ホワイト☆メモリー※‐WhiteMemory-※【世界白毛馬大全】



     


世界最初白毛
  

ホワイトクロス

1896年、米国の地に生まれたこの牡馬こそが、記録に残る世界最古の白毛馬と呼ばれている。
父パレスタイン、母ブラックガール、母父カハァータウムという血統で、ナッシュヴィル近郊のカンバーランドにて障害レース(ハードル)で勝利を上げたと伝えられている。


日本最初白毛馬

1979年に生まれたハクタイユーがそれとされる。
父ロングエース、母ホマレブルという血統。
以下に一覧表を参照されたい。
日本初の白毛記録を完全網羅のリストである。


※本データベースは2009年度のもの。現在は全馬引退済みである。


▲ミサワパール
遺伝による白毛馬・日本第1号になる本馬。
青森県五戸町マルシチ牧場生産。


▲ハクホウクン
1997年(平成9年)12月30日の大井競馬第5Rで起きた、白い奇跡。
日本競馬史上はじめて白毛馬が勝った歴史的瞬間だ。


▲ホワイトワンダー


白雪姫の系譜




▲ユキチャン

ユキチャンの画像をクリックorタップで関東オークスの感動がもう一度!

                                                   
▲〔競走馬ではないが…与那国島に一頭だけいる白毛の与那国馬。大変貴重な存在である。〕

≪伝説の琉球競馬史上最強白馬≫
 ヒ




 発生メカニズム

白毛の発生は、佐目毛などのようにメラニン生合成に影響を与えるものではなく、メラニン細胞の数そのものが少ないことにより起こっている。簡単にいえば、斑が全身に広がったもの、と考えてよい。遺伝的にはアルビノではなく白変種の一種であり、3番染色体に存在するKIT(受容体型チロシンキナーゼc-kitをコードする遺伝子)の変異が原因である。c-kitは造血幹細胞やメラニン細胞幹細胞に発現するSCF(幹細胞因子)受容体で、胎生期、メラニン細胞前駆体はSCFのシグナルを受け取り、神経堤から表皮に遊走、そこで定着・分化する。KITに変異が生じると、この機構がうまく働かず、メラニン細胞が到達できなかった部位は白斑となって現れると考えられている。


   白毛

  • W1(フランシュ=モンターニュ種、Cigaleの系統) - 第15エクソンにナンセンス突然変異(c.2151C>G)。多くが体の上部に有色毛を持って生まれるが、成長とともに白化する例が多い
  • W2(サラブレッド、White Beautyの系統) - 第17エクソンにミスセンス突然変異(c.1960G>A)。この系統は米ジョッキークラブに白毛を認めさせる契機となった
  • W3(アラブ種、R Khasperの系統) - 第4エクソンにナンセンス突然変異(c.706A>T)
  • W4(カマリロホワイトホース、Sultanの系統) - 第5エクソンにミスセンス突突然変異(c.1805C>T)
  • W5(サラブレッド、Puchilinguiの系統) - 白毛や様々なぶち毛を出す系統で、サビノと白毛の中間型。第15エクソンに1塩基の欠失・フレームシフト、9アミノ酸残基後に終止(c.2193delG)
  • W6(サラブレッド、マルマツライブの系統) - 第5エクソンにミスセンス突然変異(c.856G>A)
  • W7(サラブレッド、Turf Clubの系統) - 第2イントロンに点突然変異(c.338-1G>C)
  • W8(アイスランドホース) - ヘテロで粕毛やサビノのようなまだら模様の馬を産する家系。第15イントロンに点突然変異(c.2222-1G>A)
  • W9(ホルシュタイン) - 第12エクソンにミスセンス突然変異(c.1789G>AGly597Arg)
  • W10(クォーターホース、Santanaの系統) - サビノとの中間型。第7エクソンに4塩基の欠失・フレームシフト、3アミノ酸残基後に終止(c.1126-1129delGAAC)
  • W11(南独挽系種) - 優性白。第20イントロンに点突然変異(c.2684+1G>A)
  • W12(サラブレッド) - 第3エクソンに5塩基の欠失・フレームシフト、10アミノ酸残基後に終止(c.559_563delTCTGC)
  • W13(クォーターホース) - 第17エクソンのにミスセンス突然変異(c.2472+5G>C)
  • W14(サラブレッド、シラユキヒメの系統) - 第17エクソンに54塩基の欠失(c.2392_2445del)
  • W15(アラブ種) - 第10エクソンにミスセンス突然変異(c.1597T>C)。見た目は白毛というより粕毛に近い
  • W16(オルデンブルク馬) - 第18エクソンにミスセンス突然変異(c.2489A>T)
  • W17(日本輓系種、白馬姫の系統) - 第14エクソンにミスセンス突然変異が2か所(c.[2001A>T;2020T>C])
  • SB1(多様な品種) - いわゆるサビノ。KITの第16イントロンに生じた点突然変異(c.2350-13T>A)により、スプライス異常が起こり、第17エクソン(23アミノ酸残基)がスキップされている。ヘテロ接合体はサビノと呼ばれる独特のぶち毛になり、ホモの場合全身がほぼ白くなる
  • Not Quite Whiteの系統 - サラブレッドにおける最大の白毛の系統
  • ハクタイユーの系統 - 日本で白毛が認められるきっかけとなった系統

     


 世界白毛



世界にはすごい白毛がまだまだいます。
史上唯一、現在のG1格のレースを勝った馬が、この馬。


史上唯一の白毛G1馬

モントブランク
その詳細は上の写真をクリックorタップしてご覧頂きたい。
フランスに生まれ、栗毛として登録されたこの馬は、驚愕の強さでクラシックを制した。
恐らく史上最強の白毛馬である。


世界最古の白毛の牝馬誕生は1914年のイギリスに生まれた。
しかし、この馬は馬名登録されず、血統も不詳。
公的に認知された最古の白毛牝馬はこの下の写真に写るウォハー号だという。

ウォハーは、1925年、ドイツに生まれた。
ユーラシア大陸で初となる白毛馬でもあり、明瞭な記録として残るものでは、世界最古の白毛牝馬である。
この馬は父パーゴレス、母ロンジャ、母の父マジェスティックという血統で、完全な突然変異として生まれてきたものだという。
また、白毛の牝馬は白毛の馬を生んだ最古の例となると、1952年、オランダに生まれた白毛馬の記録がそれとされている。

  
▲〔オランダ発、世界最古の白毛親子〕

また2011年には南アフリカにて南アフリカ大陸初となる白毛馬が誕生している。

▲〔記録上、南アフリカで生まれた史上初の白毛馬グレートホワイト


▲〔カナダ初の白毛アークティックブライト。トムフール末裔でもある。〕



〔白毛馬から真っ黒な子馬が生まれることもある〕

 

まで白毛
2011年の1111ぞろいで生まれたアイヴィーという

牝の白毛馬は眼球まで真っ白で生まれてきた。

 


 【 アークティックホワイト 】

父 エアドリーエイペシェ
母 トロピカーナアンナ
父 レイズアマン

生年:1999年
性別:牡
毛色:白毛
国籍:アメリカ合衆国

シャドウマウンテンステーブル所有。現在はテキサス州に繋養されている。
ネイティヴダンサー、レイズアネイティヴ、ミスタープロスペクターのサイアーラインから突如出現した白毛馬。奇跡の大物輩出は成るだろうか。


 
〔父アークティックホワイト、初となる白毛の仔馬〕

米国では上記のアーックティックホワイトを含め、これまで33頭もの白毛種牡馬を送りだしてきたが、どの馬もお世辞にも成功とは言えなかっただけに、アーックティックホワイトに懸かる期待は大きい。


〔米史上32頭目の白毛種牡馬ザホワイトフォックス〕

砂漠月下美人

ムーンスノー
父 ケェイル
母 ビントビントリヤラ
母父 ギャミマニアル
生年:1941
性別:牝
毛色:芦毛(白毛?)
調教国:エジプト


白毛よりも白く、神聖なる太陽の心と月の翼を持つと崇められた伝説の幻駒。
競走馬としてではなく、象徴的存在として崇愛されていたようだ。
貴重な写真を何点か載せておこう。

▲〔エジプトらしい!?ラクダとのツーショット〕


▲〔晩年はより白く、まるで雪のようだったという〕

異色の白毛馬
ムスタファ

1883年エジプトに生まれ、スペインへと渡った種牡馬。


【白毛の無敗馬】
ザオペラハウス



グランドエスポワールブラン


史上最も愛くるしい奇跡毛ホース
マジカルゴールドダスト
 


【幻神】
キムオンレムイン


≪真・史上最強白毛馬≫
  


馬・競馬にまつわる記録集 * 08:41 * comments(0) * - *

【究極記録室】 〜驚愕連勝&最多勝&最多出走&負担重量記録ほか永久不滅の究極記録etc.超完全版





トリビア・コーナーで紹介した連勝記録。今回は勝利数記録も加え、海外・日本、地方・JRAと細かく区分けし、紹介致します。目を疑うような、究極絶烈震かつ永久不滅とも思える記録をご覧頂きましょう…。


世界最多連勝記録
(無敗で)

1位 56連勝
カマレロ(プエルトリコ)
 

2位 54連勝
キンツェム(ハンガリー)


3位 39連勝
ガルゴジュニア
(プエルトリコ)


日本最多連勝記録
(デビューから)
122連勝(伝説)
第二メルボルン

(横浜根岸・池上、サラ系・牝)

この記録は間違いであると、通りすがり様より情報をご提供頂きました。

事実上の1位は下のシュンエイのものになります。

あえて“幻の伝説”として、このまま表記させて頂きたく思います。

2位 20連勝
シュンエイ
(国営、アングロアラブ種)

3位 19連勝
チアズファンシー
(公営・佐賀)
※生涯成績28戦21勝


4位 18連勝
トウケイニセイ
(公営・岩手)

5位 17連勝
ベルモントアクター
(公営・船橋)
※南関東記録


世界史上
   最多連勝記録

(途中から)

149連勝
コフレス(参考記録)


2位 44連勝
コンダード

(プエルトリコ)

3位29連勝
※日本最高記録
ドージマファイター
(日本、公営・足利)


世界史上最多勝記録

 

487

(350(ヒート競走)+97(繋駕速歩))

スミ

クイーンオブトロッター。獲得賞金364,200ドル、当時の世界レコードが80年近く破られずに残り、

最後のレースでは20歳という超高齢ながら若い牡馬を圧倒した。超伝説の女帝である。

 

2位 359

ブラ

繋駕速歩競馬の王国スウェーデンが生んだ史上最多勝記録を誇る伝説のトロッター。

生涯出走回数ではフィンランドのレイパスに譲るが、勝利数では世界一。

477戦359勝[359-54-55-0-0-9]。

 

3位 348

イパ

フィンランドが生んだ超神話的名馬。1951年にデビューし1965年まで14年間も競走生活を続けた。

勝利数も全世界1位となる348勝。生涯1300戦

この記録はもう人類滅亡、競馬消滅のその日まで破られることはないだろう。

 

 

4位 342

シスライン

北欧繋駕の神話的名馬。

生涯成績386戦342勝。[342-17-16-0-0-11]。

 

5位 335

イングマール

北欧競馬伝説の300勝以上を上げた5頭の内の一頭。

生涯成績417戦335勝。[335-32-41-0-0-9]。

レジェンドファイブ5頭の成績を合計すると…

3280戦1701勝!!!もはやこの世の物とは思えぬ数字・・・

とても5頭で上げた成績とは思えない…すご過ぎる。

 

6位 317

ヴォンカウス

レイパスに同じくフィンランドにて記録を打ち立てたヴォンカウス号。

1961年に生まれ、1977年まで競走を続け、生涯出走数は700戦に達した。


7位 264

シングルジー

父 アンダーソンウィルクス
母 リトルジプ


生年:1910年4月4日
性別:牡
毛色:鹿毛
調教国:米国

生涯成績:436264勝[264-88-37-47]
額に浮かぶ“G”の文字を連想させる流星が命名の由来だという、歴史的ペーサー。
オーナーであるW.B.ベアフット氏の故郷、インディアナ州ケンブリッジシティにはシングルジーの壁画まであり、その街のノースグリーンストリートの一角には、彼が眠る墓碑がメモリアルとして残されている。


人々万民から慕われ、愛された歴史的名馬である。
14年間にも渡り走り続け、繋駕速歩競馬で唯一となる10万$ホースにも輝いた。



▲〔額に浮かぶ“G”の星。偉大なる勝利数は永久に語り継がれよう〕
     

 

8位 244

カリプリンセン

379戦244勝[244-77-51-0-0-7]。

スカンジナビアの誇る芦毛の怪物。

 

 

9位 239

モルテンブラジェソン

372戦239勝[239-16-23-18-66-10]。

史上最多勝馬ブラジェを父とする豪傑馬。

父子合わせての戦績は849戦598勝という凄まじさ。

 

10位 229

ステッグベスト

(左側の馬がステッグベスト号)

北欧繋駕速歩競馬の大種牡馬となる。

生涯成績389戦229勝。[229-83-50-17-0-10]。

 

 

11位 219

コムネスブランド

戦績308戦219勝[219-9-10-3-57-10]。

 

12位 218

カーク

271戦218勝[218-22-23-0-0-8]。

 

 

11位 206

モブ

繋駕速歩競馬で活躍した後、馬車馬として活躍。

生涯成績307戦206勝。[206-13-14-10-54-10]。

 

12位 203

クラースタッドジョン

334戦203勝。[203-26-29-22-47-7]。

 


13 200勝以上
古代ローマの戦車競走に使われた馬名不詳の馬



14位 197

コリスバール
(プエルトリコ)

15位 160
ヨウコノ
(プエルトリコ)

16位 152
コンダード
(プエルトリコ)

 
▲コリスバールのあまりにも目映い偉大なる197勝。


日本史上最多勝記録

第1位 トーオクオー 
104
(ばんえい、ペルシェロン種)294戦104勝。

第2位 フクパーク
62

(公営・園田アングロアラブ種

第3位 エスケープハッチ
54

(公営・高知アングロアラブ種)


日本生涯
    不敗連勝記録


第1位 ホウリン
1616
(船橋・小檜山悦雄厩舎)
父:ミキノチカラ
母:福里
母父:セントオー

アングロアラブで昭和38年8月から昭和39年3月に掛けて記録。
16連勝達成後、故障。その後殺処分となり、人知れずこの世を去っていった。

第2位 ツルマルサンデー
1515

荒尾・佐賀競馬で活躍していた父サンデーサイレンス、母ツルマルベッピンというなかなかの良血馬。最初は中央競馬に所属していた。

第3位 クリフジ
1111



世界GI史上最多勝記録
22勝
ハリケーンフライ

父 モンジュー
母 スキャンディスク
母父 ケンマール

生年:2004年
性別:せん馬
毛色:鹿毛
調教国:アイルランド
生涯成績:42戦26勝
GI勝ち鞍一覧:チャンピオンハードル2回、アイリッシュチャンピオンハードル4回、ロイヤルボンドノヴィスハードル、フューチャーチャンピオンノヴィスハードル、チャンピオンノヴィスハードル、パンチェスタウンチャンピオンハードル、ハットンズグレースハードル、ディセンバーフェスティヴァルハードル2回、ラボバンクチャンピオンハードル3回、モルジアナハードル3回、リャンネアーハードル


平地限定のGI最多勝ジョンヘンリー16勝
 

 

同一レース連覇記録

◇同一レース連覇
★ゴールデンマイラー(牡、イギリス)
チェルトナムゴールドカップ5連覇、1932年〜1936年にかけて達成。

★ケルソ(セン、アメリカ)
ジョッキークラブゴールドカップ5連覇。1960年〜1964年にかけて達成。

★マニカト(牡、オーストラリア)
ウィリアムレイドS5連覇。1979年〜1983年にかけて達成。

★マンハッタンボーイ(牡、アメリカ)
ペースへヴンセーリングハンディキャップハードル5連覇。1986年〜1993年にかけて達成。

★ファーザーフライト(牡、イギリス)
ジョッキークラブカップ5連覇。1991年〜1995年にかけて達成。

★マクダイナモ(セン、アメリカ)
ブリーダーズカップグランドナショナル5連覇。2003年〜2007年にかけて達成。

しかし、上には上がいるもので・・・

◇同一レース連覇
★ビーズウイング(牝、イギリス)
ニューキャッスルゴールドカップ6連覇。1836年〜1842年にかけて達成。

★ブラウンジャック(牡、イギリス)
クィーンアレクサンダーS6連覇、1929年〜1934年に達成。

★ゴッズソリューション(牡、イギリス)
レースアラウンドヨークシャーハンデキャップ6連覇。1985年〜1991年にかけて達成。

まだまだ上には上がいる!!・・・

◇同一レース7連覇
★ドクターシンタックス (牡、イギリス)
プレストン・ゴールド・C7連覇。 1815年から1821年にかけて達成。

★フランクピカード(牡、イギリス?)
グランドスティープルチェイスアットディエペ7連覇。1853年〜1861年にかけて達成。

★アルカポネ(牡、フランス)
ハイヤジョセリン賞7連覇。1993年〜1999年にかけて達成。

★リスクオブサンダー(牡、フランス)
ラトウチェカップ7連覇。1995年〜2002年にかけて達成。

そして、極めつけの世界記録は…

同一レース8連覇
(世界記録)

リーピングプラム
(セン、アメリカ)

グラスミックハンディキャップ8連覇。1995年〜2003年にかけて達成。

〔世界記録保持馬リーピングプラム。この永遠の金字塔を破る馬は現れることがあるのだろうか?〕

 


世界史上
    最多連敗記録
1位
192連敗
マイネアトリーチェ

父タマモクロス
母ブライトステージ
母父ラッキーソブリン

[0−2−6−184]

(牝/日本・笠松)
生年:2003年4月22日


同期はあのディープインパクト。そのディープが三冠を達成する2005年10月23日の京都競馬場第4レース、2歳新馬でデビュー。結果は9頭立て6着。その後、中央競馬では6戦0勝に終わり、金沢の服部健一厩舎へ移籍。しかし、移籍後も連敗を重ねてしまう。兵庫、愛知、笠松と所属を代えるものの連敗は続き、2012年1月9日の笠松競馬場第2レースで敗れ連敗数新記録となる180連敗を記録した。その後1度も勝利することなく、192戦0勝の成績で2012年7月16日に競走馬登録を抹消。


2位 179連敗
カンムリホルダー

父ロングニュートリノ
母グロウゲンザン
母父リヴリア

[0−6−11−162]

(牝/日本・園田)
生年:2001年5月1日


3位 165連敗
エリザベスクィーン
(牝/日本・園田)

〔エリザベスクィーン〕

4位 161連敗
ハクホークイン(牝/日本・浦和)


5位 159連敗
サシカタ(牝/日本・国営)


6位 140連敗
★シャッフル(牝/日本・園田)

7位 135連敗
ドナチェパ牝馬。米領プエル・ト・リコ島にて記録。日本馬以外では最多連敗記録保持馬。1998年生まれ)


8位 124連敗
オーロエネ牝馬オーストラリア・障害競馬にて記録)

〔オーロエネは1974年生まれ。写真は調教師のジョージ・チトス氏との一枚〕

9位 120連敗
★トサノカオリ(牝/日本・北海道)

10位 116連敗
★ブラックハーロック(牡/日本・園田)

11113連敗
★ハルウララ(日本・高知)

12 111連敗
★イリヤジョウオー(アラブ/牝/日本・川崎)

13位 108連敗
★グレースアンバー(牡/日本・名古屋)

またヨーロッパの最多連敗記録は、2001年にサウスウェル競馬場の障害戦で記録された100連敗。記録してしまったのはキザールクロセットという16歳の高齢セン馬で、飛越に失敗してのものだった。この時騎乗していたケント騎手は「今日は調子が良くなかった(笑)」とジョークでインタビューに答えていたという…。

 

中央競馬・国営競馬の連敗記録

《中央競馬》

94連敗

テンケイ

1957年から1960年まで連敗し続けた。

1957年が17戦、58年に37戦、59年は28戦、60年に12戦と猛ペースで消化。

内50敗が障害戦のものだったという。

 

《国営競馬》

111連敗

トキツバキ

1951年から1953年にかけて連敗を記録。わずか3年間でテンケイを超える連敗記録。

想像を絶するような酷使をされたことだけは間違いなかろう。

 

 

オマケ

世界史上最多連敗の予想家

216連敗

ニュージーランドのヘラルド紙の名物記者、ビル・パティスン氏がその人。
本命に推した216頭中、86頭が1番人気。
連敗がストップしたのは1981年4月28日。エスラリー競馬場の第4レース、単勝1.1倍のホットキャットが1着。

ついに連敗地獄のドロ沼を抜ける。
しかし、この歴史的(?)勝利を上げたのち、またも108連敗してしまうのだった…。
また彼は、あまりに当たらないのを逆手に取り(?)、『UNWELCOME FAVORITE』=「有り難くない本命」と自ら題した予想コラムを紙上にて連載していたという。


世界史上
    最多出走記録

 

1
1300
 

(フィンランド、繋駕速歩競馬)

ここでも登場。フィンランドが生んだ超神話的名馬。1951年にデビューし1965年まで14年間も競走生活を続けた。

勝利数も全世界1位となる348勝。生涯公式競走1300戦。ゲームの世界でも到底不可能と思えるこの記録1300走は、

もう人類滅亡、競馬消滅のその日まで破られることはないだろう。

着度数は[348-115-57-43-737](優勝-2着-3着-4着-5着以下)。


2位 
776
 
(スペイン)

〔平地競走225戦(ヒート競走含む)+繋駕速歩302戦(ヒート競走含む)+障害競走198戦+草競馬51走〕
競走年間22年。1912年〜1934年。バスク地方のとある農夫の農耕馬として生まれた白駒は、その純白麗美な舞う様な走りが見たいと、

負けても勝っても、雨の日も日照り続く日も、1日4戦5戦を問わず走り続けていたという。

  
▲〔レースへと赴くゲルニカ号〕
 

3位 
700
 

 

 

第4位 コトブキライアン(ばんえい)

488

[37-59-60-66-68-198]

2002年6月1日にデビューし、2016年3月20日まで出走し続けた。

 

第5位 ブラ(繋駕速歩競馬)

477

[359-54-55-0-0-9]

繋駕速歩競馬の王国スウェーデンが生んだ史上最多勝記録を誇る伝説のトロッター。

生涯出走回数ではフィンランドのレイパスに譲るが、勝利数では世界一。

 


第6位 (牝馬)

476(公営)

第7位 シングルジー
436

(繋駕速歩競馬)


第8位 セニョールベスト
409
(高知競馬)

 

第9位 ヒブラゼ
406
(米国競馬)

1935年に生まれ、14年間も走り続けた名馬。

着度数[79-73-52-202]。


第10位 トヨタカ
374
(ばんえい)

次位 ミヤマリージェント
329
(高知)

ちなみにJRA記録はハートランドヒリュ127戦。
日本繋駕速歩競馬(昭和43年廃止)ではビージーキング271戦が最高記録。


史上最多出走頭数

66

1929年3月22日。
英国 マージサイドに位置するエイントリー競馬場でのグランドナショナルにて記録される。
しかし・・・これだけ出走しているとレースをする人馬はもちろん、実況する側や予想をする人たちも一苦労です(笑)。
しかも障害戦ですから尚更ですよね(笑)。


平地競走史上最多出走頭数

58

1948年3月13日。
英国リンカーン競馬場のリンカッシャーハンディキャップというレースで記録される。

 

2013年8月10日、モンゴルにて催された18,000mの競走にて4,429頭の出走という記録もある。



負担重量・

  史上最重量世界記録

93K』

日本にて、キリキヨという牝馬が記録。小柄だが、異常な程の筋力があったという。
岩本亀五郎調教師が園田の騎手時代、鍛錬場競走で跨った際の記録だとされる。
記録年代:昭和20年代初期
記録地:園田
ちなみに同馬は前走で88Kを背負って勝っていたという。
タマツバキの83Kを超える馬がいたとは…。ちなみにサラブレッドの最高負担重量勝利記録は、1932年3月10日、札幌競馬の抽選馬競走に出走したフラミンゴー77


しかし!

190.5kgを背負って芝の1マイルを勝った馬がいるという記録も見つかった。
190.5ポンドの誤りである可能性が高いが、190.5ポンドでもキロ換算すると86kgをオーバー
キリキヨに続く記録ということになる。
しかし、190.5kgが本当だとすると、とてつもない超絶的記録となる。

 

【ばんえい競馬での負担重量勝利(出走)記録】

1,100kg

ハルトカチ 1969年10月19日 旭川競馬・農林水産大臣賞典にて記録。

シヤリイチ 1971年10月10日 旭川競馬・農林水産大臣賞典にて記録。

負担重量・

  史上最軽量世界記録

32K』

1854年の4月、エプソム競馬場にて行われたシティ&サバーバンHにて、
マークアンソニーという3歳牡馬がこの斤量で出走したという記録が残されている。
いったいどんな騎手が騎乗したのか?
もう一つ、同じような信じられない記録が残されている。
同じく英国にて記録された。1865年のケンブリッジャーH(芝1,800m)に
フランス伝説の名馬にして19世紀欧州史上最強とも称される
グラディアテュールが出走。この時グラディアテュールが背負わされたのは138ポンド(約62.6kg)。
対して対戦相手馬には裸同然の軽量が宛行われた。
この時最軽量斤量となったヌーという馬は斤量が35kg(77ポンド)だったという。
その斤量差27.6kg差という凄まじさ。
これが恐らく現代まで通しての斤量差世界記録と思われる。
ヌーは2着と好走し、グラディアテュールは距離が短すぎたこととこの狂気じみた斤量差が災いし、着外と大敗している。


牽引重量世界記録

35メートル、23トン

1951年、ソヴィエト連邦にてフォースという馬が牽引した
この重量が世界記録とされている。

 

牽引力

☆世界最高記録☆
ちなみに2頭力を合わせて牽引した世界記録としては、
1990年、米国ミシガン州にて402メートルに渡り、
130.9もの重量を凍結路貨物のソリを引いて
牽引成功したと伝えられている。

 

世界2位となる記録ははるか一世紀以上前に記録されており…
128t
1893年、2頭のクライスデール種が橇を使って運んだ木材は128トンもあったという。
これはアフリカゾウ22頭分もの重量。恐るべき牽引力。

  
▲〔クライスデール種の牡馬〕

 

 

跳躍力

▲〔クライスデール種の牡馬〕

2m47cm

この記録は1947年の2月5日、チリにて記録されたもので、以降名ジャンパーが世界各地、

恒河沙なまでに光来したものの、誰一馬として並ぶ者すら現れていないというアンタッチャブルレコード。

達成した馬の名は、ファーソ。

 

冬競馬の風物詩・中山大障害。あのレースで登場してくる名物「大竹柵」。

あの高さが160cmであることを思うと、驚愕の記録である。

この記録達成の時、ファーソは16歳という競技馬としてはかなりの高齢を迎えていたが、

馬としてのポテンシャルが全開となるより若い時代に、ジャンプホースとして活躍していれば、

もっと高い障害を飛ぶことさえ可能であった筈と言われる。



父 ヘンリーリー
母 トレミュラ
生年:1933年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:チリ

 

ファーソは自身の世界記録をも凌駕する、非公式の劇烈な記録もマークしている。
これは年月が定かではないが、25人の観衆を前に、フレッド・ウェタックJrの手綱で

跳越したとされる“2m89cm”

 

 

世界最長の一完歩
跳びが大きく、一完歩あたりの飛距離が半端ではないと言われるブエナビスタやクロフネだが、

日本馬で最も“飛んでいた”のはご存知の通りディープインパクトだ。
世界競馬においても、“飛んでいた”馬はいる。オセアニアの伝説的英雄ファーラップや米国史上最強馬セクレタリアトなどがその代表例。
※競走馬の平均的な一完歩は6.6mで、7m弱あればかなり凄い部類に入ります。ちなみに、人間の平均的完歩(一歩あたりの歩幅は)60〜70cm。


【名馬たちの一完歩】
セクレタリアト

7m38cm

※マールボロC勝利時の記録。

ディープインパクト(3歳時)
7m54cm

※菊花賞時の記録。

ディープインパクト(4歳時)
8m20cm

〔2006年有馬記念。最終コーナーで驚天烈震のワープ捲り。馬なりで押さえながらの有馬史上最速の3F33.8は、もはや神の領域のパフォーマンスであった〕

ファーラップ
8m27cm

しかし…これら偉大な名馬たちの栄光の記録を凌駕する記録が存在した!
 8m30cm
これは1951年、スペインのバルセロナにて、アマドミオという馬により達成された。

しかし!これをも上回る記録が存在した!!

世界最長の一完歩記録はこれだ!!

  8m40cm

1975年に南アフリカのヨハネスブルグにて記録されたという驚愕の一完歩。

わずか11完歩とちょっとで100mを走り抜く計算。なんという脚力の持ち主か。

 

馬が2足歩行で歩いた最長距離

 

29.09m

 

この記録は2009年、イタリアにてドックという馬が、グレゴリー・アンセロッティ氏の

手綱で記録されたもの。ギネス記録のテレビの中でのチャレンジであった。

 


世界競馬史上
     最多連続
 重馬場出走記録

35戦全戦馬場


この記録を達成したのは英国のブリアンウッドという牡馬。
超教学的な程に、超常的雨馬だった。
五日間連続開催の、この馬が出走した日だけが重馬場で、その他の四日間はすべて良馬場だったという記録が、13戦以上もあった。
さらに驚くべきは1981年7月2日、エプソム競馬場にて出走した時の怪異である。
ブリアンウッドは第6レースに出走登録していたが、1〜5レース良馬場。7〜9レースも当然良馬場。雨が降る兆候が全くなかったにも関わらず、6レースになった途端、偏西風に吹かれ真っ黒な一塊の雲がやってくると、競馬場は土砂降りの大雨に見舞われた。そして馬場監視委員は「やや重」と発表。ところがである。6レースが終了するや否や、競馬場は晴れ渡り、馬場もあっという間に乾き、良馬場へと変更されたという。
生涯35戦、全戦重馬場で走ったブリアンウッド。彼の4代母シンギングレインが雨を呼んでいたのだろうか――。
彼は引退後、雨不足に悩む米国はソルトレイクシティーへと渡り、ケント・ユーザック氏の下で余生を送った。それまで乾燥に喘いでいた土地は慈雨に恵まれ、嘘のように雨不足は解消されたという。


  


スピード記録ベスト3
※人を乗せての状態で。

 

1 ブラックキャヴィア
72.12km/時
(どのレースかは不明。サラブレッド種)

全世界競馬史上、最速短距離女王はやはり超怪物。

200mのラップにて9秒98を記録。世界競馬で史上唯一頭、

斤量を背負った公式戦で200mで10秒を切ったサラブレッド。

 

2ウイニングブリュー
70.76km/時
(2008年5月14日 サラブレッド種)

ペンシルヴァニア州のペンナショナル競馬場にて計測された記録。

レコード記録時、ウイニングブリューは2歳。しかも牝馬だというのだから驚きである。


第3位 ビッグラケット 
70km/時
(1945年 サラブレッド種)
  
メキシコシティにて記録された世界記録。400m…20秒4というスーパーワールドレコード。
このスピードを維持できた場合、ダート1,600mを1分22秒台で走破するという信じ難いもの。


第4位 ???(クォーターホース)
68.51km/時

※400mにての記録。

次位 チベット馬
67.04km/時

しかもこの記録、海抜4,500mの山間でマークされたものだという。
(『ホースメイト』第10巻、P25-26より引用)
サラブレッドも顔負けの10kmを8分57秒(!)で走った際のスピードレコード。
はたしてディープやオルフェが10kmを9分切って走れるだろうか?海抜4,500mの高山地帯で…。


世界競馬
   史上最大着差


501馬身差

この記録は日本において記録された。1970年の5月1日、阪神競馬場にて開催された阪神障害S(春)には4頭の出走馬が登録。現在ならばレース不成立となるが、当時の規定によりレースは発走。ところが4頭中3頭が落馬するという未曾有の事態に。唯一競走を続けたツキヒデキングは無事ゴールイン。単勝以外の馬券は返還か…と思いきや、まだレースは続いていた。
なんと、落馬した3頭の内の1頭が満身創痍、必死の再騎乗により、レース再開。しかし、フラフラになりがらようやくゴールへと辿り着いた時、
すでに1分23秒5もの時計差
ついてしまっていた…。
これを馬身差に換算してみると…

1秒⇒6馬身差
0秒5⇒3馬身差


…として考えられることから、(60秒×6)+(23秒×6)+3=360馬身+138馬身+3馬身=501馬身…となる。

その他の大差記録

有名なものが米国古競馬の象徴マンノウォーがローレンスリアライゼーション(ダ2,600m)にてフードインクを100馬身ちぎったという記録がある他、セクレタリアトのベルモントSにおける31馬身差勝ちがある。ちなみに日本の平地競走では2010年2月2日に佐賀競馬場でエイシンイッキが記録した5秒3差、障害競馬においてはシンボリクリエンスが1992年の中山大障害(春)にてマークした8秒6差が広く知られている。平地の日本GI級競走では1968年の天皇賞(春)においてヒカルタカイによって記録された2秒8差が最高記録である。しかし、これらのレコードは皆、写真判定が導入され正確な記録として計測されはじめてから残っているもののみ。過去にはとてつもない大差勝ちがあったかもしれない。

海外の平地競走で記録に残るものとして史上最大着差となったのは、

2007年のドミニカ共和国で開催されたシモン・ペンベルトン杯(ダ1,100m)で

ドミニカ史上最強馬シコティコが記録した69馬身差

スタートから勢いをつけて後続を引き話すと、最終コーナーを出るころには50馬身近い差をつけ、最後は2着に69馬身差をつける驚嘆すべき圧勝を見せつけた。ドミニカ共和国では5〜6頭による少頭数の競馬が通常で、下級レースでは往々に着差が付きやすいのだが、それにしてもシコティコが見せたこのパフォーマンスは規格外であった。

 

オープンクラス以上の古馬も含めた平地レースでの史上最大着差は2014年、米国はマウンテニーア競馬場にて行われたダート3,600mのマラソンレースにて記録された49馬身差。2着馬と3着馬の差も凄まじく、33馬身差もあった。

▲道中。2番手と3番手の馬の距離がすでに凄まじい事に。

▲最終コーナー。2番手馬はまだコーナーに入るところ。

▲すでに歴史的大差勝ち確定の状況。ゴールまではまだ150m近くある。

 

勝ち馬はフェオドール。31戦5勝という生涯成績だが、この馬、2012年までポーランドでレースをしており、

ポーランドクラシックではセントレジャーで3着という実績を持ち合わせていたステイヤータイプの馬であった。

米長距離で圧勝するだけの下地は兼ね備えていたのである。

 

オマケ:「優勝したにも関わらず、

     タイムオーバーになった馬」
タイムオーバーとは、1着の馬から、その国の競馬法の規定で定められた秒数を離されてしまった馬が、出走停止のペナルティを受けることを言うが、まさか1着の馬がこの制裁を受けることになろうとは…。
この珍事が起きたのは1920年のチェコにて。同国最大の障害競走ヴェルカパルドゥビツカ(障害6,900m)のことだった。この障害競走の難易度は世界屈指であり、また危険度も群を抜くものがある。何しろ、完走馬無しが1回あり、たった1頭が完走し、その馬が優勝なんてこともあったのである。あのグランドナショナルですら、最低の完走頭数は2頭であり、完走馬ゼロなんてことは今だに無い。それは、いかにこの障害競走が想像を絶するものか、それを雄弁に物語る一つの指針となっている。話を元に戻そう。1920年のこの競走、次々と出走馬が脱落し、なんと残るは1頭、ジョナサンという馬のみになってしまった。必死にゴールを目指すジョナサン…がしかし、時間がかかるかかる…競馬場で固唾を呑んで見守っていたファンたちも随分時間が掛かるものだと、時計へ目をやると、なんと10分も経過しているではないか!
これはとんでもないことになったと、観衆は異様な沸き立ちを見せ始め、ジョナサンへと声援を送った。皆の応援に応え、フラフラになりながらようやくゴールに辿りついた時には20分以上が経過。
記録上に残されたその驚愕の勝ちタイムは…


20分15秒(笑)。


いや笑っては失礼ですな。しかし…遅い。遅すぎる。おそらく史上最低の勝ちタイムでしょ…これ。
ジョナサンと陣営はチェコ最高の障害競走を優勝した!…と大興奮だったが、当時のチェコ競馬の規定により、“タイム・オーバー”となり、失格処分。天国から地獄とはまさにこのこと。陣営は失望のどん底に叩き落とされた…。

 
〔ヴェルカパルドゥビヅカのレース模様。創設は1874年と古く、障害の難易度も世界最高のものを誇る。生垣が中心で高さは130cm前後だが、第4障害のタクシスジャンプは高さ160cm幅180cmの生垣の着地側に深さ1m幅5mの堀を設けた巨大なものであり、他にも障害の間隔が9m以下の連続障害や、バンケット、水濠、石壁などが設置されている〕

ところが話はこれで終わらず…数十年後、規定が変更されたことを受けてか、一転して優勝が認められたのでした(笑)。
ジョナサンと陣営にとって、あまりにも不運かつ“遅すぎる”戴冠式だった。

 

 

オマケ その◆

  「デッドヒートの1、2着馬除き、全馬レース放棄した事件

空前絶後の大珍事。パキスタンはカラチ競馬場にて起きたこの事件は空前絶後の大ハプニングである。

2011年の3月、とある日の第6レースにてそれは起きた。

2頭がデッドヒートをスタート後間も無く展開。

グングン後続を引き離し、最終コーナーを前にすでに大勢は決し、

2頭以外は完全に勝負圏外となってしまう。

普通ならば、どんなに離されていようと勝負を捨てずにゴールを目指すものである。

しかし、2頭を除く全馬の全騎手はなんということか、勝負を放棄。

全馬ゆっくりと歩き出し、ゴール前に集合し、輪乗りのような状況に。

1着馬がゴール板を過ぎてから、約1分30秒後、1頭がゆっくりと歩み出し、常足(なみあし)で

ようやく3着ゴールイン。優勝馬がゴール通過後、1分34秒もの時間が経過してからの事であった。

その後、続々とゴールを全馬目指して歩き出し、レースは終了。

レース不成立にもならず、審議もなく終結している。


⇒次ページにさらなる驚愕の世界記録を展示!!

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馬・競馬にまつわる記録集 * 22:12 * comments(0) * trackbacks(3) *

ピンクムーンスノーセラフィム 【一角白鯨冥環】〜unicorn展示室〜




▲木村蒹葭堂『一角纂考』一角獣図・一角魚身有鱗図(大阪歴史博物館編『木村蒹葭堂なにわ知の巨人』(展覧会図録、2003)

   
■一角獣(ユニコーン)の特徴
ユニコーンは、そのほとんどが、ライオンの尾、牡ヤギの顎鬚、二つに割れた蹄を持ち、額の中央に螺旋状の筋の入った一本の長く鋭く尖ったまっすぐな角をそびえ立たせた、紺色の目をした白いウマの姿で描かれた。
また、ヤギ、ヒツジ、シカに似た姿で描かれることもあった。角も、必ずしもまっすぐではなく、なだらかな曲線を描くこともあれば、弓なりになって後ろの方へ伸びていることもあり、鼻の上に生えていることもあった。
ユニコーンは、山のように大きいこともあれば、貴婦人の膝
に乗るほど小さいこともあった。時には様々な動物の体肢を混合させてできた生き物であった。ユニコーンと水には医薬的、宗教的な関係があるため、魚の尾をつけて描かれることもあった。アジアでは時おり翼を生やしていることすらあった。

  
▲壁画に描かれた有翼一角獣。

体の毛色も白色、ツゲのような黄褐色、シカのような茶色と変わっていったが、最終的には、再び輝くばかりの白色となった。

中世ヨーロッパの『動物寓意譚』(ベスティアリ, Bestiary, 12世紀)の中で、モノケロースとユニコーンはしばしば同じものとして扱われるが、中にはそれぞれを別のものとして扱うものもある。その場合、モノケロースはたいがいユニコーンより大きく描かれ、角も大きく非常に長い。またモノケロースの挿絵には処女が一緒に描かれていない。

フランスの小説家のフローベール(1821 – 1880)が『聖アントワーヌの誘惑』(La Tentation de saint Antoine, 1874年)第7章の中で一本の角を持つ美しい白馬としてユニコーンを登場させ、現在ではその姿が一般的なイメージとなっている。

〔ドメニコ・ザンピエーリ(1581 – 1641) 「処女と一角獣」 フレスコ画、ファルネーゼ宮、ローマ〕

ユニコーンのタイプ
一角犀
⇒犀の一種と考えられたもの。中国の本草書では犀の角には解毒作用があるとされていた。
これはイッカクの角や西洋の一角獣の角の逸話に通ずるものがある。

カイチ

⇒麒麟や鳳凰と同様に瑞祥を表す神獣であるが、その角で悪霊をつくとされ、鎮墓や魔除けに用いられたものである。
人の正邪をも判別し、不正な者を突くとされる。

白い聖獣タイプ
⇒一般的イメージの上記イラストと同じものである。

ユニコーンはどこから来たのか
一角獣は一体どこで成立したかは、実のところ分かっていない。

一角犀やカイチが西洋へ伝わって西洋のユニコーンになったとも、あるいはその逆とも考えられる。
『一角獣』著者のR.R.ベーア氏は次のように述べている。
ヨーロッパへはおそらくインドの山岳と川原を越えてもたらされたのではないか。
一角獣は三つの道筋を通ってやってきた。
第一の道はヨーロッパ古典古代。つまりギリシャとローマ人である。
第二の道は聖書であり、第三の道は初期キリスト教的色彩を帯びた自然科学書である。

ユニコーンが示すモノ
処女の前で心許すという伝承にキリスト教が関わることで、一角獣はキリストの象徴となり、処女は聖母マリアの象徴となる。
処女に抱かれたため、猟師に捕らわれてしまう一角獣はキリスト受難の象徴であり、一角獣伝説は多義性を持つに至るのである。
以下、ベーア氏の言葉である。
「一角獣がその幾重にも折り重なり、矛盾に満ちた、象徴的で神秘的な意義を獲得していったのは、本質的にはキリスト教を通じてであった。一角獣は早くからイエス・キリストを表す記号であったが、同時に死と悪魔を表すものでもあった。一角獣はあらゆるものに打ち勝つ主の力を意味し、同時に人間という罪ある衣に身を包む謙虚さをも意味していた。
例えば、一角獣は紋章として騎士の力と勇気を示す徴であり得たし、しかしまた同時に修道院の特性である“孤独さ”の象徴でもあり得たのである。一角獣が処女マリアの息子を表すことから、一角獣は貞節の象徴となる。しかし、馴致しがたい力ゆえに、一角獣はまた制御の利かない欲望をも体現し、その結果ここでもまた、古代とは異なった仕方ではあるが、極めて古い時代からの催淫薬としての角の用法が出現してくるのである。一角獣はキリスト教徒とその教会の統一を意味することもあれば、一方でキリスト教徒の敵、異教徒とユダヤ人を意味することもある。」

日本への伝来はいつだったのか
ベーア氏の著書を邦訳に当たった和泉雅人氏によれば、日本に伝わった「一角獣表象はおおよそ二通りの仕方で受容・育成されたといって良いだろう」と述べている。
すなわち、一つは漢訳仏典を経由した『今昔物語』の中の一角仙人であり、もう一つは南蛮渡来の書物から受容されたヨーロッパ型一角獣表象である。
前者は紀元前二千年頃成立の古代オリエント叙事詩『ギルガメッシュ叙事詩』に発し、インドの『マハーバーラタ叙事詩』所収の「リシュヤ=シュリンガ説話」のような聖人の堕落モチーフとなり、『大智度論』第十一巻などの漢訳仏典を経由して日本に入り、『今昔物語集』などに編纂されたものである。
後者は解毒作用を有する角を持つ一角獣に関わる伝承。寛文三年(1663年)に和蘭商館長が将軍家綱に献上したものに、ヨンストンの『禽獣鳥魚図』があった。その獣部に、角を持つ馬「独角獣」が載せられている。西洋の一角獣の姿が日本に紹介されたのはこの書を初めとすると考えられる。
しかし、実はキリスト教的な色彩を帯びた一角獣の話が、寛文三年(1663年)よりも前に伝わっていた。
それは天正19年(1591年)に刊行されたキリシタン版『サントスの御作業の内抜書』の「バルラアンとサン・ジョサハツ」の中に一角獣は現れているのである。

しかし…ここで疑問が残る。
キリストを顕す記号であるユニコーン=一角獣は天皇家の紋章獣でもあるのである。

▲〔皇室の紋章に現れる一角獣〕

キリストと天皇…何かの因果関係があるのでは。
謎多き人物である聖徳太子。彼がキリストだったとする説もあり、どこか遠い点と線で、リンクしているように感じられなくはないか。また古墳時代の馬の土偶に角のある馬の土偶も見つかっている。
これが意味することは…
  
▲〔角ある馬の土偶(奥)〕


 
1895年頃に東欧で誕生したという突然変異の一角白獣。
頭頂に確かに突起が見られる。
写像としてとらえられた一角獣として唯一伝説のユニコーンに近い存在はこの馬か。

こちらは1927年に生まれたといわれる一角白獣。

メンフィスという名前で、父はエジプト、母はシリア。
アラブの血統馬で額の部分に角のような突起が見られる。


 

  

  【一角白鯨冥環
ユニコーン展示室
 

一角白獣追想譚
“最後に2010年最新のユニコーン目撃譚あり”

 
サーカスに登場した
   人造ユニコーン

ランスロット


▲〔こちらはランスロットとは別のサーカスに所属していた角が生えてきた葦毛馬〕




日本に存在する
  角馬神話



1.三宅島・神着村の一角馬

2.山形県庄内地方の農家の角馬

3.茨城県の廃村に言い伝わる角馬

4.能登半島に降誕した能登駒の母

5.岐阜の武士の愛馬・山桜号

6.高千穂の龍駒

7.沖縄県久米島の琉球一角


8.佐渡ヶ島・馬首の駒角

9.長崎・阿蘇で育った白馬から生えた金色の双角

10.奄美大島に伝わる一夜で馬角が生える奇跡


神着村の角馬事件

神着一角
昌泰元年(898年)の1月24日。伊豆七島に浮かぶ三宅島の神着村で起きた事件。
壬生という家の妻女は、首山という山の方へ向かっていつも小用を足していたのだが、これを毎回見ていた馬がいた。ある時、妻女はからかい半分でこの馬へ話かけ、こう言った。

「お前に角が生えたら、何でも言う事を聞いてあげる」

妻女は、馬などが人間の言葉を理解できる訳がない、万一理解していたとしても、角を生やす事など出来るわけがないと思ったのだろう…それは当然のことである。
しかし、何という事か、この馬に本当に角が生えてきてしまったのである。妻女は何とか誤魔化そうとしたのだが、時すでに遅し。
妻女は馬の玩具にされ、最後は角で突き殺されてしまった。
(話にはもう一パターンあり、こちらは娘に小用を足させていた母親が「角を生やせたら娘をやろう」と問いかけ、馬に角が生えてくる)。

女性の家族は、これに震撼し、戦慄と怒りに身を震わせながら、馬を全員で手にかけ殺してしまったという。
馬の角は今もこの家に残され、死んだ馬は首神社の三島明神として祀られいると伝えられる。また殺害された女性は、こばし神社に祀られたのだとか…。

現在でも、事件の起きた1月24日の夜は、決して外へ出てはいけない、と戒められている。

 

その真実を現在うみねこは追っている――。
▲クリックorタップで、三宅島神着地区でのフィールドワークの調査結果をご覧頂けます!


     


 【一角獣(ユニコーン)
  まつわる主な展示物】
   

『奇跡の名馬』より
インプリウム

    

一角獣の角


『奇跡の名馬』より
「角の生えた競走馬」
セイクリッドホルン


一角獣の瞑譜録




聖なる一角獣“Unicorn” 〜角が生えた馬の話


一角獣(ユニコーン)にまつわる逸話集




〔彼らは実在するのだろうか…?一角獣は白毛であるため、強い芦毛馬や白馬はより一層幻想的に感じてしまう。そこに葦毛の強豪馬の人気の秘密があるような気がしてならない〕

ユニコーンのごとき
    伝説の白馬たち


史上最強アラブの白馬

遠き日の神話
    「伝説の白翼姫」




ユニコーンの骨格図



     
今回の写真元:Mr.Woolhouzen、Mr.Neelほか

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馬・競馬にまつわる記録集 * 09:21 * comments(0) * - *

センニンブロ

 【 センニンブロ
驚愕の世界連闘記録

書肆の架奥で手に取る文献・古文を読み漁り、いにしえの記録の海へとカンテラを灯す――。
そこで邂逅を果たした爛札鵐縫鵐屮蹲瓩覆詭焦呂離皀離タリをここに記す。

 ◆
 3日間で5戦3勝2着2回…
 平地・速歩・障害…
 レースの次にまたレース
 ◆

“仙人風呂”なのか“千人風呂”なのか、その名の由来は不明だが、この馬が刻んだ上記の記録がどれほどの凄い記録なのかというのも、世界競馬史に残る世紀の大記録であることも、断片のみでは判然さっぱりわからない。
それでは、その内約を仔細になぞって行くことにしたい。
時は大正9年。秋季函館競馬初日、第一Rの速歩競走(繋駕速歩競馬3,500m、2頭立て)にセンニンブロという黒鹿毛の馬出走し勝った。センニンブロはこの後小休憩を取り、同日第六Rにも再び登場。ここはフソウという馬の2着に敗れるが、なんと翌日また出走し、第六Rでイサミという馬の2着。ここまでは明治・大正期の競馬であればたまに見かける光景であったが、このセンニンブロという馬、恐ろしくタフだったようで、最終日の3日目にも参戦してきたのである。まず第一競走の速歩競走(4,000m)で圧勝。さらに、脅威的にもつづけて次の第二競走にもすぐさま顔を見せ、ここでも鮮烈な勝鬨を上げるのであった。しかもこの競走、障害競走だったのである。
つまり、このセンニンブロ、3日間1日も休むことなく、立て続けに出走し続け、なおかつ平地・速歩・障害という全く異質の三競走で勝利。しかも連対率100%をキープしたままで、最後の日には2レース立て続けの連闘ダービーの翌日にダービーを勝ったラッシュアウェイという米国馬もいたが、こちらはさらに凄まじい。これが世界競馬史最短の連闘異種競走勝利記録である。


▲〔スタンドへと向かうセンニンブロ〕

  
さすがのゼンヤッタもこの記録には舌を巻くかもしれない。
さて、もう一頭空前絶後の連戦連勝記録を残した馬を紹介する。
それがモノトニーである。

モノトニー
明治2年、横浜根岸競馬の秋季開催にて、ブリタニアカップ、チャレンジカップ、バンカーズカップ、レジャーカップ、売却ハンデキャップステークスと、5連勝。
なんと2日で5勝してしまったのである。
無人の荒野を行くがごとくの大勝の連続も、風刺雑誌の『ジャパン・パンチ』は、彼の馬名にかけ、「全く単調(モノトナウス)なレースでつまらない」と痛切に書記。完全に皮肉られてしまった。
これが2日間における世界最多勝利記録数である。

ちなみに、近代日本競馬における連闘最高記録
ラガービッグワン12連闘
1995年6月10日〜8月27日まで12週連続での出走。出走したレースは全12戦とも未勝利戦。最高着順は3着3回が精一杯だった。

現代競馬において、もはやこれらの記録を更新することは永遠に不可能。
それというのも、昭和39年から1頭の馬を2日連続して使用することが禁じられた為である。
それまでは土曜に出走した馬が日曜にまた出走してくるということもあったのだが、もう二度とこうした酷使をすることは出来ない。さらに、昭和44年からは出走してから4日を経過しなければ競馬に使うことも禁じられ、現世においては「出走した日から起算して5日以内に施行される競走については、出馬投票することができない」という規定が設けられている。
永久不滅の世界記録を持つ馬が、日本競馬の忘れ去られた時間の海にモノクロの残影を今も浮かべている――……。


馬/競馬の知識所蔵庫
  
基礎知識アーカイヴス

 
震天動地の世界記録集

馬・競馬にまつわる記録集 * 06:03 * comments(0) * - *

ギアロッピングゴースト 〜珍名馬たちのRequiem〜

 【ギアロッピングゴースト
珍名馬たちのRequiem


爛アロッピングゴースト瓠

これは本邦で命名された馬名なのである。
この馬名が、現代競馬ではありえない、おかしな馬名であることを、お気付きだろうか?


そう、11文字なのである。

無論、外国馬でもなければ外国産馬でもない。
紛れもない日本産の日本人馬主の馬である。
日本の馬は“9文字まで”という制約・ルールが確立されているが、まだ俎上が曖昧模糊と混沌としていた明治から昭和初期には、目を疑うような馬名が登録されていた。



昭和初期の長名馬

ナンバートウエンチーシキス(13文字)
※戦前最長馬名。日本調教馬としては史上最長の馬名。

ゼスカーレットピンパーネル(13文字)
※戦前最長馬名。日本調教馬としては史上最長の馬名。

フラックスゼファースト(12文字)

グレキユラスイスリエンス(12文字)
明治3年5月27日に横浜競馬場にて、送別賞盃(1,600m)にて優勝した内国産在来馬

クインオブゼダニューブ(11文字)
  
ウィル・オー・ザ・ウィスプ(13文字)
※戦前最長馬名。日本調教馬としては史上最長の馬名。

ジユピターユートピア(10文字)
※GI級競走優勝の日本調教馬史上最長の馬名。1936年の中山大障害春(現在の中山グランドジャンプ)勝ち馬。



珍名さんいらっしゃい♪


   

史上最も短い馬名


(1931年生)

父 アララシード一ノ四
母 第二華月
毛色 青毛


この馬は1934年4月8日春季京都5日1Rでデビューしたアラブ馬。しかし、成績は振るわず毎回着外。
なんと、デビューから3戦続けて単勝無投票。
アラブ血量69.5%、大きな流星をもつ馬だったという。

馬名にこれといった規制のなかった時代には、他にもたくさん変わった名前の馬が実在した。
例えば、馬名中に句読点が入っていたりするような馬までいたという。
はじめて規制がひかれた時は、拗音(ァ、ィ、ゥ、ェ、ォ、ャ、ュ、ョ)や促音(小さいツ)、また「ヴ」や「ヲ」が使用禁止な上、文字の制限も7文字までという、厳しいものだった。



史上最長の馬名馬

スノーティング・ベス・トレゴンウェルズ・ナチュラル・アラビアン・メアー

 


爛◆爾鱈瓩箸いμ樵阿稜

この馬は2004年4月24日に生まれた牡の栗毛馬で、実際にニューヨークの競馬場で走っていた。
何と33戦もし3勝を上げている。
実況ではアナウンサーも困り果て、“アーーーーーっ!!”と連呼して絶叫する始末(笑)。
この馬名が申請を許可されたことが不思議だが(笑)。

☆ARRRRR
生年:2004年
性別:せん馬
毛色:栗毛
調教国:アメリカ合衆国
生涯成績:33戦3勝[3-5-5-20]



アルファベット1文字の馬
日本における史上最短の馬名は「ヤ」であるが、海外にもこれに似たとんでもなく短名な馬が数多く存在している。
なんとアルファベットの1文字のみというぞんざい(?)な命名(笑)。これらはアルファベットのA〜Zまですべて実在しており、“A”や“X”はかなり多くの馬たちが命名を受けている。最多頭数を誇るのが“S”で、99頭のSが存在している。
ところが、これらの馬たちは全く振るわず、時の流れの中埋もれていき、いまやその記憶が脳裏にある者も皆無に等しい。





馬にもかかわらず、“”と命名された馬
どう見ても見た目は“馬”…。しかし呼ばれる名前は「ウシ〜!」とはこれいかに(笑)。
そう、立派な血統書付きの馬にも関わらず、『ウシ』という珍名が与えられた馬が、史上世界に2頭のみ存在している。
このウシ…じゃない、馬はオランダ産の馬で、名前を“ウシ”という(笑)。
ちなみに牝馬。
そしてもう1頭が、これまた牝馬で、こちらの馬は1986年に生まれている。生産国はアルゼンチンで、父ダツン、母ドリームフラワーズという血統で、凱旋門賞馬ジェベルの血を継ぐ良血馬だった。


  
〔こちら正真正銘の『ウシ』(笑)〕

彼女たちへと、なぜそのような名前が充てられたのかは謎のヴェールに包まれている。
ちなみに「ヒツジ」や「ヤギ」と名付けられた馬はまだいないようである(笑)。



Uma瓩般症佞韻蕕譴診

ある意味、隠語や猥褻な性的表現、そして前回取り上げた「ウシ」以上に禁断の名前とも言える究極の名前…


ウマ (笑)。


『ダービースタリオン』や『ウイニングポスト』などをプレイされた方ならば一度は名付けたであろうこの禁句。馬にも関わらず名前までもが「ウマ」とは(笑)。これいかに(笑)。
しかし、しかしである。事実は小説より奇なり…とはよく言ったもので、現実世界には爛Ε洵瓩般震召気譴診呂、数頭存在しているのである。その数は8頭。しかも、不思議なことに全馬牝馬という奇奇怪怪な事態となっている(笑)。


爛Ε洵畊罎燭疏8頭の生誕地と生年は以下の通り。

米国2頭

インド1頭(1967年生)

アルゼンチン2頭(1967年生・1994年生)

ブラジル(1976年生)

ドイツ(1995年生)

ウルグアイ(2002年生)

…の計8頭。思わず誰かに教えてあげたくなる珍話である(笑)


〔しかし…馬に「ウマ」と命名するとは(笑)。
「ウーマ」や「ユーマ」とも発音できようが、それでもやはり違和感がある。
そして何だか本末転倒な珍名だとも評せよう。


世界最古の爛Ε洵畊罎1929年に米国で生まれた黒鹿毛馬で、つい最近のものでは、2005年に同じくはアメリカで生まれた鹿毛の子馬が命名されているようだ。
ちなみに補足トリビアになるが、この狃藺絅Ε洵瓠∋弔靴神鐇咾156戦19勝という驚愕のもので、凄まじいタフネスぶりをみせていた。どうやら歴代の「ウマ」号史上最初にして最強とも言える強さを見せていたようだ…。

ちなみに、サラブレッド以外の馬種でも【UMA】と名付けられた馬は8頭いる。サラブレッド種を合わせると全16頭になる。

『Horse(馬)』

と名付けられた馬はさらに多く、これまでに全世界、全馬種で66頭いる。(2017年3月時点)


タヌキ

明治36年11月9日、横浜競馬場にて行われた中国は清国産限定競走(1,600m)にて優勝した馬の名前。
斤量156ポンドを背負い、2:20.4というタイムで勝ち取ったと言う。鞍上は小林音吉騎手。

そして…タヌキと言えばこのキャラクターか…!?

ドラえもん瓩箸いμ樵阿稜
いまや世界でも日本を代表するアニメとして超有名なドラえもん。
もちろん、日本の競馬界では命名することは不可能だろうが、海外はやりたい放題(笑)。


【世界の爛疋蕕┐發鷙罩瓠

★Doraemon
父ムジタヒド
母ラスティックローン
母父ラスティカロ
アイルランド産の牡馬。1998年生まれ。

★Doraemon
父ロッシンレイカデーン
母シークレットスクープ
母父ロリーズジェスター
こちらはオーストラリア産のセン馬で2000年生まれ。70戦3勝2着7回3着9回という成績を残したタフなドラえもんだった。また2003年の6月香港でデビューした時にはエージオブレッドワインという名前だったが、翌2004年の5月に故郷のオーストラリアへと舞い戻り、なぜか「ドラえもん」と名づけられた(笑)。

★Doraemon
父ブレチェリーパーク
母アーティックポーラ
母父スワーヴダンサー
2005年に米国で生まれたセン馬。

…ドラえもんにお金を賭ければ、きっと願いも叶うはず…馬券に絡めばの話ですが(笑)。
エーブドラエモンという馬も南関東にいたなぁ…。
 


  ≪サクラ号≫

JRA発足後、一頭だけ爛汽ラ畸影箸量震召なされた馬がいる。
この馬はあのディープインパクトと同期で、2002年生まれの牝馬。
父バブルガムフェロー、母ファインストローク、母父グリーンダンサーという血統だった。


世界SAKURA

これまで世界競馬史上爐気ら瓩般震召気譴診呂18頭(サラブレッド。サラブラッド以外の全馬種含むと24頭。2017年3月時点)いる。この内2頭が牡馬。さらにこの2頭の牡の内1頭が去勢されセン馬となっている。
ちなみに世界最古の爍咤腺烹妝劭銑瓩1908年生まれの牝で、父チェリーツリー、母サンタリンダ、母父がセントサイモンという血筋の持ち主であった。

 

 

 


-という名前の馬

馬名の中に燹将瓩使われていた…というトリビアが霞むほどの衝撃(笑)。
果たして何と呼べばいいのやら…燹将瓠屮魯ぅ侫鵝…か?
信じ難い話だが、燹将瓩里澆婆震召気譴診呂5頭も存在しているのである。
最古のものが1764年に生まれた牝馬。次に現れた燹将畊罎鰐100年後の1870年。この馬は牡馬であった。それから1872年、1979年、1994年…と3頭が誕生し、全馬燹将瓩般症佞韻蕕譴燭里任△襪、全て牝馬だった。
謎が謎を呼ぶ燹将畊罎梁減漾その詳細や生涯に関してはすべて濃い霧の中、いまだ明らかとなっていない…。


金魚と名づけられた金色の馬

 
金魚って言えば…夜店で見かける金魚すくいを思い出すなぁ…。
夏の夜と金魚すくい…なんでこんなにマッチするのだろうか…本題とズレマシタナ。

さて…この“金魚”という馬名だが、英字表記でGold Fish瓠◆峩盖」で馬名登録されている。
しかも、毛色まで金色というのだから凄い。

んで、この仔↓がその馬。

  
この馬は列記としたサラブレッド。その毛色の正体はパロミノ!
この毛色のサラブレッドは非常に珍重な存在であり…と思いきや、この馬も立派な種牡馬。パロミノの種牡馬はその絶対数から非常に稀少価値が高いといえよう。この金魚…いや馬はヴァージニア州のとある牧場で元気に営みを送っている。
なんだか金運を呼び込んでくれそうな馬である(笑)。



電気
明治17年の上野不忍池競馬で登録されていた馬。
当時最新の文明の利器であり、明治11年に灯された電灯は新時代の象徴であった。
そんな馬になってほしいとの願がかけられた名前…と信じたい。



ちなみにはるか古の時代、それも大正時代の東北の草競馬におもしろい馬がいまして…
石巻市の水押地区にあったとされる競馬場においては、昭和6年10月3日の第一レースが何と何と
4,000mという超長距離で行われたみたいなんです!そこで勝ったのが、
デンワ(笑)という面白い名前(笑)の馬。現代競馬では到底ありえないことが、当時は日常的に起きていたんですね…


数字だけの馬名
現代では認められていないが、三一(サンイチ)、八十(やそ)といった数字だけの馬も明治の世には活躍していた。

卵かけご飯

2009年に中央競馬でデビューした馬で、美浦の柴崎厩舎に所属していた。
引退後は乗馬入りし、活躍している。
ちなみに…『ルシエルブルー』という全く異なる名前に改名(?)されたようである。


父ビワシンセイキ
母ホクトジョーオー
母父シンボリルドルフ

生年:2006年
性別:牡
毛色:栗毛


〔デビュー戦は中山競馬場のダート1,800mだった〕

オンナウルトラマン

2002年に生まれた荒尾競馬所属の牝馬。
父パークリージェント、母コリムシャーク、母父コリムスキーという血統で38戦1勝2着5回という成績に終わった。
ウルトラの母のことなのだろうか…?
 

 

“目覚まし”の馬名

昔の競馬の資料を眺めていたところ、なんとも面白い名前の馬を見つけました。その名は…

    『メザメル』

さらにその馬の母の馬名が…

    『メザマシ』

なんて遅刻しそうにない名前なんでしょう(笑)。
無遅刻で(?)調教を頑張ったためでしょうか、なんとこの馬、昭和2年に札幌で行われた(1927年)、帝室御賞典(天皇賞の前身、芝1,800m、5頭立て)に出走。見事優勝を飾っています。

ネルトスグアサ。(2010年生まれ。父アドマイヤジャパン、母ヒカルヤマト)

オキテスグメシ。(2011年生まれ。父アグネスデジタル、母ラインクリスタル)

これらとセットで覚えましょう(笑)。

 

 

母父と同名の名をもつダービー馬
その馬の名はスピリディオン。ユーゴスラヴィアの偉大な名馬なのだが、実はこの馬には他の馬にはない珍奇な側面がある。それは…母父の名も“スピリディオン”なのである。
全世界を見てみても、血統中の馬名と同名の名をもつ競走馬はほとんどいない。
しかし、この馬は母父と同名なのである。しかも、ダービー馬の栄誉まで勝ち取った、世界的にも貴重な名馬といえよう。


〔スピリディオン:1930年のユーゴスラヴィアダービーを勝っている〕

 

 

馬名をめぐってファン厩務員口論になった珍事
その昔、福山競馬場で起きた出来事。
カチカチヤマというアングロアラブがパドックに現れたところ、この馬の名前を見た老人二人組みが「ケツから火噴くんじゃないか(笑)」と嘲笑したところ、これを聞いた厩務員が激怒。
軽い口論で事は収まったものの、レースはすんなり収まらず、二人は腹の虫が収まらぬこととなり、頭からは怒りの炎が噴出。結局火を噴いたのは二人だったそうな。

  
▲『かちかち山』は民俗学上、想像を絶するような凄惨な話である…。
(絵:牧野宏志氏)


カチカチヤマ
父オカノヒリュウ
母ジャンボレディ
母父ニューサラトガ
生年:1998年
性別:牝
毛色:鹿毛
生涯成績;65戦9勝
※アングロアラブ

 

トウカイテイオーという名前のがいる。

皇帝ルドルフの仔として聡明かつ天才的才能を魅せたスーパーホース…

無敗の二冠からマックイーンとの最強決定戦、骨折を乗り越え、激闘を制して手繰り寄せた親子2代JC制覇…

そして奇跡の復活。涙溢るる有馬記念ですよ、アナタ。

そんな奇跡のスーパーホースが牛でもいるという!
その牛が

   闘 怪 帝 王

と言う名前(笑)。これはジョークでもなんでもなく、実在した牛。
闘牛なのです。闘牛と言うとスペインのイメージがありますが、日本でも闘牛はあります。
有名なのが沖縄の闘牛。この闘怪帝王も沖縄の牛で、鬼才的パワーで他を圧倒したようですが…

 

 

狄佑鯣瓩靴泙擦覦扠という理由で馬名変更を要求された馬

その馬の名前は…

コロンバインイズサッド

“Columbine is Sad”「悲しみのコロンバイン」という意味のこの馬名が物議を醸し出した名前である。

“コロンバイン”でピンときた方もいるかもしれない。

そう、1999年・米国コロラド州のコロンバイン高校へ銃を持った2名の少年が乱入し、15人もの生徒が犠牲になったという凄惨なあの事件…。この馬の名前は決してあの事件を由来としているものではない。

それと言うのも、すでに事件が起きた時、コロンバインイズサッドは12戦を消化して、3勝を上げており、日本円にして約1000万円近く稼いでいたのだ。つまり、事件発生の遥か前に馬名登録が行われており、この事件からとってつけた訳ではなかったのである。
しかし…馬名を見るたびに…この馬が走るたびに…遺族の悲しみを扇情する、それゆえ馬名変更が望ましい、との旨が統括団体に申請され、これがなんと受理されたのである。
馬名で馬券を買う…馬名でその馬に惚れる…という話はよく聞くが、馬名を見て悲しみに暮れるというのは中々ある事ではない。

 

 

爛織吻なる馬名の運命

タナ(TANA)と名付けられた馬は、なぜか4戦3勝で生涯を閉じている。

1966年に生まれたタナ号は父ヘザーセット、母バーブラという血統の鹿毛の牝馬であったが、

体格にも恵まれ、ステイヤー血統という事もありかなりの期待を背負っていた。

命名の由来はケニアに流れるタナ川。山間からインド洋へとそそぐこの川は緑の大草原を滔々と流れる大河であり、

アフリカはケニアを訪ねた際、この川を見ていたく感動した英国の作家シドニー・アンソワースが名付けている。

ニューマーケット競馬場でのデビュー戦は敗退するも、そこから3連勝。

春先のブックメーカーのオッズではオークスの1番人気にまで支持されていた。

アンソワース氏の友人でもあり、記者でもあるポール・ベネット氏が成績書を見ていて他に2頭、

これまでにタナと名付けられた馬がいるという。

その情報に同氏は興味を持ち、その2頭の素性を調べて欲しいと頼みでる。

1頭が1906年にフランスで生まれた芦毛の牡馬。

もう1頭が1936年にアメリカで生まれた栃栗毛の牝馬。これら2頭がタナと命名されたのだという。

タナ川の壮大かつ神秘性溢れる情景に心打たれ、名付けられたのであろうと、続報を心待ちにしていたが、

衝撃の回答が返ってきた。

「申し上げにくいのですが…他の2頭とも4戦3勝で生涯を終えています。」

その10日後、タナは調教中の事故で死亡してしまう。同じ馬名の馬が歩む同じ馬生。

命名された時点でタナ号の運命は決していたのだろうか?

 

【その後命名されたタナ号】

その後もタナ号は世界各地で名付けられている。

サラブレッドで全21頭。(1966年前にも2頭以外にもタナ号は7頭いた)

サラブレッド以外では22頭。(内1966年前に生まれていたのは8頭)

全43頭全馬が4戦3勝で生涯を閉じたのかは不明。

 

 

星屑の奇跡


米誌『アメリカン・タイムス』は、10年に一度のスペシャル企画として「私はいまだ信じられない!」というタイトルで、読者からの投稿を募り、究極の「信じられない話」、そのベストワンを選出している。
その栄えある1位を、競馬の内容で選ばれた時が、過去に一度だけある。

それはセクレタリアトの31馬身差圧勝でも、マンノウォーの100馬身神話でもなければ、ネイティヴダンサーの歴史的生涯唯一の敗戦でもない。ジョンヘンリーでも、シービスケットでもない。
地方競馬の取るに足らない一介の競走馬が呼び寄せた犂饑廰瓩力辰任△襦

1964年9月24日。
東京オリンピックが二週間前に迫った頃、米国はテキサス州ヒューストン郊外のノーフォーク競馬場で、それは起きた。
当日のメインレースは「ノーフォーク・メモリアル」(ダ2,000m)。
出走馬はわずか8頭だったが、新たなるスター候補誕生の可能性に、観衆は胸を膨らませていた。ダントツの1番人気(1.1倍)ニューアイルランド号は3連勝中ですべて大差勝ち。コースレコード1:58.4の時計は破格のもので、小さな競馬場に納まって終わるような馬ではないと、ファンもその未来のヴィジョンを脳裏に描く程の素質馬だった。戦法は逃げ。この日も同じように電光石火のスタートを切り、火柱のごとく立ち上がる砂煙を、背土産に、後続を突き離してゆく。あまりにも能力に差がありすぎたか、ニューアイルランドの加速は尋常ではなく、立ち上る砂塵、その様はロケットエンジンから排出されてゆく煙のようだった。
最終コーナーをカーブした時、確実なセーフティリードにそれは広がっていた。完全な独走態勢。
しかし、真黒な馬体が狂った弾丸のように、凄まじい勢いで伸びてくる。最低人気、単勝オッズ438倍という超大穴馬だった。ここ9戦すべてシンガリ負け。しかも前走はニューアイルランドから32馬身も引き千切られていた、とても掲示板すらないような脆弱馬。それがどうだ、みるみる内に黒い影は大本命を飲み込み、交わし去ってしまったのである。残り50m。勝利はもう間違いない。場内も騒然となり、悲鳴が飛び交い、中には頭を抱え絶望する者も。

その時である。
何とこの世紀の大駆け馬が、卒倒し転倒。
突然倒れこんでしまい、ピクリとも微動だにしなくなってしまった。
青天の霹靂、宙へと放り出された騎手もなすすべなく、馬場へとたたきつけられてしまったものの、幸いにも騎手の命に別状はなかった。
その横でニューアイルランドとその鞍上は拍子抜け、唖然としながらのゴールイン。

ところが、払い戻しは一時棚上げとなった。
ゴール直前で猛然と伸びていた馬が倒れるなど、どう見てもおかしい。
不正があったのではないか――。
大本命の絶体絶命を救うべく、何者かが穴馬へ発砲したものと、最初ジョッキークラブ側は判断。しかし、獣医による診断結果が、それは間違いであると証明した。
傷口から弾丸が見つからなかったのである。
緊急事態に警察も駆けつけ、馬の倒れた周辺もくまなく捜査が行われた。
そこで小さな血のついた石が発見された。
馬は、この石が当たって絶命したのである。

いや、待てよ…石を投げ入れた者などあの場にはいなかった。
メジャーリーグの選手を持ってしても、馬の額に命中させ、さらにはその命を奪うことなどできようか?
この石はさらなる精査の必要性があると、ノーフォーク署の化学研究室へと搬送された。
時経たず、この石の正体が明らかとなった…

それは…



隕石だったのである。

大差勝ち連続の1.1倍の馬が、438倍の連続シンガリ負け中である大穴馬の強襲を喰らうこともかなり稀な話であるが、その馬があろうことか隕石に打たれ、ゴール直前で命燃え尽きることは、それこそ天文学的数字の話である。

しかも。

この隕石と衝突した馬の名前は…





「星屑」という名前だったのである。


 

 

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馬・競馬にまつわる記録集 * 04:59 * comments(0) * - *

アパパネミリオン 〜世界同着memorium〜

アパパネミリオン
世界同着メモリアル
 

日本競馬史上、初となるGI1着同着劇となった2010年の優駿牝馬(オークス)。
内サンテミリオン、外アパパネ。雨中の乙女が織り成した激闘は、本年のみならず競馬史上に残る奇跡のレースとなった。
  
〔馬券の当りハズレを完全超越。こんな機会に邂逅(めぐりあう)ことはもうないだろう〕

しかし、世界は広い。本項ではこれまでトリビアコーナーで紹介したものも含め、ありとあらゆる同着の数々を紹介したい。今年2010年を代表するベストレースであるからこそ企画したスペシャルコラム。たっぷりとお楽しみ頂こう。


ダービー1着同着史
その昔…まだ写真判定が導入されていなかった時代(写真判定が始まったのは20世紀に入ってから)、あまりに際どい決着は完全に判別できる訳もなく、協議の結果、同着として処理されていたことが多々あった。
200年以上の歴史を持ち、燦然と偉光を放つ世界の頂点の一つである英ダービーでも同着は存在している。1884年のダービーがそれで、勝ち馬はセントガティエンとハーヴェスターの2頭。また、1828年には1着同着と見なされた2頭カドランドとザコロネルが決勝レースを行い、結果カドランドが栄えあるダービー馬に輝いた。
ちなみ世界主要各国のダービー史を見渡したところ、同着となったレースは上記を別に13例存在する。その詳細については、別記参照されたい(下部に掲載)。
しかし、その何れもが同着となった場合はそのまま平穏に収まっていた。また目視で勝敗を決定できないほどの接戦だった場合は決勝レースを行い、何れかをダービー馬に選定してきている。
ところがである…このどちらにも該当しないとんでもない事件が起きたことがある。

事件は1882年のドイツ。その年のクラシック第一弾メール・ミュンヘンス・レネン(ドイツ2000ギニー、芝1,600m)を快勝し、ダービーでの二冠を狙ってきたトラーケンバーグという馬が本命に目されていた。対抗格にはオーストリアのダービーを快勝して遠征してきたタウルスが挙げられていた。ホームで負ける訳にはいかない…負ける訳ないトラーケンバーグだったが、距離経験あるタウルスに大苦戦!2頭がデッドヒートを繰り広げ、寸分の差もないままそのまま並んでゴールイン!観衆が湧きに沸いたのは言うまでもないが、焦点はただ一つ…。

「どっちが勝ったのか!?」

長い審議の末、導き出されたのが同着であった。
しかし、これに納得いく訳のないトラーケンバーグ陣営はもう一度再戦だと言って譲らない。それもそうだ。相手は別国の馬、雪辱の機会はそうはない。隣国とは言え、現代のように交通網も同機関があまりにも脆弱な時代。ここで再戦して倒さねば、もう威厳は取り戻せない…かもしれない。
なんと、このあまりにも荒唐無稽の要求はあっさりと受け入れられ、90分後再度対戦することに。
しかし、しかし、これが悲惨な結末を生んでしまう!
な、なんと…トラーケンバーグはタウルスに3馬身以上も千切られ、完敗を喫してしまったのである(笑)。しかし、公式の優勝決定戦のマッチレースではなかったため、トラーケンバーグのダービータイトルは歴史の中残り続けることになるのであった…。



世界のダービー同着劇
※(上述の3例は除く)
■フランス
・1882年ダンディン&セントジェームス
・1886年サイコモア&ウパス
・1908年キンテッラ&シーシック

■アイルランド
・1924年ハイネ&ゾディアック
・1934年パトリオットキング&プリメロ

■ドイツ
・1872年ハイメネェウス&シーマン
・1875年パルミュラ&シンドラー
・1893年ゲェイアー&ハンデンブルグ

■アルゼンチン
・1894年ジェネラルラヴァル&ポルテナ


■オーストラリア(※AJCダービー)
・1919年アーティレリーマン&リッチモンドメイン
・1935年アルンガ&ホーマー


■カタール
※カタールダービー(ドーハ競馬場右回り、芝2,000m)
・2015年ルージュランナー&タナフ



日本競馬における同着劇

◇地方の1着2頭同着◇
・昭和46年11月27日の笠松競馬


三頭同着という奇跡

奇跡を超える奇跡。3頭が1着に並ぶ――。
そんな光景が英国では写真判定の導入以前に10回、導入後の1986年まででも5回、計15回記録されているという。一方、米国でもやはりそれは存在し、1940年以来17回も3頭同着の記録がある。1981年10月にリンカーン競馬場、同年12月サフォーク・ダウンズ競馬場で記録されたものが一番近年のものとして記録に残る。


 日本競馬の3頭同着史

明治13年(1880年)6月9日、春季横浜競馬3日目の最終競走終了後の別当競走で記録されたものが最古とされる。距離は1,600m。斤量は各馬56.6舛5頭が出走。デイジーチェイン、チェックメイト、アナンデールの3頭が鼻面を揃えてのゴールイン。15分後に3頭による優勝決定戦が行われ、アナンデールが優勝。2着にはデイジーチェインが入った。しかし、チェックメイトがゴール直後に落馬するという不可解なアクシデントが発生。直ちに審議が執り行われ、厳重なる精査の結果、デイジーチェインの機種が故意にチェックメイトに馬をぶつけたものと審判が下り、チェックメイトが2着に繰り上がったという。
大正9年(1920年)10月30日、秋季横浜競馬2日目の第7競走(各内国産馬1マイル)に7頭が出走。奇跡はこのレースで起きた。
レッドウイング(牝6)、ラトニヤ(牝6)、トコナツ(牝7)の3頭が同時にゴールイン。正規番組で3頭同着が記録されたことになる訳だが、レッドウイングは大正時代に日本レコードを記録したこの時代の名馬であり、また大正末期の名馬たちの母ともなった駿馬である。また一方で、トコナツはナスノなどの昭和初期の名馬を産んでいる。日本競馬史に残る母たちの1着同着劇だった。

昭和26年(1951年)11月17日、大井競馬アラブE2クラス、ダート1,200m。
オワリユタカ、カザリン、サガミヒメの3頭が1着3頭同着となった。
また昭和46年(1971年)11月27日、笠松の11レースにおいても3頭1着同着があった。
さらに、昭和61年8月20日の川崎競馬初日の第10R新涼特別(ダート1,600m)。
テスコカチドキ、アーノルドフジ、トランスワンダーの3頭同着。


▲〔川崎競馬の3頭同着決勝写真〕

平成の世に入ってからの3頭同着は、平成16年7月4日の高崎競馬6Rの1件。

GI級競走で3頭が同着になった事例は2件のみ。

まず1例目。
これは1944年の米国はアケダクト競馬場で行われたカーターハンデ(ダ1,400m)で起きた。
この競馬場でレコードも記録しているウェイトアビットが登場。
しかし予想外の苦戦を強いられ、ブラウニー、ボシュエットという2頭と共に鼻面を並べてゴールイン!


結果、これが史上初となる、GI級競走、およびステークスにおける3頭同着となった。
ウェイトアビットは生涯成績87戦19勝、2着16回、3着17回という強豪馬。他にはヴォスバーグハンデ、ベイショアハンデ、ロングストリートハンデ等を制していた。

GI級という括りなら2例となるが、クラシック競走における3頭同着というと世界でたったの1例しかない。



これが起きたのは南欧・情熱の国スペインにおいてである。
スペインのクラシック三冠体制は1952年に整備され、マドリッド競馬場が廃場となる1996年まで開催されていた。その内容は以下の通り。

【スペイン・
  クラシック
    三冠レース】


の三冠レース

シメラ賞
(芝1,600m、スペイン2000ギニー、1920年創設。創設時1,800m)

ヴィラパディエルナ賞
(芝2,400m、旧スペインダービー、1952年創設)


ヴィラメジャー賞

(芝2800m、スペインセントレジャー、1921年創設)



♀の三冠レース

ヴァルデラス賞
(芝1,600m、スペイン1000ギニー、1961年創設)

ビーモンテ賞
(芝2,400m、スペインオークス、1952年創設。創設時は2,000m)

ヴィラメジャー賞
(※上記に同じ)


この奇跡が舞い降りたのは、まさにクラシック施行開始初年度となる1952年。
この年のスペイン三歳牡馬はアユコという馬が二冠を達成。初年度にしていきなりの三冠馬出現か!?…と巷は大騒ぎ。さらにここへと初代オークス馬に輝いたエデラも参戦し、大激戦が展開されることに。観衆は湧きに湧き、セントレジャー最後の直線でボルテージは最高潮へと達した。
なんと二冠馬を蚊帳の外に、女王エデラとミカド、ミュリジョという伏兵が壮絶なデッドヒートを繰り広げ、3頭並んでゴール板を通過したのである。
結果…なんと!



   3頭同着!


なんと、1レースで3頭ものセントレジャー馬、GI(級)馬、クラシックウィナーが誕生してしまったのである!
しかも、その内の1頭は牝馬だというのだから、これはもはや永久不滅の奇跡的大記録と言っていいだろう。


一方、繋駕速歩競馬においても、非常に輪をかけて極稀にだが、3頭1着同着ということも起きている。
その史上最初となるのが、1953年の10月、米国フリーホールド競馬場にて起きた同着劇と言われている。

パッチオーヴァー、ペイネホール、ペニーメイドという3頭が鼻面を揃えてのゴールイン。
偶然にも3頭とも頭文字、日本語にするとぱ行馬名だったのは単なる偶然なのだろうか…?


1着4頭同着
昭和8年4月28日愛媛県三芳での春季競馬にて。
日本競馬史においてはこの1事例のみ。
  
▲〔10頭立ての1600mにて行われたこの競走にて、なんと一着が4頭、それらから半馬身差で3頭が同着。それからまた半馬身差で3頭が同着という世紀の大接戦〕

英国でも4頭同着が数件報告されている。
最古の記録として残るのが、1808年ボグサイド競馬場の50ポンド・プレートとされている。
また1851年の4月26日、ザホー競馬場のオムニバスSではデフォルター、パルチェリナ、レーンディーヴァ、ゼスクエアオブマルトンの4頭が1着同着。
1855年の10月22日、ニューマーケット競馬場の10ポンドスイープSでは5頭立てで発走され、ゲームスター、レディゴライトリー、オーバーリーチ、アネクスペクテッドら4頭が1着同着という記録。
これら3事例がそれである。
また、同着ではなかったが、ゴール前で6頭が横一列に並ぶという超大接戦が展開された事がある。
2009年の8月22日土曜日、米国はサラトガ競馬場の9レースにて起きている。


 ★同着アラカルト

2戦連続同着になった馬
キョウエイヤヨイ

生涯に3回も同着を経験した馬
ストレンジメグロ

2戦2勝同着2回の馬
イソエイイーグル

しかも同着になった相手まで同じである上に、2頭とも騎手まで一緒だったという。
1回目の同着は2001年11月30日。2回目は同年12月30日で、相手はプリンスガーデナーという馬だった。同馬は結局その後出走することなく引退。同着のみしか経験したことのない無敗馬という珍記録を残し姿を消したのであった。


騎手の夫婦1着同着
この珍記録は2006年6月6日、名古屋競馬の6日目(これだけ6瓩揃った時点で何か起きそう)の6R…ではなく、2Rで起こった。
この日このレース、名古屋競馬の看板娘である宮下瞳騎手が騎乗したのはヘイセイチャンス。一方同レースには夫である小山騎手もメイショウタンドルに乗って参戦していた。2頭は1頭を挟み、内と外で同時にフィニッシュ!判定の結果はなんと同着!夫婦で同着というのは史上初のケースであった。さすがは仲の良い夫婦。見事な共同作業であったとしかいいようがない(笑)。
同一種牡馬による1着同着
2016年10月1日、阪神競馬場5Rで行われた新馬戦(芝2000m・11頭)にて起こった同着。
中団追走から一旦は抜け出した福永祐一騎手騎乗の3番人気スズカフロンティア(牡2、栗東・橋田満厩舎)と、
外から猛然と追い上げてきた川田将雅騎手騎乗の1番人気サトノアーサー(牡2、栗東・池江泰寿厩舎)が並んでゴール。
写真判定の末、この2頭の1着同着となった。勝ちタイムは2分4秒8(稍重)。
後続は5馬身も引き離されてしまっていた。2頭とも父がディープインパクト。
世界競馬史上唯一となる同一種牡馬での同着劇。ディープは種牡馬としても奇跡を起こす。

馬・競馬にまつわる記録集 * 02:12 * comments(1) * - *

軍馬の蹄歴

軍馬蹄歴 

人と馬とが歩んできた遥かなる歴史探訪の旅程の歩みは、また狎鐐茘瓩領鮖砲鬚燭匹襪海箸任發△襦8殿紊砲けるチャリオットの時代から二度に渡る世界大戦まで、人と馬とは、片時も離別して考えることは出来ない、信頼の手綱を紡績し続けてきたのである。
ここでは、普段語られることのない、軍馬・戦馬たち、彼らと人類との轍にカンテラを燈し、反芻することで、端緒に至るまでの逡巡することにしようではないか。

軍馬・戦馬
彼らは、軍事専用を主幹根底に特別な調教を成された馬たちである。そのほとんどが血液の匂いを拒絶することなく、また人を踏みつけることも、蹴り飛ばすことも厭わない、強靭な鋼の精神構造を植えつけられた闘いのエキスパートである。
戦乱の歴史にはじめて馬が登場するのは紀元前19世紀のチャリオットであり、騎馬として駆り出されたのはユーラシア遊牧民のパルティア人馬弓兵だったという。

二つの世界大戦
騎兵旋回戦術は馬を知ることのない民族集団や地域、機銃兵器を持たない国には絶大な力を発揮していた(フン族によるゴート族の蹂躙やスペイン人におけるインカ帝国への侵攻など)が、銃器が浸透し、騎乗技術も発達した近世においては、軍馬はその存在価値を次第に失っていく。
背の高い馬は標的に成り易く、被弾する可能性も高い為だ。
しかし、その地形踏破能力は瞠目するに値するものとして、軍需物資の輸送や偵察手段の一つとして利用価値を見出された。このことから第一次・第二次大戦においても多くの馬が戦地へと赴き、名も無き歴史の受難者として、暗鳴の啼き声を断末魔に多くが尽滅していったのである。


▲目的地へと急ぐ為、河を行く馬と兵士


▲滅亡した街をゆく兵士たち

最後の勇姿
世界戦史上、馬が最後の活躍を果たしたのは1945年、老河口飛行場の占領作戦で、これは日本軍の騎兵第四旅団が遂行したものであった。
その日本、明治時代には軍馬の生産管理育成に当たる為の法制度を整備している。
1906年(明治39年)、内閣馬政局設置。1922年(大正10年)には馬籍法の公布により、すべての馬が馬籍に登録することが義務付けられる。

競馬法の制定
ほどなくして競馬法の発布の時がやってくる。ついに構築され、解き放たれたのが1924年(大正12年)のことで、その主たる目的は「軍馬の改良と増殖」という戦略的思考に基づく馬産奨励のものだった。

いまや忘却の彼方…戦火の中、露と消えていった人馬たちの想念を礎に現代の平和があることを、我々現代人は心に留め、日々歩んで行かねばならないのではなかろうか。

馬・競馬にまつわる記録集 * 03:35 * - * - *

馬券配当記録室

 【馬券記録


単勝記録

 ¥56,940 リバティホール

2014年4月26日、福島競馬場・第8R
芝1,200m、4歳500万下16頭立てにて番最低人気のリバティホールが優勝し記録。


2位 ¥55,870
タチバナヒメ


1955年10月22日、阪神競馬場・第6R
アラブ限定の芝2,000m、オープン特別8頭立てにてθ嶌把秧裕い離織船丱淵劵瓩優勝し記録。

3位 ¥52,280
タイコウオー


1961年11月11日、京都競馬場・第8R
アラブ3歳特別競走、芝1,400m17頭立てにて15番人気の番タイコウオーが優勝し記録。


4位 ¥49,410 
シルバーシカイナミ


1980年11月15日、京都競馬場・第2R
3歳未勝利戦、芝1,400m16頭立てにて最低人気の13番シルバーシカイナミが優勝し記録。



複勝記録

 ¥16,110 ヴィヴィアン

2010年6月26日、福島競馬場・第2R
3歳未勝利、芝1,200m。16頭立ての最低人気、ヴィヴィアンが3着入線し記録。


2位 ¥14,390 クリーンイメージ

2012年7月28日、小倉競馬場・第10R
唐津特別(500万)、ダート1,700m。16頭立て15番人気のクリーンイメージが3着入線し記録。


3位 ¥14,080 
トゥルーフレンド

2012年3月25日、阪神競馬場・第2R
3歳未勝利、ダート1,800m。16頭立て12番人気のトゥルーフレンドが2着入線し記録。



枠連記録

 ¥123,410
1着トルースターフ
   (6番人気)

2着シンナンプウ
   (8番人気)


1977年2月22日、小倉競馬場・第2R
4歳未勝利、芝1,600m、8頭立てにて枠連-で決着し記録。


2位 ¥106,440
1着ナンヨーアマゾネス
  (9番人気)

2着ブランドスリム
  (15番人気)


1997年3月29日、中山競馬場・第1R
4歳未勝利、ダート1,800m、8頭立てにて枠連-で決着し記録。


3位 ¥103,430
1着
フミノストーム
  (12番人気)

2着トーワスキー
  (14番人気)


2001年8月11日、小倉競馬場・第11R
TVQ杯(1000万)、ダート1,700m15頭立てにて枠連-で決着し記録。



  


ワイド記録

 ¥109,100
2着スカルラット
   (16番人気)

3着アデステフィデレス
  (12番人気)


2012年5月26日、東京競馬場・第2R
3歳未勝利、ダート1,600m、16頭立てにてワイド-で記録。


2位 ¥106,360
2着キングザブルース
  (14番人気)

3着マキシムギャラント
  (16番人気)


2012年1月9日、中山競馬場・第2R
3歳未勝利、ダート1,800m、16頭立てにてワイド-で記録。


3位 ¥105,370
2着
ディーエスサンダー
  (13番人気)

3着ダイコシャデ
  (16番人気)


2002年2月10日、東京競馬場・第4R
3歳500万、ダート1,600m、16頭立てにてワイド-で記録。



馬連記録

 ¥502,590
1着メイショウギリー
  (13番人気)

2着デンコウグリーン
  (12番人気)


2006年9月6日、中京競馬場・第3R
3歳未勝利、ダート1,700m、16頭立てにて馬連-で決着し記録。


2位 ¥437,390
1着ゼンノエキスプレス
  (16番人気)

2着カネスベネフィット
  (12番人気)


2005年10月22日、東京競馬場・第12R
3歳上1000万下、ダート1,400m、16頭立てにて馬連-で決着し記録。


3位 ¥431,970
1着
アジアンホープ
  (13番人気)

2着サクラダモン
  (11番人気)


2007年9月9日、阪神競馬場・第6R
3歳未勝利戦、芝1,600m18頭立てにて馬連-で決着し記録。



  

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馬・競馬にまつわる記録集 * 23:40 * comments(0) * - *

日本海記念(旧・蔵王賞)【ダイニヒメチドリ】怪時計の謎

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆
    日本海記念
ダイニヒメチドリ
    怪時計の謎
 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 

この世には、到底信じることの出来ないような、とんでもないレコードが存在する。
2010年のNHKマイルCにてダノンシャンティが3歳春にして1マイル1分31秒4という怪記録をゴール板へと槌雷させた瞬間は戦慄に鳥肌が立ち、目を疑ったものだが、驚愕的空前絶後の夢幻レコードと称歌讃嘆されたるタイムが世界には散在している。
それは例えばセクレタリアトのダート2,400m2:24.0であったり、南米にてクリスタルハウスという馬が記録した芝2,000m1分55秒2という記録。上がり3F31秒3をダート戦で叩き出した馬などだ。
これらのレコードタイムは地球上で記録されたとは思えぬほどの震天動地の超絶的もの。
まさに空中に浮遊する庭園のような存在であり、滔々たる歴史の潮流にたゆたう全き虚ろの一角白鯨と言えよう。
日本にも、こうした震撼に身を委ねるほかないミラクルレコードが存在する。
それが1976年9月26日、上山競馬場にて開催された日本海記念(ダート2,300m)で6歳(旧齢7歳)牝馬のダイニヒメチドリが記録した2:21.7というタイム
現ダート2,300mの日本レコードが、2002年にハギノハイグレイドが東海Sでマークした2:22.3。これは現在も破られていないばかりか、世界レコードでもある。しかし、30年以上も前の地方競馬の牝馬がすでに世界記録を保持していたのである。
しかも…さらに驚愕すべきことに、ダイニヒメチドリはアングロアラブなのである。


  
▲田舎町にささやかな佇まいを見せていた上山。川砂の敷かれたこの小さな競馬場で偉大なる伝説は誕生した。


廃競馬場に封印された伝説のレコード。このタイムは真実のものなのか。
調査を進めてみたところ…
実際は2:31.7である可能性が高かったようなのである。とは言え、このタイムでも凄まじい。このレースはアラブの豪傑であるレオグリングリンやドウカンガバナー、上山晩年のアラブ最強馬ペルターブレーヴも勝っているが、彼女のタイムには程遠い。以下に列記してあるので、ぜひ比較検討して頂きたい。

◆1976年
ダイニヒメチドリ 牝6
良2:31.7(2:21.7?)

◆1977年
オーナーズホダカ 牡8
良2:34.2

◆1978年 イソシオ 牡9
やや重2:39.6

◆1979年
ホクトパーシャ 牡6
良2:38.2

◆1980年
ホマレダッシュ 牡6
不良2:35.8



◆1988年
ドウカンガバナー 牡8
良2:35.5
※三連覇達成時。



◆1992年
レオグリングリン 牡6
良2:38.0

いかがだろうか?ダイニヒメチドリのタイムがいかに絶烈たるものかご理解頂けたと思う。
ちなみにダイニヒメチドリの2:31.7というこのタイムは、サラブレッドの超一流ダート馬たちとほぼ同等のものである。いくつか例をあげよう。初代JCダート馬ウイングアローが旭川ダート2,300で記録したタイムが2:32.5。メイショウトウコンが2:31.3。サカラートが2:32.2…近年の北海道競馬で最強クラスだったギルガメッシュが2:36.2…タイムパラドックスが2:31.4…

   


これ以上はもう何も言うまい。

時の流れに埋もれし伝説のスーパー・ミラクル・タイム。

2:21.7瓠

“ダイニヒメチドリ”。

謎が謎を呼ぶ、いまや神話のようなレコードタイムの話である。

馬・競馬にまつわる記録集 * 09:28 * - * - *

【世界競馬史上最年長のダービー制覇記録】

 
世界には多種多彩なダービーがあるが、史上最年長でのダービー制覇は…
なんと…






   67



60歳を超えてもまだジョッキーであるだけで驚きなのだが、なんと67歳とは!
ちなみに日本ダービーは増沢末夫騎手の48歳7ヶ月。

この67歳のダービージョッキーは、ハンガリーのポール・カライ騎手。第78回ハンガリーダービー(芝2,400m)を制した。この方、かなり異色の経歴の持ち主で、プロボクサーになるがジョッキーへと転身。リーディングジョッキーの座に立ったかと思いきやハンガリー動乱のため米国へと亡命し、ダービージョッキーの夢は断たれたかに見えた…いや、それなら米国で騎手になっちまえと、米国のジョッキーに本当になり、1718勝を上げる大活躍!
ところが今度は八百長事件に巻き込まれ、罪無きまま服役することとなってしまう。不運にも米国競馬界から追放され、民主化された祖国へと帰還。
そんな波瀾万丈な騎手人生の果てに待っていた栄光は、夢にまで見た母国のダービー制覇だったのであった…。
ちなみに彼にダービーの栄冠をプレゼントしたのはロドリゴ。生涯成績38戦11勝、他にはハンガリーセントレジャー(芝2,800m)などを制した歴史的名馬。

 
〔世界史上最年長のダービー制覇ゴールの瞬間〕


〔参考記録〕
日本では明治9年生まれの坂東角太騎手が昭和9年春の札幌・騎乗速歩に騎乗。
地方競馬では昭和3年生まれの海方昭三騎手が平成4年の樹氷賞をティーボイスで勝利。
翌5年にはアラブの蔵王賞をルビーキャップで勝利。


世界史上最年長騎乗記録
ハリー・ビーズリー


83

アイルランドの障害戦コリティアン・プレートにて、モーリーという自分の持ち馬に自ら騎乗したという記録がある。


【世界最長寿騎手記録】
騎手を務めた人物の史上最長寿者は英国の…

フォークナー
104


102歳で馬に乗ったという記録も持つが、この時の落馬で大怪我を負ってしまう。驚くべきことに32人の子供がおり、皆競に関わる職に就いたというからすごい。英国のアップルフォートで静かに暮らしていた世界最長寿の騎手である

馬・競馬にまつわる記録集 * 07:12 * comments(0) * - *

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