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【究極記録室】 〜驚愕連勝&最多勝&最多出走&負担重量記録ほか永久不滅の究極記録etc.超完全版





トリビア・コーナーで紹介した連勝記録。今回は勝利数記録も加え、海外・日本、地方・JRAと細かく区分けし、紹介致します。目を疑うような、究極絶烈震かつ永久不滅とも思える記録をご覧頂きましょう…。


世界最多連勝記録
(無敗で)

1位 56連勝
カマレロ(プエルトリコ)
 

2位 54連勝
キンツェム(ハンガリー)


3位 39連勝
ガルゴジュニア
(プエルトリコ)


日本最多連勝記録
(デビューから)
122連勝(伝説)
第二メルボルン

(横浜根岸・池上、サラ系・牝)

この記録は間違いであると、通りすがり様より情報をご提供頂きました。

事実上の1位は下のシュンエイのものになります。

あえて“幻の伝説”として、このまま表記させて頂きたく思います。

2位 20連勝
シュンエイ
(国営、アングロアラブ種)

3位 19連勝
チアズファンシー
(公営・佐賀)
※生涯成績28戦21勝


4位 18連勝
トウケイニセイ
(公営・岩手)

5位 17連勝
ベルモントアクター
(公営・船橋)
※南関東記録


世界史上
   最多連勝記録

(途中から)

149連勝
コフレス(参考記録)


2位 44連勝
コンダード

(プエルトリコ)

3位29連勝
※日本最高記録
ドージマファイター
(日本、公営・足利)


世界史上最多勝記録

 

位 350(ヒート競走)+97(繋駕速歩)

スミ

クイーンオブトロッター。獲得賞金364,200ドル、当時の世界レコードが80年近く破られずに残り、

最後のレースでは20歳という超高齢ながら若い牡馬を圧倒した。超伝説の女帝である。

 

2位 348

イパ

フィンランドが生んだ超神話的名馬。1951年にデビューし1965年まで14年間も競走生活を続けた。

勝利数も全世界1位となる348勝。生涯1300戦。

この記録はもう人類滅亡、競馬消滅のその日まで破られることはないだろう。

 

3位 317

ヴォンカウス

レイパスに同じくフィンランドにて記録を打ち立てたヴォンカウス号。

1961年に生まれ、1977年まで競走を続けたという。


4位 264

シングルジー

父 アンダーソンウィルクス
母 リトルジプ


生年:1910年4月4日
性別:牡
毛色:鹿毛
調教国:米国

生涯成績:436264勝[264-88-37-47]
額に浮かぶ“G”の文字を連想させる流星が命名の由来だという、歴史的ペーサー。
オーナーであるW.B.ベアフット氏の故郷、インディアナ州ケンブリッジシティにはシングルジーの壁画まであり、その街のノースグリーンストリートの一角には、彼が眠る墓碑がメモリアルとして残されている。


人々万民から慕われ、愛された歴史的名馬である。
14年間にも渡り走り続け、繋駕速歩競馬で唯一となる10万$ホースにも輝いた。



▲〔額に浮かぶ“G”の星。偉大なる勝利数は永久に語り継がれよう〕
     

5 200勝以上
古代ローマの戦車競走に使われた馬名不詳の馬



6位 197

コリスバール
(プエルトリコ)

7位 160
ヨウコノ
(プエルトリコ)

8位 152
コンダード
(プエルトリコ)

 
▲コリスバールのあまりにも目映い偉大なる197勝。


日本史上最多勝記録

第1位 トーオクオー 
104
(ばんえい、ペルシェロン種)294戦104勝。

第2位 フクパーク
62

(公営・園田アングロアラブ種

第3位 エスケープハッチ
54

(公営・高知アングロアラブ種)


日本生涯
    不敗連勝記録


第1位 ホウリン
1616
(船橋・小檜山悦雄厩舎)
父:ミキノチカラ
母:福里
母父:セントオー

アングロアラブで昭和38年8月から昭和39年3月に掛けて記録。
16連勝達成後、故障。その後殺処分となり、人知れずこの世を去っていった。

第2位 ツルマルサンデー
1515

荒尾・佐賀競馬で活躍していた父サンデーサイレンス、母ツルマルベッピンというなかなかの良血馬。最初は中央競馬に所属していた。

第3位 クリフジ
1111



世界GI史上最多勝記録
22勝
ハリケーンフライ

父 モンジュー
母 スキャンディスク
母父 ケンマール

生年:2004年
性別:せん馬
毛色:鹿毛
調教国:アイルランド
生涯成績:42戦26勝
GI勝ち鞍一覧:チャンピオンハードル2回、アイリッシュチャンピオンハードル4回、ロイヤルボンドノヴィスハードル、フューチャーチャンピオンノヴィスハードル、チャンピオンノヴィスハードル、パンチェスタウンチャンピオンハードル、ハットンズグレースハードル、ディセンバーフェスティヴァルハードル2回、ラボバンクチャンピオンハードル3回、モルジアナハードル3回、リャンネアーハードル


平地限定のGI最多勝ジョンヘンリー16勝


世界史上
    最多連敗記録
1位
192連敗
マイネアトリーチェ

父タマモクロス
母ブライトステージ
母父ラッキーソブリン

[0−2−6−184]

(牝/日本・笠松)
生年:2003年4月22日


同期はあのディープインパクト。そのディープが三冠を達成する2005年10月23日の京都競馬場第4レース、2歳新馬でデビュー。結果は9頭立て6着。その後、中央競馬では6戦0勝に終わり、金沢の服部健一厩舎へ移籍。しかし、移籍後も連敗を重ねてしまう。兵庫、愛知、笠松と所属を代えるものの連敗は続き、2012年1月9日の笠松競馬場第2レースで敗れ連敗数新記録となる180連敗を記録した。その後1度も勝利することなく、192戦0勝の成績で2012年7月16日に競走馬登録を抹消。


2位 179連敗
カンムリホルダー

父ロングニュートリノ
母グロウゲンザン
母父リヴリア

[0−6−11−162]

(牝/日本・園田)
生年:2001年5月1日


3位 165連敗
エリザベスクィーン
(牝/日本・園田)

〔エリザベスクィーン〕

4位 161連敗
ハクホークイン(牝/日本・浦和)


5位 159連敗
サシカタ(牝/日本・国営)


6位 140連敗
★シャッフル(牝/日本・園田)

7位 135連敗
ドナチェパ牝馬。米領プエル・ト・リコ島にて記録。日本馬以外では最多連敗記録保持馬。1998年生まれ)


8位 124連敗
オーロエネ牝馬オーストラリア・障害競馬にて記録)

〔オーロエネは1974年生まれ。写真は調教師のジョージ・チトス氏との一枚〕

9位 120連敗
★トサノカオリ(牝/日本・北海道)

10位 116連敗
★ブラックハーロック(牡/日本・園田)

11113連敗
★ハルウララ(日本・高知)

12 111連敗
★イリヤジョウオー(アラブ/牝/日本・川崎)

13位 108連敗
★グレースアンバー(牡/日本・名古屋)

またヨーロッパの最多連敗記録は、2001年にサウスウェル競馬場の障害戦で記録された100連敗。記録してしまったのはキザールクロセットという16歳の高齢セン馬で、飛越に失敗してのものだった。この時騎乗していたケント騎手は「今日は調子が良くなかった(笑)」とジョークでインタビューに答えていたという…。

 

オマケ

世界史上最多連敗の予想家

216連敗

ニュージーランドのヘラルド紙の名物記者、ビル・パティスン氏がその人。
本命に推した216頭中、86頭が1番人気。
連敗がストップしたのは1981年4月28日。エスラリー競馬場の第4レース、単勝1.1倍のホットキャットが1着。

ついに連敗地獄のドロ沼を抜ける。
しかし、この歴史的(?)勝利を上げたのち、またも108連敗してしまうのだった…。
また彼は、あまりに当たらないのを逆手に取り(?)、『UNWELCOME FAVORITE』=「有り難くない本命」と自ら題した予想コラムを紙上にて連載していたという。


世界史上
    最多出走記録

 

1
1300
 

(フィンランド、繋駕速歩競馬)

ここでも登場。フィンランドが生んだ超神話的名馬。1951年にデビューし1965年まで14年間も競走生活を続けた。

勝利数も全世界1位となる348勝。生涯公式競走1300戦。ゲームの世界でも到底不可能と思えるこの記録1300走は、

もう人類滅亡、競馬消滅のその日まで破られることはないだろう。

着度数は[348-115-57-43-737](優勝-2着-3着-4着-5着以下)。


2位 
776
 
(スペイン)

〔平地競走225戦(ヒート競走含む)+繋駕速歩302戦(ヒート競走含む)+障害競走198戦+草競馬51走〕
競走年間22年。1912年〜1934年。バスク地方のとある農夫の農耕馬として生まれた白駒は、その純白麗美な舞う様な走りが見たいと、

負けても勝っても、雨の日も日照り続く日も、1日4戦5戦を問わず走り続けていたという。

  
▲〔レースへと赴くゲルニカ号〕
 

3位 
700
 

 

 

第4位 コトブキライアン(ばんえい)

488

[37-59-60-66-68-198]

2002年6月1日にデビューし、2016年3月20日まで出走し続けた。


第5位 (牝馬)

476(公営)

第6位 シングルジー
436

(繋駕速歩競馬)


第7位 セニョールベスト
409
(高知競馬)

 

第8位 ヒブラゼ
406
(米国競馬)

1935年に生まれ、14年間も走り続けた名馬。

着度数[79-73-52-202]。


第9位 トヨタカ
374
(ばんえい)

次位 ミヤマリージェント
329
(高知)

ちなみにJRA記録はハートランドヒリュ127戦。
日本繋駕速歩競馬(昭和43年廃止)ではビージーキング271戦が最高記録。


史上最多出走頭数

66

1929年3月22日。
英国 マージサイドに位置するエイントリー競馬場でのグランドナショナルにて記録される。
しかし・・・これだけ出走しているとレースをする人馬はもちろん、実況する側や予想をする人たちも一苦労です(笑)。
しかも障害戦ですから尚更ですよね(笑)。


平地競走史上最多出走頭数

58

1948年3月13日。
英国リンカーン競馬場のリンカッシャーハンディキャップというレースで記録される。

 

2013年8月10日、モンゴルにて催された18,000mの競走にて4,429頭の出走という記録もある。



負担重量・

  史上最重量世界記録

93K』

日本にて、キリキヨという牝馬が記録。小柄だが、異常な程の筋力があったという。
岩本亀五郎調教師が園田の騎手時代、鍛錬場競走で跨った際の記録だとされる。
記録年代:昭和20年代初期
記録地:園田
ちなみに同馬は前走で88Kを背負って勝っていたという。
タマツバキの83Kを超える馬がいたとは…。ちなみにサラブレッドの最高負担重量勝利記録は、1932年3月10日、札幌競馬の抽選馬競走に出走したフラミンゴー77


しかし!

190.5kgを背負って芝の1マイルを勝った馬がいるという記録も見つかった。
190.5ポンドの誤りである可能性が高いが、190.5ポンドでもキロ換算すると86kgをオーバー
キリキヨに続く記録ということになる。
しかし、190.5kgが本当だとすると、とてつもない超絶的記録となる。

 

【ばんえい競馬での負担重量勝利(出走)記録】

1,100kg

ハルトカチ 1969年10月19日 旭川競馬・農林水産大臣賞典にて記録。

シヤリイチ 1971年10月10日 旭川競馬・農林水産大臣賞典にて記録。

負担重量・

  史上最軽量世界記録

32K』

1854年の4月、エプソム競馬場にて行われたシティ&サバーバンHにて、
マークアンソニーという3歳牡馬がこの斤量で出走したという記録が残されている。
いったいどんな騎手が騎乗したのか?
もう一つ、同じような信じられない記録が残されている。
同じく英国にて記録された。1865年のケンブリッジャーH(芝1,800m)に
フランス伝説の名馬にして19世紀欧州史上最強とも称される
グラディアテュールが出走。この時グラディアテュールが背負わされたのは138ポンド(約62.6kg)。
対して対戦相手馬には裸同然の軽量が宛行われた。
この時最軽量斤量となったヌーという馬は斤量が35kg(77ポンド)だったという。
その斤量差27.6kg差という凄まじさ。
これが恐らく現代まで通しての斤量差世界記録と思われる。
ヌーは2着と好走し、グラディアテュールは距離が短すぎたこととこの狂気じみた斤量差が災いし、着外と大敗している。


牽引重量世界記録

35メートル、23トン

1951年、ソヴィエト連邦にてフォースという馬が牽引した
この重量が世界記録とされている。

 

牽引力

☆世界最高記録☆
ちなみに2頭力を合わせて牽引した世界記録としては、
1990年、米国ミシガン州にて402メートルに渡り、
130.9もの重量を凍結路貨物のソリを引いて
牽引成功したと伝えられている。

 

世界2位となる記録ははるか一世紀以上前に記録されており…
128t
1893年、2頭のクライスデール種が橇を使って運んだ木材は128トンもあったという。
これはアフリカゾウ22頭分もの重量。恐るべき牽引力。

  
▲〔クライスデール種の牡馬〕



世界競馬史上
     最多連続
 重馬場出走記録


35戦全戦馬場



この記録を達成したのは英国のブリアンウッドという牡馬。
超教学的な程に、超常的雨馬だった。
五日間連続開催の、この馬が出走した日だけが重馬場で、その他の四日間はすべて良馬場だったという記録が、13戦以上もあった。
さらに驚くべきは1981年7月2日、エプソム競馬場にて出走した時の怪異である。
ブリアンウッドは第6レースに出走登録していたが、1〜5レース良馬場。7〜9レースも当然良馬場。雨が降る兆候が全くなかったにも関わらず、6レースになった途端、偏西風に吹かれ真っ黒な一塊の雲がやってくると、競馬場は土砂降りの大雨に見舞われた。そして馬場監視委員は「やや重」と発表。ところがである。6レースが終了するや否や、競馬場は晴れ渡り、馬場もあっという間に乾き、良馬場へと変更されたという。
生涯35戦、全戦重馬場で走ったブリアンウッド。彼の4代母シンギングレインが雨を呼んでいたのだろうか――。
彼は引退後、雨不足に悩む米国はソルトレイクシティーへと渡り、ケント・ユーザック氏の下で余生を送った。それまで乾燥に喘いでいた土地は慈雨に恵まれ、嘘のように雨不足は解消されたという。


  


スピード記録ベスト3
※人を乗せての状態で。

 

1ウイニングブリュー
70.76km/時
(2008年5月14日 サラブレッド種)

ペンシルヴァニア州のペンナショナル競馬場にて計測された記録。

レコード記録時、ウイニングブリューは2歳。しかも牝馬だというのだから驚きである。


第2位 ビッグラケット 
70km/時
(1945年 サラブレッド種)
  
メキシコシティにて記録された世界記録。400m…20秒4というスーパーワールドレコード。
このスピードを維持できた場合、ダート1,600mを1分22秒台で走破するという信じ難いもの。


第3位 ???(クォーターホース)
68.51km/時

※400mにての記録。

次位 チベット馬
67.04km/時

しかもこの記録、海抜4,500mの山間でマークされたものだという。
(『ホースメイト』第10巻、P25-26より引用)
サラブレッドも顔負けの10kmを8分57秒(!)で走った際のスピードレコード。
はたしてディープやオルフェが10kmを9分切って走れるだろうか?海抜4,500mの高山地帯で…。


世界競馬
   史上最大着差


501馬身差

この記録は日本において記録された。1970年の5月1日、阪神競馬場にて開催された阪神障害S(春)には4頭の出走馬が登録。現在ならばレース不成立となるが、当時の規定によりレースは発走。ところが4頭中3頭が落馬するという未曾有の事態に。唯一競走を続けたツキヒデキングは無事ゴールイン。単勝以外の馬券は返還か…と思いきや、まだレースは続いていた。
なんと、落馬した3頭の内の1頭が満身創痍、必死の再騎乗により、レース再開。しかし、フラフラになりがらようやくゴールへと辿り着いた時、
すでに1分23秒5もの時計差
ついてしまっていた…。
これを馬身差に換算してみると…

1秒⇒6馬身差
0秒5⇒3馬身差


…として考えられることから、(60秒×6)+(23秒×6)+3=360馬身+138馬身+3馬身=501馬身…となる。

その他の大差記録

有名なものが米国古競馬の象徴マンノウォーがローレンスリアライゼーション(ダ2,600m)にてフードインクを100馬身ちぎったという記録がある他、セクレタリアトのベルモントSにおける31馬身差勝ちがある。ちなみに日本の平地競走では2010年2月2日に佐賀競馬場でエイシンイッキが記録した5秒3差、障害競馬においてはシンボリクリエンスが1992年の中山大障害(春)にてマークした8秒6差が広く知られている。平地の日本GI級競走では1968年の天皇賞(春)においてヒカルタカイによって記録された2秒8差が最高記録である。しかし、これらのレコードは皆、写真判定が導入され正確な記録として計測されはじめてから残っているもののみ。過去にはとてつもない大差勝ちがあったかもしれない。

 

オマケ:「優勝したにも関わらず、タイムオーバーになった馬」
タイムオーバーとは、1着の馬から、その国の競馬法の規定で定められた秒数を離されてしまった馬が、出走停止のペナルティを受けることを言うが、まさか1着の馬がこの制裁を受けることになろうとは…。
この珍事が起きたのは1920年のチェコにて。同国最大の障害競走ヴェルカパルドゥビツカ(障害6,900m)のことだった。この障害競走の難易度は世界屈指であり、また危険度も群を抜くものがあった。何しろ、完走馬なしが1回あり、たった1頭が完走し、その馬が優勝なんてこともあったのである。あのグランドナショナルですら、最低の完走頭数は2頭であり、完走馬ゼロなんてことは今だに無い。それは、いかにこの障害競走が想像を絶するものか、それを雄弁に物語る一つの指針となっている。話を元に戻そう。1920年のこの競走、次々と出走馬が脱落し、なんと残るは1頭、ジョナサンという馬のみになってしまった。必死にゴールを目指すジョナサン…がしかし、時間がかかるかかる…競馬場で固唾を呑んで見守っていたファンたちも随分時間が掛かるものだと、時計へ目をやると、なんと10分も経過しているではないか!
これはとんでもないことになったと、観衆は異様な沸き立ちを見せ始め、ジョナサンへと声援を送った。皆の応援に応え、フラフラになりながらようやくゴールに辿りついた時には20分以上が経過。
記録上に残されたその驚愕の勝ちタイムは…


20分15秒(笑)。


いや笑っては失礼ですな。しかし…遅い。遅すぎる。おそらく史上最低の勝ちタイムでしょ…これ。
ジョナサンと陣営はチェコ最高の障害競走を優勝した!…と大興奮だったが、当時のチェコ競馬の規定により、“タイム・オーバー”となり、失格処分。天国から地獄とはまさにこのこと。陣営は失望のどん底に叩き落とされた…。

 
〔ヴェルカパルドゥビヅカのレース模様。創設は1874年と古く、障害の難易度も世界最高のものを誇る。生垣が中心で高さは130cm前後だが、第4障害のタクシスジャンプは高さ160cm幅180cmの生垣の着地側に深さ1m幅5mの堀を設けた巨大なものであり、他にも障害の間隔が9m以下の連続障害や、バンケット、水濠、石壁などが設置されている〕

ところが話はこれで終わらず…数十年後、規定が変更されたことを受けてか、一転して優勝が認められたのでした(笑)。
ジョナサンと陣営にとって、あまりにも不運かつ“遅すぎる”戴冠式だった。

⇒次ページにさらなる驚愕の世界記録を展示!!





一頭の牝馬の
産駒の勝利数


100勝』以上。

この記録は日本のアラブの繁殖牝馬ルーナが記録
あのパシフィカスすらビワ・ナリブー・ビワタケの勝利数あわせても40にすら満たない言うに…。

脅威の繁殖牝馬ルーナ

初仔 オールウイン号
7

二番仔 ルナパーク
27連勝
※27勝以上確定。

三番仔 タイコウ号
⇒10連勝2回含む27

[タイコウ号]

四番仔 ラミーホープ号
⇒南関東で10

五番仔 カンパク号
⇒19連勝含み29

[カンパク号]

六番仔 ミスルーナ号
⇒不明。

100以上間違いなし。


ダービー馬3出産

ファウスタ
あのリボーやネアルコらを育てた爛疋襯瓮蹐遼盻兒姚瓩海函▲侫Д妊螢魁Ε謄轡氏の愛娘であるファウスタは2歳No.1となるや、翌年にはイタリアダービーとイタリアオークスを勝つ歴史的金字塔を打ち立てた名王妃。14戦9勝。

 

ダービーにまつわるレジェンドレコード

現役で親子ダービー制覇

ニュージーランド競馬で起きた珍記録。

1873年に生まれたソングスターという馬が、1875年の下半期、2歳の時点で野合にて種付。

その子馬は1876年に生まれ、ホーンバイと名付けられるが、子供(ホーンバイ)の生まれた年

にソングスターがニュージーランドカンタベリーダービーに優勝。

そしてその3年後、1879年にホーンバイがニュージーランドカンタベリーダービー馬に輝く。

こうして現役のダービー馬がダービー馬の親となり、親子ダービー制覇を果たしてしまう…

という、現代競馬では絶対にありえない、空前絶後の記録が誕生。

場合によっては、親子ダービー馬対決が実現していた可能性すらある。

 

2日連続でダービー制覇
米国のラッシュアウェイという馬がその馬。
1936年(昭和11年)5月22日、当馬はイリノイ・ダービーに快勝。

その直後、汽車による300マイルの大移動を敢行。
翌23日には、ラト二ア・ダービーに出走し楽勝している。
2日連続でダービー制覇という、離れ業をやってのけて見せたのであった。

《補足トリビア》

驚くことに、同馬は汽車の車内で床に寝転び、一晩中熟睡していたという。
※馬は通常、睡眠時間が極端に短く、たいていの場合立って眠る。

(せいぜい一日2〜3時間しか横にならず、首を投げ出してグッスリと寝込むのは合計30〜40分にすぎないという。)
また馬は、横になっても30分以上そのままの姿勢でいることはほとんどないとされている。

 

自国ダービー3勝馬

自国のダービーを数回も…勝つ!
そんな奇跡の珍事を起こした馬がいる。
マレーシアオポージングフォースという馬がその馬で、ペラダービー(芝2,400m)を2001年、2002年と連覇。

さらにこのレースがGIへと昇格すると、2005年にもう一度優勝!なんと自国のダービーを3回も勝ってしまった。
世界広しと言えど、自国の同じダービーを3回も勝った馬は、この馬しかいない。

 

牝馬のダービー優勝が33回もある国
ウオッカが日本ダービーを勝ち、競馬界を震撼させ、世間のド肝を抜いたのは記憶にも新しい。
我が国・日本での牝馬によるダービー制覇はたったの3例。

1937年のヒサトモ、1943年クリフジ、そして2007年のウオッカ。ス

ピードとスタミナの総合力と底力を希求される2,400mというクラシックディスタンスにおいて、屈強な強豪牡馬を相手に、体の完成しきってない牝馬が一緒に走るということは、過酷を極める。ましてや勝つというなれば、それは超然たる快挙であり、同時にその牝馬が壮大無辺のポテンシャルを秘めている何よりの証明となる。
世界を見渡して見ても、ダービーを牝馬が勝ったという事例は非常に数少なく、稀有な事象であることが簡単に窺える。例えば、本場のダービーである英国ダービーでは、200年以上の歴史を持つものの、たったの6頭しか制していない。また米国ケンタッキーダービーでもたったの3頭、アイルランドダービーも2頭のみ。ロシアダービー6頭、フランスダービー10頭、ドイツダービー11頭、イタリアダービー11頭、AJCダービー(オーストラリア)8頭、ナシオナル大賞(アルゼンチン)14頭…と、日本よりも遥かに長いダービーの歴史を持つ国を見て見ても多い国で10頭前後なのである。

しかし!
なんと33頭もの牝馬がダービー馬となった国があるのである!
それが…
   カナダ
1864年のブルネットを皮切りに出るわ出るわ…創設年の1860年〜1900年の40年間の内、約半分の16回を牝馬が勝っているのである(笑)。そして2009年現在、牝馬の優勝回数は33回を数える。しかも、カナダで史上初の三冠馬となったのがこれまた牝馬なのである!

 
クィーンズウェイ
父オールドコーニング
母クリソーベリル
母父ヴァーデュン

生涯成績52戦12勝。2着8回、3着4回。
カナダ史上初の三冠馬。
1932年に、牝馬ながら牡馬のクラシックレースを完全制覇。
(写真協力:カナダ競馬の殿堂)


なんとも分析に困る史実である(笑)。カナダのダービー・クイーンズプレートは現在ダートの2,000m
で催されているが、この牝馬が勝ち星を量産した時代は、遥かに条件は過酷で、ダートの3,200mや2,400mの距離で施行されていた。つまり、牝馬にとっては非常に勝ちにくい、高く切り立った峰のような存在であったはずなのである。その時代に勝ちまくったということは、やはり途轍もなく強い牝馬であったということも考察できるが、一方で牡馬のレベルにも疑問符がつくこともまた事実。しかし、勝者に傷がつくということはない。

 

初勝利・デビュー戦がダービー。

                 そしてその1戦で引退

「この馬はダービーを勝つために生まれてきた」、そう称賛されたのは10戦全勝で日本ダービーを制し、その一週間後にこの世を去ったという名馬中の名馬トキノミノルであるわけだが、このトキノミノル以上に、ダービーを勝つためだけに生まれてきたと言える馬が存在した。
その名はアマトー。彼は1838年の英ダービー馬なのだが、なんとこの馬、デビュー戦がダービーだったのだ。

ダービーという一生にただ一度の檜舞台を生涯初体験となるレースにして奇跡の勝利をもぎ取ったアマトー。

しかしなんと不幸な事か、アマトーはレース後に間もなく死亡してしまう。

結局、生涯たった一回のレースがダービーだったのである。
彼を偲んでエプソムの町には『アマトー』という宿屋ができ、毎年ダービーが近づくとその宿の井戸のそばに予想が貼り出され、それがまたよく当たったという。
正にダービーのためだけに生まれてきたと言っても過言でない馬、アマトー。

偉大なダービー馬が、競馬の母国イギリスに存在していた。

 

34年もの間、開催休止

  となっていたダービー
世界中には燦然と輝くあまたのダービーが存在しているが、なんとその途中34年間も競走が休止されていたダービーがある。

それが…
ルーマニアダービー
…なんである。ルーマニアダービーは、その創設は1875年と古く、創始年度はあのケンタッキーダービーと同じ。第一回は芝2,000mで行われ、勝ち馬はギゼルダ。1875年〜1886年・第一回から第11回の11年間は2,000m、1887年から1895年の8年間は芝2,200mへと条件が変更され、1896年からは現行の芝2,400mへと落ち着いた。ちなみに全年度とも例外なくバネアサ競馬場で施行されている。
開催が休止されたのが1961年からで、1995年の34年間、国家の大きな変動の影響をもろに受け、34年間もの長期間に渡り、この国のダービーは眠りにつくことになる。
その間にルーマニア共和国はルーマニア社会主義共和国…そして現代の爛襦璽泪縫↓瓩箸靴討料移をたどり、1996年から再開されるに至った。

しかし…
このダービー、とんでもなく珍名馬が勝っているのである。
第2回がコーラ
1889年の第11回はロッテリア(笑)。
1892年、1893年とパルティザンという同名馬が優勝(笑)。
1940年にはS.O.Sという馬が優勝し、救済(?)を求めた(笑)。
救いを求めた翌年はボア(笑)。
1944年にゴルフが優勝し、その翌年にモタン
何がもたねーねよ(笑)?
そうかと思えば、1946年にはモスキート(日本語で牴祗)が優勝し、ドラキュラばりに血を吸ったらしい。
1954年にはついに(?)マックが優勝し、競馬史上初となるマックとロッテリアの名が同競走史に刻まれるという夢の競演が実現。
そしてトドメとばかりに1958年にはギャルが優勝しましたとさ(笑)。

 



牝馬によって
    もたらされた
 永久不滅
    歴史的大記録



史上最多全戦全勝記録
キンツェム 54戦54勝(55戦55勝)


史上最多勝記録(平地競走)
コリスバール 197勝


史上最多連対記録(平地競走)
⇒ファッション 36連対(生涯成績36戦32勝)


欧州大陸史上最多勝
⇒カテリーナ 75勝


南米大陸史上最多勝
フロルデロート 54勝

史上初のジャパンカップ連覇
⇒ジェンティルドンナ

国民の休日を作らせた史上初にして唯一の競走馬
トリニカロール


…いかがだろうか。
ここに列挙したような記録は、果たして我々現代人が生きている間に更新されるような事があるのだろうか。




同一種牡馬による
  GI競走最多連勝記録



7連覇

イタリアダービーにおいてシグノリオ産駒が1917年〜1923年にかけて達成した7連覇記録が最高。

▲〔シグノリオ(Signorio)〕

日本では1971年〜1974年にかけてオークスを4連覇したパーソロンの記録が最高。



同一種牡馬による
   レース占拠率記録


そのレースに出走した馬の父の、そのレースにおける割合。

100%

この記録は1955年のペルーダービーで記録される。
全出走馬の父がすべてポスティン産駒という物凄い占拠率を記録。
秘ダービー5勝、秘オークス8勝、ナシオナル大賞9勝という未曾有の大成功を収めた歴史的名種牡馬。
それほどの大種牡馬であった。ポスティンの代表産駒は三冠馬リオパリャンガ、四冠牝馬パンプローナなど。

日本での記録は…

76.9%
ディープインパクトが記録。
2015年の毎日王冠にて記録。
出走馬13頭中10頭が同産駒で占められた。

▲〔結果はエイシンヒカリ1着、ディサイファ2着でワンツーフィニッシュ。〕



日本競馬史上最高&
   最低馬体重記録


■最高馬体重勝利記録
626kg
ショーグン


2014年5月17日京都競馬12レース、ダート1,800m出走時に記録。

■最高馬体重出走記録
640kg
ショーグン

2015年1月17日京都競馬8Rダート1,900m戦出走時に記録。


■史上最高馬体重記録

2,976kg

ビッグジムというクライズデール種の馬が記録。
体高は160cmあったという。

 

■最高馬体重勝利記録(ばんえい)

1,225kg

サカノタイソン

2001年11月11日 北見競馬第11競走出走時に記録。

 

■最高馬体重出走記録(ばんえい)

1,228kg

キンカップオー

1996年1月16日 帯広競馬にて記録。


■最低馬体重勝利記録
350kg
ジャンヌダルク


■最低馬体重出走記録
320kg
ライデンハヤテ

栃木県宇都宮競馬にて競走していた牝馬。

中央競馬ではグランローズ330kg
GI優勝馬の記録では1971年のオークスを勝ったカネヒムロ384kg


こちらも350kg以下しかなかったと言われる史上最低馬体重の障害馬オータジマ号。

父トサミドリ、母ヒデヒカリ、母父ダイオライトという血統の牡馬。
障害で18戦12勝という優秀な成績を残し、1959年の春の中山大障碍(現在の中山グランドジャンプ)を優勝。
中央引退後は地方・南関東大井へと移籍。後の天皇賞春・有馬記念馬となるオンスロートを、晩年にも関わらず撃破するという性能の高さを見せた。小柄ながらダートでは相当のポテンシャルを秘めていたようである。

 

■最低馬体重勝利記録(ばんえい)
675kg
テーコー

1971年8月15日 帯広競馬にて記録。


■最低馬体重出走記録(ばんえい)
650kg
エスアイトツプ

1972年5月28日 帯広競馬にて記録。


世界最高齢優勝記録

メ イ ダ ン
父 ???
母 ???
母父 ???
生年:1869年
性別:牡
毛色:栗毛
調教国:英国


1869年にエジプトで生まれたというアラブ馬で、血統不詳。
12年間に渡りフランスと英国で平地競走を続けた。主な勝ち鞍にプンニャカップ。
しかし、ここからが圧巻で、なんと障害競走へと矛先を向け、23歳スティープルチェイス優勝したと記録には残されている。もしこれが事実ならば、史上最高齢で優勝した競走馬ということになる。


馬の世界最高齢優勝

  20歳

ゴールドスミスメイド

ゴールドスミスメイド

父 ハンブルトニアン10
母 オールドAB
母父 アブドゥラ

生年:1857年
性別:牝
毛色:鹿毛
調教国:米国


121戦92勝。1857年4月に生を受けた歴史的名繋駕速歩競走馬。
“クイーンオブトロッター”の異名を取り、ライバルたちは皆畏怖の念持って敬遠したという。
1864年から1877年まで走り続け、引退レースでは約20歳以上も若い牡馬を相手に圧勝し、ファンへと惜別を告げた。
古の米国繋駕速歩競馬の神話的女傑の話である――。


すっごい牝馬ですよね!!
でもぉ〜世界記録は日本!

世界最高齢優勝記録

26歳
ジヨンキユ

父クレベル、母ジヨンキヰウデボア。
1925年(大正14年)生まれのアングロノルマン種の速歩用競走馬。
1951年(昭和26年)、帯広競馬場のレースに出走し記録された。
繁殖牝馬として、すでに11頭の母馬となっていたが、
戦後間もない頃で競馬場は競走馬不足に喘いでいた。
そこで駆り出された同馬は、信じられないことに驚異的競走能力を見せ、
2着以下を約100m(約33馬身差以上)も突き放し、超大差勝ちを果たしたという。


日本牝馬の
    最高齢優勝記録

※平地競走での最高記録。
  15歳

ヒサトモ
初となる牝馬による日本ダービーを制した歴史的名牝。
1800〜3200mの距離を万能にこなし、26戦して14-3-5-5。なんと着外なし。
75kgを背負って牡馬相手に2着したこともある豪牝。
古馬になってからもオープン6連勝の後、秋の帝室御賞典(天皇賞)を勝つなど活躍。
しかし、期待に反して走る馬はまったく出ず、悪いことに1946年〜1949年まで連続不受胎と生産者を落胆させた。
結局、終戦の年1945年に生まれたブリューリボン(牝馬・父セフト)が最後の産駒となった。
戦後、物資に乏しい日本。
競馬のレベルはいうにおよばず。そもそも馬の数が足らない。
アラ、サラ、距離も関係なく各競馬場は番組編成に苦慮していた。当時の混沌たる時代背景と馬主サイドも苦境に喘ぐ状況から苦渋の決断をして地方・神奈川は戸塚競馬場へと送られ、柏・八王子と駆けた。地方初出走は4着と敗れるも、1949年11月8日、幸か不幸か地方初勝利を上げる。しかし老体にはあまりに過酷なハードローテーションから心身ともに限界を超え、ついには雪が降る浦和競馬場で心不全により絶命したという。調教後間もない、静かな最後だったという。
あまりにも酷く哀れな最期。食糧難に貧困に窮する絶望的この時代。墓も作られなかった彼女がどんな末路をたどったかは、想像に難くない。しかし、誰もそれを攻めることはできない。現代のように何もかもが満ち溢れた光に照らされた時代ではなかったのだから…

しかし、彼女の残した唯一の牝駒ブリューリボンの牝系は数十年の時をえて奇跡の復活を果たす。
彼女の奇跡の血を継ぐトウカイテイオーの登場である。競馬のロマンがここに集約されている――。


日本牝馬の
    最高齢出走記録

※平地競走での最高記録。

 16歳
彼女の名はスウイトレース。
馬柱を拡大するので、その年齢に注目して頂きたい…



な、なんと
16歳!!!

人間の年齢に想定すると
約70歳!!!!!!!!



すっごぉ〜い!
頑張り屋さんなお馬さんがいたもんですねぇ〜!



もちろんこの記録、この後17歳や18歳でスウイトレースは出走していたかもしれないし、他の非公式なレースでこれ以上の年齢で出走していた馬がいたかもしれないが、記録として残るものとしては、我国最高齢の牝馬の出走記録はこの岩手の農耕馬スウイトレースの16歳が最高記録となるであろう。

ちなみに、日本サラブレッド最高齢勝利記録オースミレパード16歳

日本障害界の
   牝馬による
    最高齢出走記録


  10歳

 コウエイトライ

父 オペラハウス
母 ダンツビューティー
母父 ホリスキー

生年:2001年鹿児島産
性別:牝
毛色:鹿毛
生涯成績:58戦12勝(内障害34戦11勝)
主な勝ち鞍:阪神ジャンプS4連覇、小倉サマージャンプ連覇、東京オータムジャンプ、新潟ジャンプSほか

こんなに凄い!コウエイトライ

・九州産馬の障害重賞制覇は1980年阪神障害Sのツカサパワー以来26年ぶり(2006年小倉サマーJ)

・九州産馬のJRA重賞2勝以上はゴールドイーグル以来29年ぶり(2006年阪神ジャンプS)

・北海道産以外の内国産馬によるJRA重賞最多勝利記録(それまではビワハヤヒデの7勝)を更新

・グレード制以降、障害重賞を制した牝馬は過去にテンビーエースとメジロベイシンガーの2頭(ともに1勝)だけで、牝馬ながら障害でここまで活躍したのはかなり稀有な例と言っていい

・2006年から二年連続、中山JG1を走ってもいないのにJRA賞・最優秀障害馬で得票、最優秀4歳以上牝馬でも1票

・障害重賞8勝はグランドマーチス、バローネターフの2頭を抜いて、障害重賞単独最多勝記録更新

・JRA史上初の同一重賞V4(2010年阪神ジャンプS)

・誕生から「10年5ヶ月12日」での出走は、牝馬の最高齢出走記録(2011年阪神ジャンプS)


日本牝馬の
    
最多連勝記録


26連勝


父???
母???
母父???
生年:1967年

金沢競馬が誇る桜幻の伝説女帝。
北陸地方で無敵を誇り、牡馬相手にも大レースを大勝。
2003年に荒尾のキサスキサスキサスが24連勝を記録したが、この馬の記録に並ぶまでにはいかなかった。

 

 

最年長デビュー記録

 

13歳

 

2013年10月1日の門別競馬にてデビューしたマーチャンダイズ号が記録。

父ホワイトマズル、母ロングシンシア(母の父ワッスルタッチ)という血統の同馬。

このデビュー戦は大差10着に惨敗している。

その次戦も大敗しているが、2017年3月時点でもまだ現役だという…

他では6歳でデビューという記録がある。

2012年9月25日、同じく門別でデビューのコマチャン(牝馬)という馬が記録。

父メイショウドトウ、母グランチャコ(母父グランドロッジ)のこの馬は、デビューから4連勝している。

2017年3月29日には高知競馬にてメモリーバッカス(父ネオユニヴァース)という6歳のせん馬が、

苦難を乗り越えて6歳デビュー(2着)を果たしている。

中央競馬では2000年5月6日の福島競馬にてタイキシャトルの弟、タイキチェイサーが日光特別(900万条件)に

いきなり出走し、6歳デビューでメインレースを優勝という珍記録を打ち立てている。



長寿記録

世界最高長寿
   サラブレッド


42

タンゴデューク
(1935〜1978年)

人間にすればなんと、160歳台という驚異の記録。

さらに…


<ポニー世界最長寿>
56

シュガーパフ
  
シェトランドポニーとエクスムーア種の雑種1950年に生まれ、2007年5月30日永眠。
お茶目で人懐っこく、乗馬用として活躍。引退後はボッティングさんが引き取り、世話をしていた。
ちなみに米国ヴァージニア州においてはテディ・Eベアというポニーが55歳まで生きたという記録が残っている。


▲〔テディEベアは1998年まで生きていたとのこと〕


<世界最長寿双子馬>
※記録更新中!

当たり前ですが…2頭そろって
25

ビル&ベン

1983年年生まれの双子馬。大抵の場合、双子や三つ子、多頭数が母馬の胎内で見つかった際は母体におよぶ危険を防ぐために1頭のみにし、悲痛だが、もう1頭は殺処分の運命を辿る。生まれてきても体に障害を患っていることがほとんどで、長生きすることなどは滅多にない。
彼らこそ、狄伸瓩“奇跡の名馬”なのかもしれない。
現役時、彼らは英国の動物園で子供たちを乗せる馬車馬として人気を博していた。現在はウェールズの牧場にて余生を静かに送っている。
馬界の金さん銀さんですな(笑)。


〈史上最長寿の馬〉

62

オールドビリー
 (イギリス、1760〜1822年)
 

英国では有名な話らしく、運河のはしけ船をひく使役馬として、ごくごく普通一般の農家で飼われていたのだという。
飼い主はエドワード・ロビンソン氏。サラブレッド種とクリーブランドベイ種の混血馬。

人間にすれば、240歳台というとてつもない、永久不滅の大記録
ちなみに、人間の最長寿はフランスのジャン・ルイーズ・カルメンさんの122歳(1875〜1997年)。なんと画家のゴッホにも会ったことがあるらしいそうです。
しかし、240歳(62歳)という記録は人間の最長寿の2倍であり、到底辿り着くことのできない年齢。オールドビリー、ほんとうにすごい馬です!
※参考記録としてラッセというポニーが1919年に生まれ1987年の5月2日まで生きていたという記録も。
 これが本当なら68歳という驚愕的記録になるが…。信憑性はオールドビリーに間違い無い。

 

世界2位はアイルランドのシャイン号で51歳


一方…
≪日本記録≫
サラブレッド最長寿記録

35歳3ヶ月19日
※記録更新中!(2014年9月2日時点)

シャルロット
父 アローエクスプレス
母 サローング2
母父 トラフイツク

生年:1979年
性別:牡
毛色:鹿毛
生涯成績:61戦2勝

シャルロットは1979年5月14日、北海道は静内に生まれ、『アローハマキヨ』の名で地方競馬で61戦2勝の成績を上げた。
引退後は乗馬クラブを転々とし、現在は長野県佐久市のスエトシ牧場に飼養されている。


次位
35歳3ヶ月11日


シンザン


日本全馬種を含めた最長寿記録

37歳5ヶ月

  
マリージョイ
栃木県にある筑波ライディングパークで繋養されている牝のアングロアラブ。競走馬名はスインフアニー。マリージョイは馬術競技馬名である。競走馬としても馬術競技馬としても大きな成績を残した馬ではない。2011年に日本における軽種馬の長寿記録を更新した。
父ダイリン、母トネチドリ。
1976年に門別の太田二郎によって生産される。競走馬としてはスインフアニーという名で、おもに紀三井寺競馬場、道営競馬に所属した。記録に残る範囲では1978年から1980年にかけ走り、通算成績は35戦3勝、206.9万円の賞金を稼いだ下級馬に過ぎなかった。引退後の経歴は詳しく伝えられておらず、不明瞭だが、馬術競技馬として活動していたと思われる。その後、2010年にサラブレッド系競走馬カネケヤキ(1961-1995。1964年二冠牝馬)が持っていた牝の軽種馬の長寿記録を更新し、2011年にはシンザン(1961-1996。1964年三冠馬)が持っていた日本の軽種馬の長寿記録35歳3か月11日を更新した。2013年8月16日永眠。


最高齢出産記録


35歳

小桜
この馬はばんえい競馬の牝馬で、人間の年齢に換算すると、なんとなんと150歳という歴史的…というよりありえない(笑)超大記録!


サラブレッドの記録


27歳
ミスリラ




▲〔他ではシル、モーニングヴィボーションらの25歳がつづく。さらなる記録更新はあるだろうか〕


世界最高生涯出産頭数記録

23頭出産

エストニアの牝馬ヒルダが記録したと言われる。
1890年中期から後期に誕生し、また彼女の子として
1925年に生まれた牝馬も17頭を生涯に残すという
大記録を打ち立てている。


最高齢種付け記録

31歳
ミスティック

1985年、米国はメリーランド州のウインドフィールズファームにて種付けを行い、翌年仔馬が誕生した。
この例が記録に残る物で、最高齢の種付け成功年齢記録とされている。
ミスティックは1954年生まれ。父レリック。


日本種牡馬の
    最高齢種付け記録

29歳
チャイナロック


ハイセイコーの父として名を知らしめた偉大な“性豪”。
次点はノーザンテースト28歳



装備記録


真珠イヤリングをして競走していた馬

   
1917年、フランスで生まれたイフウインターカムズという雌馬がその馬。
父はグランクリテリウム勝ち馬のブリュールール、母はデュリア賞など7勝を上げたバンゼット。
流線型の馬体で鹿毛の美しい馬体の馬だったという。
1919年8月、ニューマーケットでデビューし、英仏にて3シーズンに渡り活躍し、大玉真珠のイヤリングを煌かせながら、10勝を上げた。

◆なぜ、イヤリングをして競走生活を送っていたのか
時は遡り、1918年11月11日。
この日の午前5時、ドイツ代表のエルツベルガー団長はフランス、コンピエーニュに停車した四両編成の列車の中、休戦条約に調印。
第一次大戦が終わりの鐘を告げた。
この完全終結となる40分前、第一次大戦最後の銃弾と呼ばれる銃撃があった。
場所はフランス最東部のストラスブール。
ドイツ人兵士を威嚇しようと連合国軍側が発砲した一撃が流れ玉となり、不幸にも一頭の馬の耳朶を貫通。馬は突然の出来事に狂奔し、卒倒。
何とか助け起こされ、治療を施されるも、馬主のフィリップ・ジョバンニ氏は大きく肩を落とし落胆した。
それもそのはず。
良血の期待馬である、その馬が耳に穴を開けられてしまった。
競走馬にとっての耳は、重要な部位である。他馬の接近する蹄音を聞き取り、風向きを察知し、鞭の撓る音で戦意を高める――。
しかし、耳に穴が開いてしまっては、その穴を通る風の音で正しい判断が下せなくなってしまうのである。泣く泣くジョバンニ氏も乗馬用馬として育てる決心をしていた。


そこで意外な第三者から、救いの手が差し伸べられる。
フランスの女流作家マリカ・ロミトリ女史がこの馬を買い取りたいと名乗り出てきたのである。
彼女は、この馬を競走馬としてデビューさせようと考えていた。
ハンディを抱えても懸命に走るその姿が、戦争で傷ついた人々を勇気付けてくれるに違いないと確信しての発言だった。
この話を伝え聞き、胸打たれた米国大手の真珠業者パール・ブライトリーのウィリアム・グール社長が「もしよろしければ、このイヤリングをつけてやってください」と真珠のイヤリングを贈ってきたのである。

こうして世界でただ一頭、イヤリングを付けて走る競走馬が誕生した。
イフウインターカムズは、嫌がるこもなく、むしろそのイヤリングを自慢げに見せびらかすように、嬉々として走り回ったという。




口紅をして競走していた馬
リップスティックという米国の牝馬がその馬。
また、この馬の初仔となるヘイルトゥビューティー(「美女万歳」!、という意味。未出走。)、そして彼女の初仔、スティックトゥビューティー(「美女に首ったけ」、という意味。3勝。)彼女らも口紅を塗って走っていた。
 
◆なぜ口紅をして走っていたのか?

それは一人の美少女が起端となっている。
1956年のニューヨークにて、化粧品メーカー主催によるミス口紅コンテストが開催された。3000名の中から選ばれたのはジョセフィン・マーロー。弱冠18歳の少女だった。
彼女の父親は牧場経営をしており、その年に生まれた牝馬の中で一番鼻筋の通った馬に、プリティージョワと名付けた。“ジョワ”は娘ジョセフィンの愛称で、娘のミス口紅を記念しての命名だった。
しかし美人薄命の言葉のとおり、ジョセフィンは20歳でこの世を去った。
一方プリティージョワも不幸に見舞われ骨折。繁殖入りし、上記のリップスティックを産んだ。

口紅をつけたのは、ジョセフィンの母親であるマーロー夫人の提案から。
「あの娘の思い出を、何かの形で残しておきたい」という、娘を想う親の愛情が生んだ珍事であった。

麦わら帽子をかぶって
     
パドックを周回していた馬


故・浅見国一調教師の管理馬たちがその馬。
エアロフォーム勝負服やゴム製の腹帯など、いまは当たり前となっている競馬用具の導入、先進的取り組みを精力的に行っていた浅見厩舎の馬たちは、夏の小倉開催や新潟開催のパドックにて、麦わら帽子をかぶり、周回していたという。
写真が今も残っており、ファンも目で涼を得たに違いない。




  世界
  不滅継続
   ◆ウルトラミラクル
 ◆スーパーレコード

1929年8月6日。
英国ブライトン競馬場にて記録。

芝1200m

1:06.15
(1分6秒2)
保守年数
85年。
北半球の芝1200レコードをいまだ継続。
現在の世界レコードは南アフリカのフォヴズフェイヴァリットが2000年にマークした1:05.68。
時代や調教・騎乗技術、そして馬場状態を考慮すると、真のワールドレコードはこちらか。
芝6ハロンの世界的施行回数を踏まえれば、いかにこの記録が偉大なものか、容易に想像できよう。
2029年まで破られなければ、レコード達成から100年目を迎える。果たしてレコード100周年なるか―――。


  
このタイムをマークしたのはファーマーズコルト
正式には無名のセン馬
所有者はF.Fermer氏。

 
▲ブライトン競馬場。創設は1783年という壮大なる歴史を持つ。1990年7月26日には、チェイスザドアという馬が、1マイル1:30.9というヨーロッパの馬場とは思えないタイムで駆け抜けている。



 史

22,526,000m
福島安正
  “バロン福島

福島少将はベルリンから日本まで、2年で約14,000マイルを走破したと伝えられている。
これは
騎馬を通じての人類の走行距離としては史上最長距離を誇るもの。
マイナス60℃の環境時も耐え抜いての歴史的偉業であった。
その強靭なる精神と謙虚な立ち居振る舞いから爛汽爛薀ぁΕ蹈鵐哀薀ぅ澄辞瓩箸靴匿魄Δ気譴討い襦
ちなみに…走破した14,000マイルをキロ換算すると…


22,526Km!

メートル換算すると…

22,526,000m!!

ちなみに騎乗した馬たちは、その後天皇家へと献納されたという。
その他関連あるアラカルトを列記。


史上最長の競走距離
1位 モンゴルダービー

※写真は『ナーダムの子供競馬』
1,000km
(1,000,000m)
百万メートル


次位 75km(75,000m)
エジプト、サハラ砂漠にて行われていたという耐久レース。
※エンデュランス競走では400km(400,000m)が最長。

1日における史上最長走破距離
311.6km(311,600m)
※20時間で達成。ドン種。

史上最長最短最速走破距離
4,752km(4,752,000m)
※84日間で記録達成。アーカル・テッケ種。

  
「こっちも
  凄い記録ですよ〜」

1万マイルを旅した人馬

1925年、エイム・チェフリー教授が、マンチャ(15才)とガトー
(16才)という少年2人と共に、馬に乗って1万マイル(16,090km)を歩き通した。
スタートは南米アルゼンチンのブエノスアイレス。そこから約2年半の月日をかけ、北米のワシントン市に到着。途中には、越えるのが世界で最も困難な地域や危険な国が存在していたという。
この旅に使われた馬は『クリオージョ』という品種の馬で、世界最後の騎馬民族であるガウチョが乗る種の馬として知られる。

正確な走破距離は…

史上2となる
15,360km!!!


史上最長走破時間
120時間

1945年、5日間耐久レースへ出走し、見事優勝したターランというアハルテケ種の馬が最長の継続走破時間。この間、人馬ともに停止はもちろん、食事・睡眠すら一切とらず5日間走り通しでアシュハバード、モスクワ間を走破した。タクラマカン砂漠においても走り続けていたという。

エンデュランスレースでの記録
オーストラリアのエンデュランス競走は世界最長距離を誇る事で有名。
この競走名はトムクゥイリーゴールドカップ(400km)。1981年に始まる世界最高峰のエンデュランスレースである。
第一回のテストレースを制したアラブ馬シャザンダは伝説として語り継がれている。


▲〔シャザンダ号〕

それもそのはず。シャザンダはこの第一回のクゥイリーカップ以外にも、84kg(13ストーン0.5ポンド)という超常絶する酷量を背負い、600マイル(965,606.4 メートル)もの距離を走破したこともあったというのである。
にわかには信じ難い記録である。


   【その他驚異的記録】


■1991年、米国騎兵用馬が5日間で483kmを走破したという記録がある。

■年代は不明だが、アラブ馬が482.7kmを522分で走破したという。

■これも年代不詳。オーストライアンストックホースが4日間で274kmを走った。しかも、この時の気温は37.8℃という炎暑に見舞われての記録だった。

■日本においては、8世紀頃、信濃官用馬がたったの1日で196kmを走破した記録が残されている。


 

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