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ピンクムーンスノーセラフィム 【一角白鯨冥環】〜unicorn展示室〜




▲木村蒹葭堂『一角纂考』一角獣図・一角魚身有鱗図(大阪歴史博物館編『木村蒹葭堂なにわ知の巨人』(展覧会図録、2003)

   
■一角獣(ユニコーン)の特徴
ユニコーンは、そのほとんどが、ライオンの尾、牡ヤギの顎鬚、二つに割れた蹄を持ち、額の中央に螺旋状の筋の入った一本の長く鋭く尖ったまっすぐな角をそびえ立たせた、紺色の目をした白いウマの姿で描かれた。
また、ヤギ、ヒツジ、シカに似た姿で描かれることもあった。角も、必ずしもまっすぐではなく、なだらかな曲線を描くこともあれば、弓なりになって後ろの方へ伸びていることもあり、鼻の上に生えていることもあった。
ユニコーンは、山のように大きいこともあれば、貴婦人の膝
に乗るほど小さいこともあった。時には様々な動物の体肢を混合させてできた生き物であった。ユニコーンと水には医薬的、宗教的な関係があるため、魚の尾をつけて描かれることもあった。アジアでは時おり翼を生やしていることすらあった。

  
▲壁画に描かれた有翼一角獣。

体の毛色も白色、ツゲのような黄褐色、シカのような茶色と変わっていったが、最終的には、再び輝くばかりの白色となった。

中世ヨーロッパの『動物寓意譚』(ベスティアリ, Bestiary, 12世紀)の中で、モノケロースとユニコーンはしばしば同じものとして扱われるが、中にはそれぞれを別のものとして扱うものもある。その場合、モノケロースはたいがいユニコーンより大きく描かれ、角も大きく非常に長い。またモノケロースの挿絵には処女が一緒に描かれていない。

フランスの小説家のフローベール(1821 – 1880)が『聖アントワーヌの誘惑』(La Tentation de saint Antoine, 1874年)第7章の中で一本の角を持つ美しい白馬としてユニコーンを登場させ、現在ではその姿が一般的なイメージとなっている。

〔ドメニコ・ザンピエーリ(1581 – 1641) 「処女と一角獣」 フレスコ画、ファルネーゼ宮、ローマ〕

ユニコーンのタイプ
一角犀
⇒犀の一種と考えられたもの。中国の本草書では犀の角には解毒作用があるとされていた。
これはイッカクの角や西洋の一角獣の角の逸話に通ずるものがある。

カイチ

⇒麒麟や鳳凰と同様に瑞祥を表す神獣であるが、その角で悪霊をつくとされ、鎮墓や魔除けに用いられたものである。
人の正邪をも判別し、不正な者を突くとされる。

白い聖獣タイプ
⇒一般的イメージの上記イラストと同じものである。

ユニコーンはどこから来たのか
一角獣は一体どこで成立したかは、実のところ分かっていない。

一角犀やカイチが西洋へ伝わって西洋のユニコーンになったとも、あるいはその逆とも考えられる。
『一角獣』著者のR.R.ベーア氏は次のように述べている。
ヨーロッパへはおそらくインドの山岳と川原を越えてもたらされたのではないか。
一角獣は三つの道筋を通ってやってきた。
第一の道はヨーロッパ古典古代。つまりギリシャとローマ人である。
第二の道は聖書であり、第三の道は初期キリスト教的色彩を帯びた自然科学書である。

ユニコーンが示すモノ
処女の前で心許すという伝承にキリスト教が関わることで、一角獣はキリストの象徴となり、処女は聖母マリアの象徴となる。
処女に抱かれたため、猟師に捕らわれてしまう一角獣はキリスト受難の象徴であり、一角獣伝説は多義性を持つに至るのである。
以下、ベーア氏の言葉である。
「一角獣がその幾重にも折り重なり、矛盾に満ちた、象徴的で神秘的な意義を獲得していったのは、本質的にはキリスト教を通じてであった。一角獣は早くからイエス・キリストを表す記号であったが、同時に死と悪魔を表すものでもあった。一角獣はあらゆるものに打ち勝つ主の力を意味し、同時に人間という罪ある衣に身を包む謙虚さをも意味していた。
例えば、一角獣は紋章として騎士の力と勇気を示す徴であり得たし、しかしまた同時に修道院の特性である“孤独さ”の象徴でもあり得たのである。一角獣が処女マリアの息子を表すことから、一角獣は貞節の象徴となる。しかし、馴致しがたい力ゆえに、一角獣はまた制御の利かない欲望をも体現し、その結果ここでもまた、古代とは異なった仕方ではあるが、極めて古い時代からの催淫薬としての角の用法が出現してくるのである。一角獣はキリスト教徒とその教会の統一を意味することもあれば、一方でキリスト教徒の敵、異教徒とユダヤ人を意味することもある。」

日本への伝来はいつだったのか
ベーア氏の著書を邦訳に当たった和泉雅人氏によれば、日本に伝わった「一角獣表象はおおよそ二通りの仕方で受容・育成されたといって良いだろう」と述べている。
すなわち、一つは漢訳仏典を経由した『今昔物語』の中の一角仙人であり、もう一つは南蛮渡来の書物から受容されたヨーロッパ型一角獣表象である。
前者は紀元前二千年頃成立の古代オリエント叙事詩『ギルガメッシュ叙事詩』に発し、インドの『マハーバーラタ叙事詩』所収の「リシュヤ=シュリンガ説話」のような聖人の堕落モチーフとなり、『大智度論』第十一巻などの漢訳仏典を経由して日本に入り、『今昔物語集』などに編纂されたものである。
後者は解毒作用を有する角を持つ一角獣に関わる伝承。寛文三年(1663年)に和蘭商館長が将軍家綱に献上したものに、ヨンストンの『禽獣鳥魚図』があった。その獣部に、角を持つ馬「独角獣」が載せられている。西洋の一角獣の姿が日本に紹介されたのはこの書を初めとすると考えられる。
しかし、実はキリスト教的な色彩を帯びた一角獣の話が、寛文三年(1663年)よりも前に伝わっていた。
それは天正19年(1591年)に刊行されたキリシタン版『サントスの御作業の内抜書』の「バルラアンとサン・ジョサハツ」の中に一角獣は現れているのである。

しかし…ここで疑問が残る。
キリストを顕す記号であるユニコーン=一角獣は天皇家の紋章獣でもあるのである。

▲〔皇室の紋章に現れる一角獣〕

キリストと天皇…何かの因果関係があるのでは。
謎多き人物である聖徳太子。彼がキリストだったとする説もあり、どこか遠い点と線で、リンクしているように感じられなくはないか。また古墳時代の馬の土偶に角のある馬の土偶も見つかっている。
これが意味することは…
  
▲〔角ある馬の土偶(奥)〕


 
1895年頃に東欧で誕生したという突然変異の一角白獣。
頭頂に確かに突起が見られる。
写像としてとらえられた一角獣として唯一伝説のユニコーンに近い存在はこの馬か。

こちらは1927年に生まれたといわれる一角白獣。

メンフィスという名前で、父はエジプト、母はシリア。
アラブの血統馬で額の部分に角のような突起が見られる。


 

  

  【一角白鯨冥環
ユニコーン展示室
 

一角白獣追想譚
“最後に2010年最新のユニコーン目撃譚あり”

 
サーカスに登場した
   人造ユニコーン

ランスロット


▲〔こちらはランスロットとは別のサーカスに所属していた角が生えてきた葦毛馬〕




日本に存在する
  角馬神話



1.三宅島・神着村の一角馬

2.山形県庄内地方の農家の角馬

3.茨城県の廃村に言い伝わる角馬

4.能登半島に降誕した能登駒の母

5.岐阜の武士の愛馬・山桜号

6.高千穂の龍駒

7.沖縄県久米島の琉球一角


8.佐渡ヶ島・馬首の駒角

9.長崎・阿蘇で育った白馬から生えた金色の双角

10.奄美大島に伝わる一夜で馬角が生える奇跡


神着村の角馬事件

神着一角
昌泰元年(898年)の1月24日。伊豆七島に浮かぶ三宅島の神着村で起きた事件。
壬生という家の妻女は、首山という山の方へ向かっていつも小用を足していたのだが、これを毎回見ていた馬がいた。ある時、妻女はからかい半分でこの馬へ話かけ、こう言った。

「お前に角が生えたら、何でも言う事を聞いてあげる」

妻女は、馬などが人間の言葉を理解できる訳がない、万一理解していたとしても、角を生やす事など出来るわけがないと思ったのだろう…それは当然のことである。
しかし、何という事か、この馬に本当に角が生えてきてしまったのである。妻女は何とか誤魔化そうとしたのだが、時すでに遅し。
妻女は馬の玩具にされ、最後は角で突き殺されてしまった。
(話にはもう一パターンあり、こちらは娘に小用を足させていた母親が「角を生やせたら娘をやろう」と問いかけ、馬に角が生えてくる)。

女性の家族は、これに震撼し、戦慄と怒りに身を震わせながら、馬を全員で手にかけ殺してしまったという。
馬の角は今もこの家に残され、死んだ馬は首神社の三島明神として祀られいると伝えられる。また殺害された女性は、こばし神社に祀られたのだとか…。

現在でも、事件の起きた1月24日の夜は、決して外へ出てはいけない、と戒められている。

 

その真実を現在うみねこは追っている――。
▲クリックorタップで、三宅島神着地区でのフィールドワークの調査結果をご覧頂けます!


     


 【一角獣(ユニコーン)
  まつわる主な展示物】
   

『奇跡の名馬』より
インプリウム

    

一角獣の角


『奇跡の名馬』より
「角の生えた競走馬」
セイクリッドホルン


一角獣の瞑譜録




聖なる一角獣“Unicorn” 〜角が生えた馬の話


一角獣(ユニコーン)にまつわる逸話集




〔彼らは実在するのだろうか…?一角獣は白毛であるため、強い芦毛馬や白馬はより一層幻想的に感じてしまう。そこに葦毛の強豪馬の人気の秘密があるような気がしてならない〕

ユニコーンのごとき
    伝説の白馬たち


史上最強アラブの白馬

遠き日の神話
    「伝説の白翼姫」




ユニコーンの骨格図



     
今回の写真元:Mr.Woolhouzen、Mr.Neelほか








伝説の
 「ユニコーン」が
ドンバレー渓谷で
     目撃される
    
  
                      

2010年10月、カナダはトロントにて、伝説の生き物と言われつつも、とらえどころのない生物のひとつとして有名なユニコーンが、ビデオで撮影された。
問題のその映像を撮影したのは、地元のバードウォッチャー、ピーター・ヒッキー・ジョーンズ氏。
ドンバレー湿地へバードウォッチングに訪れていた同氏が木の陰から走ってきた白馬へ目をやると、その動物は、一角を持っていたのだという。

 
▲〔これがその映像。確かに角らしきものが見える〕

ジョーンズさんは、専門家に映像の分析を依頼するために、オンタリオ州立の科学センターに映像を持ち込んだ。科学センターでは、ジョーンズさんの主張を確かめるために、現在、映像を1コマずつ点検している。科学センターのスタッフは、さらに詳細なテストをおこない、ジョーンズさんが言う「ユニコーンの目撃」が実際かどうかを立証したいとしている。
一方、センターのスタッフたちは、その動物に遭遇した時のための、呼びかけを行った。目撃した時には、その白獣を極端に刺激するような動作やフラッシュ撮影は控えるようにという、異例とも言える喚起だった。 
オンタリオ科学センターでは、ユニコーンに関する詳しい情報のための緊急ユニコーン・ホットラインを開設した。どんな目撃例でも寄せてほしいという。

 
    山桜鹿毛
 

 
岐阜県、高山市は飛騨の山中にある山桜神社には、一頭の伝説の馬が祀られている。
それが犹該鹿毛瓩任△襦この馬には、なんと牾儉瓩生えていたというのである。
果たして如何なる馬であったというのか。
古い文献や古老の言い伝えによれば、山桜は江戸時代に実在した馬だったらしく、元は野生馬だったという。その後、高山城城主・金森頼直に献上され、頼直の愛馬となって主に仕えた。
1657年(明暦3年)、高山藩の江戸屋敷が火に包まれてしまったのを、山桜は百間堀を飛び越えて、頼直を救ったという。その際、主の頼直と家臣3人の計4人を一度に乗せて走ったという伝説が残されている。 山桜はその功績により、溺愛され大切に愛育された。
晩年には中向町(現在の高山市本町2丁目)に厩舎を立ててまで格別の飼養を施され、いたく主に愛撫されたという。山桜が死亡すると、遺骸は火葬され、松倉山の山麓に懇ろに弔われた。この厩舎の跡には社殿が建てられ、山桜を称える神社が創建された。これが現在の山桜神社であるという。

 
▲[山奥に佇む山桜神社]

この神社は、鎮火、火の用心、家内安全、無謀息災、商売繁盛、交通安全にご利益があるという。地元では「馬頭さま」と呼ばれ、毎年8月1日〜15日には「馬頭の絵馬市」が開催され、一際にぎわいを見せる。

  
そして、これが山桜鹿毛の角と伝えらる角である。

 
   能登の角馬
 

 
石川県の能登町柳田においては、かつてその昔、馬の生産が盛んで、「能登馬」としてその名を全国に轟かせていた。頑強な体と温厚な性格で重労働に適したと伝わる。勝海舟に師事し、明治期に政治家としても活躍した15代竹内虎松が在来血統を改良した馬は特に「虎松馬」と呼ばれ、優秀な農耕、荷役馬として関西や中京地方にも売られた。旧柳田村史によると、日露戦争期は盛んに生産され、旧陸軍第9師団の将校用軍馬のほとんどに能登馬が充てられた。
日本で独自の繁栄を遂げたその他の在来種に同じく、明治末期にその数は減少の一途を辿り、その姿は歴史の彼方へと消失されてしまった。
その明治の終わりに、奇妙な能登馬が一頭実在していた。その馬は、なんと頭に角があったというのである。この角馬は雌馬で、産んだ馬は全馬良馬だったという。
この馬の記録は1909年(明治42年)の文書に記されている。

 
     龍 駒
 

 
大分県は高千穂地方に伝わる伝説の一角駒。
この馬は頭部に角が生えており、高千穂町の祖母山に棲息し、とある民家に飼われていた馬との間に子馬をもうけたのだという。その仔馬にはまた角が生えており、明治初年まで生きていたという
(多くの目撃談あり)。


  馬首の駒角
 

 
首に五平という百姓がおり、この家で買っている駒(馬)はすばらしい名馬で、昔から「名馬には角がある」といわれており、この馬にも人間の小指ほどの角が生えていたという。この噂は佐渡のみならず越後(新潟)までひろがり、この噂を聞いた越後の博労がやってきて大金で買い取って連れていった。その後、五平は寂しい日々をすごしていましたが、ある朝、売ったはずの馬の鳴き声で目を覚ましました。馬は五平を慕って、はるばる海を泳いで帰ってきたのである。しかし、越後の博労は再びやって来て五平の愛馬を結局連れて帰っていってしまう。それから数ヶ月もたったある日、海岸に馬の死骸が打ち上げられていた。それは五平の馬だった。馬は五平を慕い、前と同じように泳いできたが、途中、力尽き溺れてしまったのだろう。この名馬の角は今も五平の子孫に伝えられているという。また、「馬首」という地名もこの話が由来となっている。

▲〔新潟県佐渡市馬首の様子〕


 金色双角の白駒
 
奄美大島の北部の大豪農・伊家に伝わる逸話。
子孫の伊集院兼広氏の話では、伊家においては57頭の馬を飼養していたが、その中に白馬がいた。
白馬は阿蘇や長崎で育てられた老馬であった。
ある夜あまりに鳴く為、当主が出向いて額を撫でて慰めたが、その時ふと白馬の額が輝いている事に気がついた。
その金色の光は二条輝いており、双角の角と変わった。
世にも珍しい「馬角」として伝わり、「海上安全」、「万難を排する百薬の長」として伝えられている。
この角は1885年(明治18年)、日本最初の勧業博覧会に出品され評判となり、当時の新聞を賑わせた。
また、伊集院氏の祖父・兼親さんが日露戦争の際、首にかけて出征した所、たった独り生き残りの幸運に授かったという話もある。


 一夜にして
 角が生える奇跡

 

奄美大島では一夜にして馬に角が生えるという異変がよく起きていたという。
有屋の福家では、ある日突如として飼養していた馬の額から二本の角が生えてきたという。
不思議な事に、その怪異が起きて以降、福家はますます栄え、資産の上にいよいよその財は膨れ上がり、
繁栄の極地に達したという。
しかし、角馬がいなくなるや、見る見るうちに衰亡していったとされている。
この話は『奄美拾遺集』に記されている。

また名越佐源太の『南島雑話』にも「一夜にして角の生えた馬」の話を認めることができる。
同じく奄美大島の西間切篠川(瀬戸内町篠川)の農家でも、飼っている牝馬に一夜にして二つの角が生えてきたという。
新納仁郎という人物がその角を買い、本土へと持ち帰ったという。
なぜ奄美の大豪農の馬にだけ角が生える奇跡が怒るのか…全くの謎である。



  クラウソラス


ベルギーのとある乗馬クラブに所属していた葦毛馬バスター号。
2007年の初夏、なんとこの馬の頭部から角が生えてきたという。
一夜にして生えた訳ではないようなのだが、角からは微光が放たれており、乗馬クラブの関係者は皆一様に戸惑い、中には狄世稜廊瓩反鬚瓩呂犬瓩觴圓泙埜修譴燭箸里海函
一方で、子供たちは「ユニコーンに乗れる!」と大はしゃぎ。一気にクラブの人気者になってしまった。その後、間もなくして、神々しいオーラを放つバスター号は名前を改められ、ケルト神話に登場してくる“光の剣”こと爛ラウ・ソラス瓩量召与えられた。眩しいまでのアイドルスターとして大切に愛育されたという。死後、解剖と角の研究解明にあたりたいとする有識者が後を絶たない中、場長をはじめとする関係者は「そっとしておいてあげてほしい」と哀願している。
果たして、彼は本物のユニコーンなのだろうか?

散在する一角獣

新情報が入りました!!



ユニコーン頭蓋骨
  米国にて発見される。


2013年の4月26日、ペンシルヴァニア州にて、洞窟の中に
あった白い箱を、付近を探索していた男性が発見。
その中に納められていたのがユニコーンの頭蓋骨であるという。
その頭部の骨格が以下の写真のものである。

   
果たして、一体どのような生き物の骨なのであろうか…
そして何故、洞窟の中、箱に納められて眠っていたのであろうか…
謎は深まるばかりである、


 一角獣の頭骸骨その2


英国の博物館に安置されているという頭骨。
突然変異か、それとも…
頭から角が生えてきた馬の頭部だという。


 一角獣のミイラ

 
▲日本の一角獣のミイラ。東京近郊のとある宝物庫に眠っているという。


▲[こちらは有名な2007年に発見された幼獣のユニコーンのミイラ]






 一角獣の骨格


年代に関しての詳細は不明も、考古学的に“一角獣”と学会からも認められたユニコーンの骨格がこれである。
この骨格の一部はレプリカで補完されている(脚部など)が、頭部から胸部、尾部までは本物の骨である。
ドイツのクウェドリンバーグのチューニンケンベルグ山にて発掘された物と言われる。



これらのミイラ・骨格は、
果たして本物なのか…!?



実在したバイコーン

二本の角を持つ馬は日本の山形県の農耕馬や、世界各地にて報告が寄せられている。

阿部憲一さまより貴重な情報を頂きました!

米国二冠馬ベルマー。鉄色芦毛のバイコーン。
そしてもう一頭、マルーニッド(Marooned)号という去勢馬は1930年代初頭、世界恐慌の時代に61戦21勝の大活躍をおさめたバイコーンだったという。


そして…『まんが日本昔ばなし』においても二本の角のある馬の生涯を綴った話が放映されておりました。



角のある子馬

[あらすじ]
昔、日立の国に野々平(のんのんだいら)という小さな山間の村があり、村はずれの丘の上に伊平衛(いへい)という男が一頭の雌馬を飼っていた。
この雌馬、ある日子馬を産んだのだが、なんとその子馬の頭には角が二本生えていた。この子馬を見た村の衆は、たいそう気味悪がり、伊平衛に子馬を始末するように言った。しかし伊平衛は、とても子馬を始末することなど出来なかった。
その後、母馬は産後の肥立ちが悪く死んでしまったが、子馬をすくすくと育ち、伊平衛はこの子馬をアオと名付けた。ところがある日、村人がアオを余計に気味悪く思う事件が起きた。アオは山の椎の木の大木に一人で登り、その上で休んでいたのだ。
さらに悪いことには、ある夜村から逃げ出した一頭の馬が畑の作物を荒らし、村人はこれをアオの仕業と決めつけたのだ。村人は伊平衛の家に押しかけて、子馬を始末するか、村から出て行くか二つに一つを伊平衛に迫った。
村人から責め立てられて耐えきれなくなった伊平衛は、泣く泣くアオを縛って花貫川(はなぬきがわ)の淵へと沈めた。
すると、どうだろう。それから何日かして、村を落雷と暴風雨が襲った。そして最後には山崩れが起き、村を全部土砂の下に埋めてしまったのだ。山崩れの後、一人丘の上に立つ伊平衛の耳にはアオの鳴き声が聞こえた。そしてその声は、「畑を荒らしたのは俺じゃねえ。」と言っているように聞こえたという。今でも耳を澄ますと、子馬の悲しげな声が花貫川から聞こえてくるという話だ。

▼クリックorタップするとアニメが流れます(音量にご注意ください)

■名馬里ヶ淵の伝説■
昔、野々平という小さな村に伊平衛という男がいた。この家で飼っていた雌馬が、不思議な子馬を生んだ。子馬には角があり体は竜のようで、ません棒(馬をつなぎ止める棒)の上で昼寝をしていた。家の者たちが奇怪なしぐさをするこの子馬を怖がるので、伊平衛はナメリガ淵という所へこの子馬を沈めてしまった。するとその夜、大嵐が起こり、大きな洪水が野々平を襲って、村は跡形もなく流されてしまった。村人は伊平衛の子馬の霊の祟りだと噂をしたという。

本当にあった大洪水
この洪水は、延享2年(1745年)5月9日に実際にあったもので、当時、秋山村内新田にあった野々平は、この洪水によって壊滅したという。その状況は、『松岡地理誌』や『中戸川新田延享ニ年丑五月九日夜半大嵐下書控』などに詳しく書き残されている。



美空「ほんとにユニコーンっているんですかねぇ?何かどの写真も嘘っぽいって言うか…」


うみねこ「でも突然変異みたいな一角馬がいた記録は日本にも確かに残されているからね。そういうのって日本に限らず散見できるんだけど、全世界にそれだけユニコーンのイメージが流布してるのはキリスト教の影響がかなりあると思うんだよね…」

美空「あっ…見てださい!うみねこさんの大事にしてるヌイグルミのトンコちゃん(心友のMに貰った大切なヌイグルミなのです)の頭に…!」


    
「…つ、角が生えとる!!」

   
「うみねこさん、遊んでる場合じゃありません!とんでもないもの発見しましたよ!!」

「カエル大佐…どうしたのって…こりゃ!!?」
 
 本物
  
ユニコーン写真

 

撮影された年代国・場所などの詳細は不明。深夜に撮られたという一角獣の写真である。
写真を撮った人物は駐車場に車を止め、部屋に戻ろうとした時にこの生物に遭遇した。


首を振り光を迸らせたかと思うと、瞬時に姿を消していたという。
確かにこの写真、これまで見た中でも異様なまでの神威的オーラというか、狢ならぬもの瓩鬟劵靴抜驚里任る。

   
ちなみにコチラのものも、角が生えた馬として撮影された白馬の写真だという。
撮影年代は不明。



コチラも撮影年代他一切不明。
ハッキリと角が見える白馬が写されているが…


これらの写真を見て、私たちは沈黙に蓋されたかのように、誰も一言もしゃべれず、ただただ写像の生物を見つめ続けていました。

 


果たしてこれは本物なのか?
ユニコーンは突然変異などではなく、猖槓瓩存在しているというのか?

謎が謎を呼ぶ一枚に心は揺す振られる――……・・・

ちなみに↓はニセモノです。





ミソラ
「よ〜く見ると…わかりますね。角の根元とか…」



▲〔イッカクがユニコーンのモデルと言われているが…〕


実のところ、アラビアオリックスがその正体なのでは…?
と、最近私は考察を深めている次第です。


▲〔アラビアオリックス。確かに似ている気が…〕

     



≪写真・イラスト提供・協力≫
秋山由美子、ピーター・ヒッキー・ジョーンズ氏、バルディーホールライヴリィーステイブルほか

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