ノーブルダンサー ―Noble Dancer―



、滾らせて

―北欧から米国へ。
     凱旋門賞でも
   勝ち負けした
 北欧競馬最強級ホース



父 プリンスドゴール
母 ヘレントローベル
母父 シングシング

生年:1972年
性別:牡
毛色:黒鹿毛
調教国:アイルランド⇒ノルウェー⇒アメリカ合衆国
生涯成績:43戦22勝[22-7-5-9]
主な勝ち鞍:ノルウェーセントレジャー、オスロカップ連覇、ユナイテッド・ネーションズH連覇、サンルイレイS連覇、パン・アメリカンH、タイドルH、カナディアンターフH、ボーゲンビリアH、ハイアリアターフカップ、フロリダターフカップH、ワシントンシンガーSほか

ラフィアンの記憶
1979年10月17日早朝のベルモント競馬場。
靄がかったコースに「グキッ」という鈍い音が響いた。
踝を中空にブラブラとさせる余りに痛ましい光景の愛馬へと駆け寄っていったトミー・ケリー調教師と息子のケリーは絶句し、最悪のシナリオが胸奥に頭を擡げた。

同馬は即刻、競馬場の外れにある手術室へと担ぎ込まれた。名医ウィリアム・リード師と、ラリー・プラムレジ博士の下へけたたましいベルが鳴り響き、名だたる手術団が結成され、ベルモントの地へと招聘された。
リード師はあのラフィアンの手術も受け持った、名の通った医師であり、最後の頼みの綱のような存在であった。
悲報は当然、馬主であるハーコン・フレットハイム氏の元へも伝えられ、最愛の名馬を襲った突然の不幸を信じられず、苦虫を噛み潰したような煩悶たる表情を浮かべ現れた。

 
医師団と保険代理人の間では喧々諤々たる協議が展開されていたが、代理人の主張が押し通されそうな、暗雲立ち込めた雰囲気が病室を覆っていた。

「助かりっこありません。これ以上の痛みは馬の為にも不幸過ぎる。殺処分すべきです。」

これにギョッとしたフレットハイム氏は間に割り込んで思いの丈を主張した。

「私は…助かるものなら助けてやりたい。馬をお金に換えることなんぞ、私にはできません。何とか生かしてやってください。ダンサーだって必死になって激痛と闘っているじゃあないか。体重を踝にかけないようにして、必死に痛みと闘っているじゃないか…生を望む者の意思を尊重せずに命を絶つことなど私には出来んよ…」

しかし、ケリー調教師は曇った表情で殺処分も止むを得ないかもしれない…と述べた。
気でも触れたのか…とフレットハイム氏は目を剥き出しに驚いたが、ケリー調教師の口から出てきた証言に、その激情は一瞬にして鎮火されてしまった。

「ダンサーは…あまりに苦しいのか、バケツに首を突っ込み、自殺しようとしていました…。急いで止めさせましたが、そんな光景をみてしまうと…」

運命の決断は手術後、ノーブルダンサーの様子を見てから…という事に落ち着き、プラムレジ博士の到着を待って手術は開始されることになる。
何時間かかったのか――
時間の感覚もぼやける様な押しつぶされたような空気の空間の中、リード医師の脳裏にあの悲劇の光景がフラッシュバックしていた。
大手術の後、目を覚ましたラフィアンは激痛から悲鳴のような嘶きを上げながらギプスを破壊し、暴れ回り、最後は薬物を投与され絶命した――…
この馬も…また…もしかしたら…。
リード師の描いた断末魔は、杞憂となった。
ノーブルダンサーは静かに目を開けると、ゆっくりと立ち上がり、よろめくも周囲の人間に支えられ、1時間後には飼い葉を食べ始めたのである。
人間たちが自らの命を全力で救ってくれたことを、馬は理解しているかのようだったという。


北欧はオスロの街から

このノーブルダンサーは、米国出身ではなく、出生地はアイルランドであった。
生まれた後、北欧はノルウェーへと渡り、クラシックシーズンと古馬になっての一年目は同国で過ごすこととなる。


▲〔ノルウェーの首都オスロの夜景〕

ノルウェー2000ギニー、ノルウェーダービー共に2着。
届きそうで届かない、ちょっとした不運でタイトルを逃していたノーブルダンサーであったが、ついにノルウェーセントレジャーを制すると、本格化の兆しを見せ、オスロカップを連覇。ノルウェー最強馬の誇りを胸に、欧州最大のレースにして最高峰である凱旋門賞を目指すことになる。
1976年の凱旋門賞、勝ったのは結局地元フランスのイヴァンジカ。

  
▲〔2013年凱旋門賞直前のインタビューを受けるヘッド調教師。2014年もキズナ、ハープスターほか日本馬の前に彼女が送り込むトレヴが立ちはだかるか〕

あの世界史上最強牝馬トレヴの調教師であるC.ヘッド調教師の管理した女傑である。ノーブルダンサーは直線進路を塞がれ大きな不利を蒙るも、闘志剥き出し食下がり4着の大健闘。
  
まだ優勝経験のないヨーロッパ諸国の調教馬の中では最高の成績と言えるパフォーマンスに、ノルウェーの競馬関係者やファンも胸を熱く焦がしたが、一人感激してノーブルダンサーに首っ丈になった男がいた。それがフレットハイム氏であり、ぜひこの馬をアメリカの芝路線へ連れて行きたいと熱望を掲げ、買い取りを申し出る。只ならぬ熱意に根負けしたオーナーは、60%の権利をフレットハイム氏に譲渡。ワシントンDCインターナショナル出走直前のことだった。

激闘の日々
ワシントンDCインターナショナルにてフレットハイム氏が描いていたような鮮やかな勝利は描けず、凡走に終わってしまったノーブルダンサーだったが、年が明けての1977年、緒戦に選んだタイドルHをトラックレコードで圧勝。
しかし…であった…好事魔が多し。快勝後性質の悪いウィルスに冒され、なんと体重を90kg以上落とし、瀕死の重態にまで陥ってしまう。ところが、驚異的な生命力を見せる。すべての力を回復力発現のエナジーへと転換しているかのように、目覚しい復活を遂げるノーブルダンサー。

「やはりこの馬は只者ではない。自分の眼は間違っていなかったのだ」

おぼろげな自信が、一気に霧が晴れたかのように、確信に変わった瞬間だった。
入念な治療と調教を積み、再始動の仕切り直しは、1978年を迎えてからとなったが、これが功を制した。
大病を患う前の能力をすべて取り戻し、アロウワンスを流して勝つと、ブーゲンビリアH、ハイアリアターフCと三連勝。
この勢いそのままにサンタアニタへと飛び、サンルイレイSへ挑戦。ここには強豪エクセラーも参戦していたが、ノーブルダンサーは勝負強さをフルに発揮し、プロペランテという馬をクビ差凌ぎ切って優勝した。

  
▲〔サンルイレイSはシンボリルドルフがレース中に骨折、引退レースとなった海外レースとして日本人にも名の知れたレースである〕

しかし、この後エネルギー切れを起してしまったかのごとく、三連敗を喫し、最悪な事にカリフォルニアにおける最後のレースで靱帯を痛め、三ヶ月の休養を強いられてしまう。
第80代目の日本ダービー馬となったキズナは、強靭的鋼のような超常的精神力を有していることは広く知られた話だが、このノーブルダンサーの精神力も見上げたものである。どんな困難、苦難、苦闘、苦吟にも根を上げず、怯むことなく立ち向かっていく。この靱帯損傷の時もそうで、レースへ戻りたいという闘志を日々見せ続けていたという。
その気合乗りは本物だった。再々復帰となった一戦のユナイテッド・ネイションズHでは6馬身差の大楽勝。今回もいい口火を切ったかに見えたが、鞍上のスティーヴ・コーセンと気が合わなくなってきており、この後精細を欠く三連敗。ついには騎手交代が宣言され、H.ヴァスケスが手綱を握る事となる。
馬が合ったのかは定かではないが、気持ち良さそうに競馬場を駆け抜け一気の三連勝。

  
そして再訪のサンタアニタ。サンルイレイSを2馬身1/2差で連覇し、第二の熟盛期に突入したことを印象付ける。昨年のリベンジを期して参戦のサンファンカスピトラーノ招待Hでまさかの落とし穴。サンルイレイSで完勝し、力の違いを見せ付けていたテイラーという馬に屈してしまう。
これに憤怒した陣営は連闘を承知でハイアリアターフカップへとノーブルダンサーを出撃させた。レースでは59kgのハンデを背負わされるも、余裕で勝てると見ていたフレットハイム氏とケリー調教師は、モグラ叩きで思いっきり叩かれる土竜の如く、脳天に鉄槌を食らわされる。51kgの軽量を背負った格下の伏兵ボウルゲイムの前に敗れ去ってしまったのである。

再びフランスへ…
打ちひしがれてしまったケリー調教師とフレットハイム氏だったが、これはレース選択を誤った人災と猛省し、翌年に復権を期した。休養明け大得意のノーブルダンサー。今回も爽快な疾走を見せ、ユナイテッド・ネイションズH連覇を成功。つづくマンハッタンHは大きな不利を受け、それが主因となって4着に甘んじるも、不利がなければ…の内容に、大きな灯火が燃え上がる。
「凱旋門賞挑戦」。
ノルウェー在籍時、もう一歩の所まで来ていた夢の超ビッグタイトル。
今年のメンバーならば…と淡い祈望を抱いての渡仏。
またも立ちはだかったのはヘッド調教師の送り込む女傑スリートロイカス。


▲〔スリートロイカス〕

迸るオーラを発散しレースに臨んだノーブルダンサーであったが、すでにピークは過ぎていたようで、あえなく大敗。勝ったのはスリートロイカスであった。
もどかしい思いに、後ろ髪引かれながら失意の帰国。
その後に待っていたのが、ベルモントでのあの悲劇――。
ノーブルダンサーは短距離から中距離、クラシックから長距離まで、どんな距離でもこなし、そして結果を出してきた。良馬場はもちろん重馬場も苦にすることなく走り、先行もすれば追い込み戦法も可能で、利発で賢く、勇猛なハートを持った競走馬であった。大変な負けず嫌いな馬でもあったらしく、敗れた翌日は常にご機嫌斜めで、身の回りの人間に八つ当たりのつもりか、鼻を鳴らしつつ、嫌がらせを結構していたという。

生死の淵を彷徨ってきたノーブルダンサーは順調に回復し、さすがの高齢に引退を決断。
無事に種牡馬入りも果たすことが出来た。
しかし…自らに並ぶような良駒はついぞ出現せず、余生を過ごすこととなる。
レースでも調教でも手を抜かず、常に120%全力傾倒。命の炎を燃やし続けた競走馬生ゆえ、種牡馬としてのエナジーまで使い果たしてしまっていたのではないだろうか。
彼の滾らせ続けた生への熱情が、ここで断ち切られてしまうのは無念という他あるまい。
  
北欧に生まれ北欧に育ち、北欧から旅立っていったとある1頭の物語である。


 

奇跡の名馬 (西欧・地中海・北欧諸国の名馬) * 03:55 * comments(0) * - *

トゥーランドット ―Turandot―

 【

 〜解き物語

―偉功あふるる
   牝馬たちの歌劇曲―

 
父 リチェーチェ
母 スティルウォーター
母父 フェアトライアル

生年:1948年
性別:牝
毛色:黒鹿毛
調教国:スペイン
主な勝鞍:マドリッドグランプリ(マドリッド大賞)、シメラ賞、ヴィラメジャー賞ほか

命の謎解き
フィギアスケートの背景に流れる扇情的音楽の一つとして度々耳にされる編曲の一つに有名なクラシックがある。答えは『トゥーランドット』。我々一般の常民として記憶に新しいのが、トリノオリンピックで金メダルを獲得した荒川静香さん、彼女の爽麗なるパフォーマンス、そのバックグラウンドを彩った音楽として傍聴し、耳に残っていることだろう。
『トゥーランドット』は、フランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワが創作した『千一日物語』の中の一編として登場してくる。その物語の概要はと言うと、「王子と姫の恋物語」。こう聞くと有触れた甘美なラブストーリーを連想しがちだが、そうした凡作とは訳が違う。
二ザーミーの叙事詩『ハフト・ペイカル(七王妃物語)』に端緒が遡及されるとされるこの物語は、原典が失われてしまったほどの万古のラブロマンス。ヴェネツィアのカルロ・ゴッツィが戯曲として編曲し、世界へとスプロールしていった。玉石混交、あまたの作曲家・劇作家がこの作品を手掛けたが、現在では、一番有名なものがジャコモ・プッチーニのオペラだといわれる。

 

あらすじはこうだ。
トゥーランドット姫に求婚する者は、彼女の詰問する謎々を答えなければならない。
三つ出題される問、すべての正当を導き出せば望みは叶う。しかし、一問でも失当してしまえば、斬首刑という獄烈なる公開処刑が待っている。
星の数の男性が彼女へと契りを申し出るが、皆血の海へと没滅していった。
そんな中、カラフという王子が彼女に一目惚れ。トゥーランドットの謎“賭け”に挑戦する。

第一問
「毎夜生まれて明け方に消えるものは?」

第二問
「赤く、炎の如く熱いが、火ではないものは?」

第三問
「氷のように冷たいが、周囲を焼き焦がすものは?」

さて、彼方は見事正当できるだろうか?
※答えは最後!

カラフ王子は瞠若たる面持ちのまま、自信の全問正解。
これに戦慄と、かつてない精神的蹂躙を受けたトゥーランドット姫は、顔を真っ青に取り乱し、父である皇帝に結婚を取り下げるよう哀願する。しかし、「約束は約束」と取り合ってもらえず、非望に暮れる姫…。そんな失意の彼女にカラフは謎を投げかける。
それは「自分の名前を夜明けまでに解き明かせば、自分が潔く死ぬ」という、自分の命を賭したものだった、これに姫はこれはしめたと、躍起になり、全民へ最後通告。
「あの男の名を夜明けまでに解き明かさねば、全員死刑だ!」と、宣言。これに家来のピン、パン、ポン(ピンポンパンポン…って効果音はここから来ているのかもしれませんね)は美女と財宝の山をカラフ王子の前へと献納すべく並べるも、彼の眼中にはなく、現れた姫に口づけ。
唇を重ねた姫は心の氷を溶かされたかのように恋に落ち、彼の名は『愛』だと歌い幕が下りる――…


唯一無二のスペイン姫へ
さて、随分と前説が長々と琴を爪弾くように語ってしまったが、このトゥーランドットの名を持つ名馬が、情熱の国・スペインに闊歩していた。ギラギラと照りつける焦土のアンダルシア。まさにこの地に相応しい女王の名前ではなかろうか。
トゥーランドットは、それは詩と同じような猯甅畩遒世辰燭蕕靴ぁ1圓透き通った眼差し…いや眼光は奇禍に満ちたような、犒遶瓩陵展を取り巻いているかのようで、それでいて太陽のごとくギラリと他馬を睥睨。発散する威圧感が半端なものではなかったという。
この怪姫も牡馬たちへとクエスチョン投問。
「お前たちより強いのは誰だ?」
1951年のスペイン版皐月賞…シメラ賞(芝1,600m・スペイン2000ギニー)に出走し、その答えを自らのポテンシャルで見せ付ける。
「答えは…トゥーランドット!」
牡馬が相手にならない、強烈な末脚で全牡馬を震撼の極地へと追い込むと、ヴィラメジャー賞(芝2,800m、この年は2,400m・スペインセントレジャー。日本で言うところの菊花賞)でも牡馬たちを剛力で儘没させ、スペイン二冠の巨夢をもぎとる事に成功。


▲〔まるで同年代の馬とは、牝馬も牡馬も、そして古馬すら引き立て役でしかなかった〕

その豪放なる進軍を誰も止める事はできず、爛哀薀鵐廛螢癲Ε泪疋螢奪畢瓮泪疋螢奪病臂(芝2,500m)では、並み居る強力古馬陣を含めた出走全馬をギロンチンショットの犢薛甬咾濃犒瑳更圈
最強馬の玉座へと戴冠式を果たし、最強をマドリード市内へ高らかに謳歌するのであった。

スペインにおいては、二冠牝馬エウレカ、サンセバスチャングランプリとオークスを勝つコリーン、マドリッド大賞連覇のアトランティダなどの強豪牝馬が出現しているが、史上唯一の三冠馬である神王妃トカラにも比肩するかもしれないほどの潜在能力を擁在させていたことだけは確か。
スペインにおいて2000ギニーとセントレジャー、そして古馬混合のGI級レースを制したのは彼女のみなのだから。
2000ギニーとセントレジャーを勝つ牝馬というのはそうはいるものではない。
爛肇ァ璽薀鵐疋奪鉢瓠張Εッカやゼンヤッタ、古くはクリフジ、キンツェム…絶烈巨愕のプリンセスストーリーに加えたい、壮麗なる狷羈櫃栄鵜瓩隣馨雹蹐心を譜面に我々の記憶に刻まれる―――。


     


※答え
問一、「希望」
問二、「血潮」
問三、「トゥーランドット」

奇跡の名馬 (西欧・地中海・北欧諸国の名馬) * 04:43 * - * - *

トルネーゼ

   【トルネーゼ】

〜神話は熟成する
    ワインのように〜

―欧州繋駕速歩
      伝説の名馬―



父 ファラオン
母 バルボア

生年:1952年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:イタリア
生涯成績:229戦133勝

イタリアが生んだ名馬と言えば、16戦16勝・凱旋門賞連覇の『イル・ピッコロ』ことリボーそして14戦14勝のパーフェクトサラブレッドのネアルコが有名であり、誰しもが彼らの名が真っ先に口をついて出てくるはずであろう。周知の一致するとことろ、脳裏を過ぎるのは2頭であり、あるいはオルテルロといったところになるのだろう。しかし、イタリア国民がリボーや繋駕速歩史上最強馬ヴァレンヌの登場まで、全カテゴリーの競走において史上最強馬と崇拝されていたのが本馬トルネーゼであった。
トルネーゼはイタリアのみならずヨーロッパ各国を歴訪し、勝利の詩を紡ぎ続けた。大レースを次々と仕留め、総なめにしてゆくトルネーゼ。そうして積み上げたのがこの凄まじい戦績である。229戦し、133勝とは…しかも鉄道などの過酷な旅をしながらの欧州踏破。それでいて圧勝楽勝を積み重ねてしまうのだから、異次元世界のスーパーホースである。

   
〔返し馬に向かうトルネーゼ〕

トルネーゼはヨーロッパの繋駕速歩競馬界の象徴であり、一つのエポックメイキング的存在意義を放つ名馬であった。米国で言うなればドンパッチやルーディロンのような歴史的名トロッターであった訳である。それにしても…重ね重ねこの戦績は異常。常軌を逸しているとしか表現しようがない。100戦を超えるだけでも容易でないのがこの繋駕速歩界の常。全世界競馬の歴譜の中、150戦以上し、130勝以上の成績を残したのは、このトルネーゼの他にプエルトリコのコリスバール(324戦197勝)とガルゴジュニア(159戦137勝)のたった3頭しかいないのである。この戦績だけでも、超歴史的名馬と評して、なんら過剰評価にならないと断言できよう。

 
〔日本繋駕速歩の名馬マンカツ(若緑)号。北海道を拠点に全国地方を津々浦々旅し、勝利を上げ続けた〕

  
〔阪神競馬場での繋駕速歩競走。そのレースに備える人馬〕


  
〔日本では、大正時代に戦場で車両を引く軍馬育成のために奨励され、日本競馬会が開催した競馬では、数多くのレースが実施された。また、かつて兵庫県にあった鳴尾速歩競馬会では、短期間ながらも専門のレースを開催した事もあった。この当時は、繋駕速歩競走だけでなく、騎乗速歩競走も存在していた。一時期の関西地区の中央競馬を支えていた繋駕速歩競走であったが、軽種馬、特にサラブレッドの生産頭数が増加し、1レースあたりの出走頭数やレース数が増加して来ると、平地競走と同じ芝馬場を使用する事による馬場の痛みが無視できなくなり、またレース自体がスピード感に乏しいなどの理由もあって、主催者・ファンの双方から、次第に興味が失われていった。関係者や生産者団体との調整がほぼ終了した1968年12月、中京競馬場でのレースを最後に、中央競馬での繋駕速歩競走は終了した。一方地方競馬では、戦後すぐに繋駕および騎乗速歩競走が復活し、重要な地位を占めたが、中央競馬での繋駕速歩競走の衰退及び廃止によって、馬資源の確保が難しくなった為、1971年6月に盛岡競馬場で行われたレースを最後に廃止された。それ以後、日本国内での馬券発売を伴うレースは行われていない〕
※写真は中京競馬場での貴重なレース写真。

アメリカ大賞やインターナショナルトロットといったレースでは惜しくも破れ、大魚を逃してしまうが、自国イタリアでのロッテリア大賞3連覇という大偉業は色褪せることは無く、繋駕速歩史に燦然と永久の輝きを放ち続けることだろう。


〔イタリア、エミリア・ロマーニャ州で最もコストパフォーマンスの高いワインを造っているワイナリーと言っても過言でないドレイ・ドナ・テヌータ・ラ・パラッツイオ。サンジョヴェーゼを使った赤ワインのイメージが強いが、傑出した白ワインも造っている。樹齢20年以上のシャルドネ100%で造られ樽熟成8ヶ月後、瓶熟成を18ヶ月以上経て出荷。ヴォリュームある果実味で10年近くの熟成も可能という贅沢な逸品。それがイル・トルネーゼ・シャルドネ2001(ドレイ・ドナ)である。本馬トルネーゼの名はこのワインが由来となっていると推考されている〕

伝説や神話は語り継がれる…そして時が経てば経つほど、それは熟成されたワインのように“美味さ”と“深み”とそして神秘性を濃く取り巻く絶品へと仕上がる…。爛肇襯諭璽辞瓩眄こΔ柾擦瓩蕕譴榛嚢盖蕕琉貮覆箸聾世┐覆い世蹐Δ。

奇跡の名馬 (西欧・地中海・北欧諸国の名馬) * 21:41 * - * - *

アドランドゥス&クリニトゥス

【アドランドゥス&
     クリニトゥス】

 〜パンとサーカスの
       時代に〜

―1000勝を上げた
      神話的名馬―



父 ?
母 ?
母父 ?

生年:?
性別:牡
毛色:不詳
国籍:ローマ帝国
生涯成績:不詳
(2頭とも)

人と馬との歩み…またその競馬の歴史というものは我々が想像しているより遥かに深遠で輪廻転生を繰り返すごとく滔々たる潮流の中紡がれてきた。
我々現代人の言う犇デ廊瓩箸いΔ發里榔儿饉斡デ呂鮖悗垢發里任△蝓△修領鮖砲300年余であるが、古代ローマで栄華を極めた“戦車競走”を競馬の大河に加えようものなら、その歴呈はさらに壮大なスケールを展開することになる。
“戦車競走”とは、古代ローマ、いわゆるローマ帝国で催されていた競技で、古代オリンピックの競技種目にもなっていた。しかし、この競技が生まれた裏には、大国が企てた策略の巨影がちらついている。それを揶揄した最たる表現が“パンとサーカス”という訳だ。

“パンとサーカス”とは、詩人ユウェナリスが詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。ちょっとシニカルな表現では“パンと見せ物”ともいう。なお、「サーカス」は英語読みであり、本来は「キルケンセス」 (circenses) という。「キルケンセス」は古代ローマの競馬場であり、戦車競走が行なわれた。ここからこの言葉では拡大して剣闘士試合などを含めた娯楽一般の意味で用いられている。

 
〔映画『ベン・ハー』で登場する大迫力の戦車競走シーン〕


  
〔現代の競馬場もよくよく考えれば非日常の空間であり、戦車競走時代の熱狂と重なる部分がある。政治的無関心を引き起こさせる政府の策略か?(笑)〕


その強大なる国力をギラリとチラつかせ、つぎつぎと支配下を広めてゆくローマ帝国はとどまる所を知らず、膨大な占領地域の拡大は蒼民の制御困難を齎す。巨大なる国家が儘滅を逃るるためには、民草を完全に掌握し、反感・叛乱を挙動させることなく見えない力で圧制する必要があったのである。そのため政治的無関心を全民へと植えつける施策として講じられたのが、戦車競走であり、剣闘士の決闘に代表される“ショー”だったのである。民衆のための娯楽と銘打つ裏に潜む国家規模のギミック…帝国の策謀が未来のサラブレッドをも震撼させる神話的名馬を生み出したというのは、なんとも複雑な心境にされる。


〔 ローマ帝国占領域拡大の変遷。紀元前133年(赤)、紀元前44年(橙色)、14年(黄)、117年(緑)〕


アドランドゥスとクリニトゥス…この2頭について判明しているのは、両頭が古代ローマにおける最強馬であり、1000勝を上げた可能性がある…という点のみで、どういったパフォーマンスをして、その生涯は如何なる顛末を辿ったかについては、より丹念に鑑み、精査・研究に身をうずめ、苦心惨憺する必要がありそうだ。

 

万古の時代より渦巻く人類のダイナミズム…その傍らに佇立する馬たちの影はうっすらと消え行くしかないのか。忘却の彼方へと彼らが走り去る前に、牽き留め、耳を傾け静聴し、彼らが届けたる残光を未来の空へと伝える使命が、今を生きる我々にはある…そんな気がしてならない。


奇跡の名馬 (西欧・地中海・北欧諸国の名馬) * 12:18 * - * - *

フレーベホッペン   (フレーベスチュート)

 【 フレーベホッペン 】

〜転生・天成
    そして「転成」〜

―新種となった
    スペインの妖牝―



父 ?
母 ?
母父 ?

生年:?
性別:牝
毛色:粕毛(多くの小班あり)
国籍:スペイン
生涯成績:???

その昔、デンマークは“フレデリクスボルグ”と“クナーブストラップ”で名高い名声を一身に浴びていた。前者はフリードリッヒ2世が1562年に創設した王立デンマーク種馬牧場で生産されていた馬種で、東洋原産馬と英国原産馬とが異系交配を繰り返す経緯を踏んで育てられてきた言わば“造られた”新種で、軍馬としての資質はもちろん、馬術の調教に関しても抜群の性能を発揮し、ヨーロッパ中から高い評価を獲得していた。
一方、後者の“クナーブストラップ”は、白地の肌に茶色か黒の大小の斑紋が頭部から四肢の先端まで、体中に覆われた非情に珍奇な毛色をした馬種で、サーカス関係者から激賛の引っ張りだこ。その一面には、学習能力が高いという天性の特性も大きく寄与していたものと思われる。


〔クナーブストラップ〕


さて、この2者は現在、サラブレッドとの交配、品種改良が進められ、昔日の原型をほぼ残していない。留意して置いて頂きたいことは、『フレデリクスボルグ』は畜産業者の手で育種されていった馬種であり、忽然として降誕したものではない…ということなのである。対照的に、“クナーブストラップ”はある1頭の突然変異的存在により、羽根を大きく伸ばしていった特殊な系統なのだ。
その馬が、フレーベホッペンである。19世紀のスペインに生まれたマダラ模様の牝馬は見るからに只ならぬ禍禍しい遙艶なるオーラを解き放っており、またその容姿に違わず異様なまでのスピードと持久力で見るものを釘付けにし、躊躇させた。その勇烈な様は圧倒的で、サラブレッドのそれを凌駕するのではないかと吹聴される向きもあった。

 
〔神威的スピードを誇っていたようで、競走実績の有無は不明であるが、サラブレッドすら凌ぐほどの能力を秘めていたようである〕

名前の由来についてだが、“フレーべの馬”という意味で、虐殺業者のフレーべという者がこの馬をスペイン将校から購入した事に因んでいるのだという。フレーべはこの馬は高い売り物に出来る最高の金の成る木と見なしており、ジャジ・ルンというブリーダーに転売。これが嚆矢濫觴。全ての“クナーブストラップ”種の起源となった。もしこのままフレーべが彼女を処分し、闇の深淵へと葬り去ってしまおうものなら、未来の栄光はもちろん、この種の誕生すらなかったと断言していいだろう。


 
〔彼女の孫ミッケルは、“クナーブストラップ”種の根幹種牡馬である〕

フレーベホッペンはフレデリクスボルグの種牡馬と交配が重ねられ、繁栄の道を築いてゆくのであった。瞠若たるその雄姿と豪放磊落な気性は世界から賛嘆され、確固たる地盤を固めていった。運命の潮流を上手く乗りこなし、命運を力へと転換。そしてその天命を未来ワールドへと運び届けた偉大なる古の瞑妃に盃を掲げ、今「乾杯」!



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奇跡の名馬 (西欧・地中海・北欧諸国の名馬) * 03:12 * - * - *

ルトガーエルメス  

 【ルトガーエルメス】

  〜 ラグナロク 〜

― 北欧の偉大なる名馬 ―



父 ディリゴ
母 エイダ
母父 カーノスティル

生年:1982年
性別:牡
毛色:黒鹿毛
国籍:スウェーデン
生涯成績:108戦23勝[23-17-6-62]

「世界の終わり」…その時人は何を想うのか
「競馬の終わり」…その時馬は何を想うのか

                 

いつかは訪れるとも知れない人類最後の瞬間(とき)、アナタはどうするだろうか?


〔「世界最期の日」はいつの日かやってくる?〕








  “ラグナロク”




北欧神話に登場してくるこの言葉は、古ノルド語で「神々の運命」という暗意を持ち、概して“世界の終末”を示唆している。この言葉は「神々の黄昏」と解釈している古い文献もある。それがアイスランドの詩人スノッリ・ストゥルルソンが若手の詩人たちへ教授する目的で綴った『エッダ』という教本である。

  
〔神話はルーン文字の石碑に記されている〕


さて、北欧神話が大いなる威光を燦燦とさざめかせるスウェーデンの地。凍空とオーロラのコントラストの似合うこの国に『エイダ』と命名された牝馬がいた。この馬名の由来が『エッダ』にあるか、その如何については定かではないが、エイダはスウェーデン競馬の未来へと希望の燈り火を照射する偉大な名馬の母となるのだった。

1982年、北欧競馬の“ラグナロク”を封印すべく、聖なる白夜に生まれ落ちたダークブルーの漆黒馬は、生まれた牧場名と、ギリシャ神話に登場してくる青年神ヘルメースから“ルトガーエルメス”と名付けられた。

  
〔青年神エルメス。ゼウスとマイアの子とされるオリュンポス十二神の一柱。 旅人、泥棒、商業、羊飼いの守護神であり、神々の伝令役。能弁、体育技能、眠り、夢の神とも言われる。アポロンの竪琴も彼が創り上げたものだという〕


幼少時から他を押し潰すような威圧感を放散し、巨体を揺り動かしていたルトガーエルメスは、鈍重な面など微塵も見せずに、竪琴からながれる譜音のように軽やかで、しなやかなモーションで関係者の目を引いた。

ルトガーエルメス最大の長所は、とにかくタフで屈強であったという点である。
生涯を通して走破した競走回数が全てを物語っている。なんと108戦!走る労働者のように決して項垂れることなく、懸命に全力疾走を貫いた。

 

ヨーロッパ圏での早期引退は顕著な傾向であり、近年ではその兆候にさらに拍車が掛かっている。アラブ競馬や地方競馬さえ、50戦を超えるのは珍しく、80戦クラスとなると繋駕速歩競走か障害競馬の馬たちに絞られてくる。欧州における平地競馬の最多出走はフィッシャーマンの120戦。しかし、これも19世紀中盤に記録されたもので、今後の欧州競馬において、最多出走記録がサラブレッドの平地競走で更新されることは、恐らく無いだろう。北欧においてはさらにタイトになり、50戦以上走る競走馬など滅多にお目にかかれない。馬を大事に扱うがゆえの傾向にあるのだろう。それゆえに一際、眩耀なるキラメキを放つのがルトガーエルメスの108戦という北欧記録である。またエルメスはただ丈夫で金字塔を打ち立てた訳ではなく、大レースを圧勝するほどの称賛に値するポテンシャルを秘めていたことも留意すべき観点である。

フランスのファッションブランド商標で有名な“エルメス”は、今でこそ鞄や財布といった皮革製品を取り扱っているが、創業当時の軸足は馬具にあった。


〔“エルメス”の商品が陳列された量販店のショーウィンドウ〕

現在でもロゴを見れば当時の縁であり、面影が顔を覗かせる。馬具工房に由来するデュックとタイガー(デュックは四輪馬車で、タイガーは従者のこと)が描かれているのである。ここに主人が描かれていないのは「エルメスは最高の品質の馬車を用意しますが、それを御すのはお客様ご自身です」という意味が込められているためだという。

ルトガーエルメスが刻み紡いだ未来永劫の“108戦”。
この記録を超える競走馬を創るのは、馬を愛する全北欧の群俗に課せられた無言の命題であり、ロゴなのではないか。
“ラグナロク”の到来は結局は我々、地球の万民の手に委ねられている。
エルメスが爪弾く琴韻の旋律の中、滔々と―――。


奇跡の名馬 (西欧・地中海・北欧諸国の名馬) * 01:06 * - * - *

ローレットランヅィクト

【ローレット
     ランヅィクト】

  〜花と風の物語〜

―オランダ変則三冠…
  阿蘭陀史上最強牝馬―



父 シャマラーン
母 レディペッパー
母父 パンテオン

生年:1986年
性別:牝
毛色:鹿毛
国籍:オランダ

どこまで強いのだろう…目くるめくメルヘンワールドが紡績し、結実させたこの夢幻の水晶馬は…。
1989年のオランダのクラッシック路線は、1頭の奇跡の妃王降誕により深閑とした雰囲気の晩靄に包まれていた。向かうところ敵なし。同性は当然のこととし、その敏捷性・反応速度・追われてからの迫力…その全てが超次元。彼女の名をローレットランヅィクトといった。


春風のチューリップ。



純粋可憐な風貌の中、滾る慕情――

1986年、オランダの牧歌的風景ひろがる静かな農場の一角に彼女は生まれ落ちた。
見るからに華奢で可憐な細い馬体ではあったが、牧夫たちは日和に急転してゆく少女の成長に目を細め、乳母日傘に愛育の日々を過ごしてゆくのであった。
周囲から受ける祝愛のシャワードロップを一日、一日、切実なほどに体一杯に浴び、立派な競走馬に成長した少女は、いつの日か「闘いの女神」へと変貌を遂げていた。
風花の季節に生まれた微笑の天使…ローレットランヅィクト。彼女の最大の特性は、驚異的な持久力。これを余すところなく、満天下に解放するための路線選択がオークス・ダービーというクラシックディスタンスでの出走だったのである。


夏空のヒマワリ。



颯爽としなやかに。向日葵のように輝いて――

瞬きをも許さない、壮麗かつしなやかな瞬発スピードを傲慢にも放散しあっさりと勝ち上がると、ダイアナ賞(オランダオークス、芝2,000m)を快勝。さらには返す刀でオランダダービー(芝2,400m)へ参戦すると、並み居る男馬たちを向こうにまわし、爽快な烈脚を繰り出し全馬撫で切り、大勝。オランダダービー・オークスダブルという歴史的快挙をやってのけてしまう。


秋夜のメイプル。



円熟した樹木のように――

彼女の纏うオーラはさらに轟烈なものとなっており、立ち居振る舞いから、微動な部分での一挙手一投足のモーションに至るまで、只ならぬ雰囲気を機動装甲のように取り巻く馬となっていた。
オランダ三冠最終関門のセントレジャー(芝2,900m)へと参戦したローレットランヅィクトは、とても牝馬とはかけ離れたダイナミックな駿足で他馬を眼下へと広がる残影の一つへと変えていってしまった。
ウイニングポストを過ぎる頃、オランダ変則三冠という大偉業を涼しい顔一つでやってのけてしまう孤高の女神の斜影が、フィルムへと記憶され、競馬場を夕闇が覆い始めていた
――


冬月のポインセチア。

凛然たるままに伝説へ―――

日本に降臨したクリフジと鏡合わせのような馬、ローレットランヅィクト。
日蘭の暦譜に残る二頭の奏でた奇跡の交響曲…「変則三冠」。
奇しくもそれはオークス・ダービー・セントレジャー(菊花賞)という連なりを重ねた。
この自国に掲げられる3大レースを完勝できる牝馬は、只者ではない。全世界を厳探しようとも、数えるほどしか存在していない。この歴史が物語る事実だけでも、犂饑廚稜廊瓩叛篁燭靴討いぁ

百花繚乱、風に舞い上がる花びらの舞踏曲に、捧げよう永遠の思い出を―――。




奇跡の名馬 (西欧・地中海・北欧諸国の名馬) * 22:31 * - * - *

ソングライン

  【ソングライン】

〜勝利の詩よ、高らかに〜

―北欧屈指の
  チャンピオンホース―



父 ダイアリファール
母 プリンセスペルシアン
母父 ペルシアンボールド

生年:1993年
性別:牡
毛色:黒鹿毛
国籍:スウェーデン
生涯成績:23戦14勝[14-6-0-3]

“ソングライン”…と聞いてピンと来るのはニュージーランドの偉大なる女傑サンラインの母の名前ではなかろうか。特にオセアニアのサラブレッドファンからすれば、それ以外の“ソングライン”とは何ぞや?と詰問に遭いそうだ。
しかし、それとは対照的な結果となりそうなのが北欧諸国で全く同じクエスチョンを飛ばした時。

「ソングライン?あの馬しかいないだろう?」

そう、北欧スウェーデンにおいて“ソングライン”とは双璧なき永遠の威光を纏う名馬の呼び名なのだ。
スウェーデンの地に滑空した峻烈なる鹿毛馬のクロニクルを、軽やかな旋律に乗せて、じっくりと愛奏してゆくこととしよう。


ソングラインは1993年、この世界の光を浴びた。生産者や牧場関係者たちは腫れ物を触るように、また一方の見方によっては宝玉の愛娘を扱うように、慎重に慎重を十二単の如く重ねて育成・馴馳に従事していった。それと言うのもこの馬、リファールの2×3という超近親交配のインブリード配合の下、生まれてきた馬だったのである。それ故に、脚部への
危惧は絶えず、同馬への管理の目も尋常ではない程に精緻を重ねて進められていった。
周囲の熱い情慕に応えるかのように、ソングラインは日進月歩に成長の証を牧草地へ刻み込んで、やがては立派な成馬へと育っていく。

そうした試練を乗り越え、ようやく辿り着いた競走馬デビュー。しかし、ソングラインはこの時を待ち侘びていたかのように、まばゆいばかりの圧倒的オーラを漲らせターフを疾駆。快勝・圧勝・楽勝の連続で、栄光の階段を踏破していった。
その走破距離も幅広く、短距離から3,200mの長距離戦まで柔軟にこなし、彪踊とゴールを舞い上がっていくのであった。



〔ストックホルムで大レースを鯨飲 〕



〔Kapplöpningssällskapets Stora Prisを圧勝するソングライン〕


スウェーデンのダービーは結局ものにすることは出来なかったものの、セントレジャーを大勝し、さらに古馬となってからは、円熟の炎熱を滾らせる猛襲をかけ、国内における大レースという大レースは全て勝ちきってしまう。
競走馬として千紫万紅の生活を全うしたソングラインであったが、真価発揮は種牡馬入りしてからであった。
産駒が次から次へと走りだし、魔法を掛けられたゼンマイ玩具のように忙しく動き回った。そのさまは生産者たちをソングラインへと煽動するメッセージのようにも思え、そうした子供たちの体現する勝利の旋律が、ついに眠り姫を呼び起こすこととなる。
それがハーフソングという牝馬で、この馬はデンマークオークスとスウェーデンオークスの二カ国間のオークスを勝ったばかりか、デンマークダービーでも凱歌を上げてしまったという歴史的名牝。スウェーデンダービーは残念ながら父の無念を晴らすことが出来ず、父と同着である2着と涙を呑むこととなってしまった。ダービー制覇の夢絵図は子供たち、ソングラインの孫の代へと託されることとなった。

綴られる言葉と嬉色のメロディーラインが紡ぎ上げる北欧神話のつづきは、この先の未来もキラメキを放ち栄華をさざめかせてゆくに違いない。








  ★彡追記メモ★彡

☆ソングラインは2003年にスカンジナビア半島における種牡馬チャンピオンに輝いている。

☆ソングラインは1996年、1997年の年度代表馬に選出されている。

☆ソングラインは1990年代におけるスウェーデンのベストホースを選ぶ投票で、見事1位で選出されている。

奇跡の名馬 (西欧・地中海・北欧諸国の名馬) * 06:03 * - * - *

ウァウターラップォースト

【ウァウター
    ラップォースト】

〜遠き日のノスタルジア〜

―オランダ伝説の名馬―



父 マミーズペット
母 ハンドシグナル
母父 フォーザロード

生年:1980年
性別:牡
毛色:鹿毛
国籍:オランダ
生涯成績:19戦12勝[12-3-2-2]

オランダにおける名馬というと、すぐさまにその名を挙げることのできる日本人は一体何人いるだろうか?おそらくだが、専門家・評論家をもってしても、そう易々と口をついて出てくることはないだろう。
巨大な風車に、チューリップ、素朴な街並み…ヨハン・クライフやライカールト、ファン・バステンといった歴史的サッカー選手…そしてオノ・ヨーコで名の知れたこの国の競馬風景は一体どんなものなのだろう。

 
〔ジョン・レノンとオノ・ヨーコ〕

ベルギー・ルクセンブルクと共にベネルクス三国を形成するオランダは、首都をアムステルダムとし、日本とも関わりの深いこの国の中心核は、1969年の3月に、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが行った、有名なパフォーマンス「ベッド・イン」でその都市名は知れ渡ったと言っていいのかもしれない。
ベッド上から3日間インタビューに応じた二人は、世界中に平和のためのメッセージを発信。時代はヴェトナム戦争の真っ只中で、二人は愛とユーモアに満ちたパフォーマンスでそれに批判を浴びせ続けたのだ。それは、テレビ時代を象徴する、新感覚のパフォーマンスであった。その2ヶ月後には、ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」が発表される訳であるが、日本とオランダの関係はヨーコとの逢着より遥か昔の時代から紡がれている。最初の交流は1600年4月、豊後国(大分県臼杵市)にオランダのデ・リーフデ号が漂着。かの徳川家康がこれを厚くもてなしたことから両国の関係ははじまったと伝えられる。しかし皮肉にも第二次大戦中の慰安婦問題などから、反日感情が根強く残ってしまっているのが、なんとも遺憾・痛恨の想いである。

さて、いよいよ本題へと舵取りを行おう。
オランダ王国における競馬は1月から12月までのフルシーズンで開催され、マルス競馬場・デュインデュヒテ競馬場の2場でレーシングプログラムは遂行されてゆく。
三冠形式は英国のそれを反映するもので、以下のような競走体制が敷かれている。

≪オランダの三冠競走≫
◇牡馬
・ヘングステン・プロダクテンレン賞
(芝1,800m)

・オランダダービー
(芝2,400m)

・セントレジャー
(芝2,900m)

◆牝馬
・メリーズ・プロダクテンレン賞
(芝1,800m)

・ダイアナ賞
(オランダオークス、芝2,000m)

・セントレジャー
(芝2,900m)






知られていないだけで、幽邃なる残光に包まれた偉大なる名馬も数多く存在していたようだ。
そんな中の1頭が、1980年にこの地に生まれた同馬ウァウターラップォーストである。
この馬の父系を紐解くと、スピードの源泉と潮力になっている3頭のサイアー名を見出せる。伝説のマイラー・テューダーミンストレル、現代競馬の瞬発性能に多大なる影響を与力するグレイソヴリンとナスルーラ…天地鳴動さする程の超スピード血統。


〔グレイソヴリン〕

この俊敏性、速力を中距離以上においても澄みきった青空に浮かぶ雲のようにフワリと瓢遙し、圧勝を繰り返したのが同馬の凄いところで、オランダダービーも嬉音のツバサを万衆の懐へと送る…感動・感涙の快勝劇で競馬場を春風のメロディで包んでみせた。

しかし、最大の本領発揮は短距離であったと推理推論されたい。他国でも好走を見せるなどして、同志の声援に応え、万全たる準備さえあれば…競馬史に燦然たる灯明を操典し続ける偉大なる名馬になっていたのかもしれない。


夕日に翳る街影にネオンの微光…
何気ない日常の記憶へと埋没してゆく威光たち。


〔みなとみらい〕

彼らとの邂逅で甦る…競馬浪漫譚と「遠き日のノスタルジー」が、桜漣となり、記憶のリビュレットを今日もまた和いで往く――。


                           
〔目を瞑れば見えてくる偉大な名馬たち…ウァウターラップォーストのように、誰も知らないような名馬を文献で知りえた時、言い知れぬ感動に胸が高鳴るのは私だけではないはずです〕



そんな心躍らせる英雄はすぐ傍にも…きっと―――。


奇跡の名馬 (西欧・地中海・北欧諸国の名馬) * 11:21 * - * - *

パモル

    【パモル】

   〜北欧の水晶〜

―スウェーデン発
     華麗なる一族―



父 パミール
母 ジャミラ
母父 ?

生年:1995年
性別:牡
毛色:鹿毛
国籍:スウェーデン
生涯成績:11戦10勝[10-1-0-0]

その昔、イギリスから購入されてきたマイリーという一頭の牝馬が日本へとやってきた。スエズ動乱のため、遠回りを余儀なくされ、大航海をえて日本へと着したマイリーは、動物検疫所で胎内に宿していた牝馬を出産する。この馬はキューピットと命名され、やがて、オークス馬ヤマピット、ミスマルミチという2頭の牝馬の母親となる。ヤマピットはボージェストを産んだ後不幸にもこの世を去ってしまうが、血を残すために牧場に戻ったミスマルミチが、イットーを産み、その仔にハギノトップレディが現れ、“華麗なる一族”と呼ばれてゆくこととなる。
近年ではエアグルーヴ、アドマイヤグルーヴと続くこの牝系を“新・華麗なる一族”と呼ぶ傾向も一部では広まってきているようである。

さて、遥か日本から遠く、スカイブルーの空の下、ここスウェーデンにも“華麗なる一族”と三嘆したくなる系統が存在している。
なんと、北欧アラブの競馬界には、産声をあげていった子馬、全馬がチャンピオン級へと育っていったという、脅威の記録を搾出し続ける繁殖牝馬がいるという。
彼女はジャミラという名の栗毛馬で、一見華奢に映るその容貌とは裏腹に“スーパーメアー”と褒賞される偉大なる母なのである。
いかにこの馬の繁殖成績が凄まじい驚愕のものであるかは、以下の表記を見れば一目瞭然となる。

■ジャミラの仔馬たち■

†パミル:22戦7勝。オランダとデンマークのチャンピオン戦で優勝。しかも牝馬。

†リルシャム:28戦21勝。北欧アラブ界最強クラスの一頭。グランプリ制覇2回。
オランダダービー馬撃破。


 〔リルシャム〕

†フィリュール:1998年のスウェーデンにおける最優秀アラブ馬。

†ブラックジャック:スウェーデン障害競馬に君臨した歴史的名ジャンパー。


〔ブラックジャック〕

…しかも、これら全頭が全兄弟だというのだから恐るべき好相性を見せる配合があったものである。美麗なる旋律をかなで、響音してゆく2頭のメロディー…その音韻が最高傑作の集大成を紡ぎ上げるに、そう時間は掛からなかった―――。

1995年、深々と降り積もるスノーシャワーを背景に、1頭の仔馬が甲高い産声を上げる。
彼の名はパモル。北欧史上最強のアラブと賞讃されて然るべき、駿馬の静誕である。
幼年時代から類稀なる俊敏性を垣間見せていたこの馬はアラブとは思えない程の強靭な“バネ”をしていたという。
競馬場へと待望のデビューを果たしたパモルは、馬なりのままグングンと他馬との差を広げ、連戦大勝。レースを往来する度にその名声は栄光の階段をリズム良く駆け上がっていく。迎えたる桧舞台、スウェディッシュ・アラビアン・ダービーすら流してゆったりとゴール版を過ぎってゆくパモル。騎獣は衰勢を知らず、グランプリも轟然と巻くって圧勝。
スウェーデンの最優秀アラブに選出されたのはもちろん、全欧最優秀アラブにも選抜され、燦然たる最強馬の玉杯を高らかに掲げるのであった。





逢瀬を重ね寄り添うシルエット。
ジャミラとパミール…2頭が織り成していった煌めきの琴歌。
その粋を結集した最高具現の果実…
見つめる二人の視線のその先に、結実した悠遠なる茜空が、祝福の色をそっと映写していた――――。勝利の詩を詠み上げるパモルの姿影のその奥に。





  ★彡追記メモ★彡

☆パモルは一度だけ2着に破れている。その敗因の詳細はどこに求めることもできず、不可解なものであった。その1戦のみが唯一の“傷”であるだけに、悔やまれる1戦である。

☆パモルは引退後オマーンへと輸出され、種牡馬として生活を送っている。

奇跡の名馬 (西欧・地中海・北欧諸国の名馬) * 08:34 * - * - *

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