<< 第29回 JAPAN CUP / main / 第10回 JAPAN CUPダート >>

ヤタスト ―Yatasto―

 【 ヤ タ ス ト

  〜 絶影冥王

南米大陸史上最強
   南半球究極の神駒



(写真:Podotroclear.com)

父 セリムハッサン
母 ユッカ
母父 コングリーヴ

生年:1948年
性別:牡
毛色:黒鹿毛
国籍:アルゼンチン
生涯成績:24戦22勝[21-0-1-1]
主な勝ち鞍:アルゼンチン四冠{ポーラデポトリジョス・ジョッキークラブ大賞・ナシオナル大賞・カルロスペリグリーニ国際大賞典}、カルロスペリグリーニ国際大賞典、オノール大賞、ムニシパル大賞、サンイシドロ大賞ほか

戦後のアルゼンチン競馬に出現したスーパーグレートホース。その力・その理力・そして速力から内在する潜在能力まで…何もかもが異次元世界のものであった。絶対的神威を闘輝として全身から放光し、無敵の競走馬として躍動。その破壊神を想起連想さする轟烈なるモーションに見た者誰しもが震撼と戦慄に身震いする以外の挙動を瞬時に禁じられ、混沌の海麟に身を委ねるしかなかった。

アルゼンチン史上最強馬はフォルリというのが日本に流布している定説だが、彼、ヤタストは「何のヤタストこそアルゼンチンはもちろん、南米大陸史上最強馬だ」…と間違いなく豪語できる程の名馬である。私がフォルリよりヤタストを上位と考えるのは、距離適性からである。確かに、フォルリのスピードは史上屈指のものがある。しかし、フォルリはスタミナ面に欠落を抱えていた。その点、ヤタストは距離万能。距離が延びれば延びる程、その真価を発揮する馬だった。おおよそのところ、1,000から1,800までならフォルリ、それ以上の距離ならばヤタストに軍配が上がるだろうと考えられる。
…とまあ考察を呈して見たのだが、いや…間違いなくヤタストは、アルゼンチンはおろか、南米大陸に屹立する史上最強馬であると確信しているし、南半球全土を見渡して見ても、ファーラップカーバインメルアメインブレースといったオーストラリアやニュージーランドが生んだ英雄たちから、南アフリカ史上最強のシーコテージ、東アフリカを支配したケニア史上最強馬ジェラバブ、インド競馬史上最強馬イルーシヴピムパーネル、環太平洋エリアの怪物クシピアース、そしてフィリピン競馬の伝説・フェアアンドスクウェア…といった史上最強級の伝説の名馬たちをも圧倒してしまうことだろう。ホームであるアルゼンチンにディープインパクトが乗り込んだとしても、この馬はディープの犇飛ぶ走り瓩療慶覆鬚睇じ、返り討ちにしてしまう可能性が高い。
古代中国に自らの影が追いつけないほど速く走る狎箟騰瓩箸いμ焦呂いたらしいが、ヤタストはまさにそれ。それほどのとんでもない無限にして夢幻大のポテンシャルを抱擁していた神駒だったのである。



真・伝説の究極馬ヤタスト。それでは、その偉大なる蹄跡を、少しずつ廻航してゆくこととしよう。
デビューから颯爽と駆け抜け、赤子の手を捻るより簡単楽々と、亜三冠であるポージャデポトリージョス(ダ1,600m)、ジョッキークラブ大賞典(ダ2,000m)、ナシオナル大賞典(ダ2,500m,アルゼンチンダービー)を無敗で達成。返す刀でカルロスペレグリーニ国際大賞典(ダ3,000m、現在は芝2400m)も圧勝し、なんと不敗のまま四冠馬となってしまった。この年、当然ではあるが、ヤタストは年度代表馬に選出されている。
こう短絡的に書いて見ると、無敗の四冠馬な訳であるから相当強いことは簡単に窺い知れる。しかし、この馬のとんでもない能力は詳細かつ丹念に書けば書くほど浮き彫りになってくる。
まずデビューしたのが1951年の3月4日で芝の1,000mで3馬身差の楽勝。ほぼ馬なりだったことは言うまでもない。その2週後のオレンジ賞(ダ1,000m)で楽々と10馬身差の大差勝ち。このあとは快進撃で三冠を鯨飲してゆく訳であるが、その全てが本気で追われることのない、大楽勝。2馬身半差が最小着差で、それ以外は全戦3馬身〜6馬身の圧勝。

シーズンが替わっても、ヤタストの怪躍進に歯止めがかかることはない爐呂梱瓩任△辰拭
ところが、ヤタストは漫然たる脚部不安を抱えており、間近に控えたブラジル遠征に陣営は躊躇していた。結局、星を戴きながら国境を越え、乗り込んだはブラジル・サンパウロ。異国の地へもアルゼンチン不敗の四冠馬の名声は轟き渡っており、ブラジルのジョッキークラブはこの名馬を売りにサンパウロ大賞(芝3,000m)のアピールを大々的に敢行していた。
しかし、レース直前、ヤタストを取り巻く事情は一変する。脚部不安が頭を擡げ、レースどころではなくなってしまったのである。陣営は当然ながら回避を表明したのだが、ジョッキークラブ側はこれを易々とは承諾しなかった。ここで今年最大の目玉に帰られてしまっては、ファンの落胆の大きさは計り知れず、売り上げにも甚大な凋落を与えることは明白。ヤタストなくしてのサンパウロ大賞など、レースの意義が無いも同じ…と扇情的かつ熱心に訴えたが、ついにはブエノスアイレスから獣医が駆けつけ、協議は大揉め。混線鼎談した喧々諤々たる議論の末、結局陣営側が折れることとなり、しぶしぶ出走。脚部不安のまま、全能力の半分も発揮できない最悪の状態で出走。ジョッキーも追うに追えず、苦渋と悔恨の残る敗戦(4着。この状態で4着とは…)を喫してしまう。これがヤタスト初の敗戦であるが、まともに走ったらどれだけ強いのか、それは誰の目から見ても明らかだった。その証拠に勝ち馬の馬主が、「私の馬はヤタストに絶対に勝てない…ヤタストが四本の脚ではなく、三本の脚で走り、三本の脚で敗戦してしまったことは、明白だ」と述懐しているのである。
ちなみに、余談だが、サンパウロ大賞の調教後に左前の脚を負傷してしまっていたらしい。その調教の時のタイムが空前絶後のもので、シダージ・ジャルジン競馬場の1,200mのレコードで颯爽と走ってしまった。その場に居合わせ、その光景を目撃してしまったブラジルの競馬関係者は絶対的敗戦を覚悟していたのだという。しかし、その絶望的殲滅の事態は、ヤタストの故障により救われることとなった…。

失意の帰国後、ヤタストはじっくりと身を休め全快。さらに禍々しいオーラを迸らせ、7月20日の復帰戦・チャカブコ賞(ダ3,000m)を15馬身差の大差勝ちで派手に飾ると、続くジェネラル・ピュレドン賞(芝4,000m)では馬身差換算不可能・後続が霞むほどの超・超絶大差大勝(成績表では「道路一本分の長さ」とあり、凄まじい着差であったことが偲ばれる)。

     
[まさに超絶の一語。「道路一本分の長さ」の意味が分かる気がする]

南米のアスコット・ゴールドCと呼ばれるオノール大賞典(ダ3,500m、現在は2,500m)では、初となる苦戦。プレテクストという馬を相手に、執拗に絡まれ、先頭を直線明け渡してしまう。しかし、そこは無敗の四冠馬。最後の最後、100mで差し返し、2馬身突き放して事無きを得た。
ところがである。この年の連覇を狙ったカルロスペレグリーニ国際大賞典でレース中に脚部不安を発症し、レースどころではなくなってしまう。しかし、ヤタストは信じ難い強靭なる精神力で耐え抜き、3着入線。負ける要素など、微塵もないハズだった…それゆえ調教師をはじめとした陣営への非難・讒謗は極限的ものとなった。ヤタストをここまで手懸けてきた名伯楽は、それまで拍手喝采と栄光の道を往くヒーローの地位を堅守してきたものの、急転直下、ヒールへと転落し、取り巻く境遇は180度世界を変えた。浴びせられる暴言・峻烈極まる侮蔑と苦言…最後は解雇通知が投石のごとく放擲され、失脚を命ぜられてしまった。彼は、今でもこの敗戦を悔やみ続けているという。


 
〔種牡馬時代の勇姿〕

 【ヤタスト神話1953
  
そして神話となる1953年シーズンが幕を開ける。
まずこの年はウルグアイへと足を伸ばし…

第一戦
ムニシパル大賞(ダ3,000m)
ウルグアイへと遠征。なんと10馬身差の大差勝ち(ちなみにこのレース、現在で言う国際GI級)。ほぼ馬なり。

第ニ戦
オトノ賞(芝2,000m)
ほぼ馬なりで、相手を覗いつつ1馬身キッチリ先着。

第三戦
ジェネラル・ベルグラノ賞(芝2,200m)
全くの馬なり、キャンターで流しながら、手綱も微動だにしないまま大圧勝。

第四戦
サン・イシドロ大賞(芝3,000m)
GI格レースを大差勝ち(馬身換算不可能)。

第五戦
L.カサレス・ヴィンセンテ賞(ダ2,500m)
馬なりで大差勝ち(20馬身差)

第六戦
チャカブコ賞(ダ3,000m)
大楽勝で本気で追われることなく大差勝ち(馬身差換算不可能)。
しかも、3:04.0瓩箸いΕ▲襯璽鵐船鵐譽魁璽鼻

しかも驚くべきことに、この時ヤタストは62Kもの斤量を背負っていたというのである。この前年、ウルグアイ四冠馬のビザンシオが3:04.0というレコードを出しているためタイ記録ということになるが…にわかには信じがたい話である。
(ちなみに世界記録は翌1954年アウレコ号がホセペドロラミレス大賞の計時することになる“3:03.0”。なんとセイウンスカイが菊花賞でマークする1998年時の芝3,000m世界レコードをも凌駕しているという凄まじさ)


第七戦
パレルモ賞(ダ1,600m)
1:34.0瓩箸いΩ什澆療豕ダート1,600mのレコードをも遥かに凌駕する驚異の時計で3馬身差圧勝。

第八戦
オノール大賞(芝3,500m)
名馬シデラルを相手に、馬なりで10馬身差の大差勝ち。



この直後、生涯四度目の大きな脚部不安を発症し、引退に追い込まれてしまう…しかし、何と言う強さなのだろう…。
――…・・・もはや何も言うまい。
戦後もまもない時代、日本からちょうど地球の裏側に当たる国で、これほどの馬が走っていようとは、誰も想像できなかったことだろう。

  

黄昏が来て闇がすべてを飲み込もうとも、胸の奥瞬き続ける星干たちが俤を映し出す――…

馬生をまっとうした漆黒の名馬は、経済難に陥るアルゼンチンの未来を象徴するが如く、影をパンパへと潜め、冥王星のような深々たる光を南米競馬史へ照射し続けるのであった―――…・・・。

奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 00:16 * - * trackbacks(0) *

スポンサーサイト

- * 00:16 * - * - *

Trackback URL

http://umineko-world.jugem.jp/trackback/275

Trackback