<< トーシンブリザード / main / ギアロッピングゴースト 〜珍名馬たちのRequiem〜 >>

アパパネミリオン 〜世界同着memorium〜

アパパネミリオン
世界同着メモリアル
 

日本競馬史上、初となるGI1着同着劇となった2010年の優駿牝馬(オークス)。
内サンテミリオン、外アパパネ。雨中の乙女が織り成した激闘は、本年のみならず競馬史上に残る奇跡のレースとなった。
  
〔馬券の当りハズレを完全超越。こんな機会に邂逅(めぐりあう)ことはもうないだろう〕

しかし、世界は広い。本項ではこれまでトリビアコーナーで紹介したものも含め、ありとあらゆる同着の数々を紹介したい。今年2010年を代表するベストレースであるからこそ企画したスペシャルコラム。たっぷりとお楽しみ頂こう。


ダービー1着同着史
その昔…まだ写真判定が導入されていなかった時代(写真判定が始まったのは20世紀に入ってから)、あまりに際どい決着は完全に判別できる訳もなく、協議の結果、同着として処理されていたことが多々あった。
200年以上の歴史を持ち、燦然と偉光を放つ世界の頂点の一つである英ダービーでも同着は存在している。1884年のダービーがそれで、勝ち馬はセントガティエンとハーヴェスターの2頭。また、1828年には1着同着と見なされた2頭カドランドとザコロネルが決勝レースを行い、結果カドランドが栄えあるダービー馬に輝いた。
ちなみ世界主要各国のダービー史を見渡したところ、同着となったレースは上記を別に13例存在する。その詳細については、別記参照されたい(下部に掲載)。
しかし、その何れもが同着となった場合はそのまま平穏に収まっていた。また目視で勝敗を決定できないほどの接戦だった場合は決勝レースを行い、何れかをダービー馬に選定してきている。
ところがである…このどちらにも該当しないとんでもない事件が起きたことがある。

事件は1882年のドイツ。その年のクラシック第一弾メール・ミュンヘンス・レネン(ドイツ2000ギニー、芝1,600m)を快勝し、ダービーでの二冠を狙ってきたトラーケンバーグという馬が本命に目されていた。対抗格にはオーストリアのダービーを快勝して遠征してきたタウルスが挙げられていた。ホームで負ける訳にはいかない…負ける訳ないトラーケンバーグだったが、距離経験あるタウルスに大苦戦!2頭がデッドヒートを繰り広げ、寸分の差もないままそのまま並んでゴールイン!観衆が湧きに沸いたのは言うまでもないが、焦点はただ一つ…。

「どっちが勝ったのか!?」

長い審議の末、導き出されたのが同着であった。
しかし、これに納得いく訳のないトラーケンバーグ陣営はもう一度再戦だと言って譲らない。それもそうだ。相手は別国の馬、雪辱の機会はそうはない。隣国とは言え、現代のように交通網も同機関があまりにも脆弱な時代。ここで再戦して倒さねば、もう威厳は取り戻せない…かもしれない。
なんと、このあまりにも荒唐無稽の要求はあっさりと受け入れられ、90分後再度対戦することに。
しかし、しかし、これが悲惨な結末を生んでしまう!
な、なんと…トラーケンバーグはタウルスに3馬身以上も千切られ、完敗を喫してしまったのである(笑)。しかし、公式の優勝決定戦のマッチレースではなかったため、トラーケンバーグのダービータイトルは歴史の中残り続けることになるのであった…。



世界のダービー同着劇
※(上述の3例は除く)
■フランス
・1882年ダンディン&セントジェームス
・1886年サイコモア&ウパス
・1908年キンテッラ&シーシック

■アイルランド
・1924年ハイネ&ゾディアック
・1934年パトリオットキング&プリメロ

■ドイツ
・1872年ハイメネェウス&シーマン
・1875年パルミュラ&シンドラー
・1893年ゲェイアー&ハンデンブルグ

■アルゼンチン
・1894年ジェネラルラヴァル&ポルテナ


■オーストラリア(※AJCダービー)
・1919年アーティレリーマン&リッチモンドメイン
・1935年アルンガ&ホーマー


■カタール
※カタールダービー(ドーハ競馬場右回り、芝2,000m)
・2015年ルージュランナー&タナフ



日本競馬における同着劇

◇地方の1着2頭同着◇
・昭和46年11月27日の笠松競馬


三頭同着という奇跡

奇跡を超える奇跡。3頭が1着に並ぶ――。
そんな光景が英国では写真判定の導入以前に10回、導入後の1986年まででも5回、計15回記録されているという。一方、米国でもやはりそれは存在し、1940年以来17回も3頭同着の記録がある。1981年10月にリンカーン競馬場、同年12月サフォーク・ダウンズ競馬場で記録されたものが一番近年のものとして記録に残る。


 日本競馬の3頭同着史

明治13年(1880年)6月9日、春季横浜競馬3日目の最終競走終了後の別当競走で記録されたものが最古とされる。距離は1,600m。斤量は各馬56.6舛5頭が出走。デイジーチェイン、チェックメイト、アナンデールの3頭が鼻面を揃えてのゴールイン。15分後に3頭による優勝決定戦が行われ、アナンデールが優勝。2着にはデイジーチェインが入った。しかし、チェックメイトがゴール直後に落馬するという不可解なアクシデントが発生。直ちに審議が執り行われ、厳重なる精査の結果、デイジーチェインの機種が故意にチェックメイトに馬をぶつけたものと審判が下り、チェックメイトが2着に繰り上がったという。
大正9年(1920年)10月30日、秋季横浜競馬2日目の第7競走(各内国産馬1マイル)に7頭が出走。奇跡はこのレースで起きた。
レッドウイング(牝6)、ラトニヤ(牝6)、トコナツ(牝7)の3頭が同時にゴールイン。正規番組で3頭同着が記録されたことになる訳だが、レッドウイングは大正時代に日本レコードを記録したこの時代の名馬であり、また大正末期の名馬たちの母ともなった駿馬である。また一方で、トコナツはナスノなどの昭和初期の名馬を産んでいる。日本競馬史に残る母たちの1着同着劇だった。

昭和26年(1951年)11月17日、大井競馬アラブE2クラス、ダート1,200m。
オワリユタカ、カザリン、サガミヒメの3頭が1着3頭同着となった。
また昭和46年(1971年)11月27日、笠松の11レースにおいても3頭1着同着があった。
さらに、昭和61年8月20日の川崎競馬初日の第10R新涼特別(ダート1,600m)。
テスコカチドキ、アーノルドフジ、トランスワンダーの3頭同着。


▲〔川崎競馬の3頭同着決勝写真〕

平成の世に入ってからの3頭同着は、平成16年7月4日の高崎競馬6Rの1件。

GI級競走で3頭が同着になった事例は2件のみ。

まず1例目。
これは1944年の米国はアケダクト競馬場で行われたカーターハンデ(ダ1,400m)で起きた。
この競馬場でレコードも記録しているウェイトアビットが登場。
しかし予想外の苦戦を強いられ、ブラウニー、ボシュエットという2頭と共に鼻面を並べてゴールイン!


結果、これが史上初となる、GI級競走、およびステークスにおける3頭同着となった。
ウェイトアビットは生涯成績87戦19勝、2着16回、3着17回という強豪馬。他にはヴォスバーグハンデ、ベイショアハンデ、ロングストリートハンデ等を制していた。

GI級という括りなら2例となるが、クラシック競走における3頭同着というと世界でたったの1例しかない。



これが起きたのは南欧・情熱の国スペインにおいてである。
スペインのクラシック三冠体制は1952年に整備され、マドリッド競馬場が廃場となる1996年まで開催されていた。その内容は以下の通り。

【スペイン・
  クラシック
    三冠レース】


の三冠レース

シメラ賞
(芝1,600m、スペイン2000ギニー、1920年創設。創設時1,800m)

ヴィラパディエルナ賞
(芝2,400m、旧スペインダービー、1952年創設)


ヴィラメジャー賞

(芝2800m、スペインセントレジャー、1921年創設)



♀の三冠レース

ヴァルデラス賞
(芝1,600m、スペイン1000ギニー、1961年創設)

ビーモンテ賞
(芝2,400m、スペインオークス、1952年創設。創設時は2,000m)

ヴィラメジャー賞
(※上記に同じ)


この奇跡が舞い降りたのは、まさにクラシック施行開始初年度となる1952年。
この年のスペイン三歳牡馬はアユコという馬が二冠を達成。初年度にしていきなりの三冠馬出現か!?…と巷は大騒ぎ。さらにここへと初代オークス馬に輝いたエデラも参戦し、大激戦が展開されることに。観衆は湧きに湧き、セントレジャー最後の直線でボルテージは最高潮へと達した。
なんと二冠馬を蚊帳の外に、女王エデラとミカド、ミュリジョという伏兵が壮絶なデッドヒートを繰り広げ、3頭並んでゴール板を通過したのである。
結果…なんと!



   3頭同着!


なんと、1レースで3頭ものセントレジャー馬、GI(級)馬、クラシックウィナーが誕生してしまったのである!
しかも、その内の1頭は牝馬だというのだから、これはもはや永久不滅の奇跡的大記録と言っていいだろう。


一方、繋駕速歩競馬においても、非常に輪をかけて極稀にだが、3頭1着同着ということも起きている。
その史上最初となるのが、1953年の10月、米国フリーホールド競馬場にて起きた同着劇と言われている。

パッチオーヴァー、ペイネホール、ペニーメイドという3頭が鼻面を揃えてのゴールイン。
偶然にも3頭とも頭文字、日本語にするとぱ行馬名だったのは単なる偶然なのだろうか…?


1着4頭同着
昭和8年4月28日愛媛県三芳での春季競馬にて。
日本競馬史においてはこの1事例のみ。
  
▲〔10頭立ての1600mにて行われたこの競走にて、なんと一着が4頭、それらから半馬身差で3頭が同着。それからまた半馬身差で3頭が同着という世紀の大接戦〕

英国でも4頭同着が数件報告されている。
最古の記録として残るのが、1808年ボグサイド競馬場の50ポンド・プレートとされている。
また1851年の4月26日、ザホー競馬場のオムニバスSではデフォルター、パルチェリナ、レーンディーヴァ、ゼスクエアオブマルトンの4頭が1着同着。
1855年の10月22日、ニューマーケット競馬場の10ポンドスイープSでは5頭立てで発走され、ゲームスター、レディゴライトリー、オーバーリーチ、アネクスペクテッドら4頭が1着同着という記録。
これら3事例がそれである。


 ★同着アラカルト

2戦連続同着になった馬
キョウエイヤヨイ

生涯に3回も同着を経験した馬
ストレンジメグロ

2戦2勝同着2回の馬
イソエイイーグル

しかも同着になった相手まで同じである上に、2頭とも騎手まで一緒だったという。
1回目の同着は2001年11月30日。2回目は同年12月30日で、相手はプリンスガーデナーという馬だった。同馬は結局その後出走することなく引退。同着のみしか経験したことのない無敗馬という珍記録を残し姿を消したのであった。


騎手の夫婦1着同着
この珍記録は2006年6月6日、名古屋競馬の6日目(これだけ6瓩揃った時点で何か起きそう)の6R…ではなく、2Rで起こった。
この日このレース、名古屋競馬の看板娘である宮下瞳騎手が騎乗したのはヘイセイチャンス。一方同レースには夫である小山騎手もメイショウタンドルに乗って参戦していた。2頭は1頭を挟み、内と外で同時にフィニッシュ!判定の結果はなんと同着!夫婦で同着というのは史上初のケースであった。さすがは仲の良い夫婦。見事な共同作業であったとしかいいようがない(笑)。
同一種牡馬による1着同着
2016年10月1日、阪神競馬場5Rで行われた新馬戦(芝2000m・11頭)にて起こった同着。
中団追走から一旦は抜け出した福永祐一騎手騎乗の3番人気スズカフロンティア(牡2、栗東・橋田満厩舎)と、
外から猛然と追い上げてきた川田将雅騎手騎乗の1番人気サトノアーサー(牡2、栗東・池江泰寿厩舎)が並んでゴール。
写真判定の末、この2頭の1着同着となった。勝ちタイムは2分4秒8(稍重)。
後続は5馬身も引き離されてしまっていた。2頭とも父がディープインパクト。
世界競馬史上唯一となる同一種牡馬での同着劇。ディープは種牡馬としても奇跡を起こす。

馬・競馬にまつわる記録集 * 02:12 * comments(1) * - *

スポンサーサイト

- * 02:12 * - * - *

Comment

これは面白い記事ですね。
世界的名馬の話もいいですが、トリビアとかあまり知られていない名馬の話も大好きです。
3頭同着とか打ち合わせしても難しそうですね。

きんぐへいろー * 2013/11/09 1:31 AM

Submit Comment