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ドクターフェイガー

【 ドクターフェイガー 】

〜 その馬、超速につき 〜

―史上超絶のスピード…
 米国競馬伝説の超速馬―



父 ラフンタンブル
母 アスピディストラ
母父 ベターセルフ

生年:1964年
性別:牡
毛色:鹿毛
国籍:アメリカ合衆国
生涯成績:22戦18勝[18‐2‐1‐1]※1位入線も4着降着の失格処分1回。

クロフネとサイレンススズカ…震天動地、神威的砂上のパフォーマンスと光のごとき超スピード。もし2頭を合わせたような馬が存在したなら、ダート競馬でかなう馬など皆無であろう。天下無敵、国士無双の比類無き究極超速馬の降誕だ。しかし、そんな馬が実際に存在していたのである。圧倒的パワーと大気も震わす疾風迅雷の瀑速力…史上屈指のスピードを、全米の眼前へと天真独朗に展観した稀代の快速馬。彼こそがドクターフェイガーである。
電光烈火のような彼の速さとは裏腹に、琴を爪弾くようにじっくりと彼の物語を推敲してゆくことにしよう。


1964年の4月6日、タータンステーブルに生を受けた鹿毛は、幼少時より刮目に値する鋭敏な俊敏性を見せており、牧場の渇望し続けてきた理想の馬だと、期待を一心に集めていた。競走馬としての船出を図るため、ジョン・ネルド調教師の下へ預けられ、調教を重ねてゆく。
“ドクターフェイガー”の名が与えられ、迎えた初陣となる1戦をアケダクト競馬場で飾る。1966年の7月15日、未勝利戦(ダ1,100m)を馬なりのままスタートから飛ばして行き、ゴール時には7馬身差の大差をつけていた。次戦の1,200では8馬身差、アトランティックシティーへと舞台を移してのワールズプレイグラウンドS(ダ1,400m)では、ロケットスタートを決めグングンと他馬との差を広げていき、ウイニングポストを通過した時には12馬身差という大差をつけてしまっていた。1,400mという距離を考えると、目を疑うような着差である。
初の一線級が相手となったカウディンS(ダ1,400m)ではインリアリティに3/4馬身差まで迫られるものの、無敗の4連勝を飾った。しかし、この時すでに体調が下降線に差し掛かっていたらしく、1週後のシャンペンS(ダ1,600m)ではサクセサーについに交わされ、2着と敗れてしまう。
これを2歳時の最終戦とし、陣営はドクターフェイガーを休養に入れた。

1967年、3歳を迎えたドクターフェイガーはさらに馬体の成長を促し、競馬場へと帰ってきた。
始動戦となったゴーサムS(ダ1,600m)では、歴史的名馬にして宿運のライバルとなるダマスカスを抑え優勝。しかし、ジョン・ネルド調教師は一つの疑念を抱いていた。
「此れ程のスピードを誇る馬が、クラシックの長距離で戦えるのだろうか?」
鬼胎を抱く陣営の胸に暗鬱な影が頭をもたげる――……。

ネルド師の導き出した答えは、クラシック回避だった。
これが大正解となって具現化さるるに、時間はかからなかった。

クラシックへの失念をスピードへと転化させ、ウィザーズS(ダ1,600m)を6馬身差大勝。さらに弾みを付け、上昇するべく出走したジャージーダービー(ダ1,800m)では4馬身差の楽勝に思われたが、降着処分を受け、生涯最悪の着順、4着に敗戦。
屈辱感たっぷりに塗りたくられたドクターフェイガーの陣営は奮起し、次走への調整を進めた。

仕切り直しの一戦、アーリントンクラシックS(ダ1,600m)では、不良馬場に他馬が喘ぐ中、ただ一頭猛然と加速してゆき、10馬身差という絶望的な着差を広げて大楽勝。その後一戦を挟み、2,000mというドクターフェイガーが未経験の中距離戦、ニューハンプシャー・スウィープSへと陣営は照準を当てた。
時同じ頃、ダマスカスは二冠馬となり、無敵の圧勝劇を続けていた。また一方で前年の年度代表馬バックパサーは15連勝を決め、全米を股に架け躍動していた。
競馬ファンはしきりに3頭の激突を切望し、その時がくるのを夢見ていた。

ドクターフェイガーは2,000mへもしっかりと順応し、折り合い快勝。これを見た陣営はウッドワードSへと登録。
この事実が明らかになると、競馬ファンは狂喜乱舞し、胸踊らせた。そう、ダマスカスとバックパサーらも、この一戦に向け調教が進められていたのである。この世紀の三強対決の様相と雰囲気はただならぬ異様なムードと凛と張り詰めた緊張感を醸し出し、全米の話題を独占した。近い例で言うならば、1998年の毎日王冠が相応しいのかもしれない。大逃げで連勝を続けるサイレンススズカと無敗の外国産馬エルコンドルパサー、グラスワンダーが合間見え、激突した伝説のレースだ。

1967年の9月29日。翌日に世紀の三強決戦を控えたアケダクト競馬場は、豪雨に見舞われていた。
しかし、日付が変わる頃には小雨になり、曙光がスタンドに斜光を当てる頃には、運命の日を祝讃するかのように澄み渡った秋晴れが広がっていた。
この日のアケダクト競馬場は記録的入場人員を記録し、5万5千人もの観衆が来場したという。



〔ダマスカス〕

                          
〔バックパサー〕


世紀の対決のゲートオープンが、数分後に迫っている。
ダマスカス、バックパサーの両陣営は、ドクターフェイガー対策のため、ペースメーカーをそれぞれ出走させてきた。しかも、かなりの力を備えた2頭で、その内の1頭、ヘッドエヴァーはマイルの世界記録保持馬だった。さらに最悪なことに、ドクターフェイガーの左右両枠に2頭が入ってきていた。
緊迫感が胸を叩く。競馬場へ詰め掛けた民衆が、息を飲んで見つめる視線の先で、運命のゲートが開いた――。


スタート直後からドクターフェイガーとペースメーカーの3頭がロケットダッシュで猛烈な勢いで飛び出してゆく。しかし、ドクターフェイガーはまったくの馬なりであっさりと先頭を奪い返し、独走態勢に移行してゆく。そうはさせじと2頭は鞭を遮二無二、連打され、全力疾走に入るが引き離される一方となってしまう。
直線に入る時、すでにドクターフェイガーはスパートを掛けており、とてもゴールまで脚が続きそうにない。結局ダマスカスにあっさりと捕まり、10馬身差の完敗。リベンジを許してしまった。ドクターフェイガーはバックパサーにも僅差交わされ、3着。しかし、追い込んできた4着馬には13馬身差もの愕然とした大差を突き付けている。

ドクターフェイガーの覚醒は、奇しくも世紀の対決の直後からで、翌1968年はドクターフェイガーの真価が明瞭となった。
この年のスタートであるローズベンハンデ(ダ1,400m)では59kを背負い1:21.4の時計を3馬身差。つづくカリフォルニアンS(ダ1,700m)でも59kを背負って3馬身差で楽勝し、1:40.8という現在の日本レコードより遥かに凌駕する時計を記録。さらに烈脚へ磨きが掛かり、サーバーバンハンデ(ダ2,000m)では60kの斤量もものともせず、1:59.6の好タイム勝ち。
もはや人知を超越した強靭性に万民は溜息をもらすばかりで、他陣営もドクターフェイガーを激讚し、仰望する他なかった。
そして迎えたワシントンパークハンデ(ダ1,600m)。61kgの重量を背負い、颯爽とスタートを切ったドクターフェイガーは、空を切り裂き、烈進瀑走。大気をビュッと鳴動させ、火柱が地走りしていくように疾駆していった。他馬はおろか、自らの影も追い付いてこれなくなるような錯覚を覚える程の超加速を見せ、アッという間にゴールイン。
掲示板には10馬身差という驚愕の着差と、1:32.2という信じがたい世界レコードが、幽遠な光を解き放っていた。
その光は瑞光だったのだろう。
この後、ドクターフェイガーは芝のユナイテッド・ネイションズハンデ(芝1,900m)でも61kgを背負い、快勝。芝でも強いドクターフェイガーを誇示すると、哀愁と大衆の万感を背に、ラストランへ――…。

11月2日。やけに凍てつく秋風が、木々を揺らして、冬の訪れをそっと知らせている。
燦然たる後光を全身から漲らせ、恬淡たる表情でアケダクトへと現れたドクターフェイガーは、63kgもの酷量を載せていた。
ヴォスバーグハンデ(ダ1,400m)。ドクターフェイガーは自然体のまま、すべての“夢”を解き放つように、もはや現世のものとは思えない超次元のスピードでゴールを駆け抜けていった。6馬身差。タイムは1:20.2。またも世界記録だった。

   
常識を逸脱した途方も無きスピードのサラブレッド。「速さ」という概念、理念のその先に我々は何を希求するのか。
答えの無い明日へ向け、ドクターフェイガーは競馬場を去った。
日本にサイレンススズカ、クロフネらが生まれる30年以上前の砂塵へ消えた夢の物語…――。


   



  ★彡追記メモ★彡

☆ドクターフェイガーは1976年、腸捻転によりこの世を去った。その翌年、リーディングサイアーに輝いている。

☆ドクターフェイガーは1968年、全米年度代表馬、最優秀ハンデ馬、最優秀スプリンター、最優秀芝ホースの4タイトルを獲得した。米国競馬史上、1シーズンで4つ以上のタイトルを獲得した馬はドクターフェイガーのみ。

☆ドクターフェイガーの名の由来はジョン・ネルド調教師の過去にある。彼は騎手時代、瀕死の重傷に見舞われる。そんな彼を救ったのがチャールズ・フェイガーという外科医師だったのだという。同馬の名は彼に因んだもの。

☆ダマスカスとの対戦成績は2勝2敗の五分に終わっている。

☆ドクターフェイガーの記録した世界レコードのダート1,600m=1.32.2は29年間、ダート1,400m1:20.2に至っては31年間も破られなかった。一年間に世界中で何千回と行われている距離だけに、絶大な価値がある。それと共に、ドクターフェイガーの非凡なポテンシャルを示す一つの指針でもある。
ちなみに、日本競馬のレコードは今だにこの時計を破ることはおろか、並ぶことすら出来ていない。砂の質を考慮しても、ドクターフェイガーは速すぎた。

☆ドクターフェイガーが種牡馬となるためフロリダへ向かう途中、馬運車が警察官に止められるという事件が起きる。警察官たちは中にいる馬がドクターフェイガーと知っており、スピード違反の切符をドクターフェイガーへ対して切ったという。ドクターフェイガーがいかに速い馬で、なおかつ大衆に愛されていたかが窺い知れる、微笑ましいエピソードである。

奇跡の名馬 (アメリカ合衆国・カナダの名馬) * 04:52 * - * - *

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