<< 第69回 菊花賞 / main / ウイングコマンダー ― Wing comander ―  >>

  クロイスター     ― Cloister ―  

  【クロイスター】

 〜奇跡を運ぶ廻廊〜

―アイルランドが生んだ
    歴史的名障害馬・
グランドナショナル
     40馬身神話―



父 アーセティック
母 グレース
母父 クラウンプリンス

生年:1884年
性別:せん馬
毛色:鹿毛
国籍:アイルランド
生涯成績:35戦19勝[19-8-3-5]

桜桃の空を翔ける1頭の競走馬は観る者すべての瞳を釘付けにし、民俗の深潭に宿る心の琴線をセンセーショナルなまでに爪弾いた。
今まさに“伝説”が形となり、そしてその一秒一秒が観衆たちの胸奥、記憶のノートへと、刻印されていく――。
1893年、新緑の春風が旋風となり吹き抜けてゆくエイントリー競馬場。
伝統のグランドナショナル…40馬身差…キャンターでの大楽勝。歴史的パノラマに、明日の見えぬ若者は歓喜雀躍…歓声と雄叫びを上げ、彼へと曉望の志を抱いた。一方で、古翁たちは目頭を熱く滲ませ、感嘆の念に身を埋めていた。

「これほどの名馬に逢えたこの幸運をどう表現すればいいというのか…」

白昼の残夢の中、クロイスターの戴冠式は挙行された。歴史的伝統の競走独特の厳かな凛と張り詰めた競馬場に凱歌は静かに奏でられていた。
偉大なる古の障害馬…クロイスター。奇跡的スピードとスタミナ、そして劇的な彼の一生を反芻し、思慕の時間に溶け込み、沈思潜思に耽りたい。

 
〔千思万考を重ね、名馬と向き合う〕


クロイスターが生まれたのは、19世紀の終わり、1884年のことであった。決して恵まれた環境下に生まれた訳でも、特筆すべき血統でもなかった彼は、涵養に育成されていたものの、その紅潮する馬体へと大きな夢を賭すものは皆無に等しいものであった。
それも頷ける話で、母馬のグレース兇詫絞愬枌に駆りだされていた一介の使役馬にすぎず、母系のメールラインを遡及してみても重賞級競走の勝ち馬が見当たらぬばかりか、平地競走でこれといった結果が残せないまま競走生活を終え、母としての一縷の可能性を信じられた薄幸の淑女名ばかりが並んでいるのである。
そんな見捨てられたような血統馬に目を付けたのがロード・アーサー・フィンガル伯爵であった。フィンガル伯爵は南アフリカ戦争後、馬産に情熱を傾けた実業家で、一攫千金を夢見、金鉱発掘を目的とした会社を立ち上げるという野心家でもあった。
こうした半ば向こう見ずな彼の素行からも推断できることではあるが、4流血統の深淵に光輝く“ポテンシャル”を、未来世界に観とめることが出来たのであろう。そして、彼は箱の底で微光を放つ銀貨に、その可能性のすべてを賭け、タッチストン、ニューミンスター…彼らの名血を継ぐアーセッティックを付けた。

こうして、日々ポストへと封書を届ける牝馬から、かくして歴史的名馬が誕生することになるのだから、競馬というモノは分からない。だからこそ激情的な奇跡のドラマが幾つも展開され、人類との邂逅を重ねる訳ではあるが…それでも使役馬からアイルランドの史実に残る程の名競走馬が現れようとは、誰も予測できまい。一寸先は闇である。

競走馬としての準備が万全となったクロイスターを最初に所有したのは、ジェームス・アレクサンダー大尉であったのだが、同馬が大海の眠りから醒め、究極名馬となる咆哮を上げる直前、1890年にクロイスターを躊躇することなく売り飛ばし、我先にと戦地へと赴いてしまう。彼はボーア戦争へ参戦し、不幸にも命を落としてしまい、結局、二度と生きて故国の土を踏むことはなかった。
転売されたクロイスターを買い取ったのがダッドレー伯爵。彼はアイルランドにおける動物社会学の第一人者であり、ダッドレーの初の市長となる多彩な経歴を持つ人物であった。戦争という歴史の巨影が助長し、彼の手元へとクロイスターは転がり込んで来た。クロイスターのオーナーとして神は彼を選んだのである。

クロイスターは最初、ラフレシやダイヤモンドジュビリー、パーシモンを手懸ける名伯楽、リチャード・マーシュ調教師の手解きを受け、その秘める資質を入念に調整されていったのだが、本馬を開眼させたのは、障害界の重鎮と名を馳せるアーサー・スコットランド・ヤテス氏であった。彼はクロイスターへ自伝の全てを刷り込むかのように寄り添い、愛育の極みを尽くした。彼の祈りと誇り、そしてその身・精神・そして魂までもが乗り移ったかのように、障害競走で別馬のように変貌。圧勝に次ぐ圧勝で世にも奇妙なサクセスストーリーは、いよいよ音階を高めてゆく。



〔『クロイスター』は“Cloister”と綴り、「廻廊」の意。廻廊とは宮殿などで、建物・庭などを屈折して取り囲むように造られた廊下のこと〕


     
〔当時の人々が目撃した“トロット40馬身差神話”に我々は何を想うか〕


ヤテス調教師の宿願の競走グランドナショナル。彼はジョッキーとして1度も勝つことが出来なかったこの大競走制覇の夢をクロイスターに懸け、その大願を結実させるべくエイントリーへとクロイスターを送り込んだ。
1893年のその年は、クロイスターも9歳を迎え、障害馬としての絶頂期にあった。おまけに寒い時期から強い日差しが連日続き、馬場状態はクロイスターの得意とするコンディションへと変容を遂げていた。何もかもがクロイスター陣営の思惑通りに運んでいた。

レースでは風がそよぐようにソッと飛び出してゆくと、颯爽と障害を擦り抜けていき、徐々に加速。強風がやがては烈風となり、後続との差をグングンと広げてゆく…。観衆は呆然とその光景に目をやり、馬身差に換算しようと試みるのだが、目測では判断が付かないほどに大きな差がついてしまっていた。まるでクロイスターは1頭だけでレースをしているように最終コーナーを悠然とカーヴし、最終障害もヒラリと舞い上がると、後はゆっくりと、トロットで大観衆の声援と喝采をシアワセシャワーとして浴びるように、じっくりと一歩一歩踏みしめてゴールラインを通過していった。まるで夕闇時、飲み干すブランデーのような心地良さに陶酔しきっていた陣営は抱き合い、固く握手を交わしていた。
いつまでも、いつの日までも、「一期一会」…稀世の廻廊で回り逢えた奇跡が続くことを、夢路に祈りながら―――。




☆クロイスターはグランドナショナル優勝後、1840年が訪れる前に出走したレースにて故障。あまりの高速回転スピードに、脚がついてくる限界を超えてしまったのかもしれない。これが最後のレースとなってしまった。

☆クロイスターは死後、歴史的名障害馬として評価され、その頭部は剥製として、競馬博物館に保管・展示されている。


 
〔クロイスターの剥製(頭部)〕

☆クロイスターがこの世を去った後、生産者のフィンガル氏は事業に失敗。クロイスターの崩御に続き、不幸に苛まれてしまった。
彼の命運は全てクロイスターに凝縮されていたのかもしれない。


奇跡の名馬 (仏国・独国・伊国・愛国の名馬) * 01:06 * - * - *

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