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フクパーク (キノピヨ)

【フクパーク(キノピヨ)】

  〜キノッピオ怪話〜

―日本平地&障害競馬
   史上最多勝の龍馬―



父 ラッキーパーク
母 フクセカイ
母父 オールグリーン

生年:1950年
性別:牡
毛色:栗毛
国籍:日本
生涯成績:?戦62勝(兵庫30勝・南関東22勝・中央平地5勝・中央障害5勝)

かつて、その昔、園田競馬場に「フクパーク記念」というレースが存在した。このレースは兵庫県競馬組合で施行されていた、アングロアラブ競走馬の重賞競走であった。
当初は補助馬(組合が競走馬を購入するシステム)に限定して姫路競馬場で行われ、アラブ三冠出走を目指す競走馬の前哨戦の意味合いが強かったものの、サラブレッド導入に伴うレース形態の見直しで2000年にアラブ三冠競走に指定されることとなった。
しかし、度更なるアラブ系競走馬の出走頭数の減少傾向に歯止めが掛かることはなく、2002年には重賞指定を解かれ、2003年は指定オープン特別のランクにまで落ちてしまう。そして、その年を最後には、ついに競走そのものも廃止されてしまった――。
孤城落日。薄暮の中、晩霞に沈んでゆく競馬場は、どこか侘しげに夕日を反射していた――――。


                         

レース名にまでその名が刻まれる名馬フクパークとは、いかなる馬であったのであろうか。その詳細を可能な限り追っていきたい。
1950年、終戦から間もない傷心の癒えぬこの時代、北海道は浦河町に生を受けたアラブ馬は、フクパークと名付けられ、遠く関西地方へと輸送された。その後、兵庫県競馬組合に抽せん馬(補助馬)として入厩し、その底知れぬ超能力を開眼させてゆく。
フクパークはデビューするや、神速の韋駄天ぶりを満天下に知らしめ、次々と他馬を圧制。2歳から3歳までに34戦も消化し、30勝を上げるという驚天動地の破格の成績を残した。敗戦を喫してしまったレースに関しても、2着3回、5着1回と、大敗することは決してなかった。
もはや園田競馬に敵無しと、南関東へと移籍を図ると、さらにその掃天なる速力と脚力に磨きが掛かり、22勝をマーク。そのあまりの無法的強靭性から、中央競馬への参戦が構図に描かれ始める。

兵庫で彼の疾風のような走りを目の当たりにした者達は、中央でも間違いなく通用すると確信していたらしく、兵庫競馬の馬でもないに関わらず、話題に上ることが無いほどであったという。
周囲のめくるめく期待と陣営の折からの願いも届き、ついに中央の檜舞台へと舞い上がったフクパークは、「キノピヨ」という名前へと改名を施されていたものの、その磐石なる強さに変わりは無く、なんということか、サラブレッドを相手に互角以上のレースを展開。なんとも愛くるしい名前へと変わり果てたフクパークではあったが、その壮絶なる烈火の加速力はさらに凄味を増しているかのようであった。
中央のサラブレッドを管理する調教師、関係者一同にとってみれば、まるで初めて映画館で映像を目の当たりにした少年のような心持で、あまりにも信じ難いその光景に、目を丸くして見つめ続ける他なかった。




                          


「キノピヨ」と言う名の饕餮は、中央馬たちを震え上がらせ、凌辱し、彊奪の果てに殲滅させんがまでの兇気をちらつかせる。キノピヨの“怪”進撃・猛進撃はもはや誰にも止められず、障害競馬においても5勝を記録する。
日本競馬史上、地方・中央さらには障害の三部門全てにおいて5勝以上した馬はこの馬しか存在しえない。しかも、史上唯一頭のその馬が、アングロアラブとは…。ここまでの神駒が戦後間もない日本を闊歩していようとは、ほとんどの者が記憶の一片にも留めてはいない。

ちなみに、この馬が暦譜へと記していった「62勝」という記録は、日本レコード。現在高知競馬のエスケープハッチが勝利数を積算しており、果たしてフクパークの記録にどこまで迫れるのか、熱視線が注がれている。



■日本競馬史上40勝以上を上げた馬

★ダイニホウシユウ 1948年生 50勝 中央

★ニホンカイキャロル 1993年生 46勝 益田

★コイワヰ(※) 1908年生 45勝 中央(日本サラブレッド最多勝)

★バリモスマンナ 1985年生 44勝 高知

★ブライアンズロマン 1991年生 43勝 宇都宮

★カンテツオー 1980年生 42勝 中津

★ヒゼンヤマト 1985年生 42勝 益田

★ミスジャイアント 1983年生 42勝 益田

★キングトツプラン 1972年生 42勝 新潟

★ショウケンシーマ 1992年生 41勝 益田

★ポイントジャック 1987年生 41勝 益田

★タガミホマレ 1962年生年生 41勝 園田

★イヴニングスキー 1995年生 40勝 高知

★セントアトラス 1993年生 40勝 上山

★マリンレオ 1996年生 40勝 愛知

★ユーウライデン 1978年生 40勝 益田?

★ホウセント 1950年生 40勝(42勝?) 大井


…以上に上げた記録も凄まじいが、上には上がいるもので、ばんえい競馬には294戦104勝という信じられないような記録を残したトーオクオーという馬がいる。これが正真正銘、平地・障害・中央・地方・ばんえいの全競走を対象とした際の、日本競馬史上最多勝利数かつ、最多出走記録となる。因みに、世界最多勝記録は324戦197勝を上げたプエルトリコのコリスバールであるが、日本にも250戦以上消化し、100勝を超えた馬がいようとは、まるで光速の蝸牛競走を見ているかのような、心揺さぶられる思いである。
また出走記録のみ、ということなら、もしかすると日本が世界一なのかもしれない。
それというのも、春木競馬のコガネマル(アラ系)は昭和28年〜38年にかけて平地と障害でなんとなんと476戦!!さらに、ばんえいのトヨタカと言う馬は、昭和38年〜48年にかけて374戦を記録している。しかし、世界は広い。これ以上の記録が存在するかもしれない。


記録も霞む、銀色に滲む時代、威信賛嘆・伝説のアングロアラブがいた事を、記憶の渦潮に巻き込んではならない。偉大なる“ピノキオ”に乾杯。




奇跡の名馬 (日本の名馬) * 22:56 * - * - *

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