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【究極記録室】 〜驚愕連勝&最多勝&最多出走&負担重量記録ほか永久不滅の究極記録etc.超完全版.I





世界に散りばめられし、目を疑うような、究極絶烈震かつ永久不滅とも思える記録をご覧頂きましょう…。


世界最多連勝記録
(無敗で)

1位 56連勝
カマレロ(プエルトリコ)
 

2位 54連勝
キンツェム(ハンガリー)


3位 39連勝
ガルゴジュニア
(プエルトリコ)


日本最多連勝記録
(デビューから)
122連勝(伝説)
第二メルボルン

(横浜根岸・池上、サラ系・牝)

この記録は間違いであると、通りすがり様より情報をご提供頂きました。

事実上の1位は下のシュンエイのものになります。

あえて“幻の伝説”として、このまま表記させて頂きたく思います。

2位 20連勝
シュンエイ
(国営、アングロアラブ種)

3位 19連勝
チアズファンシー
(公営・佐賀)
※生涯成績28戦21勝


4位 18連勝
トウケイニセイ
(公営・岩手)

5位 17連勝
ベルモントアクター
(公営・船橋)
※南関東記録


世界史上
   最多連勝記録

(途中から)

149連勝
コフレス(参考記録)


2位 44連勝
コンダード

(プエルトリコ)

3位29連勝
※日本最高記録
ドージマファイター
(日本、公営・足利)



世界史上最多勝記録

 

487

(350(ヒート競走)+97(繋駕速歩))

スミ

クイーンオブトロッター。獲得賞金364,200ドル、当時の世界レコードが80年近く破られずに残った。

121戦92勝。1857年4月に生を受けた歴史的名繋駕速歩競走馬。
“クイーンオブトロッター”の異名を取り、ライバルたちは皆畏怖の念持って敬遠したという。
1864年から1877年まで走り続け、引退レースでは約20歳以上も若い牡馬を相手に圧勝し、ファンへと惜別を告げた。
古の米国繋駕速歩競馬の神話的女傑の話である――。

2位 359

ブラ

繋駕速歩競馬の王国スウェーデンが生んだ史上最多勝記録を誇る伝説のトロッター。

生涯出走回数ではフィンランドのレイパスに譲るが、勝利数では世界一。

477戦359勝[359-54-55-0-0-9]。

 

3位 348

イパ

フィンランドが生んだ超神話的名馬。1951年にデビューし1965年まで14年間も競走生活を続けた。

勝利数も全世界1位となる348勝。生涯1300戦

この記録はもう人類滅亡、競馬消滅のその日まで破られることはないだろう。

 

 

4位 342

シスライン

北欧繋駕の神話的名馬。

生涯成績386戦342勝。[342-17-16-0-0-11]。

 

5位 335

イングマール

北欧競馬伝説の300勝以上を上げた5頭の内の一頭。

生涯成績417戦335勝。[335-32-41-0-0-9]。

レジェンドファイブ5頭の成績を合計すると…

3280戦1701勝!!!もはやこの世の物とは思えぬ数字・・・

とても5頭で上げた成績とは思えない…すご過ぎる。

 

6位 317

ヴォンカウス

レイパスに同じくフィンランドにて記録を打ち立てたヴォンカウス号。

1961年に生まれ、1977年まで競走を続け、生涯出走数は700戦に達した。


7位 264

シングルジー

父 アンダーソンウィルクス
母 リトルジプ


生年:1910年4月4日
性別:牡
毛色:鹿毛
調教国:米国

生涯成績:436264勝[264-88-37-47]
額に浮かぶ“G”の文字を連想させる流星が命名の由来だという、歴史的ペーサー。
オーナーであるW.B.ベアフット氏の故郷、インディアナ州ケンブリッジシティにはシングルジーの壁画まであり、その街のノースグリーンストリートの一角には、彼が眠る墓碑がメモリアルとして残されている。


人々万民から慕われ、愛された歴史的名馬である。
14年間にも渡り走り続け、繋駕速歩競馬で唯一となる10万$ホースにも輝いた。



▲〔額に浮かぶ“G”の星。偉大なる勝利数は永久に語り継がれよう〕
     

 

8位 244

カリプリンセン

379戦244勝[244-77-51-0-0-7]。

スカンジナビアの誇る芦毛の怪物。

 

 

9位 239

モルテンブラジェソン

372戦239勝[239-16-23-18-66-10]。

史上最多勝馬ブラジェを父とする豪傑馬。

父子合わせての戦績は849戦598勝という凄まじさ。

 

10位 229

ステッグベスト

(左側の馬がステッグベスト号)

北欧繋駕速歩競馬の大種牡馬となる。

生涯成績389戦229勝。[229-83-50-17-0-10]。

 

 

11位 219

コムネスブランド

戦績308戦219勝[219-9-10-3-57-10]。

 

12位 218

カーク

271戦218勝[218-22-23-0-0-8]。

 

 

13位 206

モブ

繋駕速歩競馬で活躍した後、馬車馬として活躍。

生涯成績307戦206勝。[206-13-14-10-54-10]。

 

14位 203

クラースタッドジョン

334戦203勝。[203-26-29-22-47-7]。

 


15 200勝以上
古代ローマの戦車競走に使われた馬名不詳の馬



16位 197

コリスバール
(プエルトリコ)

17位 160
ヨウコノ
(プエルトリコ)

18位 152
コンダード
(プエルトリコ)

 
▲コリスバールのあまりにも目映い偉大なる197勝。


日本史上最多勝記録

第1位 トーオクオー 
104
(ばんえい、ペルシェロン種)294戦104勝。

第2位 フクパーク
62

(公営・園田アングロアラブ種

第3位 エスケープハッチ
54

(公営・高知アングロアラブ種)


日本生涯不敗連勝記録

第1位 ホウリン
1616
(船橋・小檜山悦雄厩舎)
父:ミキノチカラ
母:福里
母父:セントオー

アングロアラブで昭和38年8月から昭和39年3月に掛けて記録。
16連勝達成後、故障。その後殺処分となり、人知れずこの世を去っていった。

第2位 ツルマルサンデー
1515

荒尾・佐賀競馬で活躍していた父サンデーサイレンス、母ツルマルベッピンというなかなかの良血馬。最初は中央競馬に所属していた。

第3位 クリフジ
1111



世界GI史上最多勝記録
22勝
ハリケーンフライ(2004年生、愛国、父モンジュー)

生涯成績:42戦26勝
GI勝ち鞍一覧:チャンピオンハードル2回、アイリッシュチャンピオンハードル4回、ロイヤルボンドノヴィスハードル、フューチャーチャンピオンノヴィスハードル、チャンピオンノヴィスハードル、パンチェスタウンチャンピオンハードル、ハットンズグレースハードル、ディセンバーフェスティヴァルハードル2回、ラボバンクチャンピオンハードル3回、モルジアナハードル3回、リャンネアーハードル

平地限定のGI最多勝ジョンヘンリー16勝
 

 

同一レース連覇記録

◇同一レース連覇
★ゴールデンマイラー(牡、イギリス)
チェルトナムゴールドカップ5連覇、1932年〜1936年にかけて達成。

★ケルソ(セン、アメリカ)
ジョッキークラブゴールドカップ5連覇。1960年〜1964年にかけて達成。

★マニカト(牡、オーストラリア)
ウィリアムレイドS5連覇。1979年〜1983年にかけて達成。

★マンハッタンボーイ(牡、アメリカ)
ペースへヴンセーリングハンディキャップハードル5連覇。1986年〜1993年にかけて達成。

★ファーザーフライト(牡、イギリス)
ジョッキークラブカップ5連覇。1991年〜1995年にかけて達成。

マクダイナモ(セン、アメリカ)
ブリーダーズカップグランドナショナル5連覇。2003年〜2007年にかけて達成。

これはGI級競走の最多連覇記録でもある。

 

平地GI競走の連覇記録は4連覇。

・タイザノット(せん馬、オーストラリア) チッピングノートンS(1999年〜2002年)

・ヴィニーロー(牡、アイルランド) 愛セントレジャー(2001年〜2004年)

・イェーツ(牡、アイルランド)アスコットゴールドカップ(2006年〜2009年)

・ゴルディコヴァ(牝、フランス)ロトシールト賞(2008年〜2011年)

 

しかし、上には上がいるもので・・・

◇同一レース連覇
★ビーズウイング(牝、イギリス)
ニューキャッスルゴールドカップ6連覇。1836年〜1842年にかけて達成。

★ブラウンジャック(牡、イギリス)
クィーンアレクサンダーS6連覇、1929年〜1934年に達成。

★ゴッズソリューション(牡、イギリス)
レースアラウンドヨークシャーハンデキャップ6連覇。1985年〜1991年にかけて達成。

まだまだ上には上がいる!!・・・

◇同一レース7連覇
★ドクターシンタックス (牡、イギリス)
プレストン・ゴールド・C7連覇。 1815年から1821年にかけて達成。

★フランクピカード(牡、イギリス?)
グランドスティープルチェイスアットディエペ7連覇。1853年〜1861年にかけて達成。

★アルカポネ(牡、フランス)
ハイヤジョセリン賞7連覇。1993年〜1999年にかけて達成。

★リスクオブサンダー(牡、フランス)
ラトウチェカップ7連覇。1995年〜2002年にかけて達成。

そして、極めつけの世界記録は…

同一レース8連覇
(世界記録)

リーピングプラム
(セン、アメリカ)

グラスミックハンディキャップ8連覇。1995年〜2003年にかけて達成。

〔世界記録保持馬リーピングプラム。この永遠の金字塔を破る馬は現れることがあるのだろうか?〕

 


世界史上最多連敗記録
1位
192連敗
マイネアトリーチェ

父タマモクロス
母ブライトステージ
母父ラッキーソブリン

[0−2−6−184]

(牝/日本・笠松)
生年:2003年4月22日


同期はあのディープインパクト。そのディープが三冠を達成する2005年10月23日の京都競馬場第4レース、2歳新馬でデビュー。結果は9頭立て6着。その後、中央競馬では6戦0勝に終わり、金沢の服部健一厩舎へ移籍。しかし、移籍後も連敗を重ねてしまう。兵庫、愛知、笠松と所属を代えるものの連敗は続き、2012年1月9日の笠松競馬場第2レースで敗れ連敗数新記録となる180連敗を記録した。その後1度も勝利することなく、192戦0勝の成績で2012年7月16日に競走馬登録を抹消。


2位 179連敗
カンムリホルダー

父ロングニュートリノ
母グロウゲンザン
母父リヴリア

[0−6−11−162]

(牝/日本・園田)
生年:2001年5月1日


3位 165連敗
エリザベスクィーン
(牝/日本・園田)

〔エリザベスクィーン〕

4位 161連敗
ハクホークイン(牝/日本・浦和)

5位 159連敗
サシカタ(牝/日本・国営)

6位 140連敗
★シャッフル(牝/日本・園田)

7位 135連敗
ドナチェパ牝馬。米領プエル・ト・リコ島にて記録。日本馬以外では最多連敗記録保持馬。1998年生まれ)


8位 124連敗
オーロエネ牝馬オーストラリア・障害競馬にて記録)

〔オーロエネは1974年生まれ。写真は調教師のジョージ・チトス氏との一枚〕

9位 120連敗
★トサノカオリ(牝/日本・北海道)

10位 116連敗
★ブラックハーロック(牡/日本・園田)

11113連敗
★ハルウララ(日本・高知)

12 111連敗
★イリヤジョウオー(アラブ/牝/日本・川崎)

13位 108連敗
★グレースアンバー(牡/日本・名古屋)

またヨーロッパの最多連敗記録は、2001年にサウスウェル競馬場の障害戦で記録された100連敗。記録してしまったのはキザールクロセットという16歳の高齢セン馬で、飛越に失敗してのものだった。この時騎乗していたケント騎手は「今日は調子が良くなかった(笑)」とジョークでインタビューに答えていたという…。

 

中央競馬・国営競馬の連敗記録

《中央競馬》

94連敗

テンケイ

1957年から1960年まで連敗し続けた。

1957年が17戦、58年に37戦、59年は28戦、60年に12戦と猛ペースで消化。

内50敗が障害戦のものだったという。

 

《国営競馬》

111連敗

トキツバキ

1951年から1953年にかけて連敗を記録。わずか3年間でテンケイを超える連敗記録。

想像を絶するような酷使をされたことだけは間違いなかろう。

 

オマケ

世界史上最多連敗の予想家

216連敗
ニュージーランドのヘラルド紙の名物記者、ビル・パティスン氏がその人。
本命に推した216頭中、86頭が1番人気。
連敗がストップしたのは1981年4月28日。エスラリー競馬場の第4レース、単勝1.1倍のホットキャットが1着。

ついに連敗地獄のドロ沼を抜ける。
しかし、この歴史的(?)勝利を上げたのち、またも108連敗してしまうのだった…。
また彼は、あまりに当たらないのを逆手に取り(?)、『UNWELCOME FAVORITE』=「有り難くない本命」と自ら題した予想コラムを紙上にて連載していたという。


世界史上最多出走記録

 

1
1300
 

(フィンランド、繋駕速歩競馬)

ここでも登場。フィンランドが生んだ超神話的名馬。1951年にデビューし1965年まで14年間も競走生活を続けた。

勝利数も全世界1位となる348勝。生涯公式競走1300戦。ゲームの世界でも到底不可能と思えるこの記録1300走は、

もう人類滅亡、競馬消滅のその日まで破られることはないだろう。

着度数は[348-115-57-43-737](優勝-2着-3着-4着-5着以下)。


2位 
776
 
(スペイン)

〔平地競走225戦(ヒート競走含む)+繋駕速歩302戦(ヒート競走含む)+障害競走198戦+草競馬51走〕
競走年間22年。1912年〜1934年。バスク地方のとある農夫の農耕馬として生まれた白駒は、その純白麗美な舞う様な走りが見たいと、

負けても勝っても、雨の日も日照り続く日も、1日4戦5戦を問わず走り続けていたという。
 

3位 
700
 

 

第4位 コトブキライアン(ばんえい)

488

[37-59-60-66-68-198]

2002年6月1日にデビューし、2016年3月20日まで出走し続けた。

 

第5位 ブラ(繋駕速歩競馬)

477

[359-54-55-0-0-9]

繋駕速歩競馬の王国スウェーデンが生んだ史上最多勝記録を誇る伝説のトロッター。

生涯出走回数ではフィンランドのレイパスに譲るが、勝利数では世界一。


第6位 (牝馬)

476(公営)
 

第7位 クイックシルバーS
464

[▲クイックシルバーS。1949年生まれ。オランダの誇る歴史的名トロッター。生涯成績464戦142勝、2着76回、3着44回。]


第8位 シングルジー
436

(繋駕速歩競馬)


第9位 セニョールベスト
409
(高知競馬)

 

第10位 ヒブラゼ
406
(米国競馬)

1935年に生まれ、14年間も走り続けた名馬。

着度数[79-73-52-202]。

 

第12位 ステッグベスト
389
(北欧繋駕速歩)

 

第13位 カリプリンセス
379
(北欧繋駕速歩)

 

第14位 モルテンブラジェソン
372
(北欧繋駕速歩)

 


第15位 トヨタカ
374
(ばんえい)

 

第16位 イエロー
350

[▲イエロー。1981年生まれ。オランダ繋駕速歩競馬の殿堂馬。生涯成績350戦70勝。2着50回、3着36回]

 

第17位 アントン
348

[▲アントン。1959年生まれ。オランダの名馬。生涯成績348戦93勝、2着60回、3着41回]

 

第18位 スターオブゴールドスター
334

[▲スターオブゴールドスター。1976年生まれ。オランダの強豪馬。生涯成績334戦65勝、2着55回、3着44回]

 

第18位 クラースタッドジョン
334
(スウェーデン繋駕速歩)

 


次位 ミヤマリージェント
329
(高知)

ちなみにJRA記録はハートランドヒリュ127戦。
日本繋駕速歩競馬(昭和43年廃止)ではビージーキング271戦が最高記録。


史上最多出走頭数

66

1929年3月22日。
英国 マージサイドに位置するエイントリー競馬場でのグランドナショナルにて記録される。


平地競走史上最多出走頭数

58

1948年3月13日。
英国リンカーン競馬場のリンカッシャーハンディキャップというレースで記録される。

 

2013年8月10日、モンゴルにて催された18,000mの競走にて4,429頭の出走という記録もある。



負担重量・

  史上最重量世界記録

93K』

日本にて、キリキヨという牝馬が記録。小柄だが、異常な程の筋力があったという。
岩本亀五郎調教師が園田の騎手時代、鍛錬場競走で跨った際の記録だとされる。
記録年代:昭和20年代初期
記録地:園田
ちなみに同馬は前走で88Kを背負って勝っていたという。
タマツバキの83Kを超える馬がいたとは…。ちなみにサラブレッドの最高負担重量勝利記録は、1932年3月10日、札幌競馬の抽選馬競走に出走したフラミンゴー77


しかし!

190.5kgを背負って芝の1マイルを勝った馬がいるという記録も見つかった。
190.5ポンドの誤りである可能性が高いが、190.5ポンドでもキロ換算すると86kgをオーバー
キリキヨに続く記録ということになる。
しかし、190.5kgが本当だとすると、とてつもない超絶的記録となる。

 

【ばんえい競馬での負担重量勝利(出走)記録】

1,100kg

ハルトカチ 1969年10月19日 旭川競馬・農林水産大臣賞典にて記録。

シヤリイチ 1971年10月10日 旭川競馬・農林水産大臣賞典にて記録。

負担重量・

  史上最軽量世界記録

32K』

1854年の4月、エプソム競馬場にて行われたシティ&サバーバンHにて、
マークアンソニーという3歳牡馬がこの斤量で出走したという記録が残されている。
いったいどんな騎手が騎乗したのか?
もう一つ、同じような信じられない記録が残されている。
同じく英国にて記録された。1865年のケンブリッジャーH(芝1,800m)に
フランス伝説の名馬にして19世紀欧州史上最強とも称される
グラディアテュールが出走。この時グラディアテュールが背負わされたのは138ポンド(約62.6kg)。
対して対戦相手馬には裸同然の軽量が宛行われた。
この時最軽量斤量となったヌーという馬は斤量が35kg(77ポンド)だったという。
その斤量差27.6kg差という凄まじさ。
これが恐らく現代まで通しての斤量差世界記録と思われる。
ヌーは2着と好走し、グラディアテュールは距離が短すぎたこととこの狂気じみた斤量差が災いし、着外と大敗している。


牽引重量世界記録

35メートル、23トン

1951年、ソヴィエト連邦にてフォースという馬が牽引した
この重量が世界記録とされている。

 

牽引力

☆世界最高記録☆
ちなみに2頭力を合わせて牽引した世界記録としては、
1990年、米国ミシガン州にて402メートルに渡り、
130.9もの重量を凍結路貨物のソリを引いて
牽引成功したと伝えられている。

 

世界2位となる記録ははるか一世紀以上前に記録されており…
128t
1893年、2頭のクライスデール種が橇を使って運んだ木材は128トンもあったという。
これはアフリカゾウ22頭分もの重量。恐るべき牽引力。

  
▲〔クライスデール種の牡馬〕

 

 

跳躍力

▲〔クライスデール種の牡馬〕

2m47cm

この記録は1947年の2月5日、チリにて記録されたもので、以降名ジャンパーが世界各地、

恒河沙なまでに光来したものの、誰一馬として並ぶ者すら現れていないというアンタッチャブルレコード。

達成した馬の名は、ファーソ。

 

冬競馬の風物詩・中山大障害。あのレースで登場してくる名物「大竹柵」。

あの高さが160cmであることを思うと、驚愕の記録である。

この記録達成の時、ファーソは16歳という競技馬としてはかなりの高齢を迎えていたが、

馬としてのポテンシャルが全開となるより若い時代に、ジャンプホースとして活躍していれば、

もっと高い障害を飛ぶことさえ可能であった筈と言われる。



父 ヘンリーリー
母 トレミュラ
生年:1933年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:チリ

 

ファーソは自身の世界記録をも凌駕する、非公式の劇烈な記録もマークしている。
これは年月が定かではないが、25人の観衆を前に、フレッド・ウェタックJrの手綱で

跳越したとされる“2m89cm”

 

 

世界最長の一完歩
跳びが大きく、一完歩あたりの飛距離が半端ではないと言われるブエナビスタやクロフネだが、

日本馬で最も“飛んでいた”のはご存知の通りディープインパクトだ。
世界競馬においても、“飛んでいた”馬はいる。オセアニアの伝説的英雄ファーラップや米国史上最強馬セクレタリアトなどがその代表例。
※競走馬の平均的な一完歩は6.6mで、7m弱あればかなり凄い部類に入ります。ちなみに、人間の平均的完歩(一歩あたりの歩幅は)60〜70cm。


【名馬たちの一完歩】
セクレタリアト

7m38cm

※マールボロC勝利時の記録。

ディープインパクト(3歳時)
7m54cm

※菊花賞時の記録。

ディープインパクト(4歳時)
8m20cm

〔2006年有馬記念。最終コーナーで驚天烈震のワープ捲り。馬なりで押さえながらの有馬史上最速の3F33.8は、もはや神の領域のパフォーマンスであった〕

ファーラップ
8m27cm

しかし…これら偉大な名馬たちの栄光の記録を凌駕する記録が存在した!
 8m30cm
これは1951年、スペインのバルセロナにて、アマドミオという馬により達成された。

しかし!これをも上回る記録が存在した!! 世界最長の一完歩記録はこれだ!!

  8m40cm

1975年に南アフリカのヨハネスブルグにて記録されたという驚愕の一完歩。

わずか11完歩とちょっとで100mを走り抜く計算。なんという脚力の持ち主か。

 

馬が2足歩行で歩いた最長距離

 

29.09m

 

この記録は2009年、イタリアにてドックという馬が、グレゴリー・アンセロッティ氏の

手綱で記録されたもの。ギネス記録のテレビの中でのチャレンジであった。

 


世界競馬史上
     最多連続
 重馬場出走記録

35戦全戦馬場


この記録を達成したのは英国のブリアンウッドという牡馬。
超教学的な程に、超常的雨馬だった。
五日間連続開催の、この馬が出走した日だけが重馬場で、その他の四日間はすべて良馬場だったという記録が、13戦以上もあった。
さらに驚くべきは1981年7月2日、エプソム競馬場にて出走した時の怪異である。
ブリアンウッドは第6レースに出走登録していたが、1〜5レース良馬場。7〜9レースも当然良馬場。雨が降る兆候が全くなかったにも関わらず、6レースになった途端、偏西風に吹かれ真っ黒な一塊の雲がやってくると、競馬場は土砂降りの大雨に見舞われた。そして馬場監視委員は「やや重」と発表。ところがである。6レースが終了するや否や、競馬場は晴れ渡り、馬場もあっという間に乾き、良馬場へと変更されたという。
生涯35戦、全戦重馬場で走ったブリアンウッド。彼の4代母シンギングレインが雨を呼んでいたのだろうか――。
彼は引退後、雨不足に悩む米国はソルトレイクシティーへと渡り、ケント・ユーザック氏の下で余生を送った。それまで乾燥に喘いでいた土地は慈雨に恵まれ、嘘のように雨不足は解消されたという。


  

スピード記録ベスト3
※人を乗せての状態で。

 

1 ブラックキャヴィア
72.12km/時
(どのレースかは不明。サラブレッド種)

全世界競馬史上、最速短距離女王はやはり超怪物。

200mのラップにて9秒98を記録。世界競馬で史上唯一頭、

斤量を背負った公式戦で200mで10秒を切ったサラブレッド。

 

2ウイニングブリュー
70.76km/時
(2008年5月14日 サラブレッド種)

ペンシルヴァニア州のペンナショナル競馬場にて計測された記録。

レコード記録時、ウイニングブリューは2歳。しかも牝馬だというのだから驚きである。


第3位 ビッグラケット 
70km/時
(1945年 サラブレッド種)
メキシコシティにて記録された世界記録。400m…20秒4というスーパーワールドレコード。
このスピードを維持できた場合、ダート1,600mを1分22秒台で走破するという信じ難いもの。


第4位 ???(クォーターホース)
68.51km/時

※400mにての記録。

次位 チベット馬
67.04km/時

しかもこの記録、海抜4,500mの山間でマークされたものだという。
(『ホースメイト』第10巻、P25-26より引用)
サラブレッドも顔負けの10kmを8分57秒(!)で走った際のスピードレコード。
はたしてディープやオルフェが10kmを9分切って走れるだろうか?海抜4,500mの高山地帯で…。


世界競馬
   史上最大着差


501馬身差

この記録は日本において記録された。1970年の5月1日、阪神競馬場にて開催された阪神障害S(春)には4頭の出走馬が登録。現在ならばレース不成立となるが、当時の規定によりレースは発走。ところが4頭中3頭が落馬するという未曾有の事態に。唯一競走を続けたツキヒデキングは無事ゴールイン。単勝以外の馬券は返還か…と思いきや、まだレースは続いていた。
なんと、落馬した3頭の内の1頭が満身創痍、必死の再騎乗により、レース再開。しかし、フラフラになりがらようやくゴールへと辿り着いた時、
すでに1分23秒5もの時計差
ついてしまっていた…。
これを馬身差に換算してみると…

1秒⇒6馬身差
0秒5⇒3馬身差


…として考えられることから、(60秒×6)+(23秒×6)+3=360馬身+138馬身+3馬身=501馬身…となる。

その他の大差記録

有名なものが米国古競馬の象徴マンノウォーがローレンスリアライゼーション(ダ2,600m)にてフードインクを100馬身ちぎったという記録がある他、セクレタリアトのベルモントSにおける31馬身差勝ちがある。ちなみに日本の平地競走では2010年2月2日に佐賀競馬場でエイシンイッキが記録した5秒3差、障害競馬においてはシンボリクリエンスが1992年の中山大障害(春)にてマークした8秒6差が広く知られている。平地の日本GI級競走では1968年の天皇賞(春)においてヒカルタカイによって記録された2秒8差が最高記録である。しかし、これらのレコードは皆、写真判定が導入され正確な記録として計測されはじめてから残っているもののみ。過去にはとてつもない大差勝ちがあったかもしれない。

今世紀における障害競走の、正確に記録された公式の世界史上最大着差は、57馬身差となっている。

これは2017年11月25日にヘイドック競馬場で行われた、英国における障害シーズン最初のG1戦ベットフェアチェイス(登録競走名ランカシャーチェイス、芝25F125y=約5143m、障害数19)において記録されたもので、2.1倍の1番人気に応えてブリストルデメイが優勝をしたが、2着馬キューカードに対し、今世紀に入ってからG1競走で最大となる57馬身差をつけている。

次点となるのが2016年4月7日にエイントリーで行われたG1・4歳ジュヴェナイルハードル(芝16F209y)でアップルジェイドが記録した41馬身差となっている。

 

公式記録で「道路一本分の長さ」と発表されたこともある。1952年のアルゼンチンにて史上最強馬ヤタストが記録。

ジェネラル・ピュレドン賞(芝4,000m)で馬身差換算不可能・後続が霞むほどの超・超絶大差大勝(成績表では「道路一本分の長さ」とあり、凄まじい着差であったことが偲ばれる)。
 
[まさに超絶の一語。「道路一本分の長さ」の意味が分かる気がする]
 

ダービーの記録としては、イタリアダービーの20馬身差。1958年のニコロデラルカが記録。レコードのオマケ付きだった。

次点はドイツダービーの12馬身3/4差。1981年のドイツダービーでオロフィノが記録している。

日本ダービーでは8馬身差をつけた1955年のオートキツが最大馬身差記録。

その他クラシック競走の大差勝ちとしては、1859年の英2000ギニーにてマヨネーズという馬が20馬身差というとてつもない大差勝ちを記録テスコガビーの桜花賞が13馬身であったことを鑑みると、直線1,600mでマークした記録としては常軌を逸したものがある。

古のGI競走では1866年のアスコットゴールドカップでグラディアテュールが40馬身差で大圧勝したという記録がある。

 

海外の平地競走で記録に残るものとして史上最大着差となったのは、

2007年のドミニカ共和国で開催されたシモン・ペンベルトン杯(ダ1,100m)で

ドミニカ史上最強馬シコティコが記録した69馬身差

スタートから勢いをつけて後続を引き話すと、最終コーナーを出るころには50馬身近い差をつけ、最後は2着に69馬身差をつける驚嘆すべき圧勝を見せつけた。ドミニカ共和国では5〜6頭による少頭数の競馬が通常で、下級レースでは往々に着差が付きやすいのだが、それにしてもシコティコが見せたこのパフォーマンスは規格外であった。

 

オープンクラス以上の古馬も含めた平地レースでの史上最大着差は2014年、米国はマウンテニーア競馬場にて行われたダート3,600mのマラソンレースで、フェオドール号によって記録された49馬身差。2着馬と3着馬の差も凄まじく、33馬身差もあった。

 

▲すでに歴史的大差勝ち確定の状況。ゴールまではまだ150m近くある。

 

オマケ А崔綺后◆1月2日』

競馬番組『みんなのKEIBA』2017年7月16日の放送にて起きた珍事。

中京10レース「シンガポールターフクラブ賞」。レースはM.デムーロ騎乗のキンショーユキヒメが5頭がなだれ込む接戦を制したわけだが、このレース結果がテレビ画面に大きく映し出された際、

いつものように「1〜5着」までの馬番と名前が並び、騎手名と1着タイム、そしてそれぞれの着差が出されていた。問題は、「着差」の記述である。

 1着は、「1'59"6」と表記されたキンショーユキヒメ。2着は、2年目の荻野極騎手が騎乗したカレンラストショーだったのだが、「着差」の部分に書いてあったのが...

「1月2日」(笑)

どうやら1/2馬身差の入力ミスによりこの誤表示が起きてしまった模様であるが…。

 

オマケ◆А嵳ゾ,靴燭砲盍悗錣蕕此

     タイムオーバーになった馬」
タイムオーバーとは、1着の馬から、その国の競馬法の規定で定められた秒数を離されてしまった馬が、出走停止のペナルティを受けることを言うが、まさか1着の馬がこの制裁を受けることになろうとは…。
この珍事が起きたのは1920年のチェコにて。同国最大の障害競走ヴェルカパルドゥビツカ(障害6,900m)のことだった。この障害競走の難易度は世界屈指であり、また危険度も群を抜くものがある。何しろ、完走馬無しが1回あり、たった1頭が完走し、その馬が優勝なんてこともあったのである。あのグランドナショナルですら、最低の完走頭数は2頭であり、完走馬ゼロなんてことは今だに無い。それは、いかにこの障害競走が想像を絶するものか、それを雄弁に物語る一つの指針となっている。話を元に戻そう。1920年のこの競走、次々と出走馬が脱落し、なんと残るは1頭、ジョナサンという馬のみになってしまった。必死にゴールを目指すジョナサン…がしかし、時間がかかるかかる…競馬場で固唾を呑んで見守っていたファンたちも随分時間が掛かるものだと、時計へ目をやると、なんと10分も経過しているではないか!
これはとんでもないことになったと、観衆は異様な沸き立ちを見せ始め、ジョナサンへと声援を送った。皆の応援に応え、フラフラになりながらようやくゴールに辿りついた時には20分以上が経過。
記録上に残されたその驚愕の勝ちタイムは…


20分15秒(笑)。

いや笑っては失礼ですな。しかし…遅い。遅すぎる。おそらく史上最低の勝ちタイムでしょ…これ。
ジョナサンと陣営はチェコ最高の障害競走を優勝した!…と大興奮だったが、当時のチェコ競馬の規定により、“タイム・オーバー”となり、失格処分。天国から地獄とはまさにこのこと。陣営は失望のどん底に叩き落とされた…。
ところが話はこれで終わらず…数十年後、規定が変更されたことを受けてか、一転して優勝が認められたのでした(笑)。
ジョナサンと陣営にとって、あまりにも不運かつ“遅すぎる”戴冠式だった。

 

 

オマケ その:

  「デッドヒートの1、2着馬除き、全馬レース放棄した事件」

空前絶後の大珍事。パキスタンはカラチ競馬場にて起きたこの事件は空前絶後の大ハプニングである。

2011年の3月、とある日の第6レースにてそれは起きた。

2頭がデッドヒートをスタート後間も無く展開。

グングン後続を引き離し、2頭以外は完全に勝負圏外となってしまう。

普通ならば、どんなに離されていようと勝負を捨てずにゴールを目指すものである。

しかし、2頭を除く全馬の全騎手はなんということか、勝負を放棄。

全馬ゆっくりと歩き出し、ゴール前に集合し、輪乗りのような状況に。

1着馬がゴール板を過ぎてから、約1分30秒後、1頭がゆっくりと歩み出し、常足(なみあし)で

ようやく3着ゴールイン。優勝馬がゴール通過後、1分34秒もの時間が経過してからの事であった。

その後、続々とゴールを全馬目指して歩き出し、レースは終了。信じられないことに、レースは不成立にもならず、審議もなく終結している。

一頭の牝馬の
産駒の勝利数

100勝』以上。
この記録は日本のアラブの繁殖牝馬ルーナが記録
あのパシフィカスすらビワ・ナリブー・ビワタケの勝利数あわせても40にすら満たない言うに…。

脅威の繁殖牝馬ルーナ

初仔 オールウイン号
7

二番仔 ルナパーク
27連勝
※27勝以上確定。

三番仔 タイコウ号
⇒10連勝2回含む27

[タイコウ号]

四番仔 ラミーホープ号
⇒南関東で10

五番仔 カンパク号
⇒19連勝含み29

[カンパク号]

六番仔 ミスルーナ号
⇒不明。

100以上間違いなし。
 

ダービーにまつわるレジェンドレコード

ダービー馬3出産

ファウスタ
あのリボーやネアルコらを育てた爛疋襯瓮蹐遼盻兒姚瓩海函▲侫Д妊螢魁Ε謄轡氏の愛娘であるファウスタは2歳No.1となるや、翌年にはイタリアダービーとイタリアオークスを勝つ歴史的金字塔を打ち立てた名王妃。14戦9勝。

自身もダービー馬となり、そして3頭もダービー馬を輩出した、世界でも唯一頭の偉大な母である。

メソリニ(1919年)、ミケランジェロ(1921年)、メロッツォダフォルリ(1922年)

 

現役で親子ダービー制覇

ニュージーランド競馬で起きた珍記録。

1873年に生まれたソングスターという馬が、1875年の下半期、2歳の時点で野合にて種付。

その子馬は1876年に生まれ、ホーンバイと名付けられるが、子供(ホーンバイ)の生まれた年

にソングスターがニュージーランドカンタベリーダービーに優勝。

そしてその3年後、1879年にホーンバイがニュージーランドカンタベリーダービー馬に輝く。

こうして現役のダービー馬がダービー馬の親となり、親子ダービー制覇を果たしてしまう…

という、現代競馬では絶対にありえない、空前絶後の記録が誕生。

場合によっては、親子ダービー馬対決が実現していた可能性すらある。

 

2日連続でダービー制覇
米国のラッシュアウェイという馬がその馬。
1936年(昭和11年)5月22日、当馬はイリノイ・ダービーに快勝。

その直後、汽車による300マイルの大移動を敢行。
翌23日には、ラト二ア・ダービーに出走し楽勝している。
2日連続でダービー制覇という、離れ業をやってのけて見せたのであった。

《補足トリビア》

驚くことに、同馬は汽車の車内で床に寝転び、一晩中熟睡していたという。
※馬は通常、睡眠時間が極端に短く、たいていの場合立って眠る。

(せいぜい一日2〜3時間しか横にならず、首を投げ出してグッスリと寝込むのは合計30〜40分にすぎないという。)
また馬は、横になっても30分以上そのままの姿勢でいることはほとんどないとされている。

 

自国ダービー3勝馬

自国のダービーを数回も…勝つ!
そんな奇跡の珍事を起こした馬がいる。
マレーシアオポージングフォースという馬がその馬で、ペラダービー(芝2,400m)を2001年、2002年と連覇。

さらにこのレースがGIへと昇格すると、2005年にもう一度優勝!なんと自国のダービーを3回も勝ってしまった。
世界広しと言えど、自国の同じダービーを3回も勝った馬は、この馬しかいない。

 

ちなみに同一オークスの連覇記録は…

自国オークス4勝馬

爛螢オークス4連覇

このティローリーザは1948年に同レース初制覇を成し遂げるや、1949年、1950年、1951年と次々に鮫飲し、4年連続制覇。世界競馬で史上唯一の例となる爛ークス4連覇瓩箸いΡ糞徂毀任梁腟録を達成してしまう。リオ・オークスことリオデジャネイロ・オークスは古馬牝馬も混合の女王決定戦で、正式名称をリオデジャネイロ・ディアナ大賞(グランプレミオ・ディアナ、芝2,400m)といった。3歳牝馬限定戦となったのは1962年以降のことで、同年から距離も2,000mへと短縮されている。日本のGIに準えるなら、エリザベス女王杯や秋華賞の位置づけにあるレースと言えよう。活躍期間が限られてくる牝馬とは思えぬ屈強さを満天下に知らしめた同馬は、1950年には牡馬たちをまとめて一蹴。ブラジル国際大賞(芝2,400m)を制し、ブラジル最強馬の座にも就いた。

 

牝馬のダービー優勝が33回もある国
ウオッカが日本ダービーを勝ち、競馬界を震撼させ、世間のド肝を抜いたのは記憶にも新しい。
我が国・日本での牝馬によるダービー制覇はたったの3例。

1937年のヒサトモ、1943年クリフジ、そして2007年のウオッカ。

スピードとスタミナの総合力と底力を希求される2,400mというクラシックディスタンスにおいて、屈強な強豪牡馬を相手に、体の完成しきってない牝馬が一緒に走るということは、過酷を極める。ましてや勝つというなれば、それは超然たる快挙であり、同時にその牝馬が壮大無辺のポテンシャルを秘めている何よりの証明となる。
世界を見渡して見ても、ダービーを牝馬が勝ったという事例は非常に数少なく、稀有な事象であることが簡単に窺える。例えば本場のダービーである英国ダービーでは、200年以上の歴史を持つものの、たったの6頭しか制していない。また米国ケンタッキーダービーでもたったの3頭、アイルランドダービーも2頭のみ。ロシアダービー6頭、フランスダービー10頭、ドイツダービー11頭、イタリアダービー11頭、AJCダービー(オーストラリア)8頭、ナシオナル大賞(アルゼンチン)14頭…と、日本よりも遥かに長いダービーの歴史を持つ国を見て見ても多い国で10頭前後なのである。

しかし!
なんと33頭もの牝馬がダービー馬となった国があるのである!
それが…
   カナダ
1864年のブルネットを皮切りに出るわ出るわ…創設年の1860年〜1900年の40年間の内、約半分の16回を牝馬が勝っているのである(笑)。そして2009年現在、牝馬の優勝回数は33回を数える。しかも、カナダで史上初の三冠馬となったのがこれまた牝馬なのである!

 
クィーンズウェイ
父オールドコーニング
母クリソーベリル
母父ヴァーデュン

生涯成績52戦12勝。2着8回、3着4回。
カナダ史上初の三冠馬。
1932年に、牝馬ながら牡馬のクラシックレースを完全制覇。
(写真協力:カナダ競馬の殿堂)


なんとも分析に困る史実である(笑)。カナダのダービー・クイーンズプレートは現在ダートの2,000m
で催されているが、この牝馬が勝ち星を量産した時代は、遥かに条件は過酷で、ダートの3,200mや2,400mの距離で施行されていた。つまり、牝馬にとっては非常に勝ちにくい、高く切り立った峰のような存在であったはずなのである。その時代に勝ちまくったということは、やはり途轍もなく強い牝馬であったということも考察できるが、一方で牡馬のレベルにも疑問符がつくこともまた事実。しかし、勝者に傷がつくということはない。

 

初勝利・デビュー戦がダービー。

                 そしてその1戦で引退

「この馬はダービーを勝つために生まれてきた」、そう称賛されたのは10戦全勝で日本ダービーを制し、その一週間後にこの世を去ったという名馬中の名馬トキノミノルであるわけだが、このトキノミノル以上に、ダービーを勝つためだけに生まれてきたと言える馬が存在した。
その名はアマトー。彼は1838年の英ダービー馬なのだが、なんとこの馬、デビュー戦がダービーだったのだ。

ダービーという一生にただ一度の檜舞台を生涯初体験となるレースにして奇跡の勝利をもぎ取ったアマトー。

しかしなんと不幸な事か、アマトーはレース後に間もなく死亡してしまう。

結局、生涯たった一回のレースがダービーだったのである。
彼を偲んでエプソムの町には『アマトー』という宿屋ができ、毎年ダービーが近づくとその宿の井戸のそばに予想が貼り出され、それがまたよく当たったという。
正にダービーのためだけに生まれてきたと言っても過言でない馬、アマトー。

偉大なダービー馬が、競馬の母国イギリスに存在していた。

 

英オークスでも同様の例があり、1911年のオークスを制したチェリモヤ。生涯唯一の出走がオークスとなり、初出走初勝利をオークスで飾り母となった。

 

34年もの間、開催休止

  となっていたダービー
世界中には燦然と輝くあまたのダービーが存在しているが、なんとその途中34年間も競走が休止されていたダービーがある。

それが…
ルーマニアダービー
…なんである。ルーマニアダービーは、その創設は1875年と古く、創始年度はあのケンタッキーダービーと同じ。第一回は芝2,000mで行われ、勝ち馬はギゼルダ。1875年〜1886年・第一回から第11回の11年間は2,000m、1887年から1895年の8年間は芝2,200mへと条件が変更され、1896年からは現行の芝2,400mへと落ち着いた。ちなみに全年度とも例外なくバネアサ競馬場で施行されている。
開催が休止されたのが1961年からで、1995年の34年間、国家の大きな変動の影響をもろに受け、34年間もの長期間に渡り、この国のダービーは眠りにつくことになる。
その間にルーマニア共和国はルーマニア社会主義共和国…そして現代の爛襦璽泪縫↓瓩箸靴討料移をたどり、1996年から再開されるに至った。

しかし…
このダービー、とんでもなく珍名馬が勝っているのである。
第2回がコーラ
1889年の第11回はロッテリア(笑)。
1892年、1893年とパルティザンという同名馬が優勝(笑)。
1940年にはS.O.Sという馬が優勝し、救済(?)を求めた(笑)。
救いを求めた翌年はボア(笑)。
1944年にゴルフが優勝し、その翌年にモタン
何がもたねーねよ(笑)?
そうかと思えば、1946年にはモスキート(日本語で牴祗)が優勝し、ドラキュラばりに血を吸ったらしい。
1954年にはついに(?)マックが優勝し、競馬史上初となるマックとロッテリアの名が同競走史に刻まれるという夢の競演が実現。
そしてトドメとばかりに1958年にはギャルが優勝しましたとさ(笑)。

 

同名馬2頭のダービー制覇

フランスダービーにてモナルクという馬名の馬が1855年と1887年に優勝。

 

ダービー連続勝ち馬的中記録

7年連続勝ち馬的中

的中させたのは…

なんと

ジムと言う名のこの犬は、超能力を持っており、胎児の性別を言い当てる、ワールドシリーズの優勝チームを当てるなど驚異的な才能を見せ、ケンタッキーダービーの勝ち馬を7年連続で言い当てたという。(モールス信号を自分で打って返答)

英語だけでなく、スペイン語、ギリシャ語、ドイツ語などどの言語で命令してもそれを理解したという。

1925年に生まれ1937年まで、周囲の人々を驚かせ続けた。

 



牝馬によって
    もたらされた
 永久不滅
    歴史的大記録



史上最多全戦全勝記録
キンツェム 54戦54勝(55戦55勝)


史上最多勝記録(平地競走)
コリスバール 197勝


史上最多連対記録(平地競走)
⇒ファッション 36連対(生涯成績36戦32勝)


欧州大陸史上最多勝
⇒カテリーナ 75勝


南米大陸史上最多勝
フロルデロート 54勝

史上初のジャパンカップ連覇
⇒ジェンティルドンナ

国民の休日を作らせた史上初にして唯一の競走馬
トリニカロール

牡馬古馬混合の国際GI級競争を6連覇

ラマラデッタ、ジオロジー、カプシーヌ、モンエトワール、ストラデッラ、ラトゥーケ

ドイツ最高峰のバーデン大賞を第1回のから6回まで牝馬が優勝。

しかも、全馬フランス産馬かフランスの調教馬であった。


…いかがだろうか。
ここに列挙したような記録は、果たして我々現代人が生きている間に更新されるような事があるのだろうか。


同一種牡馬による
  GI競走最多連勝記録



7連覇

イタリアダービーにおいてシグノリオ産駒が1917年〜1923年にかけて達成した7連覇記録が最高。

▲〔シグノリオ(Signorio)〕

日本では1971年〜1974年にかけてオークスを4連覇したパーソロンの記録が最高。



同一種牡馬による
   レース占拠率記録


そのレースに出走した馬の父の、そのレースにおける割合。

100%

この記録は1955年のペルーダービーで記録される。
全出走馬の父がすべてポスティン産駒という物凄い占拠率を記録。
秘ダービー5勝、秘オークス8勝、ナシオナル大賞9勝という未曾有の大成功を収めた歴史的名種牡馬。
それほどの大種牡馬であった。ポスティンの代表産駒は三冠馬リオパリャンガ、四冠牝馬パンプローナなど。

日本での記録は…

76.9%
ディープインパクトが記録。
2015年の毎日王冠にて記録。
出走馬13頭中10頭が同産駒で占められた。

▲〔結果はエイシンヒカリ1着、ディサイファ2着でワンツーフィニッシュ。〕


日本競馬史上最高&
   最低馬体重記録


■最高馬体重勝利記録
626kg
ショーグン


2014年5月17日京都競馬12レース、ダート1,800m出走時に記録。

■最高馬体重出走記録
640kg
ショーグン

2015年1月17日京都競馬8Rダート1,900m戦出走時に記録。


■史上最高馬体重記録

2,976kg

ビッグジムというクライズデール種の馬が記録。
体高は160cmあったという。

 

■最高馬体重勝利記録(ばんえい)

1,225kg

サカノタイソン

2001年11月11日 北見競馬第11競走出走時に記録。

 

■最高馬体重出走記録(ばんえい)

1,228kg

キンカップオー

1996年1月16日 帯広競馬にて記録。


■最低馬体重勝利記録
350kg
ジャンヌダルク


■最低馬体重出走記録
320kg
ライデンハヤテ

栃木県宇都宮競馬にて競走していた牝馬。

中央競馬ではグランローズ330kg
GI優勝馬の記録では1971年のオークスを勝ったカネヒムロ384kg


こちらも350kg以下しかなかったと言われる史上最低馬体重の障害馬オータジマ号。

父トサミドリ、母ヒデヒカリ、母父ダイオライトという血統の牡馬。
障害で18戦12勝という優秀な成績を残し、1959年の春の中山大障碍(現在の中山グランドジャンプ)を優勝。
中央引退後は地方・南関東大井へと移籍。後の天皇賞春・有馬記念馬となるオンスロートを、晩年にも関わらず撃破するという性能の高さを見せた。小柄ながらダートでは相当のポテンシャルを秘めていたようである。

 

■最低馬体重勝利記録(ばんえい)
675kg
テーコー

1971年8月15日 帯広競馬にて記録。


■最低馬体重出走記録(ばんえい)
650kg
エスアイトツプ

1972年5月28日 帯広競馬にて記録。

 

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