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オールドボーイ

  【オールドボーイ】

   〜古の天馬〜

―世界競馬
   史上最強のアラブ―


  

父 オーラン
母 スカイラーク
母父 パーミィー

生年:1909年
性別:牡
毛色:芦毛
国籍:チリ
生涯成績:36戦33勝[33-2-1-0]

遥かなる太古の時代、他馬が跼天蹐地とならんばかりの驚異的強さを、未来永劫の果てまで振天させた名馬が、どの国にも必ずと言っていいほど存在している。日本で言えば、英(はなぶさ、紹介済み)、バンザイ(紹介済み)、ピューアゴウルド(紹介済み)、クリフジ(紹介済み)といったところがそれに当たる。イギリスやフランスといったヨーロッパ圏で言うならば、セントサイモン(紹介済み)、グラディアテュール(紹介済み)、キンツェム(紹介済み)あたりになるのだろう。アメリカならば文句なしにマンノウォー(紹介済み)がこれに該当する。

以上に挙げたような名馬の成績やパフォーマンスを書物や資料で吟味する度に、太古への様々な想いが交錯する。タイムスリップできるなら、直にこの目で拝みたい…という願望にばかり取り憑かれてしまうのである。そんなノスタルジアを抱かせる伝説の名馬が、我々の住む日本の裏側にあるチリにも存在する。その馬こそが、本馬オールドボーイである。この馬についての詳細を語る前に、チリという国と、当国における競馬の成り立ちについて触れておきたい。

南北へ細長く広がるチリは、太平洋岸の共和国。その長さは4,480km、幅は74〜320kmの面積を誇る。太平洋岸に位置するため、寒流ペルー海流の影響を受けている。北部は乾燥帯と砂漠地帯に占められているが、南部は冷涼湿潤気候のため、北と南でまったく違う顔を持っている国である。そんなチリに競馬が根を下ろしたのは1835年。米国のバリー・ペイトン駐チリ公使によって導入された。バリー氏は自国から連れてきた二頭のサラブレッドに挑戦者を募り、地元チリの馬たちを完膚なきまでに打ちのめしてしまった。しかし、こうした一大変化が起きたにも関わらず、その後もしばらくはスペイン馬の末裔により競馬が行われていた。しかし、そんな中でも鉱物資源(金、銀、マンガン)と肥沃な土壌に育まれた農作物(小麦、ジャガイモ、トウモロコシほか)の恩恵によって南米でもアルゼンチンに次ぐ豊かな国として栄えていた。こうした環境の助けもあり、細々ながらもサラブレッドが輸入され続けたことで、国内における生産馬のレベルも飛躍的に上昇した。本格的に英国式競馬が行われたのは1864年。貿易港ヴァルパライソで催されたのがその始まりである。翌年にはチリで初となるサラブレッド種牡馬が輸入され、1869年にはサンティアゴ馬事クラブ(クラブ・イピコ・デ・サンティアゴ)が創設された。血統書の刊行は1900年となっている。


       
〔引き馬中のオールドボーイ〕


さて、いよいよオールドボーイの話に移ってゆこう。資料不足のため、詳しいところまで分からないのが残念なのだが、オールドボーイは圧倒的競走能力を有しながらクラシック三冠に挑戦することができなかった。それは、オールドボーイがアラブの血を母方から受け継いでいたためだった。100年に一頭と言えるほどの駿馬に下された制裁は、「出走制限」という無情なものだった。そんな苦況に屈することなく、想像を絶する脅威の強さをオールドボーイは見せ付けた。圧勝・楽勝・大勝の連続。圧倒的存在感と威圧するようなオーラを解き放ち、他馬を圧倒してまったく寄せ付けなかった。

  
〔レース中の描写を捉えた貴重な写真。デビュー戦、悠々とゴールするオールドボーイが写されている〕

しかし、これほどの名馬がよく三回も負けたものである。クラシックに出走する権利は持っていなかったが、チリセントレジャー(芝3,000m)を筆頭に大レースを勝ちまくり、31のステークス勝ちというチリ記録を打ち建ててしまった。この記録は、今だに破られていない。





偉大なる太古の天馬・オールドボーイ。彼は今、サンティアゴ馬事クラブのゲートや敷地に名を残し、チリ競馬の行く末を天から眺めている。自らがチリに刻み込んだ、壮大なる記録が破られる、その日まで。



  ★彡追記メモ★彡

☆オールドボーイがこなした距離は非常に幅広く、芝の800m〜3,800mまでこなしている。とんでもない化け物である。

奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 08:03 * - * - *

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