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シーバード ―Sea-bird供 【超完全版SSS+α】〜地球生誕史上究極サラブレッド〜

 
   シーバード


世紀海鳥

地球生誕史上最強馬


父 ダンキューピッド
母 シカラーデ
母父 シカンブル

生年:1962年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:フランス
生涯成績:8戦7勝[7-1-0-0]
フリーハンデ:145 ※フランケル登場に史上最高値からは陥落も中距離以上のレーティングは今だ史上最高値。
主な勝ち鞍:凱旋門賞、英ダービー、サンクルー大賞、リュパン賞、グレフュール賞、クリテリウム・ド・メゾンフィラット、ブレゾン賞

「世紀の名馬」という称号がある。あなたならこの名誉をどの名馬に授けるだろうか?私には本馬シーバード以外にこの称号がふさわしい馬など考えにも浮かばない。その神がかり的強さ、神格的オーラ…常軌を逸したスピード能力と加速力…そしてその一生まで、何から何までが特別な「百年に一頭」な馬だった。
シーバードを生産したのはジャン・テルニンク氏。繊維業で富を築き、ノートルダム・ド・リスル牧場を創設。また厳格なカソリック信者で、自らの生産馬にも神聖な名前を付けている。それが彼が生産した名馬サンクトゥス(聖なるかな)や、父ダンキューピッドといった馬名に顕著に表れている。そんな中、シーバード(かもめ)というネーミングには神聖な雰囲気は微塵も感じられず、底抜けに明るいイメージが脳裏をよぎる。もしかしたらこの命名、神からのお告げだったのではないだろうか?そう推測せねば納得のいかない馬名なのである。

さて、それはさておき、史上最高最強のサラブレッド・神鳥シーバードの壮大なる蹄跡を振り返ってゆくこととしよう。
シーバードの調教に携わったのはティアンヌ・ポレ師。主戦騎手としてはT.パット・グレノンが手綱を握った。グレノン騎手はオーストラリアの田舎競馬の出身。まさか史上最強馬の手綱を取ることになろうとは、本人も夢にも思わなかったことだろう。
またその血統だが、とても誉められたものではなかった。父ダンキューピッドはマイルで勝ち星を上げるものの、大レースを勝つような馬ではなかったし、母方の血統を見ても、平地競走の勝利数がゼロという、三流馬の血統だった。そんな暗澹たる血統から、闇を切り裂く一線の光…大空へと白きカモメが飛んでゆく…。日本で言えばオグリキャップを思い浮かべて頂きたい。見捨てられたような血筋から現れた究極の名馬…それが日本のオグリキャップであり、フランスのシーバードなのである。実はこの2頭の強さは、ネイティヴダンサーの隔世遺伝と言われている。両馬とも父系の3代前にネイティヴダンサーが顔を覗かせているのである。


〔父ダンキューピッド〕

シーバードはフランスはカルヴァドス県にあるビクター牧場に1962年の3月8日降誕。父ダンキューピッドも惨憺たる評価を受けていたが、母のシカラーデの評価はそれ以上に、暗渠の中さらに潜りこむほど低く、2戦して2着が最高で母系を5代遡っても未勝利馬しかいない。シカラーデは生涯に4頭の子馬をもうけているが、活躍したのはシーバードのみである。そんな貧弱な系統にも関わらず、シーバードを産むまで生きながらえる事が叶ったのは、母母の全姉のカマリーが英1000ギニーを優勝したためと言われるが、シーバードを産んだ翌年、ついに見切りをつけられ、殺処分。肉屋へと売り飛ばされてしまっている。
そんな母の暗迷なる末路も他所にシーバードはグングンと成長を遂げていった。
成長とは裏腹、仕上がりは遅く、シーバードはその神の巨翼をゆっくりと広げるかのように、1964年9月2日、悠然とシャンティ競馬場へ登場。プレゾン賞(芝1,400m)へ出走し、鼻差の一着。二走目は同年9月18日に行われたクリテリウム・ド・メゾンフィラット(芝1,400m)。勇躍メゾンフィラット競馬場に神翼を降ろした。このレースも短首差の一着。二着は後の仏オークス馬ブラブラだった。
そして「世紀の敗戦」の日がやってくる。10月11日のロンシャン競馬場、ブルゴーニュの森には、早くも晩秋の風が吹き、木々を揺らしていた。グランクリテリウム(芝1,600)には、シーバードと同廐のグレイドーンが出走してきていた。グレイドーンは芦毛の綺麗な馬で、モルニ賞・サラマンドル賞と連勝中で、厩舎の期待を一心に集めていた。ポレ調教師もまだこの時、グレイドーンがシーバードより強いと考えており、グレイドーンを先行させ、シーバードを後ろから行かせた。シーバードが追い込んで、あわよくば勝てればいいという考えだったようだ。ところがこの一戦、実はいわく付きで、最初からグレイドーンを勝たせるためのレースだったと言われている。それが本当かどうかはわからないが、そんな意図が見え隠れしていた節も確かにある。
シーバードの主戦グレノン騎手は、グレイドーンに乗り、シーバードにはM.ラウロン騎手が騎乗。シーバードはかなり賢い馬だったようで、いつもと鞍上が違うことを知るやいなや、神経質な一面をのぞかせ激しく入れ込んでしまう。なおかつ、最後尾からの追走。シーバードは直線に入ってもまだ最後方。先頭にはグレイドーンが立ち、後続を突き放してゆく。その時である。シーバードはその光の神翼を広げ、一気に進出。なんと騎手が引っ張りきりになって抑えているにも関わらず、猛然と追込み、11頭を一瞬にして飲み込んでしまった。グレイドーンにあと2〜1馬身と迫ったところがゴールだった。この一戦以降、グレイドーンは不振に陥り、勝てなくなってしまう。スランプ脱出を図るため、アメリカへと移籍するも不調を脱することはできず、結局22戦8勝という単調な成績で一生を終えている。

年が変わり1965年、シーバードは眠らせていた究極無比のポテンシャルを、一戦ごとに剥き出しにしてゆく。4月4日、ロンシャン競馬場で開催されたグレフュール賞(芝2,100m)から伝説となる年のスタートを切った。このレース、すでにレースを使われていたコルデュロイやパスカンといったフランスの有力3歳が集結していたが、シーバードは全くの馬なりのまま3馬身差の楽勝。つづく5月16日のリュパン賞(芝2,100m)ではさらに相手が強化され、ダイアトム(シーバードとリライアンスがいなければ、フランス史上最強馬と言われてもおかしくない程の強豪)や仏2000ギニー馬カンブレモンらも出走してきていたものの、シーバードは軽がると抜け出し、馬なりのまま6馬身も突き抜けてしまった。
この頃になると、「とんでもなく強いフランス馬がいる」という噂が、風に乗り、ドーバー海峡も越えて、イギリス全土へと広まっていた。シーバードは悠然とした面持ちで渡英。6月2日のエプソム競馬場に姿を現した時、シーバードは「世紀の名馬」と讃えられるだけの風格と神々しいまでのオーラを身に纏っていた。レースはシーバードが簡単に抜け出し直線先頭。軽く仕掛けられると、超次元の加速を見せ、後続に追撃不可能と言えるまでの絶望的な着差をつけてしまった。残り100mを残し勝負を決めてしまったシーバードは、馬なりのまま最後の直線を駆け抜ける。そしてなんと、最後の最後は完全なキャンターでゴール板を通過するのだった。メドウコートが猛然と追い上げてきたが、キャンターに入ったシーバードに2馬身差まで迫るのがやっとだった。

【エプソムダービー1965】



▲〔英ダービー(1965)ゴールの瞬間。写真からもシーバードが手綱を引っ張られ、抑えられている様子が窺える〕


▲〔1965年・英ダービー別角度からのゴール前写真〕

決してダービーのメンバーが弱かった訳ではない。英2000ギニー馬ニクサーと前述メドウコートの他にはデューハーストS、コヴェントリーS、グリーナムSを勝ったシリーシーズン。インペリアルSとチェスターヴァーズの勝ち馬であるガルフパール。ダンテS馬バリメライス。ディーS5馬身差圧勝のルックシャープ。ホワイトローズSを5馬身ちぎって参戦のアイセイ。リングフィールドダービートライアル快勝で臨んできたソルスティスと、相当の豪傑が集結していたことを付け加えておく。
また、しっかりと追い続けていれば、10馬身差以上の着差は軽く開いていただろうと、当時の評論家たちは述べている。

故国フランスへと凱旋帰国したシーバードは、歴戦の古馬相手となるサンクルー大賞(芝2,500m、現在は2,400m)に出走。ここでもダービーと同じようなレース振りで2馬身半差の楽勝。この時はゴールのかなり前から追うのを止めており、まともに追っていたら大差勝ちもありえるほどだったという。初の古馬との対戦だったが、いきなりフランス最強古馬のフリーライドを沈めてしまい、現役欧州最強の座もほぼ手中におさめ、もはやシーバードに課せられた使命は、凱旋門賞制覇、世界N0.1の玉座しかなかった。



〔調教師ティアンヌ・ポレ氏に引かれてパドックを周回するシーバードとパット・グレノン騎手〕


1965年の凱旋門賞、「世紀の名馬」シーバードを倒すべく、世界中から史上最高レベルのメンバーがフランスに集結した。


史上最強レベルの
 1965年凱旋門賞メンバー



リライアンス
(フランス)

ジョッケクルブ賞(仏ダービー)・パリ大賞(芝3,000m)・ロワイヤルオーク賞(芝3,100m)と仏三大レースを史上唯一頭制した不敗の名馬。リライアンスはフランソワ・デュプレ氏の持ち馬としてマロニエ賞(芝2,400m)でデビュー。つづくオカール賞も5馬身差の圧勝。そして三大レース完勝。フランスでは向かうところ敵なしだった。


ダイアトム
(フランス)

そのリライアンスのライバルで生涯4着以下が一度もない“鉄壁の巨人”ギー・ド・ロスチャイルド男爵の持ち馬。プランス・ド・ランジェ賞を勝ち、勢いをつけての参戦。


メドウコート
(アイルランド)

英ダービーの後本格化し、愛ダービー・キングジョージ圧勝。レスター・ピゴットを主戦としてシーバードに立ち向かう。
メドウコートはアルゼンチン伝説の女傑ミスグリージョの血を引いている血統馬でもある。

▲〔ミスグリージョ〕


トムロルフ
(アメリカ合衆国)

遠い海を渡り、アメリカ合衆国からも強豪参戦。プリークネスS馬で全米最優秀3歳馬。ケンタッキーダービー僅差の3着。ベルモントSも2着惜敗と、この世代最強の米国3歳馬だった。9月28日の火曜、専属の装蹄師とガードマン役の退職保安官を侍り、パリ入り。フランク・ホワイトリー調教師の本気度も最高レベルのもので、乾草と水をアメリカから大量に持ち込んできた。鞍上にはシューメーカー。当時の全米最高のトップジョッキーである。
彼はトムロルフに対して次のように述べている。「ギャラントマン以来の最強の3歳馬」。凱旋門賞を前にサイテーションH、シカゴアンH、アーリントンクラシック、そしてアメリカン・ダービーと圧勝の4連荘。勢いも雰囲気も最高潮のままフランスへと乗り込んできている。

アニリン
(ソヴィエト連邦)

極寒の地ロシアからは、今だにソヴィエト連邦(ロシア)が誇る史上最強馬。ソヴィエト三冠馬で、東欧やドイツのGI級でも圧勝。米国遠征も果たし、欧州クラシック馬を一蹴している。生涯成績28戦22勝の豪傑であった。

マルコヴィスコンティ
(イタリア)

イタリア1965年、真のダービー馬。不運にもダービーで25馬身差の絶望的大出遅れ。しかし神懸った追い上げを見せ、3着。ようやく馬群に追いついた時は最終コーナーを曲がり終えた時だったと言われ、明らかにこの馬こそがイタリア最強であることは明白だった。後のミラノ大賞馬(2回)。その他にジョッキークラブ大賞など。

オンシディウム
(英国)

コロネーションカップ馬。他にGI級レース多数勝ち鞍あり。気まぐれな馬で、圧勝と凡走を繰り返し、超一流になりそびれていた。しかし、凱旋門賞を前についに覚醒。直前の調整レースとしてグッドウッド競馬場でレースをすると、エクリプスS勝ち馬クレーグハウスに15馬身という豪烈な大差を突き付け、パリへと乗り込んできた。引退後はニュージーランド、オーストラリアへと渡りトップサイアーとなる。

デミデュエル
(ドイツ)
当時のドイツ最強馬。カピエロ賞、プランタン大賞などを勝ち、バーデン大賞では4馬身差圧勝し、勢いを駆っての参戦。

その他
フランス最強古馬でガネー賞馬のフリーライド。彼は引退後、南アフリカで種牡馬として活躍することになる…超素質馬であった。
競馬の母国・英国からはもう1頭出走してきていた。鹿毛とも黒鹿毛ともとれる珍妙な毛色で身を目立たせつつ、ジョンポーターS、ハードウィックSなどを勝ってきたソデリニ(後にダービー馬を輩出)である。
欧州各地で暴れ回る実力馬カルヴァンは、クリテリウム・ド・サンクルー馬で、ヴィシー大賞を4馬身差の圧勝でロンシャンへと矛先を向けてきた。
デズモンドSを圧勝し、愛セントレジャー3着のケァリフは、敏捷性抜群の快速馬で、メドウコートのペースメーカーとして出走してきていたのだが、ただのペースメーカーではないような只ならぬ雰囲気を醸し出していた。
一方、米国に生まれ、フランスで異色の存在となったティミーラッドは、ボワ賞とコンセイユムニシパル大賞を圧勝。様々な地域へと来訪し力を叩き上げてきた名馬である。
さらには、仏オークス馬ブラブラ。グレイトヴォルテジュールSを別次元の内容で快勝し、勢いに乗るラガッツォ。この馬はキャリアが浅く、大変身もありえた。
そしてブサック氏が送り込む不気味な刺客アルダバンエメラルドも只ならぬ雰囲気を醸し出している…。
エメラルドは1943年の凱旋門賞で大健闘したエスメラルダの娘で、モーリス・ド・ニュイユ賞馬。キャリアが浅く大波乱を起こすならこの馬なのではとの見解が多かった。
そのエメラルドの僚馬アルダバンはマルセイユ大賞馬で、血統的には非の打ち所のない良血馬だった。
ダフニ賞、シャンティ賞を勝ち上がってきたシジェベールはフォワ賞を勝って参戦。しかし、とてもこのメンバーでは荷が重いようだった。


・・・・・・…――至極と言えるメンバーに、大気さえも震えて感じる。これだけの相手を向こうに回し、シーバードは2.2倍の圧倒的支持を受けつつロンシャンに登場。「世紀の名馬」の馬場入りに、シャンゼリゼ通りは静閑を失い、ブルゴーニュの木々一本一本が震え、大気も張り詰める――。


▲〔シーバードの馬場入り〕

【凱旋門賞1965】


シーバードは中団からやや前方につけ、直線で颯爽と抜け出してくる。一瞬リライアンスと並ぶが、それも束の間。馬なりのまま世界中の最強馬たちを突き放してゆく…残り200mの地点でシーバードは大きく左に寄れ、気性の悪さを出してしまうものの、鞍上グレノンは勝利を確信しきっており、なんとこの時点で手綱を緩め、馬なりにさせた。シーバードは左へ左へと寄れ続け、馬場中央よりもスタンド側、大外に膨れながらのゴールへと向かう。
これは新馬戦でも下級戦でも、重賞レースやただのGIでもない…世界最高峰中の最高峰、それも犹望綺廼の布陣瓩噺討个譴織瓮鵐弌爾梁靴辰神こ最高ランクの国際GIなのである。
とても信じられないような光景であった。大きく寄れながら、まるで木漏れ日の中、日々の調教を終えるかのように、ゆったり楽に、完全なキャンターのまま世界最高峰のゴール版を通過していった。
まばゆいばかりの極光を放つ神翼が、大きくはばたいた。世界はあまねく包まれ、世紀の神鴎の前にただひれ伏すしかなかった。


▲〔1965年 凱旋門賞ゴール前〕

リライアンスに6馬身、3着ダイアトムには11馬身もの、驚異的大差をつけてしまっていた。
まともに追っていれば、軽く10馬身差は着差は広がっていただろうとの見解を当時の文献には散見される。
スタンドへと帰って来るシーバードに、競走馬に対するものとしてはフランス史上最大級の拍手喝采、賞賛、激賛の声が送られ、ロンシャンを黄昏が包み込んでもなお、宵闇の空、響き渡たり続けた。


    
 〔1965年凱旋門賞、レース前の返し馬時のシーバード〕

シーバードの競走能力は明らかに“神の領域”のものであり、サラブレッドの最終到達点と考えられるようになった。
レース後、グレノンは常識を語るかのように飄々と答えた。



「競りかけて来る馬がいなかったから、この馬の本当の強さはまだわからない。シーバードは自分の乗った馬の中ではもちろん、自分の見た馬の中でも、間違いなく最高の馬だよ」

果たしてどれ程に強い馬だったのだろうか。
この凱旋門賞にノーザンダンサーやシンザンも参戦していた場合どれ程戦えたのだろうか。


〔ノーザンダンサー(右)。連対率100%の日本最強三冠馬(19戦15勝)とカナダ最強三冠馬(18戦14勝)。2頭の対決というだけでも超ドリームマッチだが、凱旋門賞1965に参戦していれば、ダンシングブレーヴの凱旋門賞レベルと双肩と云われることなく、歴史上地球における史上究極最高レベルのレースが実現していたことだろう。文句なしに凱旋門賞史上孤高のレースとなっていたはずだ。〕


〔ポーランド史上最強牝馬にして、いまだ史上最強馬として称えられる“ワルシャワの女王”デモナ。1961年生まれの彼女も、シーバードと対戦する可能性はあった一頭。18戦14勝、ポーランド三冠&オーストリアセントレジャーの実績を引っ提げ、ぜひ1965年凱旋門賞へ参戦してほしかったところだ。この馬も参戦していればさらに1965年のレースレベルは上がっていたことだろう。〕

時空を超え、セクレタリアト、リボー、はてはディープインパクトやオルフェーヴルと対峙、合間見えた場合、どんな競馬をしていたのだろうか。
夢は尽きない―――…・・・・・・―



「上の海鳥の写真をクリックするとシーバードの貴重なレース映像をご覧頂けます!収録レースはグランクリテリウム、グレフュール賞、リュパン賞、英ダービー、そして凱旋門賞です!し・かも・調教師のティエンヌ・ポレ氏のスペシャルインタビュー付きですよぉ♪」



「リュパン賞はダビスタの画面外へ突き抜けていく状態(笑)。英ダービーは神、降臨!凱旋門賞では“神の領域を超える走り”をご堪能頂けると思います!でも…左周りがベスト条件だったんですね…シーバードって…凱旋門賞は本気を出せない条件だったのに、馬なりであの強さ、あの走り…それを思うと、この馬すごすぎます…ッ!!」



凱旋門賞直後、シーバードは米国ケンタッキーのダービー・ダン牧場で種牡馬入り。しかし、これだけの馬としては物足りない成績と終わってしまう。そんな中、凱旋門賞を勝つ女傑アレフランスやアメリカで大活躍するリトルカレントを出したことは、せめてもの救いだった。



フランスに帰り、種付けする直前の1973年3月15日、腸閉塞により生涯の幕を下ろした。12歳という若さだった。しかし…これも神のお告げだったと言うのだろうか。シーバードは手厚くねんごろに葬られるどころか、繋養先の牧場から運び出され、肉屋へと売却されてしまうのだった。頭部は剥製屋へ持ち込まれたが損傷が激しく、復元できなかったのだという。
(ところが、フランス現地においては肉屋へと売却された記録が残っていないという。フランス史上に残る不名誉な行為であることから記録がすべてもみ消された可能性もあるが…母が食肉にされたのは事実であり、その悲劇性になぞらえ、話に尾ひれがついて肉屋へ売り飛ばされたという噂もある)






曇りなき神空を往くカモメが、海の彼方へと飛び去っていく…。


果てのないやわらかな大空へ―――。



 

   
美空「シーバードはフランケルにフリーハンデで上回られてしまいましたが、芝2,400mというレール上では、現在でも史上最強最高の絶対的絶大な評価を不動のものとしています。それでは、彼の追記事項をご覧ください。最後には、彼の英ダービー輪乗り時の貴重な超特大写像も収録しております。」


☆シーバードは英国ダービー200回を記念して著名人6名が選出した“ダービー馬ベスト6”の中にBest1候補として選出されている。
(資料1参照)

☆英紙レーシングポスト紙は1953〜1994年までの英ダービー馬を対象にベストホースを決めるアンケートを行った。これは、読者が1位から5位まで投票。順に15、10、8、6、3ポイントとし、その合計ポイントで順位を決定するというもので、1995年6月8日付けで発表された。(資料2参照)

☆BBCラジオのベテラン競馬アナウンサー、ピーター・ブロムリーはシーバードの英ダービーに関し、次のようなコメントを残している。「シーバードは全くのキャンターで勝ってしまった。これほどあっさりダービーを勝つ馬がいるなんて考えたこともなかったから、私は言葉を失ったものだ」ブロムリー著『My most memorable races』より。

☆リュパン賞の直後、ダイアトムの調教師、ジェフリー・ワトソンは。シーバードを「リボー、エクスビュリと肩を並べる稀代の名馬」と称えた。これで英ダービーや凱旋門賞前の評価なのだから戦慄が走る。また当時の競馬評論家の大御所であるクロード・F・ドレフェス氏は、「これほどの馬を見たのはファリス以来のことだ」とダービーを前に絶賛している。

☆ポレ調教師は、ダービーを前にすでにシーバードの史上最強級の競走能力を感知しており、「これまで調教した中で最高の馬」という最大級の賛辞を送っている。

☆1965年の凱旋門賞がいかに凄まじいものだったかは、英紙スポーティング・ライフのトム・ニコルズが翌日の新聞に記した次の記述を見れば明らかだろう。
「その光景は、この世のものとは思えないものだった」

   

☆10月3日、ロンシャンにてシーバードの圧勝劇を見る幸運に授かった人々は、異口同音にその強さを称えた。「私の見た最高の馬」「ケルソにも負けない世界最強馬」場内に飛び交う最大級の賛辞の中、イヴ・サンマルタン騎手とシューメーカー騎手は「稀代の名馬」と称えた。しかし、最も説得力あるのが、リライアンスの調教師であるフランソワ・マテ氏のこの一言に尽きるだろう。
「あの馬こそ、本物の名馬」

☆シーバードの凱旋門賞で3着に破れたダイアトムと8着惨敗のカルヴァンは、次走となった当時の米国芝レースの最高峰ワシントンDCインターナショナルで1.2フィニッシュを飾る。
また30馬身近く引き離されたデミデュエルは、直後のローマ賞にてジョッキークラブ大賞馬アッティラを6馬身差葬りさった。またアニリンもケルン競馬場にてオイロパ賞にて圧勝。さらには翌年の凱旋門賞にて、50〜60馬身以上離されたシジェベールが2着となる。その他のメンバーもこの凱旋門賞後も大活躍し、GI級のレースを勝ちまくっている。この年の凱旋門賞がいかに桁外れに高水準だったかが窺い知れる。
また、英ダービーのメンバーもその後大活躍。メドウコートはいざ知らず、シリーシーズンが英チャンピオンSを。アイセイがコロネーションカップを優勝。

☆シーバードの体高は163.8cm。胸囲は181.4cm。幅が薄く、グレイハウンドのようなしなやかな馬体と、頭の良さを偲ばせる広い額を持っていた。また両後脚に白いソックスを履いた、綺麗で端正な馬でもあった。

☆シーバードという馬名だが、フランス読みでは“セアビール”という。“Sea”も“Bird”も英表記であり、仏語ではそれぞれ“Mer”と“Oiseau”になるのだが、ハイフンで繋げるとフランス語でも“Sea-Bird”は海鳥という意味になるらしい。




◆資料1
※()内はダービー優勝年。
☆ダービー馬ベスト6☆
オーモンド(1886)
バーラム(1935)
ピンザ(1953)
シーバード(1965)
ニジンスキー(1970)
ミルリーフ(1971)


◆資料2

☆英ダービー馬ベストワン☆

1.シーバード 16,440p
2.ニジンスキー 12,415p
3.ミルリーフ 9,528p
4.シャーガー 6,678p
5.サーアイヴァー 3,030p
6.クレペロ 2,041p
7.ナシュワン 1,874p
8.トロイ 1,726p
9.レファレンスポイント 974p
10.ゴールデンフリース 965p



シーバードこそ、
   全世界競馬が見た」




                       
  「史上最強馬である」

そう私は信じています。



【フォトギャラリー】

〔ダービー出走前の立ち写真〕

 
〔こちらは一番有名な立ち姿の写真〕


〔英国ダービーの馬場入り時。荘厳な雰囲気と神々しいまでの彼のオーラを写真からも感知できよう〕

奇跡の名馬 (仏国・独国・伊国・愛国の名馬) * 07:21 * - * - *

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