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ミスグリージョ

  【ミスグリージョ】

 〜ピムリコで朝食を〜

 -米国長距離戦で
   輝いた南米の才女-

  

父 ローランド
母 セデュリージャ
母父 ピカセロ

生年:1942年
性別:牝
毛色:栗毛
国籍:アルゼンチン共和国
生涯成績:43戦10勝[10-7-6-20]

20世紀は戦争の世紀であった。世界を巻き込んだ2度に渡る大戦は人々に暗鬱な影をもたらし、経済を破綻させた。サラブレッドたちも被害者の一人と言える。競馬開催の中止、強制的な引退…それならまだいい方で、虐殺された馬、銃殺され食されてしまった馬など、陰惨かつ悲壮な最期を迎えることを余儀なくされた馬も、決して少ないものではなかった。
人類が生み出した最大の負の遺産である“戦争”という重荷を、今世紀へと持ち込んではならない。


                            


さて、その第二次大戦終結後の南米アルゼンチンに、偉大なる女傑が君臨していた。
彼女の名はミスグリージョ。後に世界へと名を馳せることになる歴史的名牝である。
ミスグリージョは1942年、ハラ・サン・イグナシオ氏が経営する牧場で生産された馬で、ゴツゴツとした異様な馬体をもって生まれてきた。胴が異常なほど詰まっているものの、脚の長さが常軌を逸しており、そのアンバランスな容姿とは不釣合なまばゆい煌めきを黄金の馬体から解き放っていた。

  

この不恰好な牝馬が、アルゼンチン競馬はおろか、世界的名声を勝ち取ることになろうとは、誰が予想だにしたろうか。ミスグリージョは巨体と歪んだ脚部を余所に、素晴らしい持続性あるスピードを調教で見せ始め、陣営に募る期待も日和りに膨らんでいった。

競走馬としてデビューしたミスグリージョだったが、彼女の成績は不安定で、浮沈が激しいものだった。しかし、大一番の大レースとなると、緩慢な部分が影を潜め、別馬のように変貌し、驚異的集中力を覗かせた。
そんなミスグリージョは、エリセオラミレス賞(ダ1,400m)を強烈な末脚で圧勝すると、オーバーホールを取り、クラシック戦線へと躍り出てゆく。




                             
[アルゼンチンに広がるパンパ地帯]



アルゼンチン版桜花賞であるポージャデポトランカス(ダ1,600m)を豪快に突き放し圧勝。
さらにセレクシオン大賞典(アルゼンチンオークス、芝2,000m)ではゆったりとレースを進め、余裕もタップリと楽勝した。芝・ダートの両レースを制したことも賛嘆されてしかるべきものだが、陣営もファンも、着眼したのは、「距離」だった。そう、明らかに一冠目と二冠目のレースでは、ゴール前のモーションが違っていたのである。
「ミスグリージョは長距離が得意なのでは?」

明らかにミスグリージョは長距離適性の高い馬だったのだが、次なる陣営のレース選択には、アルゼンチンの全競馬ファンが目を丸くして閉口した。

そのレースとは…


“ナシオナル大賞典”…


つまりはアルゼンチンダービーへ出走するというのである。

2007年の日本競馬で牝馬のウオッカが日本ダービーへ出走した際も、厳しい意見が飛び交ったが、ミスグリージョ陣営に対しても無謀だとか、慢心だといった苦言が浴びせられた。

しかし…ミスグリージョは牡馬を弾き飛ばし、グングンと引き離して大楽勝。アルゼンチンのダービーとオークスのダブル制覇に、他陣営はただただ驚嘆し、讃美の拍手を贈るしかなかった。陣営の勇敢な挑戦が結実した最高の結果に、夢は膨らんだ。
ミスグリージョはアルゼンチンへと惜別を告げ、より賞金額の高い米国へと渡ることに。目標のレースもあった…ピムリコ競馬場で開催されるピムリコカップ。現在は廃止されたレースであるが、なんと距離はダートの2マイル半。つまりは4,000mである。
競馬における定説は、「牝馬はスタミナ面でどうしても牡馬に劣るため、長距離戦では不利になる」…というもの。しかし、ミスグリージョは正反対。真逆を絵に描いた様な馬だった。距離が延びれば延びる程、特有の持続的スピードを最大限に活かすことができたのである。
超長距離のピムリコカップ。このレースへミスグリージョは1946年から1948年まで毎年参戦し、それぞれ2着、1着、1着と着実に結果を残してきた。特筆すべきは1948年のレースパフォーマンス。あまりにも凄まじく、目撃した者は皆、いまだに鮮烈なそのシーンを目に浮かべることができるという。


…―朝霧の立ち込めるピムリコ競馬場の朝。陣営はトーストとコーヒーで朝食を簡単に済ませると、最後の綿密な調整と確認作業に取り掛かった。

           


レースを直前に控え、緊張が最高潮に高まる。ミスグリージョはアンバランスな巨体を揺らめかし、飄々としていた。
レースがスタートすると、ミスグリージョは先団に付け、流れに乗った。徐々に先頭争いへと加わり始めると、流れは激流へと変化し、弱者を容赦なく飲み込んでいった。最終コーナーを迎えた頃、ミスグリージョはただ1頭、ピムリコの直線を闊歩し、馬なりのまま明日へと向かう旅人の様な面持ちで烈震の超加速。なんと2着馬に100m以上という絶望的大差をつけ大勝してしまった。後方を振り返りながら、立ったままの体勢でゴールを迎えたジョッキーの視界には、とてつもない時計表示が飛び込んできていた。“4:14.06”。あまりにもセンセーショナルな世界レコードが眩耀な電飾に照らされ、競馬場の中に一つの新世界を作り出していた。


          
〔1948年ピムリコカップ優勝の歴史的一瞬〕


この瞬間、常識や定説は1頭の摩訶不思議な牝馬の登場により、崩壊し、塵埃となって歴史の彼方へと消失した。
また一方、この歴史的大勝により、はじめてアルゼンチン産馬へと世界のスポットライトが向けられたのだ。


ピムリコ競馬場へほのかな夕暮のカーテンが掛けられる頃、逆光を背に受けたミスグリージョは自らが伝説の名牝であることを感知したかのようにうなだれ、明日へと凪がれる時間の片隅、天空をただジッと見つめていた――。


  


  ★彡追記メモ★彡

☆ミスグリージョは、繁殖牝馬としても優秀で、愛ダービー馬にしてキングジョージを勝ったメドウコート(紹介済み)などを輩出した。

奇跡の名馬 (南米諸国の名馬) * 07:53 * - * - *

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