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神着一角神獣の謎 〜三宅島踏査記録譚〜


神着一角神獣の謎
〜三宅島踏査記録譚〜

2014年初夏某日、私は調布飛行場へと向かうべく、駅を出るや単身タクシーへと身を転がした。
鈍色の曇天の下、向かう先は三宅島。

日本に存在する角馬七神話の一つ、神着村に現れたという一角獣の調査が今回のフィールドワークの主旨である。
前述したように日本には馬に角が生えてきた…もしくは角が生えた馬が産まれてきた…という言い伝え、伝説、民話が七例存在している。


日本に存在する
  角馬神話



1.三宅島・神着村の一角馬

2.山形県庄内地方の農家の角馬

3.茨城県の廃村に言い伝わる角馬

4.能登半島に降誕した能登駒の母

5.岐阜の武士の愛馬・山桜号

6.高千穂の龍駒

7.沖縄県久米島の琉球一角



▲〔その他のユニコーン情報・一角獣への民俗学的考察は上のイラストをクリックorタップでジャンプ!〕


今回は三宅島…という事なのだが、この三宅島の伝説として残る角馬は他とは一線を画した異を呈す存在である。
それというのも、この角馬は殺人を犯しているのである。その詳細は以下の通りである。
 
 
神着村の角馬事件

神着一角
昌泰元年(898年)の1月24日。伊豆七島に浮かぶ三宅島の神着村で起きた事件。
壬生という家の妻女は、首山という山の方へ向かっていつも小用を足していたのだが、これを毎回見ていた馬がいた。ある時、妻女はからかい半分でこの馬へ話かけ、こう言った。

「お前に角が生えたら、何でも言う事を聞いてあげる」

妻女は、馬などが人間の言葉を理解できる訳がない、万一理解していたとしても、角を生やす事など出来るわけがないと思ったのだろう…それは当然のことである。
しかし、何という事か、この馬に本当に角が生えてきてしまったのである。妻女は何とか誤魔化そうとしたのだが、時すでに遅し。


妻女は馬の玩具にされ、最後は角で突き殺されてしまった。
(話にはもう一パターンあり、こちらは娘に小用を足させていた母親が「角を生やせたら娘をやろう」と問いかけ、馬に角が生えてくる)。

女性の家族は、これに震撼し、戦慄と怒りに身を震わせながら、馬を全員で手にかけ殺してしまったという。
馬の角は今もこの家に残され、死んだ馬は首神社の三島明神として祀られいると伝えられる。また殺害された女性は、こばし神社に祀られたのだとか…。


現在でも、事件の起きた1月24日の夜は、決して外へ出てはいけない、と戒められている。
葬られた馬の首が、村中を飛び回るのだという。


事の顛末は上記の通りである。
その真実を確かめるべく、降り立った三宅空港。駅舎のような小さな空港を出ると、そこはとても同じ東京都とは思えぬ、どこか南国ムードを漂わせる、離島ならではの世界観が広がっていた。


島を一周する道路を道なりに歩み、阿古の集落を目指す。
まずは宿を決め、本格的探査は翌日と出立前から決めていた。
小さな社や祠が、荘厳と森閑たる雰囲気の中、あちこちに鎮座している。なかなか見られない光景だが、これも外界と隔離された離島ゆえの特色である。2000年の噴火も影響してか、廃屋もかなり目立つ…いやそれ以前とも思えるほどの崩落ぶり、その古色蒼然たる佇まいに、思わずジャパン・モダン・ダークサイド・ホラーゲームであり、映画化もされた『サイレン』を連想してしまった。たしか映画の舞台は八丈島だった。同じ伊豆七島ゆえの想起だったのかもしれない。


▲〔道路脇の自動販売機をふと見てみるとすべて100円!そしてサイドには飾られたイルカやクジラの揺れる玩具が〕

阿古の夜。夕景坂の夕日を見送り、民宿で鯛の刺身に舌鼓。
日が明けるや、すぐさま歩を向けたのは島の郷土資料館であり、図書館でもある市役所であった。
箱物の中に眠る、いにしえの文書が語るは果たして――


馬がいない。
馬がいたという記録が遅々として見つからない。
資料館の方々へ聞き込みをしてみるが、やはり馬は三宅島に一頭もおらず、2000年の噴火前も牛ならいたが馬はいなかったという。図書館の司書を務めておられる古翁の方にも聞いてみたが、大昔役人が乗っていた馬はいたが、それ以外では馬はいなかったと思うとの事。
そこで曰くつきの馬の角の話を切り出してみた。するとその古老の方は、「聞いたことがある」とのこと。

「おそらく、その話を知っているのは壬生屋敷の神主さんくらいかと…」
(実際に島民の方で知っているのはご年配の方の極少数の方のみでした)

壬生家は一角馬による婦女殺人が起こった、まさにその現場であり、その馬の飼い主だった神官の家である。
すぐさまタクシーへ乗り込み、神着村・壬生屋敷へ。


▲〔壬生屋敷〕

馬の角は実在した。
しかし、一般公開はしていない…。

懇願してみたが、丁重に断られてしまった。
神主さんいわく、
「馬の角の伝説、云われ色々あるようですが、私はあまり詳しく分かりません」

…とのこと。
しかし、諦めきれず、その特徴だけでも教えて頂きたいと頼み込むと、それのみなら…ということでお話しを頂戴することができた。壬生さんの話では…


神着村・馬の角の特徴

・一本角である。
・長さは15cmくらい。
・色は茶色から黄土色。
・太さは片手で握って指と指が届かないくらい。

(『うみねこ博物館』独占調査情報。他ではどこにも掲載無しの極秘情報です。)




はたして本当にあるのだろうか。いや…正確には「角馬殺人事件」は本当にあったのか。
民俗学的見地から考証を進めてみたい。
三宅島に馬はいなかった。
唄や句の中にわずかにその存在を確認できたのみである。
馬の存在意義が際立っていなかったこの島に、唯一残るであろう馬にまつわる奇談は、あまりにも特異な存在として映えるのである。
しかし、壬生氏一族は神官・代官の一族であり、来島の際に馬の1,2頭、連れだって来ていても何ら不思議はない。
では馬がいたとしよう。しかし、その馬に突然角が生え、そして刺し殺すといった事が現実には考え難い。
その馬が本当に神の力を宿した超常的存在であったなら話は別になるが、その馬は何らかの記号なのではなかろうか。
伊豆七島に伝わる海難法師の夜、1月24日と同日が禁忌の日とされているのも引っ掛かる。

海難法師
江戸時代、伊豆諸島は徳川幕府の天領であり、代官が度々来島巡視し、治めていた。その間、254年間。30名もの代官が就任したと紀伝されている。
中でも特に性悪の悪代官がこの地を牛耳ることになった時代があったという。島民たちは皆、その悪政に喘ぎ哭いたという。
ある時、新島を視察することとなったこの代官の乗った船が、大島を出た後、船頭たちが船の栓を抜き逃亡。悪代官は海の藻屑と消えることとなった。1月24日の出来事であったという。
ところがである…事件以来、毎年1月24日の命日となると、その亡霊が伊豆の島々に現れ、島民に危害・呪いを加えるようになった。島の人はこの亡霊を海難法師と呼び、1月24日を厄日とした。
三宅島も例外ではなく、昭和の中期まではこの日が最も恐ろしい日とされた。
1月24日はすべての人が仕事を早めに切り上げ、なんと便器まで家の中に持ち込んで(当時は便所が必ず戸外にあった)戸締りを厳重に行い、絶対に外に出ることはなかった。

長い一夜が明けると、餅を油で揚げて家族揃ってこれを食べた。これは厄払いの一環であり、もしこの油揚げを食べずに外出しようものならば、必ず海難法師の祟りがあると信じられていた。

現在では1月24日を気に掛けることはあっても、外出を一切控えるということはないようであるし、若者は一笑して取り合わない。この「1月24日」に何らかの大義が、裏に隠れているような気がしてならない。

もし馬ではなく人だったとしたら――。
西洋に伝わりしユニコーンはイエス・キリストを表象する記号だとする説がある。
ユニコーンは処女にのみ心を許し、そうでない場合、獰猛性を剥き出しに怒り狂い、その強靭なる角で乙女を一刺しにしてしまうという。
この神着村で起きたという角馬事件と非常に酷似している。
馬は役人の乗り物だった…それはまた貴族を表す記号にもなりはしないか。
“馬”は“貴族”の置き換えであり、また「一本角」は男性の生殖器「男根」へのイメージ転換が可能ではなかろうか。
壬生家の妻女へ暴行を犯した貴族・役人を一族総出で殺める凄惨な事件。
その貴族の祟りを懼れ、一年毎に秘供養を施す…その光景は見られる訳には行かぬ行為そのままでしかない。村民・島民たちの目を絶対に背けさせる必要があった。そのための夜を禁忌である1月24日にあてがったものだったとしたら――。

これはあくまでも私個人の民俗学的考察の一環・一考でしかないし、また絵に描いた麒麟そのままの想像でしかない。
しかし、である。
あらゆる言い伝え、謂れ、神話・民話・伝説の根底にあるのは「二律背半の精神」である。
要するに「忌まわしい記憶を封印すると同時に記録する」。
それ即ち「記憶の封印と記録」である。
何かがあるのは間違いの無い推察な筈である。


雨粒が落ちるアスファルトを滑走路に、飛行機は雨雲を切り裂き東京へと飛び立った。
靄がかったような、暗転たる心模様の私を乗せ飛行機は三宅島から遠ざかっていく。
答え無き夢幻のフィールド、民俗学。そこに佇立する一角獣は何を伝えようというのだろう。


次なるレジェンドを求め、私は島を後にした。暗鬱と清爽が背中合わせな、そんなイメージぴったりの初夏だった――



美空
「うみねこさん、お土産は!?」

「土産話ならある!あと、壬生屋敷のおばあちゃんに貰ったトマトも(笑)!」
 


 橋辺浜十五夜


三宅島には東西南北すべての箇所に集落があり、異なる方言と文化が根付く民俗文化的にも貴重な島である。
その一つの集落に伊豆地区がある。この地区の橋辺浜には大変珍しい風習があった。
十五夜には餅や団子を供えるのは全国的な風習であるが、橋辺浜ではこの供えた餅や団子を子供たちが竹製の銛(もり)で突きとって食べるというのである。この餅や団子を食べると無病息災であるというところから始まった風習なのだという。
子供たちは十五夜になると日暮れを待ちかねて手製の銛で他家の供え物を突いて歩く。この奇習は橋辺浜だけのもので、他村にはなかった。
この風習も昭和12、13年頃を境に下降線を辿り、今は途絶えてしまった。

この奇習は正にこの島の集落ごとに異色をなす文化性を象徴している民俗だと思う一方、このような、稀少な失われていった習俗を後世へと伝える意味は大きいと感じての記載である。
『うみねこ博物館』以外で、この風習を書き記した書物は、『三宅島史』くらいのもの。
細々でもいい…せめて語り継がれていってほしい文化・奇習・風俗はまだまだ存在しているに違いない。



あ、これもお土産!
帰り道のお菓子屋さんでゲッツ!

こんなパッケージみたら買わなきゃでしょ!?

美空
「こ、これっ三宅島の売店で買ったんですよね!!?」

うみねこ
「いや、フツーに東京近郊だけども?」


「きんこーかっ!!
しょーモナッ!!!」





 おしまい!

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