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フォルリ

〜南米の風、南米の太陽、
     その熱き情熱〜

 ―異次元の超高速馬

 

父 アリストファネス
母 トレヴィサ
母父 アドヴォケイト

生年:1963年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:アルゼンチン
生涯成績:10戦9勝[9‐1‐0‐0]
フリーハンデ:‐

経済、社会面からはアルゼンチンは南米第2位だろうが、競馬・馬産に関しては断然のトップある。
1850 年にはじめてサラブレッドが輸入され、やがてはオーモンド、ダイヤモンドジュビリー、バーラム、シリーン、ガルフストリームといった英三冠馬や歴史的名馬が次々とアルゼンチンにやってくる。アルゼンチンの馬産レベルは飛躍的発展を遂げ、1882年には元大統領のカルロス・ペレグリーニ氏によってジョッケクルブが統合され、本格的に近代競馬が催されるようになる。

フォルリはそんなアルゼンチンの真価を世界に誇示した、アルゼンチン最強馬にして南米競馬史上最強の名馬である。

フォルリはサンイシドロ競馬場の1400m戦でデビュー。スタートと同時に猛烈な勢いで加速をしてゆき、ゴールした時には12馬身差もの大差をつけていた。続く二戦目も17馬身差つけ楽勝。さらに、2歳チャンピオン決定戦モンテヴィデオ賞も馬なりのまま5馬身差の逃げ切りを果たした。

  
[フォルリは芝でもとんでもなく強く、そして速かった…もしかしたら、芝砂両用の史上最強マイラーだった可能性もある。写真はモンテヴィデオ賞のゴール前]

そして、いよいよフォルリの亜四冠を目指す戦いがはじまる。
アルゼンチン四冠の一冠目、ポラ・デ・ポトリロス(1600m)は12馬身差をつけ、軽やかな逃げ切り。この時、電光掲示板には1:33.4という当時としては考えもつかない、驚異的タイムが表示されていた。(ちなみに、当時の日本レコードは1:35.8。)

二冠目ジョッケクルブ賞(2000m)は2馬身半差の快勝だったものの、明らかにゴール前の脚色が悪くなっていた。そう、フォルリの弱点は距離にあったのだ。

三冠目ナシオナル大賞(アルゼンチン・ダービー、2500m)は何とか勝ったものの着差は1馬身差なうえ、ラスト1Fが15秒もかかりフラフラだった。この光景を目にしたファンはフォルリに半ば失望にも似た感覚を抱いてしまう。

しかし、フォルリの真価発揮は最後の一冠で示された。
同廐馬の助けも借り、芝の3000m、南米の凱旋門賞・カルロスペレグリーニ国際大賞典を2・1/2馬身つけ、見事に逃げ切ってみせたのである。
人々は皆、惜しみない拍手をフォルリに送り続けた。フォルリは、離れかけたファンの心を、たった一戦で取り戻したのだ。

 
 〔種牡馬時代の様子〕

アルゼンチン四冠達成後、フォルリは渡米。不況に陥ったアルゼンチンを励ますかのように、米国でも芝・砂問わず活躍した。
レース中の骨折により2着敗退し、引退。南米の風を受け、南米の太陽のように輝きを放った名馬の情熱は、世界中の馬たちへ伝えられていく…。
・“フォルリ”とは、イタリアの街の名前。

・「四冠」と言うと、日本では三冠+ジャパンCor有馬記念制覇のようなものだろうが、その難易度は桁外れ。
フォルリが四冠に挑戦した当時、アルゼンチンの馬は7月になると一つ歳を取るのだ(現在は7月)。
つまりアルゼンチン四冠とは、しいて日本に例えて言うと、実齢2歳でクラシック三冠を戦い、ジャパンCを勝つというとんでもなく過酷な戦いなのである。

・フォルリはグレイボーン牧場で種牡馬になった。史上最強のセン馬フォアゴーなど、活躍馬に恵まれ、26歳の長寿を全うした。

奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 14:17 * comments(0) * trackbacks(0) *

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