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コリスバール―Chorisbar―狄拭Υ饑廚量焦廊



コリスバール



 奇跡名馬

324戦197勝
   世界競馬史上
     最多勝保持馬



父 マイレヴェリー
母 カンポアレグロ
母父 キャプテンアルコック

生年:1935年
性別:
毛色:鹿毛?
調教国:クレブラ島(プエルト・リコ)
生涯成績:324戦197勝
[197-86-31-6-1-3]
主な勝鞍:ルイスムニョスリベラメモリアル、197勝の世界最多勝利ギネスほか

私はこれまで、『奇跡の名馬』というタイトルを掲げ、世界中のありとあらゆる馬を紹介してきた。その中でも今回紹介するコリスバールは特別中の特別な馬である。何しろ、賞金額が低い競馬後進国の離島に生まれながらも懸命に走り続け、どんな名馬も辿り着くことのできない永遠の金字塔を打ち立てたのだから…。
  
▲〔心が透き通るような島の海。今にも漣が奏でる潮騒が聞こえてきそうだ〕

 
▲〔子供たちの描いた絵。島民と海に見守られながら偉大な記録は誕生した〕


▲〔伝説の名馬を追って。ポーズを取る(?)Y子女史〕



▲〔圧倒的レースぶりで神威的競走能力を全開させ続けた。しかしこの成績、とても雌馬とは思えない…〕


西インド諸島のイスパニオラ島東方に浮かぶ小さな島、プエルト・リコ。コリスバールは1935年、その領に属するクレブラ島に生まれた。プエルトリコは全体に低い丘陵性の山地からなる。島ではサトウキビ、コーヒー、タバコの生産が盛んだが、セメント、製紙、肥料などの工業もある。


▲〔コリスバールの獲得総賞金は$44,341,83。主戦を務めたのはアンゲルT.コルデロ騎手〕

  
▲〔近海ではこれ程の巨大なカジキが獲れることも〕

コリスバールはこの地で調教を受け、競走馬としてデビューした。
彼女が生活の拠点とし、営みを送ったクレブラ島は、プエルトリコの東に浮かぶ面積約31km²の小さな島である。
世界でも5本の指に入るフラミンゴビーチ。この海の波音を、眺望を、コリスバールも見聴きしていたのだろうか。


▲〔フラミンゴビーチ〕

凄まじいのがやはりこの戦績。1937年にデビューし、1947年までの10年間も競走生活を続けて紡ぎあげたのが、『324』というレース数。そして積上げた『197』という勝ち星。これがいかにすごい事かは、幾つか類例を呈示すれば明らかとなる。


 ◆100戦以上レースを消化した
        世界の主な競走馬たち

  

ガルゴジュニア
⇒159戦137勝

マジェスティックベンチャー
⇒217戦8勝

フィッシャーマン
⇒120戦70勝

エクスターミネーター
⇒100戦50勝

▲[エクスターミネーター]

メリック
⇒205戦61勝

ハートランドヒリュ
⇒127戦4勝

ウズシオタロー
⇒250戦15勝

スタイミー
⇒131戦35勝

レッドラム
⇒110戦27勝



▲[ウズシオタローの出走記録を塗り替えたヒカルサザンクロス号]
地方競馬出走回数上位馬一覧
※ ばんえいを除く
(2014年10月1日現在)

セニョールベスト  409戦
ミヤマリージェント 329戦
タマノジョケツ   308戦
ダイナブロス    300戦
アイエスリリー   281戦
カイヨウヒート   280戦
マヤフェアリー   278戦
ハッピーコマチ   268戦
キクノガイア    268戦
メイショウハヤテ  267戦
ベルモントボンバー 267戦
ヒカルサザンクロス 266戦
ヒートアップ    263戦

 
「現存する、確認可能な資料・文献を読み解くと、日本競馬史上最多出走記録は…参考記録ですが春木競馬のコガネマル。この馬の残した476戦だと伝えられています!でも出走数に比例するように勝利は上げられず…上述した地方馬たちもそうですよね。コリスバールって一体…。でも…すごいお馬さんたちですよねぇ…」


…以上に上げた馬たちも凄まじい成績である。100戦以上消化できる時点で、身体の頑強性と桁外れな健康に恵まれた、本当に「無事是名馬」な偉大な馬たちである。しかし、レース数と比例した勝利数を上げることは、その出走数が多ければ多いほど、奇跡にも近くなる。世界中を探しても300戦以上も無事に出走できた上に、160勝以上の勝利数を上げることができたのはこのコリスバールただ一頭だけなのである。つまり、コリスバールは世界競馬史上に類例を見ないほどの稀有な300戦以上の出走経験記録を持つと同時に、世界競馬史上最多勝利記録を、今もなお保持し続ける馬なのである。

しかもこの馬、本当に信じられないことなのだが、牝馬なのである
 
あのキンツェムをも超絶する史上最強の頑強性と精神的強靭性を兼備した歴史的女傑とも言える。

キンツェムも短距離から超長距離まで不問の適性を示していたが、このコリスバールもプエル・ト・リコで施行されている全ての距離において勝ち鞍を、それも殆ど毎回トップハンデを背負いながら掲げ続けていた。130ポンド(約59kg)の酷量を載せ快勝したことも3度あったという。第二次大戦前に生まれた、しかも小柄な牝馬に課せられる斤量としては破格のものであった。


▲〔わざわざプエルトリコまでさまざまな資料集めに行ってくれたY子女史は調査を終えるまで牡馬と思い込んでいたらしく、牝馬だと知ったとき、唖然呆然としてしまったらしいです〕


 


コリスバール蹄跡】


それでは、その生涯成績の足跡を仔細に見ていこう。
まずデビューイヤーの1937年は11戦6勝。3歳時は16戦して12勝2着4回のパーフェクト連対。
4歳時が14戦13勝3着1回とこれまたパーフェクトに近い成績。
5歳時から出走数を一気に増やし44戦も消化。6歳時にはついに覚醒期を迎えたようで、51戦37勝2着14回…つまり生涯2度目となる年間パーフェクト連対を達成したのである。
7歳時は生涯最多となる年間出走数53走。
8歳で20戦、9歳で13戦…ついに3着以下の着順も目立ちはじめ、ついに盈虧(えいき。衰えること)の時を迎えたかに見えたが、10歳になって再度の30戦越えの39戦!そして11歳で35戦し、2年連続の23勝。そしてラストイヤー、12歳時は28戦16勝という成績をターフへ刻み、競馬場を去っていった。
以下に彼女の10年間に渡る成績表を簡易ながらご紹介させて頂こう。


 コリスバール生涯成績


▲〔引退レース後に祝福されるコリスバール〕

☆1937年11戦6勝

☆1938年16戦12勝
※パーフェクト連対!

☆1939年14戦13勝

☆1940年44戦28勝

☆1941年51戦37勝
※パーフェクト連対!


▲〔1941年のとあるレースでのゴール前〕

☆1942年53戦28勝


☆1943年20戦7勝

☆1944年13戦4勝

☆1945年39戦23勝

☆1946年35戦23勝

1947年28戦16勝


【ここに注目!】
 
197勝は当然ながら世界記録。ギネスブックにも掲載される。

1937年〜1942年の5年間は4着以下一度もなし。

上述記録を戦績に置き換えるとさらに凄みが加わる。
なんと…5年間で189戦して4着以下一度もなかったのである。


生涯324走し、内321戦が5着内入線。

10歳・11歳で23勝。これもまた世界記録。



「見れば見るほど、記録だらけの馬ですね〜」

まさに「奇跡の名馬」コリスバール。小さな島に降誕した盲亀浮木の名馬は、晨夕、懸命に調教をこなし、ひた向きに生きた。





                    
〔調教時の貴重な写真〕


カリブの夜空に散らばる星たちから、煌めく純粋無垢な瞳を天与され、小さな小さな競馬場を駆け回って圧倒的な力を見せつけた。
島民たちは、この名馬との邂逅をどのような心持ちで受けとめたのだろうか。


                     
〔南国の美女。彼女の記憶にコリスバールの名は…〕

幸せを呼び込むという桃色海豚。
コリスバールはイルカのようなしなやかなモーションと、俊敏な機動力とを兼ね備えていた。
そんな彼女の姿に重ねてしまう1頭が、川崎競馬のドルフィン号である。


▲〔ドルフィン。川崎競馬所属の牝馬で、サウスヴィグラスの産駒。ピンクのブリンカーとその走りはコリスバールを想起させる〕


美空私とうみねこさんが、ドルフィンに心魅かれてしまうのは、きっとコリスバールに知らず知らずの内に重ねてしまっているところもあると思うんです。さくらんぼ色の淡いメンコの色×ドルフィン=ピンクイルカっていうところも魅力的な所のひとつではあるんですが…写真のコリスバールとドルフィン…どことなく瓜二つと思えませんか?
    

キラキラとまばゆいまでに輝きを放つ白い砂浜と青い海のコントラスト…小さな島の競馬場から“奇跡”と言う名の『虹の橋』を世界へ架けたコリスバール。
しかし、残念ながらコリスバールの起こした『奇跡』を知る者は少ない。

…さざめく波の音が奏でられるビーチに微風が吹く頃、
オレンジとピンク色の空が島を包んでいた。


遙か遠く残音残していく鴎たちの声。
海鳥たちはマーマレードエーテルの空へ消えていく――…
     
     

斜陽の中、そっと瞼を閉じてみる…



瞑想し夕凪の空に想いを重ねる――…

数十年前の珊瑚の島へ、心と記憶の時間旅行…
するとそこには、待ちかねたように頬摺り寄せてくる一頭の馬が。


天運のポテンシャルを宿した『一角鯨』…       



  
▲〔たくさんの島民から愛され、蜜語をかけられた愛おしき競走馬。花束・贈り物を持ってくるファンも絶えなかったという〕

     
【コリスバールと同じように離島に生まれた白い奇跡】

25429
ネヴァド

プエルトリコの離島、ヴェスケス島で育ったパールバックスキン馬(白毛)。

父ガルゴ。母キュビレット。父はマンノウォーの血を継承する系統。

ネヴァードの母、キュビレットの血統は不詳。それでも競走馬として登録されたことに、昔日の憐愍を感じてしまう。

1929年生まれ。生涯254戦29勝。1931年から1938年まで競走生活を続けた。

純白の光沢ある毛色と緑色の眼を持っていたという。全世界白毛世界最多勝馬。
オーナーはアントニオ・キャティンチ氏。
ネヴァドはプエルトリコの様々な競馬場で競走していたが、一番のベストコースは

キンタナ競馬場だったという。
ネヴァードは引退した1939年の暮れ、崩御。

常軌を逸したレースへの連戦と酷使がその遠因となっているのかどうか、

その因果関係に関しては不明である。


コリスバールが織り成した「324」の物語と「197」の“奇跡”。

 

        

  

 

        

  

               

         


      


夕凪の中、漣が奏でるメロディが心の琴線を爪弾き、
彼女の記憶と記録は語り継がれていく――…・・・

▲〔ほぼ毎週のように走っていたコリスバールは、島民たちにとってもきっと何気ない日常の“しあわせ”な1ページのような存在だったのではなかろうか…〕


犹笋凌瓦虜埜紊了戮┐任△襦∨殘学校時代のN.Sさん。
彼女との出逢いと同じ位、奇跡的犧桃邂逅瓩凌監阿髻▲灰螢好弌璽襪砲牢兇犬討い襦宗宗…私が咫尺することの叶った最高の名馬だと、それが彼女コリスバールだと、ずっとずっと信じている。
                        

プエルト・リコ島の夢の名馬コリスバール。
いつかどこかで回り逢いたい――…

“奇跡”をカタチにした存在。
愛おしき
彼女こそが―――…・・・

   

奇跡の名馬



   
  
 


コリスバールの生産者はJ.キャストリロン氏。

父系を遡ってゆくと名馬ホエールボーンへと行き着く。

父、母ともに米国生まれの米国育ち。父マイレヴェリーは米国から輸入された種牡馬で米国在籍時は“クワランティン”という名前で登録されていた。





     

奇跡の名馬 (中米・カリブ海の名馬) * 01:11 * - * - *

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