓩判劼戮討い襦

  
▲〔競走馬引退後のウィーゴーイージー。1984年の4月11日、疝痛の為短い生涯を閉じた〕

凄まじいのが、地走りするような稲妻のごときスピードだった。
記録として残るのが――

伝説
10ヶ所の競馬場でレコードを記録。あらゆるスプリント距離においてレコードを残した」

伝説
「その記録された10のレコードの内9つが世界レコードだった」

伝説
「さらに驚くべきは20年以上経ってからも、内6つのレコードが破られずに存在していた」


  
〔彼女の残したレースタイムの一例ですが…400m、22秒05というものがあります。現代サラブレッドの世界レコードが20秒94ですからね〜。当時70年代の日本馬が全力疾走しても厳しいタイムをこの娘は軽々とマークしていた訳です。現代の日本馬でも22秒切るのはかなりシンドイはず。そう思うと70年代前半を生きた彼女のタイムは、やはり脅威的ものです…!!〕

そして、中西部において当時短距離で無敵を誇るライトロケットというサラブレッド相手に、マッチレースが組まれた。ウィーゴーイージーはレース前に外傷を負ってしまい、とても万全の出来とまではいかなかったものの、なんとヒラリと軽やかに舞い上がり、ライトロケットを半馬身差斥けてしまったというのである。傷口を気に掛け、とても全力疾走は出来そうにない…9つの世界レコードを紡いだ全身全霊の狃峇岼榮悪瓩鯢印された状態でもサラブレッドを圧倒してしまうスピードポテンシャル。
果たしてその限界点はどこにあったのだろうか。


夜空を見上げ、黙考を重ねる。
いかなる創意も吸い込まれていく天体潮汐の彼方、瞬く星爛のストリーム。
彼女もこの星明りを見つめていたのかもしれない――。
今から遙か30年以上前の夜空へ心模様を瞬間移動させて――…・・・――

奇跡の名馬 (アメリカ合衆国・カナダの名馬) * 18:24 * comments(0) * - *

パイナップルマーメイド


ども。うみねこです。
沖縄のヒコーキ。
オーストラリアのサヴァジェット。
そんな幻影の神馬のような存在が米国の草競馬にも実在しておりました。
古詞章を紐解いて見つけ出した名馬を今回ご紹介しましょう。



     

〜奇跡の32連勝神話

はるかなる昔日、我々人類は戦争という負のスパイラルの中、遠奔迷走していた時代があった。
そんな非望と絶望の行き交った暗黒時代の後、米国に一頭のクォーターホースが舞い降りていた。
連日連夜駆け抜ける泥と土の道。颯爽と風と共鳴し吹き抜けていった伝説の名馬。

彼女の名を爛潺好僖ぅ鶚瓩箸い辰拭

米国競馬における真の最多無敗連勝記録が、彼女により紡がれていたことを知る者は、皆無に等しい。

コリンの15戦15勝。

ペッパーズプライドの19戦19勝。

彼らの上を行く無音の地を行く奇跡の記録。

それは…
時間という名の運命に埋もれ、黙殺されていった偉大なる記録。
星屑の彼方、忘却されていった幻想的女傑。
ミスパイン。

そして残された32戦32勝という蹄憶。

彼女の俤を追蹤して行きたい。


遠き日の不敗神話


父 ???
母 ???
母父 ???

生年:1948年
※推定
性別:牝
毛色:栗毛
生涯成績:32戦32勝

ブラックキャビアが21戦21勝という歴史的領域へと突入。
無敗記録が紐解かれる時、そこに邂逅を果たすことになるのが54戦54勝、爛魯鵐リーの奇跡瓩箸眞珪里気譟畏敬の念まで置かれる究極的存在のキンツェムだ。
そして同時に想起されるのが56連勝記録をプエルトリコの地に残したカマレロ。イタリアの至宝リボーの16戦16勝、ネアルコの14戦14勝が脳裏を過ぎる方もいるかもしれない。
そして、米国における無敗の連勝記録だが、ゼンヤッタの活躍が記憶に新しいところだ。
しかし、彼女の快進撃はラストランのBCクラシックで儚くも散った。わずかな差だったが20戦19勝と20戦20勝では、歴然たる差異が生じてしまう。いかに無敗のまま勝ち続けてゆくことが難しいか…それを改めて残酷なまでに痛感した一戦だった。

無敗のまま引退していった米国の名馬というのは、最高記録とされているのがペッパーズプライドの19戦全勝記録。2012年6月今現在、ラピッドリダックスが北米記録を更新し続けているが、果たしてどこまでいけるだろうか。

ミスパインの活躍した舞台は常設の競馬場ではない。
日本の競馬においても、かつて農村にて、農閑期における余興の一環として催されていた即興での草競馬においてだった。

「彼女は伝説そのもの。どんな馬さえも出し抜く――。
あんな馬は彼女しかいないよ」

遠くを見つめ語るのはミスパインの主戦であり、6歳からミスパインに乗り続けていた最高のパートナーでもあるベルニス氏。

「彼女は最高のクォーターホース。あらゆる名馬を見てきた今でも強く、固くそう信じています」
真摯な眼差しで滔々と語る古翁が彼女のオーナーであり調教を手がけていたピエール・ルブラン氏である。


テキサスで催された草競馬がミスパインの初演舞台となった。
2頭だけのマッチレース。6歳の少年が跨った馬が軽やかに2〜3馬身差も離してのゴールイン。観衆は皆その楽なレースぶりから、ミスパインの再レースをアンコール。
これにピエールは快諾し、3時間後再度ミスパインは登場することになった。しかし、今度の相手はティーレッドというこのテキサス草競馬にて最強を誇るチャンピオンで、さらにベルニスがこの馬に騎乗するという条件が課せられてしまう。6歳の少年が騎乗するということから20ポンドも斤量を軽減させられたチャンピオンは裸同然。対するミスパインは20ポンドのハンデと、わずか3時間のみの休息後の2レース目ということで、敗戦色濃厚の一戦だったが、ミスパインは本気で走り圧勝。逆境をすべて跳ね返した。


この写真がその時の決勝写真だという。
ミスパインはどんな馬場でもどんな相手でも打ち負かし、勝利の詩を茜雲と夕映えの空へと唄いつづけた。
また繊細で心優しい馬でもあったという。周囲への気遣いを決して忘れない貴婦人のようでもあったという。
クォーターホースとして登録をすることがなかった為、公式記録としては残されず、時間とともにそれは人々の記憶の中風化していった。



ハリウッドで引退していったミスパインは、最後西部劇の俳優であるデール・ロビンソンに繁殖用の牝馬として購買され、引き取られていったという。その後、彼女がレースに出走したという話は無い――。
32戦32勝。虚ろな記憶の中生きる、儚き人魚姫のような幻の名馬。
記録として残ることを許されなかった彼女のメモリアルは、ベルニスの心の中、犹望綺廼馬瓩箸靴得犬続けている――。


  

パイナップルを運ぶカートを見守るたくさんの向日葵たちが、風に揺られ微笑んでいる。
偉大なる爛潺好僖ぅ鶚瓩鮖廚そ个靴討い襪のように――…・・・
     

奇跡の名馬 (アメリカ合衆国・カナダの名馬) * 22:13 * comments(0) * - *

ゼンヤッタ ―Zennyatta―

  ゼンヤッタ

もどかしい
   無敗(せかい)の上で


世界がした
   不敗神話
     スーパー
女傑



父ストリートクライ
母ヴェルティジニー
母父クリスエス

生年:2004年
性別:牝
毛色:黒鹿毛
調教国:アメリカ合衆国
生涯成績:20戦19勝[19-1-0-0]
主な勝ち鞍:BCクラシック、BCレディースクラシック、ヴァニティー招待H三連覇、レディズシークレットS三連覇、クレメント・L・ハーシュS連覇、クレメント・L・ハーシュH、アップルブロッサム招待、アップルブロッサムH、サンマルガリータ招待H、ミレイディH連覇、エルエンシノSほか


『世界は悲しすぎる』
冥暗たる深潭の海…星降る夜に翔羊する月の小舟…
沓冥暗夜の空、ほのかに燈り出す珊玉は街明かり…



ポツリ、ポツリ
遠き日の街の灯。
夜の帳が降りる頃…まるで何らかの信号のように灯り出す街の灯。

その輝きのもと、繰り返される営み。

甘眠の揺り篭の中、眠りの神オルフェウスに抱かれ、人はまた今日も哀しみしも、悔恨も、喜楽や懸念、郷望や愛慕、そして生きる記憶さえも、眠りのなか忘却の牛車へ載せて夢の中別れを告げる…

そうしてまた人は歩み出す。

何かが足りない、完璧なようで
何もかもが欠けたこの世界を
人はもがきながら
今日も未来(あす)見えぬ明日へ歩を進めてゆく。

もどかしい世界。

そんな人類の傍ら、巨夢という風船を膨らませる競走馬。

これは21世紀初頭、北米から全世界を虜にし、熱狂させた一頭の后馬の話。
猝鞠圻瓩箸いΑ△い鎚れても可笑しくない、もどかしい世界を孤高の存在として歩んだ偉大な名馬の究極爍抬畤析叩

それではユラリユラリと、その神話を紐解いていくこととしよう。


『君が成すべきこと』
米国という巨万の舞台に腕ならぬトラッペットを吹き鳴らしたハーブ・アルバートは、一流のトランペッターとして躍進を遂げたミュージシャンで、1962年には当時はまだ名もない一介のポップミュージックのプロデューサーだったジェリー・モスと100ドルずつ出資し、後に一大レーベルとして名を上げるA&Mレコードを創設した。事業は奇跡的発展を見せ、大物ミュージシャンを次々と輩出。
その所属ミュージシャンの一組にポリスというロックバンドがいた。スティング、スチュアート・コープランド、ヘンリー・バトゥバーニらの三人組が紡ぐ新ジャンルのロックは、新たな世界観を斬新と見せるもので、それはロックの枠組みにレゲエを融合させるという画期的ものだった。それは一方で爛曠錺ぅ函Ε譽殴┃瓩噺鴇里気譴訖軍鞠阿硫山擇修里發里如◆惴鋲箸離瓮奪察璽検戞◆惺盥散技奸戞◆悒泪献奪』など、ヒットナンバーをめくるめく織り紡ぎ、全世界で大ヒットを記録していった。2003年には殿堂入りするほどの歴史的ロックバンドへと昇華。そんな偉大なロックスターたち、彼らの三つ目のアルバムに『ゼンヤッタ・モンダッタ』というアルバムがある。ゼンヤッタの名前の由来はここから来ているのだと言われる。

ジェリー・モスは莫大な財を音楽を通してのビジネスで築き上げると、競走馬にも興味を示し、馬の世界へとのめり込んでいった。そんな折の2005年9月、キーンランドのセールに参加していたモスは、のっそりと姿を現した巨躯を持て余す黒い雌馬に一目惚れ。
見惚れた巨馬をすぐさま手配。所属厩舎はカリフォルニアを拠点とするジョン・シフレス調教師に白羽の矢が立った。シフレス氏は見上げるようなこの牝馬に圧倒された。
それもそのはず。ゼンヤッタの2歳牝馬とは思えぬほどの雄大な馬体は、17ハンド(172cm)、馬体重にして約544kgもあったというのだからそれも頷ける。威圧感放つ漆黒の馬体から脅威が窺えたが、この巨体が仇となり調整は難航。度重なる小さな故障に、シフレス氏は頭を抱えた。しかし、決して焦らなかった。隔靴掻痒たるムードは陣営全体にあった。しかし、強いて馬を仕上げても、それはゼンヤッタを追い詰めることにしかならず、ひいては確実に将来を蝕むものと推断。ついにはデビュー戦を待ちに待ち、彼女のすべてが万全となる時を待った。まさに「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」。ハイペリオンやカネヒキリなども馬を信じての調整が好結果を生んだ例で、ゼンヤッタはまさにその最新版。そしてその強さまでもが、何もかもが破格の新世紀版競走馬だった。

すでにモスが運命のフォールインラブを感知した初邂逅の瞬間から1年半近くの時が過ぎようとしていた。悪戯に過ぎ行く季節の移ろいの中、ゼンヤッタ・デビュー吉報の届いたのは3歳11月。米国としては稀に見る遅いデビューとなった。初戦に選ばれたのがハリウッドパーク競馬場メイドン(AW1,300m)で、豪快に突き抜け、2着キャラメルコーヒーに3馬身差の圧勝でデビューを飾ると、2戦目となる12月15日のアローワンス(AW1,700m)ではなんとデビュー2戦目にして1:40.97というトラックレコードをオマケに古馬を相手に3馬身差の大快勝。

  

『ドゥドゥドゥ・
      デ・ダダダ』
年が明け2008年を迎えると、いよいよゼンヤッタワールド全開とばかりに、連戦連勝を楽々と積み上げていく。
まず始動戦は初の重賞戦となったエルエンシノS(AW1,700m)でも何食わぬ顔で颯爽と勝利を掻っ攫うと、今や遅しとGIのステージへと駆け寄っていった。
初のGI挑戦(アップルブロッサムH)に加え、自身初となるダート戦、しかも相手には2007年にBCディスタフを制した最強古馬牝のジンジャーパンチが頭を擡げ、ゼンヤッタの前に立ちはだかった…明らかに敗戦色濃厚の一戦…がしかし!
なんと言う事か、まるで誰が最強馬であるかを悟りきったかのように、ゼンヤッタは後方から悠然とレースを進め、3コーナーから一気に捲り上げると、直線では真一文字に突き抜けてしまうのだった。2着馬には4馬身半差、そしてジンジャーパンチには8馬身差もの大差を残酷なまでに突き付け、新女王候補に名乗り出るとともに、偉大なGI連勝記録の第一蹄跡となる初GI優勝を達成。この時コンビを組んでいたのが、生涯最高のベストパートナーにして残る全戦で手綱を取ることとなるマイク・スミス騎手であった。

ゼンヤッタは一完歩の跳びが非常に大きく、それはファーラップやセクレタリアト、ディープインパクトといった世界の伝説の最強馬たちのそれにすら比肩するほど…いやそれ以上に雄大かつ荘厳なフットワークだった気がしてならない。
とにかく飛び幅がとてつもなく大きく、それでいて脚の回転も速く、それでいてダイナミックに前脚を掻き込んで前へ前へと突出してゆく独特の走法は、ディープの空飛ぶ走りをも凌駕するものだったのかもしれない。
初GIのタイトルを手中に収めたゼンヤッタは、次々とGIタイトルの鯨飲を開始した。
そしてついに挑むは、GI中のGI、ブリーダーズカップ。この年のゼンヤッタは、レディースクラシック(AW1,800m)を選択。ここにはここまでで最強レベルのライバルが結集。UAE二冠牝馬ココアビーチに、GI3勝を大差勝ちで飾っているミュージックノート、スピンスターSを8馬身差のレコード勝ちという凄絶な強さを発揮し始めているキャリアッジトレイル、そしてジンジャーパンチも万全の仕上げを施し、ここに臨んで来ていた。
これほどの強敵を向こうに回し、なんと1.3倍ものダントツの1番人気に支持されると、最後方からゆったりとレースを進め、大外から巻くって直線強襲。楽々と全馬を撫で切り、7戦全勝で2008年を締め括った。

2009年を迎え、ゼンヤッタはさらに充実著しく、麒麟のごとく翔動。
無敵の連勝街道にGIタイトルのコレクションを増やしていく。
ちょうどこの頃、3歳クラシックにて彗星のごとく革命的女傑が降臨。
そう、レイチェルアレクサンドラである。レイチェルはケンタッキーオークスにて20馬身1/4差という歴史的超大差勝ちを演じ、さらには85年ぶりに牝馬としてプリークネスSを制覇、そして古馬の一線級を相手にウッドワードSを勝ち、GI5連勝を達成している歴史的名馬であった。ファンは次第に世紀の名牝、2頭の最強女王の比較対照を無意識のうちに始め、それはやがて、片時も脳裏を離れることない高揚感となってファンを煽情的に盛り上げていった。その心揺さぶる熱波は日和に大きくなり、次第に競馬界の枠を超えた次元で波紋を広げていくことになる。
「もしかして、BCクラシックで激突するのでは…」との仰望成就を多くのものが胸膨らましていた…がしかし、レイチェル陣営はオールウェザーコースを毛嫌いし早々に回避表明。これにより2頭の直接対決は棚上げとなり、全世界の競馬ファンが溜息をつくこととなった。


『もう一つの終止符』
そんな喧騒を余所に、ゼンヤッタは全米最高峰・BCクラシック(AW2,000m)を引退レースに選び、ゼンヤッタは初となる牡馬最強クラスとの直接対決という難局と対峙することとなる。
芝とオールウェザー全米最強と呼ばれるジオポンティ、ケンタッキーダービー馬マインザットバード、ベルモントS馬サマーバード、そしてアイルランドからは世紀のモンスターホース・シーザスターズ世代のリップヴァンウィンクルが参戦。リップヴァンウィンクルは主戦のムルタが惚れ込んだ名馬で、愛ダービー馬フェイムアンドグローリーやGI2勝馬マスタークラフツマンより遥かに高く評価している。シーザスターズと生まれる時代さえ違っていれば、とてつもなく歴史的強豪として競馬史に名を刻んだことだろう。それほどの名馬が遠くアイルランドからGI2連勝の勲章を引っ提げてやってきた上に、クラシックタイトルを持つ3歳と豪傑古馬、さらには芝チャンピオンが剣先を交えるというのだから、盛り上がらない方がどうかしている。
ゼンヤッタはいつも通り、飄々と最後方に近い位置からレースを進め、第三コーナー付近から加速を開始。しかし、直線を向いてもまだ差し切るのは不可能ではないか…と懐疑的になるほどの絶望的ポジションに位置していた。ところがである。まるで神々の導く光の道が照らし出されたかのように、ゼンヤッタは馬群の中をスイスイと擦り抜け、ジオポンティを完全に射程圏に捕らえると、マインザットバードやサマーバードらを跪かせ、ついには爛劵絅襯雖瓩叛萋に立った。そこがゴールで、これにより14戦14勝。あのネアルコと並ぶ無敗記録と同時に、BC史上初となる牝馬でのクラシック制覇という空前絶後の金字塔を競馬史へと突き立ててしまったのである。
競馬場へと詰め掛けたゼンヤッタ・ファンは目頭を熱く滲ませ、ゼンヤッタを見つめ続けた。
鞍上のスミスは感動のあまり、天へと向かい神へと感謝の祈りを捧げ始めた。ゼンヤッタの背中の上、涙を流しながら十字架を切る一人の男、その崇高なる光景こそが、爛璽鵐筌奪伸瓩何であるかを一言に体現ししていた。
まるで勇者の戴冠式のような、その荘厳な空気は、ウオッカのダービー以上の威光が溢れ返っていたと言っても過言ではなかった。まるでジャンヌ・ダルクの凱旋。歴史的運命の歯車が、間違いなくこの時、この瞬間の競馬場で回り始めていた――……


ハリウッドパーク競馬場。歴史的BCクラシックから21日後、デビューの地にて引退式が催されることとなった。もう二度と回り逢うことなど許されぬであろうこの絶世の女傑に別れを告げようと、まるでGIレース当日さながらの大観衆が押し寄せる。
Go!Zennyatta!瓩離廛薀ードを皆一同に掲げ、ゼンヤッタの名を叫ぶ女性たち。
競馬場はいつの間にか一つになり、別れの言葉を囁いていた。そして、賞賛の言葉を捧げつつづけていた――…
12月26日にはBC制覇を成し遂げたサンタアニタ競馬場において、現役最後の勇姿を披露。
これが見納めと、競馬ファンは皆一様にスタンディングオベーションで彼女の走りを見送った――


『果て無き妄想』
年度代表馬の選定に衆目の目が注がれた。
ゼンヤッタかレイチェルか――。
有効投票数232票の内、99票を集めるも、レイチェルを推す声が130票と、前年に続き、年度代表の大勲を逃すこととなった。ちなみに2008年度はカーリンとの争いに敗れていた。
無敗のBCクラシックの快挙を持ってしても、届かなかった夢の年度代表馬。
しかしそれ以上に、ファンが悔いたのはレイチェルとの直接対決。ゼンヤッタの引退により、完全に夢は気泡へと帰っしたのだから。

ところがである。

とんでもない大ドンデン返しが待っていた。
2010年の1月16日、引退撤回。現役続行のスーパーサプライズが、陣営の口から明らかにされたのである。これに世界は大激震。これによりドバイWC参戦も噂され、ウオッカとの夢の日米最強女王決定戦も日本競馬ファンの間で夢想されたものであった。

「彼女は本当のスターだ。私たちは彼女の走るところが見たいんだ」

そう滔々と語ったモスは、ドバイ参戦を暗に否定。動向を燻らせた。
そんな中、囂々と再燃する史上最強女王決定戦。レイチェルとのマッチレースが現実味を帯びてきた。両陣営とも意識していなかったと言えば嘘になる。やはり一目の敬意を置き、いつの日かその日がやってくることを心待ちにしていたようだった。
この何処へ行くとも知れぬ結論を煮え滾らせる鉄火場に、まるで助け舟を出すかのごとく破格の条件提示をする者が現れた。オークローンパーク競馬場がそれで、賞金を通常の10倍。さらには出走頭数を10頭に制限した爛▲奪廛襯屮蹈奪汽狆径圻瓩魍催すると宣言。しかも、2頭が万全の態勢で出走できるよう、通年より開催を遅らせるとまで明言。この超異例となる待遇に両陣営も同意。
こうして歴史的初対決の舞台が設定されると、全世界のあらゆる場所で、2頭による夢の対決の論戦舌戦が幾度となく繰り返されることとなった。




「4月9日」。
運命の決戦日時が確定され、いよいよ最高潮。
ゼンヤッタは復帰戦であるサンタマルガリータ招待H(AW1,700m)を圧勝。
悲鳴のような大歓声がゼンヤッタの帰還を祝福。
いかにこの馬が愛されているのか、その歓声一つで瞬時に感得できる。
レースぶりもあいも変わらず、スローモーションのように前半を後方追尾。3コーナーから急躍進を開始し、直線で大外一気。2の脚・3の脚を繰り出して先頭をゴール前で飲み込む…という爛璽鵐筌奪織僖拭璽鶚瓩箸任睫震召靴燭なるような独特のこの戦法。
この1戦を見たレイチェル陣営も軽い相手の前哨戦を使い、ここを大差ぶっちぎってゼンヤッタ陣営にプレッシャーを懸けようと謀略を練っていた…がしかし、レイチェルアレクサンドラは一体どうしたことか、まるで眠ったままレースをしたかのように無抵抗で、あっさりと敗退。この敗戦を理由に、レイチェル陣営は世紀の一戦を蹴り、レイチェルを立て直すことに躍起になっていく。
結局のところ、以前の燦然たる理力を取り戻すことなく、レイチェルアレクサンドラは惨敗をいたずらに重ね、引退。
レイチェルVSゼンヤッタは人々の心の中だけで決戦を許される、果て無き妄想のパズルと化してしまった――。
全盛時の2頭のどちらが強かったのかは、神のみぞ知る永遠の謎である。


『ボムズアウェイ』
ゼンヤッタはレイチェル不在のアップルブロッサム招待を飄然と圧勝。4馬身半差も馬なりのまま追い込んでつけ、節目となるGI10勝、さらにはサイテーション、シガーらが記録した16連勝に並んだのだった。

もはや、「レイチェルVSゼンヤッタ」は過去の遺物と成り果てていた。
全世界の心は、健気にただ勝利の唄を歌い続ける一頭の淑女の連勝記録にのみ、魅了されていた――
己の矜持を羊角として巻き起こし、奇跡的に勝ち続けるゼンヤッタ。
負けそうで負けない、必ずやってくる不敗神話を織り紡ぐピンク・エメラルドのドレスを翻す美少女は、いつしかアイドルの枠をも超えた、世界的スーパースターの地位を築き、さらには地球という星の歴史に屹立する一人の大女帝へと登攀していたのである。

そして、ついにロックオブジブラルタルのGI競走7出走7連勝の記録を超え、8連勝…9連勝を記録。

不況に次ぐ不況。
暗澹たる暗黒国家らの脅威。
すぐ傍に横たわる潜在危険の数々。
人を人とも思わぬ悪の跋扈するこの世界。

万民はヒーローを求めた。
しかし、そこに英雄はいなかった。

いたのは純粋無垢な心を持つ少女…
彼女たちが、世界へと光をもたらした。

ラグズトゥリッチズ。
ザルカヴァ。

ウオッカ。
ダイワスカーレット。

レイチェルアレクサンドラ。

そして
ゼンヤッタ。

この潮流は絶えることなく
ブエナビスタ、ゴルディコヴァ、オーサムフェザー、スノーフェアリー、レーヴディソールたちへと継承されていっている。

狃の時代瓠

その旗手として――

その象徴として――

そして、全米最後の希望として――…

さらにはそんな世界すらも超越する狄世領琉茘瓩悄
ゼンヤッタはもどかしい無敗伝説を綱渡りするかのように勝ち続け、そしてその最終到達点へと辿り着いた。


もどかしい無敗
     (せかい)の上で
BCクラシック(ダ2,000m)。米国競馬の総本山・ケンタッキーダービーも催されるチャーチルダウンズ競馬場のこの最高峰が、ゼンヤッタの真のラストランに選定された。
この年は前年をさらに上回る強豪が終結した。
GIドンHで大差勝ち、タイトルを積み重ねるクオリティロードに、このコースをベストコースとし、見る見るうちに力を増強してきたブレイム(ホイットニーHなどGI2勝)、プリークネスS馬で3歳最強馬と目されるルッキンアットラッキー、日本からは歴代でも最強クラスのダートホース、エスポワールシチーも参戦していた。
ゼンヤッタは例によって最後方。しかし、この日はさらに常軌を逸すほど離れた最後尾、馬群の一番後ろを行く馬からさらに5〜6馬身離れた超最後方からのレース展開。はっきり言って、こんな戦法ではBCはおろか米国のGIでは勝負にならない。これはかなり実力あるGIホースにも通じることで、スタートからゴールまで超ハイペースの消耗戦で、サバイバルレースとなる米国競馬は前が止まらない。追い込む場合でも、シルキーサリヴァンのような例外中の超例外は別に中団から好位につけない限りはほぼ大敗宣告を告げられたも同然。しかし、ゼンヤッタはそんな暗黙ルールは何処吹く風とばかりに、自分のレースを突き通してきた。今回の20連勝とGI10出走10連勝、そしてBCクラシック史上初の無敗連覇という超絶的大記録三連を前にしても、何ら変わることなくやってのける。
3コーナーを過ぎてもまだ少し差を詰めただけの最後方。4コーナーを向かえ、一頭だけ交わし、スミスは馬群の真ん中へとゼンヤッタをリードした。もはや1着はおろか連対すら絶望的だった。

しかし――
奇跡が起きる。

馬群を擦り抜け、大外へと進行。
面舵一杯!アクセル全開!!とばかりに猛加速、一段二段三段とギアチェンジがコンマ数秒単位で展開され、先頭に躍り出たブレイムに猛然と鼻面をそろえた!!



そこにゴールがあった。

鼻差。
ほんの数十センチの差。


ゼンヤッタは負けた。

生涯初となる敗戦が生涯最後のレースとは…

競馬場はまるでこの世の終わりが来たかのような、言い表しのないような重い重い沈黙に包まれていた。現実に起きた爐海慮従櫚瓩まるで現実世界のものではないような夢現の時間がいつまでも競馬場にいた…いや全世界の競馬ファンの心を支配していった。


〔ポリスファンの方は気付いたかも?今回の各章ごとのサブタイトルは最後の「もどかしい無敗〜」以外はすべてポリスのサードアルバム『ゼンヤッタ・モンダッタ』の収録曲からその章ごとのゼンヤッタのイメージで選びました〕


ついに崩れた不敗神話も、ファンはあたたく、そして優しかった。
最後の最後、ハッピーエンドで終わらせて上げられなかった事が、ゼンヤッタにとっての最大の非礼にも思えるが、これが競馬。これが勝負の世界。

宿命・天命として受け入れよう。
人が大好きだというゼンヤッタ。
独特のステップで愛くるしいゼンヤッタ。
みんながいつの間にかそんな彼女に恋をして、いつしか恋や愛をも超越した狷段未焚燭瓩某簡僂錣蠅靴討い辰拭


好きだった。
そんな貴女が――…


もどかしい、
この世界を生きる馬たちが――……

もどかしい、
この世界を歩む人々が―――………


もどかしい世界の上で。


  

奇跡の名馬 (アメリカ合衆国・カナダの名馬) * 23:42 * comments(0) * - *

ランスロット    ―Lancelot―

 【 ランスロット

 〜 ロンギヌス

―“実在させられた
 
”リアル・ユニコーン

 
 
父 ?
母 ?
母父 ?

生年:1980年
性別:牡
毛色:白毛
国籍:アメリカ合衆国
生涯成績:〆

この天球に浮かぶ世界の鵬程万里にまで伝えられる神話上の生物である“ユニコーン”。日本語に起こすなら一角獣となるこの生物は伝説という泡沫に揺れる架空の存在と確定付けられていた。
しかし、突然変異の畸形体という括りではあるが、ユニコーンはこの世界に複数誕生しているのである。
それは牛であったり、鹿であったり、カモシカ…昆虫…果てはなんと人にまで角が生えた事例が報告され、文献にも残されている。

  
▲世にも珍しい“ユニコーンシャーク”。

さて、ユニコーンの誕生はいつになるのか。神話の一つではノアの箱舟に乗れなかったが為に絶滅した種であり、大洪水前の生物であるとも伝えられているが、真偽はいかなるものなのか。
処女にみ心開くのの純潔・貞潔の象徴であるこの生き物は、ギリシアはクニドス島出身の医師兼歴史家のクテシアスにより伝えられた。
ユニコーンの絵画は数多く残されているが、写真は無いに等しい。ユニコーンの写真というものも、どうにも信憑性に乏しく、CGで捏造されたものが99%だろう。



▲「ユニコーンの角」は“ウニコール”という呼称でヨーロッパへと伝来され、解毒剤や特効薬として重宝された他、宮廷では毒の検証にも使われていたという。
しかし、この「角」はユニコーンのものでなく、北海に棲まうイッカクの歯だった。


本題へと踏査を進めてゆこう…。
1906年のロンドン。動物園に2頭のユニコーンが飼養されていたとの文献がある。
しかし、この2頭は化けの皮ならぬ羊の皮被った一角獣で…要するにニセモノ。ただの羊だった訳なのだが、ネパールから輸入した羊だったようで、本物でもなければ畸形でもない。角を無理矢理埋め込まれただけの薄幸の迷える羊だったのである。
時が流れ、1936年の5月。メーヌ大学のドーヴ博士は天帝である全ての創造主を侵犯するかのような実験を行った。「角の芽を頭蓋骨に移植し、その動物の生命力をもってして角を成長させ、果てには一本の立派な角を生成させる」というもので、実際に博士が誕生させた牛が以下の写真の牛。

  

この神を恐れぬ行為からさらに時が経ち…1980年――。
米国はカリフォルニア州に一頭のユニコーンが降誕した。それがランスロットであった。
ランスロットを生産したのは二人の博物学者、グローリー・モーニング女史とその夫であるオットー・ジーゼル氏。この一角白獣の出現に、全米の懐疑論者たちは一斉に飛びつき科学調査のメスを入れようと躍起になった。どうみても山羊なのだが、その角は間違いなく本物であり、山羊には生えないような、ふんわりとした体毛と鬣(たてがみ)を持っているのだ。身体的特徴から言ってそれは、中世ヨーロッパの神話に登場してくるユニコーンそのまま。まるで絵画の中から颯爽と抜け出してきたかのような白い幻獣がそこに佇立しているのである。
「これは一体!?」

 
▲在りし日のランスロット

二人の博学者はあっさりと公言した。
「彼は私たちが作り上げたユニコーンなんです。角もたてがみも、尾も…彼の母はアンゴラ出身のヤギですしね」

全米が絶句し、震撼、そして怖気が走った瞬間だった。

    
▲ランスロットとオットー博士

角に関しては、1936年にドーヴ博士が行った錬角法をとったものと思われる。
つまりはランスロット自身が起こした奇跡とも言えるものの、それ以上に何か生物の歴史に瑕疵を残してしまったような感傷に引かれるのは、万人が感知するところではないか。
オットー氏たちはこう語る。
「彼は特別な存在なんです。ユニコーンは世界共通の象徴的存在。だからこそ、世界国際大使の大役にふさわしいし、究極の生命体と言えるユニコーンなら、絶滅危惧種のシンボルとしてこれ以上のものはない」

唖然・呆然となる観衆たちの胸中に去来する言葉にならぬ憤怒・憤慨の猛々しき想い。
オットー氏は、額から天空へとそそり立つ角を持つランスロットを、まるで道具のように丁々発止。
私には彼の角が酷く悲しいモノに思えてきてならなくなった。それは…そう、まるであの聖槍ロンギヌスのように思えてきたのである。
ロンギヌスの槍は、聖書の中登場し、イエス・キリストの血に触れた聖遺物として崇められ、「所有するものに世界を制する力を与える」と伝えられている。
ランスロットの一角。
角を生やしたヤギ。
寂寥感取り巻く人造ユニコーンが成した意味とは何だったのだろうか――。
哀しく映るランスロットの瞳が、その答えをそよと唄う風にのみ、そっと囁いていた――……。



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奇跡の名馬 (アメリカ合衆国・カナダの名馬) * 03:05 * - * - *

神殲馬センセーション

センセーション

〜不敗神話の黄金時代〜

8戦全勝、伝説の名馬を
殲滅させた超伝説の名馬

 

父 リーミントン
母 スーザンビーン
母父 レキシントン

生年:1877年
性別:牡
毛色:黒鹿毛
国籍:アメリカ合衆国
生涯成績:8戦8勝
主な勝ち鞍:ジュライS、フラッシュS、ジュヴェナイルS、ナーザリーS、サラトガS、セントラルS、クリテリオンSほか

“不敗の名馬”…“無敗の名馬”…これほどに無限の可能性と、計り知れぬほどの能力の深淵を感知させる称号・存在が他にあるだろうか。どのような環境に位置していたにせよ、一度たりとも他馬に先着を許さなかったことは絶対真理。歪曲することの出来ない事実なのだから、犹望綺廼馬瓩鰐鞠圓量焦呂砲靴ありえない…という主張も、測らずとも間違いではないのかもしれない。

生涯を通して星を落とすことのなかった絶対的存在として一番有名なのが、かの有名なハンガリーのキンツェム。54戦全勝の世界最多無敗連勝記録は、いまや日本の競馬ファンも周知の知識であり、世界の終わりが来る日まで、おそらく更新不可能なゴスペル・トゥルースとして競走馬史に屹立し続けることであろう。
トルコはおろか西アジア史上最強馬と推察さるるカライエルは18戦全勝。有名どころでは…16戦全勝、フェデリコ・テシオの最高傑作リボーに英国三冠馬オーモンド、米国では15戦全勝のコリン、南米へ視界を移せばマコン…近年では7戦全勝のザルカヴァが記憶に新しい。ちなみに日本競馬の記録としては11戦全勝のクリフジ、10戦全勝のトキノミノル…地方記録も合わせるなら15戦15勝のツルマルサンデーが最多不敗記録ということになる。


さて…全世界競馬史において生涯無敗を守りきった競走馬というのはほんの一握り。これは至極当然の摂理である訳だが、厳格な勝負の世界。圧倒的に大多数を占めるのが敗戦・敗者の存在であり、勝てば勝つほど取り巻く周囲のマークも厳しくなり、プレッシャーというメンタル面での圧迫もそれ相応のものへ増幅増大されてゆく。競馬場を去るその日まで、勝利の契りをウイニングポストへイの一番に交わし続けたものへ送られる讃美は、最大のものであって然るべきであろう。

米国競馬において2008年に無敗の19連勝という北米新記録を樹立させて話題になったのがペッパーズプライド。その米国には遙か昔、1880年代の後期から1900年代の初頭…極めて峻烈なポテンシャルを洋々と翳した無敗馬が数頭、降誕している。
しかし、その多くは早期に引退を余儀なくされてしまった薄幸の馬たちであった。ところがである…その秘めた競走能力は桁外れの異次元世界であったようなのである。


13戦全勝
トレモント(1884年)

7戦全勝
エルリオレイ(1887年)

5戦全勝
ダイス(1925年)


カッコの年数は引退、もしくは死亡した年である。…中でも凄まじいのがトレモント号で、2歳時のみで13連勝するという前代未聞、空前絶後の世界記録を残している。この記録はいまだ破られることなく残っている。しかもこの馬は毎レース平均6馬身差をつけていたというのだから、途方もない馬がいたものである。

上述の名馬たちが現れる1870年代の最期…伝説を超える最強の聖駒が米国競馬を蹂躙していたことをどれだけの者が記憶にとどめているのだろうか…。
後に殿堂入りを果たす馬…GI格レースをいくつも勝つ馬…そんな歴史的強豪たちを瞬時に置き去りにし、跼天蹟地へと追いやった禁断の超伝説の名馬…
それがセンセーションである。

センセーションはまさに爛札鵐察璽轡腑淵覘瓩頁呂任△辰拭
颶風を巻き起こし、時空をも堰き止めるほどの速力…
手綱を引っ張られたまま御しきれぬほどの瞬戟性能を発揮し、他者を地平線の彼方まで引き離していってしまうほどに突き抜けていった。その速さ、まさに狄逝瓠
この馬を狄摂喃廊瓩半里靴燭里蓮△泙気鉾爐寮簑仗晴ε潜在パワーを抽象的に描写したいがためである。
この巨膨の能力で、後に伝説の名馬とまで評された馬を殲滅させ、完敗させている…しかも、決定的な内容で。

その1頭がグレナーダ。
ジュライS、フラッシュS、サラトガS、セントラルS…センセーションと同席したレースではこれでもかというばかりに粉砕され、手も足も出なかった。
そんなグレナーダはセンセーショナルが3歳シーズン前に競馬場を後にしてからというもの、大快進撃を開始。国士無双、敵無しの圧勝がつづく。
プリークネスS、ベルモントS、トラヴァーズS…次から次へと鯨飲。

そしてもう一頭最たる例を取り沙汰するならルークブラックバーンである。
この馬は当館においても紹介し、私が“米国のセントサイモン”(馬体のつくりが似ているため)と評するほどの伝説の名馬。彼は栄えある米国競馬の殿堂入りも果たしているほどの名馬で、その詳しい実績は彼のページで確認して頂けたら幸いである。
この超絶級の名馬が大差千切られてしまったとは、常識的に考えにくいが、センセーションが“伝説の名馬”を超える“伝説の名馬”であった…ということだろう。


狹狙發鯆兇┐訶狙皚甅狹狙發鯏べる伝説瓠朕析辰鮖気翼馬は3歳になってから調教中に挫石のため脚を負傷し、姿を消した――。

  
〔センセーションは引退後、英国へと渡り種牡馬入り。優秀な産駒を多く残した〕


彼に心滅させられた者たちの多くは、次々と大レースで美酒に酔い、伝説となって語りつむがれて行った――…それとは対照的に、2歳時のみで競馬から暇乞いしたセンセーションは、まるで天裁されたかのように語られることもなく、殷賑から…人々の間から漸消し、やがては風化していった――…・・・風の彼方、かつてあった黄金時代の聖廟へ…―――。

   

奇跡の名馬 (アメリカ合衆国・カナダの名馬) * 05:18 * - * - *

ロウディロン    ―Lou dillon―

  ロウディロン

 〜時は世に連れ
    世は馬に連れ〜

―繋駕速歩競馬史に残る
     歴史的女丈夫―



父 シドニーディロン
母 ロウミルトン

生年:1898年
性別:牝
毛色:鹿毛
国籍:アメリカ合衆国

現代を生きるサラブレッドたちは1,600mという、もっともスタンダードかつ、最も全世界に受容される根幹距離中の根幹距離を1分30秒弱で疾走する。
このマイルという距離におけるレコードの変遷史を鑑みてみると、非常に興味深い懐古に耽ることができる。
例えば、今から30年以上も昔の日本競馬においては、≪マイルにおける1分33秒台≫というのは一つの大きな壁であり、越えられぬ聖域のような観念として存在していた。それはまさに絵空事の産物であり、万一33秒台などのタイムが出ようものなら、それは歴史的…などでは済まされない、天地鳴動たる怪事であったことに他ならなかった。
日本競馬史において、史上初となる1マイル33秒台が飛び出したのは、1977年の10月23日の中山競馬場にて開催されたオープンレースで、これを刻印したのがかの初代天馬トウショウボーイであった。
ちなみに、2歳馬(旧齢3歳)で史上初となる33秒台を記録した馬こそが怪物グラスワンダー。30年後の1997年12月7日にマークされたレコードだが、奇しくも両タイムとも1:33.6であり、中山で刻まれたタイムであるという共通項が何とも言えない“趣”を醸し出している。


さて、繋駕速歩競馬においても“1マイル”とは平地競馬と同様に重要な意義を占める距離である。
1900年代の初頭までは2分を切る事など夢のまた夢、月に向かって石を投げるようなものであった。そんな常識や理念を木っ端微塵に粉砕してみせた、奇跡の貴婦人こそがロウディロンである。

  
[婦人に寄り添うロウディロン]

ロウディロンは1898年、カリフォルニア州はサンタイネス近郊に生を受けた。スタンダードブレッド種で近親には歴史的トロッター・ハンブルトニアンがいる、いわゆる超良血。
ミラード・サンダース氏の管理下、その類稀なる竣意を研ぎ澄ませ、彼女は躍進の道を突き進んだ。
そして1903年、マサチューセッツにてトロッターとして史上初の1マイル2:00.0ジャストという歴史的タイムを掲示してみせると、ついに10月24日には世界が戦慄に震撼を覚えることとなる1:58.05という空前絶後、未来永劫に不滅とも思える究極のレコードを記録。その4日後には四輪車を牽いているというのだから、開いた口が塞がらない。
この驚愕の時計に、世界は仰天。目を見開き、目を凝らして腰を抜かし、溜息を憚ることができなかったという。それほどに信じ難い、禁断の果実であったという訳か。
我々にしてみれば、クロフネが武蔵野SやジャパンCダートでマークしたレコードを想起することが一番理解しやすいのかもしれない。



[ロウディロンを一目見ようと列をつくる人々の様子。速い馬には言い知れない魅力がある。トウショウボーイ…マルゼンスキー…サイレンススズカ…いつの時代も、どの国でも、人の好奇心は不変ということか]


ロウディロンは世界を心滅さするべく、横行闊歩。
今日は北欧…そしてフランス、翌週はベルリン…その次はモスクワへ…さらにはウィーンへ――。
超夢次元のタイムを手土産にしての全国行脚。世界中へと繋駕速歩の魅力を振り向いた貴婦人であったが、1906年には競走生活へとピリオドをうち、平穏平静なる余生を過ごすに至っている。
歴史を刻んだ褐色の后妃は26年の生涯に幕を下ろし、現在サンタバーバラの地で安らぎの時間に身を委ねている。犹間瓩梁減澆靴覆ね久の時の中で――。

     

奇跡の名馬 (アメリカ合衆国・カナダの名馬) * 04:42 * - * - *

ミスターメロン    ―Mr.Mellon―   

 ミスターメロン

  〜Mellon記念馬

―偉大なるホースマンの
   名を継ぐ畴蓮



父レッドランサム
母マッキー
母父サマースコール

生年:1999年
性別:牡
毛色:鹿毛
国籍:アメリカ合衆国
生涯成績:9戦3勝[3-1-1-4]
主な勝鞍:アーリントンクラシック、ラッシュアウェイSほか

爛潺好拭璽瓮蹈鶚瓠

「この名前を聞いて、貴方は何を連想しますか?」

世間一般の日本人へと尋ねた時、その返答にはどんな答えが返ってくるだろうか。

「町おこし・地域活性化を狙った何処かのご当地ヒーローじゃないですか?」

「漫画かアニメのキャラクター?」

「メロンに世界一詳しい人の渾名(あだな)でしょ!」

…といったような所ではないだろうか。
何とも拍子抜けするようで、その音韻と内部には【趣】と【情緒】が混在している。
そう、一度聞いたらまず脳裏に焼き付いて離れないのである。
そんな特筆性と爛潺好拭辞瓩箸いΥ靴貎討靴澆笋垢し評(国民的英雄である爛潺好拭璽献礇ぅ▲鵐牒瓩海板硬臾侏沙瓩留洞狙簑)があるだけあって、新手の若手お笑い芸人ではないかという返答があるかもしれないし、あるいはメロンの早食い王者の称号だろうという珍答もあるかもしれない。…いや、どこの世界にメロンの早食いをする者がいるというのか…大変失敬。もちろんここはトンチ道場でもなければ、奇弁を広げる場でもない。当然だが、爛潺好拭璽瓮蹈鶚瓩箸惑呂量樵阿任△蝓↓爛瓮蹈鶚瓩箸呂△硫綿ではなく、世界に屹立する偉大なるホースマンを指し示す威称である。


  
〔我々の良く知る“メロン”〕

世界競馬に精通される方ならば、もうピンとくるだろう。あのミルリーフのオーナーブリーダーであるポール・メロン氏、爛潺好拭璽瓮蹈鶚瓩箸枠爐量召ら取られた命名馬だったのである。
メロン氏は米国屈指の大富豪出身で、エール大学を学び舎としたが、それで満足するに至らず、英国はケンブリッジ大学へと進学。これは母が英国出身であり、幼少期からしばしば母の郷里に滞在していたことが彼に多分に影響しているためだと言われる。

  
〔ポール・メロン氏〕

ミスターメロンは、1999年に米国はケンタッキー州はウインスターファームで産声を上げた。生産者はトーマス F.ヴァン・メーター氏。大いなる成功の後光を預からんと、天命を施されたミスターメロン。
結局GI級の資質を包括しながら、その全貌を見せることなく、わずか9戦で退陣。
しかし、やはり威光を放つ名前が当てられた馬は違う。その秘めたるポテンシャルを種牡馬として全快することに成功したのである。

ただし…アメリカではなく、彼が活躍馬を輩出したのは遠く海を越えた向こうにあるインドでのことだった。ご察しの通り、ミスターメロンはインドへと輸出されたのであった。

これも何かの運命だったのかもしれない…。
ミスターメロンの繋養されることとなった牧場の名は“サザンパラダイス・スタッド・ファーム”で、これはまるでポール・メロン氏が愛した珊瑚礁をイメージするに十分な名称なのである。
あのミルリーフの名も、メロン氏が所有するアンティグア諸島の海に由来している。それほどに彼は西インド諸島のラグーン・リーフを心の支柱としてきたのだ。


〔西インド諸島の珊瑚礁〕

ミスターメロンの最良後継者も出現している。カルカッタダービー、カルカッタゴールドカップを制したリーガルコネクションがそれで、メロン産駒はこの馬を中心にこれまでに74頭がデビューし、36頭が勝ち上がった。一見大した成績でないように見えるが、なんとこれはわずか3世代総計88頭が煉り出した結果なのだから凄い。
残念ながら2003年には種牡馬を引退してしまったのだが、もっとやれたのではないだろうか。今となっては、もはや鉄橋の真下にある水に同じ。すくいあげることも、垣間見ることさえ禁じられてしまった。

しかし――…
彼の名は永遠の名譜として語り紡がれてゆくことだろう…。
偉大なる爛潺好拭次Ε瓮蹈鶚瓩箸靴董宗宗宗


奇跡の名馬 (アメリカ合衆国・カナダの名馬) * 07:40 * - * - *

グランドエスポワールブラン

【グランド
    エスポワール
        ブラン】

   〜愛の結晶〜

―白光を解き放つ
     奇跡の白毛馬―

 

父 ワンフォーオール
母 エラジュール
母父 ホワットアプレジャー

生年:1986年
性別:牡(せん馬)
毛色:白毛
国籍:アメリカ合衆国(ロサンゼルス)
生涯成績:16戦3勝[3-2-1-11]

1896年にサラブレッド史上初となる突然変異の白毛馬が生まれたのは米国であった。もちろんこれは公的に認知され、確認された最初の事例であり、過去においてもしかしたらひっそりと白馬が生まれていた可能性はある。実際に散発的に誕生していた白駒もいるようで、邂逅を果たした人物の逸話も聞くが、決定的な確証を得られるもので白毛と認められたのは既述の馬、ホワイトクロスが史上初の白毛馬とされている。本馬は栗毛と青毛の両親から生まれた所謂、突然変異。ホワイトクロスは平地の競走では潰滅的成績に終わってしまったが、とある書肆に所蔵されている古びれた文献によれば、テネシー州ナッシュビル近郊、カンバーランドパークのハードル競走で凱歌を上げたと記されている。

以降、米国では十数頭の白毛馬が出現しているが、グランドエスポワールブランは白角としては史上最強の潜在能力を包括していたようである。しかし、彼は脚部不安に苛まれ、全能力の半分も解放できていなかったという。その指針となっているのが競走成績で、3勝かつ5回以上も連対を重ね、5着以内の入線を最も果たした白毛という見地から読み解くに、本馬はずば抜けた好成績を紡いでいる。こうした観点から歴史的白馬と評しても過言ではないだろう。

 
〔グランドエスポワールブランが獲得した賞金額は$35,530。日本に生まれたユキチャン、ホワイトベッセルを除けば、白毛史上2位という立派なもの〕

突然変異とは時として得意な体質や体形を助勢するもので、グランドエスポワールブランは全身が純真無垢の完全な純白で、なおかつ眩搖な燐光を発していた。窈窕なる雰囲気を醸し出す彼は恍惚に満ちており、その光輝を見るものは恋人に抱擁されるような、喜色に満ちたの温かな心持になれたらしい。心が癒踊され、まるで彼に鼓舞されているような錯覚を起こすファンもいた。

  
〔絶望的境遇に陥った際、彼の走りで救われた者もきっといたことだろう〕

爛薀凜螢ホース瓩噺討个譟∀啓稈暴、皆から泡愛されたグランドエスポワールブラン。
勇気の白翼で奇跡の流星シャワーを振り撒いた彼も、競走能力の衰退により、競馬場から姿をけしていった。

       
〔突然変異のハート形レモン〕

  

〔額にハート形のマークを持つ突然変異の牛/上・体にハート形のマークを持つ牛/下〕

 

愛が起こした奇跡。
愛のみが起こしえる奇跡。

レースから遠ざかった彼は、馬術大会で活躍するドレッサージュホースとして活躍し、名を馳せた。
しかし、健固な彼も身体能力の衰勢はどうにも抑止することが出来ず、ショーホースの世界からも離れ、余生を過ごすこととなった。


  
〔全力疾走へと移行しようとするグランドエスポワールブラン。異様なまでの白光を放っている〕





荒涼たる喧騒の中、すさみきった都会の光はどこか侘しく切ない。
貴方の心の中に“愛の結晶”はあるだろうか?
陽光のように暖かく、そして羽衣のように優しく民衆の心を包み照らしたグランドエスポワールブラン。
月船から飛臨した白燕は、彼を見続けてきたものたちの心のツバサとなった。
そして別れの時はやってくる…人間で言えば米寿ほどになるだろう。2005年の12月、起き上がることの出来なくなった彼は21歳の高齢を迎えていた。安楽死の処置が施され、懇ろに手厚く埋葬された。彼の墓碑はいまミリガンズファームに佇んでいる。


  
心を飛翔させる“愛の結晶”…
忘れないで。どんなに辛い場所にいても。
きっと強くなれる。大切な貴方(ひと)へ贈る“奇跡の言葉”…
グランドエスポワールブラン
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奇跡の名馬 (アメリカ合衆国・カナダの名馬) * 01:50 * - * - *

ロストインザフォグ ―Lost in the Fog― 

 【ロストインザフォグ】

 〜真実は霧の中へ〜

―癌との壮絶な闘病…
   悲運に見舞われし
    史上最強の
  ダートスプリンター―



父 ロストソルジャー
母 クラウドブレーク
母父 ドクターカーター

生年:2002年
性別:牡
毛色:黒鹿毛
国籍:アメリカ合衆国
生涯成績:14戦11勝[11-1-0-2]

史上最強の短距離馬候補を挙げよとの答えには、名前がすぐ湧き立ってくる。ザテトラーク、スプリングフィールド、マニカトから近年ではサイレントウィットネスなど…。しかしダート短距離の史上最強となるとちょっと難しくなる。それと言うのも、米国では短距離で成績を残す馬でもマイルから中距離まで対応可能な馬が多く、名だたる名馬という名馬が、短距離でなくマイルから中距離で最高のパフォーマンスを魅せているため、史上最強のチャンピオンスプリンターとなると、選出も難儀なものとなってくるのである。その裏には中長距離へと競走体系をシフトさせた競馬界全体の思惑も多分に影響していると推察されるのだが…。そのためかマイルや中距離とは違い、最強候補を推奨する際には沈思に耽ってしまうことが、多々あるのである。
さて、史上至高のダートスプリンターとしてドミノを挙げる方も非常に多い。なるほど、史実へと刻んだ圧倒的短距離適性と刻印したその成績は大変秀逸であり、奇跡的な子孫繁栄にも成功している。文句無く史上最強のダート短距離馬候補であり、歴史的名馬である。しかし、それでも私が究極の砂上韋駄天と推考しているのが本馬ロストインザフォグである。
競馬に「たら、れば」は絶対の禁句である。が敢えて論述させて頂きたい。この馬が病魔に蝕まれることなく、順風満帆な競走生活を送っていたら…もし生きて種牡馬となることが出来ていたのなら…満場一致で史上最強のダート短距離馬は彼、爛蹈好肇ぅ鵐競侫グ瓩箸覆辰討い寝椎柔が非常に高い。それほどに強く速い馬だった。彼の走るレース映像を何回か見たことがあるが、その壮烈極まる走りは“史上最強”を強く意識させるものであったし、短距離にも関わらず連戦大差勝ち…しかもその殆どがゴール前馬なりになって流してのもの。過去にこれほど強いスプリンターは見たことがなかったものだから絶句し、たた呆然と呆れ返るしかなかった。
人馬一体だけでなく風とも一体化し走る彼のモーションが瞼の裏から焼き付いていて、今も目を瞑ればそこで彼は躍動している――。
競走馬にとっては珍しい癌に、能力も命も…すべてを侵蝕され、晩霞の彼方へと消えていった、儚くも偉大なるチャンピオンスプリンターの記憶を、ここで語り明かそう。

2002年の2月4日、“ロストインザフォグ”「霧の中へ消えていった」というミステリアスかつ遙然たる、実にセンス溢れるネーミングが施された当馬は、人間に対し非常に従順で、周囲との琴瑟相和を意識するほど気遣いのできる柔和な仔馬だったという。
2004年、ロストインザフォグの買い主が現れた。ハリー・アレオ氏がその人で同氏は14万ドルで夢を彼へと託したのであった。
デビューはゴールデンゲートフィールズ競馬場のダート1,000m戦が檜舞台として選定された。
11月14日、圧倒的1番人気に支持されると、馬なりのまま後続を突き放してゆき、結局7馬身1/2馬身もの大差をつけ大楽勝で締め括った。タイムは56.8だった。
これを目の当たりにした現地のファンは熱狂し、早くもその背中にはかつての英雄を重ねていた。
ロストインザフォグがデビューを飾ったカリフォルニアの地は名馬不毛の地と呼ばれていた。エンペラーオブノーフォーク、スワップス、シルキーサリヴァン…数える程しか歴史的名馬はいなかったのである。そんな土地へと燦燦たる陽光が差し込んだ。ロストインザフォグは、競馬が忘れかけられていたこの夢の楽園へと再生の原動力となるべく颯爽と現れたのかもしれない。

ロストインザフォグはサンフランシスコからアリゾナへと向かい、2戦目に備えた。ターフパラダイス競馬場での1戦、まさにこのレースこそ神話とも言える内容になる。
12月26日、年の瀬も迫ったこの日、アリゾナジュヴェナイルS(ダ1,300m)へと出陣したロストインザフォグはスタートから猛烈に脚を伸ばし、グングンと加速。4コーナーで軽く仕掛けられると、完全な独走態勢が完成していた。ここからの推進力と加速度がさらに輪を架けて半端ではなく、騎手が追うのを止めたところで、レースはあと2ハロン(約400m)も残っていたのだが、彼は自ら加速を開始し、風とひとつになり、果てには瓢揺たる風と時とを切る烈風へと変貌していた。直線逆巻く廻爛の突風の中軽やかに踊躍し、疾駆するロストインザフォグは“神速の馬”となった――。抑えられていたにもかかわらず、ゴールへと近づくにつれアクセレーションは全開となり、ウイニングポストを掠め去ったその瞬間に記録されたタイムは…なんと1:13.55!
しかも後続は死力を振り絞り全力全開で駆けているのも虚しく、馬なりで走るロストインザフォグから14・3/4馬身差(2着馬までの着差)離された場所を走っていた…。
このタイムは同競馬場のスーパーレコードとしていまだ残っている。それだけではない。この記録、全米レコードにコンマ0秒4差まで迫っていたのである。2歳でデビューした馬が、本気で走らずこのタイムを出そうとは誰も頭の片隅にもあるはずがなく、末恐ろしさに全米のファンが震撼することとなった。ちなみにあのネイティヴダンサーが古馬となり、絶頂期にあった時に残したタイムは1:14.4。なんと2歳2戦目にして歴史的幽霊のタイムを1秒近く凌駕してしまった。
安直な比較対象は浅はかではあるが、この時点でネイティヴダンサーをも登攀する程のポテンシャルを内在させていたということだけは確かなものではないか。
しかもこのレコードタイム、殆ど追われずマークしたということを忘れてはいけない。
全力疾走していれば、間違いなく全米レコードは超越し、それはおろか世界記録を計時していてもおかしくはなかった。ゴール前残り50m〜100mで流す馬は幾らでもお目にかかれるが、1ハロン(約200m)残して馬なりになる馬などはそうはいない。そんなところ、このロストインザフォグは残り2ハロン(約400m)、しかも長距離ではなく短距離戦で流して自分から加速してフィニッシュしてしまうのだから、常識放遂のとんでもない馬である。あのシーバードでも残り200mからの馬なりだったのだ。過去の歴史的最強馬たちのレースぶりと重ねることで、さらにロストインザフォグの常軌を逸脱した異常な強靭性が浮き彫りになってくる。

この神話的競走の想像を絶する光景は全米へと届けられ、全米から片田舎の英雄へと熱い視線が送られることとなってくる。年が明け、ロストインザフォグはフロリダの地へと赴いていた。
2005年の初陣はガルフストリームパーク競馬場。サンシャインミリオンズダッシュS(ダ1,200m)で初戦を馬なりの圧勝4馬身1/2差で駆け込むと、初重賞となったスウェイルS(ダ1,400m)でもその神速はさらに凄みを増しており、一気に4馬身3/4馬身ちぎり、あっさりと重賞ウイナーの仲間入りをはたしてしまった。
この頃になると、ロストインザフォグのケンタッキーダービー参戦はありえるのか?という疑念がファンの間に立ち込め始め、それを見た陣営はフロリダダービーからケンタッキーダービーへ向かうという、驚天動地のローテンションを発表。これに全米から驚嘆と仰望の声が上がったが、結局気泡へと帰っすことになってしまう。
その後もロストインザフォグは走り続けた。フロリダから1万kmも離れたビッグアップル・ニューヨークへと強行移動し、アケダクトのベイショアS(ダ1,400m)へと参戦。ここも4・1/4馬身差で軽く捻ると、秋の大目標であるブリーダーズCスプリントへ向け英気を養う放牧休養となるはずだったのだが…急遽“出走要請”の指令が下される。

「ロストインザフォグのためだけに、新たなレースを新設しました。ぜひロストインザフォグに来てもらって走って頂いて、ファンを喜ばしてほしいのです。どうぞご検討を」

それはロストインザフォグのデビュー郷涙の地、ゴールデンゲートフィールズ競馬場側からの熱烈なラブコールであった。
後のことを考えれば、ここで絶対にロストインザフォグへと休養を与えておくべきだった…
亭主の好きな赤烏帽子…馬主がO.k.を出し、陣営もそれならば出走しようかと、彼の能力に溺れ、盲目となっていたのだろう。そして馬なりで速攻勝負を決めてしまえばダメージも最小限で済む…そんな安易な考えも裏にはいちらついていたような気がしてならない。

こうして長期休暇を取り下げられた、ロストインザフォグは、ホームグラウンドである競馬場へと向かうため、自由の女神に踵を返した――

ゴールデンビアBCS(ダ1,200m)、英雄ロストインザフォグを合わせても、わずか3頭立てというこのレース、彼は気分良く飛ばしに飛ばし、ほぼ馬なりのまま10馬身差もの絶望的着差を突きつけゴールイン。タイムがこれまた壮絶で、1:07.32!日本の高速芝でのレコードが黄金世代の最強スプリンター・アグネスワールドが計時した1:06.5であることを踏まえると、相当な記録である。この怪時計、全米レコードまで0秒5と迫っていた。恐らくここでも全開で追っていれば全米レコードは簡単に更新していたろう。ロストインザフォグに不遇だったのは、短距離界に超強力な好敵手が全くの不在だったということに尽きよう。1頭でもライバルがいれば、競り合うことでさらにタイムは伸び、きっと世界レコードもマークされていたに違いない。

この凱旋勝利に現地のファンは狂“喜”乱舞し、大々的に記事をトップで掲載し、特集まで組まれた。また全米誌においても同馬を取り扱う雑誌が急増し、一躍一世を風靡するほどの時の人ならぬ、時の馬となっていた。そして地元カリフォルニアの熱狂的ファンは彼をシルキーサリヴァン以来の英雄と激賛し、彼の未来の展望に胸膨らませていた。カリフォルニアの地が生んだ伝説の追い込み馬が引き合いに出されることなどそれまで皆無であった。潰滅したかに見えた競馬愛の炎は、まだ消えてはいなかったのである。

この招待レース後、ようやく休養かと思いきや、すぐさまNYへととんぼ返りし、さらにはレース出走の登録をするという不可解な行動に陣営は出る。あまりの大楽勝ぶりに疲れは取れたと判断しての決断だったのだろうか…ここがロストインザフォグにとって最期に休めるチャンスだったのだが…またも羽根休みはお預けとなり、戦場へと英雄は赴くのであった。
出向いた先はベルモントパーク競馬場。しかし、予期しなかったトラブルが発生する。それまでロストインザフォグの手綱を手繰り続けてきたラッセル・ベイズ騎手が怪我で乗ることが出来なくなってしまったのである。ピンチヒッターとして鞍を任されたのは必殺仕事人エドガー・プラード。突然の乗り替わりであったが、ロストインザフォグの気性から問題はないはずだった…。

リヴァリッジBCS(ダ1,400m)のゲートが開いた――。
しかしどうしたことか、ロストインザフォグは躊躇し、精彩を欠いている。鞍上は乗り替わりとはいえ、全米が誇る名手。こんな不測の事態は完全に陣営の計算外であった。しかし、今となってはどうすることも出来ない。あとはロストインザフォグの能力とE.プラードの腕に全てを賭けるしかない。
ファンは絶句した――。
あの超駿足韋駄天であるロストインザフォグが鼻を奪われ、さらには格下2頭に番手すら横取りされる始末。さすがの名手プラードもこれには焦ったか。大外を回すざるを得ない苦境へと追い詰められ、はじめてロストインザフォグへと全力の鞭が飛び、プラードも必死の形相で豪腕を唸らせる。これに応えたロストインザフォグはようやく先頭へと躍り出ると、エッグヘッドという馬の追撃を1馬身1/4抑え、1着入線を生きも絶え絶えに果たすのであった。
「何かがおかしい…」
ごく一部の者だけが、「それ」を感じ取っていた。彼の中で脈打つ悪しき胎動の心音を。


最大目標としてヴィジョンを描く最終到達地点ブリーダーズカップまであと3ヵ月と時は迫っていた。
今休養することは、万全な状態で送り出すことを不可能とすることを陣営全体が意識していた。
レースを使い、調子を上げさせる作戦が取られることとなった
時同じくして米国へと巨大ハリケーンが上陸、吹き荒れるサンダーストームに何か嫌な予感と不気味な羊雲が走った

通算7つ目の競馬場となったコルダー競馬場。ハリケーン襲来後という悪条件の中、出走回避が相次いだものの、ロストインザフォグはこのキャリーバックS(ダ1,200m)へと、臆することなく勇躍出走してきた。レース内容もワンサイド勝ちで、、またも馬なりのまま7馬身1/4差という大差かちを演出。しかも1:09.3というレコードのオマケ付きであった。
そして迎えた初のGIレース、キングスビショップS(ダ1,400m)へと臨戦する。ここも圧倒的内容で、殆ど馬なりで4馬身3/4差の圧勝。さも簡単にGIを飲み干してしまった英雄に2走前の不可解な失態を陣営もファンも忘れかけていた。きっとあれは乗り替わりと疲労のためで、万全な状況下であればいつもの大差勝ちがスプロールされていたに違いないと…。

晴れてGI馬となり、BCスプリントのステップ戦に備えていたロストインザフォグにまたも招待レースのインヴィテイションが舞い込んでくる。

「我がベイメドウズへとお越し頂けないでしょうか。ロストインザフォグのために最高の条件を揃えたレースを準備しております。来訪して頂き、当地のファンへ至福の時間を与えて頂きたいのです」

田舎町の競馬場から届いた招待状を前に、陣営は何を想ったか誘いを受諾し、NYから4万kmも離れた辺境へと大移動を開始。
長旅の疲れも癒すことなく、すぐさま競馬場へと赴き、出走態勢を整える。ベイメドウズスピードH(ダ1,200m)へと参陣した同馬は、馬なりで圧倒。他馬は完全に引き立て役でしかなく、8馬身近くもブッちぎって現地のファンは歓喜の渦へ巻き込まれ、感謝感涙に暮れた。


〔ベイメドウズ競馬場へと来臨したロストインザフォグと出迎えた多くのファン〕


夢見てきた最高峰の頂き、BCスプリントはあと3週間後にまで迫っていた――。


凱旋門賞やドバイWCに並び、世界最高峰に位置付けられるブリーダーズカップ。競馬の祭典がやってきた。この日を待ちわびていたロストインザフォグ。しかし、何か魂が抜けかかったような覇気が感じられない。しかし、それでも圧勝で11連勝を迎えるに違いないと、全民が予見していた。

しかし…
ロストインザフォグは別馬のようになっていた――。
7着という大敗…
しかも鼻を奪われ、4番手からの競馬という誰もが目を疑う展開で。

陣営は青ざめ、ファンも唖然呆然、絶句しその場から身動きできない。完全なる想定外が競馬場をのたうちまわっていた。
これでタイトルまで手を擦り抜けてしまうものか…と思った矢先、ロストインザフォグは最優秀スプリンターに選出された。これにはファンも胸を撫で下ろし、満場一致、納得いく和やかなクリスマスを迎え、ニューイヤーに備えることが出来たようであった――


その頃、ロストインザフォグは疲労困憊し、明らかに体調に異変を来たしていた。
なかなか体力は回復を見せず、上昇曲線どころか平行線さえ描くのがやっとという異常事態に、陣営は首を傾げ続けた。
春が訪れ、何とかレースへと参戦できるくらいの状態まで回復するのを待って、ロストインザフォグは帰ってきた。真のスプリント王帰還を多くのファンが待ち望んでいた。
郷愁のゴールデンゲートで再出発した彼は、いつものレース振りが全く影を潜めており、なんと2着失速。しかも3馬身も突き放されての完敗であった。結局このあと1勝を上げるが、2005年に世界中の競馬ファンを魅了した彼はどこかに消え去ってしまっていた。全く別馬のようになってしまった英雄の復活を誰しもが祈念し続ける。
ところが、ファンの祈りも虚しく、スマイルスプリントHで9着と生涯最大の大敗を喫した彼は、体調不良か競馬場から脚を遠のけた…。
発熱が終夜つづき、かなりの高熱で魘され続ける。これは只事ではないと、ようやく陣営も気づき最先端医療を整えたカリフォルニア大学病院へと搬送され、精密検査を受けることになった。


報道では風邪と言われていたが、検査の結果、残酷かつ絶望的な診断が下される

「ロストインザフォグは巨大な悪性腫瘍…つまりは癌を患っています。余命は…大変残念無念の想いが絶えませんが、あと10日あるかないか…もって2週間あればいいほうでしょう」

獣医師の口から放たれた宣言はあまりにも凄絶なものだった――
陣営は顔面蒼白、そして頭の中まで空っぽになってしまった。
どうやら病状は末期であり、最後の1戦となったスマイルスプリントの時点で死期まで見えていたようで、もしかするとあの不可解な苦戦を強いられたリヴァリッジBCSの頃が発症した時期だったのかもしれない。もしそうなると、癌という最悪の禍根に懊悩させつつ、歴史的パフォーマンスを魅せていたことにもなる。

膵臓を支える靭帯にサッカーボールほどの大きな悪性腫瘍があり、すでに全身への転移もひどく、手の施しようがなかったという。
この最後通告を勧告された陣営は、延命治療を一切せず、慣れ親しんだゴールデンゲートフィールズ競馬場で最期を迎えさせる決断に出た。

「残されたわずかな時間を、少しでもこの子が幸せだと感じてくれるよう最善の努力をしようと思います」

天へと翔ける命のカウントダウン。
飄々と日々過ごすロストインザフォグは、全てを悟りきったかのように穏やかな目で長閑に時間を過ごしていた。そん中、厩舎へとは米国だけに止まらず、全世界から励ましのメールや手紙が届きつづけていた。

「がんばれ!あきらめるな!」

「もう一度貴方の走りがみたい」

「勇気づけられました。今度は僕が貴方へと力を与える番。ガンバレ!ロストインザフォグ!」

もう助かる見込みなどゼロ。それにもかかわらず、奇跡を信じる者は絶えることなく祈願のゴスペルが漣のように届き続ける――。

「あなたのおかげで競馬が好きになった。奇跡よ起きてくれ」

「つらい毎日もあなたの走りで嬉しくなれました。本当にありがとう」

     
「君が最強だと信じてるよ。君は病気でも懸命に走り、他の馬にも自分にも勝った!本当に凄い。生きて…どうか生きて…あの走りをもう一度…!」

胸が熱くなる便りの数々。その中に同じく癌との闘病生活を送る小さな子供から届いたものに、関係者一同が目を留めた。

その内容に一同は目頭を潤ませた…中には顔をくしゃくしゃにする者もいた。
『いっしょに病気に勝とうね!もっと生きたい!もっと生きて色んな場所へ行って、色んな人と友達になりたい。ろすといんざふぉぐもそうでしょ?元気になって!もっともっと走ってほしい!』

「…どうしてもっと早く気づいてやれなかったのだろう…なんで…なんで…」

胸を詰まらせ、すすり泣く男たちが願うはこの少年の回復のみだった。
ロストインザフォグはもう助からない。
彼の死亡したことを知って少年が生への強い想いを絶やしてしまうことだけが心配だった。


2006年9月17日、日本ではディープインパクトの凱旋門賞遠征に熱を上げていたあの頃―。
まだ茹だる様に暑い、陽炎たつ昼下がりのことだった。
発作を起こし倒れているロストインザフォグが目撃され、すぐさま獣医が駆けつけた。
すでに危篤状態にあり、安楽死の処置が施された。
安らかに眼を閉じたロストインザフォグを天使たちが喜色満面の微笑みを浮かべ連れ添い、天へと昇っていく。

何万キロ離れていようと、自分を送り出してくれた故郷へのノスタルジアと深謝は忘れない。
望郷の想いを乗せ、彼は天へと翔けていった――。
残されたのは彼の伝説と彼を想う心優しきファンたちの抱懐せし記憶(おもいで)。
「史上最強最速のサラブレッド」その答えの鍵をもったまま、真の力、真のスピードを見せぬまま、偉大なる英雄は深い霧の中へと静かにその姿を消し去ってしまった――
晴れることのない、永遠という霧の彼方へ―――。



 
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奇跡の名馬 (アメリカ合衆国・カナダの名馬) * 22:38 * - * - *

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