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ロストインザフォグ ―Lost in the Fog― 

 【ロストインザフォグ】

 〜真実は霧の中へ〜

―癌との壮絶な闘病…
   悲運に見舞われし
    史上最強の
  ダートスプリンター―



父 ロストソルジャー
母 クラウドブレーク
母父 ドクターカーター

生年:2002年
性別:牡
毛色:黒鹿毛
国籍:アメリカ合衆国
生涯成績:14戦11勝[11-1-0-2]

史上最強の短距離馬候補を挙げよとの答えには、名前がすぐ湧き立ってくる。ザテトラーク、スプリングフィールド、マニカトから近年ではサイレントウィットネスなど…。しかしダート短距離の史上最強となるとちょっと難しくなる。それと言うのも、米国では短距離で成績を残す馬でもマイルから中距離まで対応可能な馬が多く、名だたる名馬という名馬が、短距離でなくマイルから中距離で最高のパフォーマンスを魅せているため、史上最強のチャンピオンスプリンターとなると、選出も難儀なものとなってくるのである。その裏には中長距離へと競走体系をシフトさせた競馬界全体の思惑も多分に影響していると推察されるのだが…。そのためかマイルや中距離とは違い、最強候補を推奨する際には沈思に耽ってしまうことが、多々あるのである。
さて、史上至高のダートスプリンターとしてドミノを挙げる方も非常に多い。なるほど、史実へと刻んだ圧倒的短距離適性と刻印したその成績は大変秀逸であり、奇跡的な子孫繁栄にも成功している。文句無く史上最強のダート短距離馬候補であり、歴史的名馬である。しかし、それでも私が究極の砂上韋駄天と推考しているのが本馬ロストインザフォグである。
競馬に「たら、れば」は絶対の禁句である。が敢えて論述させて頂きたい。この馬が病魔に蝕まれることなく、順風満帆な競走生活を送っていたら…もし生きて種牡馬となることが出来ていたのなら…満場一致で史上最強のダート短距離馬は彼、爛蹈好肇ぅ鵐競侫グ瓩箸覆辰討い寝椎柔が非常に高い。それほどに強く速い馬だった。彼の走るレース映像を何回か見たことがあるが、その壮烈極まる走りは“史上最強”を強く意識させるものであったし、短距離にも関わらず連戦大差勝ち…しかもその殆どがゴール前馬なりになって流してのもの。過去にこれほど強いスプリンターは見たことがなかったものだから絶句し、たた呆然と呆れ返るしかなかった。
人馬一体だけでなく風とも一体化し走る彼のモーションが瞼の裏から焼き付いていて、今も目を瞑ればそこで彼は躍動している――。
競走馬にとっては珍しい癌に、能力も命も…すべてを侵蝕され、晩霞の彼方へと消えていった、儚くも偉大なるチャンピオンスプリンターの記憶を、ここで語り明かそう。

2002年の2月4日、“ロストインザフォグ”「霧の中へ消えていった」というミステリアスかつ遙然たる、実にセンス溢れるネーミングが施された当馬は、人間に対し非常に従順で、周囲との琴瑟相和を意識するほど気遣いのできる柔和な仔馬だったという。
2004年、ロストインザフォグの買い主が現れた。ハリー・アレオ氏がその人で同氏は14万ドルで夢を彼へと託したのであった。
デビューはゴールデンゲートフィールズ競馬場のダート1,000m戦が檜舞台として選定された。
11月14日、圧倒的1番人気に支持されると、馬なりのまま後続を突き放してゆき、結局7馬身1/2馬身もの大差をつけ大楽勝で締め括った。タイムは56.8だった。
これを目の当たりにした現地のファンは熱狂し、早くもその背中にはかつての英雄を重ねていた。
ロストインザフォグがデビューを飾ったカリフォルニアの地は名馬不毛の地と呼ばれていた。エンペラーオブノーフォーク、スワップス、シルキーサリヴァン…数える程しか歴史的名馬はいなかったのである。そんな土地へと燦燦たる陽光が差し込んだ。ロストインザフォグは、競馬が忘れかけられていたこの夢の楽園へと再生の原動力となるべく颯爽と現れたのかもしれない。

ロストインザフォグはサンフランシスコからアリゾナへと向かい、2戦目に備えた。ターフパラダイス競馬場での1戦、まさにこのレースこそ神話とも言える内容になる。
12月26日、年の瀬も迫ったこの日、アリゾナジュヴェナイルS(ダ1,300m)へと出陣したロストインザフォグはスタートから猛烈に脚を伸ばし、グングンと加速。4コーナーで軽く仕掛けられると、完全な独走態勢が完成していた。ここからの推進力と加速度がさらに輪を架けて半端ではなく、騎手が追うのを止めたところで、レースはあと2ハロン(約400m)も残っていたのだが、彼は自ら加速を開始し、風とひとつになり、果てには瓢揺たる風と時とを切る烈風へと変貌していた。直線逆巻く廻爛の突風の中軽やかに踊躍し、疾駆するロストインザフォグは“神速の馬”となった――。抑えられていたにもかかわらず、ゴールへと近づくにつれアクセレーションは全開となり、ウイニングポストを掠め去ったその瞬間に記録されたタイムは…なんと1:13.55!
しかも後続は死力を振り絞り全力全開で駆けているのも虚しく、馬なりで走るロストインザフォグから14・3/4馬身差(2着馬までの着差)離された場所を走っていた…。
このタイムは同競馬場のスーパーレコードとしていまだ残っている。それだけではない。この記録、全米レコードにコンマ0秒4差まで迫っていたのである。2歳でデビューした馬が、本気で走らずこのタイムを出そうとは誰も頭の片隅にもあるはずがなく、末恐ろしさに全米のファンが震撼することとなった。ちなみにあのネイティヴダンサーが古馬となり、絶頂期にあった時に残したタイムは1:14.4。なんと2歳2戦目にして歴史的幽霊のタイムを1秒近く凌駕してしまった。
安直な比較対象は浅はかではあるが、この時点でネイティヴダンサーをも登攀する程のポテンシャルを内在させていたということだけは確かなものではないか。
しかもこのレコードタイム、殆ど追われずマークしたということを忘れてはいけない。
全力疾走していれば、間違いなく全米レコードは超越し、それはおろか世界記録を計時していてもおかしくはなかった。ゴール前残り50m〜100mで流す馬は幾らでもお目にかかれるが、1ハロン(約200m)残して馬なりになる馬などはそうはいない。そんなところ、このロストインザフォグは残り2ハロン(約400m)、しかも長距離ではなく短距離戦で流して自分から加速してフィニッシュしてしまうのだから、常識放遂のとんでもない馬である。あのシーバードでも残り200mからの馬なりだったのだ。過去の歴史的最強馬たちのレースぶりと重ねることで、さらにロストインザフォグの常軌を逸脱した異常な強靭性が浮き彫りになってくる。

この神話的競走の想像を絶する光景は全米へと届けられ、全米から片田舎の英雄へと熱い視線が送られることとなってくる。年が明け、ロストインザフォグはフロリダの地へと赴いていた。
2005年の初陣はガルフストリームパーク競馬場。サンシャインミリオンズダッシュS(ダ1,200m)で初戦を馬なりの圧勝4馬身1/2差で駆け込むと、初重賞となったスウェイルS(ダ1,400m)でもその神速はさらに凄みを増しており、一気に4馬身3/4馬身ちぎり、あっさりと重賞ウイナーの仲間入りをはたしてしまった。
この頃になると、ロストインザフォグのケンタッキーダービー参戦はありえるのか?という疑念がファンの間に立ち込め始め、それを見た陣営はフロリダダービーからケンタッキーダービーへ向かうという、驚天動地のローテンションを発表。これに全米から驚嘆と仰望の声が上がったが、結局気泡へと帰っすことになってしまう。
その後もロストインザフォグは走り続けた。フロリダから1万kmも離れたビッグアップル・ニューヨークへと強行移動し、アケダクトのベイショアS(ダ1,400m)へと参戦。ここも4・1/4馬身差で軽く捻ると、秋の大目標であるブリーダーズCスプリントへ向け英気を養う放牧休養となるはずだったのだが…急遽“出走要請”の指令が下される。

「ロストインザフォグのためだけに、新たなレースを新設しました。ぜひロストインザフォグに来てもらって走って頂いて、ファンを喜ばしてほしいのです。どうぞご検討を」

それはロストインザフォグのデビュー郷涙の地、ゴールデンゲートフィールズ競馬場側からの熱烈なラブコールであった。
後のことを考えれば、ここで絶対にロストインザフォグへと休養を与えておくべきだった…
亭主の好きな赤烏帽子…馬主がO.k.を出し、陣営もそれならば出走しようかと、彼の能力に溺れ、盲目となっていたのだろう。そして馬なりで速攻勝負を決めてしまえばダメージも最小限で済む…そんな安易な考えも裏にはいちらついていたような気がしてならない。

こうして長期休暇を取り下げられた、ロストインザフォグは、ホームグラウンドである競馬場へと向かうため、自由の女神に踵を返した――

ゴールデンビアBCS(ダ1,200m)、英雄ロストインザフォグを合わせても、わずか3頭立てというこのレース、彼は気分良く飛ばしに飛ばし、ほぼ馬なりのまま10馬身差もの絶望的着差を突きつけゴールイン。タイムがこれまた壮絶で、1:07.32!日本の高速芝でのレコードが黄金世代の最強スプリンター・アグネスワールドが計時した1:06.5であることを踏まえると、相当な記録である。この怪時計、全米レコードまで0秒5と迫っていた。恐らくここでも全開で追っていれば全米レコードは簡単に更新していたろう。ロストインザフォグに不遇だったのは、短距離界に超強力な好敵手が全くの不在だったということに尽きよう。1頭でもライバルがいれば、競り合うことでさらにタイムは伸び、きっと世界レコードもマークされていたに違いない。

この凱旋勝利に現地のファンは狂“喜”乱舞し、大々的に記事をトップで掲載し、特集まで組まれた。また全米誌においても同馬を取り扱う雑誌が急増し、一躍一世を風靡するほどの時の人ならぬ、時の馬となっていた。そして地元カリフォルニアの熱狂的ファンは彼をシルキーサリヴァン以来の英雄と激賛し、彼の未来の展望に胸膨らませていた。カリフォルニアの地が生んだ伝説の追い込み馬が引き合いに出されることなどそれまで皆無であった。潰滅したかに見えた競馬愛の炎は、まだ消えてはいなかったのである。

この招待レース後、ようやく休養かと思いきや、すぐさまNYへととんぼ返りし、さらにはレース出走の登録をするという不可解な行動に陣営は出る。あまりの大楽勝ぶりに疲れは取れたと判断しての決断だったのだろうか…ここがロストインザフォグにとって最期に休めるチャンスだったのだが…またも羽根休みはお預けとなり、戦場へと英雄は赴くのであった。
出向いた先はベルモントパーク競馬場。しかし、予期しなかったトラブルが発生する。それまでロストインザフォグの手綱を手繰り続けてきたラッセル・ベイズ騎手が怪我で乗ることが出来なくなってしまったのである。ピンチヒッターとして鞍を任されたのは必殺仕事人エドガー・プラード。突然の乗り替わりであったが、ロストインザフォグの気性から問題はないはずだった…。

リヴァリッジBCS(ダ1,400m)のゲートが開いた――。
しかしどうしたことか、ロストインザフォグは躊躇し、精彩を欠いている。鞍上は乗り替わりとはいえ、全米が誇る名手。こんな不測の事態は完全に陣営の計算外であった。しかし、今となってはどうすることも出来ない。あとはロストインザフォグの能力とE.プラードの腕に全てを賭けるしかない。
ファンは絶句した――。
あの超駿足韋駄天であるロストインザフォグが鼻を奪われ、さらには格下2頭に番手すら横取りされる始末。さすがの名手プラードもこれには焦ったか。大外を回すざるを得ない苦境へと追い詰められ、はじめてロストインザフォグへと全力の鞭が飛び、プラードも必死の形相で豪腕を唸らせる。これに応えたロストインザフォグはようやく先頭へと躍り出ると、エッグヘッドという馬の追撃を1馬身1/4抑え、1着入線を生きも絶え絶えに果たすのであった。
「何かがおかしい…」
ごく一部の者だけが、「それ」を感じ取っていた。彼の中で脈打つ悪しき胎動の心音を。


最大目標としてヴィジョンを描く最終到達地点ブリーダーズカップまであと3ヵ月と時は迫っていた。
今休養することは、万全な状態で送り出すことを不可能とすることを陣営全体が意識していた。
レースを使い、調子を上げさせる作戦が取られることとなった
時同じくして米国へと巨大ハリケーンが上陸、吹き荒れるサンダーストームに何か嫌な予感と不気味な羊雲が走った

通算7つ目の競馬場となったコルダー競馬場。ハリケーン襲来後という悪条件の中、出走回避が相次いだものの、ロストインザフォグはこのキャリーバックS(ダ1,200m)へと、臆することなく勇躍出走してきた。レース内容もワンサイド勝ちで、、またも馬なりのまま7馬身1/4差という大差かちを演出。しかも1:09.3というレコードのオマケ付きであった。
そして迎えた初のGIレース、キングスビショップS(ダ1,400m)へと臨戦する。ここも圧倒的内容で、殆ど馬なりで4馬身3/4差の圧勝。さも簡単にGIを飲み干してしまった英雄に2走前の不可解な失態を陣営もファンも忘れかけていた。きっとあれは乗り替わりと疲労のためで、万全な状況下であればいつもの大差勝ちがスプロールされていたに違いないと…。

晴れてGI馬となり、BCスプリントのステップ戦に備えていたロストインザフォグにまたも招待レースのインヴィテイションが舞い込んでくる。

「我がベイメドウズへとお越し頂けないでしょうか。ロストインザフォグのために最高の条件を揃えたレースを準備しております。来訪して頂き、当地のファンへ至福の時間を与えて頂きたいのです」

田舎町の競馬場から届いた招待状を前に、陣営は何を想ったか誘いを受諾し、NYから4万kmも離れた辺境へと大移動を開始。
長旅の疲れも癒すことなく、すぐさま競馬場へと赴き、出走態勢を整える。ベイメドウズスピードH(ダ1,200m)へと参陣した同馬は、馬なりで圧倒。他馬は完全に引き立て役でしかなく、8馬身近くもブッちぎって現地のファンは歓喜の渦へ巻き込まれ、感謝感涙に暮れた。


〔ベイメドウズ競馬場へと来臨したロストインザフォグと出迎えた多くのファン〕


夢見てきた最高峰の頂き、BCスプリントはあと3週間後にまで迫っていた――。


凱旋門賞やドバイWCに並び、世界最高峰に位置付けられるブリーダーズカップ。競馬の祭典がやってきた。この日を待ちわびていたロストインザフォグ。しかし、何か魂が抜けかかったような覇気が感じられない。しかし、それでも圧勝で11連勝を迎えるに違いないと、全民が予見していた。

しかし…
ロストインザフォグは別馬のようになっていた――。
7着という大敗…
しかも鼻を奪われ、4番手からの競馬という誰もが目を疑う展開で。

陣営は青ざめ、ファンも唖然呆然、絶句しその場から身動きできない。完全なる想定外が競馬場をのたうちまわっていた。
これでタイトルまで手を擦り抜けてしまうものか…と思った矢先、ロストインザフォグは最優秀スプリンターに選出された。これにはファンも胸を撫で下ろし、満場一致、納得いく和やかなクリスマスを迎え、ニューイヤーに備えることが出来たようであった――


その頃、ロストインザフォグは疲労困憊し、明らかに体調に異変を来たしていた。
なかなか体力は回復を見せず、上昇曲線どころか平行線さえ描くのがやっとという異常事態に、陣営は首を傾げ続けた。
春が訪れ、何とかレースへと参戦できるくらいの状態まで回復するのを待って、ロストインザフォグは帰ってきた。真のスプリント王帰還を多くのファンが待ち望んでいた。
郷愁のゴールデンゲートで再出発した彼は、いつものレース振りが全く影を潜めており、なんと2着失速。しかも3馬身も突き放されての完敗であった。結局このあと1勝を上げるが、2005年に世界中の競馬ファンを魅了した彼はどこかに消え去ってしまっていた。全く別馬のようになってしまった英雄の復活を誰しもが祈念し続ける。
ところが、ファンの祈りも虚しく、スマイルスプリントHで9着と生涯最大の大敗を喫した彼は、体調不良か競馬場から脚を遠のけた…。
発熱が終夜つづき、かなりの高熱で魘され続ける。これは只事ではないと、ようやく陣営も気づき最先端医療を整えたカリフォルニア大学病院へと搬送され、精密検査を受けることになった。


報道では風邪と言われていたが、検査の結果、残酷かつ絶望的な診断が下される

「ロストインザフォグは巨大な悪性腫瘍…つまりは癌を患っています。余命は…大変残念無念の想いが絶えませんが、あと10日あるかないか…もって2週間あればいいほうでしょう」

獣医師の口から放たれた宣言はあまりにも凄絶なものだった――
陣営は顔面蒼白、そして頭の中まで空っぽになってしまった。
どうやら病状は末期であり、最後の1戦となったスマイルスプリントの時点で死期まで見えていたようで、もしかするとあの不可解な苦戦を強いられたリヴァリッジBCSの頃が発症した時期だったのかもしれない。もしそうなると、癌という最悪の禍根に懊悩させつつ、歴史的パフォーマンスを魅せていたことにもなる。

膵臓を支える靭帯にサッカーボールほどの大きな悪性腫瘍があり、すでに全身への転移もひどく、手の施しようがなかったという。
この最後通告を勧告された陣営は、延命治療を一切せず、慣れ親しんだゴールデンゲートフィールズ競馬場で最期を迎えさせる決断に出た。

「残されたわずかな時間を、少しでもこの子が幸せだと感じてくれるよう最善の努力をしようと思います」

天へと翔ける命のカウントダウン。
飄々と日々過ごすロストインザフォグは、全てを悟りきったかのように穏やかな目で長閑に時間を過ごしていた。そん中、厩舎へとは米国だけに止まらず、全世界から励ましのメールや手紙が届きつづけていた。

「がんばれ!あきらめるな!」

「もう一度貴方の走りがみたい」

「勇気づけられました。今度は僕が貴方へと力を与える番。ガンバレ!ロストインザフォグ!」

もう助かる見込みなどゼロ。それにもかかわらず、奇跡を信じる者は絶えることなく祈願のゴスペルが漣のように届き続ける――。

「あなたのおかげで競馬が好きになった。奇跡よ起きてくれ」

「つらい毎日もあなたの走りで嬉しくなれました。本当にありがとう」

     
「君が最強だと信じてるよ。君は病気でも懸命に走り、他の馬にも自分にも勝った!本当に凄い。生きて…どうか生きて…あの走りをもう一度…!」

胸が熱くなる便りの数々。その中に同じく癌との闘病生活を送る小さな子供から届いたものに、関係者一同が目を留めた。

その内容に一同は目頭を潤ませた…中には顔をくしゃくしゃにする者もいた。
『いっしょに病気に勝とうね!もっと生きたい!もっと生きて色んな場所へ行って、色んな人と友達になりたい。ろすといんざふぉぐもそうでしょ?元気になって!もっともっと走ってほしい!』

「…どうしてもっと早く気づいてやれなかったのだろう…なんで…なんで…」

胸を詰まらせ、すすり泣く男たちが願うはこの少年の回復のみだった。
ロストインザフォグはもう助からない。
彼の死亡したことを知って少年が生への強い想いを絶やしてしまうことだけが心配だった。


2006年9月17日、日本ではディープインパクトの凱旋門賞遠征に熱を上げていたあの頃―。
まだ茹だる様に暑い、陽炎たつ昼下がりのことだった。
発作を起こし倒れているロストインザフォグが目撃され、すぐさま獣医が駆けつけた。
すでに危篤状態にあり、安楽死の処置が施された。
安らかに眼を閉じたロストインザフォグを天使たちが喜色満面の微笑みを浮かべ連れ添い、天へと昇っていく。

何万キロ離れていようと、自分を送り出してくれた故郷へのノスタルジアと深謝は忘れない。
望郷の想いを乗せ、彼は天へと翔けていった――。
残されたのは彼の伝説と彼を想う心優しきファンたちの抱懐せし記憶(おもいで)。
「史上最強最速のサラブレッド」その答えの鍵をもったまま、真の力、真のスピードを見せぬまま、偉大なる英雄は深い霧の中へと静かにその姿を消し去ってしまった――
晴れることのない、永遠という霧の彼方へ―――。



 


☆ロストインザフォグがデビュー10連勝でつけた着差は66馬身。1レース平均6.6馬身は離して勝っていた計算になる。

☆わずか14戦で渡り歩いた競馬場の数はトータル9場にも上る。またその移動距離は40万km以上とも言われている。

☆亡くなった9月17日は、奇しくもカリファルニアの生んだもう1頭の歴史的追い込み馬シルキーサリヴァンの命日でもあった。

☆ロストインザフォグがこの世を去ってから彼の死を弔う盛大な式がゴールデンゲートフィールズ競馬場を会場に催された。この式は追悼式という形ではなく、彼を称え、そして哀しませぬよう祝典会という名目の下行われた。式には全米からのファンがごった返し、長蛇の列は夕刻を過ぎても途絶えることがなかったという。ファンは皆、彼の走りを想起しては懐かしみ、会話が尽きることなく交わされたとのことである。

  
〔彼の2戦目が私はベストレースだと信じてやまない。ぜひその超絶震の烈走をご覧頂きたい。you-tube内で“Lost in the Fog”と検索をかければ、すぐ霧の中へと消えていった“伝説”へと辿り着けることだろう〕

☆ロストインザフォグは『ザ・フォグ』の愛称でファンに親しまれていた。



    

奇跡の名馬 (アメリカ合衆国・カナダの名馬) * 22:38 * - * - *

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