ホワイト☆メモリー※‐WhiteMemory-※【世界白毛馬大全】



     


世界最初白毛
  

ホワイトクロス

1896年、米国の地に生まれたこの牡馬こそが、記録に残る世界最古の白毛馬と呼ばれている。
父パレスタイン、母ブラックガール、母父カハァータウムという血統で、ナッシュヴィル近郊のカンバーランドにて障害レース(ハードル)で勝利を上げたと伝えられている。


日本最初白毛馬

1979年に生まれたハクタイユーがそれとされる。
父ロングエース、母ホマレブルという血統。
以下に一覧表を参照されたい。
日本初の白毛記録を完全網羅のリストである。


※本データベースは2009年度のもの。現在は全馬引退済みである。


▲ミサワパール
遺伝による白毛馬・日本第1号になる本馬。
青森県五戸町マルシチ牧場生産。


▲ハクホウクン
1997年(平成9年)12月30日の大井競馬第5Rで起きた、白い奇跡。
日本競馬史上はじめて白毛馬が勝った歴史的瞬間だ。


▲ホワイトワンダー


白雪姫の系譜




▲ユキチャン

ユキチャンの画像をクリックorタップで関東オークスの感動がもう一度!

                                                   
▲〔競走馬ではないが…与那国島に一頭だけいる白毛の与那国馬。大変貴重な存在である。〕

≪伝説の琉球競馬史上最強白馬≫
 ヒ




 発生メカニズム

白毛の発生は、佐目毛などのようにメラニン生合成に影響を与えるものではなく、メラニン細胞の数そのものが少ないことにより起こっている。簡単にいえば、斑が全身に広がったもの、と考えてよい。遺伝的にはアルビノではなく白変種の一種であり、3番染色体に存在するKIT(受容体型チロシンキナーゼc-kitをコードする遺伝子)の変異が原因である。c-kitは造血幹細胞やメラニン細胞幹細胞に発現するSCF(幹細胞因子)受容体で、胎生期、メラニン細胞前駆体はSCFのシグナルを受け取り、神経堤から表皮に遊走、そこで定着・分化する。KITに変異が生じると、この機構がうまく働かず、メラニン細胞が到達できなかった部位は白斑となって現れると考えられている。


   白毛

  • W1(フランシュ=モンターニュ種、Cigaleの系統) - 第15エクソンにナンセンス突然変異(c.2151C>G)。多くが体の上部に有色毛を持って生まれるが、成長とともに白化する例が多い
  • W2(サラブレッド、White Beautyの系統) - 第17エクソンにミスセンス突然変異(c.1960G>A)。この系統は米ジョッキークラブに白毛を認めさせる契機となった
  • W3(アラブ種、R Khasperの系統) - 第4エクソンにナンセンス突然変異(c.706A>T)
  • W4(カマリロホワイトホース、Sultanの系統) - 第5エクソンにミスセンス突突然変異(c.1805C>T)
  • W5(サラブレッド、Puchilinguiの系統) - 白毛や様々なぶち毛を出す系統で、サビノと白毛の中間型。第15エクソンに1塩基の欠失・フレームシフト、9アミノ酸残基後に終止(c.2193delG)
  • W6(サラブレッド、マルマツライブの系統) - 第5エクソンにミスセンス突然変異(c.856G>A)
  • W7(サラブレッド、Turf Clubの系統) - 第2イントロンに点突然変異(c.338-1G>C)
  • W8(アイスランドホース) - ヘテロで粕毛やサビノのようなまだら模様の馬を産する家系。第15イントロンに点突然変異(c.2222-1G>A)
  • W9(ホルシュタイン) - 第12エクソンにミスセンス突然変異(c.1789G>AGly597Arg)
  • W10(クォーターホース、Santanaの系統) - サビノとの中間型。第7エクソンに4塩基の欠失・フレームシフト、3アミノ酸残基後に終止(c.1126-1129delGAAC)
  • W11(南独挽系種) - 優性白。第20イントロンに点突然変異(c.2684+1G>A)
  • W12(サラブレッド) - 第3エクソンに5塩基の欠失・フレームシフト、10アミノ酸残基後に終止(c.559_563delTCTGC)
  • W13(クォーターホース) - 第17エクソンのにミスセンス突然変異(c.2472+5G>C)
  • W14(サラブレッド、シラユキヒメの系統) - 第17エクソンに54塩基の欠失(c.2392_2445del)
  • W15(アラブ種) - 第10エクソンにミスセンス突然変異(c.1597T>C)。見た目は白毛というより粕毛に近い
  • W16(オルデンブルク馬) - 第18エクソンにミスセンス突然変異(c.2489A>T)
  • W17(日本輓系種、白馬姫の系統) - 第14エクソンにミスセンス突然変異が2か所(c.[2001A>T;2020T>C])
  • SB1(多様な品種) - いわゆるサビノ。KITの第16イントロンに生じた点突然変異(c.2350-13T>A)により、スプライス異常が起こり、第17エクソン(23アミノ酸残基)がスキップされている。ヘテロ接合体はサビノと呼ばれる独特のぶち毛になり、ホモの場合全身がほぼ白くなる
  • Not Quite Whiteの系統 - サラブレッドにおける最大の白毛の系統
  • ハクタイユーの系統 - 日本で白毛が認められるきっかけとなった系統

     


 世界白毛



世界にはすごい白毛がまだまだいます。
史上唯一、現在のG1格のレースを勝った馬が、この馬。


史上唯一の白毛G1馬

モントブランク
その詳細は上の写真をクリックorタップしてご覧頂きたい。
フランスに生まれ、栗毛として登録されたこの馬は、驚愕の強さでクラシックを制した。
恐らく史上最強の白毛馬である。

 

世界最多勝白毛馬

ネヴァド

プエルトリコの離島、ヴェスケス島で育ったパールバックスキン馬(白毛)。

父ガルゴ。母キュビレット。父はマンノウォーの血を継承する系統。

ネヴァドの母、キュビレットの血統は不詳。それでも競走馬として登録されたことに、昔日の憐愍を感じてしまう。

1929年生まれ。生涯254戦29勝。1931年から1938年まで競走生活を続けた。

純白の光沢ある毛色と緑色の眼を持っていたという。全世界白毛世界最多勝馬
オーナーはアントニオ・キャティンチ氏。
ネヴァドはプエルトリコの様々な競馬場で競走していたが、一番のベストコースは

キンタナ競馬場だったという。
ネヴァードは引退した1939年の暮れ、崩御。

常軌を逸したレースへの連戦と酷使がその遠因となっているのかどうか、

その因果関係に関しては不明である。

 

【世界最古の白毛】
世界最古の白毛の牝馬誕生は1914年のイギリスに生まれた。
しかし、この馬は馬名登録されず、血統も不詳。
公的に認知された最古の白毛牝馬はこの下の写真に写るウォハー号だという。

ウォハーは、1925年、ドイツに生まれた。
ユーラシア大陸で初となる白毛馬でもあり、明瞭な記録として残るものでは、世界最古の白毛牝馬である。
この馬は父パーゴレス、母ロンジャ、母の父マジェスティックという血統で、完全な突然変異として生まれてきたものだという。
また、白毛の牝馬は白毛の馬を生んだ最古の例となると、1952年、オランダに生まれた白毛馬の記録がそれとされている。

  
▲〔オランダ発、世界最古の白毛親子〕

また2011年には南アフリカにて南アフリカ大陸初となる白毛馬が誕生している。

▲〔記録上、南アフリカで生まれた史上初の白毛馬グレートホワイト


▲〔カナダ初の白毛アークティックブライト。トムフール末裔でもある。〕



〔白毛馬から真っ黒な子馬が生まれることもある〕

 

まで白毛
2011年の1111ぞろいで生まれたアイヴィーという

牝の白毛馬は眼球まで真っ白で生まれてきた。

 


 【 アークティックホワイト 】

父 エアドリーエイペシェ
母 トロピカーナアンナ
父 レイズアマン

生年:1999年
性別:牡
毛色:白毛
国籍:アメリカ合衆国

シャドウマウンテンステーブル所有。現在はテキサス州に繋養されている。
ネイティヴダンサー、レイズアネイティヴ、ミスタープロスペクターのサイアーラインから突如出現した白毛馬。奇跡の大物輩出は成るだろうか。


 
〔父アークティックホワイト、初となる白毛の仔馬〕

米国では上記のアーックティックホワイトを含め、これまで33頭もの白毛種牡馬を送りだしてきたが、どの馬もお世辞にも成功とは言えなかっただけに、アーックティックホワイトに懸かる期待は大きい。


〔米史上32頭目の白毛種牡馬ザホワイトフォックス〕

砂漠月下美人

ムーンスノー
父 ケェイル
母 ビントビントリヤラ
母父 ギャミマニアル
生年:1941
性別:牝
毛色:芦毛(白毛?)
調教国:エジプト


白毛よりも白く、神聖なる太陽の心と月の翼を持つと崇められた伝説の幻駒。
競走馬としてではなく、象徴的存在として崇愛されていたようだ。
貴重な写真を何点か載せておこう。

▲〔エジプトらしい!?ラクダとのツーショット〕


▲〔晩年はより白く、まるで雪のようだったという〕

異色の白毛馬
ムスタファ

1883年エジプトに生まれ、スペインへと渡った種牡馬。


【白毛の無敗馬】
ザオペラハウス



グランドエスポワールブラン


史上最も愛くるしい奇跡毛ホース
マジカルゴールドダスト
 


【幻神】
キムオンレムイン


≪真・史上最強白毛馬≫
  


馬・競馬にまつわる記録集 * 08:41 * comments(0) * - *

【究極記録室】 〜驚愕連勝&最多勝&最多出走&負担重量記録ほか永久不滅の究極記録etc.超完全版.I





世界に散りばめられし、目を疑うような、究極絶烈震かつ永久不滅とも思える記録をご覧頂きましょう…。


世界最多連勝記録
(無敗で)

1位 56連勝
カマレロ(プエルトリコ)
 

2位 54連勝
キンツェム(ハンガリー)


3位 39連勝
ガルゴジュニア
(プエルトリコ)


日本最多連勝記録
(デビューから)
122連勝(伝説)
第二メルボルン

(横浜根岸・池上、サラ系・牝)

この記録は間違いであると、通りすがり様より情報をご提供頂きました。

事実上の1位は下のシュンエイのものになります。

あえて“幻の伝説”として、このまま表記させて頂きたく思います。

2位 20連勝
シュンエイ
(国営、アングロアラブ種)

3位 19連勝
チアズファンシー
(公営・佐賀)
※生涯成績28戦21勝


4位 18連勝
トウケイニセイ
(公営・岩手)

5位 17連勝
ベルモントアクター
(公営・船橋)
※南関東記録


世界史上
   最多連勝記録

(途中から)

149連勝
コフレス(参考記録)


2位 44連勝
コンダード

(プエルトリコ)

3位29連勝
※日本最高記録
ドージマファイター
(日本、公営・足利)



世界史上最多勝記録

 

487

(350(ヒート競走)+97(繋駕速歩))

スミ

クイーンオブトロッター。獲得賞金364,200ドル、当時の世界レコードが80年近く破られずに残った。

121戦92勝。1857年4月に生を受けた歴史的名繋駕速歩競走馬。
“クイーンオブトロッター”の異名を取り、ライバルたちは皆畏怖の念持って敬遠したという。
1864年から1877年まで走り続け、引退レースでは約20歳以上も若い牡馬を相手に圧勝し、ファンへと惜別を告げた。
古の米国繋駕速歩競馬の神話的女傑の話である――。

2位 359

ブラ

繋駕速歩競馬の王国スウェーデンが生んだ史上最多勝記録を誇る伝説のトロッター。

生涯出走回数ではフィンランドのレイパスに譲るが、勝利数では世界一。

477戦359勝[359-54-55-0-0-9]。

 

3位 348

イパ

フィンランドが生んだ超神話的名馬。1951年にデビューし1965年まで14年間も競走生活を続けた。

勝利数も全世界1位となる348勝。生涯1300戦

この記録はもう人類滅亡、競馬消滅のその日まで破られることはないだろう。

 

 

4位 342

シスライン

北欧繋駕の神話的名馬。

生涯成績386戦342勝。[342-17-16-0-0-11]。

 

5位 335

イングマール

北欧競馬伝説の300勝以上を上げた5頭の内の一頭。

生涯成績417戦335勝。[335-32-41-0-0-9]。

レジェンドファイブ5頭の成績を合計すると…

3280戦1701勝!!!もはやこの世の物とは思えぬ数字・・・

とても5頭で上げた成績とは思えない…すご過ぎる。

 

6位 317

ヴォンカウス

レイパスに同じくフィンランドにて記録を打ち立てたヴォンカウス号。

1961年に生まれ、1977年まで競走を続け、生涯出走数は700戦に達した。


7位 264

シングルジー

父 アンダーソンウィルクス
母 リトルジプ


生年:1910年4月4日
性別:牡
毛色:鹿毛
調教国:米国

生涯成績:436264勝[264-88-37-47]
額に浮かぶ“G”の文字を連想させる流星が命名の由来だという、歴史的ペーサー。
オーナーであるW.B.ベアフット氏の故郷、インディアナ州ケンブリッジシティにはシングルジーの壁画まであり、その街のノースグリーンストリートの一角には、彼が眠る墓碑がメモリアルとして残されている。


人々万民から慕われ、愛された歴史的名馬である。
14年間にも渡り走り続け、繋駕速歩競馬で唯一となる10万$ホースにも輝いた。



▲〔額に浮かぶ“G”の星。偉大なる勝利数は永久に語り継がれよう〕
     

 

8位 244

カリプリンセン

379戦244勝[244-77-51-0-0-7]。

スカンジナビアの誇る芦毛の怪物。

 

 

9位 239

モルテンブラジェソン

372戦239勝[239-16-23-18-66-10]。

史上最多勝馬ブラジェを父とする豪傑馬。

父子合わせての戦績は849戦598勝という凄まじさ。

 

10位 229

ステッグベスト

(左側の馬がステッグベスト号)

北欧繋駕速歩競馬の大種牡馬となる。

生涯成績389戦229勝。[229-83-50-17-0-10]。

 

 

11位 219

コムネスブランド

戦績308戦219勝[219-9-10-3-57-10]。

 

12位 218

カーク

271戦218勝[218-22-23-0-0-8]。

 

 

13位 206

モブ

繋駕速歩競馬で活躍した後、馬車馬として活躍。

生涯成績307戦206勝。[206-13-14-10-54-10]。

 

14位 203

クラースタッドジョン

334戦203勝。[203-26-29-22-47-7]。

 


15 200勝以上
古代ローマの戦車競走に使われた馬名不詳の馬



16位 197

コリスバール
(プエルトリコ)

17位 160
ヨウコノ
(プエルトリコ)

18位 152
コンダード
(プエルトリコ)

 
▲コリスバールのあまりにも目映い偉大なる197勝。


日本史上最多勝記録

第1位 トーオクオー 
104
(ばんえい、ペルシェロン種)294戦104勝。

第2位 フクパーク
62

(公営・園田アングロアラブ種

第3位 エスケープハッチ
54

(公営・高知アングロアラブ種)


日本生涯不敗連勝記録

第1位 ホウリン
1616
(船橋・小檜山悦雄厩舎)
父:ミキノチカラ
母:福里
母父:セントオー

アングロアラブで昭和38年8月から昭和39年3月に掛けて記録。
16連勝達成後、故障。その後殺処分となり、人知れずこの世を去っていった。

第2位 ツルマルサンデー
1515

荒尾・佐賀競馬で活躍していた父サンデーサイレンス、母ツルマルベッピンというなかなかの良血馬。最初は中央競馬に所属していた。

第3位 クリフジ
1111



世界GI史上最多勝記録
22勝
ハリケーンフライ(2004年生、愛国、父モンジュー)

生涯成績:42戦26勝
GI勝ち鞍一覧:チャンピオンハードル2回、アイリッシュチャンピオンハードル4回、ロイヤルボンドノヴィスハードル、フューチャーチャンピオンノヴィスハードル、チャンピオンノヴィスハードル、パンチェスタウンチャンピオンハードル、ハットンズグレースハードル、ディセンバーフェスティヴァルハードル2回、ラボバンクチャンピオンハードル3回、モルジアナハードル3回、リャンネアーハードル

平地限定のGI最多勝ジョンヘンリー16勝
 

 

同一レース連覇記録

◇同一レース連覇
★ゴールデンマイラー(牡、イギリス)
チェルトナムゴールドカップ5連覇、1932年〜1936年にかけて達成。

★ケルソ(セン、アメリカ)
ジョッキークラブゴールドカップ5連覇。1960年〜1964年にかけて達成。

★マニカト(牡、オーストラリア)
ウィリアムレイドS5連覇。1979年〜1983年にかけて達成。

★マンハッタンボーイ(牡、アメリカ)
ペースへヴンセーリングハンディキャップハードル5連覇。1986年〜1993年にかけて達成。

★ファーザーフライト(牡、イギリス)
ジョッキークラブカップ5連覇。1991年〜1995年にかけて達成。

マクダイナモ(セン、アメリカ)
ブリーダーズカップグランドナショナル5連覇。2003年〜2007年にかけて達成。

これはGI級競走の最多連覇記録でもある。

 

平地GI競走の連覇記録は4連覇。

・タイザノット(せん馬、オーストラリア) チッピングノートンS(1999年〜2002年)

・ヴィニーロー(牡、アイルランド) 愛セントレジャー(2001年〜2004年)

・イェーツ(牡、アイルランド)アスコットゴールドカップ(2006年〜2009年)

・ゴルディコヴァ(牝、フランス)ロトシールト賞(2008年〜2011年)

 

しかし、上には上がいるもので・・・

◇同一レース連覇
★ビーズウイング(牝、イギリス)
ニューキャッスルゴールドカップ6連覇。1836年〜1842年にかけて達成。

★ブラウンジャック(牡、イギリス)
クィーンアレクサンダーS6連覇、1929年〜1934年に達成。

★ゴッズソリューション(牡、イギリス)
レースアラウンドヨークシャーハンデキャップ6連覇。1985年〜1991年にかけて達成。

まだまだ上には上がいる!!・・・

◇同一レース7連覇
★ドクターシンタックス (牡、イギリス)
プレストン・ゴールド・C7連覇。 1815年から1821年にかけて達成。

★フランクピカード(牡、イギリス?)
グランドスティープルチェイスアットディエペ7連覇。1853年〜1861年にかけて達成。

★アルカポネ(牡、フランス)
ハイヤジョセリン賞7連覇。1993年〜1999年にかけて達成。

★リスクオブサンダー(牡、フランス)
ラトウチェカップ7連覇。1995年〜2002年にかけて達成。

そして、極めつけの世界記録は…

同一レース8連覇
(世界記録)

リーピングプラム
(セン、アメリカ)

グラスミックハンディキャップ8連覇。1995年〜2003年にかけて達成。

〔世界記録保持馬リーピングプラム。この永遠の金字塔を破る馬は現れることがあるのだろうか?〕

 


世界史上最多連敗記録
1位
192連敗
マイネアトリーチェ

父タマモクロス
母ブライトステージ
母父ラッキーソブリン

[0−2−6−184]

(牝/日本・笠松)
生年:2003年4月22日


同期はあのディープインパクト。そのディープが三冠を達成する2005年10月23日の京都競馬場第4レース、2歳新馬でデビュー。結果は9頭立て6着。その後、中央競馬では6戦0勝に終わり、金沢の服部健一厩舎へ移籍。しかし、移籍後も連敗を重ねてしまう。兵庫、愛知、笠松と所属を代えるものの連敗は続き、2012年1月9日の笠松競馬場第2レースで敗れ連敗数新記録となる180連敗を記録した。その後1度も勝利することなく、192戦0勝の成績で2012年7月16日に競走馬登録を抹消。


2位 179連敗
カンムリホルダー

父ロングニュートリノ
母グロウゲンザン
母父リヴリア

[0−6−11−162]

(牝/日本・園田)
生年:2001年5月1日


3位 165連敗
エリザベスクィーン
(牝/日本・園田)

〔エリザベスクィーン〕

4位 161連敗
ハクホークイン(牝/日本・浦和)

5位 159連敗
サシカタ(牝/日本・国営)

6位 140連敗
★シャッフル(牝/日本・園田)

7位 135連敗
ドナチェパ牝馬。米領プエル・ト・リコ島にて記録。日本馬以外では最多連敗記録保持馬。1998年生まれ)


8位 124連敗
オーロエネ牝馬オーストラリア・障害競馬にて記録)

〔オーロエネは1974年生まれ。写真は調教師のジョージ・チトス氏との一枚〕

9位 120連敗
★トサノカオリ(牝/日本・北海道)

10位 116連敗
★ブラックハーロック(牡/日本・園田)

11113連敗
★ハルウララ(日本・高知)

12 111連敗
★イリヤジョウオー(アラブ/牝/日本・川崎)

13位 108連敗
★グレースアンバー(牡/日本・名古屋)

またヨーロッパの最多連敗記録は、2001年にサウスウェル競馬場の障害戦で記録された100連敗。記録してしまったのはキザールクロセットという16歳の高齢セン馬で、飛越に失敗してのものだった。この時騎乗していたケント騎手は「今日は調子が良くなかった(笑)」とジョークでインタビューに答えていたという…。

 

中央競馬・国営競馬の連敗記録

《中央競馬》

94連敗

テンケイ

1957年から1960年まで連敗し続けた。

1957年が17戦、58年に37戦、59年は28戦、60年に12戦と猛ペースで消化。

内50敗が障害戦のものだったという。

 

《国営競馬》

111連敗

トキツバキ

1951年から1953年にかけて連敗を記録。わずか3年間でテンケイを超える連敗記録。

想像を絶するような酷使をされたことだけは間違いなかろう。

 

オマケ

世界史上最多連敗の予想家

216連敗
ニュージーランドのヘラルド紙の名物記者、ビル・パティスン氏がその人。
本命に推した216頭中、86頭が1番人気。
連敗がストップしたのは1981年4月28日。エスラリー競馬場の第4レース、単勝1.1倍のホットキャットが1着。

ついに連敗地獄のドロ沼を抜ける。
しかし、この歴史的(?)勝利を上げたのち、またも108連敗してしまうのだった…。
また彼は、あまりに当たらないのを逆手に取り(?)、『UNWELCOME FAVORITE』=「有り難くない本命」と自ら題した予想コラムを紙上にて連載していたという。


世界史上最多出走記録

 

1
1300
 

(フィンランド、繋駕速歩競馬)

ここでも登場。フィンランドが生んだ超神話的名馬。1951年にデビューし1965年まで14年間も競走生活を続けた。

勝利数も全世界1位となる348勝。生涯公式競走1300戦。ゲームの世界でも到底不可能と思えるこの記録1300走は、

もう人類滅亡、競馬消滅のその日まで破られることはないだろう。

着度数は[348-115-57-43-737](優勝-2着-3着-4着-5着以下)。


2位 
776
 
(スペイン)

〔平地競走225戦(ヒート競走含む)+繋駕速歩302戦(ヒート競走含む)+障害競走198戦+草競馬51走〕
競走年間22年。1912年〜1934年。バスク地方のとある農夫の農耕馬として生まれた白駒は、その純白麗美な舞う様な走りが見たいと、

負けても勝っても、雨の日も日照り続く日も、1日4戦5戦を問わず走り続けていたという。
 

3位 
700
 

 

第4位 コトブキライアン(ばんえい)

488

[37-59-60-66-68-198]

2002年6月1日にデビューし、2016年3月20日まで出走し続けた。

 

第5位 ブラ(繋駕速歩競馬)

477

[359-54-55-0-0-9]

繋駕速歩競馬の王国スウェーデンが生んだ史上最多勝記録を誇る伝説のトロッター。

生涯出走回数ではフィンランドのレイパスに譲るが、勝利数では世界一。


第6位 (牝馬)

476(公営)
 

第7位 クイックシルバーS
464

[▲クイックシルバーS。1949年生まれ。オランダの誇る歴史的名トロッター。生涯成績464戦142勝、2着76回、3着44回。]


第8位 シングルジー
436

(繋駕速歩競馬)


第9位 セニョールベスト
409
(高知競馬)

 

第10位 ヒブラゼ
406
(米国競馬)

1935年に生まれ、14年間も走り続けた名馬。

着度数[79-73-52-202]。

 

第12位 ステッグベスト
389
(北欧繋駕速歩)

 

第13位 カリプリンセス
379
(北欧繋駕速歩)

 

第14位 モルテンブラジェソン
372
(北欧繋駕速歩)

 


第15位 トヨタカ
374
(ばんえい)

 

第16位 イエロー
350

[▲イエロー。1981年生まれ。オランダ繋駕速歩競馬の殿堂馬。生涯成績350戦70勝。2着50回、3着36回]

 

第17位 アントン
348

[▲アントン。1959年生まれ。オランダの名馬。生涯成績348戦93勝、2着60回、3着41回]

 

第18位 スターオブゴールドスター
334

[▲スターオブゴールドスター。1976年生まれ。オランダの強豪馬。生涯成績334戦65勝、2着55回、3着44回]

 

第18位 クラースタッドジョン
334
(スウェーデン繋駕速歩)

 


次位 ミヤマリージェント
329
(高知)

ちなみにJRA記録はハートランドヒリュ127戦。
日本繋駕速歩競馬(昭和43年廃止)ではビージーキング271戦が最高記録。


史上最多出走頭数

66

1929年3月22日。
英国 マージサイドに位置するエイントリー競馬場でのグランドナショナルにて記録される。


平地競走史上最多出走頭数

58

1948年3月13日。
英国リンカーン競馬場のリンカッシャーハンディキャップというレースで記録される。

 

2013年8月10日、モンゴルにて催された18,000mの競走にて4,429頭の出走という記録もある。



負担重量・

  史上最重量世界記録

93K』

日本にて、キリキヨという牝馬が記録。小柄だが、異常な程の筋力があったという。
岩本亀五郎調教師が園田の騎手時代、鍛錬場競走で跨った際の記録だとされる。
記録年代:昭和20年代初期
記録地:園田
ちなみに同馬は前走で88Kを背負って勝っていたという。
タマツバキの83Kを超える馬がいたとは…。ちなみにサラブレッドの最高負担重量勝利記録は、1932年3月10日、札幌競馬の抽選馬競走に出走したフラミンゴー77


しかし!

190.5kgを背負って芝の1マイルを勝った馬がいるという記録も見つかった。
190.5ポンドの誤りである可能性が高いが、190.5ポンドでもキロ換算すると86kgをオーバー
キリキヨに続く記録ということになる。
しかし、190.5kgが本当だとすると、とてつもない超絶的記録となる。

 

【ばんえい競馬での負担重量勝利(出走)記録】

1,100kg

ハルトカチ 1969年10月19日 旭川競馬・農林水産大臣賞典にて記録。

シヤリイチ 1971年10月10日 旭川競馬・農林水産大臣賞典にて記録。

負担重量・

  史上最軽量世界記録

32K』

1854年の4月、エプソム競馬場にて行われたシティ&サバーバンHにて、
マークアンソニーという3歳牡馬がこの斤量で出走したという記録が残されている。
いったいどんな騎手が騎乗したのか?
もう一つ、同じような信じられない記録が残されている。
同じく英国にて記録された。1865年のケンブリッジャーH(芝1,800m)に
フランス伝説の名馬にして19世紀欧州史上最強とも称される
グラディアテュールが出走。この時グラディアテュールが背負わされたのは138ポンド(約62.6kg)。
対して対戦相手馬には裸同然の軽量が宛行われた。
この時最軽量斤量となったヌーという馬は斤量が35kg(77ポンド)だったという。
その斤量差27.6kg差という凄まじさ。
これが恐らく現代まで通しての斤量差世界記録と思われる。
ヌーは2着と好走し、グラディアテュールは距離が短すぎたこととこの狂気じみた斤量差が災いし、着外と大敗している。


牽引重量世界記録

35メートル、23トン

1951年、ソヴィエト連邦にてフォースという馬が牽引した
この重量が世界記録とされている。

 

牽引力

☆世界最高記録☆
ちなみに2頭力を合わせて牽引した世界記録としては、
1990年、米国ミシガン州にて402メートルに渡り、
130.9もの重量を凍結路貨物のソリを引いて
牽引成功したと伝えられている。

 

世界2位となる記録ははるか一世紀以上前に記録されており…
128t
1893年、2頭のクライスデール種が橇を使って運んだ木材は128トンもあったという。
これはアフリカゾウ22頭分もの重量。恐るべき牽引力。

  
▲〔クライスデール種の牡馬〕

 

 

跳躍力

▲〔クライスデール種の牡馬〕

2m47cm

この記録は1947年の2月5日、チリにて記録されたもので、以降名ジャンパーが世界各地、

恒河沙なまでに光来したものの、誰一馬として並ぶ者すら現れていないというアンタッチャブルレコード。

達成した馬の名は、ファーソ。

 

冬競馬の風物詩・中山大障害。あのレースで登場してくる名物「大竹柵」。

あの高さが160cmであることを思うと、驚愕の記録である。

この記録達成の時、ファーソは16歳という競技馬としてはかなりの高齢を迎えていたが、

馬としてのポテンシャルが全開となるより若い時代に、ジャンプホースとして活躍していれば、

もっと高い障害を飛ぶことさえ可能であった筈と言われる。



父 ヘンリーリー
母 トレミュラ
生年:1933年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:チリ

 

ファーソは自身の世界記録をも凌駕する、非公式の劇烈な記録もマークしている。
これは年月が定かではないが、25人の観衆を前に、フレッド・ウェタックJrの手綱で

跳越したとされる“2m89cm”

 

 

世界最長の一完歩
跳びが大きく、一完歩あたりの飛距離が半端ではないと言われるブエナビスタやクロフネだが、

日本馬で最も“飛んでいた”のはご存知の通りディープインパクトだ。
世界競馬においても、“飛んでいた”馬はいる。オセアニアの伝説的英雄ファーラップや米国史上最強馬セクレタリアトなどがその代表例。
※競走馬の平均的な一完歩は6.6mで、7m弱あればかなり凄い部類に入ります。ちなみに、人間の平均的完歩(一歩あたりの歩幅は)60〜70cm。


【名馬たちの一完歩】
セクレタリアト

7m38cm

※マールボロC勝利時の記録。

ディープインパクト(3歳時)
7m54cm

※菊花賞時の記録。

ディープインパクト(4歳時)
8m20cm

〔2006年有馬記念。最終コーナーで驚天烈震のワープ捲り。馬なりで押さえながらの有馬史上最速の3F33.8は、もはや神の領域のパフォーマンスであった〕

ファーラップ
8m27cm

しかし…これら偉大な名馬たちの栄光の記録を凌駕する記録が存在した!
 8m30cm
これは1951年、スペインのバルセロナにて、アマドミオという馬により達成された。

しかし!これをも上回る記録が存在した!! 世界最長の一完歩記録はこれだ!!

  8m40cm

1975年に南アフリカのヨハネスブルグにて記録されたという驚愕の一完歩。

わずか11完歩とちょっとで100mを走り抜く計算。なんという脚力の持ち主か。

 

馬が2足歩行で歩いた最長距離

 

29.09m

 

この記録は2009年、イタリアにてドックという馬が、グレゴリー・アンセロッティ氏の

手綱で記録されたもの。ギネス記録のテレビの中でのチャレンジであった。

 


世界競馬史上
     最多連続
 重馬場出走記録

35戦全戦馬場


この記録を達成したのは英国のブリアンウッドという牡馬。
超教学的な程に、超常的雨馬だった。
五日間連続開催の、この馬が出走した日だけが重馬場で、その他の四日間はすべて良馬場だったという記録が、13戦以上もあった。
さらに驚くべきは1981年7月2日、エプソム競馬場にて出走した時の怪異である。
ブリアンウッドは第6レースに出走登録していたが、1〜5レース良馬場。7〜9レースも当然良馬場。雨が降る兆候が全くなかったにも関わらず、6レースになった途端、偏西風に吹かれ真っ黒な一塊の雲がやってくると、競馬場は土砂降りの大雨に見舞われた。そして馬場監視委員は「やや重」と発表。ところがである。6レースが終了するや否や、競馬場は晴れ渡り、馬場もあっという間に乾き、良馬場へと変更されたという。
生涯35戦、全戦重馬場で走ったブリアンウッド。彼の4代母シンギングレインが雨を呼んでいたのだろうか――。
彼は引退後、雨不足に悩む米国はソルトレイクシティーへと渡り、ケント・ユーザック氏の下で余生を送った。それまで乾燥に喘いでいた土地は慈雨に恵まれ、嘘のように雨不足は解消されたという。


  

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馬・競馬にまつわる記録集 * 22:12 * comments(0) * trackbacks(3) *

【究極記録室】 〜驚愕連勝&最多勝&最多出走&負担重量記録ほか永久不滅の究極記録etc.超完全版.II

世界最高齢優勝記録

【 メ イ ダ ン 
父 ???
母 ???
母父 ???
生年:1869年
性別:牡
毛色:栗毛
調教国:英国


1869年にエジプトで生まれたというアラブ馬で、血統不詳。
12年間に渡りフランスと英国で平地競走を続けた。主な勝ち鞍にプンニャカップ。
しかし、ここからが圧巻で、なんと障害競走へと矛先を向け、23歳スティープルチェイス優勝したと記録には残されている。もしこれが事実ならば、史上最高齢で優勝した競走馬ということになる。

 

【平地競走の世界記録】

《最高齢優勝馬》
18
リヴェンジ(1772年生、牡、イギリス)

マークスマン(1808年生、セン、イギリス)

ジョーロックス(1833年生、牡、オーストラリア)

ワイルドアスター(1901年、セン、イギリス・フランス)

ソニーソマーズ(1962年、牡、イギリス)

以上の馬たちはなんと、18歳にして見事優勝を飾っています。
人間に換算すると・・・70歳中盤くらい・・・。 もぅスゴイとご苦労様ですの一言に尽きます(笑)。

《最高齢出走馬》
22


★クレッグモアボーイ
(1940年生、牡、イギリス)

1962年 6月 9日、ファーネス・セリング・ハンデキャップというレースに出走し、4着と好走。

人間の年齢でいえば、80歳ちょいくらいですね・・・。無事是名馬とは正にこの馬のためにあるような表現ですよね(笑)。

 

 

◇アラブ馬も含めた世界最高齢優勝馬

19

アルジャバル(イギリス)

2002年 6月9日、イギリスにて勝利を上げる。
純血のアラブ馬。



馬の世界最高齢優勝

  20歳

ゴールドスミスメイド

ゴールドスミスメイド


真・世界最高齢優勝記録

26歳
ジヨンキユ

父クレベル、母ジヨンキヰウデボア。
1925年(大正14年)生まれのアングロノルマン種の速歩用競走馬。
1951年(昭和26年)、帯広競馬場のレースに出走し記録された。
繁殖牝馬として、すでに11頭の母馬となっていたが、
戦後間もない頃で競馬場は競走馬不足に喘いでいた。
そこで駆り出された同馬は、信じられないことに驚異的競走能力を見せ、
2着以下を約100m(約33馬身差以上)も突き放し、超大差勝ちを果たしたという。


日本牝馬の
    最高齢優勝記録

※平地競走での最高記録。
  15歳

ヒサトモ
初となる牝馬による日本ダービーを制した歴史的名牝。1800〜3200mの距離を万能にこなし、26戦して14-3-5-5。なんと着外なし。75kgを背負って牡馬相手に2着したこともある豪牝。古馬になってからもオープン6連勝の後、秋の帝室御賞典(天皇賞)を勝つなど活躍。
しかし、期待に反して走る馬はまったく出ず、悪いことに1946年〜1949年まで連続不受胎と生産者を落胆させた。
結局、終戦の年1945年に生まれたブリューリボン(牝馬・父セフト)が最後の産駒となった。
繁殖
牝馬引退後、地方・神奈川は戸塚競馬場へと送られ、柏・八王子と駆けた。地方初出走は4着と敗れるも、1949年11月8日、幸か不幸か地方初勝利を上げる。しかし老体にはあまりに過酷なハードローテーションから心身ともに限界を超え、ついには雪が降る浦和競馬場で心不全により絶命したという。調教後間もない、静かな最後だったという。
あまりにも酷く哀れな最期。食糧難に貧困に窮する絶望的この時代。墓も作られなかった彼女がどんな末路をたどったかは、想像に難くない。しかし、誰もそれを攻めることはできない。現代のように何もかもが満ち溢れた光に照らされた時代ではなかったのだから…
しかし、彼女の残した唯一の牝駒ブリューリボンの牝系は数十年の時をえて奇跡の復活を果たす。
彼女の奇跡の血を継ぐトウカイテイオーの登場である。競馬のロマンがここに集約されている――。


日本牝馬の
    最高齢出走記録

※平地競走での最高記録。

 16歳
彼女の名はスウイトレース。
馬柱を拡大するので、その年齢に注目して頂きたい…



な、なんと
16歳!!!

人間の年齢に想定すると
約70歳!!!!!!!!


もちろんこの記録、この後17歳や18歳でスウイトレースは出走していたかもしれないし、他の非公式なレースでこれ以上の年齢で出走していた馬がいたかもしれないが、記録として残るものとしては、我国最高齢の牝馬の出走記録はこの岩手の農耕馬スウイトレースの16歳が最高記録となるであろう。

ちなみに、日本サラブレッド最高齢勝利記録オースミレパード16歳

日本障害界の
   牝馬による
    最高齢出走記録


  10歳

 コウエイトライ

父 オペラハウス
母 ダンツビューティー
母父 ホリスキー

生年:2001年鹿児島産
性別:牝
毛色:鹿毛
生涯成績:58戦12勝(内障害34戦11勝)
主な勝ち鞍:阪神ジャンプS4連覇、小倉サマージャンプ連覇、東京オータムジャンプ、新潟ジャンプSほか

こんなに凄い!コウエイトライ

・九州産馬の障害重賞制覇は1980年阪神障害Sのツカサパワー以来26年ぶり(2006年小倉サマーJ)

・九州産馬のJRA重賞2勝以上はゴールドイーグル以来29年ぶり(2006年阪神ジャンプS)

・北海道産以外の内国産馬によるJRA重賞最多勝利記録(それまではビワハヤヒデの7勝)を更新

・グレード制以降、障害重賞を制した牝馬は過去にテンビーエースとメジロベイシンガーの2頭(ともに1勝)だけで、牝馬ながら障害でここまで活躍したのはかなり稀有な例と言っていい

・2006年から二年連続、中山JG1を走ってもいないのにJRA賞・最優秀障害馬で得票、最優秀4歳以上牝馬でも1票

・障害重賞8勝はグランドマーチス、バローネターフの2頭を抜いて、障害重賞単独最多勝記録更新

・JRA史上初の同一重賞V4(2010年阪神ジャンプS)

・誕生から「10年5ヶ月12日」での出走は、牝馬の最高齢出走記録(2011年阪神ジャンプS)


日本牝馬の
    
最多連勝記録


26連勝


父 サトホース
母 ライトベンツ
母父 タガミホマレ
生年:1967年

金沢競馬が誇る桜幻の伝説女帝。
北陸地方で無敵を誇り、牡馬相手にも大レースを大勝。
2003年に荒尾のキサスキサスキサスが24連勝を記録したが、この馬の記録に並ぶまでにはいかなかった。

 

 

最年長デビュー記録

 

13歳

 

2013年10月1日の門別競馬にてデビューしたマーチャンダイズ号が記録。

父ホワイトマズル、母ロングシンシア(母の父ワッスルタッチ)という血統の同馬。

このデビュー戦は大差10着に惨敗している。

その次戦も大敗しているが、2017年3月時点でもまだ現役だという…

他では6歳でデビューという記録がある。

2012年9月25日、同じく門別でデビューのコマチャン(牝馬)という馬が記録。

父メイショウドトウ、母グランチャコ(母父グランドロッジ)のこの馬は、デビューから4連勝している。

2017年3月29日には高知競馬にてメモリーバッカス(父ネオユニヴァース)という6歳のせん馬が、

苦難を乗り越えて6歳デビュー(2着)を果たしている。

中央競馬では2000年5月6日の福島競馬にてタイキシャトルの弟、タイキチェイサーが日光特別(900万条件)に

いきなり出走し、6歳デビューでメインレースを優勝という珍記録を打ち立てている。



◆長寿記録◆

世界最高長寿
   サラブレッド

42

タンゴデューク
(1935〜1978年)

人間にすればなんと、160歳台という驚異の記録。

さらに…


<ポニー世界最長寿>
56

シュガーパフ
  
シェトランドポニーとエクスムーア種の雑種1950年に生まれ、2007年5月30日永眠。
お茶目で人懐っこく、乗馬用として活躍。引退後はボッティングさんが引き取り、世話をしていた。
ちなみに米国ヴァージニア州においてはテディ・Eベアというポニーが55歳まで生きたという記録が残っている。


▲〔テディEベアは1998年まで生きていたとのこと〕

<世界最長寿双子馬>
※記録更新中!

当たり前ですが…2頭そろって
25

ビル&ベン

1983年年生まれの双子馬。大抵の場合、双子や三つ子、多頭数が母馬の胎内で見つかった際は母体におよぶ危険を防ぐために1頭のみにし、悲痛だが、もう1頭は殺処分の運命を辿る。生まれてきても体に障害を患っていることがほとんどで、長生きすることなどは滅多にない。
彼らこそ、狄伸瓩“奇跡の名馬”なのかもしれない。
現役時、彼らは英国の動物園で子供たちを乗せる馬車馬として人気を博していた。現在はウェールズの牧場にて余生を静かに送っている。


〈史上最長寿の馬〉

62

オールドビリー
 (イギリス、1760〜1822年)
 

英国では有名な話らしく、運河のはしけ船をひく使役馬として、ごくごく普通一般の農家で飼われていたのだという。
飼い主はエドワード・ロビンソン氏。サラブレッド種とクリーブランドベイ種の混血馬。

人間にすれば、240歳台というとてつもない、永久不滅の大記録
ちなみに、人間の最長寿はフランスのジャン・ルイーズ・カルメンさんの122歳(1875〜1997年)。なんと画家のゴッホにも会ったことがあるらしいそうです。
しかし、240歳(62歳)という記録は人間の最長寿の2倍であり、到底辿り着くことのできない年齢。オールドビリー、ほんとうにすごい馬です!
※参考記録としてラッセというポニーが1919年に生まれ1987年の5月2日まで生きていたという記録も。
 これが本当なら68歳という驚愕的記録になるが…。信憑性はオールドビリーに間違い無い。

 

世界2位はアイルランドのシャイン号で51歳。


一方…
≪日本記録≫
サラブレッド最長寿記録

35歳3ヶ月19日
※記録更新中!(2014年9月2日時点)

シャルロット
父 アローエクスプレス
母 サローング2
母父 トラフイツク

生年:1979年
性別:牡
毛色:鹿毛
生涯成績:61戦2勝

シャルロットは1979年5月14日、北海道は静内に生まれ、『アローハマキヨ』の名で地方競馬で61戦2勝の成績を上げた。
引退後は乗馬クラブを転々とし、現在は長野県佐久市のスエトシ牧場に飼養されている。


次位
35歳3ヶ月11日


シンザン


日本全馬種を含めた最長寿記録

37歳5ヶ月

  
マリージョイ
栃木県にある筑波ライディングパークで繋養されている牝のアングロアラブ。競走馬名はスインフアニー。マリージョイは馬術競技馬名である。競走馬としても馬術競技馬としても大きな成績を残した馬ではない。2011年に日本における軽種馬の長寿記録を更新した。
父ダイリン、母トネチドリ。
1976年に門別の太田二郎によって生産される。競走馬としてはスインフアニーという名で、おもに紀三井寺競馬場、道営競馬に所属した。記録に残る範囲では1978年から1980年にかけ走り、通算成績は35戦3勝、206.9万円の賞金を稼いだ下級馬に過ぎなかった。引退後の経歴は詳しく伝えられておらず、不明瞭だが、馬術競技馬として活動していたと思われる。その後、2010年にサラブレッド系競走馬カネケヤキ(1961-1995。1964年二冠牝馬)が持っていた牝の軽種馬の長寿記録を更新し、2011年にはシンザン(1961-1996。1964年三冠馬)が持っていた日本の軽種馬の長寿記録35歳3か月11日を更新した。2013年8月16日永眠。


最高齢出産記録


35歳

小桜
この馬はばんえい競馬の牝馬で、人間の年齢に換算すると、なんとなんと150歳という歴史的…というよりありえない(笑)超大記録!


サラブレッドの記録


27歳
ミスリラ




▲〔他ではシル、モーニングヴィボーションらの25歳がつづく。さらなる記録更新はあるだろうか〕


世界最高生涯出産頭数記録

23頭出産

エストニアの牝馬ヒルダが記録したと言われる。
1890年中期から後期に誕生し、また彼女の子として
1925年に生まれた牝馬も17頭を生涯に残すという
大記録を打ち立てている。


最高齢種付け記録

31歳
ミスティック

1985年、米国はメリーランド州のウインドフィールズファームにて種付けを行い、翌年仔馬が誕生した。
この例が記録に残る物で、最高齢の種付け成功年齢記録とされている。
ミスティックは1954年生まれ。父レリック。


日本種牡馬の
    最高齢種付け記録

29歳
チャイナロック


ハイセイコーの父として名を知らしめた偉大な“性豪”。
次点はノーザンテースト28歳
 

驚愕の馬格記録室

〈史上最大の馬〉
体高21.25ハンド
(215.9僉


サンプソン
(イギリス、1846年生)


19世紀の英国に生を受けたサンプソンは4歳時の体高が215僂發△蝓体重はなんと1524圓發△辰燭箸いΑ
20世紀の記録として残るのは…

ドクタールギアー(1903生)
 
体高:21ハンド
(213僉
体重:3940ポンド
(1787圈

ブルックリン(1928年生)

体高:19.2ハンド(195僉
体重:3200ポンド(1452圈

彼らはサラブレッドではなく、ペルシェロンやベルギーという巨大な馬格を誇る種の馬なのだが、

それを踏まえてみてもあまりに巨体すぎる。

現在世界最大の馬
デューク

体高:200cm
体重:1トン

隣の人とポニーが子供に見えます…!!

ちなみに、牝馬の世界最大級馬は1966年7月15日に生まれたウィルマ・デュ・ボス
188の体高を有し、1973年の4月には1,459kgを記録。
実はこの時、ウィルマは妊娠しており、その時の腹周りは365(3m65cm)にも
なったという。出産後の彼女の体重は1,088〜1,134kgに落ち着いたとされる。


〈史上最小の馬〉

体高35
体重9


リトルパンプキン
(1973年生)


リトルパンプキンは小型のポニー種よりもはるかに小さく、驚くべきことに、なんと定規一本分の大きさしかなかったという。
そのポニー種の史上最小記録としては…

オードリー(1895年生、ポニー種)
体高36

オードリーは剥製にされ、100年以上たった現在も博物館にて展示されているという。

また、現在最小の馬としては…

ブラックビューティー
体高約48

当馬はギネスの認定も受けた、現在の世界最小馬である。


【2007年現在、最小の馬】

タンベニーナ
体高:約42cm
体重:約27kg


〔タンベニーナは、こんなにも小さい〕

記録更新!!

アインシュタイン
体高:35
体重:26

人間の赤ちゃんくらいの大きさしかないようで、ご覧のとおりまさに定規一本分のミニサイズ。

 

◆両親が通常サイズにも関わらず、

   ポニーサイズで生まれてきた

     不思議な馬チョコレート号

 ​​
この馬は1956年にニュージーランドで生まれた栗毛の牝馬で、「チョコレート」と命名された(毛色からの命名と推察される)。
しかし、どうしてポニーサイズで生まれてしまったのかは結局分からず終いで、今となっては突然変異の一種として考える他なくなってしまった。
この馬の父はフロリゼルの血を継ぐマッソワ、母がサンイロー系のパトラという馬なのだが、面白いことに父の馬主名が“マクドナルド”、父の母が『エヴァンゲリン』という、何ともファンシーな名前がチラホラ血統から顔を覗かせてくれるところが感慨深い。
なんだか、現代日本の“萌え〜”を先取りしたような馬である(笑)。

驚愕の身体的特徴

 ≪世界一の
   尻尾を持つ馬


​​
3.8メートル
(12フィート・6インチ)
サマーブリーズ
米国のカンザス州に暮らす牝馬。
2011年11月現在、ギネスブックにも載った最長の尾を持つ馬である。

​​
大人2人が持ってようやく…



がしかし!

これよりはやっぱりいるのです。
​​
尻尾
6.48メートル
※6m48cm

(17フィート)

鬣(たてがみ)
5.48メートル
※5m48cm

(11フィート)

ライナス

1884年、米国はオレゴン州に生まれ、営みを送っていた馬。成長するごとに毛も尋常ではない成長スピードをみせたという。
1891年には2世も誕生したが、同じような容姿をしていたという。


しかし…歴代最高最長記録は…

『史上最長の尻尾』

6.6メートル
(22フィート)


チヌーク
1890年代の米国、幸か不幸か…見せ物小屋で人気者となった幻の馬。
金色の毛色パロミノの影響もあってか、神々しい雰囲気すらあったという。
 ​​
▲〔見せ物小屋で雄姿を見せるチヌーク〕

一方、史上最長のタテガミを持つ馬は…

5.5メートル
(18フィート)


マウド
カリフォルニアに生きた馬で、そのタテガミは異様なオーラを取り巻いていたという…

                
【史上最長尻尾を持つポニー

​​
3.9メートル

チーフ
体高の3倍の長さ
の尻尾を持ち、その重さたるや300ポンドもあったとのこと…。

これを超える記録を出したポニーが21世紀に入り誕生!
その記録は…

4.08メートル

米国インディアナ州ニューパレスタインにあるブルックウッド農場に飼われている

シェットランドポニーのゴールデンシャンテの記録。
2010年の7月24日に計測されたものだという。ジャニーン・スパークス氏所有で、

「トッパー」というニックネームで親しまれているのだとか。

こんなロバも…
​​
オーストラリアにいる「Pvatu」と呼ばれる古代品種のロバだそうで…

 


​​
妙な装備の記録
​​
​​
真珠イヤリングをして競走していた馬

   ​​
1917年、フランスで生まれたイフウインターカムズという雌馬がその馬。
父はグランクリテリウム勝ち馬のブリュールール、母はデュリア賞など7勝を上げたバンゼット。
流線型の馬体で鹿毛の美しい馬体の馬だったという。
1919年8月、ニューマーケットでデビューし、英仏にて3シーズンに渡り活躍し、大玉真珠のイヤリングを煌かせながら、10勝を上げた。

◆なぜ、イヤリングをして競走生活を送っていたのか
時は遡り、1918年11月11日。
この日の午前5時、ドイツ代表のエルツベルガー団長はフランス、コンピエーニュに停車した四両編成の列車の中、休戦条約に調印。
第一次大戦が終わりの鐘を告げた。
この完全終結となる40分前、第一次大戦最後の銃弾と呼ばれる銃撃があった。
場所 はフランス最東部のストラスブール。
ドイツ人兵士を威嚇しようと連合国軍側が発砲した一撃が流れ玉となり、不幸にも一頭の馬の耳朶を貫通。馬は突然の出来事に狂奔し、卒倒。
何とか助け起こされ、治療を施されるも、馬主のフィリップ・ジョバンニ氏は大きく肩を落とし落胆した。
それもそのはず。
良血の期待馬である、その馬が耳に穴を開けられてしまった。
競走馬にとっての耳は、重要な部位である。他馬の接近する蹄音を聞き取り、風向きを察知し、鞭の撓る音で戦意を高める――。
しかし、耳に穴が開いてしまっては、その穴を通る風の音で正しい判断が下せなくなってしまうのである。泣く泣くジョバンニ氏も乗馬用馬として育てる決心をしていた。

​​
そこで意外な第三者から、救いの手が差し伸べられる。
フランスの女流作家マリカ・ロミトリ女史がこの馬を買い取りたいと名乗り出てきたのである。
彼女は、この馬を競走馬としてデビューさせようと考えていた。
ハンディを抱えても懸命に走るその姿が、戦争で傷ついた人々を勇気付けてくれるに違いないと確信しての発言だった。
この話を伝え聞き、胸打たれた米国大手の真珠業者パール・ブライトリーのウィリアム・グール社長が「もしよろしければ、このイヤリングをつけてやってください」と真珠のイヤリングを贈ってきたのである。

こうして世界でただ一頭、イヤリングを付けて走る競走馬が誕生した。
イフウインターカムズは、嫌が るこもなく、むしろそのイヤリングを自慢げに見せびらかすように、嬉々として走り回ったという。


​​

口紅をして競走していた馬
リップスティックという米国の牝馬がその馬。
また、この馬の初仔となるヘイルトゥビューティー(「美女万歳」!、という意味。未出走。)、そして彼女の初仔、スティックトゥビューティー(「美女に首ったけ」、という意味。3勝。)彼女らも口紅を塗って走っていた。
 ​​
◆なぜ口紅をして走っていたのか?

それは一人の美少女が起端となっている。
1956年のニューヨークにて、化粧品メーカー主催によるミス口紅コンテストが開催された。3000名の中から選ばれたのはジョセフィン・マーロー。弱冠18歳の少女だった。
彼女の父親は牧場経営をしており、その年に生まれた牝馬の中で一番鼻筋の通った馬に、プリティージョワと名付けた。“ジョワ”は娘ジョセフィンの愛称で、娘のミス口紅を記念しての命名だった。
しかし美人薄命の言葉のとおり、ジョセフィンは20歳でこの世を去った。
一方プリティージョワも不幸に見舞われ骨折。繁殖入りし、上記のリップスティックを産んだ。

口紅をつけたのは、 ジョセフィンの母親であるマーロー夫人の提案から。
「あの娘の思い出を、何かの形で残しておきたい」という、娘を想う親の愛情が生んだ珍事であった。

麦わら帽子をかぶって
     パドックを周回していた馬

​​
故・浅見国一調教師の管理馬たちがその馬。
エアロフォーム勝負服やゴム製の腹帯など、いまは当たり前となっている競馬用具の導入、先進的取り組みを精力的に行っていた浅見厩舎の馬たちは、夏の小倉開催や新潟開催のパドックにて、麦わら帽子をかぶり、周回していたという。
写真が今も残っており、ファンも目で涼を得たに違いない。



  世界
  不滅継続
   ◆ウルトラミラクル
 ◆スーパーレコード

1929年8月6日。
英国ブライトン競馬場にて記録。

芝1200m

1:06.15
(1分6秒2)
保守年数
85年。
北半球の芝1200レコードをいまだ継続。
現在の世界レコードは南アフリカのフォヴズフェイヴァリットが2000年にマークした1:05.68。
時代や調教・騎乗技術、そして馬場状態を考慮すると、真のワールドレコードはこちらか。
芝6ハロンの世界的施行回数を踏まえれば、いかにこの記録が偉大なものか、容易に想像できよう。
2029年まで破られなければ、レコード達成から100年目を迎える。果たしてレコード100周年なるか―――。


  
このタイムをマークしたのはファーマーズコルト
正式には無名のセン馬
所有者はF.Fermer氏。

 
▲ブライトン競馬場。創設は1783年という壮大なる歴史を持つ。1990年7月26日には、チェイスザドアという馬が、1マイル1:30.9というヨーロッパの馬場とは思えないタイムで駆け抜けている。


 史

22,526,000m
福島安正
  “バロン福島

福島少将はベルリンから日本まで、2年で約14,000マイルを走破したと伝えられている。
これは
騎馬を通じての人類の走行距離としては史上最長距離を誇るもの。
マイナス60℃の環境時も耐え抜いての歴史的偉業であった。
その強靭なる精神と謙虚な立ち居振る舞いから爛汽爛薀ぁΕ蹈鵐哀薀ぅ澄辞瓩箸靴匿魄Δ気譴討い襦
ちなみに…走破した14,000マイルをキロ換算すると…


22,526Km!

メートル換算すると…

22,526,000m!!

ちなみに騎乗した馬たちは、その後天皇家へと献納されたという。
その他関連あるアラカルトを列記。


史上最長の競走距離
1位 モンゴルダービー

※写真は『ナーダムの子供競馬』
1,000km
(1,000,000m)
百万メートル


次位 75km(75,000m)
エジプト、サハラ砂漠にて行われていたという耐久レース。
※エンデュランス競走では400km(400,000m)が最長。

1日における史上最長走破距離
311.6km(311,600m)
※20時間で達成。ドン種。

史上最長最短最速走破距離
4,752km(4,752,000m)
※84日間で記録達成。アーカル・テッケ種。

  
「こっちも
  凄い記録ですよ〜」

1万マイルを旅した人馬

1925年、エイム・チェフリー教授が、マンチャ(15才)とガトー(16才)という少年2人と共に、馬に乗って1万マイル(16,090km)を歩き通した。
スタートは南米アルゼンチンのブエノスアイレス。そこから約2年半の月日をかけ、北米のワシントン市に到着。途中には、越えるのが世界で最も困難な地域や危険な国が存在していたという。
この旅に使われた馬は『クリオージョ』という品種の馬で、世界最後の騎馬民族であるガウチョが乗る種の馬として知られる。

正確な走破距離は…

史上2となる
15,360km!!!


史上最長走破時間
120時間

1945年、5日間耐久レースへ出走し、見事優勝したターランというアハルテケ種の馬が最長の継続走破時間。この間、人馬ともに停止はもちろん、食事・睡眠すら一切とらず5日間走り通しでアシュハバード、モスクワ間を走破した。タクラマカン砂漠においても走り続けていたという。

エンデュランスレースでの記録
オーストラリアのエンデュランス競走は世界最長距離を誇る事で有名。
この競走名はトムクゥイリーゴールドカップ(400km)。1981年に始まる世界最高峰エンデュランスレースである。
第一回のテストレースを制したアラブ馬シャザンダは伝説として語り継がれている。


▲〔シャザンダ号〕

それもそのはず。シャザンダはこの第一回のクゥイリーカップ以外にも、84kg(13ストーン0.5ポンド)という超常絶する酷量を背負い、600マイル(965,606.4 メートル)もの距離を走破したこともあったというのである。
にわかには信じ難い記録である。

   【その他驚異的記録】

■1991年、米国騎兵用馬が5日間で483kmを走破したという記録がある。

■年代は不明だが、アラブ馬が482.7kmを522分で走破したという。

■これも年代不詳。オーストライアンストックホースが4日間で274kmを走った。しかも、この時の気温は37.8℃という炎暑に見舞われての記録だった。

■日本においては、8世紀頃、信濃官用馬がたったの1日で196kmを走破した記録が残されている。

馬・競馬にまつわる記録集 * 22:07 * comments(0) * - *

ピンクムーンスノーセラフィム 【一角白鯨冥環】〜unicorn展示室〜




▲木村蒹葭堂『一角纂考』一角獣図・一角魚身有鱗図(大阪歴史博物館編『木村蒹葭堂なにわ知の巨人』(展覧会図録、2003)

   
■一角獣(ユニコーン)の特徴
ユニコーンは、そのほとんどが、ライオンの尾、牡ヤギの顎鬚、二つに割れた蹄を持ち、額の中央に螺旋状の筋の入った一本の長く鋭く尖ったまっすぐな角をそびえ立たせた、紺色の目をした白いウマの姿で描かれた。
また、ヤギ、ヒツジ、シカに似た姿で描かれることもあった。角も、必ずしもまっすぐではなく、なだらかな曲線を描くこともあれば、弓なりになって後ろの方へ伸びていることもあり、鼻の上に生えていることもあった。
ユニコーンは、山のように大きいこともあれば、貴婦人の膝
に乗るほど小さいこともあった。時には様々な動物の体肢を混合させてできた生き物であった。ユニコーンと水には医薬的、宗教的な関係があるため、魚の尾をつけて描かれることもあった。アジアでは時おり翼を生やしていることすらあった。

  
▲壁画に描かれた有翼一角獣。

体の毛色も白色、ツゲのような黄褐色、シカのような茶色と変わっていったが、最終的には、再び輝くばかりの白色となった。

中世ヨーロッパの『動物寓意譚』(ベスティアリ, Bestiary, 12世紀)の中で、モノケロースとユニコーンはしばしば同じものとして扱われるが、中にはそれぞれを別のものとして扱うものもある。その場合、モノケロースはたいがいユニコーンより大きく描かれ、角も大きく非常に長い。またモノケロースの挿絵には処女が一緒に描かれていない。

フランスの小説家のフローベール(1821 – 1880)が『聖アントワーヌの誘惑』(La Tentation de saint Antoine, 1874年)第7章の中で一本の角を持つ美しい白馬としてユニコーンを登場させ、現在ではその姿が一般的なイメージとなっている。

〔ドメニコ・ザンピエーリ(1581 – 1641) 「処女と一角獣」 フレスコ画、ファルネーゼ宮、ローマ〕

ユニコーンのタイプ
一角犀
⇒犀の一種と考えられたもの。中国の本草書では犀の角には解毒作用があるとされていた。
これはイッカクの角や西洋の一角獣の角の逸話に通ずるものがある。

カイチ

⇒麒麟や鳳凰と同様に瑞祥を表す神獣であるが、その角で悪霊をつくとされ、鎮墓や魔除けに用いられたものである。
人の正邪をも判別し、不正な者を突くとされる。

白い聖獣タイプ
⇒一般的イメージの上記イラストと同じものである。

ユニコーンはどこから来たのか
一角獣は一体どこで成立したかは、実のところ分かっていない。

一角犀やカイチが西洋へ伝わって西洋のユニコーンになったとも、あるいはその逆とも考えられる。
『一角獣』著者のR.R.ベーア氏は次のように述べている。
ヨーロッパへはおそらくインドの山岳と川原を越えてもたらされたのではないか。
一角獣は三つの道筋を通ってやってきた。
第一の道はヨーロッパ古典古代。つまりギリシャとローマ人である。
第二の道は聖書であり、第三の道は初期キリスト教的色彩を帯びた自然科学書である。

ユニコーンが示すモノ
処女の前で心許すという伝承にキリスト教が関わることで、一角獣はキリストの象徴となり、処女は聖母マリアの象徴となる。
処女に抱かれたため、猟師に捕らわれてしまう一角獣はキリスト受難の象徴であり、一角獣伝説は多義性を持つに至るのである。
以下、ベーア氏の言葉である。
「一角獣がその幾重にも折り重なり、矛盾に満ちた、象徴的で神秘的な意義を獲得していったのは、本質的にはキリスト教を通じてであった。一角獣は早くからイエス・キリストを表す記号であったが、同時に死と悪魔を表すものでもあった。一角獣はあらゆるものに打ち勝つ主の力を意味し、同時に人間という罪ある衣に身を包む謙虚さをも意味していた。
例えば、一角獣は紋章として騎士の力と勇気を示す徴であり得たし、しかしまた同時に修道院の特性である“孤独さ”の象徴でもあり得たのである。一角獣が処女マリアの息子を表すことから、一角獣は貞節の象徴となる。しかし、馴致しがたい力ゆえに、一角獣はまた制御の利かない欲望をも体現し、その結果ここでもまた、古代とは異なった仕方ではあるが、極めて古い時代からの催淫薬としての角の用法が出現してくるのである。一角獣はキリスト教徒とその教会の統一を意味することもあれば、一方でキリスト教徒の敵、異教徒とユダヤ人を意味することもある。」

日本への伝来はいつだったのか
ベーア氏の著書を邦訳に当たった和泉雅人氏によれば、日本に伝わった「一角獣表象はおおよそ二通りの仕方で受容・育成されたといって良いだろう」と述べている。
すなわち、一つは漢訳仏典を経由した『今昔物語』の中の一角仙人であり、もう一つは南蛮渡来の書物から受容されたヨーロッパ型一角獣表象である。
前者は紀元前二千年頃成立の古代オリエント叙事詩『ギルガメッシュ叙事詩』に発し、インドの『マハーバーラタ叙事詩』所収の「リシュヤ=シュリンガ説話」のような聖人の堕落モチーフとなり、『大智度論』第十一巻などの漢訳仏典を経由して日本に入り、『今昔物語集』などに編纂されたものである。
後者は解毒作用を有する角を持つ一角獣に関わる伝承。寛文三年(1663年)に和蘭商館長が将軍家綱に献上したものに、ヨンストンの『禽獣鳥魚図』があった。その獣部に、角を持つ馬「独角獣」が載せられている。西洋の一角獣の姿が日本に紹介されたのはこの書を初めとすると考えられる。
しかし、実はキリスト教的な色彩を帯びた一角獣の話が、寛文三年(1663年)よりも前に伝わっていた。
それは天正19年(1591年)に刊行されたキリシタン版『サントスの御作業の内抜書』の「バルラアンとサン・ジョサハツ」の中に一角獣は現れているのである。

しかし…ここで疑問が残る。
キリストを顕す記号であるユニコーン=一角獣は天皇家の紋章獣でもあるのである。

▲〔皇室の紋章に現れる一角獣〕

キリストと天皇…何かの因果関係があるのでは。
謎多き人物である聖徳太子。彼がキリストだったとする説もあり、どこか遠い点と線で、リンクしているように感じられなくはないか。また古墳時代の馬の土偶に角のある馬の土偶も見つかっている。
これが意味することは…
  
▲〔角ある馬の土偶(奥)〕


 
1895年頃に東欧で誕生したという突然変異の一角白獣。
頭頂に確かに突起が見られる。
写像としてとらえられた一角獣として唯一伝説のユニコーンに近い存在はこの馬か。

こちらは1927年に生まれたといわれる一角白獣。

メンフィスという名前で、父はエジプト、母はシリア。
アラブの血統馬で額の部分に角のような突起が見られる。


 

  

  【一角白鯨冥環
ユニコーン展示室
 

一角白獣追想譚
“最後に2010年最新のユニコーン目撃譚あり”

 
サーカスに登場した
   人造ユニコーン

ランスロット


▲〔こちらはランスロットとは別のサーカスに所属していた角が生えてきた葦毛馬〕




日本に存在する
  角馬神話



1.三宅島・神着村の一角馬

2.山形県庄内地方の農家の角馬

3.茨城県の廃村に言い伝わる角馬

4.能登半島に降誕した能登駒の母

5.岐阜の武士の愛馬・山桜号

6.高千穂の龍駒

7.沖縄県久米島の琉球一角


8.佐渡ヶ島・馬首の駒角

9.長崎・阿蘇で育った白馬から生えた金色の双角

10.奄美大島に伝わる一夜で馬角が生える奇跡


神着村の角馬事件

神着一角
昌泰元年(898年)の1月24日。伊豆七島に浮かぶ三宅島の神着村で起きた事件。
壬生という家の妻女は、首山という山の方へ向かっていつも小用を足していたのだが、これを毎回見ていた馬がいた。ある時、妻女はからかい半分でこの馬へ話かけ、こう言った。

「お前に角が生えたら、何でも言う事を聞いてあげる」

妻女は、馬などが人間の言葉を理解できる訳がない、万一理解していたとしても、角を生やす事など出来るわけがないと思ったのだろう…それは当然のことである。
しかし、何という事か、この馬に本当に角が生えてきてしまったのである。妻女は何とか誤魔化そうとしたのだが、時すでに遅し。
妻女は馬の玩具にされ、最後は角で突き殺されてしまった。
(話にはもう一パターンあり、こちらは娘に小用を足させていた母親が「角を生やせたら娘をやろう」と問いかけ、馬に角が生えてくる)。

女性の家族は、これに震撼し、戦慄と怒りに身を震わせながら、馬を全員で手にかけ殺してしまったという。
馬の角は今もこの家に残され、死んだ馬は首神社の三島明神として祀られいると伝えられる。また殺害された女性は、こばし神社に祀られたのだとか…。

現在でも、事件の起きた1月24日の夜は、決して外へ出てはいけない、と戒められている。

 

その真実を現在うみねこは追っている――。
▲クリックorタップで、三宅島神着地区でのフィールドワークの調査結果をご覧頂けます!


     


 【一角獣(ユニコーン)
  まつわる主な展示物】
   

『奇跡の名馬』より
インプリウム

    

一角獣の角


『奇跡の名馬』より
「角の生えた競走馬」
セイクリッドホルン


一角獣の瞑譜録




聖なる一角獣“Unicorn” 〜角が生えた馬の話


一角獣(ユニコーン)にまつわる逸話集




〔彼らは実在するのだろうか…?一角獣は白毛であるため、強い芦毛馬や白馬はより一層幻想的に感じてしまう。そこに葦毛の強豪馬の人気の秘密があるような気がしてならない〕

ユニコーンのごとき
    伝説の白馬たち


史上最強アラブの白馬

遠き日の神話
    「伝説の白翼姫」




ユニコーンの骨格図



     
今回の写真元:Mr.Woolhouzen、Mr.Neelほか

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馬・競馬にまつわる記録集 * 09:21 * comments(0) * - *

センニンブロ

 

 【 センニンブロ 驚愕の世界連闘記録

書肆の架奥で手に取る文献・古文を読み漁り、いにしえの記録の海へとカンテラを灯す――。
そこで邂逅を果たした爛札鵐縫鵐屮蹲瓩覆詭焦呂離皀離タリをここに記す。

 ◆
 3日間で5戦3勝2着2回…
 平地・速歩・障害…
 レースの次にまたレース

 ◆

“仙人風呂”なのか“千人風呂”なのか、その名の由来は不明だが、この馬が刻んだ上記の記録がどれほどの凄い記録なのかというのも、世界競馬史に残る世紀の大記録であることも、断片のみでは判然さっぱりわからない。
それでは、その内約を仔細になぞって行くことにしたい。
時は大正9年。秋季函館競馬初日、第一Rの速歩競走(繋駕速歩競馬3,500m、2頭立て)にセンニンブロという黒鹿毛の馬出走し勝った。センニンブロはこの後小休憩を取り、同日第六Rにも再び登場。ここはフソウという馬の2着に敗れるが、なんと翌日また出走し、第六Rでイサミという馬の2着。ここまでは明治・大正期の競馬であればたまに見かける光景であったが、このセンニンブロという馬、恐ろしくタフだったようで、最終日の3日目にも参戦してきたのである。まず第一競走の速歩競走(4,000m)で圧勝。さらに、脅威的にもつづけて次の第二競走にもすぐさま顔を見せ、ここでも鮮烈な勝鬨を上げるのであった。しかもこの競走、障害競走だったのである。
つまり、このセンニンブロ、3日間1日も休むことなく、立て続けに出走し続け、なおかつ平地・速歩・障害という全く異質の三競走で勝利。しかも連対率100%をキープしたままで、最後の日には2レース立て続けの連闘ダービーの翌日にダービーを勝ったラッシュアウェイという米国馬もいたが、こちらはさらに凄まじい。これが世界競馬史最短の連闘異種競走勝利記録である。


▲〔スタンドへと向かうセンニンブロ〕

  
さすがのゼンヤッタもこの記録には舌を巻くかもしれない。
さて、もう一頭空前絶後の連戦連勝記録を残した馬を紹介する。
それがモノトニーである。


モノトニー
明治2年、横浜根岸競馬の秋季開催にて、ブリタニアカップ、チャレンジカップ、バンカーズカップ、レジャーカップ、売却ハンデキャップステークスと、5連勝。
なんと2日で5勝してしまったのである。
無人の荒野を行くがごとくの大勝の連続も、風刺雑誌の『ジャパン・パンチ』は、彼の馬名にかけ、「全く単調(モノトナウス)なレースでつまらない」と痛切に書記。完全に皮肉られてしまった。
これが2日間における世界最多勝利記録数である。

 

1日で8走した馬もいたと、札幌育種場競馬場の記録に残っている。

ちなみに、近代日本競馬における連闘最高記録
ラガービッグワン12連闘
1995年6月10日〜8月27日まで12週連続での出走。出走したレースは全12戦とも未勝利戦。最高着順は3着3回が精一杯だった。

現代競馬において、もはやこれらの記録を更新することは永遠に不可能。
それというのも、昭和39年から1頭の馬を2日連続して使用することが禁じられた為である。
それまでは土曜に出走した馬が日曜にまた出走してくるということもあったのだが、もう二度とこうした酷使をすることは出来ない。さらに、昭和44年からは出走してから4日を経過しなければ競馬に使うことも禁じられ、現世においては「出走した日から起算して5日以内に施行される競走については、出馬投票することができない」という規定が設けられている。
永久不滅の世界記録を持つ馬が、日本競馬の忘れ去られた時間の海にモノクロの残影を今も浮かべている――……。


馬/競馬の知識所蔵庫
  
基礎知識アーカイヴス


 
震天動地の世界記録集

 

馬・競馬にまつわる記録集 * 06:03 * comments(0) * - *

ギアロッピングゴースト 〜珍名馬たちのRequiem〜

 【ギアロッピングゴースト
珍名馬たちのRequiem


爛アロッピングゴースト瓠

これは本邦で命名された馬名なのである。
この馬名が、現代競馬ではありえない、おかしな馬名であることを、お気付きだろうか?


そう、11文字なのである。

無論、外国馬でもなければ外国産馬でもない。
紛れもない日本産の日本人馬主の馬である。
日本の馬は“9文字まで”という制約・ルールが確立されているが、まだ俎上が曖昧模糊と混沌としていた明治から昭和初期には、目を疑うような馬名が登録されていた。



昭和初期の長名馬

ナンバートウエンチーシキス(13文字)
※戦前最長馬名。日本調教馬としては史上最長の馬名。

ゼスカーレットピンパーネル(13文字)
※戦前最長馬名。日本調教馬としては史上最長の馬名。

フラックスゼファースト(12文字)

グレキユラスイスリエンス(12文字)
明治3年5月27日に横浜競馬場にて、送別賞盃(1,600m)にて優勝した内国産在来馬

クインオブゼダニューブ(11文字)
  
ウィル・オー・ザ・ウィスプ(13文字)
※戦前最長馬名。日本調教馬としては史上最長の馬名。

ジユピターユートピア(10文字)
※GI級競走優勝の日本調教馬史上最長の馬名。1936年の中山大障害春(現在の中山グランドジャンプ)勝ち馬。



珍名さんいらっしゃい♪


   

史上最も短い馬名


(1931年生)

父 アララシード一ノ四
母 第二華月
毛色 青毛


この馬は1934年4月8日春季京都5日1Rでデビューしたアラブ馬。しかし、成績は振るわず毎回着外。
なんと、デビューから3戦続けて単勝無投票。
アラブ血量69.5%、大きな流星をもつ馬だったという。

馬名にこれといった規制のなかった時代には、他にもたくさん変わった名前の馬が実在した。
例えば、馬名中に句読点が入っていたりするような馬までいたという。
はじめて規制がひかれた時は、拗音(ァ、ィ、ゥ、ェ、ォ、ャ、ュ、ョ)や促音(小さいツ)、また「ヴ」や「ヲ」が使用禁止な上、文字の制限も7文字までという、厳しいものだった。



史上最長の馬名馬

スノーティング・ベス・トレゴンウェルズ・ナチュラル・アラビアン・メアー

 


爛◆爾鱈瓩箸いμ樵阿稜

この馬は2004年4月24日に生まれた牡の栗毛馬で、実際にニューヨークの競馬場で走っていた。
何と33戦もし3勝を上げている。
実況ではアナウンサーも困り果て、“アーーーーーっ!!”と連呼して絶叫する始末(笑)。
この馬名が申請を許可されたことが不思議だが(笑)。

☆ARRRRR
生年:2004年
性別:せん馬
毛色:栗毛
調教国:アメリカ合衆国
生涯成績:33戦3勝[3-5-5-20]



アルファベット1文字の馬
日本における史上最短の馬名は「ヤ」であるが、海外にもこれに似たとんでもなく短名な馬が数多く存在している。
なんとアルファベットの1文字のみというぞんざい(?)な命名(笑)。これらはアルファベットのA〜Zまですべて実在しており、“A”や“X”はかなり多くの馬たちが命名を受けている。最多頭数を誇るのが“S”で、99頭のSが存在している。
ところが、これらの馬たちは全く振るわず、時の流れの中埋もれていき、いまやその記憶が脳裏にある者も皆無に等しい。





馬にもかかわらず、“”と命名された馬
どう見ても見た目は“馬”…。しかし呼ばれる名前は「ウシ〜!」とはこれいかに(笑)。
そう、立派な血統書付きの馬にも関わらず、『ウシ』という珍名が与えられた馬が、史上世界に2頭のみ存在している。
このウシ…じゃない、馬はオランダ産の馬で、名前を“ウシ”という(笑)。
ちなみに牝馬。
そしてもう1頭が、これまた牝馬で、こちらの馬は1986年に生まれている。生産国はアルゼンチンで、父ダツン、母ドリームフラワーズという血統で、凱旋門賞馬ジェベルの血を継ぐ良血馬だった。


  
〔こちら正真正銘の『ウシ』(笑)〕

彼女たちへと、なぜそのような名前が充てられたのかは謎のヴェールに包まれている。
ちなみに「ヒツジ」や「ヤギ」と名付けられた馬はまだいないようである(笑)。



Uma瓩般症佞韻蕕譴診

ある意味、隠語や猥褻な性的表現、そして前回取り上げた「ウシ」以上に禁断の名前とも言える究極の名前…


ウマ (笑)。


『ダービースタリオン』や『ウイニングポスト』などをプレイされた方ならば一度は名付けたであろうこの禁句。馬にも関わらず名前までもが「ウマ」とは(笑)。これいかに(笑)。
しかし、しかしである。事実は小説より奇なり…とはよく言ったもので、現実世界には爛Ε洵瓩般震召気譴診呂、数頭存在しているのである。その数は8頭。しかも、不思議なことに全馬牝馬という奇奇怪怪な事態となっている(笑)。


爛Ε洵畊罎燭疏8頭の生誕地と生年は以下の通り。

米国2頭

インド1頭(1967年生)

アルゼンチン2頭(1967年生・1994年生)

ブラジル(1976年生)

ドイツ(1995年生)

ウルグアイ(2002年生)

…の計8頭。思わず誰かに教えてあげたくなる珍話である(笑)


〔しかし…馬に「ウマ」と命名するとは(笑)。
「ウーマ」や「ユーマ」とも発音できようが、それでもやはり違和感がある。
そして何だか本末転倒な珍名だとも評せよう。


世界最古の爛Ε洵畊罎1929年に米国で生まれた黒鹿毛馬で、つい最近のものでは、2005年に同じくはアメリカで生まれた鹿毛の子馬が命名されているようだ。
ちなみに補足トリビアになるが、この狃藺絅Ε洵瓠∋弔靴神鐇咾156戦19勝という驚愕のもので、凄まじいタフネスぶりをみせていた。どうやら歴代の「ウマ」号史上最初にして最強とも言える強さを見せていたようだ…。

ちなみに、サラブレッド以外の馬種でも【UMA】と名付けられた馬は8頭いる。サラブレッド種を合わせると全16頭になる。

『Horse(馬)』

と名付けられた馬はさらに多く、これまでに全世界、全馬種で66頭いる。(2017年3月時点)


タヌキ

明治36年11月9日、横浜競馬場にて行われた中国は清国産限定競走(1,600m)にて優勝した馬の名前。
斤量156ポンドを背負い、2:20.4というタイムで勝ち取ったと言う。鞍上は小林音吉騎手。

そして…タヌキと言えばこのキャラクターか…!?

ドラえもん瓩箸いμ樵阿稜
いまや世界でも日本を代表するアニメとして超有名なドラえもん。
もちろん、日本の競馬界では命名することは不可能だろうが、海外はやりたい放題(笑)。


【世界の爛疋蕕┐發鷙罩瓠

★Doraemon
父ムジタヒド
母ラスティックローン
母父ラスティカロ
アイルランド産の牡馬。1998年生まれ。

★Doraemon
父ロッシンレイカデーン
母シークレットスクープ
母父ロリーズジェスター
こちらはオーストラリア産のセン馬で2000年生まれ。70戦3勝2着7回3着9回という成績を残したタフなドラえもんだった。また2003年の6月香港でデビューした時にはエージオブレッドワインという名前だったが、翌2004年の5月に故郷のオーストラリアへと舞い戻り、なぜか「ドラえもん」と名づけられた(笑)。

★Doraemon
父ブレチェリーパーク
母アーティックポーラ
母父スワーヴダンサー
2005年に米国で生まれたセン馬。

…ドラえもんにお金を賭ければ、きっと願いも叶うはず…馬券に絡めばの話ですが(笑)。
エーブドラエモンという馬も南関東にいたなぁ…。
 


  ≪サクラ号≫

JRA発足後、一頭だけ爛汽ラ畸影箸量震召なされた馬がいる。
この馬はあのディープインパクトと同期で、2002年生まれの牝馬。
父バブルガムフェロー、母ファインストローク、母父グリーンダンサーという血統だった。


世界SAKURA

これまで世界競馬史上爐気ら瓩般震召気譴診呂18頭(サラブレッド。サラブラッド以外の全馬種含むと24頭。2017年3月時点)いる。この内2頭が牡馬。さらにこの2頭の牡の内1頭が去勢されセン馬となっている。
ちなみに世界最古の爍咤腺烹妝劭銑瓩1908年生まれの牝で、父チェリーツリー、母サンタリンダ、母父がセントサイモンという血筋の持ち主であった。

 

 

 


-という名前の馬

馬名の中に燹将瓩使われていた…というトリビアが霞むほどの衝撃(笑)。
果たして何と呼べばいいのやら…燹将瓠屮魯ぅ侫鵝…か?
信じ難い話だが、燹将瓩里澆婆震召気譴診呂5頭も存在しているのである。
最古のものが1764年に生まれた牝馬。次に現れた燹将畊罎鰐100年後の1870年。この馬は牡馬であった。それから1872年、1979年、1994年…と3頭が誕生し、全馬燹将瓩般症佞韻蕕譴燭里任△襪、全て牝馬だった。
謎が謎を呼ぶ燹将畊罎梁減漾その詳細や生涯に関してはすべて濃い霧の中、いまだ明らかとなっていない…。


金魚と名づけられた金色の馬

 
金魚って言えば…夜店で見かける金魚すくいを思い出すなぁ…。
夏の夜と金魚すくい…なんでこんなにマッチするのだろうか…本題とズレマシタナ。

さて…この“金魚”という馬名だが、英字表記でGold Fish瓠◆峩盖」で馬名登録されている。
しかも、毛色まで金色というのだから凄い。

んで、この仔↓がその馬。

  
この馬は列記としたサラブレッド。その毛色の正体はパロミノ!
この毛色のサラブレッドは非常に珍重な存在であり…と思いきや、この馬も立派な種牡馬。パロミノの種牡馬はその絶対数から非常に稀少価値が高いといえよう。この金魚…いや馬はヴァージニア州のとある牧場で元気に営みを送っている。
なんだか金運を呼び込んでくれそうな馬である(笑)。



電気
明治17年の上野不忍池競馬で登録されていた馬。
当時最新の文明の利器であり、明治11年に灯された電灯は新時代の象徴であった。
そんな馬になってほしいとの願がかけられた名前…と信じたい。



ちなみにはるか古の時代、それも大正時代の東北の草競馬におもしろい馬がいまして…
石巻市の水押地区にあったとされる競馬場においては、昭和6年10月3日の第一レースが何と何と
4,000mという超長距離で行われたみたいなんです!そこで勝ったのが、
デンワ(笑)という面白い名前(笑)の馬。現代競馬では到底ありえないことが、当時は日常的に起きていたんですね…


数字だけの馬名
現代では認められていないが、三一(サンイチ)、八十(やそ)といった数字だけの馬も明治の世には活躍していた。

卵かけご飯

2009年に中央競馬でデビューした馬で、美浦の柴崎厩舎に所属していた。
引退後は乗馬入りし、活躍している。
ちなみに…『ルシエルブルー』という全く異なる名前に改名(?)されたようである。


父ビワシンセイキ
母ホクトジョーオー
母父シンボリルドルフ

生年:2006年
性別:牡
毛色:栗毛


〔デビュー戦は中山競馬場のダート1,800mだった〕

オンナウルトラマン

2002年に生まれた荒尾競馬所属の牝馬。
父パークリージェント、母コリムシャーク、母父コリムスキーという血統で38戦1勝2着5回という成績に終わった。
ウルトラの母のことなのだろうか…?
 

 

“目覚まし”の馬名

昔の競馬の資料を眺めていたところ、なんとも面白い名前の馬を見つけました。その名は…

    『メザメル』

さらにその馬の母の馬名が…

    『メザマシ』

なんて遅刻しそうにない名前なんでしょう(笑)。
無遅刻で(?)調教を頑張ったためでしょうか、なんとこの馬、昭和2年に札幌で行われた(1927年)、帝室御賞典(天皇賞の前身、芝1,800m、5頭立て)に出走。見事優勝を飾っています。

ネルトスグアサ。(2010年生まれ。父アドマイヤジャパン、母ヒカルヤマト)

オキテスグメシ。(2011年生まれ。父アグネスデジタル、母ラインクリスタル)

これらとセットで覚えましょう(笑)。

 

 

母父と同名の名をもつダービー馬
その馬の名はスピリディオン。ユーゴスラヴィアの偉大な名馬なのだが、実はこの馬には他の馬にはない珍奇な側面がある。それは…母父の名も“スピリディオン”なのである。
全世界を見てみても、血統中の馬名と同名の名をもつ競走馬はほとんどいない。
しかし、この馬は母父と同名なのである。しかも、ダービー馬の栄誉まで勝ち取った、世界的にも貴重な名馬といえよう。


〔スピリディオン:1930年のユーゴスラヴィアダービーを勝っている〕

 

同名異馬同レース出走事件

過去に2回起きている。オーストラリアの最大のレース、メルボルンカップにて、

1866年にファルコンという馬が2頭出走。1頭は3着に健闘したが、もう1頭は中団のまま惨敗。

翌1867年にはティムフィフラーという同名馬2頭が出走し、1頭は優勝。もう1頭も5着に健闘。

優勝したティムフィフラー号は生涯成績57戦23勝2着14回3着7回という歴戦の古豪であった。

 

馬名をめぐってファン厩務員口論になった珍事
その昔、福山競馬場で起きた出来事。
カチカチヤマというアングロアラブがパドックに現れたところ、この馬の名前を見た老人二人組みが「ケツから火噴くんじゃないか(笑)」と嘲笑したところ、これを聞いた厩務員が激怒。
軽い口論で事は収まったものの、レースはすんなり収まらず、二人は腹の虫が収まらぬこととなり、頭からは怒りの炎が噴出。結局火を噴いたのは二人だったそうな。

  
▲『かちかち山』は民俗学上、想像を絶するような凄惨な話である…。
(絵:牧野宏志氏)


カチカチヤマ
父オカノヒリュウ
母ジャンボレディ
母父ニューサラトガ
生年:1998年
性別:牝
毛色:鹿毛
生涯成績;65戦9勝
※アングロアラブ

 

トウカイテイオーという名前のがいる。

皇帝ルドルフの仔として聡明かつ天才的才能を魅せたスーパーホース…

無敗の二冠からマックイーンとの最強決定戦、骨折を乗り越え、激闘を制して手繰り寄せた親子2代JC制覇…

そして奇跡の復活。涙溢るる有馬記念ですよ、アナタ。

そんな奇跡のスーパーホースが牛でもいるという!
その牛が

   闘 怪 帝 王

と言う名前(笑)。これはジョークでもなんでもなく、実在した牛。
闘牛なのです。闘牛と言うとスペインのイメージがありますが、日本でも闘牛はあります。
有名なのが沖縄の闘牛。この闘怪帝王も沖縄の牛で、鬼才的パワーで他を圧倒したようですが…

 

 

狄佑鯣瓩靴泙擦覦扠という理由で馬名変更を要求された馬

その馬の名前は…

コロンバインイズサッド

“Columbine is Sad”「悲しみのコロンバイン」という意味のこの馬名が物議を醸し出した名前である。

“コロンバイン”でピンときた方もいるかもしれない。

そう、1999年・米国コロラド州のコロンバイン高校へ銃を持った2名の少年が乱入し、15人もの生徒が犠牲になったという凄惨なあの事件…。この馬の名前は決してあの事件を由来としているものではない。

それと言うのも、すでに事件が起きた時、コロンバインイズサッドは12戦を消化して、3勝を上げており、日本円にして約1000万円近く稼いでいたのだ。つまり、事件発生の遥か前に馬名登録が行われており、この事件からとってつけた訳ではなかったのである。
しかし…馬名を見るたびに…この馬が走るたびに…遺族の悲しみを扇情する、それゆえ馬名変更が望ましい、との旨が統括団体に申請され、これがなんと受理されたのである。
馬名で馬券を買う…馬名でその馬に惚れる…という話はよく聞くが、馬名を見て悲しみに暮れるというのは中々ある事ではない。

 

 

爛織吻なる馬名の運命

タナ(TANA)と名付けられた馬は、なぜか4戦3勝で生涯を閉じている。

1966年に生まれたタナ号は父ヘザーセット、母バーブラという血統の鹿毛の牝馬であったが、

体格にも恵まれ、ステイヤー血統という事もありかなりの期待を背負っていた。

命名の由来はケニアに流れるタナ川。山間からインド洋へとそそぐこの川は緑の大草原を滔々と流れる大河であり、

アフリカはケニアを訪ねた際、この川を見ていたく感動した英国の作家シドニー・アンソワースが名付けている。

ニューマーケット競馬場でのデビュー戦は敗退するも、そこから3連勝。

春先のブックメーカーのオッズではオークスの1番人気にまで支持されていた。

アンソワース氏の友人でもあり、記者でもあるポール・ベネット氏が成績書を見ていて他に2頭、

これまでにタナと名付けられた馬がいるという。

その情報に同氏は興味を持ち、その2頭の素性を調べて欲しいと頼みでる。

1頭が1906年にフランスで生まれた芦毛の牡馬。

もう1頭が1936年にアメリカで生まれた栃栗毛の牝馬。これら2頭がタナと命名されたのだという。

タナ川の壮大かつ神秘性溢れる情景に心打たれ、名付けられたのであろうと、続報を心待ちにしていたが、

衝撃の回答が返ってきた。

「申し上げにくいのですが…他の2頭とも4戦3勝で生涯を終えています。」

その10日後、タナは調教中の事故で死亡してしまう。同じ馬名の馬が歩む同じ馬生。

命名された時点でタナ号の運命は決していたのだろうか?

 

【その後命名されたタナ号】

その後もタナ号は世界各地で名付けられている。

サラブレッドで全21頭。(1966年前にも2頭以外にもタナ号は7頭いた)

サラブレッド以外では22頭。(内1966年前に生まれていたのは8頭)

全43頭全馬が4戦3勝で生涯を閉じたのかは不明。

 

 

星屑の奇跡


米誌『アメリカン・タイムス』は、10年に一度のスペシャル企画として「私はいまだ信じられない!」というタイトルで、読者からの投稿を募り、究極の「信じられない話」、そのベストワンを選出している。
その栄えある1位を、競馬の内容で選ばれた時が、過去に一度だけある。

それはセクレタリアトの31馬身差圧勝でも、マンノウォーの100馬身神話でもなければ、ネイティヴダンサーの歴史的生涯唯一の敗戦でもない。ジョンヘンリーでも、シービスケットでもない。
地方競馬の取るに足らない一介の競走馬が呼び寄せた犂饑廰瓩力辰任△襦

1964年9月24日。
東京オリンピックが二週間前に迫った頃、米国はテキサス州ヒューストン郊外のノーフォーク競馬場で、それは起きた。
当日のメインレースは「ノーフォーク・メモリアル」(ダ2,000m)。
出走馬はわずか8頭だったが、新たなるスター候補誕生の可能性に、観衆は胸を膨らませていた。ダントツの1番人気(1.1倍)ニューアイルランド号は3連勝中ですべて大差勝ち。コースレコード1:58.4の時計は破格のもので、小さな競馬場に納まって終わるような馬ではないと、ファンもその未来のヴィジョンを脳裏に描く程の素質馬だった。戦法は逃げ。この日も同じように電光石火のスタートを切り、火柱のごとく立ち上がる砂煙を、背土産に、後続を突き離してゆく。あまりにも能力に差がありすぎたか、ニューアイルランドの加速は尋常ではなく、立ち上る砂塵、その様はロケットエンジンから排出されてゆく煙のようだった。
最終コーナーをカーブした時、確実なセーフティリードにそれは広がっていた。完全な独走態勢。
しかし、真黒な馬体が狂った弾丸のように、凄まじい勢いで伸びてくる。最低人気、単勝オッズ438倍という超大穴馬だった。ここ9戦すべてシンガリ負け。しかも前走はニューアイルランドから32馬身も引き千切られていた、とても掲示板すらないような脆弱馬。それがどうだ、みるみる内に黒い影は大本命を飲み込み、交わし去ってしまったのである。残り50m。勝利はもう間違いない。場内も騒然となり、悲鳴が飛び交い、中には頭を抱え絶望する者も。

その時である。
何とこの世紀の大駆け馬が、卒倒し転倒。
突然倒れこんでしまい、ピクリとも微動だにしなくなってしまった。
青天の霹靂、宙へと放り出された騎手もなすすべなく、馬場へとたたきつけられてしまったものの、幸いにも騎手の命に別状はなかった。
その横でニューアイルランドとその鞍上は拍子抜け、唖然としながらのゴールイン。

ところが、払い戻しは一時棚上げとなった。
ゴール直前で猛然と伸びていた馬が倒れるなど、どう見てもおかしい。
不正があったのではないか――。
大本命の絶体絶命を救うべく、何者かが穴馬へ発砲したものと、最初ジョッキークラブ側は判断。しかし、獣医による診断結果が、それは間違いであると証明した。
傷口から弾丸が見つからなかったのである。
緊急事態に警察も駆けつけ、馬の倒れた周辺もくまなく捜査が行われた。
そこで小さな血のついた石が発見された。
馬は、この石が当たって絶命したのである。

いや、待てよ…石を投げ入れた者などあの場にはいなかった。
メジャーリーグの選手を持ってしても、馬の額に命中させ、さらにはその命を奪うことなどできようか?
この石はさらなる精査の必要性があると、ノーフォーク署の化学研究室へと搬送された。
時経たず、この石の正体が明らかとなった…

それは…



隕石だったのである。

大差勝ち連続の1.1倍の馬が、438倍の連続シンガリ負け中である大穴馬の強襲を喰らうこともかなり稀な話であるが、その馬があろうことか隕石に打たれ、ゴール直前で命燃え尽きることは、それこそ天文学的数字の話である。

しかも。

この隕石と衝突した馬の名前は…





「星屑」という名前だったのである。


 

 

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馬・競馬にまつわる記録集 * 04:59 * comments(0) * - *

アパパネミリオン 〜世界同着memorium〜

アパパネミリオン
世界同着メモリアル
 

日本競馬史上、初となるGI1着同着劇となった2010年の優駿牝馬(オークス)。
内サンテミリオン、外アパパネ。雨中の乙女が織り成した激闘は、本年のみならず競馬史上に残る奇跡のレースとなった。
  
〔馬券の当りハズレを完全超越。こんな機会に邂逅(めぐりあう)ことはもうないだろう〕

しかし、世界は広い。本項ではこれまでトリビアコーナーで紹介したものも含め、ありとあらゆる同着の数々を紹介したい。今年2010年を代表するベストレースであるからこそ企画したスペシャルコラム。たっぷりとお楽しみ頂こう。


ダービー1着同着史
その昔…まだ写真判定が導入されていなかった時代(写真判定が始まったのは20世紀に入ってから)、あまりに際どい決着は完全に判別できる訳もなく、協議の結果、同着として処理されていたことが多々あった。
200年以上の歴史を持ち、燦然と偉光を放つ世界の頂点の一つである英ダービーでも同着は存在している。1884年のダービーがそれで、勝ち馬はセントガティエンとハーヴェスターの2頭。また、1828年には1着同着と見なされた2頭カドランドとザコロネルが決勝レースを行い、結果カドランドが栄えあるダービー馬に輝いた。
ちなみ世界主要各国のダービー史を見渡したところ、同着となったレースは上記を別に13例存在する。その詳細については、別記参照されたい(下部に掲載)。
しかし、その何れもが同着となった場合はそのまま平穏に収まっていた。また目視で勝敗を決定できないほどの接戦だった場合は決勝レースを行い、何れかをダービー馬に選定してきている。
ところがである…このどちらにも該当しないとんでもない事件が起きたことがある。

事件は1882年のドイツ。その年のクラシック第一弾メール・ミュンヘンス・レネン(ドイツ2000ギニー、芝1,600m)を快勝し、ダービーでの二冠を狙ってきたトラーケンバーグという馬が本命に目されていた。対抗格にはオーストリアのダービーを快勝して遠征してきたタウルスが挙げられていた。ホームで負ける訳にはいかない…負ける訳ないトラーケンバーグだったが、距離経験あるタウルスに大苦戦!2頭がデッドヒートを繰り広げ、寸分の差もないままそのまま並んでゴールイン!観衆が湧きに沸いたのは言うまでもないが、焦点はただ一つ…。

「どっちが勝ったのか!?」

長い審議の末、導き出されたのが同着であった。
しかし、これに納得いく訳のないトラーケンバーグ陣営はもう一度再戦だと言って譲らない。それもそうだ。相手は別国の馬、雪辱の機会はそうはない。隣国とは言え、現代のように交通網も同機関があまりにも脆弱な時代。ここで再戦して倒さねば、もう威厳は取り戻せない…かもしれない。
なんと、このあまりにも荒唐無稽の要求はあっさりと受け入れられ、90分後再度対戦することに。
しかし、しかし、これが悲惨な結末を生んでしまう!
な、なんと…トラーケンバーグはタウルスに3馬身以上も千切られ、完敗を喫してしまったのである(笑)。しかし、公式の優勝決定戦のマッチレースではなかったため、トラーケンバーグのダービータイトルは歴史の中残り続けることになるのであった…。



世界のダービー同着劇
※(上述の3例は除く)
■フランス
・1882年ダンディン&セントジェームス
・1886年サイコモア&ウパス
・1908年キンテッラ&シーシック

■アイルランド
・1924年ハイネ&ゾディアック
・1934年パトリオットキング&プリメロ

■ドイツ
・1872年ハイメネェウス&シーマン
・1875年パルミュラ&シンドラー
・1893年ゲェイアー&ハンデンブルグ

■アルゼンチン
・1894年ジェネラルラヴァル&ポルテナ


■オーストラリア(※AJCダービー)
・1919年アーティレリーマン&リッチモンドメイン
・1935年アルンガ&ホーマー


■カタール
※カタールダービー(ドーハ競馬場右回り、芝2,000m)
・2015年ルージュランナー&タナフ



日本競馬における同着劇

◇地方の1着2頭同着◇
・昭和46年11月27日の笠松競馬


三頭同着という奇跡

奇跡を超える奇跡。3頭が1着に並ぶ――。
そんな光景が英国では写真判定の導入以前に10回、導入後の1986年まででも5回、計15回記録されているという。一方、米国でもやはりそれは存在し、1940年以来17回も3頭同着の記録がある。1981年10月にリンカーン競馬場、同年12月サフォーク・ダウンズ競馬場で記録されたものが一番近年のものとして記録に残る。


 日本競馬の3頭同着史

明治13年(1880年)6月9日、春季横浜競馬3日目の最終競走終了後の別当競走で記録されたものが最古とされる。距離は1,600m。斤量は各馬56.6舛5頭が出走。デイジーチェイン、チェックメイト、アナンデールの3頭が鼻面を揃えてのゴールイン。15分後に3頭による優勝決定戦が行われ、アナンデールが優勝。2着にはデイジーチェインが入った。しかし、チェックメイトがゴール直後に落馬するという不可解なアクシデントが発生。直ちに審議が執り行われ、厳重なる精査の結果、デイジーチェインの機種が故意にチェックメイトに馬をぶつけたものと審判が下り、チェックメイトが2着に繰り上がったという。
大正9年(1920年)10月30日、秋季横浜競馬2日目の第7競走(各内国産馬1マイル)に7頭が出走。奇跡はこのレースで起きた。
レッドウイング(牝6)、ラトニヤ(牝6)、トコナツ(牝7)の3頭が同時にゴールイン。正規番組で3頭同着が記録されたことになる訳だが、レッドウイングは大正時代に日本レコードを記録したこの時代の名馬であり、また大正末期の名馬たちの母ともなった駿馬である。また一方で、トコナツはナスノなどの昭和初期の名馬を産んでいる。日本競馬史に残る母たちの1着同着劇だった。

昭和26年(1951年)11月17日、大井競馬アラブE2クラス、ダート1,200m。
オワリユタカ、カザリン、サガミヒメの3頭が1着3頭同着となった。
また昭和46年(1971年)11月27日、笠松の11レースにおいても3頭1着同着があった。
さらに、昭和61年8月20日の川崎競馬初日の第10R新涼特別(ダート1,600m)。
テスコカチドキ、アーノルドフジ、トランスワンダーの3頭同着。


▲〔川崎競馬の3頭同着決勝写真〕

平成の世に入ってからの3頭同着は、平成16年7月4日の高崎競馬6Rの1件。

GI級競走で3頭が同着になった事例は2件のみ。

まず1例目。
これは1944年の米国はアケダクト競馬場で行われたカーターハンデ(ダ1,400m)で起きた。
この競馬場でレコードも記録しているウェイトアビットが登場。
しかし予想外の苦戦を強いられ、ブラウニー、ボシュエットという2頭と共に鼻面を並べてゴールイン!


結果、これが史上初となる、GI級競走、およびステークスにおける3頭同着となった。
ウェイトアビットは生涯成績87戦19勝、2着16回、3着17回という強豪馬。他にはヴォスバーグハンデ、ベイショアハンデ、ロングストリートハンデ等を制していた。

GI級という括りなら2例となるが、クラシック競走における3頭同着というと世界でたったの1例しかない。



これが起きたのは南欧・情熱の国スペインにおいてである。
スペインのクラシック三冠体制は1952年に整備され、マドリッド競馬場が廃場となる1996年まで開催されていた。その内容は以下の通り。

【スペイン・
  クラシック
    三冠レース】


の三冠レース

シメラ賞
(芝1,600m、スペイン2000ギニー、1920年創設。創設時1,800m)

ヴィラパディエルナ賞
(芝2,400m、旧スペインダービー、1952年創設)


ヴィラメジャー賞

(芝2800m、スペインセントレジャー、1921年創設)



♀の三冠レース

ヴァルデラス賞
(芝1,600m、スペイン1000ギニー、1961年創設)

ビーモンテ賞
(芝2,400m、スペインオークス、1952年創設。創設時は2,000m)

ヴィラメジャー賞
(※上記に同じ)


この奇跡が舞い降りたのは、まさにクラシック施行開始初年度となる1952年。
この年のスペイン三歳牡馬はアユコという馬が二冠を達成。初年度にしていきなりの三冠馬出現か!?…と巷は大騒ぎ。さらにここへと初代オークス馬に輝いたエデラも参戦し、大激戦が展開されることに。観衆は湧きに湧き、セントレジャー最後の直線でボルテージは最高潮へと達した。
なんと二冠馬を蚊帳の外に、女王エデラとミカド、ミュリジョという伏兵が壮絶なデッドヒートを繰り広げ、3頭並んでゴール板を通過したのである。
結果…なんと!



   3頭同着!


なんと、1レースで3頭ものセントレジャー馬、GI(級)馬、クラシックウィナーが誕生してしまったのである!
しかも、その内の1頭は牝馬だというのだから、これはもはや永久不滅の奇跡的大記録と言っていいだろう。


一方、繋駕速歩競馬においても、非常に輪をかけて極稀にだが、3頭1着同着ということも起きている。
その史上最初となるのが、1953年の10月、米国フリーホールド競馬場にて起きた同着劇と言われている。

パッチオーヴァー、ペイネホール、ペニーメイドという3頭が鼻面を揃えてのゴールイン。
偶然にも3頭とも頭文字、日本語にするとぱ行馬名だったのは単なる偶然なのだろうか…?


1着4頭同着
昭和8年4月28日愛媛県三芳での春季競馬にて。
日本競馬史においてはこの1事例のみ。
  
▲〔10頭立ての1600mにて行われたこの競走にて、なんと一着が4頭、それらから半馬身差で3頭が同着。それからまた半馬身差で3頭が同着という世紀の大接戦〕

英国でも4頭同着が数件報告されている。
最古の記録として残るのが、1808年ボグサイド競馬場の50ポンド・プレートとされている。
また1851年の4月26日、ザホー競馬場のオムニバスSではデフォルター、パルチェリナ、レーンディーヴァ、ゼスクエアオブマルトンの4頭が1着同着。
1855年の10月22日、ニューマーケット競馬場の10ポンドスイープSでは5頭立てで発走され、ゲームスター、レディゴライトリー、オーバーリーチ、アネクスペクテッドら4頭が1着同着という記録。
これら3事例がそれである。
また、同着ではなかったが、ゴール前で6頭が横一列に並ぶという超大接戦が展開された事がある。
2009年の8月22日土曜日、米国はサラトガ競馬場の9レースにて起きている。


 ★同着アラカルト

2戦連続同着になった馬
キョウエイヤヨイ

生涯に3回も同着を経験した馬
ストレンジメグロ

2戦2勝同着2回の馬
イソエイイーグル

しかも同着になった相手まで同じである上に、2頭とも騎手まで一緒だったという。
1回目の同着は2001年11月30日。2回目は同年12月30日で、相手はプリンスガーデナーという馬だった。同馬は結局その後出走することなく引退。同着のみしか経験したことのない無敗馬という珍記録を残し姿を消したのであった。


騎手の夫婦1着同着
この珍記録は2006年6月6日、名古屋競馬の6日目(これだけ6瓩揃った時点で何か起きそう)の6R…ではなく、2Rで起こった。
この日このレース、名古屋競馬の看板娘である宮下瞳騎手が騎乗したのはヘイセイチャンス。一方同レースには夫である小山騎手もメイショウタンドルに乗って参戦していた。2頭は1頭を挟み、内と外で同時にフィニッシュ!判定の結果はなんと同着!夫婦で同着というのは史上初のケースであった。さすがは仲の良い夫婦。見事な共同作業であったとしかいいようがない(笑)。
同一種牡馬による1着同着
2016年10月1日、阪神競馬場5Rで行われた新馬戦(芝2000m・11頭)にて起こった同着。
中団追走から一旦は抜け出した福永祐一騎手騎乗の3番人気スズカフロンティア(牡2、栗東・橋田満厩舎)と、
外から猛然と追い上げてきた川田将雅騎手騎乗の1番人気サトノアーサー(牡2、栗東・池江泰寿厩舎)が並んでゴール。
写真判定の末、この2頭の1着同着となった。勝ちタイムは2分4秒8(稍重)。
後続は5馬身も引き離されてしまっていた。2頭とも父がディープインパクト。
世界競馬史上唯一となる同一種牡馬での同着劇。ディープは種牡馬としても奇跡を起こす。

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軍馬の蹄歴

軍馬蹄歴 

人と馬とが歩んできた遥かなる歴史探訪の旅程の歩みは、また狎鐐茘瓩領鮖砲鬚燭匹襪海箸任發△襦8殿紊砲けるチャリオットの時代から二度に渡る世界大戦まで、人と馬とは、片時も離別して考えることは出来ない、信頼の手綱を紡績し続けてきたのである。
ここでは、普段語られることのない、軍馬・戦馬たち、彼らと人類との轍にカンテラを燈し、反芻することで、端緒に至るまでの逡巡することにしようではないか。

軍馬・戦馬
彼らは、軍事専用を主幹根底に特別な調教を成された馬たちである。そのほとんどが血液の匂いを拒絶することなく、また人を踏みつけることも、蹴り飛ばすことも厭わない、強靭な鋼の精神構造を植えつけられた闘いのエキスパートである。
戦乱の歴史にはじめて馬が登場するのは紀元前19世紀のチャリオットであり、騎馬として駆り出されたのはユーラシア遊牧民のパルティア人馬弓兵だったという。

二つの世界大戦
騎兵旋回戦術は馬を知ることのない民族集団や地域、機銃兵器を持たない国には絶大な力を発揮していた(フン族によるゴート族の蹂躙やスペイン人におけるインカ帝国への侵攻など)が、銃器が浸透し、騎乗技術も発達した近世においては、軍馬はその存在価値を次第に失っていく。
背の高い馬は標的に成り易く、被弾する可能性も高い為だ。
しかし、その地形踏破能力は瞠目するに値するものとして、軍需物資の輸送や偵察手段の一つとして利用価値を見出された。このことから第一次・第二次大戦においても多くの馬が戦地へと赴き、名も無き歴史の受難者として、暗鳴の啼き声を断末魔に多くが尽滅していったのである。


▲目的地へと急ぐ為、河を行く馬と兵士


▲滅亡した街をゆく兵士たち

最後の勇姿
世界戦史上、馬が最後の活躍を果たしたのは1945年、老河口飛行場の占領作戦で、これは日本軍の騎兵第四旅団が遂行したものであった。
その日本、明治時代には軍馬の生産管理育成に当たる為の法制度を整備している。
1906年(明治39年)、内閣馬政局設置。1922年(大正10年)には馬籍法の公布により、すべての馬が馬籍に登録することが義務付けられる。

競馬法の制定
ほどなくして競馬法の発布の時がやってくる。ついに構築され、解き放たれたのが1924年(大正12年)のことで、その主たる目的は「軍馬の改良と増殖」という戦略的思考に基づく馬産奨励のものだった。

いまや忘却の彼方…戦火の中、露と消えていった人馬たちの想念を礎に現代の平和があることを、我々現代人は心に留め、日々歩んで行かねばならないのではなかろうか。

馬・競馬にまつわる記録集 * 03:35 * - * - *

馬券配当記録室

 【馬券記録


単勝記録

 ¥56,940 リバティホール

2014年4月26日、福島競馬場・第8R
芝1,200m、4歳500万下16頭立てにて番最低人気のリバティホールが優勝し記録。


2位 ¥55,870
タチバナヒメ


1955年10月22日、阪神競馬場・第6R
アラブ限定の芝2,000m、オープン特別8頭立てにてθ嶌把秧裕い離織船丱淵劵瓩優勝し記録。

3位 ¥52,280
タイコウオー


1961年11月11日、京都競馬場・第8R
アラブ3歳特別競走、芝1,400m17頭立てにて15番人気の番タイコウオーが優勝し記録。


4位 ¥49,410 
シルバーシカイナミ


1980年11月15日、京都競馬場・第2R
3歳未勝利戦、芝1,400m16頭立てにて最低人気の13番シルバーシカイナミが優勝し記録。



複勝記録

 ¥16,110 ヴィヴィアン

2010年6月26日、福島競馬場・第2R
3歳未勝利、芝1,200m。16頭立ての最低人気、ヴィヴィアンが3着入線し記録。


2位 ¥14,390 クリーンイメージ

2012年7月28日、小倉競馬場・第10R
唐津特別(500万)、ダート1,700m。16頭立て15番人気のクリーンイメージが3着入線し記録。


3位 ¥14,080 
トゥルーフレンド

2012年3月25日、阪神競馬場・第2R
3歳未勝利、ダート1,800m。16頭立て12番人気のトゥルーフレンドが2着入線し記録。



枠連記録

 ¥123,410
1着トルースターフ
   (6番人気)

2着シンナンプウ
   (8番人気)


1977年2月22日、小倉競馬場・第2R
4歳未勝利、芝1,600m、8頭立てにて枠連-で決着し記録。


2位 ¥106,440
1着ナンヨーアマゾネス
  (9番人気)

2着ブランドスリム
  (15番人気)


1997年3月29日、中山競馬場・第1R
4歳未勝利、ダート1,800m、8頭立てにて枠連-で決着し記録。


3位 ¥103,430
1着
フミノストーム
  (12番人気)

2着トーワスキー
  (14番人気)


2001年8月11日、小倉競馬場・第11R
TVQ杯(1000万)、ダート1,700m15頭立てにて枠連-で決着し記録。



  


ワイド記録

 ¥109,100
2着スカルラット
   (16番人気)

3着アデステフィデレス
  (12番人気)


2012年5月26日、東京競馬場・第2R
3歳未勝利、ダート1,600m、16頭立てにてワイド-で記録。


2位 ¥106,360
2着キングザブルース
  (14番人気)

3着マキシムギャラント
  (16番人気)


2012年1月9日、中山競馬場・第2R
3歳未勝利、ダート1,800m、16頭立てにてワイド-で記録。


3位 ¥105,370
2着
ディーエスサンダー
  (13番人気)

3着ダイコシャデ
  (16番人気)


2002年2月10日、東京競馬場・第4R
3歳500万、ダート1,600m、16頭立てにてワイド-で記録。



馬連記録

 ¥502,590
1着メイショウギリー
  (13番人気)

2着デンコウグリーン
  (12番人気)


2006年9月6日、中京競馬場・第3R
3歳未勝利、ダート1,700m、16頭立てにて馬連-で決着し記録。


2位 ¥437,390
1着ゼンノエキスプレス
  (16番人気)

2着カネスベネフィット
  (12番人気)


2005年10月22日、東京競馬場・第12R
3歳上1000万下、ダート1,400m、16頭立てにて馬連-で決着し記録。


3位 ¥431,970
1着
アジアンホープ
  (13番人気)

2着サクラダモン
  (11番人気)


2007年9月9日、阪神競馬場・第6R
3歳未勝利戦、芝1,600m18頭立てにて馬連-で決着し記録。



  

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馬・競馬にまつわる記録集 * 23:40 * comments(0) * - *

日本海記念(旧・蔵王賞)【ダイニヒメチドリ】怪時計の謎

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆
    日本海記念
ダイニヒメチドリ
    怪時計の謎
 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆
 

この世には、到底信じることの出来ないような、とんでもないレコードが存在する。
2010年のNHKマイルCにてダノンシャンティが3歳春にして1マイル1分31秒4という怪記録をゴール板へと槌雷させた瞬間は戦慄に鳥肌が立ち、目を疑ったものだが、驚愕的空前絶後の夢幻レコードと称歌讃嘆されたるタイムが世界には散在している。
それは例えばセクレタリアトのダート2,400m2:24.0であったり、南米にてクリスタルハウスという馬が記録した芝2,000m1分55秒2という記録。上がり3F31秒3をダート戦で叩き出した馬などだ。
これらのレコードタイムは地球上で記録されたとは思えぬほどの震天動地の超絶的もの。
まさに空中に浮遊する庭園のような存在であり、滔々たる歴史の潮流にたゆたう全き虚ろの一角白鯨と言えよう。
日本にも、こうした震撼に身を委ねるほかないミラクルレコードが存在する。
それが1976年9月26日、上山競馬場にて開催された日本海記念(ダート2,300m)で6歳(旧齢7歳)牝馬のダイニヒメチドリが記録した2:21.7というタイム
現ダート2,300mの日本レコードが、2002年にハギノハイグレイドが東海Sでマークした2:22.3。これは現在も破られていないばかりか、世界レコードでもある。しかし、30年以上も前の地方競馬の牝馬がすでに世界記録を保持していたのである。
しかも…さらに驚愕すべきことに、ダイニヒメチドリはアングロアラブなのである。


  
▲田舎町にささやかな佇まいを見せていた上山。川砂の敷かれたこの小さな競馬場で偉大なる伝説は誕生した。


廃競馬場に封印された伝説のレコード。このタイムは真実のものなのか。
調査を進めてみたところ…
実際は2:31.7である可能性が高かったようなのである。とは言え、このタイムでも凄まじい。このレースはアラブの豪傑であるレオグリングリンやドウカンガバナー、上山晩年のアラブ最強馬ペルターブレーヴも勝っているが、彼女のタイムには程遠い。以下に列記してあるので、ぜひ比較検討して頂きたい。

◆1976年
ダイニヒメチドリ 牝6
良2:31.7(2:21.7?)

◆1977年
オーナーズホダカ 牡8
良2:34.2

◆1978年 イソシオ 牡9
やや重2:39.6

◆1979年
ホクトパーシャ 牡6
良2:38.2

◆1980年
ホマレダッシュ 牡6
不良2:35.8



◆1988年
ドウカンガバナー 牡8
良2:35.5
※三連覇達成時。



◆1992年
レオグリングリン 牡6
良2:38.0

いかがだろうか?ダイニヒメチドリのタイムがいかに絶烈たるものかご理解頂けたと思う。
ちなみにダイニヒメチドリの2:31.7というこのタイムは、サラブレッドの超一流ダート馬たちとほぼ同等のものである。いくつか例をあげよう。初代JCダート馬ウイングアローが旭川ダート2,300で記録したタイムが2:32.5。メイショウトウコンが2:31.3。サカラートが2:32.2…近年の北海道競馬で最強クラスだったギルガメッシュが2:36.2…タイムパラドックスが2:31.4…

   


これ以上はもう何も言うまい。

時の流れに埋もれし伝説のスーパー・ミラクル・タイム。

2:21.7瓠

“ダイニヒメチドリ”。

謎が謎を呼ぶ、いまや神話のようなレコードタイムの話である。

馬・競馬にまつわる記録集 * 09:28 * - * - *

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