『七夕民俗』 麦藁七夕馬

黒部市尾山の
   麦藁七夕馬


富山県黒部市尾山にて、昭和初期まで行われていた七夕の民俗風習の一環。
七夕の夕べ、尾山の青年たちは麦藁の馬を作り、空へと祈念をかけた。
馬の大きさだが、高さ約30cm、長さ約50cmほどで、この麦藁馬を、集落に流れる泉川のほとりへ集め、七夕竹に吊したという。
吊し方は川を挟んだ竹と竹に縄をかけ、そのあいだに藁馬を吊すというもの。
また杉葉船にも藁馬を載せ流したという。
石川幹夫氏(昭和25年生れ)は小学生のころ杉葉船に載せられた藁馬と七夕竹に吊された藁馬を覚えておられることから、習俗は戦後まもなくまで続いていたことになろう。
なお、富山県の民俗研究者である森俊氏によれば、昭和60年頃、中島信義氏に聞き取り調査をした折、七夕馬の復元製作を依頼されている。その際、中島氏は麦藁がないので、稲藁で製作して森氏に提供したとのこと。この藁馬は、昭和61年4月発行の「とやま民俗」33号に、「黒部市尾山の七夕馬」と題して写真入りで紹介されている。

 

このなかで中島氏は、「藁馬を宮の鳥居に吊ったこともある」と述べている。
「ふるさとの風と心・富山の習俗」(富山新聞社 昭和61年)には藁馬について、「長老の中川広さんら数人は、大正初期まで40−50cmの麦ワラの馬を青年たちが三十頭も作り泉川につるした。」と記されており、当時、青年たちによって毎年かなり多くの藁馬がつくられていたようである。



時代の流れの中、殷賑の雑踏の中消えていった民俗風習の数々。
いつの世までも忘れたくない古き良き日本の原風景が、
きっとそこには存在していたに違いない――。


   
▲〔幸運を招く、跳ね込むという藁馬。いつの時代も馬は幸福の象徴である〕

展示室 * 06:39 * comments(0) * - *

マンノウォー30歳誕生日祝讃会での微笑ましい一場面

 
マンノウォー30歳
    誕生日讃会

米国競馬の象徴にして、国民的英雄である爛咼奪哀譽奪畢瓩海肇泪鵐離Εー。
これは彼が30歳を迎えたその日に催された誕生日祝いを映した一枚である。
大変貴重な写真であり、その写像の中にはケーキを覗き込むように見下ろすビッグレッドの微笑ましい姿が映されている。
ケーキには何と書かれているのだろうか。
実に想像力を掻き立てられる場面だ。
当時はもちろん、現代競馬においても誕生日祝いが公的に催される競走馬というのは中々いない。
熱心なファンから誕生日にプレゼントが送られてくるという話はよく聞くが、大々的に誕生日を祝福される機会は滅多にない。いかにマンノウォーが国民に認知され、そしてどれ程に愛されていたかが窺い知れる、稀少な一幕でもある。

   

ちなみに写真左でポケットに手を入れている人物が馬主のサミュエル・D・リドル氏。
背景には大勢のファンが正装して駆けつけている。中には家族連れでやってきたファンもいるらしい。
生涯成績21戦20勝2着1回。圧勝楽勝大勝の連続で、レコード勝ち7回、ベルモントS20馬身差圧勝、初代三冠馬サーバーバンに7馬身差の決定的勝利。
そして究極の伝説…100馬身超絶大差勝ち。
あまりにも赫燿たる絶対神的成績と存在感。その存在は競馬という概念すら超越して人々の精神的支柱にまでなるに至った。

   

生誕日は1917年の3月29日。つまりこの誕生祝は1946年の3月29日に開かれたということになるが、この30歳という一つの大きな節目を迎えた一年後の1947年11月1日、心臓発作によりこの世を去った。
この葬儀もまた、とても競走馬のものとは思えないほどの盛大なもので、厳粛に執り行われた。
なんと2,000人を超えるファンが駆けつけ、州議長が喪に服して弔辞を読み、さらにはラジオ局までが動き、葬儀の様子を電波を通して全米へと届けたという。

 
▲〔往年の勇姿。『奇跡の名馬』にてヒカルタカイを紹介したが、あの馬の父系を遡及してゆくと行き当たるのがマンノウォーである〕

展示室 * 08:08 * comments(0) * - *

海老名の辻飯


  海老名辻飯

   
蓄霊たちの鎮魂を願い、神奈川県海老名市の中河内のみにおいてのみ、お盆に執り行われていた神事がこの「辻飯」である。

その昔、伝染病や疫病が再三に渡り蔓延し、村落は未曾有の窮地に陥った。これに際し、蓄霊や道祖神に供養して村を護って頂こうという提案が上がり、祖霊を迎える盆の日に酒と御飯を辻々に供え回ったという。これが辻飯のはじまりと言われ、毎年盆の14日には小学校にあがったばかりの幼い女の子から、嫁入り前の二十歳くらいまでの未婚の娘たちが辻を巡り回って供物を供えて行く。昭和17年頃まで続けられていたという。
祭事当日、女の子たちは決められた宿へと、カボチャやキュウリといった野菜と米三合を持ち寄る。仕度が整うと、素足で小さい子から順に二列に並び、出発する。ちなみに昭和初期からは草履を履くことが許されている。

先頭の子が葉にご飯を盛ると一番後ろへと回り、順番に一人一人がご飯を供え最後尾へとつけてゆく。列の最後につける年長者はお神酒を垂らし供養する。これを各辻にて繰り返してゆく。すべての辻を巡ると帰途につく訳だが、途中振り向くと悪い病がついてくると言われる為、急いで宿へと向かったものだった。

  
▲〔葉にご飯を盛る女の子〕



▲〔桃色の襷とハチマキ、そして赤か桃色の腰巻が可憐であどけない少女たちの純粋無垢を表現しているような気がしてならい〕

宿へと到着した少女たちは外へ風呂桶を出して沸かし、足を洗ってからみんなで入浴した。
風呂から上がると、持ち寄った野菜で作った煮染めや味噌汁、漬物で雑談を交えながら楽しい一時を過ごすのだった

展示室 * 23:25 * comments(0) * - *

『天より高く!』

 
  『天より高く!』
 


『WILD HALF』の作者として有名な浅美裕子先生の初の連載作品であるこの漫画は、『週刊少年ジャンプ』にて1991年〜1992年に連載されておりました。
ひときわ異彩を放つ乗馬漫画で、読破した時にはきっとアナタも「馬に乗りたい!」という強い衝動に駆られているはずです。簡単な乗馬の豆知識も記されており、乗馬のルールを知らない方も、当作品を読むことで勉強できること間違いなし!お勧めのマンガです♪

ところが…
乗馬漫画であるあるはずのこの作品に、競走馬を100%連想させる表現が一箇所、はっきりと何の捻りもなく使われているのです!

それがこの場面!



一番 横山紀弘さん
メジロRC所属
乗馬<ライアン>

競馬ファンなら誰しもがビビっと来るであろうこの名前!
…浅美先生も競馬好きなのかなぁ〜…
それにしても、ノリがジャンプにこっそりと出演しているのには驚きでした(笑)。

展示室 * 09:35 * comments(0) * - *

馬と白象の奇図 (シフゾウ)


  白像奇図
 
(『欧州の奇妙な象』より、15世紀の1枚。大英図書館所蔵)

何とも不可思議な絵画である。
象のような生物は、象のようで象ではない別な生物。森にまさしく溶け込んでいる(物理的にありえない立位置。木々の向こうにいるように一見みえるが、そうでない。)その四肢は、何を意味するのか。
また迎え撃つ騎兵隊も奇異に映る、その蔑むような表情は、珍獣を乱獲し続ける人類を描写しているようにも見える。そしてその騎士たちの跨るのは一角獣。その一角獣は権力の象徴なのか。これは私の個人的推察にすぎないが、この絵画、英国の植民地支配を暗喩写像したものではなかろうか。
一角獣と騎士=英国。奇象=異国の辺境という図式が、そこに朧げながらたゆたっているような気がしてならないのである。



 
▲〔象の像が祀られた廃墟の神社。不思議な異空間をそこに造形している〕

馬と象は意外にもまったく無関係な生き物ではない。
過去には象と馬が競走した記録もあるほか、タイでは両者とも神聖な生物として畏敬の念をもって崇愛されているのである。

  

遙かなる中世において、意外な2者が意外な形での邂逅を
果たしていたことは、非常に興味深い。
ところで、この象と馬の融合体のような生物が実在していたことを、貴方はご存知だろうか。
  シ フ ゾ ウ

 
名前は中国の伝説上の動物「四不像(スープ−シャン)」に由来している。
蹄はウシに、頭はウマに、体はロバに、ツノはシカに似て、そのどれでもない生き物の意味。
野生下での暮らしには謎の部分も多いが、水辺を好み、泳ぎが巧みな事、また群れで移動する際の音の目印として、
歩く時に脚の関節の軟骨がポキポキ音を立てる事は判明している。
通常のシカ類は年に1回ツノが生え変わるが、シフゾウでは年に2回ツノが生え変わるのも特徴的な点である。

                              

展示室 * 05:08 * comments(0) * - *

ロストゥルムダーク 〜牋任粒儉疚声の一角獣〜


ロストゥルムダーク 
明治一角獣


大正15年(1926年)10月22日に建てられた聖徳記念絵画館。
明治天皇の成し遂げた明治の維新革命。その偉功と勇姿を後世に残すべく、入念厳密な考証が重ねられた末に描かれた80点の絵画が収められた記念館で明治神宮外苑に位置する。

  
▲〔聖徳記念絵画館〕


その堅牢な建て構えの国旗掲揚台に、この一角獣が雄々しく天空をあおぐ。
その肢体から察するに、麒麟とユニコーンとの融合体にも思えてくるが、“ヒレ”のようなものもあり、爛劵奪櫂ンパス(海馬)瓩里茲Δ任發△襦
当時の意匠が、ユニコーン像を真似て彫刻したものなのだろうか?天皇の権威を象徴するに相応しい聖獣であることに間違いはなかろう。
この一角獣像を精査することで、対諸外国に対する視線・志向まで見えてきそうだ。
しかし、この一角獣には、想像を絶する闇の記憶が封印されているような…そんな気もどことなく感じるのは私の思い過ごしなのだろうか…。





                              

  

展示室 * 03:13 * comments(0) * - *

一角獣幻想 〜ユニコーンナイトメア

一角獣幻想
〜ユニコーンナイトメア〜 

著者:中島望
出版:講談社
2009年3月5日初版

今冬、凍てつく宵闇の頃に
読み耽りたい
ミステリー本を紹介致します。
本書は中島望氏が送る
最高傑作とも名高いもので、
大変読みやすい文章構成が
織りなされた7編の
奇談がおさめらられております。
その中の一遍が表題にも選ばれている“ユニコーンナイトメア”。
森の湖畔で一角獣を目撃した
少女の身と彼女の周囲を
飲み込んでいく怪異…
震撼と背筋に怖気が走る物語は
極寒の冬の深夜にピッタリ
…と暗いコメントを
述べたりしてみます(笑)。
いずれにせよ、一読して
決して損の無い一冊。
競馬予想の息抜きや競馬場までの
電車の中での読書に
ぜひオススメです。


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展示室 * 07:50 * comments(0) * - *

叶馬

    叶 馬

  
静岡県は浅間神社に伝わる七不思議の一つ「叶馬」。
左甚五郎の作と言われている木馬であり、元々は2頭いたという。
その昔、神社が火災に見舞われた際、三保の明神まで逃げ、一頭はその場に留まり、もう一頭はこの地に戻ってきたという伝説が伝わっている。



〔日光銘菓・甚五郎煎餅。お土産に買っていくと(実家が日光なのです)、私の職場では大好評です。皆様もぜひ一つどうぞ〕


             

展示室 * 09:00 * - * - *

ピンクスノウホルンの貝殻

ピンクスノウホルン貝殻  

淡いピンクの燐光を放つ角を持つ一角瀞獣爛團鵐スノーホルン瓠
貝殻を模したガラス細工にビー玉、水晶、千紫万紅の花々を添えたインテリア。
微笑しているように見えるユニコーンが心擽る素敵な一品です。

 

この秋は100円ショップ等で見付けた小洒落たインテリアグッズを使い、馬のアートに勤しむ…なぁ〜んて素敵な時間を設けてみては?
予想や勉学のいいリフレッシュになるかもしれませんし、手軽にアレンジできる馬と水晶、貝殻のコラボレーションに心癒えること、きっと間違いありませんよぉ

展示室 * 08:37 * comments(0) * - *

銀の馬車道

  【 馬車道

兵庫県は朝来市の山中に構える生野銀山から播磨港を臨む姫路市間の約50劼傍擇崘麓崟賤册始。1870年代に開通に漕ぎ着けた、我が国初とも言える高速産業用道路であった。

1873年(明治6年)7月、生野鉱山長だった朝倉盛明とフランス人鉱山師フランソワ・コアニエは、物資搬入の迅速化を図ることが2者の間で画策。その後、人選を重ね、ついに技師レオン・シスレーを技師長として迎え、「銀の馬車道」の工事が着工された。
その内約は、道路を水田より60cm高くし、 あら石、小石、玉砂利の順に敷きつめる技術が使われており、この方式は「マカダム式」と呼ばれ、当時のヨーロッパの最新技術の一つであった。この技法を導入することにより、雨等の天候に左右されず、馬車のスムーズな走行が可能となった。
この馬車道の効果はやはり絶大なものがあったようで、、物資を非常に早く輸送でき、生野から飾磨港までの輸送経費が8分1まで低減したという。

ちなみに、当時の馬車は木製の2輪車で積み荷も少なく、荷台の先にカジ棒をつけていたので四つ角では大回りをしなければ回れないという、機動性に乏しいものだった。
あれから100年の時をえた現在、馬車道は物言わぬ詩人として遺物となり、当時の残光を今へと届けている。

 

展示室 * 04:17 * - * - *

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