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コトノアサブキ   

  【コトノアサブキ】

  〜 霧氷の賛歌 〜

― 道営競馬史上最強馬 ―



父 ファーストファミリー
母 キクノロイヤル
母父 ハッピーオーメン

生年:1975年
性別:牡
毛色:鹿毛
国籍:日本(北海道・門別)
生涯成績:30戦23勝[23-2-0-5]

地方競馬には語り尽くせぬほどの強豪馬、幻の最強馬が埋もれている。彼らは細々と語り継がれることは間違いないが、壮大なる競馬史の中においてはすでに忘却という動かしがたい野蛮な「もの」に侵食され、風化し風前の灯となりかねている。
忘れたくない…未来の先まで談笑し、紡ぎたい名馬たち…フェートノーザン、カウンテスアップ、ゴールドレット、トウケイニセイ、イナリトウザイ、ローゼンホーマ、マリンレオ…そんな彼らは生まれた時代があまりにも悪すぎた。今でこそ地方中央の交流競走が盛んとなり、JBCの創設から中央のGI・重賞競走も充実の一途を辿っているが、彼らの闊歩していた時世は完全に閉ざされた地元の競馬場が中心。どれほどの伝説的走りを見せようとも全国レベルで発信されるほどの環境が整っていなかったのである。いま、もし彼らが全盛時のまま躍動しようものなら、カネヒキリやヴァーミリアンも一筋縄ではいかないだろう。それ程に彼らは、都市伝説となるほどの神々しい輝きを放っていた。
そんな1頭が、現在経営難に喘ぐ道営競馬に存在した。彼の名は爛灰肇離▲汽屮瓠8什澆任發覆、道営史上最強馬と地元ファンに語り継がれる伝説の名馬である。

コトノアサブキは1975年に北海道は門別に生まれ、川崎競馬へと搬送された。
コンクリートジャングルの中、流れてくる「泳げたい焼きくん」を吹き流すように調教を飄々と消化し、待ち侘びるデビューを、いまや遅しと呻るほどの手応えを垣間見せていた。
その待望のデビューは1977年の9月24日のダート950m戦が選ばれた。長谷川茂騎手を背に、素質の違いをまざまざと見せつけ流しながら圧勝。2戦も軽く一蹴すると、大井の準重賞ゴールドジュニアも快勝し、南関東三冠有力候補と騒がれるが、何かが彼の生命を支える「脚」を蝕み始めていた…。
注目の4戦目を4着とあっけなく敗れてしまうと、羽田盃、東京ダービーと謎の大敗をつづけてしまう。それもそのはず…。コトノアサブキは屈腱炎を患っていたのである。
すぐさま彼は休養が充てられ、復帰する先には愛知の名古屋競馬が選定された。

川崎や東京で、かつての喝采を送っていたファンたちはコトノアサブキを完全に記憶の中から放遂させていた。しかし、そんな彼を新天地のファンは暖かく迎えた。腕利きの装蹄師が熱心に脚部の管理を充当していたこともあり、コトノアサブキは能力を全開させ迷いを吹き飛ばすような一気の3連勝。しかし、またも屈腱炎の兆候を示し始めていた。脚部不安を癒すため一年の充電期間が充てられる。歯痒い時間だけが流れ、皆がコトノアサブキを忘れかけていた頃、彼は再び帰ってきた。一年の休養明けも全く苦にせ楽勝で復帰戦を飾るのであった。
当時彼の脚元のケアを徹底し、装蹄を担当していた師は、コトノアサブキを北海道競馬へと移籍させることを進言する。それというのも、彼は岩見沢競馬場所属で、始終、昼夜問わず管理するには自分の間近においてもらう他、妥当な手立てはなかったのである。それほどの決断をしたのも、この馬が歴史的名馬のポテンシャルを内包していると、彼が感知してのことだった。

自らを育んでくれた北の大地へと舞い戻ったコトノアサブキ。ついに彼の神話の1ページが開かれることとなる。1980年の帯広競馬場ダート1,800mの大平原賞で道営デビュー。競馬場全体が震え上がるほどの衝撃――。
持ったままの超圧勝だった。タイムは…1:49.7瓠宗!!
なんと日本レコードを記録してしまったのである。中央のエリートホースたちが死に物狂いで全力疾走しようとも計時することもままならない空前のタイムをマークしたのである。しかも、中央場所より2秒近く時計の掛かるコースで、しかも良馬場で記録したのだから、驚愕のタイムである。現代のダートの強豪馬を持ってしても、1分49秒台のタイムを捻出するのはそうそう簡単ではない。この歴史的大勝を足掛かりに、旭川・札幌へと遠征し、金盃、農林水産大臣賞典(62Kを背負っての楽勝)、道営記念、瑞穂賞、シルバーCと、大楽勝劇を展開。北海道の大レースを次々と鯨飲していった。
北海道競馬の水が余程合ったのか、またただ単に眠れる資質が覚醒を遂げただけなのか、それともその両方だったのか…。それの明確な答えを明言することは難しいが、とてつもなく強く、現役時代からすでに神格化されるほどの迫力があったことだけは確かである。


何もかもが上手く滑走していたかに見えたコトノアサブキであったが、調教中に転倒し、この事故を境に長期休養を余儀なくされてしまう。
約四ヶ月の空白をえての復帰戦。道営記念では10着という、ファンも目を疑う大敗を喫してしまうが、わずか10日後に出走したレースで堂々の復活。再び常勝伝説の回帰線を描きはじめるのであった。

そして1982年の6月22日、大井競馬場へと遠征。中央競馬招待競走(ダート1,800m)へと出走した。すでに8歳。脚部不安に常に取りつかれ、満足な調教すら叶わず、屈腱炎を患ってしまったがゆえに全力疾走すらセーブされている状態…そんな満身創痍の肉体で2着と健闘。
爛灰肇離▲汽屮瓩海海砲△蝓…と全国のファンへと猛々しく咆哮を上げるのであった。
この1戦できっと川崎のファンも思い起こしたのではなかろうか…かつてのクラシック候補生であったことを。道営で残した成績は18戦16勝。事故明けの1戦と大井へ移動しての2戦以外は国士無双、無敵の力を圧倒的なまでに誇示し続けた。

いまは霧氷が咽び泣く競馬場の中、語り紡がれるレジェンドホースとして、彼は久遠のまま生き続けることだろう―――。
 
〔獲得賞金は113,450,000円。調教に従事したのは黒川武氏。ロイヤルチャージャーの4×4×4の多重クロスをもっている〕


  
〔帯広競馬場は現在「ばんえい競馬」のみの開催となっている。岩見沢競馬場は廃止となってしまった〕



                          

奇跡の名馬 (日本の名馬) * 07:04 * - * - *

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