冬の廻廊

   【廻廊

[とあるレストランの窓傍に佇む『白馬と少女』の彫像]

凛と引き締まる冬の朝。
ふと見るとそこには馬像があった。窓の向こうには寒さに身を引き締めるブナの樹林と一本の細い舗装された曲り道。一人、女子高生が背を丸め、駅へと歩を早めていく姿が見えた――。

彼女の行く末やいかに・・・――。

 

ウオッカ考
ついにGI7勝馬となったウオッカ。
東京GI完全制覇。牝馬による64年ぶりのダービー制覇。安田記念連覇。GI7馬身差圧勝に4年連続のGI優勝…そして史上初の日本牝馬によるJC優勝。
これだけの快挙と偉業の数々を金字塔として打ち立ててきた歴史的女帝ウオッカ。
彼女は現役を続行し、ドバイWCでラストを飾ることとなった。最大のライバル・ダイワスカーレットが2度に渡り断念し、自身も2度に渡る屈辱を味あわせられた地を終末の地に選ぼうとは…運命めいたものを感じずにはいられないが、彼女にふさわしく、そして劇的最後がまっているようなそんな微かな希望も胸中にあるのを私は感じている。
いずれにしろ、彼女が無事に日本へと還り、大団円をむかえ、繁殖として元気な赤ちゃんを産んでほしい。誰もそれを強い強い眼差しで信じ、祈り続けている――。

 

南米競馬の権威・大岡賢一郎氏と対談させて頂くお時間を頂き、貴重なお話を拝聴したのですが、やはり凄い方です。現在興味がある研究分野が日本では、サハリン競馬、そしてこれは私も強い関心を惹かれたのですが、「戦時中の日本が植民地とした異国の地での競馬」、つまりは「日本の植民地競馬」中でも満州・台湾での競馬の調査。いつか私もメスを入れねばならぬ…いえ入れたいと考えていた闇に葬り去られた競馬開催地…。これには膨大な新聞記事の中を泳いで核心に迫る他なさそうです…。



Merry Christmas
皆様に良いクリスマスが訪れますように…」
     

その他注目レース会議室&うみねこレース雑感(回想部屋) * 07:17 * comments(0) * - *

Deepな夜にはVodkaの美酒を 〜“数”奇なる運命の2頭〜

Deepな夜には
    Vodkaの美酒を
〜 数奇なる運命の2頭 〜

    

不遇にも凱旋門賞の夢を断たれたウオッカ。しかし、彼女のダービー制覇は未来永劫に語り紡がれるであろう、燦然たる後光に満ち溢れたものであった。実はその栄光の裏には偶然では片付けられない“奇跡の運命”により導かれたものであったのである。


【ウオッカの運命数“4”】

ウオッカは“4”という数字に纏わりつかれた名馬だ。その運命数に導かれるが如く日本ダービーを勝利したのである。



まず、生まれたその日に命運は決まっていたのかもしれない…200「4」年の「4」月「4」日に、母タニノシスターの「4」番仔として生を受け、「4」文字名“ウオッカ”と命名される。その後順調に成長を遂げ、馬番「4」番でデビュー。主戦の鞍上を「四」位騎手とし、GIを勝利すると、2007年の「4」戦目で第7「4」回を数える日本ダービーに出走。レース当日は皇太子殿下が行啓し、時の内閣である安部首相夫妻も来場。父タニノギムレットのダービー制覇の時は当時の総理である小泉純一郎氏が来場していたことからも、まさに運命的。ウオッカは馬体重マイナス「4」kgで出走すると、ディープインパクトの33.「4」を凌駕する史上最速の上がり3F33.0という壮烈な末脚を魅せつけ優勝。あまりにも歴史的な牝馬によるダービー制覇はなんと6「4」年ぶり。2着のアサクサキングスは1「4」番人気。3着アドマイヤオーラは「4」番人気だった。ちなみにウオッカ以外の牝馬のダービー馬は2頭いるが、ヒサトモ、クリフジと、不思議なことに「4」文字名の牝馬しか勝っていない。
さらに驚くべきは、ウオッカを生産したカントリー牧場が、この歴史的勝利で創業から「44」年で「4」頭のダービー馬を輩出させたということである。

そのあまりの桁外れな強さから、女ディープとも言えるウオッカだが、まんざらディープと関係がない訳ではない。それというのも、父タニノギムレットがダービーを勝った2002年にディープインパクトは誕生。ギムレットとディープの主戦騎手が武豊である点でリンクしてくる。武騎手のダービー制覇は「4」度ある訳だが、タニノギムレット以外はすべてサンデーサイレンス産駒。その1頭だけ異質なタニノギムレットは馬番3番でダービーを制し、武騎手へ3度目のダービー優勝をもたらした。時は流れ、初の種付けから「4」年後の2007年、今度は娘が同じ馬番3番でダービーへ…久遠の咆光を瞠若たるパフォーマンスで輝かせるのであった………。


                                     


《追記事項》



ウオッカの歴史的快挙、新たなる名妃誕生の裏で、同じく「4」文字名、日本が誇る90年代を代表する歌姫『ZARD』こと、坂井泉水さんがこの世を旅立った。ウオッカがダービーのウイニングポストを駆け抜ける、ほんの1時間程前のことであった…。二人の女神は正に入れ違うように去り、出現したのである…。



★おまけ★
当サイトのカテゴリー、『ディープインパクト記念館』の「∽の大宇宙(そら)」より…

【ディープインパクトに関わる運命の数字】



[1]三冠レース時の馬番

これは運命の悪戯なのか、それともただの偶然なのか、ディープインパクトが勝った皐月賞、日本ダービー、菊花賞の馬番が主戦騎手である武豊の初制覇と同じ馬番だったのである(ただし、菊花賞は下一桁のみ。出走頭数の違いからか?)。その内約は以下の通り。

☆皐月賞
武豊→『14番』ナリタタイシン
ディープインパクト→『14番』

☆日本ダービー
武豊→『5番』スペシャルウィーク
ディープインパクト→『5番』

☆菊花賞
武豊→1『7』番スーパークリーク
ディープインパクト→『7番』


[2]主戦騎手の年齢

初代不敗の三冠馬シンボリルドルフの主戦を務めたのは岡部幸雄だったのだが、無敗の三冠を達成した年、彼は『36歳』だった。そして2005年、武豊騎手は『36歳』で無敗の三冠を達成した。


[3]“21”
ディープインパクトは『21』年振りに無敗の三冠を達成したわけだが、菊花賞勝利後までにつけた着差をすべて足すと、『21』になる。ちなみに、『21』は「究極」を意味する数字である。凱旋門賞でも『2』枠『1』番となった。

[4]“6”
ディープインパクトの三冠神話のプレリュードとなった皐月賞。ディープインパクトは出遅れるも馬なりで楽勝し、史上1『6』頭目となる無敗の皐月賞馬に輝いた。また2着は『シックス』センスだった。ディープインパクトはつづく日本ダービーを無敗で勝ち、史上『6』頭目となる無敗の二冠馬に。
そして10月23日、第『66』回 菊花賞、月と日付を足すと(1+0+2+3=『6』)またも『6』となるこの日、ディープインパクトは史上2頭目となる無敗の三冠を達成し、史上『6』頭目となる三冠馬に。
2着は馬番『6』かつ、『6』番人気のアドマイヤジャパンで『6』着がアドマイヤフジ。彼らアドマイヤ勢の日本ダービー初制覇は、ディープインパクトが三冠を達成する『6』年前に当たる、1999年の『6』月『6』日、第『66』回 日本ダービーで武豊騎手騎乗の『6』番アドマイヤベガ(皐月賞、菊花賞はともには『6』着)により達成されている。そのアドマイヤベガを父に持つのが『6』着アドマイヤフジ。ちなみに、『シックス』センスには『6』馬身差つけていた。

さらには、武豊騎手の登録番号が『666』で当日『6』鞍に騎乗しており、2005年のJRA開催GI勝利数が『6』だった。また、菊花賞は7番→『6』番で決まったが、一つ前のレースも7番→『6』番で決まり、馬連配当が『66.6』倍で決着するなど、異様なまでに『6』という数字がディープインパクトにはまとわりつくのである。

また、ディープインパクトのGI『6』勝目となったジャパンCは、昭和5『6』年の創設で、ディープインパクトが勝った年は、200『6』年の11月2『6』日で第2『6』回。ディープインパクトは宝塚記念からマイナス『6』kgの馬体重43『6』kgで『6』枠『6』番から発走し、楽勝。2着には同じ『6』枠のドリームパスポートが入線。この2着で同馬の2着は通算『6』回目。ディープインパクトはこの勝利により、GI『6』勝目、そして『6』冠馬に見事輝いた。そして、この勝利により、サンデーサイレンス産駒の通算GI勝利数が『66』に。ちなみに、前日のジャパンCダートは、『6』文字名コンビの『アロンダイト』と『ごとうひろき』騎手が優勝を飾っている。ジャパンカップ優勝により、武豊騎手の通算GI勝利数が5『6』勝になり、池江調教師の通算GI勝利数は1『6』勝に。

ラストランの有馬記念。200『6』年の12月24日、2+4=『6』となるこのクリスマス・イヴのグランプリ、ディープインパクトは圧勝でターフを去った。武豊騎手はオグリキャップ以来1『6』年ぶりの優勝。そしてJRA重賞23『6』勝目だった。そして200『6』年の武騎手のJRA通算GI勝利数も2005年に同じく『6』勝だった。

さらに付け加えるなら、ディープインパクトの初重賞制覇が3月『6』日の弥生賞だった、日本ダービーの史上最高の単勝支持率を記録したが、それ以前の記録はハイセイコーの『66.6』%だった、三冠達成時の勝ちタイムが3:04.『6』だった、ディープインパクトの引退した年が200『6』年だった、またディープインパクトが初の敗戦を喫した有馬記念の馬番が『6』だった、さらには菊花賞のプレゼンターに呼ばれた井上和香さんが「いのうえわか」で『6』文字、ディープインパクトに初めて土をつけたハーツクライが『6』文字名、凱旋門賞でディープインパクトを破ったレイルリンクも『6』文字名だったとか、上げれば切りがないほど。考えても見れば、『6』という数字はこの地球を支配する数でもある。1分は秒算すれば『6』0秒だし、1時間なら『6』0分になる。そしてこの地球が誕生してから4『6』億年もの歳月が流れたことも、これだけの名馬ともなれば何か大きな天命が起因しているようにも思われてくる。


                               



[5]“1”
ディープインパクトは2002年(ちなみにこの年は馬年)に父サンデーサイレンスと同じ3月25日に降誕したわけだが、父サンデーサイレンスはその年にこの世を去っていった。そのサンデーサイレンスが生まれ育った地、アメリカでは9月『11』日、世界を変えることになる大惨事・同時多発テロ、いわゆる9.『1』『1』が起こる(足すと「2になる」)。その「2」年後、ディープインパクトは『1』歳を迎え、競走馬としての道を歩んでいく。2005年、ディープインパクトが無敗の三冠を達成した年、アメリカは衛生探査機を使った『ディープインパクト計画』を実行し、大成功。そして競走馬ディープインパクトは『11』年振りの三冠馬に。またディープインパクトは全出走レースで圧倒的単勝『1』番人気に推されているのだが、なぜか『1』.『1』倍が多い。SS産駒が手にすることが出来ずにいた“トリプルクラウン”のタイトル。サンデーサイレンス産駒が登場してから『11』年の時を経て、ディープインパクトは三冠神話を完遂させた。


[6]“4”
ディープインパクトは200『4』年のデビュー戦、『4』番で、デビュー。『4』馬身差の圧勝で見事デビューを飾ったわけだが、そのラストランも奇しくも『4』番で優勝し、引退戦を飾った。ちなみにこの日はクリスマスイヴで2『4』日であった。ちなみに『4』歳馬の優勝はディープインパクトの勝利により、『4』年連続となった。また、同年にジャパンCと有馬記念を制した馬としても、史上『4』頭目となった。


[7]“51”
ディープインパクトは『51』億円のシンジケートが組まれ種牡馬入りした訳だが、引退レースも第『51』回の有馬記念となり、その雄姿を一目見ようと来場した観客の数も11万72『51』人という運命的な巡り合わせとなった。

[8]“7”
まとわりつく“1”と“6”の数字を足すと、三冠を達成した菊花賞の馬番『7』に!ディープインパクト『7』戦『7』勝、33.3瓩凌正咾猫犹悪甦達成!




P.S. ぜひ2頭の歴史的ダービーをビデオ・DVDで振り返ってみましょう♪       
                     
                                 

その他注目レース会議室&うみねこレース雑感(回想部屋) * 20:55 * comments(0) * - *

徹底検証「ウオッカはなぜ負けたのか」

[徹底検証「ウオッカはなぜ負けたのか」]

  

凱旋門賞へ向け、期待の高まったウオッカは残念ながら8着と涙を呑んだ。しかし、この敗戦で凱旋門制覇への夢が潰えた訳では決してない。敗因の分析と凱旋門への展望を、私なりの解析と論究ではあるが、徹底検証してみたい。





●敗因その1「若すぎる繊細な気性」
シンボリルドルフもディープインパクトすらも撥ね返された、あまりにも高く見えない初古馬の壁。その主因は精神面と経験値の差異による部分が多いのではないか。
今回ウオッカは掛かり通しで、力みすぎて走っている。前方に馬を置き、ダービーのように折り合うことを、歴戦の古馬たちは許してくれなかった。ようやく折り合ったかと思えば接触によりヒートアップしまた掛かる。内に入ったり外に出たりと全くのチグハグ競馬。これではウオッカと言えど伸び切れないのは当然というもの。
斤量差7kgを生かす生かさないの次元にすら踏み込めていなかった。

●敗因その2「ダービー反動」
ウオッカがダービーで計時した最終3F33.0は史上最速。あのディープインパクトすら上回っている。あれだけ目一杯の仕上げで究極レベルの末脚を繰り出した後の中3週…反動が出ない方がおかしいというものである。過去、極限レベルのダービータイムをマークした馬は、ディープインパクトを除き、キングカメハメハ、ハイアーゲーム、インティライミ、シックスセンス、アドマイヤオーラなどなど、皆引退に追い込まれるか、戦線離脱。復帰しても以前の輝きを取り戻せなかったり、体調に異変を来たしている。ウオッカに何もない訳がない。

●敗因その3「雨と重馬場」
跳びが大きくダイナミックな走りをするウオッカにとって、今回の雨はやはり痛かった。
ただ全く適性がない訳ではなかろう。全ては精神面と体調面からくる悪因が影響を及ぼしていたものと推考される。


…以上3点の併発によりウオッカは敗れた…しかし…もしこれから記す“噂”が本当のものなら、今回の宝塚記念は参考外となる。また一方で、今回のレースは大きなターニングポイントになる気がしてならない。





※この話は私がある関係者の友人から耳にしたものです。

「ウオッカを宝塚記念に出走させてください。何着でも1着と同等の賞金を差し上げます。彼女が出る出ないでは、売り上げに大きく差が出るんですよ。お願いします」

陣営にこうした要請が入ったというのです。
そして谷水オーナーは凱旋門に向けての経験を積ませるという名目で出走させる事に決断したそうです。
陣営の気合というか雰囲気が何かダービーと違って見えたのはこのためなのでしょうか?
そして四位騎手や陣営に与えられた指示は…
「とにかく全力でレースをさせるな。今回は見せ場を作ればそれでいい。直線に入っても全力で追うな。これからがあるのに怪我やエビ(屈腱炎)なんてやってしまったら大変だからな…」




ビデオでよ〜く見たら、坂上で四位騎手はもう追うのを止めてるんですよね…。最後は軽く抑えてるし…。
ただこの話が本当だとしたら、大変な問題です。ある意味、八百長ですよ。
それに意図的に7頭に負けたウオッカに精神面でのダメージは無いのか?確かに見せ場は作り、身体へのダメージも最小限に留めることはできたでしょうが…。

“負けてもいいから経験を積ませる”
これがウオッカ陣営の宝塚記念におけるテーマだったということでしょう。
この敗戦がプラスに変わればいいですが、もしマイナスに働いたら…。

ただ一つ言えるのは、今回ウオッカは3つの敗因が原因にしろ、噂が本当にしろ、全力全開の競馬はしておらず、底が見えた訳ではない…という事なのです。


 

                      

その他注目レース会議室&うみねこレース雑感(回想部屋) * 06:23 * - * - *

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