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サイレンススズカ

 【サイレンススズカ】

〜あの日、あの時
      …あの瞬間〜

―日本競馬が目撃した
      光の超速馬―



父 サンデーサイレンス
母 ワキア
母父 ミスワキ

生年:1994年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:日本
生涯成績:16戦9勝[9-1-0-6]

11月1日は、偉大な名馬の命日である。今もなお、数多くのファンに愛され、心離さない稀代の超速馬サイレンススズカ。
史上最強馬候補にも名が挙げられる魅力溢れる大逃げ馬だった。


1998年の11月1日、日曜日。午後3時45分。サイレンススズカが止まったと同時に、時間は動くことをやめ、静寂な木漏れ日の残像の中、ファンの時間は今も止まったままだ――。




                     
〔サイレンススズカの墓標〕


1998年の天皇賞秋は、サイレンススズカが断然の1番人気を受け、新聞紙にも◎がズラリ。相手はいない。既に勝負付けは済んだ相手たち…。焦点はその勝ち方。何馬身ちぎり、どれ程に速い時計で勝つのか…ファンは皆心踊り胸弾ませ、まるでこれから、最愛のフィアンセとの結婚式が待ち構えているかのように、喜色満面の笑みを浮かべ、至福の時を過ごしていた。
府中の大地へとファファーレが高らかに鳴り響くと、スタンドからは空をもつんざく轟音が鳴動し続けていた。

各馬順調にゲートへと収まり、後はスタートの瞬間、その刹那を待つのみ――……

『ガッシャっ』

猪突猛進、勇烈な黄金の稲妻が超次元の加速度を上げ、他馬との距離を広げてゆく。
先頭サイレンススズカ。この日のスズカはいつも以上に何かに執り憑かれたような、やけに“狂喜”じみたロケットスタートとアクセレーションを展開していた。大きく離れた2番手に大逃げ馬サイレントハンター。サイレントハンターも立派で、しっかりと10馬身以上の差を広げる大逃げを見せ、その任務を遂行し、全うしていた。サイレンススズカが余りにも速すぎるだけ…。サイレントハンターは自らにできる最高のパフォーマンスを、流れ往く秋風の中、叙情的に展舞していた。
かなり離れた後続集団につける春の天皇賞馬メジロブライト、グランプリホースのシルクジャスティス、GIで長期に渡る善戦を続けるステイゴールド、連勝中のオフサイドトラップ…強豪、豪傑が犇めく中、誰もサイレンススズカを追い掛けない。微動だにしない。
「それ」が惨敗へと直結する自爆行為であると、はっきりと認識を持っていたからだ。


サイレンススズカは最初の1ハロンを13秒0で入り、そこから天地烈震、空前絶後の超加速を開始した。2ハロン目が10秒9、3ハロン通過10秒7…そしてなんと、前半1,000mは57秒4…!58秒後半でも速い!と感じるところを…信じがたい驚愕の時計だが、これがサイレンススズカの“マイペース”なのだ。

とてつもない大差勝ちのスーパーレコードが天皇賞史に刻まれる…!
もはや、誰しもがそれを確信していた。
朝が必ずやってくるように。
四季が巡り、四者四様の顔を見せるように。

「100%サイレンススズカが勝つ」

「どれだけ離すの?」

「どんなタイムが出るんだよ?コレ!」

ファンは皆激しく胸打つ鼓動のさらにその奥で、童心へと返ったような不思議な快楽へ誘われた。そして彼らの眼前へとは、歴史的シーンが広がろうとしていた…。


さらにスピードにスピードを乗せ、風を切り、駆け抜けてゆくサイレンススズカが府中の象徴・大欅の向こう側へと消えて往く――。


悲劇は突然にして起きた。


大欅を越えた向こう側に、目を疑う、もう一つの信じがたい光景が広がっていたのである。


故障発生。

サイレンススズカが走るのを止めていた。激痛に耐えて、フラフラになりながら後続を見送るサイレンススズカ…


左前脚手根骨・粉砕骨折。


声が出なかった。


心が空っぽになり、一瞬、不気味なまでの静寂が世界を包んだ。
混沌とどよめきが交錯するスタンドからは、悲痛な悲鳴が上がっていた。


テレビの女性司会者は涙を堪え切れず、解説陣も暗い表情で多くを語らない。

「助かってほしい。もう競走出来なくとも、せめて種馬に…」

ファンはその願い一つだった。
他に何もいらない。彼の命が助かるのなら。


しかし非情にも、運命は残酷かつ凄惨な決断を下した。


安楽死。薬殺処分。


廐務員の加茂さんに看取られながらの最期だったという。
愛くるしい、我が子も同じの栗毛馬。
相思相愛、自らを母代わりに寄り添ってくれた日々の記憶(おもいで)。
加茂さんは人目も憚らず、声を荒げ、涙一滴も涸れ果てるまでむせび泣き、サイレンススズカを抱き締めた。


11月1日、1番人気、1枠1番から発走したサイレンススズカは、ファンの『永遠の1着』となった――。


奇跡の超速馬・サイレンススズカ。その生涯をなぞってゆきたい。



1994年5月1日、サイレンススズカは、北海道は平取町の稲原牧場に静誕。
幼少時のサイレンススズカは、小さく華奢で、精神的にも母への依存度が強い馬だったという。そんな性格が災いして乳離れに苦労し、母への恋い焦がれる想いからなのか、馬房の中でグルグルと旋回を繰り返す行為が癖となってしまった。この悪癖は橋田厩舎に入廐してからも影を潜める事なく、続けられ、結局矯正される事が無かった。

デビュー戦は年が明けての京都競馬場。2月1日、1枠1番、1人気。芝1,600mを馬なりのまま1秒1差の7馬身差で大勝。陣営の期待の大きさは、レース選択から明白であった。白羽の矢が立ったのは弥生賞(芝2,000m)。
ここでサイレンススズカの天衣無縫の人懐っこい性格が裏目に出てしまう。ゲートインしたまでは良かったが、ゲートの中まで付き添った加茂さんがゲートからくぐり抜け出ると、サイレンススズカは彼を追い掛け、ゲートをくぐり抜けようと暴走を始めたのだ。
暴挙を鎮めさせ、外枠から発走。これだけでも不利なのにも関わらず、大出遅れを喫し、さらには引っ掛かり、完全に勝負圏外の馬となっていた。ところが、それでも猛然と追い上げて先頭集団へと取りついて4コーナーを周回。しかし、最後はバテてしまい、抵抗も8着までで終焉を迎えた。

弥生賞で光と影、狂気と素質の片鱗をのぞかせたサイレンススズカは、仕切り直しの500万下戦を馬なりで7馬身差楽勝。
さらにはプリンシパルSで勢いづくと、日本ダービーへ出走。しかし、押さえて先行する戦法が不適正で9着惨敗。中途半端な先行が能力の蓋となり、真のポテンシャルを眠らせたままに走ってしまったのが大敗の要因だろう。

サイレンススズカはダービー後、神戸新聞杯2着、天皇賞、マイルCSと、不本意に惨敗、大敗を繰り返し、完全に精細を欠いていた。

迷えるサイレンススズカを光が射す場所へと導き、覚醒させたのは、天才・武豊、その人であった。武騎手はデビュー前からスズカに熱視線を送り続けており、皐月賞もダービーもこの馬に勝たれてしまう…と危惧する程、サイレンススズカの能力に驚異を感じていたという。
武豊とサイレンススズカのコンビが実現したのは日本ではなく、海外、香港はシャティン競馬場であった。この時、武騎手は抑える競馬を試みたが、サイレンススズカの前向きな気性を尊重し、逃げに撤した。レースはサイレンススズカが大逃げを見せ、ギリギリまで粘り込んだ。シャティン競馬場のスタンドからは、サイレンススズカの大逃げで大歓声が上がり、てんやわんやの大騒ぎになったという。
1998年は完全にサイレンススズカの年となった。バレンタインS(芝1,800m)を楽勝すると、中山記念、小倉大賞典と、ワンサイド勝ちの連続。中でも圧巻は金鯱賞。出走メンバーがまた豪華。5連勝中の底知れない上がり馬ミッドナイトベット。4連勝中のタイキエルドラド。そして菊花賞馬マチカネフクキタル…。このレース、サイレンススズカは最初の1,000mを58秒1という壮烈な速さで飛ばし、1:57.8というレコードを記録。そしてなんと2着馬に2秒近い差を付け、大差勝ちしてしまった。


〔1998年金鯱賞の直線シーン〕

宝塚記念では、武騎手はエアグルーヴへの騎乗が決まっていたため、南井克己騎手が騎乗。悠然と逃げ切り、初GI制覇。いよいよ夢は膨らみ、海外のビッグレース参戦が囁かれ始めたのもこの頃だった。


一夏を越え、初戦となった毎日王冠は、日本競馬史上最高レベルの三強対決が実現。
5戦不敗のエルコンドルパサー、4戦不敗のグラスワンダー。2頭は超ハイレベル世代の頂点に君臨し、この後にはかたや凱旋門賞2着、かたやグランプリ3連覇をやってのける怪物たち。この2頭を受けて立つ大逃げの無敵馬。
このレースは大きな話題を呼び、、G2であるにも関わらず、10万人が府中へと駆け付けた。
レースはサイレンススズカが快調に飛ばし、差をドンドン広げて往く。そうはさせじと、グラスワンダーが一気の捲りでサイレンススズカに並ぼうと試みたが、直線でさらに加速を始めたサイレンススズカに引き離されてしまう。エルコンドルパサーが一気に伸びてくるが、サイレンススズカはさらにもう一伸び。馬なりで最強2騎を完膚無きまでに叩きのめしてしまった。






そして天皇賞――。

あの日、あの時、あの瞬間、何事もなくレースが進行していた場合、日本競馬は全く別な世界を歩んでいたのかもしれない。

武豊は、ディープインパクトが引退した現在でも、サイレンススズカに対して印象的な一語を残している。


「理想のサラブレッド」


とある街角の一角。店内に映し出される98年の天皇賞秋。
黄金色の羽衣を身に纏い、キラキラと輝く栗毛の競走馬が視界を過った――
英雄ディープインパクトという偉大な名馬にめぐり逢えた今も、こう思う。

「サイレンススズカのような馬には、もう二度と逢えないだろう」

永遠に実らない淡い初恋のような彼の存在。時間はまだ流れようとしない。

11月1日。彼の命日が、今年ももうすぐやってくる――。








  ★彡追記メモ★彡

☆サイレンススズカの母ワキアは、1993年、バイアモンを種付けされたが不受胎。再度の試みも不受胎に。その後にトニービンが花婿候補に上がるが、空きが出ず、サンデーサイレンスを交配させた。そうして生まれてきたのがサイレンススズカだった。

☆サイレンススズカの誕生した5月1日、その日は奇しくも伝説のF1ドライバー、アイルトン・セナがこの世を去った日であった。


奇跡の名馬 (日本の名馬) * 01:52 * - * - *

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